トゥングスワ=ルフツビ その2
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06

 広い庭園を望む和室で、積まれた月刊『少年モダン』を読み漁る一行。特に釜田が興奮している。

それを、デジタルカメラで撮っている将又。

 『トゥングスワ=ルフツビ』を終わりまで読んで、大きく溜息をついた辰野。

「そうそう、こうだった…」と屋久杉の大テーブルの向こうであぐらをかき、夢中になっている一行をニヤニヤ見ている白髪の老人、間際崇と視線を合わせる。老人だが背筋は伸びている。

「…ソラヤマ先生はすごい人でしたよ。当時の『モダン』は薄給で、若かった僕は入社を悔やんだほどでした。ところが原稿を取りに行った時などに先生の漫画を描く姿を見ると、あまりの熱気に、自分は今、歴史的傑作が生み出される瞬間に立ち会ってるんだと感じて、我が志を改めたもんでした。…一方で先生にはそんな感動と同時に、漫画家という人種と付き合う難しさも教えられましたな」

「それは?」

「平たく言うと、ウチの女社員と逃げたんですわ」

「えっ?」

「雨神沙絵子は田舎の大きい屋敷の娘でして、『モダン』には親戚のツテで入りましたんです。

なんにも分かっとらんお嬢ちゃんが来なさったわと思ってたら、これが意外と芯の通った根性のある奴でした。編集部内でひと月ほどでやめる方に賭けて、大損しましたよ。

 性格はきわめて真面目、傲慢で卑屈な漫画家の話す事を最後まで聞いて、必要であれば、最小限の助言をしていました。後から聞けば、多くの漫画家が『彼女に救われた』と言っておりました。

 彼女にいわせれば『彼らが語る時の内容にすでに答えが含まれていて、それをこちらが探してオウムのように返しているだけなのだ』とか。人の事をよく知っている娘でしたよ。

 荒くれ者で有名な白滝富士山からもしっかり原稿を貰ってきた時は、流石に裸踊りのひとつでもさせられたのかと思いましたが、なんとあの先生相手に説教をかまして仕事机の前に正座させたっちゅうんですから、私ら慌てて菓子折り持って走りました。もっともそれから暫く白滝作品は箸にも棒にもかからないほど真面目で分別臭くて詰まらなくなりましたがね。

 彼女は本当に面白い娘でね、人がそこに居るということは何かの役割が有るから居るのだなどと変わった事を考えている奴だったんですよ。それを『運命』という言葉では括られたくないとも言ってたかな」

間際老人はそういいながらニヤニヤ笑い出した。

「その雨神さんがソラヤマリンと出会ったのは?」

「当時、僕がストレスで胃をやられましてね、入院している間だけソラヤマリンの担当を彼女に変わってもらったのです」

見舞に寄ってくれた時の彼女の様子の変わりようは、面白かったなぁ。

『どうだい、ソラヤマリンは?凄いだろ。』って聞いたら

『ええ凄いですね。漫画家というより芸術家に近いですね。逃げ場が無いところまで自分を追い込んでから描きだすなんて、先輩が気を病むのも仕方がないですね。』ってね。

 事実それが入院の原因でして、あの頃先生の執筆を見ている僕が気が気でないので、無理矢理二人アシスタントを付けたんです。

 先生は、一人でも描けるといいましたが結局僕の顔を立ててくれたのか、簡単な手間仕事のみをアシスタント達にまわしてました。

 栗川君と佐久治君、アシスタント二人ともプロの卵でね、あなた、佐久治さんと言いましたね、彼はあなたの親戚か何かですか?」

「叔父です」

「そうですか。彼は模写が上手かった。いろんな作家のタッチを掴む天才でしたよ。

だからこそソラヤマリンの元でワクやベタのみ手伝っている事が我慢出来なかったようでね。

そこに女の雨神が来たもんだから、佐久治君は格好付けようと必死になってたな。アシの立場でソラヤマの構図に執拗に楯突いて、とうとうお役御免となりました。

 それを機に雨神は、佐久治くんを切るだけでなく勝手にもう一人の栗川君まで切って始めの状態にもどしたんですよ。ソラヤマに作品と一対一で対決させようとしたんです。

 構想を練るといって、一日中散歩したり、はたまた、一日中机の前に座っていたり。適当に放っておけば良いものの、時間があれば同行して、当然彼女自身も、私同様気を病んでましたな。

 

『お前、一体何をしてるんだ?この前来てくれた白滝先生が、雨神が変だと心配していたぞ』

『…鬼が、鬼が走るのを待っているのです。残酷かもしれないけど、私はそれが見たい…』

 

彼女はソラヤマ作品を生み出すのを手伝う産婆であり、ソラヤマリンを守る母親、あるいは彼を地獄の底に陥れる悪魔であったのかもしれませんな。」

 

 しかし残念ながら作品の完成を妨げる出来事が、予想外にも彼女側から持ち上がりました。田舎から雨神の婚約者という男がやって来たのです。男の仕事で長期の海外出張が決まり、結婚を早めて彼女を赴任先につれて行くつもりだったようです。

婚約者は先ずモダンの編集部までやって来まして、彼女の居所を聞き出そうとしたそうです。

ところが男の態度が、漫画雑誌出版を見下すようなかんじだったようで、応対した編集長がヘソ曲げましてね。今原稿を作家宅に取りに行ってるからと、答えて彼女の担当外の漫画家の名を言いました。

男は雨神を直ぐにでも連れ帰りたいようで、作家の住所を聞き出すと、ドアを蹴るようにして出て行ったそうです。

編集長がソラヤマ宅に電話をかけると、あの何事にも物怖じしない雨神の声の様子が急に変わったので聴いたんです。

 

『お前あの男の所へ行くのが嫌なんだな』

『ええ、男も、あの家も』

『そうか』

 

男が行った先の作家は、予め編集長から連絡を受けており、雨神さんなら次の作家のところへ行っちゃったと言わせて、そのままぐるぐると漫画家巡りをさせたそうです。途中で僕の病室まで来たのは可笑しかったな。お終いに辿り着いたのが白滝先生のところで後はお決まりの濁酒まみれのドンチャン騒ぎですわ。

 その間にソラヤマの方にも連絡を回しましたところ、彼は一言『分かった』と言って、電話を切りました。

 

 それ以後、二人とは会っていません。何度か婚約者が雇ったとみえる探偵がやって来ましたが、こちらにも全く情報がない。最後にはその探偵と編集長が飲み友達になって聞いた所によると、あの後婚約者と何処かの旅館の女中との間に赤子が出来、旅館の親父に怒鳴り込まれて慌ててその娘を娶ったとか。実はもともと旅館の親父と娘が出来ていて、テイの良い追い払いだったのも、男が渡航した後に発覚したり。雨神が言うようにあまり素行の宜しくない男だったようで。

そう言った訳で、それ以降の二人の行方は分からずじまいですな。

 

 あの年の忘年会は、盛り上がったな。主役二人が居なくとも雑誌に関わる者全員が結束したという感じでした。何故か二月号に作家と編集部総ぞろいの写真が載っているでしょう。忘年会の時に撮ったんです。誰かが団扇にソラヤマと雨神の似顔絵を描いて全員集合ですわ。

私が思うに雨神という女性は、漫画家達にとって神託を授け正しい方に導く大切な村の巫女のような存在であったのだと思うんですよ」

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一同はマンガを読み終わり、間際の話を聞いていた。

「待ってくださいソラヤマが消えた時、『トゥングスワ=ルフツビ』は、まだ連載中だったのでしょう?」

「ええ。勿論描き貯めもなく、あとの二回分は佐久治君に描いてもらったんです」

「?」

「そら、繋がった!あの無理矢理エンドは他の人が描いたからだったんだ」

「待って、待って」

額の絵を取り出す。

「これを見てください」

間際、これは...と言いながら絵を眺め

「『トゥングスワ=ルフツビ』の最終回冒頭ですな。ソラヤマ自身の絵です」

「何故分かるのですか?佐久治が真似した絵ではないのですか?」

「ソラヤマ自身から聞いたんですが、彼はどのページにも自分のサインをこっそり書き込んでいるんですよ。書いてその上に線を足して消している。印刷されたらまず分からない。

私は原稿を待っている間、暇つぶしにサイン探しをしたもんです。この絵もほらここの部分を斜めにしてペン跡に光を当てると…」

「ああ雲と波かな...そうか『空(ソラ)や海(マリン)』だ!

 

「これは、佐久治さん、あなたが持っていたのですか?」

「はい」

「そうか…彼には悪い事をしました。ソラヤマが消えた後、『トゥングスワ=ルフツビ』の続きを佐久治君に描いてもらうように進言したのは、僕なんです。

『トゥングスワ=ルフツビ』は、あと二回分残っていた。しかし、ソラヤマが残したのは、最終回のこの一枚だけでした。代筆とはいえはじめて連載を任された佐久治は、『トゥングスワ=ルフツビ』を締める構想を練ったのですが、その中ではこの一枚がどうしても浮いてくる。やむなく抜いて二回分を仕上げたのです。」

「しかし、あんなに敵視していたソラヤマの絵を何故持っていたのだろう?あなた、今度彼に聞いておいてくれますか?」

「あ、昨年亡くなりました」

「そうか、それは失礼を言いました。うーん、栗川君ならそこら辺の事情を知ってるかもしれないな」

「もう一人のアシスタントの栗川さんを知っているのですか?」

「彼なら毎年年賀状をくれますよ。そうだな、彼を訪ねてみるといい」

間際老人が一同を見回して「ひとつの漫画を訪ねる巡礼の旅か…」

「なんとなくそんな感じになっちゃってますな」

「この後一行は、まだ用事があるのかな?」

「いやー、行き当たりばったりで行動した一日でして」

「では、今晩ここで皆さんを夜食に誘ってはいけませんかね?面白い飲み会があるんですよ」

一同は、とまどいながらも喜んだ。

「しかし、僕らが同席してお相手が気分を害されませんかね?」

「それこそ本日の奇跡と言いますか、巡り合わせの妙と言いますか....」

そこへ、玄関先から、ダミな大声

「来たぞー!間際ー!」

 

07

 

間際家の庭に出てきたほろ酔い加減の辰野と将又。

 

「まさか漫画界の生きる伝説、白滝富士山と盃を酌み交わせるとは思わなかったな」

作風から想像していたのと違って、先生とてもやさしかったですね。

あの人の酒は、人を不快にさせない楽しい酒なんだよ。

 

「幻の漫画は、幸運な事に全て読めました。しかしまだ、辰野先生が作家になったというきっかけがこの漫画の何だったのかわかりません。先生、教えて下さい」

「それはね、さっき言ったように、最終2話が原因なのさ。

子供の頃の僕はあの終わり方に違和感を覚えて、自分だったらどうするだろうって考えはじめたんだ。漫画とソラヤマリン直筆の魔法使いの絵を前にしてね。作品の中の出来事と、解かれず仕舞いになった幾つかの謎をノートに書き出したんだ。六つほどのパターンでラストを書いてみて、友達にみせたんだが、マイナーな漫画の続きを文章でなんて、誰もよんでくれなかったよ。それで馬鹿らしくなってやめちゃったんだけど。あの時物語を考えるってなんて面白いんだろうって思ったんだ」

「なるほど」

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幻の漫画を追う物語です。
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