無思考【花柳剣士伝/大倫】 |
真っ昼間の市中通りを、二人分の足音が駆け抜ける。
大石鍬次郎は目を細め、自身の前を懸命にひた走る男の背を眺めていた。
「たっ…………ひ、ふぅ……た、すけ…………っ」
風を切る音に紛れて微かに聞こえる声に、笑みを浮かべる。
――男の望みは聞き届けられない。
決して少ないわけではない通行人は、皆、道の端へ寄り、遠巻きに駆け抜ける二人の様子を伺っていた。
集まる視線。畏怖と、恐怖と、非難と。
気にすべき事は何もなかった。そんな事よりも、今、自分の身近に死が迫っているという事実が、大石の神経を高ぶらせていた。
目を細め、近付いている死の気配に酔う。心が逸り、比例するように足が速くなっていく。
早く「それ」を愉しみたい。そう思う半面、もうすぐ手に入るかもしれないというこの昂揚感を、しばらく愉しみたくもあった。
その相反する感情すらをも愉しみ、大石はただ走る。
「あ……っ! ぐっ…………」
気が急き過ぎたのだろう。自分の足に躓いて体勢を崩した男に、周囲で見ていた者達が息を飲んだ。
振り返る男の絶望の顔。距離が一気に縮まる。あと、四歩。
それでも、恐怖に身を固めた男は、刀を抜こうともしなかった。
多少興が削がれ、恍惚した心が冷めるのを感じ、しかし大石は――或いは、だからこそ、だろうか――目の前の死を愉しむ事を優先した。
愛刀に手をかけ、踏み込む。黒き影が男を襲う。
人々が目を背ける気配を感じた。いくつかの場所で小さな悲鳴が上がり、男の最期の顔が歪む。
人が死ぬ。今、目の前で。
「――っ、止めて下さい! 大石さん!」
その瞬間、耳は確かにその叫びを捕らえた。
ひたり、ひたりと刀から血の滴るのを眺め、大石はその、一瞬で駆け抜けていった死の気配を反芻していた。
終わってしまえば、間違っても特別愉しめるようなものではなかったが。
静まり返った辺り一帯の視線を浴び、しかしそれらを全く気にする風も無く、大石は振り返る。
右後方、あの悦びの瞬間に聞こえた声の方へ。
そこに、声の主は立っていた。
「倫」
かなり離れているにも関わらず、大石の口の動きから、倫は名前を呼ばれた事に気付いたらしかった。僅かに表情が変化したのが――やはり離れているにも関わらず、見える。
気分が良かった。男を斬る事が出来たことに加え、倫にその現場を見せる事が出来たことが、大石の気分を昂揚させた。
「大石! …………斬ったのか」
新選組の「お仲間」が追い付いてくる。事を伺っていた通行人達は、慌ててその場を離れだした。関わりたくないと言うように、誰もが目を背け去っていく。
大石は首を戻し、説明を求める上司の元へ歩き出した。
背中に突き刺さるただ一つ残った視線が、心地良かった。
説明 | ||
大昔に書いたものがHQS(発掘されたので。)その2。 約1095文字。 いつか真面目に書いてみたいですね、この二人は。 |
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幕末恋華 花柳剣士伝 大石鍬次郎 志月倫 大倫 | ||
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