寂滅為楽(上) 04 |
四.
ビデオの中の彼女は、怒り猛る獣だった。
その瞳に憎しみを宿して敵を屠る地に堕ちた武者。
不条理に狂った手負いの獅子だった。
そんな演技に誰もが欺かれた。
彼女は自暴自棄になっていたのではない。
みんなが勝手に騙されるのを微笑み浮かべてまっていたのだ。
たった十年前のことだというのに。
世界は篠ノ之一族について何も学んではいなかった。
◆
「――――――は?」
どうやら諜報機関というのは映画ほど優秀な組織ではなかったようだ。だから、思わず声を漏らした自分は悪くない、と当時の話になるたびにセシリア・オルコットは使用人のチェルシー・ブランケットに口酸っぱく言うようにしている。
なにせ、とんでもない不意打ちだったのだ。自分の後に入ってきたクラスメイトも同じような反応だった。そうとすれば、それはもはや普通といっても良いだろう。
なんとも間抜けな話だった。一昔前の失敗から学習することもなく、人類はまたしても謀られたのだ。そう、常識的に考えれば普通な訳がないというのに。
黒髪の日本人で、剣道を嗜み、寡黙な性格の篠ノ之箒、という少女なんて存在からして大嘘だった。何故なら証拠は既にセシリアの目の前にいるのだから。
そこにいたのは標準的な学園制服を身に着けた女子生徒。
赤毛に赤眼の、朗らかな表情を浮かべながらクラスメイトと談笑する篠ノ之箒、という少女の姿がそこにはあった。
性格はともかく髪色から虹彩まで違うなんていったい何の冗談なんだろう。唯一資料と合致しているのは、笑顔とともに揺れるポニーテールくらいではないか。
四月頭の入学初日。
浮かれたように空に舞う桜の花とは裏腹に、セシリアはクラスに同国出身者がいないことに初めて不安というものを感じていた。
だから、篠ノ之箒に話しかけられて仰け反る織斑一夏を見て親近感を覚えたのはきっと気の迷いに違いなかった。
不意に彼女と目が合った。
慌てて呆けていたであろう表情を引き締め、まるで睨みつけるようにセシリアは彼女を威圧した。これ以上、篠ノ之姓の前で隙を見せたくなかったからだ。
そんなセシリアの様子に箒は何を思ったのか。少しだけ驚いたような表情を見せると、彼女は一夏の肩を叩いて、……何故かセシリアの方へと歩いてきたのだ。
「――――――え?」
「初めまして、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットさんで間違いないかな」
「あ、……はい。良くご存知ですわね。
確かにわたくしはイギリス代表候補生、セシリア・オルコットですわ。そういう貴女は篠ノ之箒さんで間違いなくて?」
咄嗟に対応できたのはまさに経験則と訓練の賜物としか言いようがなかった。心の内で神とチェルシーに感謝しながら、偶然にも巡ってきたこのチャンスをどうものにするか、セシリアは考える。
「そうだね、確かに私も篠ノ之箒だ。……やっぱり、驚いたかな? サプライズのつもりだったのだけれど、どうやらセンスが足りなかったようでね」
「すごく印象的ではありますけどね。……もしかして、そちらの方が地毛ですの?」
「さあ、どうだろう? ただ、染色したんじゃないんだがね」
毛先を弄りながらそう嘯く彼女の真意をセシリアは正確に把握してはいない。しかし、染色していないとはどういうことだろう。レッドシュ、赤毛は何度か見たことがあったがあんなに人工的な明度をしているのだから地毛などありえないと思うのだが。
けれどその疑問をセシリアは口には出さなかった。別に、自分は彼女の髪について詳しく知りたかった訳ではない。もっと優先することがあった。
「ところで篠ノ之さん。いくつか質問してもよろしいかしら?」
「私でよければなんでも、――と本当は言いたいんだけどね。いくつか機密もあるから、そこのところは勘弁してほしい」
「勿論気をつけますわ。それで貴女入試はどうでしたの? 聞けば今年教官を倒せたのはわたくしだけとのことですけど、貴女の様子を見ていると少し自信がなくなりそうで」
足元を顧みなくなった人間を引き摺り降ろすのは存外簡単だ。油断と慢心で視界が曇ることをセシリアは懼れていた。
つまり簡略すれば機密資料にあったCという箒のランク。これは嘘なのではないか、とセシリアは睨んでいる。なにせ、あの篠ノ之博士の実妹だ。
順当に考えればおそらく自分と同じAランク相当はあると考えていい。入試では手を抜いていたとしても話を聞くことができれば得意な武装くらいはわかるだろう。
そんなセシリアの思考を理解しているのか、読めない笑顔のまま漂々と箒は話す。
「まあ、入試主席に自慢できるような腕じゃないけどね。私は刀が主体だから銃が主体の教官とはあまり相性が良くなかったんだ」
「……そういえば日本のブリュンヒルデは剣を使いますものね」
「その言い方だと、どうやらオルコットさんの主武装は銃器みたいだけどね」
否定的なニュアンスがセシリアの口調に表れてしまったらしい。あっさりと此方を読み取ってくるあたりやはり彼女は油断ならない。
「そうですわ」
「これは驚いた。てっきり否定するかと思ったけど」
「隠すようなことではありませんもの」
セシリアは刀剣の類があまり好きではない。どうして遠距離から狙える道具があるのにわざわざ相手と切り合わなければいけないのか。
彼女が剣道を習っているのは知っていた。けれど、騎士道や武士道というのはある種の精神論であることもセシリアにはわかっていた。
どうして最先端技術を駆使しているのに武装は時代を逆行しなければいけないのか。
セシリアには日本人のそういう感性が少し疑問だった。
「とりあえず手を抜いてはいなかったよ。あの時はまだ髪は黒かったけどね」
「そうですか、少し安心しましたわ。
ピエロを見るだけならともかく、わたくしまで演じるとまでなると話は別ですもの」
「それはもしかしなくても一夏のことかな」
「さあ? 誰がとは言いませんけど」
思うにこの世界のどれだけの人間がその偶然を偶然だと、信じているだろうか。
かつて最強の操縦者の称号を有した織斑千冬を姉とし、ISの開発者たる篠ノ之博士とも面識のある世界で唯一の男性操縦者、織斑一夏。
眼前の彼女の幼馴染みでもある彼が本当に意図せずISを起動させたなどと、信じろといわれても到底不可能だろう。少なくともセシリア自身は信じてはいない。
「あまり一夏を責めないでもらいたいね。
少なくとも彼は望んでこの場所にいる訳じゃない」
「望む望まざるにかかわらず、人は集団の中で生きなければなりませんわ。その権利さえ放棄するというのなら、黙って辺境にでもこもっていればよろしいのでなくて?」
「なるほど正論だ。……けれど一夏は子供だよ、キミと違って何の責任も持てはしない。ついこの前、義務教育を終えたばかりのただの子供。誰も彼も忘れているようだけどね」
「……同年代にたいする言い方じゃありませんわね」
おっと失言だった、口ではそう言いながらも箒の眼差しはどこか挑戦的だった。それを聞いたセシリアがどんな反応を返すのか、彼女は冷徹に推し測っているのだろう。
それにしても監視しているはずの側の事情までどうやら彼女は既に掴んでいるらしい。探るつもりが探られる。まったく恐ろしいとはこのことだ。
部の悪い賭けは好きではない。
ここは一度引いて態勢を整えるべきだろう。
ちょうどもうすぐSHRが始まる時間であることを確認したセシリアは一言二言、箒と話すと自分の席へ戻ることにした。
「無理だと思うけど、過度な期待はしないようにね」
最後に箒が告げた言葉の意味を理解するのは、それから少し後のことだった。
三限目前の休み時間。
席に座るセシリアは怒りに震えていた。誇張でなく本当に小刻みに身体が動いている。原因はたった一つ、視界の端に存在する不愉快の権化、織斑一夏。
まったく、箒の言うとおりだった。一夏は子供だ。しかもとびきり性質の悪い無自覚な子供。セシリアの一番嫌いなタイプだった。
自分の立ち位置も自覚できない夢見がちな男の子。普通なら相手にしなかっただろう。けれど一夏は普通ではない。繰り返すが世界で唯一の男性操縦者だ。
他人の生き方を指図するつもりはセシリアにはないが、あのブリュンヒルデは操縦者としては立派でも養育者としては立派ではなかったのだろう。
はっきりとものを言うところは嫌いではない。けれどあからさまに無知をひけらかすのはどうかとセシリアは思う。一緒に話していて恥ずかしいなんて初めての経験だった。
挙句、一夏はセシリアのアイデンティティーまで侵害してきたのだ。あの「男の子」が自分と同じ場所に立っているなどと、冗談も程々にしろと言いたい。
「ああ、その前に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけないな」
故に、教壇に立つ織斑千冬教官の話を耳にしたとき、セシリアは即座にその案を自分の中でまとめた。なるほど、ならば試せばいいのだ。
ここはIS学園で、自分達は生徒。
それなら外部では通用しないたった一つのシンプルな思想が誰にも邪魔されることなく実行できる。受け身の発想が間違っているのなら、ここは主導権を握るべきだろう。
クラスメイトが一夏を代表にと騒ぐ中、セシリアは静かに手を上げることにした。
「先生、少しばかり質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
「いいだろう、言ってみろ」
「仮に立候補者が数名の場合、どういった基準で選抜されるのでしょう」
「……立候補者が数名の場合は、一週間後の月曜日から放課後、第三アリーナにてクラス代表者選抜のための模擬戦を行う。人数にもよるが、立候補者が十名を超えない場合は、原則として総当り戦だ。その場合は勝者が代表決定権を持つことになるだろう」
どうやら主はセシリアの味方をしてくださるようだ。
「そう、ならばわたくしは篠ノ之箒さんを候補に推薦しますわ」
セシリアの発言に教室はいっそうざわめいた。誰もが気にしつつも、藪に潜む蛇を警戒して触れられなかった箒を公の場に彼女は引き摺りだしたのだから。
「おや、どうやらご指名のようだね」
「お、おい箒。お前その気なのかよ?」
「まあ、落ち着いたらどうだい一夏。どうやら彼女の話には続きがあるようだよ」
篠ノ之箒だけがセシリア・オルコットの考えを正確に理解していた。
つまりこれは彼女からの挑戦ともいえるのだ。――ならば留まる理由は既にない。
「そしてこのわたくし、セシリア・オルコットもクラス代表に立候補致します」
見せてもらおうではないか、六年世界を欺き続けた篠ノ之箒の実力を。
見せてもらおうではないか、自分に匹敵するという織斑一夏の実力を。
「オルコット、一応言っておくがこれは私闘を認めるものではないぞ」
「勿論ですわ先生。わたくしはただ、代表に相応しい者を相応しいやり方で決めましょうと提案しているだけですもの。まあ確かに、織斑一夏では不相応かもしれませんけど?」
ここで引き下がるようなら本当にそういう判断をセシリアは下していたかもしれない。
「……ちょっと待てよ」
だから一応は合格だ。一夏はセシリアが戦うに値する人間だった。
「あら、なにかしら?」
「いいぜ。その勝負、受けた。四の五の言うよりわかりやすい」
「言っておきますけど、わざと負けたりしたらわたくしの小間使いにしますわよ」
「侮るなよ。真剣勝負で手を抜くほど腐っちゃいない」
「そう、何にせよちょうどいいですわ。イギリス代表候補生のこのわたくし、セシリア・オルコットの実力を示すまたとない機会ですもの」
そして舞台は整った。
セシリア・オルコット、織斑一夏、篠ノ之箒。
互いの思想が交錯する戦いの火蓋はまもなく切って落とされる。
一夏に専用機が用意されると聞いて、セシリアがさらに歓喜するのはこの一日後。
意図せずイギリスは諸外国より一歩抜きん出るかたちとなった。
それさえも、たった一人の少女の策謀の結果と知らぬまま。
説明 | ||
ISで篠ノ之箒メインの話をやってみたいなと思い立って書いた次第です。 ちなみにpixivとハーメルンでも同名作品を投稿しています。 |
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二次創作 インフィニット・ストラトス IS 篠ノ之箒メイン 末期戦モノ? 織斑千冬、セシリア・オルコット登場 | ||
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