心は哀しき狂える狩人
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心は哀しき狂える狩人 

 

人とは嘘に生きる歪んだ生物なのだろう。

  

巧妙な嘘を作り出す知性。

その嘘に騙されるだけの愚鈍さ。

 両者の徳目を揃えた人間を人は天才と崇拝する。

 

人は永遠という不可解な概念を編み出した。

 

それは、彼らにとっては福音だったに違いない。

それは、彼ら人間のあの短い命故に作り出された。

 それは、気まぐれな僕らの一族と人が出逢ってしまったから生まれてしまった。

 

瞬きの間に千年の月日が流れる僕らの生は彼らには永遠なのだろう。

永遠なんて存在はしないのに。

神と呼ばれる僕らは罪人なのだろうか?

 

1人のモラリストは、ある有名な提案を行った。

 それは、神の実在を信ずる事で獲得できる果実は芳醇であり、その探求は腐臭だ。

それ故に神の存在を信ぜよというものであった。

 

矛盾だらけの教会の教義への批判は絶えなかった。

その批判に対する教会側の解答は頓知であった。

それは、不合理ゆえに信じろというものであった。

 

信じることで得られる希望の果実を探求のピストルで掠め取ってはならない。

好奇心の剣を振りかざし、終には自害した民族は古代ギリシャ人であった。

エディップスを見よ!彼は自身の妻で母である女の制止を聞かず出自を探求し続けた。

 

その結果、彼はどうなった?

 

探求の両腕が無知のベールを掴み取った時に王の耳がロバであろうと一切構わない。

その視界の向こうに見えるものが断崖絶壁であったらどうだろうか?

その視界の先には闇しかなかったらどうだろうか?

 

人は現実に幻想を 幻想に現実を見る

僕も彼女もそれらを見られたらどんなに良かったことか

 

 

黒い羽をもった女が生まれた。

黒は不浄や穢れをイメージさせる。

だから、彼女は虐げられた。

 

黒は鏡、見る者の真の姿を映し出す。

黒がいつも瞳に邪悪と映るのは、黒の責任ではない。

みなが罪深いからだ。

だから、無自覚の告発者である彼女は、虐げられた。

 

ある日のこと事件が起こった。

彼女は天から地上へと落ちてしまった。

これは彼女にとっても、周囲の人々にも朗報であった。

どこの社会でも体裁は命より重い。

だから、同類の僕は彼女を探すように命令された。

 

なんと完璧な露払いであろうか、上の奴らに賛辞を贈りたくなった。

虫が迷いこめば脱出不可能の全身を覆う剛毛のジャングル。

コップを掲げる事さえ困難な四肢の蹄。

その長さが災いして僕を躓かせずにはいられない鰻の尻尾。

衣服を拒み続ける恰幅の良いガルガンチュアもとい漆黒の翼。

醜悪をこれでもかと見せつける孔雀の羽根の装飾でもある無数の眼球。

 

外見の美醜が善悪の指標であることは、洋の東西を問わない。

心の美醜が善悪を決定する話は、聞いたことがない。

この上もなく醜い僕は正に悪なのである。

悪であっても理由がなければ討伐は出来ない。

討伐の代わりが彼女の捜索であった。

彼女が残したものは、地面に落ちていた紅い髪留めだけだった。

髪留めを片手に僕は地上へ降りることにした。

 

上に生きるものにとって地上とは、人にとっての海だった。

眺めると心が弾むが、住むには向かない。

見ていると心が豊かになるが、無くても生きていくことなら出来る。

桶一杯の水に顔を沈め続ければ人が死んでしまうように、僕らは下に長居し続ければその分だけ弱ってしまう。

深海に謎が満ち溢れているように、僕らの下界への疑問もまた尽きない。

天界の覇者たる太陽でさえ掌握不可能な深海には何が隠されているのだろうか?

それは福音か? それは凶報か?

 

地上で真っ先に私は彼女を見つけた。

 

地上での付けられた彼女の名前はイブだった。

それからの彼女の名前は多岐にわたる。

パンドラ、フィロバトル、リリス、サロメ、楊貴妃、マタハリ、モルガン・・・。

これらの名前を耳にしてよい印象を受けないだろう。

ただし、1つ知って欲しいことがある。

それは、後世に伝わる歴史とは必ずしも正確に伝わらないということである。

試しに、伝言ゲームをしてみて欲しい。

数分前の情報の頼もしさにあなたは戦慄を覚えるに違いない。

節操もなく人の口から口へと渡り歩く情報は無法者なのである。

 

彼女への後世の印象は、あまりにも美しい彼女への嫉妬で歪められた奇形児なのだ。

いくら上で醜いと蔑まれても「神」は腐っても「神」だ。

いつの世でも男は彼女というウォッカに悪酔いし、正気を失ってしまったのだ。

恋は盲目だ、加えて国の舵を取る船長から視界を奪う眩い光は恨まれても仕方ない。

それでも彼女は幸せだった。

意識ある存在に誰よりも愛され、愛され続けたのだから。

上での記憶を失っていた。

それに対応してか彼女の墨色の翼もまた消失していた。

一連の幸運が手伝って彼女は意思ある存在をなんら呵責なく愛することが出来た。

 

神の世界である天においてこの幸運に彼女は恵まれただろうか?

答えは否である。

人々に傾城の美女として恨まれるかもしれない。

悪女という不名誉の誹りを未来永劫免れないかもしれない。

地上は彼女の命を縮めるだけかもしれない。

それでも、存在が罪だという烙印に耐えるのとどちらが苦痛だろうか?

自身の存在を呪い、責め続けるのとどちらが彼女の幸せに資するだろうか?

この問いに僕は彼女を見守り続けるという答えを出した。

今のままだと瞬きする間に風景が変わり続けてしまい、観察に適さない。

見守るために私は人に化けることにした。

僕らは人の形を取ることで人の時間感覚を獲得するのだ。

 

僕の決心と同時に空と地面が銀色に覆われていた。

この片手の熱に溶けて露と消えた雪のように僕は消えてしまうだろう。

数歩前の霧のようにあっけなく僕は誰の視界から無くなってしまうのだろう。

ガラスのように全身が透明になり、周囲をただ映すだけの鏡となるのだろう。

それでも、僕は彼女の笑顔を守りたかった。

それは、帰る場所のない僕の居場所にしたかっただけかもしれない。

それは、存在が罪である僕の代わりに幸せなって欲しいと言う歪んだ自己愛のせいかもしれない。

それは、なによりも自分よりも先に消えゆく彼女の存在をこの心に刻みつけたかったからかもしれない。

 

彼女を生き永らえさせるために僕がやったことは身守るではなかった。

それは苦痛だった。

それは血に塗れることだった。

それは悲鳴に鼓膜を破ることだった。

それは悪夢だった。

彼女を守るために僕は心を鬼にして彼女を殺し続けた。

人の形での迎えた死は「神」を癒す効果があったからだ。

死とは地上の否定だから効果があるのだろう。

癒しの代償は今までの記憶の喪失だった。

だから、彼女は何十、何百の名を持つ。

そして、男を惹きつけ、その男に恋し、意図とは関係なく社会を混乱に陥れる。

歴史の大河に飲み込まれる彼女をいつも殺すのは僕だった。

彼女の鮮血に身を染める度に僕の体は透明度を増し、右手に持った刃物は輝きを増す。

 

彼女を見守り続けてどのくらいの年月が経っただろうか?

彼女の顔を僕が苦痛で歪めたのは何回目だろうか?

それもこれまでのようだ。

彼女の命もこれまでのようだ。

天に連れて行けば彼女は健康を取り戻す。

ただし、彼女を歓迎する者などいない。

地上には彼女を愛する男がいる。

ここには彼女の居場所が存在する。

それでも、彼女はこの瞬きの後に息を引き取る。

後に苦しむことが分かっていても生きることが大切なのだろうか?

幸福に抱れたまま、苦痛から解放したほうがいいのだろうか?

彼女を天に連れていくべきだろうか?

このまま男と1秒でも長く過ごさせるべきだろうか?

答えは明白だろう。

なぜだろうか、見慣れた光景なのに彼女が別の男に抱きしめられる姿を直視できない。

 彼女の瞼は重く閉じられた。

もう2度と彼女は瞳を開かない。

彼女は人として生きたが、幸せだったろうか?

彼女は人として生きなかったら、本当に不幸だったろうか?

 

なぜだろうか、彼女が死ぬところなんて何度も見たのに辛くてしょうがない。

体が地面に吸い寄せられるように僕は無様に倒れた。

最後の最後になって自分ってやつは・・・。

 ここで自分は死ねたらさぞ幸せだろう。

 でも、出来ない。

 

 神を殺した存在は、その回数だけ不死身になるのだ。

 永遠よ どうか心の狩人とならないでおくれ。

 

説明
今年は環境が一変するので新しいジャンルに挑戦する。これが抱負に一昨日しました。挑戦シリーズの2弾は、ファンタジーです。
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ファンタジー ショートショート 安楽死 神学 モラリスト キリスト教 歴史 ファムファタール 

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