竜たちの夢17
[全1ページ]

 

 

 西涼で韓遂が反乱を起こし、馬騰が死亡するという事件が起きた。

 

 元々互いを憎みあうような一面があったものの、曹操という共通の敵を持っていたが故にその刃は今まで互いを向きはしなかった。

しかし、荀ケと程cのしかけた離間の計が完遂してしまい、遂には韓遂が馬騰を裏切ってしまうという結果に至ったのだ。

既に下地はあったのだから、この勢力が崩壊するのは必至だったとも言える。

 

このことにより大混乱に陥った涼州を纏めるべきは、馬騰の娘である馬超だったのだろうが、曹操の軍が攻めてきた為その猶予すら無かった。

離間の計が成功するのを見計らって最悪のタイミングでやって来た曹操軍に、西涼は対応しきれなかったのだ。

馬超は最後まで戦おうとしたが、部下達の説得に泣く泣く応じて、命からがら涼州を脱出することとなった。

 

 生き延びた彼女は荊州――この大陸で唯一曹操を降し得る劉備の下に向かうこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新緑の眼を細めながら、張遼は幽州?郡?県の城下町を歩いていた。

かつて劉備が治めていたというこの?郡だが、実際に来てみるとその活気が分かる。

劉協を迎え入れた曹操が都とした許昌と比べれば明らかに規模は劣るものの、人々の活気にそこまでの大差は無い。

いかに劉備達がここで素晴らしい政治を行っていたのかが窺える。

 

 元々張遼達がここに立ち寄ったのは、烏丸を制圧する為の行軍の寄り道でしかない。

これから万里の長城を超えるに至って、兵に無理をさせないようにそれなりの設備がある街を中継地点に選んでいるのだ。

特に?郡?県にあるこの城下町はかなり質が良く、中継地点には打って付けの場所である。

決して豊かな土地ではないが、劉備という存在がかつて居たこの場所には未だに多くの商人がやってくる。

 

 この街は少々不思議な区画整理がしてあり、実は曹操が幽州を手に入れてからはここを治めるのに苦労している。

改善点が残っているものの、中途半端に綺麗に整理されている為、住民達の反対を押し切ってまで整理し直す程のものではない。

しかし、整理し直さねば治める側は上手く管理できない穴場がいくつもある。

 

 この街をどのように劉備や公孫賛が治めていたのかを知る術は、今の曹操には無い。

 

 

「う〜ん……やっぱり一刀が関わっとるなぁ。でも、こんな面倒なことをするなんて、らしくないで」

 

 張遼の記憶はまだ不完全ではあるが、一刀が後にここを支配することになる曹操への布石としてこの妙な区画整理をしたことに違和感を覚えてしまう。

彼は何よりも民のことを第一に考える傾向にあり、このようなことをする筈が無い。

民が笑顔で居られるのならば、それで良い……彼はそういう人間だった。

勿論、ここの住民達は今のままでも十分過ぎる程笑顔なのだから、良いのだが……それでも彼女は違和感を拭えない。

 

 張遼の記憶の中の一刀は、このように割り切った行動はできなかった。

良い意味でも悪い意味でも優しかった彼は、しかしこの世界では異なるようだ。

思い出してみれば、虎牢関で戦った時も、追撃した際に彼と相対した時も、彼は容赦が無かった。

手加減はしてくれるが、その手加減すらもいなせないようならば容赦なく切り捨てる……まさにそんな感じだ。

 

 以前の彼ならばできなかったことが、今の彼にはできている。

それはある意味喜ばしいことであり、ある意味ではとても悲しいことだ。

今の彼には迷いが殆ど無い……その迷いの無さは彼の生存率を飛躍的に高め、多くの者を救うだろう。

甘さは時に殺戮を止めようとする者の枷となり得る。

それを完全に振り払ったからこそ、彼は別人のように見えるのだろう。

 

 

「……ん? あの店、仰山人がおるな。いったい何の店なんやろ?」

 

 張遼は町の一角にある店に行列ができているのが気になったので、店の内側を覗いてみた。

特に店の内観は他の店とは変わりが無いように見えるが、ここまで行列ができるにはそれなりの理由がある筈だ。

彼女はその理由を確かめようとして、ふと気づいた―――この店にあるメニューには見覚えがある。

 

 

「ちょっとええかな?」

 

「ん? どうしました?」

 

「この店なんやけど、できたのは劉備がここを治めていた時なん?」

 

「そうですよ。私は開店当初からここに通っていますけど、本当に美味しいんです」

 

「もしかして……ここ作るのに北郷って言う名前の男が関わっとったりする?」

 

 張遼の勘が正しければ、この店には確実に一刀が関わっている。

彼の居た天の国にあったというパンを売っているということは、彼と何らかの繋がりがある筈だ。

北郷一刀という人間がこの世界ではどのような道を辿っているのかを彼女は知りたい。

何が彼をあそこまで変えてしまったのかを知ることができれば、彼女にも可能性が出て来る。

 

 一刀を守るように劉備の下に集まっていく強者達よりも、彼女は一歩進んでいる。

彼との記憶を彼女は不完全ではあるが有している上に、その根底についても凡そは理解しているつもりだ。

彼は他者の為に尽くすことに躊躇いが無く、己を捨てることも厭わない危うさがある。

彼は他者を満足させることでしか満足できない、歪な存在だ。

それだけは、どんなに記憶が虫食いだらけでも彼女は忘れない。

 

 その歪さのせいで一度は別離したのだ――忘れることなどできない。

 

 

「ここの店長さんの話では、ここの商品は全て北郷様から製造法などを教えて頂いたものらしいです」

 

「やっぱりかいな……本当に、一刀は変わらんな」

 

「! 北郷様の名をお呼びになられていますが、あの方とは親しいのですか?」

 

「ん? うちと一刀は昔馴染みっちゅうやつや。それよりも、一刀の名を呼ぶのがそんなに不思議なんか?」

 

「北郷様の名を呼ぶことを許されているのは、司馬懿様と劉備様だけだったんです。今はもう少し増えているかもしれませんが、あの方々がここを治められていらっしゃった際はそうでした」

 

 張遼は思わぬ事実に首を傾げる。

一刀は自分を名前で呼ぶか姓で呼ぶかなど気にしないし、真名を持たない彼がそれを気にする筈も無い。

一刀が真名に値するのかもしれないが、彼はそういうことは気にしないし、気にするようでは彼ではない。

となれば、名についてそこまで厳しくしているのは彼の周りの者だろう。

 

 北郷一刀という人間は元来歴史の表舞台に立つべき者ではない。

彼は静かに、細やかにその稀有の才能を発揮するのが最上の幸せなのであって、大陸統一など彼にさせてはいけないのだ。

皆見誤っている……彼はただ静かに暮らしていたいだけであって、劉備の理想に振り回される必要は無い。

 

 確かに今の彼にはそれだけの偉業を為せてしまう力があるが、彼が幸せである為には表舞台に出てはいけない。

彼はある程度の地位で落ち着いて貰うのが一番であり、大志を抱く必要など無いのだ。

一刀が表舞台に出てしまえば、彼に群がる者が増えるだけで、彼には何一つ残らない。

作物に群がるイナゴのように、愚か者共達は彼を貪るだろう。

 

 

「あんがとな。今度一刀に会ったら少し聞いてみるわ」

 

「いえいえ、お役に立てたようで何よりです」

 

 張遼は礼を言うと、すぐさまその場を後にした。

一刀を取り戻す為にはまず劉備達に勝たねばならないが、今の状態ではそれも難しい。

このままいけば、一刀を取り戻すことも叶わない上に、曹操の天下統一も叶わないだろう。

彼女は一刀の傍に居られるのならばそれで良いが、このままでは彼は歴史の表舞台に留まり続ける可能性がある。

 

 彼に群がる者達さえ居なければそれでも構わないが、現実はそうもいかない。

張遼にとって最も理想的なのは、一刀が表舞台から退いて二人で静かに暮らすことだ。

二人とも武人として名を馳せ過ぎた為にそれも中々難しいかもしれないが、少なくとも第一線を退くことくらいは可能であろう。

彼は静かに生きて、静かに死ぬべきであって、王と共に表舞台に居る必要など無い。

 

 しかし、隠れようにも彼は良い意味でも悪い意味でも目立ち過ぎるのが欠点だ。

北郷一刀という存在は、余りにも存在感が強過ぎて大陸でも五指に入る天才達から隠れるのは非常に難しい。

魏の三大軍師も、恐らく彼を補足すればすぐさま勅命を利用して誘いに来る筈だ。

だが、天から来た彼にそのようなものが意味をなさないことも知らない者達では、彼を繋ぎ止めることなど叶わない。

 

 

「さて……どないしようか」

 

 張遼の手札は、一刀の根底と一度大陸を平定した際の虫食いだらけの記憶と、彼女の武のみだ。

彼を失うようなことがあってはならないが、少なくとも今の彼に限ってはその心配は必要無い。

彼女を圧倒するあの武の前では、呂布以外では手も足も出ないのは言わずもがなだ。

その呂布も今は彼の支配下に居るのだから、手が付けられない。

 

 記憶が戻っていないのならば、どうにかして戻すしかないが、その方法も定かではない。

張遼が今できることはすぐさま烏丸を制圧して戻ってくること程度で、その後も来たる赤壁の戦いに向けて励むくらいが限度だ。

虫食いだらけの記憶を頼りに軍師達に進言はするつもりだが、それが何処まで有効かは分からない。

分からなくとも進むしかない……進まなければ、あの果実は掴めない。

 

 彼女は、己の全てをかけて次の大戦に臨むことを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 劉備が荊州についてから一ヶ月が経過した。

賈?、董卓、華雄を正式に臣下に組み込んだことで劉備の陣営は更に精強になり、益々歪さを増していく。

量に見合わぬ質の高さが、いかに劉備が他の王より抜きんでているのかを示していると言っても良い。

将には関羽、張飛、超雲、太史慈、華雄が、軍師には諸葛亮、?統、荀攸、賈?、陳宮と、まさしく大陸屈指の武と頭脳が集っているのだ。

 

 北郷一刀、司馬懿、呂布の三名は少しばかり特殊な立ち位置ではあるものの、そこに名を連ねている。

この三名は間違いなく陣営最強の攻撃力と防御力を誇るが、軍を持たないのだ。

一刀達は将ではあるが、率いる兵達を持たない、ワンマンアーミーとも言える存在である。

兵達を率いるのではなく、単騎で戦う方が圧倒的に効率が良い――そんな異常な武を有するが故に三人は兵を率いない。

 

 勿論そこには一刀が静かに表舞台から身を引いていくことも関係している。

三匹の竜がこうして軍に組み込まれて戦うのは赤壁の戦いが最後であって、その後は軍から去る予定だ。

劉備が王となれば、一刀達は表舞台に出る必要は無くなる。

そうなれば彼らは腐敗を排除する為に歴史の陰に引っ込むだけだ。

 

 

「北郷、隣の県への進言はこのようにしようと思うんだけど、どうかしら?」

 

「ふむ……悪くない。今の状況を試みるに、最良の手段だろう。そのままで良いぞ」

 

「ええ、分かったわ。後はこの件なんだけど、もう少し人員を回せないかしら? このままだと少ないと思うのよ」

 

「これは、増やすとすれば三十人程度か。懐を考えると、それくらいが限度だな」

 

「なら、二十人程度にしておくわ。作業効率的にはそれだけ居れば十分だから」

 

 少々特殊な立ち位置と言えば、孫権、呂蒙、甘寧の三名も同様な立場にある。

孫権と呂蒙には、学習を進めつつも劉備の補佐について貰っているし、甘寧――思春には細作の指揮を任せてある。

この陣営の細作は初期のメンバーが殆ど生存しており、その熟練度は他勢力よりも上であろう。

生き残ることを最優先にしてある為、その生存力はすこぶる高い。

 

 細作部隊は諸葛亮の管轄下に置いてあり、思春も形式上は諸葛亮の下に居ることとなる。

このように三者とも形式上は劉備の臣下となってはいるが、実際は少しばかり立場が違う。

孫権と呂蒙はいずれ呉に帰ることが決まっているし、今こうして一刀達と共に居るのは彼女達が呉を治める為の訓練なのだ。

劉備達のことを良く知った者が居なければ、呉は非常に困ったこととなる。

 

 劉備がいかに異質であるかを知った者が居るか居ないかで、呉の命運は分かれるだろう。

彼女を見くびればあっという間に掌握されて、身動きを取れなくなってしまうのがオチだ。

劉備を甘く見て取って代ろうとすれば、すぐさま彼女の優秀過ぎる感覚に基づいて、処刑者がやって来ることになる。

黒馬に乗った化け物に滅ぼされたくなければ、孫権達は必須の存在だ。

 

 彼女は、居なくても良い存在などではない。

 

 

「了解した。孫権もこの土地の治め方には大分慣れてきたようだが、やはり違う土地を治めるのは難しいだろう?」

 

「そうね……土地が変われば、そこの特色に合わせて内政をしないといけないから、情報収集力が無いとどうしようもないわ。その点では、ここまで情報網を確立させている朱里には感謝しないとね」

 

「孔明の情報収集力は、あの未来予測能力も相まって大陸随一とも言えるものだから当然だ。それよりも、これまでの経験を呉で生かす準備をしておくように」

 

「勿論そうさせて貰うわ。貴方の夢の為に私はここに居るのだから。貴方の夢が叶えば私の夢も叶う……まさに一石二鳥だわ」

 

 笑顔でそういう孫権に、一刀は曖昧な笑みを浮かべることしかできない。

彼の夢が叶うということは、北郷一刀が死に、竜が歴史の裏側で腐敗を排除するシステムが完成することを意味する。

そうなれば、彼は孫権を裏切ることになってしまうが、そのことを彼はまだ話していない。

いずれ彼女にも話さねばならないことではあるが、そもそも劉備達にすらも話していないのだ。

 

 孫権とは仮にも婚約者なのだから、彼女が最も被害を受けるのは分かり切っている。

彼が消えるべきは彼女との婚姻が確立する半年後よりも前であって、彼女の枷にならないようにしなければなるまい。

この時代ではバツイチというものは非常に肩身が狭いものだ。

だからこそ、後半年しか持たないと分かった瞬間、一刀は孫権との婚約を無かったことにすることを決めた。

 

 

「孫権、いずれお前は呉に戻ることになるが……良いのか? 俺は一緒に呉に行くつもりはないぞ」

 

「あら、北郷はこんな女と一緒に居るのは嫌?」

 

「そういう意味ではない。しかし、お前についていくのならば中央から抜ける必要が出て来る。それに、正直に言うと俺は孫策と孫文台が苦手でな」

 

「……嘘つき。素直に言ったら? 本当は私にこれ以上近付くのが怖いんだって」

 

「……中々どうして、鋭いな」

 

 一刀は孫権に胸の内を言い当てられて、素直に関心した。

彼が彼女と深い関係になることを恐れているのは事実であるし、否定しようが無い。

竜と人間の間に子ができる確率は非常に低いが、それでも零ではない已上、一刀はそのリスクを考慮する必要がある。

不完全な竜が生まれてしまえば、彼はその子を殺すか受け入れてやるかしかないのだ。

一刀にはどちらもできないし、したくない。

 

 子を愛する自信があるかと言われてしまえばそれに答えるのは難しいが、彼は恐らく愛するだろう。

愛する子に迫られることがいかに異質で、気味が悪いことかは容易に想像できる。

そんな恐ろしいことを経験してしまうのは彼には耐えられないし、子も苦しいだけだ。

実の父親を求めることがいかに異常かを知っても不完全な竜の本能には抗えないのだから、それに従うか死ぬしか道は無い。

 

 そのような呪いに等しい運命を背負わせるようならば、彼は子など要らない。

 

 

「桃香達に聞いたのよ。貴方が特殊な存在であることと、人間との間に子をなせない理由を。正直に言うと、私は怒っているわ。最初から私と踏み切った関係になるつもりは無かったんでしょう?」

 

「ああ、その通りだ。俺は自分の子にそんな重荷を背負わせるつもりはない。子を受け入れるのも殺すのも、俺には無理だ。だからこそ、孫権……お前とはそういう関係にはなれない」

 

「私が怒っているのはね、貴方が最初からその気が無かったことじゃないわ。どうして、そんなになるまで放っていたの? 私は愚か思春や桃香にすらそれを教えていなかったのは本当に愚行よ。心配させたくなかったからなんて言うのは許さないわ」

 

「はぁ……そうなるまで気づけなかっただけだ。気づいていれば伝えていたとも」

 

「なら良いの。前も言ったけれど、貴方はもっと他人に頼ることを覚えるべきよ」

 

 トン、と一刀の胸を人差し指で押しながら、孫権は微笑んだ。

一刀にとっては、こんな顔をされる方がただ憎まれるよりも百倍も千倍も辛い。

裏切りを憎み、弄ばれたことに怒り、その憎悪を向けてくれた方が何と楽であろうか。

彼は彼女には憎んで欲しかった。許されたくは無かった。

許すとは言わない彼女に感謝しつつも、憎しみを露わにしないことにイラつく彼が居る。

 

 彼は己を罰することには余念が無いが、他人から罰を与えられたいと考えている。

自分はまだ人間性を失ってはいないのだと、その不完全性で以て証明したいのだ。

人間性を失って、少しずつ心が分からなくなっていく恐怖を振り払う為に、彼は罰が必要だった。

ただ劉備を逆鱗に据えるだけで良いのに、彼はそれを選ばずに愚行を繰り返す。

 

 それこそが残された不完全性だとでも言わんばかりに、彼は思春に殉じようとする。

 

 

「……怒らないのか? 俺はお前を裏切ったんだ。このままここに居ても、王としてのお前しか残らないんだぞ?」

 

「いいえ、違うわ。貴方達と共に過ごしたこの半年間は、確かに私の中に残る。だから、あらゆる私がここから、貴方の隣から始まるのよ。貴方を憎んでいないと言えば嘘になるわ。でもね……それ以上に私は貴方に感謝しているの。ありがとう―――私を見出してくれて」

 

「っ……お前は、本当に俺を驚かせてくれるな。たった半年で開花するとは思いもしなかったぞ」

 

「貴方がそうしてくれたのよ。貴方が見出してくれなければ、私はあのまま心が死んでいたわ。誰からも必要とされず、何もかもが嫌になって人形になろうと思ったことは一度や二度では無いもの」

 

 嬉しさ半分恥じらい半分でそういう孫権に、一刀は抱え続けた罪悪感が燃え上がるのを感じる。

彼女がかつて何もかもを他者に放り投げてしまいたくなった原因はまさしく彼なのだ。

孫文台が黄祖との戦闘の際に生存した切掛けは彼の助言であり、それさえなければ孫文台は死んでいた。

 

 そうなれば孫権はただ孫呉の血を残す為の存在ではなく、孫策の次の王としてすぐさま教育を開始された筈なのだ。

その教育が一刀のそれと比べて優れたものかどうかはもう分からないが、少なくとも彼女は呉の地で成熟することができた。

孫呉の孫権として生きていくことができたであろうに、彼がその未来を殺してしまった。

 

 悔やむことは大切だが、それに囚われることに意味は無く、ただ苦しいだけだ。

英雄の未来を狂わせることが酷く悔しい……そんな思いを抱けるのは正史を知る一刀だけである。

だからこの痛みは他の者達には分からないし、彼もそうあるべきなのだ。

そのようなものは捨て去り、前に進み続けなければ彼の目指す未来は得られない。

 

 

「孫権……俺はお前の救いになれたのか?」

 

「ええ、勿論よ。呉に必要なのは母でも姉でもなく私だ、と貴方が言ってくれたから、お呪いをかけてくれたから、私はこうして何も恐れずに進めるの。貴方は何一つ悔やまなくて良いわ。寧ろ、誇るべきよ」

 

「そうか……なら良いんだ」

 

 一刀の眼は多くを語り、多くを理解する。

孫権の言葉が嘘ではないことは、彼女の眼を見ればすぐに分かるし、彼もそれを疑ってはいない。

出会った時は非常に危うい状態にあった彼女がここまで成長していることは、彼にとって非常に喜ばしいことだ。

彼の孫権に対する贖罪にも等しかった行為は、確かに彼女を救ったのだから。

 

 孫権も呂蒙も既に一国を任せるには十分強くなった……呉は彼女達に任せられるだろう。

後は今現在ここには居ない呉の重臣達と話をしていく必要もあるが、それは孫権がしてくれる。

彼女が目指す呉の在り方と、その為の手段を明確に伝えれば重臣達は納得してくれる筈だ。

孫呉の安寧も一刀が目指す世界には含まれているのだから、ぶつかりあう必要は無い。

 

 

「北郷、他者の幸せを願うことは悪いことではないけれど、貴方は気にし過ぎだと思うわ。そこまで欲張る必要は無いのよ」

 

「そうだな……少し力を抜くとしよう」

 

「よし、これで終わり、と。ん〜……今日の政務は終了ね。呉の王になればこれ以上にやらないといけないことが増えると考えると、大変ね」

 

「本当に王が目を通す必要があるものだけならば、量は今のままで済むぞ。まあ、必要のないものまで持って来られるとそうはいかないが」

 

「そうよね……冥琳達ならば大丈夫だとは思うんだけど」

 

 孫権も劉備のように自らフィルターにかけて真偽を篩い分けることができる王だ。

元々信じることと疑うことに関しては、孫権は劉備に匹敵するだけのものを持ち、真偽を見抜くことに関しては人外の域まで達している。

劉備さえ居なければ、彼女が大陸の覇者となる可能性もあったかもしれない。

尤も、その場合はいずれ綻びが生じていたであろうが。

 

 孫権は内政に関しては実に素晴らしい腕を持ち、平時においては劉備に次ぐ良き君主と言える。

しかし、こと戦に関しては彼女の能力は中の下程度であり、はっきり言って一流の敵が相手では役に立たない。

個人の武はそれなりにあるし、将としての資質も無い訳ではないが、戦の流れを読むのが彼女は下手なのだ。

流れがどのように変化するのかを感じ取れなければ、戦では生き残れない。

 

 その点では、劉備も似たり寄ったりだったりする。

彼女は一刀という暴風を受けても壊れずに回り続ける風車だけあって、流れを読むのは得意だ。

しかし、彼女には最前線での実戦経験はあっても、心理戦という名の実戦経験が足りない。

最前線での恐怖と怒りと後ろめたさと勇気が入り混じった混沌の中でも流れを読み、それに対処できる程彼女はまだ成長していない。

 

 天下三分の計を担う三人の王の中で最も戦上手なのは曹操であろう。

 

 

「周瑜達ならば問題は無いだろう。それよりも、周瑜の病気の件は確認しておいたか?」

 

「ええ、姉と母、穏――陸遜の三人にそれぞれ書状を出しておいたわ。冥琳の病気の件と、何かあった場合は絶対に休息させる旨を書いてあるから大丈夫な筈よ」

 

「ならば大丈夫か。周瑜の力はこれからの呉に不可欠だ。特に呂蒙の最終的な教育は彼女にさせたい。自分の後釜を育て始めるには丁度良い頃だろう」

 

「そうね……もう冥琳達もそろそろ婚期が――って、私もだったわ……」

 

「あー……俺なんてもうすぐ二十八だぞ? 余り気にしないことだ」

 

 この世界での婚期は十五歳程度から二十歳程であり、二十五にもなれば完全に行き遅れだ。

一刀も愛紗も既に行き遅れの年齢であり、これから結婚するのは難しいだろう。

その結婚も竜にとっては余り意味をなさないものなのだから、彼は余り気にしていない。

気にした処で何も変わりはしないのだから。

 

 

「北郷は男だから良いのよ。私達女は、歳が一つ増える毎にどんどん憂鬱になるんだから」

 

「そういうものなのか……しかし、その割には俺が知っている者達は殆どが未婚だな。皆魅力的だとは思うのだが、何故なんだろうな?」

 

「……それ、本気で言っているの?」

 

「?……非難の眼を向けられる謂れは無い筈だが」

 

「はぁ……悪化してるわね」

 

 劉備達に関しては、常に彼女達の傍に居る一刀がその障害となっていたりする。

容姿も能力も人柄も、彼女達と付き合おうとすれば彼と比べられてしまうことになる為、皆声がかけられないのだ。

劉備達のことを慕っている者は確実に居るが、しかし北郷一刀という余りにも次元の違う存在を前に多くは挫ける。

 

 特に、劉備、関羽、愛紗、恋、思春に関しては明らかに一刀に好意を寄せている。

彼女達に近付こうとする者は居ないし、そんなことをすればどんな目にあうか分かったものではない。

そもそも劉備本人も、彼女の下に集う者達も、何処か人間離れしており、歪んでいるのだ。

そのような恐ろしい者達に敵意を抱かれるのは恐ろしく、それが余計に彼女達から男っ気を排除してしまっている。

 

 劉備達はその理想故に甘い集団だと思われがちだが、実際に会えばその考えは間違っていると分かる。

彼女達は皆が皆人間離れしている部分を持ち、まるで別次元の存在のような錯覚を感じさせるのだ。

勿論一刀達竜や劉備のような人外の領域にある存在以外は、ただの人間だ。

限りなく人間の限界に近い能力を備えているだけであり、人外の域に達しているのは数名しか居ない。

 

 

「良く分からないが、とにかくこの陣営には男っ気が無さ過ぎるだろう」

 

「男臭いのは貴方だけで十分よ。貴方以外は要らないし、居ても悲しいだけ」

 

「そんなに男臭かったのか……自分だと分からないものだな。お香を買っておくとしよう」

 

「もう……そういう意味じゃないわ。北郷はもう少し自分の評価を改めるべきね」

 

「ふむ……良く言われる。まだ自虐的過ぎるか」

 

 男臭いと言われて若干年を感じる一刀であったが、孫権が言いたいのはそれではなかった。

彼女が言いたいのは、一刀から漂う匂い――気のようなもののことである。

それは常に存在する訳ではないが、時折不意打ちのように現れて彼女達を動揺させていく。

甘い果実から滴る蜜の匂いが漏れ出しているかのような、頭をくらりとさせる何かが彼にはある。

 

 一刀のことを尊敬こそそれ、好意は抱いていない者達にとっては大したものではないそうだが、孫権達にとってはもう堪ったものではない。

特に劉備に関しては、何度も彼にアプローチをかけているし、その執着心はある意味異常の域にある。

彼女は彼が倒れてからより積極的になったし、そこに焦りが見えるのだ。

北郷一刀を生かす為に彼女は彼の逆鱗となろうとしているが、彼はそれを頑なに拒む。

 

もう一刀に残された時間は半年も無いのに、彼は劉備を受け入れてくれない。

だからこそ劉備は焦っている……彼がこのまま死んでしまうことが嫌だからこそ、焦燥感にかられてしまう。

彼女に呪いをかけてくれた竜に抱かれ、支えられ、自分も支える……それが彼女の描いていた未来だった。

そんな細やかな願いも、このままでは壊されてしまう。

 

 

「桃香達ももう今日の分の用事は終わっているんでしょうね」

 

「だろうな。最近は大部分の仕事から手を引いたが、皆問題なく回せているようだ」

 

「……北郷がまだ残っているのは軍の調練のみだったかしら?」

 

「そんなところだ。他の部分は既に孔明達に任せている。軍師は既に孔明、士元、呂蒙、梅花、陳宮、賈?と大陸でも屈指の頭脳が集っているんだ。今更俺は必要ない」

 

「確かに、今ここに居る軍師達には冥琳でも手を焼きそうね。数では呉が圧倒しているけれど、北郷達の存在も相まってここには勝てる気がしないわ」

 

 孫権はおどけて言ってみせるが、実際問題呉は一刀一人でも滅ぼせるであろうことは分かっている。

彼はほんの数瞬で二万を屠った実績を持つ……高々六万の戦力など一刻も持たない。

そういう意味では現状彼らに対抗できるのは三十万を超える戦力を持つ曹操のみであろう。

その三十万でどこまでやれるかも定かではないのだから、恐ろしいことこの上ない。

 

 孫権は姉である孫策が曹操ではなく劉備達と同盟を組んだことに正直安堵している。

姉と敵対することも勿論嫌だが、何よりも一刀を敵に回して姉達が生き残れる気がしないのだ。

明らかに戦力も国力も格上である曹操が呉を先兵として使うことは分かり切っているし、そうなった場合は彼に容易に屠られてしまう。

あの呂布すらも無手でいなして屈服させたのだから、彼はまさしく最強だ。

 

 それこそ、曹操は来たる決戦に勝ちたければ、彼一人に青州兵三十万全てを回して、残りの六万程度の戦力で挑むしかない。

孫策と劉備を倒せば勝ちだと思っているのがそもそも間違いであり、彼女達が倒れても一刀と孫権が生き残れば二つの陣営は再興できる。

曹操は完全に勝利するには、劉備、孫策、孫権、一刀の四人を全員殺すか従えるしか無い訳だ。

 

 そして、一刀は殺される気も従うつもりも無い。

 

 

「そうだな。正直に言えば、俺だけで呉は滅ぼせる。その間に曹操に攻め込まれると困ったことになるが、まぁ一刻もかからないからな。全力を出せばすぐさま戦は終わるだろう」

 

「そうでしょうね。貴方の場合は適度に兵を殺して、後は将のみを集中狙いしてすぐに終わらせそうだし」

 

「実際問題皆殺しにする方が簡単だが、それは後々困る。五胡への備えは大いにこしたことはないからな」

 

「その五胡も、こんな人外が居ては攻める気が失せるでしょうね」

 

「まだ奴らは俺のことを知らない。いずれ教えてやるさ……何千年経ってもこの大陸を手中に収めることなど叶わないことをな」

 

 真紅の眼を歪めながら、一刀は笑う。

五胡が攻めて来るのならば、二度とそのような気を起こさないように恐怖を植え付けるだけのことだ。

彼にはそれができる……一人で数万を殺せるだけの力を見せつければ攻める気など到底起こらない。

 

 一刀に残された時間はもう半年しかない。

彼には五胡をどうこうすることなどできないが、それは恋と愛紗に任せることになるだろう。

彼は思春に殉ずることを止めるつもりは無い……それを止めてしまえば、彼は変わってしまう。

どんなに苦しくても、それだけは止められない。

 

 もしもそれを止める時が来たとすれば、その時思春は死ぬ。

一刀に必要とされなくなった瞬間、彼女は躊躇わずに死を選ぶだろう。

昔から彼女は空虚な一面があり、彼に依存することで生きている節があった。

十年前は復讐心が彼女を生かしてくれたが、今は何も無い……死を躊躇する要素が何一つ見つけられない。

 

 だから、一刀は彼女に殉ずるしかない。

 

 

「ふふ、まるで守護神みたい。こんな良い男に逃げられるなんて、私もついていないわね」

 

「……俺も、こんな体でなければ孫権とこのまま夫婦になっても構わなかった。愛し合い、子をなすのも悪くないと思っていた。だが、俺は竜だ。俺は――自分の子を地獄に突き落としたくない」

 

「分かっているわ。子とは即ち夫婦の愛の結晶……その結晶が滅びゆく様なんて私も見たくないもの。でも……辛いわね。貴方以上に良い男には一生会えそうにないわ」

 

「ふん……俺は酷い男さ。お前の人生を弄び、劉備を人間離れさせ、この手を血で染め続けてきた。この罪は重い……償うことなどできないくらいにな」

 

「北郷、貴方は確かに血の匂いがこびり付くほどに血濡れているわ。でもね……血濡れずに平和平和とのたまうだけの者達よりも貴方はずっと優しい。自分の手も汚せない者達よりもずっと強い。貴方は―――居なくても良い存在なんかじゃないわ」

 

 常人ならばとっくに諦めているであろうに、一刀は平和という幻の為に歩み続ける。

彼はとっくの昔に現実に気付いているのに、それでもその幻想を捨てないで生きている。

それを捨ててしまえば、現実が色褪せてしまうことを知っているからこそ、彼は進む。

幻想を捨てた瞬間現実も捨ててしまうことを理解しているからこそ、彼は倒れない。

 

 彼は聖人などではないし、偉人にもなり得ない。

彼はその残虐性や圧倒的な暴力を謳われることはあれども、忠臣として湛えられることはなく、後の歴史では悪魔のように扱われてしまうだろう。

まさしく人外の域に属する、人間の形をした何かとして、永久に語り継がれるに違いない。

彼は人間ではなく竜なのだから、そうなるのが必然だ。

 

 しかし、歴史には語られない多くの要素を、孫権達は知っている。

彼が優しいことも、必死にこの世界の荒波の中でもがいていることも、全部知っているのだ。

彼女達も北郷一刀という一人の男の全てを知っている訳ではないし、それは叶わないことである。

だが、それでも彼が居なくて良い存在ではないことなど、皆分かっている。

 

 

「分かっている。俺が居なければ救えなかった命だってある筈だ。俺が居ることには意味がある。俺という異質な存在は確かにこの世界を変えている」

 

「たった半年そこらでここまで来たのは流石だと言わざるを得ないわ。あの曹操ですらも十年はかかるでしょうに」

 

「時の流れが味方をしてくれているのかもしれないな。それに―――……騒がしいな」

 

「そうね……何かあったのかしら?」

 

 ふと外が騒がしいことに気付いた一刀と孫権は何事かと、部屋の外に出てみた。

後一、二刻もすれば多くの者は就寝するであろう時間にしてはやはり騒がしい。

二人はいったい何があるのかを確認する為に、騒ぎの中心に進むことにした。

城内の空気が張りつめているのを感じると、二人は歩を早める。

 

 そして、正門に来た処で二人はその騒ぎの原因を見つけた。

 

 

「劉備様は今視察中でして、御通しする訳にはいかないのです。どうかご承知ください」

 

「緊急事態だと言っているだろう!! せめて代理の者に会わせてくれ!!」

 

「いったいどうした?」

 

「あっ! 北郷様!! 丁度良かった。このお方が劉備様にお話があると仰るのです」

 

「劉備の名代は俺が務めるから、こういうのは通してくれて構わん。間者であればそのまま屠るだけのことだしな」

 

「承知しました。どうぞ、お通りください」

 

 正門で門番に怒鳴りつけている女性に苦笑しながらも、一刀は門番に通す許可を出す。

それに安堵を見せながら女性に通行するのを促す門番に、彼は同情せずにはいられない。

一刀達が居た所まで声が聞こえてきたのだから、相当大きな声で怒鳴られていたのだろう。

隣に居る孫権も何処か困ったような表情を浮かべて女性を見ている。

彼女も彼に同意見のようだ。

 

 そんな二人の心中を余所に、門番と口論を繰り広げていた女性はその男勝りさを感じさせる凛々しい顔で彼らを見ている。

一刀が身振りでついて来るように示すと、彼女はしかめっ面のままそれに続いた。

孫権はこれからまた一騒動ありそうな予感に静かにため息をつくと、二人に続く。

 

 

「さて……移動しながらで済まないが、自己紹介をさせてくれ。俺は姓を北郷、名を一刀と言う。北郷と呼んでくれ」

 

「あんたが鈴将軍の北郷か。私は姓を馬、名を超、字を孟起と言う」

 

「西涼の馬騰の娘か。確かに言われてみると似ているな。馬騰はつい先日韓遂の反乱で死亡したと聞いたが、娘は無事だった訳か」

 

「そのお母様の件で私はここに来たんだ。韓遂が反乱を起こしたのは、曹操がお母様と韓遂の不信感を煽ったせいだった。私は、曹操が許せない」

 

「だから曹操と敵対するであろう劉備の下に来たということか。その判断は悪くない」

 

 女性――馬超の言葉に一刀は歴史の大きな流れは変わっていないことを実感する。

馬騰は正史では馬超と韓遂が曹操に敵対した為に曹操に殺されるのだが、この世界では韓遂に殺された。

これは歴史が狂っていることを意味しているが、曹操が離間の計を使っていたのならば、実質的に馬騰を殺したのは曹操になる。

どうやら、彼が知る正史と大筋は変わっていないようだ。

 

 

「話が早くて助かる。北郷殿、是非とも私をこの陣営の末端に加えて欲しいんだ! 私はそれなりに武には自信がある」

 

「そう気負うな。お前のしたいことは、曹操への復讐なのだろう? それは何を以て終わりとする? 奴の死か?」

 

「……それは、言わないといけないことなのか? 今聞かねばならないことなのか?」

 

「そうだ。俺達の目指す未来では、曹孟徳は生きている。だから、お前の目的が奴を殺すことならば、俺はお前を仲間に入れることはできない」

 

「っ……ああ、そうだ。私は曹孟徳を殺し、お母様の仇を取る!」

 

「……面白い。孫呉ではなく劉備を選んだ理由を聞かせて貰っても?」

 

 一刀は馬超の眼に宿るものが、酷く仄暗いものであることに気付き、口角を釣り上げた。

今の彼女は後悔と無力感、更には母の死の痛みと曹操への復讐が入り乱れた混沌とした状態にある。

しかし、母の死に混乱してはいるものの、それを受け入れらえずに壊れてしまいはしなかったようだ。

後は、母の仇である曹操を殺すだけで彼女は再び前に歩き出せる。

 

 一刀の眼は馬超の復讐が少しも歪んだものでないことを見抜いた。

復讐は死んだ者の為ではなく、己の為に行うものであって、それをしなければ先には進めない。

復讐が復讐の連鎖を生み出すのだとしても、そうしなければ己が死んでしまう……自分の無念を晴らすことができない。

 

 

「?……どうしてそんなことを?」

 

「お前の目的を果たす為には劉備よりも孫呉の方が適している。それにも拘わらずこちらに来た理由を知りたい。内容によっては、俺も意見を変えねばならないからな」

 

 いかに他人の仇だ、無念を晴らす為だと言えども、結局は自分が前に進む為に復讐するのだ。

勿論、他者のことを全く思っていない訳ではないし、もしも思っていないのならば復讐などできない。

復讐するには執着心が必要であり、その執着心は他者を思えなければ生まれない。

 

 正確には、復讐に及ぶ程の執着心は思い無しでは得られない、というのが正しい。

余程虚栄心の強い人間でもなければ、どうでも良いことで復讐などしはしないし、その重さに気付けるものだ。

復讐はとても重く、鋭く、他者の命を奪い得るもので、それこそ自身も命を懸けて行うべきものである。

そして、己の大切な何かを滅茶苦茶にした何かに決着をつけるには、復讐しかあり得ない。

 

 赦せるのは確かに大器である証なのかもしれないが、赦してはいけないこともある。

肉親を殺した者を赦すのは酷く残酷なことであり、それを行うにはそれ相応の覚悟が必要だ。

肉親への思いを別の何かよりも軽いものだと割り切らねば赦せないし、赦してはいけない。

中途半端に許せば、後々その歪みは復讐心を増大させるだろう。

だから馬超がここで復讐を諦めるのは、後々に大きな禍根を残すに等しい。

 

 復讐が自己満足でしかないことを分かっていて、それでも曲げない―――曲げることで更なる悲劇を生み出す可能性に馬超は本能的に気づいている。

 

 それを利用しない手は、一刀には無かった。

 

 

「私がここに来た理由は、ここが最も曹操を倒し得る機会があると思ったからだ。あんたに呂奉先、関雲長とここには一騎当千の強者が揃っている。確実に曹操の喉元に迫るには、ここが一番だと思った」

 

「中々どうして、悪くない判断だ。馬孟起、お前は曹操の喉元に迫れば確実に殺せるか?」

 

「無論だ。曹操もそれなりの武を持っているようだが、私と比べればガキみたいなもんさ」

 

「面白い。曹操の居ない分岐を選ぶのもあり得なくはないな」

 

「……北郷」

 

 咎めるように名を呼ぶ孫権にその真紅の眼で以て計画の分岐の一つを一刀は示した。

元々天下を三分するのは劉備、孫権、曹操の三者である必要はなく、曹操が死んだとしてもその代わりが居れば良い。

その分岐を辿るのは、馬超が大きな鍵となるかもしれないことに彼は気付いた。

恐らく関羽達と同等の武を持つであろう彼女を手元に置けば、来たる曹操との戦は更に楽になる。

 

 曹操を何としても殺して馬騰の仇を取りたい馬超がそれをなせるかどうかで分岐が始まる。

曹操を討てたのならば、その代わりに誰かが北を治める必要があるし、そうでなければ曹操にやらせれば良い。

それを考慮した上で、一刀は馬超と一つ賭けをしてみることにした。

 

 

「馬孟起、一つ賭けをしないか?」

 

「賭け?……何を賭けるんだ?」

 

「これから一年以内に俺達は曹操と戦う。この大陸の命運を決める大戦になるだろう。その時、お前が曹操を戦場で殺せるかどうかを、賭けよう。もしもお前が曹操を討てたならば、それで良し。討てなかったのならば、曹操を殺すのを諦めて貰う」

 

「……私には何一つ利点が無いんじゃないのか?」

 

「ああ、このままではな。だから、お前もこの陣営に加われ。曹操を強襲する部隊の指揮にお前を推薦してやる」

 

「! 本当か!?」

 

 一刀の頭の中で、曹操を失った場合の魏の編成と、それを治め得る者の一覧、その者達がそれぞれ辿るであろう分岐が展開していく。

天下を三分するならば、それなりに力を持つ者が魏の領域を治めなければ意味が無い。

蜀と呉に簡単に脅かされてしまうようならば、最初から魏を完全に滅ぼす方が楽だ。

しかし、領土が広がれば広がる程に治めるのは難しくなる。

 

 そういう意味でも、中国大陸を全て治めることは諦めて、三つに分けるのが吉だ。

全てを治めようとしても、数が多くなればなる程に纏まりは悪くなり、付け入る隙が大きくなる。

三つの強力な国家が互いに同等の立ち位置に居て、そして大陸を守ることを第一として纏まることさえできれば、この大陸は強固なものになる。

 

 その一角を任せても大丈夫な者はそれ程多くないが、居るには居る。

例えば、今現在劉備の補佐に回っている董卓も、王の器を持ち、しかしどちらかと言えば王佐の方が適任な人材だ。

王の器と王佐の才を両方持つ者は少なく、一刀が知る限りでは、今の処董卓、太史慈、孫権の三人しか居ない。

曹操が死んだ場合は、孫権を除く二人のどちらかに魏の領域を任せることになる。

 

 どちらにしろ、一刀はもうすぐ死ぬ……彼は彼にできることをして、したいことをするだけだ。

 

 

「北郷、曹操の穴を埋めるのは容易いことではないわよ? 貴方が居れば可能かもしれないけれど、その後は保証しかねるわ」

 

「分かっているとも。孫権、そういうことをはっきりと言えるのがお前の良い所だ。もっとその力を伸ばせ……次の呉の王はお前だ」

 

「……はぁ。言っても無駄なようね。忠告はしたわよ」

 

「確かに受け取った。さて、馬孟起……劉備が帰ってきたら直ぐにお前のことを伝えておく。明日の昼頃に城に来ると良い」

 

「感謝の余り、言葉も無い。先ほどの賭け、乗らせてくれ」

 

 深々と頭を下げて礼を言う馬超に決意の固さを感じながらも、一刀はそれを利用しようとしている己の汚さに自嘲する。

復讐という己の全てを賭けて行う人生で一度あるかないかの修羅場すらも、彼は利用しようとしているのだ。

それがいかに醜いことかを彼は分かっているが、しかし馬超がこのままではそれを為せないことも理解できてしまう。

 

 馬超が復讐をなせる可能性は劉備の陣営に加わることで飛躍的に高まる。

だからこそ彼女はここにやって来たのだし、一刀もそれを理解しているからこそ計画の変更を考慮した。

馬超をこの陣営に加え、しかし曹操を殺させないようにするのは難しい。

だからこそ、彼女にははっきりと諦めて貰う必要がある。

 

 

「……驚いたな。他人の復讐に口を出すという無粋だぞ? お前は賭けに乗る必要など無かっただろうに」

 

「賭けに乗らなければこの陣営には加われない。ここでなければ曹操を討てる可能性が絶望的なことくらい私も分かっている。だから、受けたんだ」

 

「成程。随分と正直な人間だな。少しくらい偽っても責められはしないだろう」

 

「分かり易い人間の方が組み易いだろう? 何を考えているのか分からない奴よりも、私みたいな奴の方が使いやすい。違うか?」

 

「ご名答。お前は中々に徳があるな」

 

 一刀は馬超の真直ぐさに驚き、同時にその真直ぐさが仇となる可能性を見抜く。

真直ぐで力強いからこそ、彼女は復讐を簡単に諦めはしないし、そうさせてしまえば牙を抜いてしまう。

彼女には何としても復讐を達成させて、そのまま真直ぐ進んで貰わねばならない。

 

この真直ぐさは馬超の武器であり、同時に弱点でもある。

多くの者はここまで真直ぐに生きることはできず、復讐も時間が経てば忘れてしまうものだ。

時間が感情を麻痺させていくという当たり前のことさえも彼女に適応するのは難しい。

真直ぐ過ぎる者の復讐は、それが達成されるか自分が死ぬかの二つの道しか残されない。

真直ぐ過ぎるが故に、いくつもの脇道を顧みずに進んでしまう……そんな危うさがそこにはある。

 

 

「とんでもない。私に徳があれば、ここに着の身着のままで来る必要など無かっただろう」

 

「徳があるから成功するという訳ではない。それよりも、着の身着のままで来たのなら、路銀はあるのか?」

 

「今日宿に泊まるくらいは」

 

「……明日から泊まる場所を確保しておこう。暫くはそこで過ごせ」

 

「むっ、そこまでしてもらうのは「良いな?」……分かった」

 

 ただでさえ心的に疲労している筈なのに、宿も明日以降泊まれないようでは、心身を休めることもできない。

一日でそれなりに回復はするものの、心的な疲労は癒えるのに時間がかかる。

そのまま細々と生きるのならばまだしも、復讐するつもりならばそれこそしっかりと休むべきだ。

こういった部分を疎かにすると、後で痛い目を見るものだというのを一刀は知っている。

 

 

「そういう訳だ。明日の昼頃に待っているぞ」

 

「承知した。恩を返すだけの働きはしてみせる」

 

「期待している。それでは、また明日会おう」

 

「ああ、これで失礼させて貰う」

 

 馬超は一礼すると、どこか安堵を含んだ表情のまま踵を返して正門へと向かった。

そんな彼女を苦笑しながら見送ると、一刀は不機嫌そうな表情を浮かべる孫権を一瞥する。

目が合った瞬間に何処か諦めを含んだ笑みを向ける彼女に、彼は更に苦笑いを強めた。

孫権が心配してくれているのも、怒っているのも彼は十分理解している。

分かっていても、その気持ちにしっかりと答えられない我が身を呪わずにはいられない。

 

 北郷一刀は安易に誰かと結ばれてはいけない。

彼が竜である已上、彼がそういう存在を作ってしまえば悲劇が生まれる可能性が生じる。

愛紗と恋のみがそこから除外されるが、二人に甘え過ぎるのは良くないことだ。

一刀の意思に反するように、二人は彼の依存を許し、求めてくる。

だからこそ、彼は余計に苦しい……だが、ここで止まることはできない。

 

 

「北郷、貴方はまたそうやって無理に背負おうとして……どんなに強くても、限界はあるのよ」

 

「分かっている。分かっているさ……俺はただ、知る者としてより良い道を選ぼうとしているだけだ」

 

「貴方は確かに私達では比べ物にならないくらいに多くのものを知っているわ。だけど、だからといって貴方が全て抱えるのはおかしいでしょう? 私に話して……いや、話しなさい。貴方が私に押し付けることができる重荷を、今すぐに渡しなさい」

 

「孫権……覚悟は良いのか? お前の想像よりも遥かに重いかもしれないぞ? 遥かに苦しいかもしれないぞ? それでも、そう言うか?」

 

「ええ、例え交わることは叶わなくても、私達は夫婦だもの。痛みも苦しみも一緒に背負うのは当然のことよ」

 

「……ありがとう」

 

 一刀は孫権がついに他者を飲み込める器となる段階にまで来たことに思わず感動した。

最初に会った時は、他者に縋ることでしか生きていけない弱さを感じさせた彼女が、たった半年でここまで成長したのだ。

最初の三ヶ月程は彼がそれを促したかもしれないが、反董卓連合直後の三ヶ月の間、彼は意識を失っていた為、彼女自身が己の力で成長していたと言って良い。

 

 もう孫権は一刀が居なくとも、十分に王としてやっていける器を持っている。

彼女は、武勇や学問では曹操には叶わないし、精神の頑強さにおいては劉備に劣るだろう。

しかし、彼女はそれを補って余る程の王佐の才と、信じるべき時と疑うべき時を間違えない一種の正確性を持つ。

天下三分の計の一角を担うには十分どころか、寧ろその程度の役に収まらない程に大器となったと言える。

 

 静かに手を差し出す孫権の眼には、決して消せないであろう炎が宿っている。

この炎こそが孫呉で燻っていた彼女が本来の力を取り戻した証であり、同時に皆を温める熱となる。

時に全てを燃やし尽くす業火となり、時に冷えた心身を温める温もりとなる彼女は、確かに慈しむ王であり、同時に孫家の昂りを目覚めさせた。

慈しみ、鼓舞する王へと彼女は変貌したのだ。

 

 

「ここで話すのは貴方が嫌でしょうし、私の部屋に行きましょう。良い?」

 

「ああ、それで構わない。孫権、開花したお前に是非とも頼みたいことが一つある。そのことについても話そう」

 

「貴方が求めてくれるのならば、喜んで応えるわ。さぁ、行きましょう」

 

「ああ、行こう……最終試験、開始だ」

 

 一刀は、孫権が差し出した手を握ると、歩き出す。

その隣で、彼と同じ速度で孫権は歩み、その永遠に消えない炎を宿す目で彼を見据える。

憎しみも愛しさも怒りも悲しみも、何もかもを彩らせてくれた一匹の竜の隣を、彼女は歩く。

彼女は不完全な竜ですらなく、ましてや逆鱗でもない……それでも、その場所から逃げない。

 

 もう二人が結ばれないことは竜から直接告げられたし、彼女も納得した。

それでも、彼女はその場所から逃げ出したりはしない。彼の望むままに去りはしない。

彼女は確かに竜には釣り合わないかもしれない。竜の重さを背負いきれないかもしれない。

それでも、逃げない―――彼女の魂が彼を支えろと叫ぶが故に。

 

どんなに矮小でも、惨めでも、彼が死ぬまで彼女はそこから動かない。

確かに彼女には彼の苦しみも痛みも理解できないだろう……彼女は所詮人間であり、竜にはなれないのだから。

時代の流れを何十倍にも加速させた男の重荷を彼女だけで背負うことなど確かにできないだろう。

それでも、諦めない―――彼女の魂が彼を愛せと燃え上がるが故に。

 

 

「愛しているわ、北郷。今も、明日も、明後日も―――いつまでも」

 

 この時、孫権仲謀は北郷一刀の庇護の下に留まるのではなく、その力を実際に発揮すべき段階へと移行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前世というものは本当に存在するのか?……その問いに多くの者は否と答えるだろう。

孫策もその一人であり、彼女にとっては今のみが己の最初で最後の人生であり、そこには以前も以後もあり得ない。

しかし、最近になって彼女のその考え方を揺るがす者が居る。

全く知らない筈なのに、彼女の奥底を揺るがし、熱を与える者が居る。

 

 

「はぁ……冥琳、前世だの来世だのって存在すると思う?」

 

「いきなり何を言うかと思えば、またつまらんことを聞くな。そんなものは無い。一度死ねばそこで終わりだ」

 

「そうよね……その筈よね。だったら、あれは何だったのかしら」

 

「何か引っかかることでもあったのか? らしくもなく迷っているみたいだが」

 

 政務などを一通り終え、一段落ついている時にふとした質問を周瑜にぶつけるが、返答は想像の域を出ない。

孫策の知りたいのは、彼女を時々悩ます捉えどころの無い怒りと愛おしさと、それが齎す恐怖の正体だ。

余りにも不鮮明なそれは、彼女を揺らがせる。

 

 

「北郷一刀に初めて会った日を覚えている? 私、あの日に無意識の内に、ああ、こんなにも立派になったんだな、って思っていたの。初対面の相手なのによ?」

 

「だからあんなに不機嫌そうだったのか。私はてっきり雪蓮が蓮華様を取られて嫉妬しているのかと思っていたのだが」

 

「私がしようと思っていた王としての教育を、彼が私よりも遥かに上手く行っていたことには確かに嫉妬したわ。でもね――それ以上に、このひとになら任せて大丈夫だ、って思っていた自分が居たの。自分の中に自分じゃない何かが居るみたいで、恐ろしかったわ」

 

「ふむ……だからいきなり前世がどうこうなどと聞いた訳か。確かに、あの男には私も既視感を抱いた。妙な懐かしさを覚えたよ」

 

「冥琳も?」

 

 孫策だけでなく、周瑜までもが既視感と妙な懐かしさを北郷一刀に感じている。

もしかしたら過去に会ったことがあるのかもしれないが、あそこまで存在感のある男に会っていたのならば忘れる筈も無い。

まさしく存在するだけで皆の眼を引き付けるような存在感を持つ者を忘れていたのだとすれば、余程興味が無かった場合のみであろう。

 

 王を志す孫策に限って、誰よりも王の器を感じさせる北郷一刀を忘れていることなどあり得ない。

少なくとも、彼女が彼に直接会ったのは反董卓連合の際が初めてなのは確かだ。

最初は数年処か何十年もかかるかもしれないと思っていた大陸統一の流れを彼は何十倍にも加速させた。

 

たった一年程度でこの大陸は数十年分の時間を歩んだと言っても良い。

稀代の英雄であろう孫策達ですらも数十年だと見通していた変化を、たった一人の男の存在が何十倍にも加速させた。

その男は不思議と皆を惹きつけ、その力を発揮させる。

今まで隠れていた数々の強者を呼び覚まし、配下にしているのだ。

 

そんな男――北郷一刀に無意識に反応する己の心が、孫策には恐ろしかった。

 

 

「ああ、あの男を見るとまるで昔からの友人と再会したような感覚を感じてしまって……な」

 

「私もそうなのよ。妙に懐かしくて、知らない筈なのに知っているみたいで……正直不気味だわ」

 

「確かにそうだな。そういうものを植え付ける妖術でも使っているかもしれないと勘ぐってしまうくらいだ」

 

「妖術、ね……そう思った方が楽だけど、何かが違うのよねぇ」

 

「勘、か」

 

「ええ、勘よ」

 

 孫策の勘は良く当たるどころか、外れないことに定評がある程だ。

それが北郷一刀を妖術使いの類ではないと言っているのだ……恐らくそうなのだろう。

孫策本人すらもその勘が正しいか分からない程に彼は異形だが、それでも彼女はそう思うことにした。

仮にも同盟を組んだ相手なのだから、疑っていても詮無い。

 

 今孫策達に必要なことは、来たる曹操との決戦に備えることであり、それに反することをするのはナンセンスだ。

北郷一刀は劉備の右腕どころか番とも言える存在であって、それを疑うことは劉備を疑うのと同義とさえ言える。

そうなれば、疑心はすぐさま見抜かれ、そこから軋轢が生じてしまうのも時間の問題であろう。

 

 北郷一刀に見限られてしまえば曹操諸共滅ぼされてしまうのを、彼女達は十分理解している。

 

 

「さて……雪蓮、そろそろ軍議の時間だ。準備は良いか?」

 

「ええ、勿論。冥琳こそ、体の方は大丈夫?」

 

「ああ、体調には気を付けている。いざという時に倒れてしまっては元も子も無いからな」

 

「なら良いわ。行きましょう」

 

孫策は孫権から送られてきた書状で周瑜が病に侵されている可能性を指摘された。

それを孫権に教えたのが北郷一刀だという旨もそこに書かれていたのだから、恐らく間違いではないだろう。

孫呉に安寧を齎せるか否かは次の決戦で決まるのだ……その直前に彼女を失う訳には行かない。

かなり重い病である可能性が書状では書かれていたが、大陸屈指の名医と言われている華佗ならばどうにかなるかもしれないとも書かれていた。

 

 確かに華佗と言えば死者すらも生き返らせると言われる程の名医だと言われている人物だ。

大陸を放浪しながら行く先々で治療を行っているらしいが、その動向を掴むのは難しい。

孫権は、情報はやるから後は自分達で探せ、と言外に言われているような錯覚すら覚えてしまう。

少なくとも、彼女の母である孫堅と軍師の一人である陸遜に同じことを伝える書状が送ってあることから、放置してはいけないことは分かる。

 

 北郷一刀は、なんだかんだ言って彼女達に手を貸してくれている。

周瑜が病に侵されている可能性を孫権に伝えさせ、尚且つ魯粛越しに天下二分の計を否定してきた。

天下三分の計についても、それとなく目指す形とそこに辿り着くまでの過程を伝えられたが、中々悪くないと周瑜も認めている。

ただ、曹操を相手にそれが通用するかどうかは分からない。

 

 

「天下三分の計……どうなると思う?」

 

「曹操さえどうにかできれば、後はどうとでもなる。大部分の者は戦よりも平穏が大事だからな」

 

「そうよねぇ……やっぱりそういうものよね。私達はこのまま進む。それで良い」

 

「そうだ。私達はこのまま進めば良い。それで十分さ。雪蓮、まさか今になって迷いが生じたのか?」

 

「まさか。私はとっくの昔に覚悟を決めたわよ。ただ――もうここまで来たんだな、って思っただけ」

 

 気付けば遠くまで来てしまったことに孫策は若干の驚きを感じる。

母である孫堅の重傷や袁術との軋轢など、色々とあったものだが、彼女達は全て乗り越えてきた。

その陰に北郷一刀の存在があったのは彼女も重々承知しているし、感謝している。

母の生存も、孫権の王としての資質の成長も、全て彼が関わっていたからこそなし得た。

 

 実際、孫策は彼を非常に高く評価しているし、彼がその気になれば天下統一は容易いと思っている。

一人で数万を屠れる武に加え、頭も回る……特に、後出しに関しては他の追随を許さない程に上手い。

圧倒的な戦闘力を持つ彼相手では先手必勝しか攻略法は無いが、それすらも彼は後出しで圧倒してしまう。

 

 少なくとも武に関しては、彼が最強だ。

 

 

「雪蓮……お前は一人じゃない。私達が居る。何処まで遠くに行っても雪蓮の居場所はここだ」

 

「ありがとう、冥琳。時の流れが余りにも速過ぎて、少し臆病になっていたみたい」

 

「仕方ないさ。あの化け物の存在が、時代の流れを何十倍にも加速してしまった。私も時々自分の居場所が分からなくなるくらいだ。少しもおかしいことではない」

 

「そうね……いつか、話さないと。大陸が平和になれば、もう化け物は必要ないって。互いの幸せの為にも、そうしなければいけないわ」

 

「そうだな……時を加速させる者は、争いの後には不要だ。寧ろ障害にさえなり得る」

 

 北郷一刀の本質がどこにあるのかを知らない孫策達にとって、彼は時代の流れを急激に加速させる暴風そのものだ。

新たな風車が確立した瞬間、その風車すらもいずれ破壊し得る暴風は時代に必要とされなくなる。

彼が元来そういった平時においてこそ能力を発揮する人間であったことを彼女達は知らないし、知る機会がそもそも無かった。

だから、この判断は少しも間違っていないし、悪いことでもないし、仕方の無いものだ。

 

 北郷一刀は人間ではなく人外であって、人間では御しきれない。

彼を御することなど不可能に近く、御するよりも御される方が遥かに楽だ。

彼に抗うよりも、彼の掌の上で踊らされる方が遥かに簡単で、何も考える必要が無い。

だが、そのような存在は簡単に使い捨てられてしまうだけなのを孫策達は知っている。

 

 だからこそ、彼女達は自分で考え、自分で選ばなければならない。

彼女達が自分達で考え、自分達で決めて、自分達で進んでいくのを彼は望んでいる。

それもできないようでは彼に滅ぼされてしまうだけであり、何も為せない。

たった独りに翻弄される無力さを嘆きながらも、彼女達は進むしかないのだ。

 

 

「英雄は平和な世界には必要ないわ。必要なのは、静かにそれを維持する偉人達ね。私が英雄ならば、偉人は蓮華となるでしょう」

 

「私もその意見には賛成だ。こちら側に居た頃の蓮華様では正直に言えば不安だったが、恐らく今の蓮華様ならば、その資格も十二分にあるだろう」

 

「蓮華が呉を治めるまでは今のままで良いわ。でも、もしもその時が来たならば―――」

 

「来たならば?」

 

 孫策は、最初北郷一刀は絶対に崩せない存在だと思っていた。

しかし、反董卓連合が洛陽に向かう途中で彼が倒れたのを知った時、彼女は悟ったのだ。

あの化け物は確かに人間とは一線を画した存在であるが、殺せない存在ではない。

どんな化け物であったとしても、倒せない訳ではない。

だから、彼女達にはまだ希望がある。

 

 

「私は、北郷一刀を殺す」

 

 

 

 

 

 あの化け物は、平和な世界には必要ない。

 

 

 

 

説明
この作品では一刀がチートだったり、キャラが色々とおかしくなったりしてるので、そういうのが許容できる方のみご覧ください。



もうすぐ終盤になるけど、筆が進みません(
取りあえず今書けている分だけでも投稿していきます。



総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
6456 4379 23
コメント
続きをください・・・・・(黄昏☆ハリマエ)
続きはまだかな?(デューク)
前世の記憶を不完全ながらも取り戻した霞は一刀の本質を理解出来ているのは流石ですが、代わりに一刀の現状が全くと言っていい程見えていませんね。これが悲劇に繋がらなければいいのですが。(h995)
戦闘になったとしても、途中で発作がでなけりゃ無理でしょ(頭翅(トーマ))
ふむ、雪蓮と冥琳も外史の記憶を持ち合わせつつありますか・・・一刀を殺そうにも周囲の存在がそれを良しとするでしょうかね〜?(本郷 刃)
タグ
真・恋姫†無双 北郷一刀 蓮華   

murasaki_rinrrさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com