Good-bye my days.最終回「一つの想い」
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 収容先の病院に着いたのは、夜9時を回っていた。

 先に到着していた政則君が僕を迎える。

 舞は集中治療室に入っていた。

 

 医者の言葉を借りれば「奇跡」だという。

 

 沢へ転落し、8日間も悪天候の山の中で耐えられる体を持つ人間はまずいない。

 左上腕骨と、右大腿骨骨折のみで頭部に損傷はないとのことだ。

 

 (…!)

 

 そのとき、ボクは今朝の舞の異変を思い出していた。彼女が痛みを訴えたのはまさにその部分だったからだ。

 発見されたときは、既に意識は無く、脈も低下しており危険な状態。ヘリコプターの入れない沢から引き上げるのは困難を極めたが、救助隊の人たちは眠る彼女の表情があまりに優しく穏やかだったので、どうしても助けたいと思ったという。

 

 処置が終わり、落ち着いたため、ボクたちは特別に治療室に入れてもらった。

 ベッドの傍らに立つ。

 彼女は生死の間をさまよっている。

 微笑むような安らかな顔で。

 

 「舞…」

 

 白い椅子の上で彼女の母親は祈っていた。彼女の弟は下唇を噛みしめ、彼女が意識を取り戻すことを、胸の中でひたすら念じていた。

 二人とは、二、三言、言葉を交わせただけだった。思いは同じであることは分かっていたし、それを口に出してしまうと、感情が目からこぼれて止まらなくなりそうだった。

 

 そして、さらに。

 

 ボクの心は混乱の真ん中にいて、病院の冷たい廊下に立ちすくんでいた。

 

 ベッドの上で静かに横たわる『舞』

 

 そしてボクの部屋で帰りを待っている「舞」

 

 そのどちらもボクが想う舞に違いない。でも、既にボクにとって一方の『舞』は死んでしまっていた。では、今ボクはふたり存在している舞に…

 そのときボクは病院の周りに何人かの報道人がいることに気が付いた。

 

 「しまった!」

 

 ボクは、お母さんと政則君に「一度戻ってくる」と告げると、バイクにまたがった。携帯をかけても、彼女には「電話には出ないように」と言ってあったので。出てくれないだろう。ボクはバイクを走らせる。もしTVかなにかでこのことを知ったら…。ボク自身、この事態をどう収拾してよいか分からない。ましてや、彼女にとっては。

 

 「!」

 

 バイクのエンジンが止まる。ガソリンタンクがEMPTYを指している。

 「しまった!」

 

 急いで携帯で最寄のスタンドを探す。少し後戻りをしなければならない。この時間にあいていてくれるスタンドは少ないだろうが、行くしかない。

 タンクのコックをリザーブにしてエンジンを掛けなおし、走り出す。

 

 ボクが部屋に着いたのは午前2時を回っていた。

 

 部屋の鍵を開ける。

 

 「舞!」

 

 いない。

 リビングのテレビのリモコンがいつものところに無い。彼女は知ってしまったのだ。

 玄関に出る。やはり彼女の靴が無い。

 また、パニックを起こしてしまったのかもしれない。

 そう考えると、焦りは緊張に変わる。

 

 夜明けにまではまだ少し時間がある。

 ボクは部屋を飛び出した。

 

 ボクは走った。

 彼女の姿を求めて。

 

 はあ はあ

 

 気ばかりが焦る。日の出まであと数時間。それまでに彼女を見つけて連れ戻さないと、彼女は赤い粉と消えてしまう。

 

 肩で息をするボクの頭の中に、ここ数日間の楽しかった思い出がかけめぐる。

 

 ベッドの上で顔を真っ赤にしていた舞。

 ふざけて怪しい下着をヒラヒラさせて笑ってた舞。

 「朝はお米!」と力説していた舞。

 自分の経験したことを手振り身振りで一生懸命話してくれた舞。

 

 (いったい何処へ行ったんだ!)

 

 ボクは舞と始めて会った海浜公園の入り口の前で肩を落とし、荒い呼吸をする。

 

 (もしかすると…!)

 

  ボクはあの公園へ向かった。そう、「舞」が表れ出たあのコンクリートの壁のある公園へ。

 

 水銀灯の照らす中、小柄な女性の影がそこにあった。あの壁のところに。それは、壁から出てきたときの服装の舞だった。

 

 「舞!!」

 

 息を切らし彼女に駆け寄る、ボク。

 

 「宮本君…」

 「戻るんだ!舞!早くしないと太陽が…」

 「宮本君、行っていたんでしょ?もう一人の『わたし』のところへ」

 (!)

 ボクは言葉をなくした。

 「ほんとはね、「わたし」のところに戻ってきてくれて。すごく嬉しいんだ。でも、ホントはもう一人の『わたし』のところにいて欲しかった…」

 「舞…」

 「だって、本当に宮本君を必要としているのは、今、病院で眠っている『わたし』だもの。もし「わたし」が『わたし』ならそばにいて欲しいと思う」

 

 「でも、舞…」

 舞はボクの言葉をさえぎった。

 「宮本君は生死をさまよっている『わたし』と、命を本物にしようとしている「わたし」とどちらか一方を選べる?」

 

 ボクはうなだれた。

 ボクはいったいなんて残酷なことをしたんだろう。

 自分の心の痛みを埋めるため、もう一人の舞を呼び出してしまうなんて、なんて自己中心的なことをしたんだろう。

 六条さんはチョークを「欲の結晶」と言ったけれど、本当にそうだったのではないだろうか。

 

 「ごめんね。「わたし」がいるために宮本君の想いが2つに分かれちゃってる。でも、『わたし』も「わたし」も、同じ『「沢渡 舞」』なの。時間の流れの中で記憶に少し違いが出ただけ。」

 

 舞は歩き出すとベンチに座り、ぽんぽん、と叩いた。

 「ねえ、ここに座って。もう少し宮本君に伝えたいことがあるの」

 

 ぼくは促されるまま、彼女の隣に腰をかけた。

 「いい?「わたし」がこれから話すことは、今、ベッドで寝ている『わたし』も話したかったことなの。ベッドの横に座っているつもりで聞いてね」

 

 舞はそう言い出すと話し始めた。

 内容は時間的に言えば今朝話したことの続きにあたった。

 

 最初にボクに会ったとき、怖そうに見えて、すごく緊張したこと。

 

 弟に「おせっかい」といわれて喧嘩したこと。

 

 弟が公園にラジコンで遊びに行くときこっそり付いていって、ボクと政則君の二人の様子をこっそり見ていたこと。そしてボクの笑顔にドキドキしたこと。

 

 初めてラブレターを書こうと決意して、何回も書き直し、3年越しになってしまったこと。

 

 告白する前の日はぜんぜん眠れず、目が赤くてどうしようと焦ったこと。

 

 受け取ってもらった日も、嬉しくてぜんぜん眠れず、次の日の授業はほとんど寝ていたこと。

 

 デートに誘うのはいつも自分なので、自分がどう思われているのか、とても不安だったこと。

 

 彼女は自分の心の中を隠し立てすることなく話して聞かせてくれた。

 そして、ボクはずいぶんと冷たい恋人だったことを思い知らされた。

 

 ボクは言った。

 「至らない恋人で、ゴメン。ほんとうに…」

 「いいの」

 舞は言った。

 「そういうところ、全部まとめて、宮本君のこと、好きになったんだから…」

 

 舞はいきなりボクに抱きついてきた。

 気が付くと、東の空が白んできていた。

 

 彼女はボクの胸に顔をうずめた。

 「『わたし』のそばに行く前に、もう少しだけ「わたし」のそばにいて。もうすぐ夜明けだから…ほんとの事言うと、すごく、怖いの…」

 

 優しい彼女の匂い。

 ボクは彼女を抱きしめた。彼女の肩は細くて、折れそうなほど華奢だった。

 

 「とうとう「わたし」、本物のお日様を見ることが出来なかったのね…」

 「舞…」

 

 「さよなら…わたしの…昼間。わたしの大好きな宮本君…」

 

 雲間から今日の新しい日の光が差した。

 彼女の質感がふっ、と消える。

 

 赤い光の粒がきらめき、虹を作る。

 僕を優しく包んで、渦を巻く。

 

 朝の風に舞い、琥珀色のきらめきは空に向かって登っていった。そして、

 

そのいくつかが、ボクの涙の跡に残った。

 

 「舞…」

 

 膝の上に彼女のバンダナだけが残った。

 

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 ボクは部屋に戻った。

 きれいに片付けられた部屋。

 

 ボクは膝を抱え、クッションの上にすわり込んだ。

 

 「ボクは…」

 

 舞を失ってしまった悲しみと、自分が彼女にどんな思いをさせていたか、そしてチョークで舞を呼び出したことがいかに自己中心的行為であったか気づいたショックで、ボクはすっかり生気を失っていた。

 バイクを運転し続け、ほとんど眠っていなかったせいで、ボクは泣きながらウトウトしていた。

 

 ふと、男の声で、ボクの意識が戻る。

 目覚ましラジオが、ニュースを流し始めた。

 

 ”***岳で行方不明になっていた***大学山岳部の佐渡舞さんが昨日捜索隊により発見され…”

 

 ボクはふと我に帰った。

 

 そう。舞はいなくなってはいないのだ。

 

−「本当に宮本君を必要としているのは、今、病院で眠っている『わたし』だもの。もし「わたし」が『わたし』ならそばにいて欲しいと思う」−

 

 ボクは彼女の言葉を思いだした。

 服に染みていた彼女の残り香が、胸を締め付ける。

 

 ボクは部屋を飛び出すと、バイクのエンジンをエンジンを始動させた。

 

 

                 *

 

 

 病院についたボクは迎えたのは弟の政則君だった。

 

 「宮本さん!姉ちゃんが!」

 「舞がどうかしたの?!!」

 「姉ちゃんが意識を取り戻したんです!」

 「いつ?!」

 「明け方です。脈も、呼吸も正常に戻って」

 

 一般病室に移された舞は駆けつけたボクを認めて微笑んだ。

 

 「舞!」

 

 ボクは目からこぼれるものを拭うのも忘れて、ベッドに駆け寄った。

 

 「宮本君…」

 「舞!…よかった…」

 「あのね…宮本君、わたしすごく長い夢を見てたの。わたしがね…チョークで描かれた絵だったの。公園の壁から出てきたところでね…宮本君が…」

 

 ボクは彼女の口に指を立て話をやめさせた。

 「舞、大切な夢は誰かに話すとなくなっちゃうよ…」

 舞はうなづくと、涙をこぼした。

 

 ボクは彼女の頬に伝うしずくを拭った。

 

 「おかえり、舞」

 「ただいま、宮本君」

 

 彼女の涙に、ちいさく琥珀色の光がきらめいた。

 

 

                 おわり

 

 

 

 

 

「魔法のチョーク」作者 故 安部公房氏に リスペクトを。

     読者の方々に 感謝を。

説明
遭難していた『舞』が救出された。混乱する青年の想い。そして、もう一人の「舞」は…
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