真・恋姫無双 EP.109 幻惑編 |
薬品の匂いで目が覚めた。この匂いを懐かしいと感じてしまうのは、自分が普通の人間ではないからだろうか。ゆっくりと目を開けた華雄は、上半身を起こして周囲を見回した。
「ここは……?」
大きな天幕の中の地面に布が敷かれ、大勢が横たわっている。多くが怪我人のようで、どうやら自分は治療所のような場所に運ばれたようだとわかった。
いったいどうしてこうなったのか、その経緯を思い出そうと華雄が頭をひねった時、白衣を着た女性が入って来た。
「あ、気がつかれたのですね? もう、大丈夫ですか?」
「私はどうしたのだろう……ここは、病院か?」
「はい。本当に運がいいですよ。あなたは村の近くに倒れていたのです。普通ならば余所者は村に入れないのですが、今は特別でして」
「特別?」
「はい、今は劉備軍が村に来ているんですよ」
そう言うと、女性はこれまでの経緯を説明してくれた。
「漢中……ここがそうなのか」
「はい。現在は長安から逃げてきた民と劉備軍が駐屯しています」
「そうか、それで……」
納得したように華雄は、大勢の怪我人を見る。何進軍が長安を攻めたという話は、旅の途中で耳にしていた。どうやら長安は何進に取られたようだ。
「ここなら、仕事が見つかりそうだな」
そう呟いた華雄のお腹が、盛大な音を上げる。女性が驚いたように目を剥き、やがて笑いを上げた。華雄は自分が空腹のため、倒れていたのを思い出した。
長安を落とした何進軍の先発隊は、そのままそこに留まった。おそらく本隊の到着を待つつもりなのだろう。しかし偵察も兼ねた部隊が、漢中の近くまでたびたび現れるようになったのだ。当然、劉備軍はそれを迎え撃ち、小規模ながらも戦闘が起きた。
桃香が指揮する病院の元には怪我人が大勢運び込まれ、そのうちの何人かは手の施しようもなく亡くなった。仕方がなかったとはいえ、桃香は自分の無力さを責め、一人で落ち込む事が多くなったのである。
「また、ここに居たんだね」
膝を抱える桃香に声を掛けたのは、劉協だった。
村の外れの森の中に、小川が流れている場所がある。そこにあった大きな岩の上に、桃香は座っていた。何かあると、彼女はここに来ては水が流れる様子を眺めているのだ。漢中に来てわずかだが、それが桃香の日課のようになっていた。
「劉協様……」
「いつも一人だね。仲良し義姉妹と聞いていたのに」
劉協がそう言うと、桃香は取り繕うように言葉をつないだ。
「愛紗ちゃんも鈴々ちゃんも、怪我で休んでいた分を取り戻そうとがんばってくれているんだよ。こういう時期だから、仕方がないの」
「そうかな? こういう時だからこそ、そばにいて欲しいんじゃないの?」
桃香は反論できず、言葉を詰まらせた。
「大切に思っているなら、その人が悩んでいる事に気づくんじゃないのかな? それとも、気づいていて放っておいているのかも知れないよ。誰だってさ、面倒な事は嫌だものね。桃香にとっては大事な悩みでも、他人にしてみたら些細なことかも知れないじゃない」
「そんな事……ありません」
悲しそうに、桃香は呟く。
「本当にそう思う? だって僕は、桃香が悩んでいることに気づいているからここに来ているんだ。関羽や張飛だって、気づくはずだよ。でも気づかないのだとすれば、彼女たちにとって桃香はその程度の存在ってことじゃないのかな」
「――!」
桃香は、怒りをぶつけるように劉協を睨んだ。しかしその程度では劉協は怯まない。笑みを浮かべたまま、桃香との距離を縮めていく。
「それに、兵士たちや民の多くもそうさ。彼らは自分のことしか考えていない。確かに領主は民の安全を守る義務があるが、決して万能でも無敵でもない。たった一人の人間に出来ることなど、たかが知れているさ。だからこそ、相互の理解と努力が必要なはず」
「……」
「彼らはただ、責任を押しつけているだけだ。身勝手な連中だと思わないかい?」
劉協の言葉に、桃香は耳を塞いで頭を振った。
「もう、やめてください! そんな、みんなの悪口なんか聞きたくない……」
「桃香は、本当に今のままでいいと思っているの? 君は気づくべきなんだ、人というものがどれほど穢れて、醜い心を持っているのかということをね」
「そんなことはありません。確かに間違うことはあるけれど、きっとわかり合えます。私は、そう信じている」
それはまるで、自身に言い聞かせるようでもあった。桃香は立ち上がり、劉協に頭を下げるとその場を走り去って行った。その後ろ姿を見送り、劉協はゆっくりと息を吐く。
「君は、何もわかっていない。そうやって目を背け続ける限り、何も好転することはないんだよ。僕はもう、傷つく君を見るのが嫌なんだ。だから――」
劉協は笑った。それは、見るものの背筋が凍るような冷たい笑みだ。
「僕が、教えてあげるよ。人の本性をね。彼らの醜い姿を見れば、きっと君の心も変わるはずさ」
そう言うと、劉協は桃香が座っていた大岩の下を見る。そしてそこに咲く、小さな白い花をそっと摘む。
「君の涙が、この花を咲かせたんだ」
その花の根は、強い毒性を持つものだった。乾燥し、水に溶かすと飲んだ者の呼吸器を麻痺させて、やがて死に至らしめる。
劉協はその花を嬉しそうに見つめ、そっとその場を離れた。
霞掛かったような頭が、鮮明になる時がある。それがまさに、今だった。『管理者』という特別な存在だったことが、『奴ら』の洗脳を不完全なものにしたのだろう。時折、こうして本来の意識が戻るのだ。彼はそのたびに、机の裏に気づいたことを刻んでいた。
「すでに北郷一刀は排除できないほどに、この外史に深く関わってしまった。以前であれば、彼さえ消えれば『奴ら』も排除できたのだ。しかし今となっては、システムの誤動作を起こす可能性がある。そうなれば、むしろ最悪の事態になりかねない」
彼――水鏡はブツブツと一人で呟く。
「もう時間がない。意識がある今こそ、最後の手を打つべきか……」
だが、まだわかっていない要素がある。
「そもそも、北郷一刀とは何者なのか。どの記録を調べても、北郷一刀の記述は一つしか見つからなかった。つまり彼は、外史に一度きりしか訪れていない」
だがこの外史には、今回で五回目の来訪となっている。この矛盾は何なのか。
「報告がされていない? だが、その理由は何だ?」
水鏡は腕を組み、これまでの情報から仮説を立ててみる。そして、ある一つの考えが浮かんだ。しかしその考えを振り払うように、彼は何度も首を振った。
「まさか、ありえない。だが、可能性はある……いや、大きいと言えるはずだ。玉璽の存在を忘れてはいけない。だとすれば、それが可能なのは現在の管理者――貂蝉」
昔、一度だけ会ったことがある。筋肉質の大きな体躯の男だ。自分の後任として、この外史を任された人物である。
「おそらく、北郷本人も自分の正体は知らないはずだ。ならば、管理者である貂蝉に会うべきか」
確かめなければならない。残された時間はわずかだ。管理者なら、居場所を見つけることも容易い。水鏡は、貂蝉に会うことにした。すべての真実を、知るために。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。 楽しんでもらえれば、幸いです。 |
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