親友 |
いじめを受けたことがある。
もともと暗い性格だったので、小学校に入ってすぐにクラスで浮いてしまい、臭いと
か気持ち悪いとか言われ始めるのにはそう時間はかからなくて、気付けば一人も友達が
いなくなっていた。不登校になったりもした。死のうとしたこともあったと思う。
四年になる時にやっとクラス替えをして、いじめグループの中心とは別のクラスにな
った。だけど、浮いているのは相変わらずで、友達もできなかった。
きっと、誰かと仲良くなることを諦めていたんだろう。誰も話しかけて来ないから、わたしから話しかけることをすることもなく、毎日ただ学校に行くだけで一年が終わっていた。
そんなわたしを助けてくれたのが、五年になってすぐに転校してきたアキだった。
わたしの隣はいつも必然的に席が空いていたので、アキの席はすぐに決まった。せっかく友達ができるチャンスなのにわたしは俯くばかりで、彼女はわたしを困ったように見ていたけれど、次の日の朝にはおはようと声をかけてくれた。
彼女の発するおはようはどこか艶っぽくて、あったかい。その日は確か晴れだったけれど、おはようと言われた瞬間にいきなり太陽が差し始めたような気がした。優しく包むような柔らかさがあるのだ。
それでも、わたしがまともにおはようを返すのには少し時間がかかった。わたし個人に向けられたおはようなんて久しぶりだったからだ。それでも、アキはずっとわたしにおはようをくれて、わたしはアキにおはようを返した。そうやってわたしたちはすごいスピードで仲良くなって、今まで一緒じゃなかった時間を取り返すように、わたしたちは一緒に学校に通い学び遊んで、大きくなりながら過ごしてきた。
そんなアキが、今日は学校を休んだ。
寒くなってきたし風邪でも引いたのかもしれないなと思っていたけれど、ホームルームの時間に担任の須藤先生が
「誰か芹沢さんから欠席の連絡受けていませんか?」
と、少し焦ったような顔で聞いてくるくらいだから、きっとまだ連絡がついていないのだろう。
彼女は今までズル休みなんてしたことはなかったし、転校してきてからは毎年皆勤賞を取るくらいだったので、とにかく理由がわからなくて必要以上の不安を感じてしまう。
一度想像をし始めるともう止まらない。真面目なアキのことだから風邪なら重いんじゃないかとか、もしかしたら何かあったかもしれないとか、とにかく嫌な方に考えが向いてしまって抜け出せなくなる。
当然授業には集中できなくて、暗い気持ちのまま窓から見下ろすと、ちょうど木枯らしがさらさらと落ち葉を運んでいくところだった。聞こえないはずの小さく乾いた音が聞こえるようで、不安なわたしをさらに心細くさせた。
昼休みになって、中学になって知り合ったトモが待ってましたとばかりに声をかけてくる。アキが最初に声をかけたのだけど、結局わたしとも仲良くしてくれている。
「何か聞いてる?」
と、内容はそのくらいだったが、トモはわからないことを憶測で喋ろうとはしないし、そもそも感情が顔に出るタイプだから、それだけでも心配していることは伝わってきた。
けれど、アキがいない中で楽しい話なんてできず、かと言ってアキのことも話題がないので、会話が弾むこともないまま午後の授業になってしまった。そんなだから引き続き目一杯空虚な時間が流れ、わたしはただ澄んだ空気を見ていた。
放課後になって、せっかくだからアキの家にお見舞いに行こうとトモを誘ったのだけど、
「ごめんね、今日は部活抜けられないんだ。だから、一人でも行ってあげて」
と「申し訳ない」の顔で断られてしまった。
トモは陸上部だ。調度良く肉のついた脚を躍動させて走る姿はとても凛々しく、そして速い。その実力と人柄を買われてキャプテンになってからも、トモは自分に自信を持って走り続けているように思う。
部室棟の前でトモに別れを告げ、夕日の中を歩き出す。寂寥感の中、つい考えてしまう。アキやトモとわたしは釣り合わない。わたしは、アキの家に向かうのをどこかで少しためらっていた。
確かにわたしはアキに救われた。けれど、わたしの卑屈な心は消えてはいないのだ。
「わたしなんかがアキにできることなんてあるだろうか」
「アキにはトモがいるじゃないか」
そういう卑下する思考が溢れて、重くのしかかってくる。足取りは自然に遅くなり、いつしかわたしは通いなれた道に立ち尽くしていた。
冬の冷たい風が頬に当たっては流れていく。こういうときに一人になってはいけないことはわかっていた。
でも、やっぱり今は行くべきだと思う。アキには本当に感謝しているのから、不格好でもそれを形にしなければいけない、そんな思いがあった。
うんと頷いて、踵を踏みつぶしたままだった靴を履き直し、走った。運動不足のわたしの胸は高鳴り、悲しくないのに涙が出た。苦しくても止まってはいけない、その一心で走り続けた。
ようやくアキの家に着いた。乱れた服と息を調えてからチャイムを鳴らすと、アキのお母さんが応対してくれる。わたしのことを覚えていてくれたみたいで、すぐに部屋に通された。
「いらっしゃい」
そうわたしを迎えた彼女は寝間着姿でベッドに腰掛け、とろんとした目をしていた。聞けば今まで寝ていたらしい。朝はかなりあった熱もすっかり引いて、明日は学校に行けるかもということだ。
アキが元気でよかった、とわたしは口に出して言い、それきり黙ってしまう。少しの間、アキはいつもより少し弱く、それでいて優しい笑顔でわたしを見ていた。
「トモも来たがってたんだよ」
アキはきっと分かっていたと思う。けれど、わたしは言わずにはいられなかった。
「来たがってた」
間が保たなくなって、もう一度言った。座りが悪くなって、俯いてしまう。
「でも、ハルが来てくれたじゃない」
アキの表情が少し陰った。アキの言いたいことはわかるけど、そんな自信はわたしには持てない。ああ、アキが怒っている。
「昨日の夜、今日の朝になるかな、悪い夢を見たんだよ」
不意にアキが話し始めた。草原に広いベッドがぽつんとあり、そこにアキが寝ている。草はゆっくり早く伸びて、やがてベッドを覆ってしまう。アキは逃げたくても逃げられない、そんな独りの夢だった、と。
「だからね、寂しかった。ハルが来てくれてすごく嬉しいの。ありがとうね」
その瞬間、わたしの頭に電気が走って、今までにない感覚がびりびりとわたしを痙攣させた。
アキが苦しんだことを喜ぶ訳ではなく、アキがわたしを喜んでくれたことが嬉しい。来てよかった、間違っていなかった。そう叫び出したい衝動を手で抑え、しばらくただ下を見た。
わたしたちの今までのことを思い出す。おはようから今まで全部を。
そうやって私がまた黙っていても、やっぱりアキは待っていてくれた。そんな心配りがとても嬉しくて、本当にアキと友達になれてよかったとじわじわ感じた。
そしてわたしは、そんな優しさに出会えた幸せをもう一度噛み締めてから、顔を上げ、最高の笑顔でそれに応えた。
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