勇者も魔王もいないこのせかい 五章
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五章 物語は終わり、新たなページが開かれます

 

 

 

「シスター!次はこっちだ」

「は、はいっ」

「こっちにも早く!こんなに血がっ……」

「わかりましたっ」

 坑道の入り口。そこには既に魔物が迫っているらしく、負傷した人々が担ぎ込まれ、シスター達がその治療に当たっていました。恐らくは今朝出会ったメリーさんの先輩方なのでしょう。どの方もたおやかで、メリーさんがいかに特異であったかがわかります。

「急ぐぞ。時間が経つほど状況は悪くなるからな」

「え、ええ」

 怪我人を見ると、それを治療したくなるというのは聖職者の職業病なのかもしれません。今は先に進まなければならない時なのに、他のシスターと同じようにここに残りたい衝動に駆られます。しかし、その気持ちを捨てることは存外に簡単でした。

 私がディアスさん達と共に行かなければ、被害は更に増えてしまう。逆にすぐに彼等を大将のところまで連れて行くことが出来れば、これ以上の悲劇は起きないのですから。

「クリスちゃん。ちゃんとアタシ達について来てね?ちょっと強引なことをするから」

「ご、強引ですか?」

「そう……これが魔王の軍勢を切り刻んだ黒い狼の剣だよ」

 音もなくソフィアさんの背中の剣が抜かれます。細身の体には似合わないほど大きな剣なのに、ソフィアさんはそれを片手で持ち、坑道を駆け出しました。

「なっ、あんな無茶な特攻を……」

 坑道には魔物の姿がいくつもいくつも見えました。亜人型や小さな不定形のものと、どれもあまり強い魔物には見えません。それでも亜人の振るうナイフや棍棒は大怪我を招きますし、ウィスプの炎やスライムの体液は体を溶かす、凶悪なものです。

「あいつはああいう奴だ。俺達も行くぞ」

「は、はあ。リエラちゃん、遅れないでくださいね」

「もっちろん」

 ディアスさんが言うのなら、と信じて進むと、さっきまであった魔物の姿は全て消えていました。いえ、正確にはソフィアさんが通った跡には、魔物が一匹たりとも存在していませんでした。

 私にはただ、一人の華奢な女性が大きな剣を構え、何をするでもなく歩いているように見えます。それなのに魔物は無残にも惨殺され、壁に打ち付けられ、すぐに消滅して行くのです。……何が起こっているのか目ではわかりませんが、予想は付いてしまいます。

「目で追えない速度で、切り払っている……?」

「俺にはぎりぎり見えるけどな。あいつは一騎打ちでも十分やれるが、本分は軍団戦だ。あの剣を信じられない速度で振り回せる。あの細い腕で、どんなトリックを使ってるんだって思うだろ」

「え、ええ……」

「あいつ自体は普通の、あんたとそんなに腕力も変わらない女だ。特別なのは剣の方だよ」

「剣が、ですか」

 魔物は次から次へと現れます。予め言われていた通りに走ってついて行きながらですが、ソフィアさんが扱う剣はどちらかと言えば無骨で、美しいフォルムの宝剣などとはかけ離れています。普通の量産型の剣だと思っていたのですが。

「いわく、風の精霊が宿っているらしい。つまりリエラ、お前と同じだ」

「えー?あたしと同じ?」

「なるほど!変身ですね」

「その通り。相変わらず一から十まで説明しなくて良いやつで助かる」

 以前、リエラちゃんは杖に変身していました。その後すぐに妖艶な女性になり、今の少女の姿になった訳ですが、その風の精霊さんは剣に変身したままソフィアさんに使用されている訳ですね。

 ただ、宿るという表現は妙に感じます。精霊そのもの、という言葉を使っても良いと思うのですが……。

「ど、どういうこと?」

「あの剣はな、風の精霊が変身した物だ。だから文字通り、空気のように軽い。ただ、あの剣が精霊に変身したり、他の姿になったりすることはない。当然、以前のお前のように剣のまま話したりもしなかった。……精霊は既に死んでるか、仮死状態。それか封印でもされているんだろうな」

「えー、じゃあ、精霊の許可なくあんな風に乱暴に使ってるの?……それってなんか、可哀想だよ」

「リエラちゃん……」

 精霊だからこそ、そう感じることが出来るのでしょう。きっと、ディアスさんやソフィアさんはその思考に至ることが出来ていないでしょう。完全に“物”として扱ってしまっているのです。

「そう言われれば、そうかもしれないな。でも、あれを使わないとソフィアは今まで生きてはいられなかった。もしかしたら魔王も健在だったかもな。人間側の勝手な解釈かもしれないが、あの剣の精霊は間違いなく多くの人間の命を救って来たんだ。そのことに誇りや喜びを感じていないとは思えない」

「うん……。でもあたし、怖くなっちゃった」

「いずれ、ああなることか?」

「ううん。もしお姉ちゃんやディアスじゃなく、他の人に初めて出会っていたら、どうなってたのかなって」

 精霊を便利な道具として使う人がもしもいたら、ということでしょうか。

 確かに、人以上の魔法を持つ精霊さんは、軍事、研究、その他様々な利用価値がある生き物であると思います。しかもその希少価値から、研究もほとんど手付かずの状態なはずです。……ですが、そこまで人の手が届けば、それは間違いなく傲慢です。精霊は異教の神としても崇められる、人が気軽に触れてはならない存在なのですから。

 私達はリエラちゃんには今、普通の女の子と同じように接しています。それはそれで問題なのかもしれませんが、初めから希少な動物のように扱うなんて、とても許された行動ではありません。しかし、それは十分に起こる得ることで、リエラちゃんが恐れるのも仕方がないことです。

「リエラちゃん。いつまでも私がリエラちゃんを守ります。ですから、暗い顔はしないでください。落ち込んでいては、出来ることも出来なくなってしまいますよ」

「お姉ちゃん。そう、だよね。うん、あたしもお姉ちゃんを守る」

「はいっ」

 前の心配をしないで良いので、もう迷宮の内部に入り込んでいたというのに、話し込んでしまいました。

 しかし……ソフィアさん一人がいれば、それだけで事足りるように思えてしまうのは気のせい……ではありませんよね、きっと。現にディアスさんも手持ち無沙汰です。

「ディアス!すぐにこっちに」

「どうした?」

 と思っていると、ソフィアさんの足が止まりました。まさか、もう件の精霊が……?

「アーマー・オークだよ。いくらなんでもこいつまでは斬れない」

「ああ、なるほどな」

 オーク……亜人の中でも特に大きな体躯を持つもの、と記録には残っています。確かに一筋縄ではいかない相手かもしれませんが、ソフィアさんほどの使い手が苦戦するような相手でしょうか?……などと考えていると、期待通りにその巨体が姿を現してくれました。そして、それはもう、生物かどうかも怪しい外見をしています。

 全身は甲冑のような硬い鎧におおわれ、とてもそれは自然物だとは思えません。巨大な鎧が動き出したおばけだと言われれば、それを信じてしまうことでしょう。

「オークは、表皮を硬質化させた個体が発生することがある。群れの長とされているんだが、こいつにはどうやっても剣は効かない。普通は魔法で倒すんだが、リエラに手間をかけさせるまでもなく、こいつで事足りる」

 そう言ってディアスさんは、小さな袋を取り出しました。ただ、それは革や布で出来たものではなく、細かい鉄の鎖……簡単に言えばチェーンメイルの袋版、と説明出来る代物です。そこから出て来るのは、女性の拳程度の大きさの刺付きの鉄球。小ぶりではありますが、見た目からして凶悪な武器です。

「そ、それは?」

「俺の相棒……鞭は鉄製だが、これだけで倒せる魔物はかなり限られて来る。そこで考えた、冒険者の知恵ってやつだな。この鉄球を先端に取り付けられるようにしてある」

 ディアスさんは遂にそれまでは腰の飾りとなっているだけだった鞭を手に取り、その先端部を私にもよくわかるように見せてくれました。……なるほど、鞭の先端はそれだけで刺突武器になるように尖ってはいますが、よく見ると溝が掘られていて、それを鉄球の穴にはめて回すことで固定出来るのでしょう。鞭からモーニングスターのような武器にグレードアップ出来る訳です。

「なんだか、すごい武器になりますね。ディアスさんのイメージからは想像が付かないです」

「そうか?そもそも、あんたの俺に対するイメージってのがわからないんだが」

「見た目は壮年のおじさんなのに、意外と子ども舌で、加えて押しに弱いところもある可愛い方かと」

「……ロクなイメージじゃないように思えるが、筋力と戦いの勘ってやつはまだ衰えてるつもりはないぞ。だから鉄球付きの鞭を振り回すぐらい、造作もないってことだっ」

 鉄球がかっちりと鞭と合体すると、ディアスさんはそれをいきなり振り上げました。まだオークとの距離は十二分にあるのですが、既に攻撃範囲に入っているのでしょう。銀の糸に繋がれた小さな凶星は重装甲の巨人にぶち当たり、目に見えてその分厚くなった表皮をへこませ、砕きます。

「す、すごい威力……」

「遠心力、と言うやつだよ。見た目はメイスや本当のモーニングスターに比べると貧相だが、その長さゆえの射程と、遠心力のかけやすさはすさまじい」

「ソフィアさん。これからは完全にディアスさん任せなのですか?」

「いや、協力するのもありかと思ったんだけど、見せ場を作ってやることにしたよ。――たまにはあいつだって、女性陣に良いところを見せたいだろうさ」

「は?はあ、そうですか」

 良いところ……ディアスさんが、私やリエラちゃんに?

 うーん、色々とだらしない面とか、お酒にめちゃくちゃ弱い面を見せられてから格好良いところを見せられても、はたしてどれだけの効果があると言うのでしょうか。

「ディアス、格好良いね!」

 ばっちりあったみたいです。リエラちゃん……やっぱり、純真無垢な女の子は、大人の男性の頑張る姿に弱いものなのかもしれません。……って、それだとまるで私が穢れきった嫌な人みたいですよ!?

 しかし、とても長くてそう簡単には取り扱えないであろう鞭を振り回し、あの巨大なオークをディアスさんはまるで弄ぶように攻撃して行きます。数分すれば既にオークの装甲は完全に壊れ、丸裸になったところに必殺の一撃が飛びました。大きな魔物は倒れ、その姿を消します。

「ふー、まあ、ざっとこんなもんだ」

「な、中々に圧巻でしたよ。ね、リエラちゃん」

「惚れ直したよ、ディアス!」

「そ、そうか」

 リエラちゃんがディアスさんに惚れていた覚えはないのですが、素直な感想として受け止めるとして……確かにまあ、多少評価は変わったかもしれませんね。不本意ながら。

「意外とちゃんと戦えるのですね、その点については純粋にすごいと思います」

「そりゃどうも。そうおだてられたとあったら、俺もこのまま前に出て戦いたいんだが……ソフィア、頼む」

「ああ、わかってる」

「え、ええ?また後ろに逆戻りですか?」

「俺がちまちまやるより、こいつに任せた方が効率的だろ。それに、後ろからも魔物は湧いて来るんだ。殿を務める役は絶対に要る。追撃を必死に振り切りながらなんて嫌だろ?」

「まあ、そうですね……わかりました」

 正直なところを言えば、もう少しディアスさんが活躍するところを見たかったのに……残念です。

 けど、ここからは更に強い魔物がいるはず。否応なしにそんな機会は訪れるでしょう。そも連続的に。

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『きゃあ!!』

 そんな声が、どこか遠くで聞こえた気がしました。

 きっとそれは空耳なんかではなく、ディアスさんやリエラちゃんも足を止めます。

「女の声、だな」

「きゃあなんて悲鳴、男性が上げる方が怖いですよ」

「確かに。おいソフィア、前の方だったよな?」

「ああ……アタシが言うのはあれだが、女性の冒険者なんてまずいない。シスターのものだろう。この先に大規模な戦闘があると見て、間違いはないな」

「なら、急ぐぞ。さすがに見殺しにする訳にはいかないし、戦いがあるなら、それは奴かもしれない」

 ――かつて使われていた言葉を再び使えば、この迷宮のボスとでも呼べる存在。それは、ディアスさんの説明によればリエラちゃんと同じ、精霊とも考えられるそうです。

 以前私は、ソフィアさんに魔物と動物の違いを説明されました。それは納得出来たのですが、では精霊と魔物の明確な違いなど、わかるものなのでしょうか。

 もちろん、発生の仕方の違いはわかります。精霊は自然の一部が人に近い姿を取り、自我と言葉を得たものです。対して魔物は、魔力から生まれのだと。……しかし、魔王は人語を喋っていたと言います。つまり、一部の魔物は精霊と同じ特徴を有するのです。そこに明確な線引きは難しいことだとは、学者ではなくとも容易に想像出来ます。

 つまり、今から対峙するかもしれない相手は、人に悪意を持った、あるいは単純な縄張り意識から人と戦っている精霊だと考えられるのです。リエラちゃんは気丈にもこの場について来てくれましたが、そう気軽には戦えない相手なのだと思います。

「クリス、あんたの癒しの術はどの程度の怪我までなら治せる?」

「と、唐突ですね。それほど経験がある訳ではないのですが、切り傷や擦り傷であれば、それなりに大きなものでも治せた覚えはあります。さすがに骨折や内蔵の損傷は、時間をかけて治療しても気休め程度にしか……」

「つまり、瀕死の奴は助けられないんだな」

「っ!……た、端的に言えばそうです」

 少し険のあるディアスさんの言葉の理由は、すぐにわかってしまいました。

 うす暗い通路の先から漂ってくる臭い……それは、間違いなく鉄の臭いです。それが意味するところは……。

「……おい、生きてるな?」

「ソ、ソフィアさん……。俺は大丈夫です。それより、ウチのリーダーとシスターがこの先に分断されてっ……」

「わかった。すぐに助けに行く。アンタはもう動くな」

 そこは、惨劇の跡としか思えませんでした。そこら中に血痕があり、倒れていた男性は、腕を深く裂かれて鮮血が今も溢れ出しています。よく見るとそれは、私のお話を聞いてくださっていた男性でした。もう一人の相棒の方も、近くで壁にもたれかかっています。こちらは足が……右の足首から下が、ありませんでした。

「ディ、ディアスさん……」

「シスターの癖に怪我人を見てびびるな。こいつ等は死ぬような怪我じゃない。……この後の人生に支障は出るかもしれないが、まだ未来がある。明日がある。でも、死んだ人間は明日の朝日も浴びられないんだ。だからすぐに助けに行く必要がある。クリス、本当にあんたが人を救いたいと思うなら、ついて来い」

 まるで息が止まるような心地でした。ディアスさんは淡々と事実だけを述べた、そのつもりなのでしょう。彼の考えに従って。

 しかし、私は魔物と戦い続けてきた冒険者ではありません。魔王殺しの英雄と戦いという場において並び立てるような人間である訳がないのです。

 多くの人間の死や、この世にあって、地獄としか思えないような光景を見て、それでも尚戦い続けたディアスさんの言葉は、私にとって頭を揺るがすほどのリアルな重みを持っていました。それは、軽い気持ちでシスターになった私に、私自身を否定させ、新たな決意の下に十字架を握らせる力があったのでした。

「……わかりました。急ぎましょう」

 濃厚な血の臭いに、むせ返りそうになります。しかも、その血の持ち主は私に優しい言葉をかけてくれた方なのです。……それでも、私は一礼だけを残して二人の前を通り過ぎました。私が本気になって治療をすれば、とりあえずの応急処置は出来たでしょう。さすがに切断を治療するのは無理ですが、出血を止める程度の力はあります。

 でも、そうしていては彼等のリーダーや、私と同じように冒険者の方々を癒すために同行した、勇敢なシスターを助けられないかもしれません。それもまた避けなければならないことであり、死んでしまうかもしれない人と、大変な怪我を負っているだけの人。どちらを優先すべきかと問われれば、後者は泣く泣く諦めなくてはならないのです。

「分断、と言ったな。それはどういう……ああ、なるほど」

 先行していたソフィアさんが、迷宮の異変に気付きました。私達も追い付くと、なるほど……床が陥没していて、大穴が空いています。下は見えず、万が一下に落ちればどこまで落ちて行きそうです。

「恐らく、元から架け橋のようになっていた通路なんだろうな。で、巨大な魔物が通ってそれが落ちた、と」

「さて、どうしたものかな。ここを通らずに迂回するルートもあるだろうが、さすがにそんなに回り道をしていては、この先にいる人間の命が危ない」

「……リエラちゃん。あの、魔法を使ってもらえませんか?植物を生えさせて、橋のようにすることが出来るのでは?」

 穴を見ていて、ぱっ、とそんなことが思い付きました。なぜかと言えば、私が知るお話の中の一つに、植物で橋をかけるというお話があったのです。もちろん、昔話を現実に再現出来るかは怪しいですが、こちらにいるのは精霊であるところのリエラちゃん。その魔法は人よりもずっと強力なのですから。

「うん、やってみるね!」

「そうか。すっかり、リエラが魔法の使えることを忘れてたな」

「忘れないであげてください。リエラちゃんは、自分の魔法が必要とされると考えられるからこそ、来てくれたのです」

「わ、わかってるよ。いちいち真剣に――もなるか」

「はい」

 人命に関わることなのですから、自然と顔も口調も、厳しいものになりました。緑色の光が溢れ出し、太く、立派なツル状の植物の橋がかかるのを見ながらも、さっきの冒険者の方の血や、まだ見ぬリーダーだという人物、そしてシスターのことを想います。

 絶対に手遅れにはなって欲しくない。でも、私が未熟なら、折角出会えても回復はさせてあげられないかもしれない……ここに来て、自分の若さを口惜しく思えて、じんわりと涙が滲んで来ます。――でも、ここで泣いていても何も変わらない。

 少し不安定ですが、すごく丈夫そうな橋に足を乗せて、さっさと渡って行きました。

「リエラちゃん。ありがとうございます」

「皆の役に立ててよかったー。ね、お姉ちゃん。あたしを連れて来て良かったでしょ?」

「ふふっ、全くです。これからもお願いしますね、リエラちゃん」

「任せなさいっ」

 いつもなら心がすごく和むリエラちゃんの可愛らしい言葉と仕草に、今は少しだけ胸がほんわかとしました。……結局、どんな時でもリエラちゃんの可愛さは私にとって、大きな癒しとなるのですね。

「血の臭いがまたするな。ディアス、二人と一緒に遅れて来い。アタシはちょっと急ぐ」

「わかった。念のために言っておくが、無理はするなよ。件のやつなら手出しはするな」

「アレの恐ろしさはわかっている。その場合は適当に時間を稼ぐよ」

 ソフィアさんが、正に風のような勢いで走り出し、その姿は薄暗い中に消えて行ってしまいます。追い風を背負ったような走りは、彼女の使う剣が風の精霊の宿るものだということを、何よりもわかりやすく証明しているようでした。

「俺達も出来るだけ急ごう。あいつの足の速さにはどうやっても追い付けないが、そう遠くはないはずだ」

「はい。……いよいよ、ですね」

「一応言っておくが、魔物に挑んで行くのは全て自己責任の世界だ。俺の時代には、魔物との戦いに参加して死んだ聖職者なんていくらでもいた。だから、この先で人が死んでも、誰もあんたの責任は問わない。非難するような素人がいたら、俺が蹴り倒す。わかったな?」

「……わかりました。ありがとうございます」

 そうは言われても、実際に目の前で人の命が奪われる現場を見てしまえば、私はきっと取り乱してしまうのだと思います。だから、だからこそ――運動神経が決して良いとは言えない私ですが、とにかく走りました。途中で何か赤い液体が垂れていて、滑ってこけそうになりましたが、それでも足を動かし、嫌になるほど規則正しく石畳の並べられた通路を進んで、大きな部屋に辿り着きました。

 そこにいたのは、最終目標とする相手とは違うようですが……巨大な魔物です。そう、それは物語の中にも幾度となく現れる、最強の魔物。猛獣に備わる爪と牙。コウモリに似た翼。猛禽の類と酷似する目。尾はワニのように太く、その巨体はかなり天井の高く作られた部屋なのに、それを突き破ってしまいそうです。

「ドラゴン……」

 赤褐色の皮膚を持つ巨大な竜は、レッドドラゴン、いわゆる火竜とされる種類だったように思います。その俗称の通りに炎を操り、口から吐くブレス以外にも羽ばたくだけで火の粉が舞い、爪や牙は触れるだけで溶かされてしまうほどの高温に達していると言われます。

「ソフィア!怪我人は無事か?」

「ああ、男の方には問題ない。だが、シスターの怪我が想像以上に大きい。とりあえず包帯で応急処置はしたが、治療が必要だ。クリスちゃん。少し出血を抑えてあげるだけで良い。なんとかして欲しい。治療のための時間はアタシが稼ぐ」

 快諾は出来ませんでした。どれだけ一人前の決意をしても、私に力がないことは変わらないのです。命に関わるような大怪我の治療に私は当たったことがありませんし、仮に治療しようとしたとしても、力が足りないとお姉様方には言われました。シスターの癒しの力は才能がほとんど関係しない代わりに、年齢と経験が重要になって来るものなのですから。

「さすがにあそこまでの大物になると、俺があんた達を守りきれるかも怪しい。ソフィアと協力して一刻も早く倒すから、クリス、あんたは怪我人の治療を。リエラも、何か手伝えることがあれば手伝ってやって欲しい。それから、あの竜と、草花の精霊であるお前は絶対的に相性が悪い。何があっても手を出すな。わかったな?」

「わかった。一瞬で焼かれちゃいそうだもんね……やっぱり、火は怖いもん」

 部屋の壁の一部が、恐らくあの竜の仕業によるものなのでしょう。抉れて、瓦礫が積み上がっている場所があります。怪我人のお二人はそこに身を隠しているみたいでした。

 私とリエラちゃんは、誰に指図されるでもなく姿勢を低くしてそこへと近付きます。確か、大型の魔物は自分より極端に小さな生き物は獲物として認識しない、と記録にはありました。それに今はソフィアさんと交戦中ですし、そこにディアスさんも鞭と弓を手に参戦しています。私達は標的とされることもなく、なんとかこの戦場の中で唯一の安全地帯に入ることが出来ました。

「……メリーさん!?」

 力なさげに横たわっている女性を見て、思わず大きな声を上げてしまいました。輝く赤髪のシスターなんて、私が朝に出会ったあの方以外にいないでしょう。数時間前までは快活な印象を受ける方だったのに、今では気を失っていて、とても弱々しく見えます。

「どうして、彼女のようなその……経験の浅いシスターが?」

 治療をするよりも前に私は、隣にいたパーティのリーダーさんに質問をしていました。その理由は――憤りを感じたからです。

 メリーさんは私よりは少し年上ですが、それでも十分な力を持っているとは思えません。そんな人を戦いの場に駆り出すなんて、その神経が理解出来ません。まるでそう、危険な戦いに赴くのは、下っ端で良い。そんな風に言われているような気がして、頭に血が上りました。

「彼女は、自ら志願して来てくれたんだ。気功が使えるから、って」

「気功……?熟練の格闘家の方が使う、整体などに使われる力のことですか」

「いや、正確には格闘家としての熟練者じゃなくても、気功だけに特化した鍛え方をすれば、若くても使うことは可能だ。どうやら彼女は、シスターになる以前にそれを習得したのか、シスターとしての勤めを果たしながら学んだのかわからないが、それを使えた。だから、私も同行を許可したんだ」

「許可する、ですか。あなた方の側から」

 自然と言葉がきつくなってしまうのは、やはりメリーさんがシスターであり、私も全く同じ職業に就く者だからでしょう。しかも、私は彼女の元気な姿を知り、言葉を交わしていました。

「あの人達のような英雄には劣るが、私のパーティも決して脆弱なものではなかったんだ。――だが、今は後悔しているよ。早く治療をしてあげて欲しい。その後なら、いくらでも君に罰を受けて良い」

「罰、ですか。ディアスさんは、魔物に向かっていく者の死は、その人個人の責任だと言われました。ですから、私もあなたに責任を被せるつもりはありません。代わりに、どうか祈ってください。神の奇跡が、この敬虔な修道女に与えられるように」

 怪我の程度は、正直に言えば最悪でした。直視に耐えないものであり、端的に言えば、腹部がばっくりと開いています。血だらけなのと、僧服が黒いせいでよくわかりませんが、きっと中の物も露出をしていることでしょう。こんな怪我、今まで実際に見たことはありませんし、なんとか出来るものとも思えません。

 それに、仮に命が助かったとしても、元通りの生活が出来るとは考えられませんでした。体からは女性としての機能の大部分が失われるでしょうし、食事をして、それを消化出来るかも怪しいのです。もしもメリーさんに意識があれば、このまま死なせて欲しいとすら懇願したのかも、なんて考えてしまいます。ですが、私は聖職者です。神の奇跡を地上に手繰り寄せることが出来る唯一の人間。苦しむ人々を救い、未来を指し示す者なのです。

 十字架を掲げ、一心に祈りました。この女性が救われることを。力のない私に、どうか天におわす神が力を与えてくれることを。

 男性も一緒に祈りを捧げ、リエラちゃんも自分と敵対しかねない、自分とは別の超人的な存在のために手を組みました。

 しばらくすると、ほのかな光が降りて来て、それが傷口を包みます。が、これは聖職者であれば誰もが出来ること。この結果、傷口が見事塞がるかどうかは、その人の力量次第であり、やはり私の力は、怪我の程度とは釣り合いません。

 それでも、神は残酷にして気まぐれ。何度も諦めずに祈れば、いつかきっと本当の奇跡を起こしてくれます。

 自分に言い聞かせるように小さく呟き、再び十字架を掲げ、祈ります。何度も。何度でも。下僕の命一つすら救ってくれない神に。

 そうして、何度祈ったのでしょうか。ディアスさん達の戦いは徐々に、その激しさが収まって来ていました。もちろん、二人の勝利という形で決着は付こうとしています。なのに、未だにメリーさんの傷は癒えません。いえ、わずかな力でも、繰り返すことによって、多少傷口は小さくなって来ているのです。しかし、それだけでは出血は止まらず、もうメリーさんに命があるのかどうかさえ、わからなくなっていました。

「……どうか、まだ生きていてください」

 恐る恐る、首筋に触れます。そこに通る血管に指を当て、集中すると、まだかすかに脈はありました。しかし、こんな弱々しい脈がいつ止まるかも知れません。もう、これ以上手をこまねいている時間はないのだとわかります。

「すみません、剣をお貸しいただけますでしょうか」

「あ、ああ……でも、剣なんかで何を?」

「ご安心を。メリーさんに突き立てるという訳ではありません。むしろ傷付くのは――私の方です」

 私の知る神は生贄を求めません。祈りの言葉さえあれば、力を貸してくれるはずです。が、私の祈りが聞き届けられることはないようです。冷静に考えればそんなこと、当たり前です。私は決して敬虔なシスターではありませんでした。その名を貶めることばかりして来たのでしょう。そんな私が今更神を頼っても、私が神を信じる以上の力は得られません。ならば、神に祈るという線は捨てましょう。

 神に仕える天使。それは誰もが穢れを知らず、その生き血には万病を治し、どんな怪我だって立ちどころに治してしまう力があるのだと伝えられています。私は幸いにも純潔を保っていますし、腐っても聖職者。自分の生き血を贄とすることで、ただの人の血を天使の血に変えることだって出来るはずです。滅多になされることではありませんが、私にはこんな方法ぐらいでしか、メリーさんの命を救えないのです。

「お姉ちゃん」

 剣を持つ手を、リエラちゃんが取りました。……私が何をするのか、わかったのでしょう。そして、その結果、私の命が失われるのでは、とも。あながちそれは、間違ってはいないのかもしれません。

 いったいどれだけの血を流せば、その儀式が完成するのかはわかりませんし、上手く行ったとしても、相当量の血を飲んでもらわなければここまでの傷は癒えないように思えます。神に力を借りる術に比べ、こちらの方法が忌避されるのは、術者への負担が大き過ぎるからなのでしょう。

「大丈夫です。まだ私は、私のなすべきことを終えてはいません。死にませんよ。もしここで私やメリーさんの命を落とさせる神様なら、人々は信仰を捨て、精霊さんのお世話になるべきです。――では」

 どこをどう傷付ければ良いのかわかりませんが、大したためらいもなく、左腕を裂いていました。とりあえず利き腕である右手で十字架を持てば良いですし、最悪、こちらの腕が壊死するようなことになっても……生活には不便するでしょうが、人の命には代えられません。

「んっ、くっ……、すみません、剣を……」

「き、君、何を!」

「私は、絶対に彼女を助けます。そのために必要なことですから」

 押し付けるように剣を返して、十字架を掲げ、震える左手もそれに添えました。銀色に光る十字架が赤い血に穢され、それはもう神への祈りの象徴ではなくなります。血塗られた十字架が新たに持つ意味、それは天使との契約。神よりも人に近く、堕天の者をいくらでも抱える、闇と表裏一体の存在との忌避されるべき交流でした。

「私の命なら、いくらでも持って行ってくださいっ……。ですから、どうか、ここにあなた方の奇跡を」

 指は痙攣しているのに、徐々に痛みは失われていました。大きな剣だったのもありますし、私の傷付け方も下手だったのでしょう。どうやら神経を傷め、まともに痛みすら感じられないようです。――まあ、これはある意味で好都合。とりあえず、痛みで気を失うことはないと思います。

「マザー。もしもあなたがこの場にいれば、間違いなく私を叱り付けてくれていますよね……。でも、私はこの選択を自分自身の意思で選び取りました。こんなことをするために旅に出たのではないのに、人生って不思議なものですよね」

 傷口からはいくらでも血が流れて、床一面に広がって……しかし、その血の流れを金色の輝きが包み始めました。血溜まりは私の服を真っ赤に染めているのに、やっとです。天使とは、神より気さくに思えて、それゆえに人に近い汚さを持っているのでしょうね。……やっぱり、こんなのに助力を求めるなんて、もう二度としたくないです。

「メリーさん。多少強引に口を開けさせてもらいますが、許してくださいね」

 血が特別な癒しの力を帯びても、それを垂れ流すだけでは意味がありません。メリーさんに飲んでもらう必要があります。

 右手だけでは口をこじ開けられそうになかったですし、他の人に頼るのはいけないことのような気がしたので、血濡れの十字架をその口に無理矢理に突き入れて、それによって開けられた隙間から血を流し込みました。

 私の生命の欠片が落ちて行き、驚くべき速度でメリーさんの傷口が閉じていくのがわかります。こんな効力を持っているなんて、ちょっと信じがたいですが……もう神に頼るのが馬鹿らしいですね。二度としたくないですけど、こんなこと。

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「お姉ちゃん!お姉ちゃん!!」

「……大丈夫です。生きていますから」

 少しだけ、眠っていたのかもしれません。けど、体は軽く、もう左手も痙攣していません。それどころか、傷口は完全に閉じていました。

「そんな都合の良いことが、とは思いましたがまさか自分の血を自分で飲んでも効果があったとは」

 天使も案外優しいものです。お陰で、私も無事、そしてもちろん、メリーさんの怪我も治り、意識こそ戻っていませんがもう安心です。天使さまさま、ですね。

「まさか、こんな方法があるなんて……。正に奇跡だ」

「そうだな。噂程度には聞いていたが、実際にそんな方法があって、それを本当にやる馬鹿がいるとは、なっ!」

「ふぁう!?」

 すぐ傍で“奇跡”を見守っていたリーダーさんが感心したような声を上げる、そこまでは良かったのですが、その次に降って来たのはゲンコツでした。きちんと手加減はしてもらっていますが、生まれて初めて受けた体罰が、ディアスさんからのものだなんて。

「ディ、ディアスさん。何も殴ることは……」

「あるだろうが、この馬鹿シスター。人が竜をぶっ倒して戻って来たら、この血みどろの現場だ。どれだけ俺が心配したと思う?」

「そ、それは……相当でしょう、ね」

「そうだ。死ぬほど心配した。お前が女じゃなかったら、本気で張り倒してるぞ?こんなことがないように、俺は予めお前に言ったんだ。人が死んでもお前の責任じゃない。それはつまり、無理そうなら諦めろって言外で……」

「ごめんなさい。私、物語が好きな割には行間を読むことが苦手ですので」

「知るか!このクソシスターっ。お前、こんなのどう考えても普通のシスターがやることじゃないだろ?一応正教には属しているが、異教徒まがいな過激な連中がやるような外法だ。こんなのどうして知ってるんだよ」

「これも確か、お話で読んで……」

「お前は本で読んだり、物語として聞いたりしたことならなんでもその通りにするのか!?英雄譚で大男がクマと素手で喧嘩をしたってあれば、それと同じことをしてぶっ殺されるって言うのか、ええ!?」

「そ、それはさすがに……」

「お前がしたのはそれと同じぐらい無謀なことだ。大体、物語なんて大体が誇張されたものなんだから、この儀式だって成功していたとは限らない、いや、失敗するのが普通だ。どうして物語を都合の良いように解釈して、わざわざ危険なことをする?一人の命を捨てるのが許せなくても、お前が失敗していれば二人とも死んでいたんだぞ?単純な量から見ても、感情を優先させても大損害だ」

「うぅ……」

 正論過ぎて、反論など出来るはずもありません。まだちょっとぼんやりとしている頭を深く下げて、なんとか許しを請おうとしても、中々ディアスさんは許してくれませんでした。

「ディアス、もう良いだろ?それより、目的を果たさないと。竜一匹倒したぐらいで満足するために来たんじゃないんだから」

「……お前、夫が同じことしていても同じことが言えるか?」

「なっ、ちょっとアンタ、それはあんまりに不謹慎というものじゃないか?いくらアンタの言うことでも――」

「俺は、こいつのことをそれぐらい想ってるということだ」

 ディアスさんはもう一度ゲンコツを小さく落とすと、抱き起こしてくれました。自分の服が私の血で汚されることにも構うことなく。

「あ、あの」

「か、勘違いするなよ。俺はその、あんたが妹みたいで、大事なだけだ。その、嫁にしたいとか、そんなんじゃないからな」

「そ、そうですよね。あはは……」

 少しびっくりしてしまいましたが、そうですよね。私はまだまだ子ども、ディアスさんに女性として意識されているはずもありませんし、そもそも、ディアスさんは私の好みなんかじゃありません。求婚されたとしても、手酷く振って差し上げますとも。

「はぁ、とんだノロケ話だな。おい、えーと……アンタはベルゼと言ったか。そのシスターのことは任せる。アタシ達はまだするべきことがあるから、更に奥へと進むよ」

「は、はいっ」

「それから、クリスちゃん。その十字架はもう使い物にならないだろうから、彼女の物を借りると良い。……まあ、アタシ達は君に危険なことをさせるほどの怪我は負わないが」

「わかりました。……メリーさん、少しの間だけ、お借りします。絶対にお返ししますから」

 幸いにもメリーさんの十字架は左腕にブレスレットにして付けられていて、血は一切付いていませんでした。きちんと手を拭った後、十字架だけを抜き取らせてもらいます。

「……行きましょう。ディアスさん、リエラちゃん、ソフィアさん。本当にご心配をおかけしました。もう無理はしませんから――」

「あんたのその言葉はいまいち信用が出来ないが、後一度だけ信じてやる。じゃあ行くぞ」

「は、はーい!」

 ディアスさんは強引に私の腕を掴んで、引っ張って行きました。……乙女をさらうように連れて行くなんて、神をも恐れぬとはこのことです。でも、嫌ではないのですが。

-4ページ-

「クリスちゃん、リエラちゃん。君達にはまだ話していなかったけど、これからの戦いは、アタシにとっては弔い合戦、のようなものになる。アイツには、夫を殺されていてね」

「そんなことが……」

「ああ。それからアタシは、この迷宮から実質的に逃げていた。夫に助けられたこの命を永らえるためだと自分に言い聞かせていたけど、結局のところは怖かったんだと思う。今もほら、少し震えるよ」

 あの部屋が大きな山場だったのか、しばらくは出て来る魔物の数も、その質も大したものではなく、ソフィアさんの剣の一振りで片付くものばかりでした。そんな中、静かにソフィアさんはこの遺跡に対する想いを吐露します。

「でも、今回のような急激な変化がなくとも、再びアタシはここに来ていたのだと思う。それが少し早まってだけに過ぎない、その理由がわかる?」

「いえ……私には」

「あたし、わかるかも」

「リエラちゃんはさすが、勘が良いね。多分言わなくても当たっているよ。アタシは一線を退いても、魔物に大事な人を殺されても、冒険者なんだ。過去に得た剣聖の名は、呪いのようにアタシにまとわり続ける。そして当時の記憶は、魔物を薙ぐ感覚を求めさせる。アタシは一人の冒険者として、この場に惹かれるんだ」

 その感覚は、私には理解が及ばないものでした。私は魔物を今、初めて見ることになりましたし、実際に魔物と戦ったこともありません。危険な迷宮に挑み、宝物を持ち帰った経験もないに決まっています。

 しかし、一度でもその味を知った人は、もうただの人に戻ることは出来ないのかもしれません。これは私が勝手にそう思っているのかもしれませんが、ディアスさんも鞭を振るっている時の方が、よほどいきいきとしているようでした。

「厄介な生き物だな。やっぱり、魔王が死んだ時に、俺達も死ぬべきだった」

「またそんな、心にもないことを。仮にそう思っても、アンタみたいな意気地なしが自殺出来るはずもないだろう」

「言ってくれるな。……まあ、実際にそうだからこそ、こうしてお前と話しているんだが」

 笑うところなのかどうなのか、私にはちょっと判断が付きませんでした。少なくともソフィアさんは苦笑を漏らしましたが。

 ……もしもディアスさんが私と出会っていなければ、本当に死んでしまっていたのでしょうか?私は本当に、彼を救っていたのでしょうか?

 今更そんなことを訊いてもまともに答えてもらえないでしょうし、それをあえて訊くのも、悪いことだと思いました。何はともあれ、ディアスさんは今ここにいて、運命の巡り合わせにより、再び魔物と戦うことになっている。それは確かな事実です。昔の仲間との再会も果たしました。

「でも、何も策がないのはさすがに厳しいな。話を聞いた限り、幻かもっと大規模に空間を操る、というのは間違いないらしいが」

「そうだな……二人には話していなかったけど、アタシの夫は相手に槍で襲いかかった次の瞬間には、自分の体を槍で貫かれていた。一瞬の出来事だったから、あたし自身がどんなことが起きたのか、よくわかっていない」

「うわ……」

 思わずリエラちゃんが声を上げます。私も変な声が出てしまいそうになりましたが、なんとかそれを引っ込めました。

「相手の攻撃を利用する魔物、なのですか?では、こちらから攻めなければ……」

 能動的に攻撃が出来ないのかもしれません。魔物かも精霊かもわからず、もしかするとそのどちらでもない、非常に不確かな存在なのですから、迂闊に手を出さない方が良い、という可能性も考えられます。

「しかし、奴はそこに存在しているだけで魔物を発生させる。こちらから攻めなければ倒すことは出来ないし、湧いてくる魔物だけを倒していてもジリ貧だ。なんとかして攻撃を通さないと」

「考えられるとすれば、武器に頼らない攻撃、か。リエラを戦わせることになるが」

「出来ればアタシとディアスだけで肩を付けたいところだが、やむを得ないかもしれないな。――ともかく、もう一度対峙してみよう。新たに何かわかることがあるかもしれない」

 ひとまずの結論が出て、再び誰もが口を閉じ、通路をひた進みます。ソフィアさんがこんな話を切り出したということは、もうすぐそこまで迫っているのでしょう。魔物を生み出し続ける、全ての元凶が。

 ……全く、少し前の私にこのことを話したら、絶対に信じませんよ。ディアスと名乗る旅人に旅に出ることを持ちかけられ、その言葉に乗せられて町を出てしまい、色々な町で子どもや、時には大人相手に物語を読み聞かせて……。

 出会いもたくさんありました。嫌な人にも会いましたし、今まであまり関わったことのない芸人の方や、職人の方、同業である聖職者の方とも出会えました。そして、ディアスさんにソフィアさんといった、本物の英雄。更には、生まれたばかりの精霊さん。なんと私はその精霊さんの名付け親にまでなってしまいました。

 そして、ただの旅というよりそう――“冒険”はここに来て、急転直下の展開を迎えています。

 魔物との戦いになんて縁が絶対にないと思われていた私が、魔物がうようよしている迷宮に足を踏み入れ、遂には外法とまで呼ばれる儀式までして、一人の女性の命を救っていました。しかもそれで終わりではなく、これから強大な敵と戦おうというのです。

 生還出来れば、間違いなく新たな子ども達に読み聞かせるべき物語が生まれることとなるでしょう。私自身を主人公とした、巻き込まれに巻き込まれ、後半に至ってはむしろ自分から巻き込まれに行った一人の修道女の物語が。

 ――握り慣れていないメリーさんの十字架を握り締め、私は私自身の物語に一つの区切りを付けるために歩き出しました。

「ディアスさん、生きて帰りましょう」

「それ、あんたが俺に言うことか?」

「だって、私しか怪我の治療は出来ませんから」

「まあ、そうか……。でもな、あんたを守るのは俺だ。だから俺にこそ言わせてくれ。絶対に生きて帰らせる。誰一人欠けることなく、な」

「はい!もちろん、ディアスさんも、ですよ」

 念のために釘を刺しておいたのですが、その言葉を予想していたのか、にやりとディアスさんは笑みを見せました。――その笑顔が最後になるなんて、私は嫌ですよ。ディアスさん。

 私の物語は、最終的にハッピーエンドにならなければならないのです。誰かが必要な犠牲という名目の上に亡くなる物語なんて、私は認めません。他の物語については仕方なく認める破目になったとしても、この私自身の物語にそれはあり得ません。ですから私は、なけなしの力で誰かが怪我をするようなことがあれば、その方を癒す必要があります。

 誰かに頼ることも出来ませんし、仮に他の誰かがいて、その人に頼ってこの戦いを終えても、それでは私の物語とは言えませんからね。

「っ!この先だ。もうかなり前のことなのに、今でも忘れられないな。この感じは」

「奴か」

「ああ。……震えて来る」

「怖いなら下がっても良いぞ?」

「馬鹿な。これはビビっているんじゃなく、武者震いだよ。この剣で必ず八つ裂きにしてやろう」

 その異様な雰囲気。恐らく、妖気とでも表現出来るものなのでしょう。それは、まだ距離があるのにも関わらず私の肌を刺すようなものでした。

 魔物も一気に雪崩込んで来て、ソフィアさんとディアスさんの二人はその応戦に当たります。私は前に出ることは出来ませんが、祈りながら十字架を握りました。

「お姉ちゃん。あたしも……」

「そうですね。ここからなら安全ですから、援護をお願いします」

「うん。でもお姉ちゃん、この感じ、すごく怖い……」

「リエラちゃんもそう思いますか?私もちょっと、不安になってしまいます。少なくとも今までの魔物は大きく雰囲気が違いますよね。あれだけ大きなレッドドラゴンでも、こんな殺気のようなものは放っていませんでした」

 それだけ異質な相手、という判断をして良いのでしょう。本当にどんな魔物なのか……まさか、新たな魔王?その線も捨てきれないのは、この魔物に溢れ返る迷宮が、かつての魔王に支配された地上を彷彿とさせるからなのでしょう。

「あたしと似てるけど、違う……もっと怖くて、危ない力、だと思う」

「リエラちゃん、つまり精霊と似ているということは、相手もまた精霊なのですか?」

「うーん……ごめんなさい、それはよくわかんない。けど、もしそうだとしても、もうあたしみたいに人と話せるような状態じゃないと思う。だから――うん、戦って倒さないと」

 掲げられたリエラちゃんの手から、緑色の閃光が放たれます。何が起こったのかと思えば、今前の二人が戦っている魔物より、少し後ろの方にいる魔物の体がツタ上の植物に絡め取られ、その動きを阻害されていました。

 なるほど、単純な攻撃の魔法を使うぐらいなら二人に任せた方が早いですが、こうして時間稼ぎをするのは確かに有効です。

「リエラ、でかした。その調子で他の奴等も頼む!」

「えへへ、了解。魔物にもあたしの魔法って通用するんだねー」

 さすがは人よりずっと魔法を使うことに精通した精霊の魔法、と言ったところでしょう。拘束力もさることながら、相手には近付いていないのにあれだけの効果を発揮するなんて、その時点でかなりの高位の力を行使していることがわかります。

 対して、聖職者の癒しの術は原則的にすぐ近くにいる人しか回復することが出来ませんから、もしもお二人の内のどちらかが負傷したら、私も駆け寄って術を使わないといけません。それには当然危険が付きまとうのですが、そんな時もリエラちゃんが援護をしてくれれば安全ですね。今思うと、リエラちゃんに一緒に来てもらわないなんてあり得ない選択だった訳です。

「しかし、ソフィア。このままちまちま倒していて、敵に肉迫出来るか?」

「まあ、かなり難しいだろうな。一気に突破口を開いて、どちらか片方だけでも前に進むか。もちろん、片方はここに残って、二人を守らないとならない。その役割は負担が増えることになるが……」

「このまま嬲り殺しよりはずっと良いな。ただ、前に出る奴が武器しか扱えないんじゃ大元締めをやれないかもしれない。最低でもリエラは連れて行かないと」

「敵を蹴散らすだけなら、アタシの剣の魔力を放てばある程度の牽制にはなる。だが、一人が全力で駆け抜けるので精一杯の時間しか稼げないぞ?」

「――なに、リエラは精霊だ。それに、一人で時間を稼ぐのが大変でも二人いればなんとかなるだろ?」

 前線では、何やら二人が言葉を交わしています。どうやら議題は、半ば硬直してしまっている状況の打開のようですが。

「二人?アタシが残って、アンタがリエラちゃんを連れて行くにしても、クリスちゃんに武器が扱えるような訳はないだろう?」

「時間を稼ぐのは今までと同じ、俺と、お前だ。行くのはクリスとリエラ。これでどうだ?」

「すまない、かつての戦友として言わせてもらうが、遂にとち狂ったか?」

「まさか。俺はこんな大事な局面でテンパるような人間じゃないつもりだ。むしろ、頭はいつもよりずっと冴えている。お前にも覚えがあるだろ」

「……いや、でも、どうしてその結論に至った?」

 話しながらも、ソフィアさんの剣は魔物の体を薙ぎ、ディアスさんの鞭が唸ります。軽やかなステップでダンスを踊り、魔物と楽しく遊ぶように一匹も漏らさず討って行き、敵の数にも終わりは見えないのに、この二人がいれば絶対に負けない。そんな確信めいた予感さえして来ます。

「リエラは、杖の形に自分の姿を変えることが出来る。しかもその状態で会話も出来るし、何より精霊が変身した杖だ。ただの木の棒、という訳にはいかないわな」

「それはまあ、この剣のように強力な力を持った武器になるのは間違いない。でもそれは、魔法使いが使った時の話だろう。こう言うのは酷いが、シスターになる程度の適正しか持たないクリスちゃんが、その杖を持っただけで自在に魔法を扱えるとは……」

「クリスに戦いに行けって言う訳じゃない。ただ、あいつを遠くに行かせることが出来れば、この場には俺とお前、戦い慣れた人間しかいないことになる。そこからは最高にドラマチックな展開が待ってる、って訳だ」

「信じて、良いのか?」

「もう十年、魔物使いの名を返上していたが、今更取り戻したその名に賭けて」

「最高に価値のない物を担保にされたな」

「失敗したら俺が今まで面倒見て来た子ども二人を失うんだ。いい加減なことは言わんさ。――リエラ!唐突だが、杖の姿になってくれ。それで、クリスはそれを持って、とにかく走れ!俺とソフィアが突破口を開く」

「――え、ええ!?」

 よもや、私に魔物の群れの中を駆け抜けるなんて役目が回って来るとは、予想外過ぎて情けなく声を上げてしまうというものです。

「すぐに助けに入る。ぶっちゃけた表現を使うが、あんた等を守って戦ってたら、きりがないからな。一度避難してもらうだけだ」

「は、はあ……。もう、ここまで来たらディアスさん達だけが頼りです。私の命、お預けしましたよ!」

「なんかわかんないけど、あたしもお姉ちゃんと同じ!とにかく、杖になれば良いんだよね」

 返事を待つ前にもう、リエラちゃんの体からは緑色の光が溢れ、瞬く間に杖に姿を変えてしまいました。ツタが複雑に絡み合ったような杖は、今こうして見るとどこか神秘的に見えます。そういえば出会った頃のリエラちゃんは今のような人の姿ではなく、人型ではあったものの、もっと明らかに精霊だとわかる姿でした。その姿にこの杖は近く、なんだか数週間前に戻ったような心地が……。

 などと、感慨にふけっている場合でもありません。ソフィアさんが少し距離を取り、最上段に剣を振り上げたかと思うと、唐突に凄まじい突風が巻き起こります。剣から放たれたその風は、再びソフィアさんの元に収束すると、今度は巨大な竜巻として巻き上がりました。

「クリス。指図するまでもないだろうが、竜巻が放たれたらそれを追うように走れ。それでも近付く敵は俺が追い払う。良いか、絶対に立ち止まったり振り返ったりするなよ。ただ前だけを見て走れ。あんたの性格上、一瞬でも魔物と顔を合わせたら固まる」

「そ、それはまた、冷静な分析で。……確かに、恐ろしい形相で睨まれて平気でいれるほど、私の心臓は強くないのですが」

 半目になって言い返しながらも、ディアスさんが私の緊張を解くために言ってくれているのはわかりました。どつき漫才でないとリラックス出来ないと、もうすっかりお見通しなのですね。……何もかもお見通しみたいで、いささか気分が良くありませんが、今は心遣いをありがたく受け取っておきましょう。

 深く息を吸い、それをゆっくりと吐き出し終えると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、暴風が放たれました。圧倒的な勢いの竜巻は思った以上にゆっくりと進み、魔物を跳ね飛ばして行きました。

 何も言わずに杖になったリエラちゃんを抱えてその後ろを走ると、ほとんど魔物は私に近付こうという素振りすら見せません。どうやら本能で竜巻を危険だと判断し、その後ろを行く私にも手出しが出来ないようでした。たまにそれでも向かって来る魔物がいると、それを的確にディアスさんが打ち払い、竜巻と一緒に私はどこまででも進めるみたいです。

 どの地点まで走れ、とは指定を受けていないので、何も考えずに走り抜けてて……途中で後ろから温かい風が吹いた気がしますが、それも無視して、行けるところまで行きます。物語では、絶対に後ろを見るなと言われた主人公は、必ず後ろを見てしまうものですが、私は違います。人のふりを見て我がふりを直すことの出来る人間ですから。

「クリス!もう戻って来い。また全力だ!」

「こ、今度は戻るのですか?」

 なんて、絶対に後ろを振り返らない決意をした途端にこれです。世の中の理不尽さを感じると同時に、柔軟な対応の出来る人間しか生き残っていけないことを感じますね。ああ、それにしても私はなんのために全力でダッシュをさせられたのか。安全が確保されていたとはいえ、怖かったのですよ……?

 不平の一つでも後で言って差し上げようと振り返ると、そこに広がっていたのは、一面の石畳でした。まあ、それは当然なのですが、さっきまでいたたくさんの魔物が全て消え、そこにはディアスさんとソフィアさん、そして、傷だらけのレッドドラゴンが姿を現していました。

 人間のお二人はともかく、翼や皮膚を散々に切り裂かれ、明らかに弱っている魔物がまるでこちらの友軍のように立っている姿には、違和感のみがあります。

「これは……?」

「さっきのレッドドラゴンの再利用だ。殺すにはもったいない大物だったからな。出来ればじっくりと調教したいところだったが、そんな時間もない。簡易の“使役の首輪”で操っているだけだ。尤も、こいつはもう死んでも良い体なのにかなり無理をさせている。もう眠らせてやりたいからな……クリス、すぐにこっちに来い。残りの奴を焼き払ってもらうぞ」

「は、はいっ」

 竜巻がかなりの数の魔物を蹴散らしたとはいえ、まだいくらか魔物は残っている訳ですから、このままでは私まで標的にされてしまう、ということですか。急いでディアスさんのすぐ傍まで逃げ帰ります。

「まさか、こんな切り札があるとはな。これがドラマチックな展開、か」

「魔物使いらしくて良いだろ?ただ戦うだけじゃ、お前ほどの活躍は出来ないからな。これぐらいやって、やっとお前と同じぐらい働いたってことだ」

「ぎりぎりまでアタシにも教えてくれなかったお陰で、危うく一緒に焼かれそうだった件については、大きくマイナス評価が付くところだが……」

「説明が面倒だったんだ。それに、お前なら絶対に上手く避けてくれるって信頼してたんだぞ?」

「それはどうも」

 つまり、あのままこの竜を呼び出していては、私やリエラちゃんを助けるのが難しかったので、あえて先に進ませるという形で引き離し、その間に竜の炎で一掃してしまった、という訳ですか。戦い慣れたディアスさんとソフィアさんだけなら、広範囲を焼き尽くす炎に巻き込まれることもなく退避出来ますから。

 そして、遂に巨大なレッドドラゴンの最期。牙の折れた口を大きく開くと、そこに空気が集まり、巨大な火山弾のような炎の球を吐き出しました。それは床に着弾すると、爆発――ではなく、広範囲を炎で包み込み、魔物達をことごとく死滅させます。その炎が全て消えると、ドラゴンの巨体もまた倒れ、皮や肉も全て砂のように崩れ、後には骨だけが残りました。首輪も砕け散り、それは魔物使いの洗脳が解けたことを意味します。

「よし、すっきりしたところで、いよいよ最後だ。リエラ、もう人の姿に戻った方が――いや、下手に変身を続けるより、元の姿になってくれ。その方が真価を発揮出来るんじゃないか?」

『ん、んー、そうかも?』

 疑問形なのがなんともリエラちゃんらしいですが、単純に考えて無理に人と同じ姿になっているより、楽な姿になった方が余計な力を使わなくて良い訳ですから、魔法もより冴え渡りそうですね。どうせこんな迷宮では、人に見られることを気にしなくて良いのですから。

 ツタの杖から強い光が放たれ、それが消えると同時に、私達が初めて会った時の姿のリエラちゃんがその姿を現しました。緑色の髪は同じで、ツインテールにされた髪には可愛らしい花の飾り。肌も人とは違う緑色をしていて、身長は記憶にあるよりも低く、まだほんの子どもに感じられました。

「おー、なんかすっごい背が低くなったね。変な感じ」

「さっきまでが、私とほぼ同じ身長でしたからね……今では、私の胸ぐらいの高さになっていますから、結構変わっていますよ」

「ん、んぅ……なんかこの姿だと、さっきより気配がよく読める、かな。やっぱりこの先にいるの、あたしとは違う、でもさっきまでいた魔物とも違ってて……なんなんだろう、この不安定な気配。とにかく、普通じゃないよ」

「何にせよ、魔物を生むからには倒すか、説得するかしかない。細心の注意を払いながら行くぞ」

 相手が本当に倒すべき巨悪なのか、もっと中立に近い立場にいるのか、それはわかりません。ですが、突如として相手が動き出し、地上にまで被害が及ぶというのであれば、決着を付ける必要があるのです。

 今度こそ私達は、最後の戦いに赴きました。いよいよ、私自身の物語のクライマックスがやって来ます。

-5ページ-

 ソフィアさんが先頭、ディアスさんが殿を務め、最後の通路をただひたすらに直進すると、遂にこの迷宮の主が姿を現しました。いえ、向こうから近付いて来た、という表現が正しいのでしょうか。明らかにその相手は、私達の気配を察知し、こちらに向かって来ていたのです。

「こいつが……」

「ああ、間違いない」

 その姿は、樹木の化身、なんて言葉が似合うものでした。リエラちゃんと同じように植物色の肌を持ちますが、それは顔と右腕、それから胴体の一部のみで、体の大半は樹木と完全に同化しています。……まるで木に寄生された人のようで、グロテスクでさえありました。こうして間近で見ても、人か魔物か精霊か、その区別は付きません。

 顔も中性的で性別すらよくわからず、何もかもが謎。口はありますがそれを開くことはなく、ただ視力はあるようで、こちらをぼんやりと虚ろな目で見ていました。

「色々と聞きたいことはあるが、あんた、喋れるのか?それなら、何か言葉を発してみろ」

 ここは魔物使いらしく、ディアスさんが交渉に出てくれました。

 基本的には言葉の通じない魔物を操る人だけあり、かなりの期待があります。あるいは無用の戦いを避けられるのですから。

「………………」

 しかし、そんな私の甘い期待は、光の宿らない黒い瞳と共に返された沈黙が打ち砕きました。

 初めから話すつもりがないか、そもそも話すことが出来ないのか……ただちに襲って来ないのならば、まだやりようもありそうですが……。

「話せないと判断しよう。ただ、聴覚はあるみたいだな。それなら、話は一つだ。ここがあんたの住居だというのなら、俺達人間が勝手に荒らして悪かったな。俺達が出て行くことで許してくれるなら、それで話は終わりになる。俺自身もそれを望んでいる。それでも人を許さず、襲うのなら……やり合うしかないな」

 次に返って来た答えは、沈黙ではなく明確な意思でした。――私達に敵対するという。

 床に魔方陣が描き出され、そこからどす黒い光が溢れると、そこには牛頭人身の魔物が姿を現しました。大きな斧を持つその魔物は……伝説の迷宮に住まうと伝えられるミノタウロス、その模倣、でしょうか。

「交戦の意思あり、か。クリス、リエラ!俺達の後ろに下がってろ。俺とソフィアでこいつは始末する。それからリエラ、お前はあの牛野郎じゃなく、あの木の魔物の方を魔法で攻撃してくれ。鉄の武器が効かなくても、魔法なら通用するかもしれない」

「わかった!でも、相手も木っぽいからいまいちかも……」

「最初は弱いので良い。とりあえずそれで効果を見よう。効果が薄いようなら別の方法を考える。まずはあいつを倒すのが先だ」

 言っている間にミノタウロスは斧を振り下ろし、それをソフィアさんの剣が弾き返しました。自分の体格の倍もある相手なのに、ソフィアさんの剣は真正面からの斬り合いにも力負けすることがなく、むしろ押し返すほどの勢いです。

 そこにディアスさんも鞭を振るって参戦するのですが……一瞬だけ顔をしかめたのが目に留まりました。全く、どうして気軽に言ってくれないのでしょうか。

「ディアスさん。治療させていただきます。どこを怪我されているのですか?」

「い、今は良いだろう。別に致命的な傷じゃない。それよりさっさと――」

「はぁ、あなたが私やリエラちゃんを守ってくれなくて、誰が守ってくれるのですか。ソフィアさんは前に出て戦ってくださっているので、とても無理ですよ」

 強引に鞭を握る腕を掴んで、十字架を手に祈りを捧げます。

 他の方の十字架を使って術を使うのは初めてですが、驚くほど簡単に術は成功。温かな光が溢れ、小さなかすり傷も含め、ディアスさんの怪我を全て治してしまいます。大怪我は無理ですが、聖職者であればこれぐらいは誰でも出来るのです。

 ゆえに聖職者は戦場に必要であり、他国では従軍司祭の方も大勢いると聞きます。

「はい、終わりです。大した手間ではないのですから、もっと私のことを頼ってくださいよ。そのために私はここにいるのです」

「あ、ああ。ありがとう。じゃあリエラ、俺に隠れながら魔法を撃ってくれ。もしかすると返って来るかもしれないが、お前にそのまま返されるよりマシだ」

「そして、その場合は私が治療する、と」

「頼むぞ。自分から志願して回復してくれるって言うなら、とことん酷使してやるからな」

「ええ。それでこそ本望、というものです」

 やっと私にも役割が与えられて、胸が高鳴るのを感じます。血が体の隅々まで速く、熱く、巡っていき、活力に溢れ出します。もしも私に自由に扱える剣があれば、それを持って戦い始めるほどに。

「それじゃ、こんな感じかなっ」

 聖職者の癒しの術が黄金色の光を放つものであれば、リエラちゃん――アルラウネの魔法はすっかりお馴染みの緑色の光を発生させるもの。光からは刺付きの茨のツルのようなものが飛び出し、ミノタウロスのことは奇麗に避け、あの木の魔物に襲いかかりました。魔法を用いているとはいえ、かなり物理的な攻撃ですが、それだけに威力は期待出来そうです。しかし。

「うわっ、避けられちゃった」

 虚しくもツルは宙を切り、すぐに消滅します。木の魔物は鈍重そうな外見に似合わず機敏に空を飛んで避けたのでした。でも、だからこそはっきりとしたことがあります。

「魔法は有効か!リエラ、今度は加減することはない。全力であいつを攻撃してくれ。俺はさっさとあの牛をぶっ倒す」

 再び鞭の先に鉄球を取り付け、鞭を振るうその先はミノタウロスの体ではなく、武器である斧の方。器用にもそれを絡め取ってしまうと、一気に鞭を引き、武器を奪い取ってしまいました。なるほど、鉄球は攻撃のためではなく、重りとしての機能を果たすために装着されたのです。

 想像以上にテクニカルかつ知的な戦法。かつての英雄だからこそ出来る、経験と知識に基づいたものと言えるでしょう。

「ソフィア、後はただのデカブツだ一気にやってくれ」

「素手でも、力で負けている以上面倒なんだけどな――良いさ、剣聖の名は伊達じゃないんでね」

 剣を構え直したソフィアさんは、背中に背負っていたもう一本の剣を左手で持ち、両手に剣を装備しました。右手の今まで使っていた剣が大剣であるのに対し、新たな剣は刃の太さでは半分程度の一般的な長剣。見た目は無骨ですし、あまり特別な物には見えません。

「魔剣の方は俺達が旅の途中で手に入れた物でな。あいつの本来の相棒はあのしょぼい見た目の剣だ」

「ディアスさん。……しょぼいって」

「見た目だけ、だけどな。刀匠であるあいつの親父が打った、この世に二本とない業物だ。過去、あれほどの剣は見たことがない」

 武器を奪われたミノタウロスは拳を握り固め、それで直接ソフィアさんに殴りかかって来ます。それを紙一重で避け、最小の動作での踏み込み。それだけで牛頭の怪物は頭と胴体を切り離され、足も切断されて……消滅しました。

 切り方が予想するに、二本の剣を使って×の字を描くように魔物の体を斬ったのでしょうか。あの一瞬で。

「こいつに血を吸わせるには、役者不足の相手だったか」

 再び剣を鞘へと収め、ソフィアさんが返って来るのとほぼ同じ頃、リエラさんの魔法が発動しました。さっきとは比べ物にならないほどの光の奔流。そして、数え切れないほどの数のツルが、目で追うことの困難な速度で逃げ場を失くすように殺到します。

 木の魔物はもちろん回避に努めますが、刺のツルはその体を、木の幹を削り取って行き、たった一度の魔法の使用だけで魔物は崩れ落ちてしまいました。

「…………はぁー」

 慣れない大魔法で疲れたのはリエラちゃんも同じ。すぐに大汗をかいて倒れてしまいますが、これで決着は付きました。あまりにも呆気なく、どこか後味が悪いまま。

「こんなのが、アイツを……」

「ソフィア、お前がやれ。こいつの魔力は倒れてもまだ衰えを見せない。すぐに新手の魔物が湧き出す。――結局、こいつが何なのかはわからない。でも、俺達にとってはこいつが生きている、それ自体が災厄だ」

「ああ――」

 どういう訳か武器はこの魔物には効きません。ソフィアさんは魔物に歩み寄り、足を上げました。その体を踏み割れば、命は失われることでしょう。今度こそ完全に人と魔物の戦いは終結し、この町にも再び平穏と怠惰が――そう、平和であるがゆえの停滞、怠惰が帰って来るのです。

 ですが、魔物は滅びたことを惜しまれる存在ではなく、ディアスさんとソフィアさんの功績は認められるべきものなのです。

 それに、私はこの平和を永遠のものとするため、旅をしていたのではありませんか。

 乾いた生活に潤いを与えるのは、戦いによって流される血ではなく、心を豊かにする物語。人々が今よりずっと物語を好きになり、国中で新たな物語が書かれるようになれば、きっと一度は貧しくなってしまったこの国も、再興することは出来ます。

 戦いの歴史も必要だったのでしょう。しかし、これから積み重ねる歴史は芸術。よく斬れる剣や、それを扱うための力を鍛えるのではなく、知と文化を発展させていくべき時が来ているのです。

説明
実質的な最終話になります
ちなみに、かつてクリスは剣を持って戦うキャラクターでした。ものすごいへっぴり腰なんですけど、神の力を使うからすごい強い、みたいな
結局、そのポジションはソフィアさんが登場することで奪っていきましたが
……ところで、リエラを杖にして使う辺りは、「ディ/ス/ガ/イア」の魔チェンジの影響を受けたり……シテマセンヨ?
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勇者も魔王もいないこのせかい

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