とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第一章 脳髄盗取:三 |
廷兼朗は意を決して、自身の仮説を披露することにした。
「例えば、先ほどの話に出ていた洗脳や薬物によって、食人欲求のようなものが刺激され、このような行為に至ったとは考えられないでしょうか?」
「カニバリズムの発現か。面白い説だね?」
「そうでもなければ、何故脳だけが抜き取られたのか、説明がつかないと思うんです」
食人欲求、あるいはカニバリズムとは、人が人を食すことを表わす。特定の文化を持った社会では、対象の肉を食すことで特別な力が得られると言う信仰があり、例えばアフリカの先住民の間では、勇者の肉を食べた者は勇者になれると信じられ、勇猛さを誇った人間の肉を食べるという祭祀が行われていた。中国でも、漢方でいう同種同食、病気になった部分と同じ部分を食すことによって病気を治すと言う、治療行為としての食人も行われる場合があった。
カニバリズムは文化的社会的意味を持つ場合もあれば、山や海で遭難し、必要に迫られて行うもの、特殊なフェティシズムを持つ人間による殺人行為に付随して見られるものなど、さまざまなケースが存在する。
能力者の脳組織。それはある意味、超能力の発現しない者にとって憧れである。どうなってるのか、自分と何処が違うのか、といった嫉妬じみた欲求が、カニバリズムとして発露する場合があるのではないかと、廷兼郎は考えていた。勿論これは、低位能力者と高位能力者の場合にも当てはまるだろう。
廷兼郎自身、能力者に羨望の眼差しを向けている無能力者《レベル0》だからこそ、こうした意見が頭をよぎった。
「ちょっと待ってくれ。少し、思い当たる節があるんだね?」
廷兼郎の推測に刺激されたのか、医師は席を立って棚にある資料を探り始めた。
「確か、数年前に禁止された薬に、似たような副作用があるという研究結果が発表されたような……」
「本当ですか!!」
「ああ、これだ。見たまえ」
医師がすぐに見つけてくれた資料に、廷兼朗は食い入るように顔を向けた。
「服用者には共通して、他人に噛みつき、千切った肉片を好んで食すなどの行動が見られ、気性は極めて獰猛となる……」
文章を指でなぞりながら復唱する。カニバリズムの発露と言えなくもない現象だ。
「脳、というわけではないが、その薬を服用した患者は非常に獰猛となり、嗜好が変化して、人間の肉を食べたがる傾向が見られたというんだ。これは危険だとの判断がなされ、五年前に禁止されたんだよ。望み薄かもしれないが、調べてみる価値はあるんじゃないかな?」
「はい。幾ら能力が上がるとはいえ、こんな薬の服用は御免被りますな。その薬品を扱っていた病院などは、分かりますか?」
「輪館《わかん》薬科研究所、と言う所が研究していたようだね。これが住所と電話番号だよね?」
「いや、僕に聞かれても……」
件の研究所の住所と電話番号を書いたメモを受け取り、廷兼郎は深く頭を下げた。
「早速調べてみます。貴重なご意見、ありがとうございました」
「また聞きたいことが出来たら、いつでも来たまえ」
「はい、そうさせていただきます」
丁寧に資料室から辞した廷件郎は、廊下を駆け足で進みながら、『脳髄盗取《ブレインスティール》』事件特別捜査本部である風紀委員活動第一七七支部にいる初春へ連絡を取った。
「本部長、何してるんですか? こっちは大変なんですよ」
「何か進展があったんですね」
「いいえ、そうじゃないんです。身辺捜査の進み具合が芳しくなくって。被害者が死んだことを、風紀委員からの聞き取りで始めて知るケースばかりで、聞き取りどころではないんですよ」
思えば、そうした対応は警備員《アンチスキル》の担当だった。にわか捜査本部の風紀委員《ジャッジメント》では対応しきれないのも無理はない。
「今は何とか落ち着いて、話をしてくれる人がちらほら出てきてますが、やっぱり一支部だけでは手が足りませんよ。現場の管理には三人ほどの警備員が残ってくれまして、余った人員を身辺捜査に回してるんです。字緒さんも聞き取りに向かってください」
「それなんですが、医師の先生から貴重な意見を頂きまして……」
廷兼郎は言葉を選びながら、先ほど医師と話した内容を初春に伝えた。
「つまり、この事件は能力者の脳を食べたがってる人の犯行で、その人は禁止された薬を服用している可能性がある」
「はい。その薬品を扱っていた輪館《わかん》薬科研究という所に、これから向かおうと思うんです」
「え? 輪館、薬科研究所、って言いました?」
「ええ。輪っかに館で、輪館と言うそうですが、それが何か?」
「あのですね、この事件の捜査をする前に、研究所から患者が脱走したって事件、あったじゃないですか」
「はい。その患者を探してて、遭遇しましたからね」
「その患者さん、安治波甲佐《あじなみこうさ》さんが治療を受けていたのは、輪館薬科研究所なんです」
「……おやまあ」
奇妙な符合に、どう反応すれば良いのか、廷兼郎は分からずにいた。
「これでその安治並何とかが犯人だったら、僕の警備員に対する不信感はストップ高ですな」
「まあ、そんなうまいことにはならないと思いますけど。でもそうすると、患者の捜索で忙しくて対応してもらえないかも」
「いやむしろ、安治並とやらの捜索の件でなら、対応してもらえるんじゃないですか。僕らはともかく、他の風紀委員は彼の捜索に当たっているわけですから」
他の風紀委員と聞いて、初春が何か思いついたのが、廷兼郎には電話越しでも分かった。
「それは変装ですか? 変装ですね! 他の風紀委員に変装して、一人で敵地に潜入しちゃうんですね!」
「潜入ではないし、敵地でもないと思いますが……」
「分かりました。そういうことなら仕方ありません。単独での作戦行動を承認します! これから字緒さんは、統括本部長兼潜入工作員なのです!!」
もはや何をする人か全く分からなくなってしまったが、ともあれ行動が認められたようなので、廷兼郎は一安心だった。
「それじゃ僕はこのことを調べてみますので、何か分かったら連絡します」
「あ、待って! コードネームはやっぱりスネ??」
通話を切り様、何か不穏な単語が聞こえた気もするが努めて無視し、廷兼郎は第二学区へ向かうバス停へと急いだ。
結論から言えば、門前払いを食らった。
「こちらも患者の捜索で忙しい。情報は全て警備員《アンチスキル》のほうに渡してあるので、そちらに問い合わせてほしい」
変装してどうなる問題ではなかった。支部を偽って窓口で問い合わせると、定例句のような対応を受けた。五年前に禁止された薬剤についても、「今は忙しくてそれどころではない」と突っぱねられた。
「取り付く島もないとは、このことですな」
この線は完全に行き詰った。世の中そう優しく出来てはいないと言うことだろうか。またも世の無情に打ちひしがれていると、よく知っている声が聞こえてきた。
「何しとるんだ? こんなところで」
「網丘さんこそ、何でここに?」
網丘は廷兼郎の横に座り、自作のスポーツドリンクを飲み始めた。
「大学時代に心理学を学んだ教授の依頼で、脱走した患者の逃走ルートの割り出しを行うチームに配属させられたんだ」
CIAとかFBIが行うプロファイリングのようなものか、と廷兼郎は納得した。
「それで、見つかりそうですか?」
「全然。情報が足りなくてね。それで掴まらないから、警備員や風紀委員《ジャッジメント》を動員して大げさにローラー敷いてんのよ」
「へえ。そういう事情もあったのか」
「それで、廷兼朗は?」
「実はですね??」
廷兼朗はこれまでの事件の経緯を、丁寧に説明した。学園都市において研究者として働いている人間の意見を、ぜひ聞いてみたかった。
「ふうん。そういうこともあるんだ」
「いや、普通は無いですよ。病院の先生もそう言ってたし」
「その五年前の薬とやら、私のほうで調べておこう」
「いいんですか!?」
貴重な示唆はもらえなかったが、それよりも重要な仕事を請けてくれたので、廷兼郎は網丘の手を握って喜んだ。
「ああ。どうせ今から、もっと情報を寄越せって、チームでせっつきに行くところだったんだ。ものはついでさ。あの中、荒らしまくってやるよ」
相当腹に据えかねているのか、持っているペットボトルをぐしゃぐしゃに握り潰して、網丘は笑っていた。
訓練施設の所長にして、古今東西あらゆる格闘技を収集・研究し、対能力者戦闘術の開発研究を目的とする『対抗手段《カウンターメジャー》』計画の創始者でもある網丘楊漣《あみおかようれん》が、歯を剥いて輪館薬科研究所をにらみつけていた。彼女自身は格闘技の類は身に付けておらず、身体能力も平均的な女性のそれだが、廷兼郎は彼女と戦うことだけは避けたいと考えていた。
これだけ網丘が本気になっているのなら、自分が横からどうこう言うことは何も無い。もう一度、薬の調査を依頼して頭を下げ、その場を後にしようとした時、携帯端末に連絡が来た。
「はい、字緒でございます」
「廷兼さん、一体何をしてらっしゃいますの?」
「白井さんですか。何といわれましても、僕なりに捜査をしていたんですが」
「初春に聞いたら、潜入捜査がどうだの特殊工作員がどうだのと言ってましたわよ。全く、警備員より早く事件を解決するという意気込みはどうしましたの。遊んでる場合じゃございませんのよ」
あのハイテンションなオペレーターがどのように説明したのか、廷兼朗はまぶたの裏に浮かぶようだった。
「それで、今何処ですの?」
「第二学区の輪館薬科研究所です。これからバスに乗って第七学区に向かいますよ」
「いいえ。結構ですの」
廷兼郎が疑問の声を上げる間もなく、後ろから肩を叩かれた。
「今度は驚きませんのね」
「何となく予想できてたんで」
「それでは、調査に向かいますわよ」
「バス代が浮いて嬉しいなあ」
今度は所持品を欠損することなく、廷兼郎は空間移動《テレポート》させてもらった。
説明 | ||
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。 総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。 男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。 科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる |
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