最速の伝え人 六章
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六章 再び白。新しい生活。終わらない明日

 

 

 

 私は“伝え人”としての初の活動報告として、この文書を作成している。それは全て、この役職が正式に認められ、全国規模でその活動が広まれば、と思っての行動である。

 さて、この一通の手紙は私のごく身近な人の人生に大きく影響する、決して見逃してはならない出来事を生んだ訳だが、その結末については関係者(主にエルだ)が恥ずかしがり、文章化はしないで欲しいと頼まれたが、物語には必ず終わりがなければならない。人の人生はその人が死ぬまで続くが、文章にした以上は、ひとまずの区切りが付くまで書かなければならないのである。

 よって、私は彼女の懇願も無視して、ダニエル女史とジャン=ポール氏の再会の時のことを記述し、この報告書を締めくくりたい。

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「しかし、せめて速達でダニエルに手紙を送るべきだったのでは……?」

「いやいや、確かに期待で胸を膨らませて待ってもらってるのも良いですけど、ここは不意打ち気味の再会にした方が感動的ですって」

 一度に二つの目的が達成されてしまったので、二人はエリアスことジャン=ポール氏と共の帰路に就いていた。

 半年や一年は旅を続ける覚悟をしていた行きとは違い、リーディエもエリクもかなり体からは力が抜け、三人はほぼ同じ速度で歩いていた。リーディエにしてみれば遅過ぎるぐらいだが、エリクや元軍人でありながらも士官だったため、それほど体力に自信のないジャンには程よい速度だ。

 ゆっくりと歩いていれば、自然と会話も増える。中でもジャンは、何度も何度もダニエルのことを想い、手紙を送ろうとしているのだが、その度にエリクに反対され、それにはリーディエも口出しをしないでいる。おおよそはエリクと同意見だからであり、心に余裕が出来ると、少女らしいいたずら心が発揮され、あえてダニエルを驚かせてやろうという算段である。

 そんな帰りの道のりも、何の障害もなく半分が過ぎ、そこで一度しっかりと宿で泊まり、それからまた残り半分、少しだけ足を早めて進んだ。

 北に行けば行くほど治安は安定するため、日が経つごとに自然と安心感は増していく。そもそも、エリクとジャンがいればどんな賊だって撃退してしまえるだろう。――そう言えば、リーディエは未だにジャンの拳銃を持ったままだ。どうやら、そのままくれるそうなのだが……次に“伝え人”としての仕事に出かける際、この銃を持っていくかは定かではない。

 残念ながら世の中には武力を悪しきことに利用する人間が多く、その魔の手は誰の身にも等しく向けられる。ただの郵便屋だからと見逃されることはないし、リーディエのような一見して力のない子どもであれば、その危険度はより一層高くなることだろう。

 そんな中、大陸中を旅するのに自衛の手段は必要だ。だが、エリクはこれからもついて来てくれる。彼さえいれば大抵のことは上手くいくという確信があるし、リーディエの本気の疾走に追い付ける人間はまずいない。わざわざ拳銃を――軍の兵器を持ち歩く必要があるのだろうか?

 自己疑問の様相を呈してはいるが、これは半ば以上完結している疑問だ。まず間違いなく、リーディエはこの銃を家に置いて行く。なんなら、再びダニエルかジャンの手に戻すことだろう。彼女はもう、軍から離れた自由な存在だからだ。

 俊足の斥候としてのリーディエではなく、ただの郵便屋としての彼女は、等身大の少女でしかない。もしも野盗に襲われて荷物や命を奪われたとしたら、それは同じ年頃の少女がそうなるのと同じこと。諦めるつもりでいた。

「ん、どうした?」

「ううん。ちょっとした考えごと」

「そっか。無理するなよ?色々とさ」

「大丈夫。それより、エリクもジャンさんも大丈夫?あたし、考えごとしながらだと早足になっちゃってると思うから……」

「いや、いくらなんでもこれぐらいは付いて行けるよ。確かに、無意識に歩くにしてはすごい早いけどな」

「無理はしないでね」

「ふ、ははっ。ああ、わかったよ」

「ど、どうしたの?」

「おまえそれ、無意識か?」

「う、うん?」

 何を言わんとしているのかわからず、リーディエはきょとんとした顔でエリクを、それから遂に笑いを堪えきれずに吹き出したジャンを見た。それを受けて二人は更に笑ってしまう。

「なんか俺とおまえ、似たようなことばっかり言ってるなって。お互い無理するなって言い合ったり、ちょっと妙な顔したらどうしたのかって聞いたり、さ」

「……あっ。全然気付かなかった」

 互いが互いのことを心配して、いつも同じようなことばかりを考えている。……そう意識し始めるとリーディエは、頬は当然のことながら、耳に首筋に……全身を燃え上がらせるように真っ赤にした。それから、抗議するようにエリクの腕をぺしぺし叩く。優しく、子犬がじゃれ付くように。

「こらこら、別に恥ずかしがることじゃないだろ?」

「でも……なんか、恥ずかしいもん」

「俺的には、妻子持ちの男の人の前でいちゃ付くことの方が恥ずかしいんだけどなぁ……」

「えっ?あっ……」

「あー、いや、お構いなく」

「あたしが構うからっ」

 二人旅ではなかったことを思い出し、ぴょんとエリクから飛び退くとリーディエは、ずんずん先に進んで行ってしまう。その後ろ姿からは、煙が立ち上っているようだった。

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 薄暗い部屋の中にノックの音が響く。

 時刻は午後の六時を回ったところ。陽が中々沈まないこの国においてはやっと夕方になったぐらいだが、それにしても部屋が暗過ぎるのは光源の類が一つとして機能していないからだ。

 「錬金術師の部屋は常に薄暗く、同時に雑然とあれ」とは、エメラルド・タブレットの名文句と同じぐらいダニエルが大切にしている錬金術師の大原則である。提唱者はダニエル本人。彼女の友人である錬金術師はいずれも共鳴し、これを守っている。……結果としてそうなっているだけかもしれないのだが、部屋を小奇麗にしていては錬金術など出来ないのだ。

 しかし、部屋は以前よりも大きく荒れていた。いや、より生活感を増している、と好意的な叙述も出来るだろうが、女性の一人暮らしの部屋として独身の男性に紹介すれば、その若者の結婚願望を喪失させてしまうほどには汚らしい。――もちろん、その全てはリーディエが町を離れたことに起因している。

 彼女が家を訪れなくなっても、他にも何人かはこの家に出入りする。他の錬金術師、過去にダニエルが世話を焼いた若者、錬金術師としての腕を見込んで無理難題を持ちかける相談者。もちろん、再び郵便配達を一人でこなすことになったフォンスも例外ではない。

 だが、姉代わりであり、同時に母代わりだと本人は思って接して来た相手の喪失は、見事に彼女の部屋から“女性らしさ”のようなものを取り去ってしまった。簡単に言えば、青年が二、三人共同で暮らしている部屋のような混沌さがあるのだ。

「はーい」

 杖を突いてドアの所まで行かなければならないので、扉を開けるのには時間がかかる。頻繁に来る客であれば返事があった時点で勝手に入って来てくれるはずなのだが、今回もそうだった。

「ただいま」

 暗闇の中に、純白の羽を見た。大げさな比喩と人は笑うかもしれない。が、思いがけない少女の来訪にダニエルの目頭は熱くなっていた。そして、年を取ると本当に涙もろくなるものだ、と自嘲気味に笑って、だけどやっぱり涙を一筋流した。

「リーディエちゃん……!」

「全部、終わらせてきたよ」

「良かった。……無事で、本当に良かったよ、リーディエちゃんっ」

「エ、エルっ……」

 右足が失われていることを忘れたかのような勢いでダニエルは椅子から立ち上がり、そのまま倒れそうになったところを、慌ててリーディエが抱きしめて支えた。だが、想像以上の重さで二人して転びそうになる……それを更に支えたのは、エリクよりも早く駆け出していた、つい数ヶ月までこの町にいながら、ダニエルと再会することを拒み続けていた男だった。

 線の細い顔には少し似合わない太い腕と、皮の厚くなった手のひらがしっかりと小柄な少女と、彼女が抱いた妻の体を包み込む。自分をここまで導いてくれた恩人と、最愛の人の両方に「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うように、ぎゅっと抱きしめた後、二人をきちんと床に立たせた。

 ダニエルは、その男の正体が一瞬わからなかったようで、突然現れた見知らぬ男に驚いていたようだが、次の瞬間には異邦人への驚きではなく、三年来の愛する人との再会の驚きに、改めて涙した。

 機転を利かせてリーディエが離れると、すぐにジャン=ポールは妻の体を抱きしめ、どちらから示し合わせるともなく、人前であることを気にせず唇を合わせた。陽が完全に落ちるまでのように長い時間、何度も。何の言葉も口にせず、ただただ空白の時間を愛で埋めようとするように。

「行くか」

「……うん」

 ここからの夫婦の時間を、究極的には他人である自分達が見ているのは申し訳ない。

 部外者二人は静かに部屋を出て行き、郵便局へと向かった。「キスって、ああいうのなんだ……」かつてないほど顔を赤くしたリーディエがうわ言のように呟いていたが、誰にも聞こえなかったことだろう。

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「馬鹿……。ヒゲなんか伸ばしちゃって、誰だかわかんなかったんだから……」

「い、いや、ゆっくりと帰って来たからね。まさか調理用ナイフでヒゲをいらう訳にはいかないし」

「言い訳無用。罰として、もう一回、抱きしめて」

「わかったよ。ダニエル」

「もう、二人ともいないよ?そんな呼び方じゃ嫌」

「…………な、懐かしいな、この呼び方も。……エル」

「うん、ジャン」

 一夜を永夜にも変えてしまうかのような、厚い厚い、愛を全て詰め込んだ抱擁。互いの心臓を突き合わせ、相手の鼓動で自分の心臓を動かすように体を密着させて、何度目かもわからないようなキスを交わす。長い長いそれが終わると、やっとジャンは自分のことを話す機会を得られた。

「私は、果たして君に会って良いものか、それをずっと悩み続けていたんだ。……いや、彼女に。リーディエちゃんに会うことがなければ、私は生涯に渡って、君と再会出来なかっただろう。私は私なんかが君と会うことを許せなかった。考えてもみれば、おかしな話だな。相手はたった十五歳の子どもだって言うじゃないか。そんな子どもの、重みのない言葉に動かされるなんて」

「リーディエちゃんは、そういう子だよ。ワタシからすると、痛々しいぐらい真面目で、真っ直ぐで」

「とにかく不器用で、これからの人生、損ばかりしそうで」

「だけど、そんな生き方を曲げないであろう意志を持っている。むしろ、誰かのために自分の身骨を砕くことこそを誇りとしそうな」

「君が、あの子に惹かれる理由はよくわかったよ。たった二週間の旅程で」

「ワタシも、あなたの心が動かされるのも納得出来るよ。だってワタシ、三日でもう完全にリーディエちゃんのお姉さんになってたもん」

「……そ、それはすごいな。でも、そうだな。私も、あの子みたいな娘か妹がいれば――そうだ、娘だ!」

 郵便屋の少女の話でひと盛り上がりを見せようとしていた会話が、ジャンによって強引に断絶される。そして、彼は胸元から何よりも大事にすべき手紙を取り出した。

「ど、どうしたの?」

「私達の本当の娘の――アニエスについての手紙だよ。彼女の肖像画もある。……こんなに、大きくなったんだ」

「う、嘘。アニーの?」

「そう、これがリーディエちゃんの届けてくれた手紙なんだ。私は偽名で乳母の彼女とやりとりをしていたから――」

「うん、うん。ふあぁー……ワタシに似て、本当に可愛いっ。早く、早く迎えに行ってあげようねっ」

「そうだね……。もう少しあの国が落ち着いたら、必ず。それまでは、ここで二人一緒に暮らそう。前までのように。……はは、こんなに散らかして、君は本当に私がいないと駄目だな」

「誰のせいと思ってるのよ……ばかぁ」

 涙なくしてはわが子の肖像を見られない妻の手を、夫はいつまでも握っていた。そして、駄目押しのようにその唇を奪い、彼女が眠りに就いてもその手を離すことはなかった。もう決して遠くに行かない、そう言葉ではなく行動で約束するように。

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 “伝え人”としての最初の仕事を終えたリーディエは、ひとまずは再び通常の郵便配達の仕事を始めた。予想よりも早い帰還に、フォンスはもちろん、彼女のファンとなっていた町の人々は大いに喜び、次の旅立ちが難しくなったような気もするが、その時が来れば、どれだけ強固に反対されたとしても、彼女は旅立つのだろう。それは、誰もが頭の中で理解している。

 エリクも無事に工房に戻り、仕事を再開した。石工に休みなどはなく、毎日毎日忙しく働いている。期間としては短かったものの、それなりに厳しかった旅路は彼に少し堪え性というものを授けたようで、前以上に休憩することなく仕事を続け、時として親方を心配させたが、若い力を信じて、最近では主に手直しや助言をすることに徹し、更に彼の腕を上げることに貢献してくれるようになった。

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 更に数ヶ月が経ち、やっと暑さが和らぐ頃。町の外、大都市とは決して言えないこの町を一望出来る丘の上に二人は上がり、何をするでもなく、ただ二人の時間を過ごしていた。リーディエの仕事の時間ではないし、エリクもたまの休みだ。

 草原に身を預け、青空を見上げて、ゆっくりと過ごす。地理的には高い場所にいるはずなのに、空は町の中よりも高く見えた。建物が一切ないからだろうか。

「エリク」

「ん?」

「あたし、ここに来れて良かった」

「……そっか。でも、なんで今更?」

「きちんとは、言っていなかった気がするから。あなたがいなかったら、あたしは多分死んでた」

「俺もまあ、こんな所にはいなかっただろうなぁ」

「一つだけ、約束してもらって良い?」

「金がかかること以外ならな」

「じゃあ、難しいかも」

「ジャンさんも泣いてたけど、本当、女のお願いってのは金関係ばっかりだなぁ」

 苦笑するエリクの顔に、リーディエは自分のそれをぐっと近付けた。お互いの息がかかりそうな距離。エリクの鼻をかすかな甘い匂いがくすぐる。

「な、なんですかな」

「結婚って、お金かかるんでしょ?」

「……冗談だよな」

「今すぐに、じゃない。でも、あたしが大人になって、エリクがその時まで独身なら、結婚して欲しい」

「…………おまえはそういうこと、顔色一つ変えずに言うんだもんな」

「そんなこと、ない。頑張って勇気を振り絞って言ったから。……うぅ、恥ずかしい」

 言葉通りにその頬が染まり、体からはへなへなと力が抜けていった。まるでしなびた野菜のように、寝そべった姿勢から半身だけを持ち上げたエリクの足の上に転がった。

「じゃあ、もしもおまえがその時まで、他に好きな男が出来なかったら、な。俺は前も言った通りに他の女に興味がないから」

「わかった。じゃあ、指切り」

「こんなところは、子どもっぽいんだな。良いぜ、ほら、指を出してくれ」

「……こ、腰が抜けて、体起こせない」

「ぶっ、ははっ!なんだそれ、可愛い奴だなぁ、おまえ!」

「か、可愛くないっ。ゆ、指切り、エリクがあたしに合わせてっ」

「よし、いっそこうなったら、俺の指をあま噛みするってのはどうだ?嘘ついたらこの指噛み千切る、みたいな感じで」

「それだと、ずっと指をくわえていないといけなくなる」

「俺は一向に構わないぜ?」

「あたしは構う!」

 

 お互いの体を密着させたまま、二人はじゃれ合い、日が暮れるまでずっと馬鹿なことを言い合っていた。ここに当たり前のようにある平和と自由を、大好きな人と思うがままに謳歌するように。

 

 

 

終わり

説明
自分は多くの場合、物語上の最終話と、お話を締めくくるための最終話を別々に書いています。今回が正にその場合です
となると、まとめとなる最終話を書く時の気持ちは、祭りの後のような寂しくも感動をしている(自画自賛的ですが、書き上げたという達成感もあって、事実そうなっています)ようなもので、だからこそ極上の最終話にしたいと考えています
そこで、即興ではあるのですが、違和感と美しさが同居しているフレーズを考え、それをサブタイトルに付けました
「終わらない明日」。明日はその人が生きている限り永遠に来るのだから、「明日」が「今日」や「昨日」になることはない。常に新しい明日を、生きていこうと、書きながら。そして今、投稿をしながら思いました
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