Good-bye my days.第3話「”わたし”と(わたし)」 |
「信じらんなーい」
蛍光灯の光の下、淹れたてのコーヒーを飲みながら僕の話を一通り聞いた彼女は、いたずらっぽく
眉を寄せて言った。
「わたしもそのお話知ってるけど、お話は(お話)でしょ?」
ボクは言った。
「ごもっともで」
実際、ボク自身も夢を見ているのではないかと錯覚するほどなのだから。
目の前にいる舞。
チョークに描かれた絵ではなく、生身の。
ボクは彼女だけでなく、自分を納得させるためにもやってみなくてはいけない。
「舞、ちょっとそのバンダナ貸してくれる?」
彼女はそれを解くと、ボクに手渡した。
「いい?下がっててね。光に当たらないように。」
ボクはカーテンを注意深く上げると、シャッターの隙間から漏れる朝の光にそれを
かざした。と、たちまちそれは、キラキラした赤い粒子になって、今あった空間に舞った。
「!」
唖然とする彼女。
「それともう一つ。」
ボクはポケットから、琥珀色の結晶を取り出すとそばのローテーブルの上に林檎を描いた。
絵の上に光る霧がかかり、赤い林檎が出現する。
「うーん…」
彼女は頭を抱えた。
「わたし、現実主義をモットーにしているのに目の前で現実に非現実的な現象が
起きてしまうともう何がなにやら…あうー」
テーブルに突っ伏す彼女。
「…」
「舞?」
「…」
「どうしたの?」
「…おなか…すいた…」
「はい、はい」
*
「おいしー。宮本君、料理男子だったんだ!」
ご飯をほおばりながら上機嫌の、舞。
「少し落ち着いた?」
「うん、やっぱりお腹がすいてると考えがまとまらないし」
料理男子、か。中学生からずっと一人で暮らしてきたボクは必要に迫られて、
料理をしているわけで。
小学校のときに両親を事故で亡くし、親戚の家に預けられていたボクは、
やはり人の厄介になることがつらくて、一人になることにした。だから、
家事一般は一通りこなせる。
そしてもう、二度と大切な人を失いたくない。
朝食後、ボクが食器を洗っている後ろで、舞は鏡とにらめっこをしているらしい。
「六条 昭雄さん?」
「そう」
「絵が上手な人だったんだ」
「元画家だったって聞いてる」
「ふうん…」
手をぬぐい、前掛けをはずすボクに、舞は突然向き直って言った。
「ねえ、わたし…やっぱり死んじゃってるのかな…」
「えっ…」
彼女は真顔になって言った。
「わたしの記憶は山へ行く前にみんなで写真を撮ったところで終わってるの。
でも、もう一人のわたしはその後の記憶を持っているんだよね。一方の"わたし"は
(わたし)の持っていないものを持っていて、この世からいなくなって、
その代わりに(わたし)がここにる…ここにいる(わたし)はホントの"わたし"
っていえるの?」
話が混乱してる彼女。
言われてみれば、もっともな話だ。
ボクの目の前にいる舞にしてみれば、カメラのシャッターを切られた瞬間から記憶が途切れ、
気が付いたらあの公園のコンクリートの壁の前にいた。そんな感じだろう。
が、事はボクが考えていたよりも大きかった。
ボクにとっては彼女に再び会いたい一心だった。でも、彼女にとって、これは"自分"というものの
存在自体にかかわる問題だったのだ。
ボクがそう気づいたとき、突然の恐怖に彼女は捕らわれていた。
「わたし、どんな気持ちだったんだろう…死でく時、わたし、何を考えてたんだろう!」
パニックに陥る彼女。
頭を抱え、わっと泣き出す彼女をボクは抱きかかえた。
「舞!しっかり!今ここにいる舞は生きてる!生きているんだから!落ち着いて!」
彼女の方を抱きしめるボクの力は(自分)の死の瞬間の感覚から彼女をかろうじて引き戻す
ことができた。
「ほら、大丈夫。しっかりして」
腕の中で泣きじゃくる彼女の質感に、ボクは彼女の「生命」を感じていた。
*
「ごめん…わたしどうかしてた…」
やっと落ち着きを取り戻した彼女は言った。
「今、舞に大切なのは、戻ってきた命を確実にすることだよ」
「うん」
「たしか、お話では主人公は4週間、チョークで描いたものを食べ続けたら
太陽の光を浴びて絵になってしまったっていうことだったから、その逆を
やればいいんだよ」
「人の体の組織って入れ替わるの年単位だったと思ったけど…」
「そこが"魔法"なんだろうね」
その時、
ピンポーン
玄関の呼び鈴が鳴った。
「あ、お客さん」
「まずい、舞!!奥の部屋へ!」
「あ、そだ!わたしはこの世にいないはずなんだっけ!」
ドアの外から声がした。
「おはようございます」
「え?あの声…」
舞は気が付いた。
つづく
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自分がチョークで描かれた絵だったことを信じられない舞。しかし、事実を知ったとき彼女は・・・ | ||
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