チハタンのケニB |
入学式から二日が過ぎた。誰もが新しい環境に戸惑い、新しい交友関係づくりに不安を募らせる時期ではあるが、丹波遥(たんば はるか)の思いはまるで別のところにあった。あこがれの人、「佐藤いろは」に会えるだろうか。放課後、丹波遥は意を決して戦車道の演習場に赴いた。知波単科学園女子高等部、通称「知波単学園」戦車道部の演習場だ。はるか彼方で時折聞こえる砲声とディーゼルエンジンの独特のうなり。初等部から知波単学園に通っている生徒にはなじみある場所かもしれないが、高等部一年で編入してきた遥には勝手のわからぬ場所だった。ここは学園艦のどの辺りで、自宅を起点にするとどっちの方角になるのだろう? 火気厳禁の物騒な看板の立て掛けてある燃料庫と弾薬庫を通り抜け、整備工場の角を曲がって戦車格納庫にたどり着いた。
「こんにちは。あなた、一年生ね。入部希望かしら、それともお友達でも待ってるの?」
ほっそりとした背の高い上級生が声をかけてきた。カーキ色のタンカーズ・ジャケットを着ている。色白で人の良さそうな笑顔だ。古風な丸めがねさえしてなければ、かなりの美人に違いない。
「え、あの……」
遥は言葉を濁した。ほんとは戦車道部に在籍している伝説の人物に用があるのだ。「佐藤いろは」、昨年の全国技術高校作品展に手製の懐中時計を出品し、審査員を驚嘆させ、文句なしで文科大臣賞の栄光に輝いた凄腕の時計職人だ。今時、ぜんまい仕掛けの懐中時計を作る職人なんてほとんどいない。需要もほとんど無いからだ。凄腕時計職人『佐藤いろは』はまさしく希有な存在だ。遥はポケットの懐中時計を握りしめた。
「戦車に興味があるのかしら?」
「いぜん、戦車道をやってました。中学一年くらいまでですけど」
「そうなの? いつでも歓迎するわよ。見学でも入部でもね。わたしは三年で戦車道部部長の園田晃江(そのだ あきえ)。あなたは?」
「丹波遥です」
優しく物静かな口調と、どちらかといえば華奢で儚げな雰囲気。ほんとにこの人が戦車道部の部長なのだろうか。遥はそう思った。
「佐藤いろは先輩に会いたいんです」
そうなのだ。遥は伝説の人物「佐藤いろは」から時計職人の極意を学びたいのだ。だが園田部長は「佐藤いろは」の名前が出たとたんに顔を曇らせた。
「まあ、ごめんなさい。いろはがあなたに何か嫌な思いをさせたのね。ちゃんと謝らせるからこっちにきて」
園田部長は見かけからは想像できないすごい力で遥を演習場一帯が見渡せる監視塔の方へと引っ張っていく。
「へ、えっ? あの、ちょっと違うんです」
園田部長には遥の声など届いていないらしく、遥の腕をぐいぐい引っ張ったまま、ずかずかと速い歩調で歩いていく。
「いろはちゃんも根は悪い子じゃないのよ。ただ、分別に欠けるというか、アプローチの仕方が間違ってるというか、周囲への気配りが足りないというか、あの子なりに気を配ってるつもりらしいんだけど、周りにはなかなか伝わらないの。まったく、もうあの子ったら」
園田部長はそんなことを呟きながら突き進む。この頭に血が上りやすい性質は典型的な戦車乗りの特徴だ。誤解を解かないことには話が拗れてとんでもないことになってしまう。遥はハーフトラックに繋がれた牽引砲みたいに引きずられていく。鉄骨を組んだヤグラがどんどん近づいてきた。園田部長は監視塔にある無線機で「佐藤いろは」先輩を呼び出すつもりらしい。たしかに遥は伝説の時計職人「佐藤いろは」に会いたい。だが、こんな形での邂逅は望んでいない。むしろ、勘弁してほしい。
「あの、聞いてください。ちがうんです」
「だいじょうぶ。心配しなくていいわ」
「『佐藤いろは』先輩とトラブルが有ったわけじゃないんです」
引きずられながら遥が事情を説明しようとすると、監視塔の方から二人の少女が駆け寄ってきた。
「あれ、同じクラスの丹波さんでしたかしら?」
育ちの良さそうな口調で、黒髪姫カットの同級生が小首をかしげた。
「あ、ほんと。丹波さんだ。アンタも入部希望? ちょっと意外だな」
ショートボブのちょっとボーイッシュな感じの同級生は不思議そうな顔をする。
なんとなく見覚えのある二人だったが、残念ながら遥は人の顔と名前を一致させるのが大の苦手だった。お嬢様っぽいのが河野さんで、ショートカットの子が吉岡さんだっけ?
あやふやな記憶から、それらしい名前を拾い出してみた。なんだか違う気がする。
「二人とも、名前教えてくれるかな?」
遥は正直に聞いてみた
「アタシが末吉で、こっちが平野さんだよ」
ショートボブでボーイッシュな末吉が説明する。
「あ、そうじゃなくて下の名前。あたし、遥。丹波遥」
「おー、そういうことか。アタシは末吉清乃(すえよし きよの)」
清乃はひょいと右手を挙げた。
「私は平野伊織(ひらの いおり)と申します」
伊織はスカートの裾をつまんでちょこんと挨拶した。戦車道の演習場には場違いな仕草だ。
「クラスメート同士の挨拶はすんだかしら。ようこそ、戦車道部へ。わたしは部長の園田晃江よ。ウチは初等部や中等部から戦車道を始める子が多いの。だから、高等部から参加するのは結構大変よ。大会での成績はそんなによくはないけど、みんな戦車乗りとしては超一流なんだから。三年間訓練に励めば、国体の県代表とかプロ(実業団)から声が掛かるくらいにはなれるはずよ」
「プロかあ……」
清乃は大きな瞳を輝かせた。
「そうなれば箔がつきますね」
伊織は両手を胸の手前で組んでうっとりした。
「丹波さん、二人の入部届を預かってもらえるかしら」
「はい、いいですけど」
遥は清乃と伊織から入部届を受け取った。
「じゃあ、わたしは用事を片付けてくるわ。三人とも、ちょっと待っててね」
園田部長は愛想よくほほえむと、監視塔の金属製の階段を一気に駆け上がった。しまった! 遥が園田部長を呼び止めようとしたときには、十五メートル上にある監視塔のドアが景気よく閉まる音が響いた。
「うわぁ、どうしよう?」
遥は慌てふためいた。
「どうしたんですか? 丹波さん」
「落ち着きなよ、丹波ちゃん」
遥がクラスメートに事情を説明するよりも早く事態は進展していった。
【いろはちゃん、大至急監視塔まで戻ってらっしゃい。繰り返します。いろはちゃん、大至急監視塔まで戻ってらっしゃい。これは命令ですよ】
演習場のそこかしこに取り付けられたスピーカーがハウリング混じりの声が響く。間違いなく園田部長の声だ。しかも、園田部長は念入りに監視塔のポールに訓練中止の旗を掲げ、信号ピストルで信号弾まで打ち上げていた。
遥は清乃と伊織に事情を話し始めた。
「二年の『佐藤いろは』先輩に会いたかっただけなんだけど、部長さんが何かトラブルがあったって勘違いして『佐藤いろは』先輩を呼びつけてあたしに謝らせるって言い出しちゃって」
それを聞いた清乃は大きな瞳をいっそう丸くして驚いた。
「戦車道部の『佐藤いろは』っていったら、『ひとでなしの佐藤』先輩だろ?」
「ひとでなし? 天才時計職人の佐藤先輩だよね」
遥は不安になって聞き返す。
「天才時計職人という肩書きは知らないですが、知波単の『ひとでなしの佐藤』とか『暴れん坊のゴロハチ』といえば高校戦車道では有名な人ですよ」
戦車道から久しく遠ざかっていた遥には初耳だった。
「ゴロハチって?」
伊織は地面に棒きれで字を書き始めた。
「こういう字なんですよ」
まるまるしたかわいらしい字体で書かれた『左藤五郎八』の文字。戦国武将の名前だろうか? この字面では到底女の子の名前とは思えない。人違いだ。遥は血の気が引いていくのを感じていた。
はるか彼方から一両の戦車がもうもうと土煙を上げてこちらへと向かってくるのが見えた。砲塔の上には、なんと腕を組んで仁王立ちしてる人物がいた。おそらくあの人こそが、暴れん坊のゴロハチの二つ名を持つ『左藤五郎八』先輩なのだろう。遥はゴクリと唾を飲み込んだ。ちゃんと説明すればわかってもらえるはずだ。だが、体の震えが止まらない。
遥たちの目の前で戦車は急停止した。けたたましく鳴り響いていたディーゼルエンジンの爆音が止んだ。静寂とともに舞い上がった土埃の中から知波単学園戦車道部のトレードマークともいうべき九七式中戦車が現れた。草色・土色・枯草色の三色迷彩に黄色の不規則な曲線の帯が入っている。砲塔頂部付近には中隊長車を示す波線の白鉢巻。砲塔の上に立っていた人物はやたらとスタイルがいいらしく、カーキ色のタンカーズ・ジャケットの上からでもメリハリのある体つきわかった。左胸のポケットの辺りある『左藤五郎八』の刺繍。腰にぶら下げた大きな目覚まし時計。ハンマーやらスパナやらねじ回しやらを納めたポーチ。おしりのポケットからはみ出して垂れてる手ぬぐい。
左藤五郎八は遥たちに険しげなつり目がちの目で一瞥くれたかと思うと、戦車からひょいと飛び降り、ゴーグルを戦車帽に跳ね上げて海軍式の敬礼をした。遥・清乃・伊織の三人も反射的に敬礼していた。礼に始まり礼に終わる戦車道。敬礼されれば無意識に敬礼し返す。これも戦車乗りの性分だ。
「園田隊長、左藤五郎八および九七一三号車ただいま帰還いたしましたっ」
いつも騒音の中にいる戦車乗りは地声がでかい。左藤五郎八の声は名前と風体に似合わないかわいらしい声だったが格別にでかかった。遥の耳のなかで、いつまでもじんじんと鳴り響く。
いつの間にか、園田部長が監視塔から降りてきていた。今がチャンスだ。今ここで、園田部長と人違いだった左藤五郎八先輩に事情を説明し、事態の収拾を図るのだ。遥は一歩前に踏み出して口を開こうとしたその刹那。
「よく来たな、くそ袋ども! 今までどこでどんな経歴を積んだかなんて、ここでは関係ないよ。正規乗員試験に受かるまではアンタたちは只のお荷物、クソの詰まった革袋にすぎないわ!」
左藤五郎八先輩は、遥・清乃・伊織の三人に人差し指を突きつけながら話した。むしろ叫んだとか怒鳴ったとかいう表現がしっくりくるような口調だった。
遥は気圧されて、口から出しかけた言葉を飲み込んでしまった。清乃はあんぐりと口を開け、伊織は泣きそうな顔をしてる。
「いろはちゃん、黙りなさい」
園田部長の丸めがねが冷たい光を放った。
「ハッ! 了解しましたッ 園田隊長ッ」
左藤五郎八はブーツのかかとを打ち鳴らし、再び敬礼した。
「この子は丹波遥さん。いろはちゃん、あなたこの子に何したの? わざわざ新入生が苦情を申し立てにくるなんてよっぽどの事よ。とにかく謝りなさい」
左藤五郎八は自分と遥を交互に指さす。右手であごを触って視線を地面に落とし、さらに両腕を組んで空を見上げ、小首をかしげる。
「よくわからないけど、ごめんね。あたしってがさつだから、無意識に周りの人に迷惑掛けることがあるんだ。アンタの体操服、ウエス(ぼろ布)代わりに使っちゃったとか、放り投げた空き缶が頭に当たったとか、そんなことかな? ほんとにごめん」
深々と頭を下げて謝る五郎八に遥は戸惑った。
「左藤先輩違うんです。誤解なんです。去年の全国技術高校作品展で文科大臣賞を受賞した佐藤いろは先輩が戦車道部にいると聞いたので会ってみたくて来ただけで……」
佐藤五郎八はきゅうににこにこして、遥の両肩をぱんぱんと軽くたたいた。
「え〜、なになに。あたしのファンなの?」
舞い上がってしまったのか、左藤五郎八先輩はスキップしながら園田部長のそばへ駆け寄った。
「隊長、聞きました? あの子、あたしのファンです。被害者とか苦情主じゃないんですよ。あ・た・し・の・ファンなんです!」
園田部長はそんなまさかと言いたげな表情で遥をみた。
「悪かったわ、いろはちゃん。わたしの勘違いだったのね。てっきりまた何かやっちゃったのかと思ったわ。でも、良かったわね。これからは、ファンである丹波さんの期待を裏切らない立派な振る舞いをしてね」
園田部長は謝りながらも、それとなく左藤五郎八を諭す。ハイ、肝に銘じます。がんばります。左藤五郎八はこくんこくんと頷きながら涙ぐんでいた。左藤五郎八とともにやってきた九七式中戦車九七一三号車の搭乗員たちはハッチから身をのり出したり、砲塔に腰掛けたりしながら「よかったね、いろは」とか「やったね、中隊長」と声援を送ったり拍手したりしていた。
『佐藤いろは』と『左藤五郎八』、同音異義的な間違いだったのだが、それを口にするのははばかられるような雰囲気だ。遥は全身から喜びをにじませる左藤五郎八先輩の姿を見るのがつらくなってきた。うわっ、目が合ってしまった。
「あ、握手したい? 扇子とか色紙にサインすればいい? それとも手形とか足形がいい? ツーショット写真撮りたいなら、ちょっと待ってね」
五郎八先輩はおしりのポケットからはみ出していた手ぬぐいを引っ張り出して顔をごしごし拭き始めた。
「遥さん、余計ややこしくなってきてますよ」
「このままじゃまずいよ、丹波ちゃん」
伊織と清乃が小声でささやく。遥は覚悟を決めた。この和やかなムードを台無しにしてしまうことになっても、言わないでいるわけにはいかない。
「左藤先輩、これをみてください」
遥は紙切れを取り出した。
「え、ファ、ファンレターなの? やぁだ。照れちゃうじゃない」
五郎八先輩は顔を赤らめて、柄にもなくもじもじする。遥から受け取った紙切れを得意げに、園田部長と九七式中戦車九七一三号車の搭乗員たちに掲げて見せながら小躍りした。あまりの喜びように、遥の胸は罪悪感に苛まれた。
「それ、新聞記事のコピーなんです」
「ありゃ、ホントだ……」
それはまだ見ぬ『佐藤いろは』先輩が去年の全国技術高校作品展で文科大臣賞を受賞したときの記事だった。
「あたしが会いたかったのは、その記事に書かれてる人偏の佐藤いろは先輩だったんです。ごめんなさい。人違いでした」
遥は堪えられなくなって下を向いた。
「それ、あ・た・し」
五郎八先輩は戦車帽を脱いで、新聞記事の写真を自分の顔の横に掲げた。
「でも先輩は左の『左藤』で名前も漢字で『五郎八』じゃないですか」
「あ〜、それね。いちいち説明するのが面倒だったのよ」
「写真だと、目がもっと大きくて、髪型もハーフアップですよね?」
「瞳を大きく見せるコンタクトレンズがあるでしょ。あと、髪型はウィッグなの。晴れ舞台なんだから女らしくしろって親がうるさくってさ」
自分の授賞式に偽名を使って変装して現れる女子高校生なんて聞いたこともない。遥はあっけにとられてしまった。
「じゃあ、この懐中時計で文科大臣賞を受賞したのって……」
「あたしよ」
五郎八先輩は胸を張る。
「これもあたしのお手製なのよ」
誇らしげに腰からぶら下げた金属製の目覚まし時計を指さした。遥は思わず近寄った。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
「いいわよ」
五郎八先輩は目覚まし時計を遥に手渡した。
夜光塗料で数字と目盛りを描いた文字盤には、柱時計のように日付と曜日が表示されるようになっていた。裏面には目覚まし時刻の設定つまみと時刻調整つまみのほかに、秒針を零秒に戻すボタンまでついていた。しかも、ベルを鳴らすためのゼンマイと駆動用のゼンマイのネジが見あたらない。自動巻なのだ。どれもこれも普通の目覚まし時計には要求されない贅沢で余計な機能だ。
「文字盤が大きいから懐中時計や腕時計より見やすいでしょ。頑丈に作ったから、ちょっとぐらいの衝撃じゃ壊れないのよ。戦車の車内じゃ、華奢な時計はすぐだめになっちゃうからね」
「これ、すごいです」
遥の口から感嘆の声が漏れた。
「え、なになに?」
「私にも見せてください」
興味をそそられたのか、清乃と伊織の二人も左藤五郎八先輩手製の目覚まし時計を覗き込む。遥は二人に、この目覚まし時計の特異な構造を説明した。
左藤五郎八は園田部長に問いかけた。
「隊長っ、のこりの二人もあたしの熱烈なファンということでしょうかっ?」
「残念だけど、違うわ。入部希望者よ」
当事者二人が慌てて名乗りを上げる。
「末吉清乃です」
「平野伊織と申します」
遥は先ほど預かった入部届を思い出し、園田部長に手渡した。園田部長は受け取った入部届を吟味する。その間に、遥は五郎八先輩に目覚まし時計を返し、かわりに新聞記事のコピーを受け取った。
「末吉さんは五島流戦車道を習っていたのね。ということは、行進間射撃が得意なのかしら?」
「ハイ、もっぱら砲手をやってました。((M|エンメ))14/41と歩兵戦車バレンタイン、三号戦車E型は扱えます。ゆくゆくはプロになりたいです」
「それは、頼もしいわね」
園田部長は上品に微笑んだ。
「それで、平野さん。あなた、おうちが戦車道道場をやってらっしゃるのね」
「道場ではないんです。玉田流平野戦車道教室です」
遥の記憶が正しければ、たしか玉田流といえば夜間や雨天などをものともせずに浸透戦術を仕掛ける機動力重視の流派だ。
「道場の看板を掲げると、お弟子さんがあまり集まらないんです。道場という言葉の響きには厳しいイメージがあるようです。ですから、うちは戦車道教室と名乗っているのです」
「師範代の免状を持っているのね」
「はい、いずれは私が家業を継ぐことになりますから」
「それは感心。戦車道の未来のために励んでくださいね。と、それはいいとして、このプロフィールの特技『美人』というのは何なのかしら?」
凛とした態度で姫カットの髪をなびかせる平野伊織はそうとうな美少女、美人と言って差し支えはないだろうけれど、特技と称するのはどうだろうかと遥も思った。
「戦車乗りたるもの心身ともに美しくあれ。これが平野家の家訓なのです」
「そ、そう? 一芸に秀でる者は戦場の勇者たり得るというわ。あなたの美貌が威力を発揮する機会もあるでしょうね」
園田部長は分かったような分からないようなコメントを残した。
「今年のクソ袋どもは期待できそうですね、隊長」
「いろはちゃん、その言葉遣いは品がありませんよ」
「ハッ、以後気をつけますッ。でも、車輌の割り振りはどうします? 中等部からの繰り上がり組はきっちり割り当て済みだから余っちゃいますよ、この子たち」
清乃と伊織は不安げにお互いの顔を見合わせた。一人乗り、あるいは二人乗りの戦車が製作・運用されたことはある。だが、操縦士と戦車長兼砲手兼装?手兼通信手という組み合わせは最悪で、搭乗員は多忙を極め、外部の状況把握とか車輌間・部隊間の連携とかいうことを考える暇もないくらいに戦闘効率が悪いのだ。戦車と戦車のぶつかり合いである戦車道においては、二人乗り戦車は頭数合わせや偵察用にはなっても戦力としては勘定に入らない。
「確かにそうねぇ…… 戦車はあるけど人数が足りないわ」
園田部長と左藤五郎八先輩はそんなやりとりをしながら遥の方を向いた。
「丹波さん、あなたはいぜん戦車道を嗜んでいたのよね」
「ええ、はい」
「おお!」「やったあ」「よかったですわぁ」五郎八、清乃、伊織の三人が期待のこもった声を上げる。
「でも、あたしは左藤五郎八先輩から時計製作の技術を学びたいだけで……」
時計作りには繊細な指の感覚が何よりも重要だ。操向レバー、ハッチ、砲弾、重量物を力任せに操る戦車道とは対極の存在だ。もし、指を怪我でもしたら……
「おっけー。教えたげるよタンバちゃん。だから、この五郎八さんといっしょに戦車道やろう。どうせあたしは戦車道で出ずっぱりだから、入部した方が顔を合わせる機会も多いって」
「え、ええ……」
どうして五郎八先輩は、時計職人にとって何よりも大切な指先を怪我しかねない荒っぽい武芸の戦車道に没頭できるのだろう? 不思議に思った遥は煮え切らない返事をしていた。
天才時計職人、左藤五郎八先輩の教えを享受できる。これは願ったり叶ったりだ。だが戦車道は……、指先を怪我したくはない。遥は逡巡する。
「やろうよ丹波ちゃん、一緒に」
「丹波さん、お願いします」
清乃と伊織の二人が祈るような表情で訴えかける。搭乗すべき戦車のない戦車乗りの切なさは遥も知っている。遥は決心した。
「わかりました。入部させてください。よろしくお願いします」
遥は深々と頭を下げた。その場に居合わせた少女たちは手をたたいたり、歓声を上げたりしていた。
「入部届は後回しでいいわ。丹波さんはどこの流派だったのかしら」
園田部長はそれとなく訊く。
「ラヴリネンコ流です」
遥のその一言で、誰もが互いに目配せするような気まずい空気になった。誰も知らないのだ。
「外国の流派なのかしら」
「訊いたこと無いなぁ」
「日本戦車道連盟に加盟してない流派なんでしょうか?」
「カリウス流とかヴィットマン流とかバルクマン流なら知ってるけど」
園田部長がつぶやき、五郎八先輩が首をかしげ、伊織が身をのりだし、清乃が考え込む。
遥は自分の関わったラヴリネンコ流について説明するのが大の苦手だった。結局、どんないきさつで戦車道を始めたかを最初から説明しなければならなくなるからだ。自ずと話は長くなり、質問され応対するうちに話がどこまでも脱線し、説明しきる前に聞き手側の関心が薄れてしまう。
「ラヴリネンコ流はロシアで生まれた偽装と伏撃を主体とした守りの流派なんです」
「いったいどちらで習ったんですか?」
家業が戦車道教室なだけに伊織は興味を惹かれたらしい。
「話すと長くなるんだけど……」
遥は重い口を開く。まずは、北海道で生まれ育ったことから説明する必要があるだろう。
「園田隊長ッ、提案がありますッ。この三人に割り当てる戦車をさっさと見せた方がよくないでしょうか」
他人のプライベートには深入りしない五郎八先輩が話の腰を折って提案する。
「そうね。いろはちゃん、わたし達を格納庫まで乗せてくれるかしら」
遥、清乃、伊織、園田部長の四人は左藤五郎八の九七式中戦車九七一三号車に跨乗して戦車格納庫に向かった。
戦車道の名門校なだけあって、格納庫は広く立派だった。五郎八の九七式中戦車九七一三号車から降りた四人は四棟ある格納庫の一つへ入っていった。
「三人乗りだとハ号(九五式軽戦車)かな?」
清乃が期待に満ちた声を上げる。
「九二式重装甲車かもしれませんよ」
伊織がいたずらっぽく応じる。九二式重装甲車は騎兵用に開発された三・九トンあまりの実質的な軽戦車だ。車体に主武装の十三ミリ機関砲を、副武装は旋回式銃塔に取り付けた軽機関銃という変わった配置法を採用している。三人乗りで最高時速は四十qを誇るが、装甲は最大でも六ミリと心許ない。中距離で通常の小銃弾をはじき返すのが精一杯だろう。
「走り回るぶんには九二式重装甲車も悪くないけど、機関砲は撃っても張り合いがないんだよなぁ。限定旋回式だし」
「どちらでもないのよ」
園田部長はずれた丸めがねを両手の中指でそっと戻し、格納庫の照明スイッチを入れた。
「え、あれ?」
清乃が驚きを漏らす。徐々に明るくなるメタルハライドライトに照らし出されたのは二人乗りの装軌式装甲車、九四式軽装甲車(TK)と九七式軽装甲車(テケ車)だった。ざっと二十輌はあるだろうか。九四式軽装甲車(TK)は誘導輪を大型化して接地させた改修型や37ミリ戦車砲搭載型が混在し、九七式軽装甲車(テケ車)のほうも機関銃搭載型と37ミリ戦車砲搭載型が混じっていた。
「ここの子たちは、初等部の戦車道部で使ってる車輌なの。初歩訓練は二人乗りの軽装甲車で事足りるでしょう」
園田部長が説明する。
「では、アタシ達の乗る車輌はどれですか?」
清乃が堪えきれずに質問する。
「格納庫の一番左奥に、一輌だけ離れて置かれているでしょう」
園田部長はその辺りを指さした。清乃は訊くか訊かないかのうちに掛けだした。
「あ、清乃さん待って」
伊織もあとを追って走り出す。置いてけぼりを食った遥は、整然と並んだ軽装甲車群を眺めながら園田部長と一緒にゆっくり歩き出す。ロシア戦車を見慣れた遥からすれば、日本戦車は目新しい存在だった。小降りで華奢に見えるが、工業製品としての仕上げはきれいで丁寧だ。
園田部長は一輌の九四式軽装甲車(TK)の前で立ち止まると、操縦席のハッチを開けて見せた。
「見て、TK(九四式軽装甲車)は操縦席の隣にエンジンとトランスミッションがむきだしで取り付けられているのだけれど、戦車道連盟の許可をもらって隔壁をつけたのよ」
「うわぁ、仕切り板で隔てられてますね〜」
遥は感心した。この隔壁のありがたみは戦車乗りにしか分からない。戦車の中にはエンジンと戦闘室を隔てる隔壁のない車輌も稀にある。戦闘中でもメンテナンスしやすいからとか、工数を省くためとか、どちらかというと後ろ向きな理由からだ。代償は大きく、エンジンの発する熱と騒音で必然的に耐え難い環境になってしまう。車内温度は40℃以上に上昇し、けたたましい騒音で隣同士でも会話ができない状態だ。そんな過酷な環境での長時間にわたる戦闘は不可能だ。中の人、搭乗員が参ってしまう。世界で最初に実線投入された菱形重戦車Mk‐Tもそうだったし、遥が小学生の頃に乗っていたT−70軽戦車もそうだった。しかもT−70は左右の履帯を別々のエンジンとトランスミッションで駆動させる更にへんてこな方式だったため、操縦手は座席の左右にむきだしで取り付けられたエンジンに挟まれて蒸し焼きにされるような有様だった。あの騒音蒸し風呂地獄から解放されるのはすばらしいことだ。
園田部長は操縦席のハッチを閉め、隣に駐車していた37ミリ戦車砲搭載型九七式軽装甲車(テケ車)の主砲に手を掛けた。
「初等部の頃はこの子に早く乗りたくてしかたがなかったの。やっぱり、大砲が付いてこその戦車でしょう? 懐かしいわ。初めて乗ったときはうれしかったわ。一二〇〇グラムくらいしかない徹甲弾がとても重く思えたの」
清乃の叫び声がした。
「あった! これかぁ」
「ええと、英国製の軽戦車Mk‐[ハリー・ホプキンスかしら」
伊織は戸惑っているようだった。基本的に知波単学園には日本戦車しかない。英国製戦車が紛れて込んでるわけはないだろう。遥は二人の元へ走った。
避弾経始を巧みに取り入れたスマートなフォルムと、リベットがほとんど見あたらない溶接構造。低い円錐形の砲塔から突き出た細長い主砲と同軸機関銃、鋭角的なデザインはどこか日本戦車離れした雰囲気があった。
「これは九八式軽戦車(ケニ車)じゃないのかな?」
遥はそう判断した。
「でもさ、微妙に何か違うんだよ」
清乃は訝しそうに件の謎戦車の足回りを指し示す。
「ほら、シーソー式懸架装置じゃないし、起動輪も後ろにあるし」
日本戦車といえば、一部の例外をのぞいて前輪起動方式で中型転輪を組み合わせた横向きコイルスプリング二重作動シーソー式懸架装置が定番だった。後輪起動方式は履帯が外れやすいとして廃れてしまったのだ。
「あ、ほんとだ。どういうこと?」
四個の大型転輪の陰に隠れて懸架装置らしきものはみえない。上部支持輪もないから、車輪は片側あたり、起動輪、誘導輪、大型転輪四個の合計六つ。これはグリスポイントが少ないから整備が楽だろうな。遥はそんなことを考えた。
「三人とも、悩んでるようね」
園田部長の声はどこか笑っているようだった。
「この子はケニB。九八式軽戦車B型よ」
戦車に関しては日本陸軍はソ連軍に負けないくらい大雑把で、少々武装や構造が改良されたくらいではサブタイプを設けて区別したりしない。だからよけいB型という名称は奇異に感じられた。
「日野自動車で試作、量産化されたのが前輪起動式で中型転輪六個のA型。B型は三菱重工が開発した試作型で大型転輪とクリスティー式独立懸架装置と後輪起動方式を採用した野心作よ。操向装置も油圧式なの」
「訊いたことがあります。たしか、操向レバーではなくて操向輪で操縦するのだとか。でもそんな珍しい戦車がここにあるなんて」
伊織は驚きを隠せないようだった。園田部長はくすりと微笑む。
「そう、でもね、そのハンドル方式がウチの部では不評だったの」
「だけど油圧式操向輪操作の方が、操縦士の負担がすくなくなりますよね?」
遥は不思議に思った。現用戦車では汗だくになりながら必死にレバーを前後に操作するストレッチマシーンみたいな操向レバー方式の方が少数派だというのに。
「みんな、『ペダルカー』みたいだって嫌がったのよ」
「『ペダルカー』ですか?」
「小さな男の子が乗るクルマのおもちゃよ。ハンドルが付いていて、ペダルを漕いで前に進むあれね」
「わかる気がするな」
清乃が呟いた。
飛行機でも似たような話があって、米国陸軍航空隊の双発単座戦闘機P−38は長距離飛行のさいの疲労軽減を考慮して操縦桿ではなく操縦輪方式を採用したのだが、戦闘機乗り達からは「これでは爆撃機や輸送機みたいでみっともない」とすこぶる不評だったという。
「それで、誰がどのポジションに着くのかしら?」
園田部長の問いかけに、遥、清乃、伊織の三人は顔を見合わせた。
「平野さんが戦車長かな、師範代だし」
遥が水を向けた。
「いえ、私は操縦士をやりたいです。油圧式操向装置がどんなものか知りたいですし」
「丹波ちゃんが戦車長やってよ。ラブリンコ流ってのも見てみたいし。砲手はアタシに任せてよ」
「決まったようね。それじゃあ、明日から訓練開始よ。三人とも経験者なんだから錬成期間は三週間でいいかしら」
こうして遥は、なし崩し的に戦車長に就任した。
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