寂滅為楽(上) 01
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 寂滅為楽(上)

 

 

 霞がかる意識を現実へと引き摺り降ろしたのは、簫と鳴る鈴の音だった。

 ――まったく。肝心な刻に役に立った例がないくせに、その化生は彼女がもう逝こうとすれば必ず囁く。まだだ、まだお前の役目は終わっていないと。

 命を賭してでも叶えたい願いがあるのだろう。

 それを果たさずに終焉を、穏やかな最後を迎えたいなどと、嗤わせる。

 言って道化は消えかけた彼女の魂を鷲掴み、無理を承知で人形へと押し込めるのだ。

 そして再び篠ノ之箒という死者は生者へと換える。

 目覚めは最低だ。

 この感覚に慣れることなど永遠に有り得ない。

 理を歪めて我を押し通す、絢爛さなど微塵も感じさせぬ外道。

 けれど彼女が許された舞踏はこれだけだ。かつて在ったもう一つは既に忘れて久しい。ただ狂ったように繰り返す、それしか彼女は知らない。

 徐々に違和感は消えていく。

 ただおそらく、換わった瞬間に悲鳴をあげたのだろう。少女の肢体は汗で濡れていた。布団に横たわっていた上半身を引き起こして、状態を探ってみればやはり喉が張りついて声が出ない。しかしそれ以上の問題はなかった。

 まるで姉の如く赫いその髪を利き手で一度だけ掻き揚げると、彼女は立ち上がった。

 

 呆けている暇はない。

 未だ物語は完結していないのだから。

 

 

一.

 とある三月の夜、事前に連絡もなく篠ノ之束はやってきた。

「はろー、久し振り! 元気だったぁ? 箒ちゃん」

 突然の来訪者は玄関口に立って、満面の笑顔を彼女に向ける。

「あのね、ここに来る前に邪魔してきたのがいたから、かるーく、捻り潰してきたんだ。確か亡国企業だったかな? うん、意味不明。まず名前からないよねー。

 束さんの玩具で勝手に遊んでおいて、何を勘違いしてるんだろうね? センスもなきゃ実体もない幽霊が喧嘩売ってくるなんていい度胸してるよ、ホント」

 はい、と手渡されたバックの中には電子端末といくつかの金属球が入っていた。端末を見ればそこにはISネーム「アラクネ」「サイレント・ゼフィルス」ほか、数機のISの名が記されている。察するにどうやらこの金属球はISコアのようだった。

 親に牙を剥いた子は代償に自身の器と繰り手を失ったらしい。

 中身を確認している内に、束は靴を脱ぎ終えたようでさっさと部屋へと歩いていった。冬の寒さには流石の姉も堪えるらしい。

 箒は特に何も言うことなく、束の後を追って部屋へと移動した。

「……あちゃー、相変わらず何もない部屋だね。こんなの人が住んでるって言わないよ? 箒ちゃん」

「別に、もうすぐ引っ越すからね。特に物も必要ないんだ」

「むぅ。……そう言われると束さんは何とも返し辛いなー。ぶいぶい」

 可笑しな擬音語を発しながら、束は腰を下した。この姉は感情が揺らぎそうになると、わざと道化を演じて誤魔化す癖がある。最近、やっと箒が理解できたことの一つだ。

 その無駄のないすらりとした女性らしい背中。

 束は箒と血筋を同じくする姉妹、篠ノ之家の長女に該当する。

 そして全世界にその名を知られた国際指名手配犯。

 簡潔にいえばテロリストだった。

 自身に適応しようとしない世界という盤面を一度ひっくり返した破壊的逸脱者。

 その恰好はというと、白衣を脱いでからは不思議の国のアリスを彷彿とさせる青と白のワンピースを好んで着用している。頭の上にはウサギの耳を機械化したようなデバイス。

 そして頭髪は姉妹そろって鮮やかな紅色をしていた。

「それにしても、箒ちゃんもとうとう高校生かー。早いね、ついこの間まで中学生だなーって思ってたのに。……それで学校はIS学園に進学するんだよね?」

「うん、件の後も考えればそうならないと不味いだろうからね。できる限り本筋には沿うつもり」

「そっかー、束さん嬉しいよ。もしかしたら行かないかもって可能性も否定できなかったからねー。うんうん、やっぱり箒ちゃんはいっくんと一緒にいなきゃ嘘だよ」

「……そうだね、篠ノ之箒には今も昔も織斑一夏が必要だ」

 ぶいぶい、まるで独り言のように束は再び嘯いた。なにが姉の琴線に触れたか、箒にはわからなかった。ただ、背中を向けている姉が何故か泣いていたように彼女には思えた。

 ――束は最近よくこの身を案じるようになった。

 本当は姉は妹のその心の在り様をもっとも気にかけていたことに、彼女は結局最後まで気づくことはなかった。

 

 

 箒の言葉が、束を微睡みから呼び戻した。

「亡国企業」

「――――え?」

「亡国企業が姉さんを襲撃したことに意味はあったのかな」

 あぶないあぶないと、箒に悟られぬように呟く。近頃とみに鋭さを増した実妹はなにか違和感を覚えればすぐに探りを入れてくる。そういう成長は純粋に嬉しく思うが、だからといってまさか自分が疲れているということに勘付かれては堪らない。

 束は生まれついての異端児だったが、姉としての矜持くらいは未だ持ち合わせていた。

 最低限、妹の前で無様な姿だけは見せない。

 それがもう顔も思い出せない両親との約束事だった。

 価値のない存在が発した、たった一つだけの意味のある言葉を束は律儀に守り続ける。

 聴覚が聞いて海馬が覚えていた情報が神経を経由して即座に論理を脳裏に紡ぎだす。

「まー、仕掛けてきた方からすればあったんだろうけどねー。

 実はね、それさ、束さんがちょっとだけ誘導してあげたんだよね。でもまさか、ISでこの束さんをどうにかできるなんて本気で思ってたのかな。

 まあ。箒ちゃんやちーちゃんやいっくん以外の人間がなに考えてるかなんて知ったことじゃないし。案外、本当にタカをくくってたのかもしれないね」

 そもそも束を狙ったIS、アラクネやサイレント・ゼフィルスは元々、束が親友である織斑千冬に頼まれたから作って国に貸し出した玩具だった。信用も認知もしていない何者かへ渡すのだから、緊急停止コードくらい組み込んであるのは当然の判断といえる。

 なにより束が許せないのは、公に存在も晒せない小悪党が親友と同じ遺伝子を保有しているくらいで自分が攻撃を躊躇するなどと思われている点だった。

 篠ノ之束は織斑千冬を確かに愛している。

 せいぜい身体と記憶を真似た程度の輩が笑わせるというものだ。

「――だいたい。本人がマドカなんて名乗ってちゃねぇ……」

「そうか、姉さんがそういうのならきっと愚かだったんだろうね。手段も準備もすべてが中途半端な馬鹿者か……」

「もともと第二次世界大戦中に生まれた秘密結社らしいからね。まあ、束さんが知ってる時点で既に秘密も何もないんだけど。だいたいさ、人間が半世紀も理念を護り続けられるなんて思ってるところがもう甘いんだよね、ハーゲンダッツのストロベリーみたいでさ。おおかた、自称優秀なあの勘違い女が首領を務めて何とか首の皮が繋がってる、みたいな感じだったんじゃないかなー」

 そんな組織の決定的な間違いを一つだけ指摘するなら、それは亡国企業は篠ノ之姉妹を怒らせた――話はおそらくそれだけだろう。

「まあ。どうあれ姉さんのISを無断で借用したことと、一夏の借りはこれで返したってことでこいつらはもういいかな。……どうせ、あの世で後悔してるだろうしね」

 遅いけどさ、許してあげる。そう、淡々と語る箒の瞳に忌避や嫌悪の色はない。

 まるで自分に似た、けれど異なる色をしたその青目。

 それを見て、束は思い出したように手を叩いた。

「ああ! そうだ、箒ちゃん。束さんは今日、箒ちゃんのIS学園入学を祝うためにここまで来たんだよ! それで、入学祝いだけど箒ちゃんは何が欲しいのかな?」

「――――――」

 束の言葉に箒は少しだけ心が揺らいだ。

 おそらく姉に用意できないモノはこの地球上に数えるほどしかない。――もしかすればこの人にすべてを委ねればなにもかもが上手く終わるのではないか。

 しかしその結果に意味が無いことを箒はよく知っていた。

 他人の手によってもたらされる幸福など。

「……仁義に反するということか。

 別に、何だっていいよ。貴女が用意してくれるというのなら文句などあるはずもない」

「そう、ならとびっきり上等なプレゼント、用意して見せるから」

 楽しみにしていてね、束は来た時同様に満面の笑顔を浮かべた。

 

   ◆

 

「そうだ」

「――――ん」

「箒ちゃんさ、人が空を飛ぶ理由って考えた事ある?」

 箒はさあ、と首をすくめる。

「飛ぶ理由はなんとなくわかるけどね。ただ、落ちる理由までは知らないよ。

 だって私はまだ、片方しかやった事がないからさ」

「あはは、それ言い当て妙だよ。というより、穿ちすぎだね、過ぎた謙遜は嫌味だけど、軽すぎる自慢は逆に誰にも気づかれないよ」

「そうだね」

「んー、……それは肯定? それとも否定?」

「……さあ、ね」

 彼女は姉によく似た緋色の髪を掻き揚げながら、誤魔化すように微笑む。

 揺れに合わせるように簫と鈴は鳴った。

 

説明
 ISで篠ノ之箒メインの話をやってみたいなと思い立って書いた次第です。
 ちなみにpixivとハーメルンでも同名作品を投稿しています。
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二次創作 インフィニット・ストラトス IS 篠ノ之箒メイン 末期戦モノ? 篠ノ之束さん登場 

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