Cocktail Kingdom 一章
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Cocktail Kingdom

 

 

 

 真の王とは、玉座から一歩も立ち上がらない銅像ではない。

 時には自ら剣を取り平原を駆け。

 時には町に出て民衆と触れ合い。

 時には愛する女性と愛を語らい。

 そして、我が国をより豊かで幸福に満ち溢れたものにしようと、尽力する者にのみ与えられる栄誉ある称号。それが王である。

 しかし、私は未だにそのような高潔の王ではない。

 ゆえに、私には多くの者の助けが必要である。

 そして、私には実際に私を慕ってくれる国民がいる。これ以上の幸福があろうか。

 

    ――初代テューダ王国国王 アルフォレイオス・テューダ一世

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一章 赤竜の王国

 

 

 

 とある世界のとある大陸のとある場所。そこに一つの王国があった。

 国の名をテューダ王国。その由来は国王の姓であるという、実にシンプルで覚えやすいものだ。

 現在、国民は三百人ほど。その小規模であることから、当然ながら国土は小さく、城とその城下町、それもかなり質素なものしかこの国には存在していない。

 騎士団は現在、四人の正騎士に、五十前後の志願兵を抱えている。国民の二割が武力を有していると言えば、かなり精強な国に思えるが、それは国民が多ければの話だ。この国の呼称に最も相応しいのはやはり、弱小国家でしかない。

 だが、何も理由もなくこの国が小さく弱い訳ではない。なんと建国からは一ヶ月と経過しておらず、以前この地にあった国は完全に崩壊。一人残らず国民はいなくなった。更地から小さいながらも城と町を作ったのだと言えば、かなり見方は変わってくることだろう。

 さて、現在この国の王城では、若き王と若き宰相が会議風のものをしている。あくまで会議“風”のものを。

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「王。一週間の報告を申し上げます。こほん、新たに受け入れた国民は三十三人。いずれも南の寒村から来た農夫達です。現在、彼等の家は七割方完成し、資金は潤沢です。また、畑も順調に整えられて来ており、夏には農作を始められるであろう、とのことです。

 また、騎士団は新たに二人の兵士を迎え入れました。いずれも傭兵経験者であり、即戦力たり得る能力を持っています。現在はテオドール様が指導をして下さっており、その後に正式に兵として迎え入れることとなっています。

 ――何かご質問は?」

「ああ、プリシラ。一つ良いか?」

「はい。なんでしょうか」

「率直に訊くが、お前今、どれぐらい胸があるんだ?ベルは鎧で隠れているが、あれだけ鎧が丸みを帯びているということは、それなりのサイズはあるはずなんだ。それに対し、お前はまだ体のラインのわかりやすい服を着ている。その感じだと、やはり相当な質量がありそうで……」

「殴りますよ。グーで」

「安心しろ。ご褒美だ」

「燃やし尽くします」

「それは、ちょっと勘弁願う」

「では、二度とくだらない質問はされないように」

 玉座で宰相の報告を聞く王の名は、アルフォレイオス・テューダ。二十四歳の若さにして、この新興の王国を支配する身分にある。元々は遠方の大国の王子であったが、訳あって今はこの辺境の地で王をすることとなった。

 未だに少年の面影を残す、しかし爽やかで嫌みのない端正な顔立ちに、金色のやや癖のある髪の毛。瞳の色は若い生命力を宿す赤色。緋のマントに、上質の服を身にまとってはいるが、マントは床に付くほどの長さではなく、服も比較的動きやすいものが採用されている。帯剣もしており、活動的な王だということは一目見てわかることだろう。

 事実として、幼少期から剣術を習っていたために、その腕は騎士にも匹敵すると言われる。尤も、現在は美少女である宰相に色目を使っており、およそ勇猛果敢な騎士王の風格など存在しないが。

 一方、その宰相だが、名前はプリシラ・ウェールズ。弱冠十八歳にして宮廷魔術師の長に任命され、元は平民の身分でありながら、名誉騎士として王宮騎士と同等以上の扱いを受けていた。また、魔術だけではなくあらゆる学問、芸術、その他に精通し、天才の名を欲しいがままにする才女である。

 しかし、決して己の才能に驕ることなく国のために尽くす厚い忠義の持ち主であり、赤い長髪は燃え上がる忠誠の心にたとえられる。瞳の色は暗い青色。学問所の制服を自分なりにアレンジした学士風の服を身にまとい、王の見立ての通り、細身にも関わらずその胸元は豊かに膨らんでいる。十代の半ばどころか、前半にすら間違われかねない童顔なだけあり、よりそのスタイルの良さは強調されているようだ。

「王。では、わたしはこれで」

 真面目な報告に来たところを思い切りふざけられ、むっとしてプリシラは踵を返す。上着と髪が揺れ、甘いクリームのような匂いが振りまかれると、思わず王は少女宰相の手を握っていた。だが、突然の出来事のためにプリシラはそれに対応しきれず、前に進もうとしてしまう。結果、思い切り王の方へとすっ転んでしまった。

 とっさの判断で宰相の背中が、すとん、と王の胸の中に収まりにやって来る。甘い香りをさせる髪の毛は王の鼻のすぐ傍にあって、強過ぎる花の匂いがそうさせるように、危うくくしゃみが出かけた。

「ふ、ふぁっ……と。レディの前でこんな汚いこと出来ないな。大丈夫か?プリシラ」

「怖かったです……アル様」

「はは、そうか。悪かったな、急に手なんか引っ張ったりして」

「本当、そうですよ。なんでこんなことしたんですか……」

「いや、お前ともう別れてしまうのは、もったいないことに感じたんだ。他に仕事がないなら、もうしばらく俺の傍にいてくれないか?」

「……もう。特別、ですよ」

「ありがとうな」

 突然のことで半泣きになってしまったプリシラは、そのまま顔を真っ赤にして思わず王に甘えてしまう。「アル様」という呼称も彼女の癖であり、見た目と同じように精神面でも子どもっぽいところのある彼女は、不意なことがあるとすぐに王のことをそう呼んでしまう。

 これは王が十八歳、プリシラが十二歳の時に通っていた学問所以来のものであり、その頭の良さから飛び級で王と同じ最終学年に転入して来たことで、彼女が周りの学生から孤立しがちだった時、王が彼女の面倒を見ていたことに起因している。当時のプリシラは実年齢と同じく、すぐに泣いてばかりいるか弱い少女だった。今ももちろん、よく王に懐いており、すぐに泣いてしまうのは変わらないのだが……。

「い、言っておきますけど、これはわたしが王の傍にいたいのではなく、王がどうしてもと仰ったから、仕方なく、なんですからねっ。その辺りをどうか、勘違いされることはないようにっ」

 ただ、大きくなったことにより、恥じらいと意地を張ることを覚えたようだ。かつては兄同然の存在であった王にも、以前ほどは心を開いてはくれない。その行動はあまりにも素直で、言葉以上に彼女の心を反映しているようだが。

「プリシラ。この国を作った当初のこと、覚えてるか?」

「はい。ドラゴンとの契約のこと、ですよね」

「そうだ。俺もあんなのに会ったのは初めてのことだし、驚いたな……」

 

 

 

 王達がこの土地に辿り着いた時、既に本来ならばこの場所にある王国は滅んでいた。

 それも他国軍によって攻め滅ぼされたのではなく、一切の跡形もなく灰燼に帰していたため、一度もその王国を見たことのなかった一行は、そこにかつて国があったということに気付くことにすら多くの時間を要した。

 その後、尋常ならざるものを感じた騎士の一人――現在の筆頭騎士、ヨハン・エルンストはこの地を早急に去ることを勧めたが、次の瞬間にはあらゆる算段が無用のものとなった。この場所にあった国を滅ぼした張本人がその場に降り立ったからだ。

 あまりにも巨大な体躯。シルエットは巨大なトカゲとも鳥とも呼ぶことが可能であり、体を真っ赤なウロコで覆われている。背中に羽を生やしたそれは鈍重な見た目に反して、優雅に空を舞い、圧倒的弱者たる人を見下ろした。

 この世界に太古より君臨する主たる種族、ドラゴンである。そのあまりにも強靭な肉体は、次々と道具を発明していった人であっても傷付けることは不可能とされ、生態系の中に天敵はなく、それゆえに繁殖を捨て、その数は世界に二十もいないとされる種族だ。現在ではこの世界において神にも等しい存在とされ、人々は彼等を畏れて祀り、その土地の守護者としている。

 その契約をドラゴンも受け入れ、外敵に侵されそうになれば、それを撃退する。そうしてドラゴンと人の間では、契約に縛られながらも、確かな協力関係が存在しているはずだった。

 しかし、この土地の惨状はドラゴンの力なくしてはあり得ないものであり、ともなれば、このレッドドラゴンが破壊主としか思えない。

「……お前が、この国を滅ぼしたのか?」

 歴戦の騎士達も圧倒される中、進み出て口を開いたのは王であった。その表情と声音からは一切の動揺を感じさせず、冷静にこの魔物とも神とも呼べる存在に事実を確認する。

『――――、――――――』

 世界の王の前に毅然と立った人の王に対して、ドラゴンが返した言葉は人間には理解不能のものであった。彼等が話すのは古代語であり、現在の人間が使う言葉とは大きくかけ離れている。通常であれば、巫女と呼ばれる特別な職業の人間でなければ、ドラゴンの言葉は訳せないのだが。

「そうだ、旅人達よ。……と、言っています」

「お前、言葉がわかるのか?」

「はい。一部の強力な魔法は今でも古代語を詠唱文として採用していますし、個人的に勉強もしていましたので」

 宮廷魔術師であり、優秀な学者でもあるプリシラは、難なくその言葉を翻訳することが出来た。コミュニケーションの問題が解決されたことで、王は言葉を続ける。

「俺達が異国から来た人間だとわかるのか?」

 その疑問に対する答えは、端的だった。

「この地の人間は全て焼き尽くしたから、と」

「……っ!理由を、聞いても良いか?」

 さらりと虐殺のことを言ってのけるドラゴンに対し、危うく激昂するところであったが、すんでのところで尚も王は平静を装う。ここで自分が感情を爆発させれば、自分が守り、自分を守るべき臣下達の身を危険に晒すからこそだ。もしも自分一人であれば、剣を抜いていたかもしれない。

「この国の人間は増長し過ぎていた。私への供物を蔑ろにし、遂に私を完全に国から排することを決めた時、私は奴等を滅ぼした。ただそれだけのことだ……」

「……供物とは?まさか、生贄などではないだろうな」

「極普通の食物だけだ、と」

「つまり、全面的にこの国の人間に非はあったと」

「そうだ」

 淡々と返すドラゴンに、王もまた淡々と言う。既に怒りは消えていて、安心にも似た感情が一行には広がっていた。このドラゴンが狂った殺戮者ではないとわかったことで、きちんと話すことの出来る相手だということも判明したからだ。

「じゃあ、もう一つ聞いて良いか。俺達は訳あって、この土地の人々を教え、導きにやって来た。俺は遠方の国の王子だが、本国の王位継承権はないものでな、ここに自分の国を持とうとした訳だ。――この全く同じ場所に、俺が新たな国を建国することを、お前は許してくれるか?」

 本来の予定は狂ってしまったが、王にはなれない王子として彼は、独自の国の王になることになっていた。よりにもよって、こんな遠方の地を開拓するのはかなりの手間がかかり面倒だと思っていたが、世界の広さを自分の体で実感したかったという気持ちもあり、また、自国に比べれば古典的な政治が続いているこの地域の文化を発展させることが出来れば、とも考えていた。

 そのためには元ある王国との会談を重ねる必要があると思われていたが、これは好都合だった。……不謹慎ではあるが。

「私と新たな契約を交わせ。お前とお前の国民が守るのであれば。しかし、もし次に契約が破られれば、私は完全に人に仇なす邪竜となろう。それほどに私は人を信じられずにいる……」

 プリシラの翻訳を介さずとも、王はドラゴンの言葉がこの時ばかりはわかった。初めてこの巨大な世界王は、悲しげな声を出していたからだ。深い絶望と、しかし、完全には潰えていない希望や理想が混じり合った、哀しい声は、とてもではないが一体の神話的生き物の声だとは思えないほどに弱々しかった。

「わかった。俺は、お前と契約を交わそう。俺の――いや、私の名前はアルフォレイオス・テューダ。新たにこの土地に国を作り、あなたの力を借りて治めようとする者だ」

「……よかろう。新王アルフォレイオス、私は今一度お前と、お前の国民を信じる。私はここから西へと行った所にある山の祠にいる。その私の言葉を解する娘に、供物として動物の肉を人の食事で三回分、一日に一度届けさせよ。それが欠かさず続けられる限り、私はこの国を守り続ける……って、わ、わたしですか!?」

 厳かになっていた空気を、翻訳者であるプリシラ自身が甲高い声を上げて壊してしまう。しかし、ドラゴンは気に留める様子もなく、むしろ我が子を見るように穏やかに彼女のことを見つめていた。

「まあ、一方通行な会話をする訳にもいかないからな。――わかった。では、このプリシラを毎日向かわせよう。そこで国の状況を報告する。あなたの知恵を拝借出来ることがあるのならば、プリシラに伝えて欲しい」

「わかった。では、私はもう行こう。汝の国に、栄えあれ」

 ドラゴンは西の空へと飛び立ち、瞬く間に小さな点となり、消えた。これが建国の一日目だった。

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「それにしても、毎朝毎朝悪いな。ドラゴンが指定したとはいえ、宰相の仕事もあると言うのに」

「いいえ。馬を走らせれば往復で一時間の距離ですし、朝の運動に丁度良いですよ。それでお仕事に支障を来たすことも現状はありませんし、大した負担ではありません」

「そうか?いや、お前が俺に対して面と向かって不満を言うこともないか。あんまり夜遅くまで仕事をさせないようにするから、体だけは崩さないでくれよ」

「は、はい。……けど、これから忙しくなるのは自明の理なのに、それは逆にわたしが申し訳ないですよ。自己管理はきちんとしますから、わたしに宰相なりの仕事をどうぞお申し付けください」

 健気に胸の前で手を組んで願うプリシラに、王はその頭を撫でてやることで応えた。最近は特に子ども扱いを嫌う彼女だが、頭を撫でられることだけは例外で、まるで犬か猫のように目を細めて嬉しがる。

 その姿を騎士達に見られ、王はあらぬ疑いをかけられることもあるのだが、いくら見た目が幼いとはいえプリシラも十八歳、結婚をしていたとしてもおかしくはない年齢だ。別に王が幼女趣味であるようなことはないと言えるであろう。

「後は……そうだな、プリシラ。最近ベルがお前のこと、あだ名で呼んでいただろ?」

「あ、はい。ベル様には“プリシー”と呼ばれていますが、さすがにちょっと子どもっぽいですよね」

「俺もそう呼んで良いか?」

「は、はいぃ!?」

 ついさっきまで機嫌よくしていた彼女だが、血相を変えて全力で王から遠ざかる。頬はあっという間に炎が灯ったようになり、目尻に涙を浮かべて驚いている。

「い、いや。そこまで引くことじゃないだろ。大体、お前は今でも俺のことを“アル様”って愛称で呼ぶことがあるんだから、俺も同じようなことをして良いだろ?」

「それは……じゃ、じゃあ、特別な時だけですっ。わたしも基本的に王のことは王と呼んでいますし、その……二人きりの時だけ、プリシーって呼んでも良いです。けど、それ以外の時は呼ばれても返事しませんからっ」

「何を怒ってるんだ?まあ、そういうことなら、お前の言う通りにしよう。プリシー」

「……ふ、ふわーっ」

「なんだその声」

 頬だけではなく、顔全体が真っ赤になっていき、思わず自分の顔を手で隠そうとするが、人形のように小さく繊細な手では、プリシラ自身の小顔ですら覆い隠せない。

「が、頑張って慣れます……。ですから王も、使用は適度に、でお願いします」

「わかった。プリシラ」

「そ、そういう感じに、二回に一回か、三回に一回程度の頻度だとすごくすごく助かるので、忘れないでくださいね……」

「ああ。全く、注文が多い宰相殿だな。ま、そういうのも可愛いんだが」

「王」

「どうした?」

「あんまり、わたしに可愛いとか言うのも禁止でお願いしますっ」

 遂に我慢出来なくなり、少女宰相は走り去ってしまった。火照った体を、外に出て冷ましてくるのだろう。途中、入れ違いになるように王の部屋にやって来ていた唯一の女性騎士、ベルトラン・ド・ヴィルモランとすれ違って行く。

「あらあら。王様、プリシーちゃんを泣かしてしまったのですの?」

「いや……あいつが勝手に逃げて行った。昔は素直で可愛い奴だったのに、今じゃ変にひねくれていて、よくわからないな。可愛いのに変わりはないが」

「うふふ。それは王様が少しデリカシーがなさ過ぎるのでは?あれぐらいの子は、色々と悩んでしまうものなのですよ。特に王様とプリシーちゃんは、年齢も立場も大きく違いますし」

 騎士であると同時に美人としても名高い彼女は、大人の余裕を見せ付けるように王へと進言してみせる。年齢は既に二十代の後半に差しかかろうとしているらしいが、夫はなく、見た目も十代のように若々しい。生真面目であったり、年が大きく離れていたりする他の騎士に比べて彼女は、王の良き姉のような役割を果たしていた。

「そうか……。やっぱり、女心ってのはよくわからないな」

「確かに、今の王様はよくわかっていないみたいですわね。王様はもう少し、女性の目線になってみることも必要だと思いますわ」

 くるくるとカールした、薄くピンクがかった金髪の彼女は、その体こそ甲冑で固めているものの、服の袖口からはフリルが顔を覗かせ、スカート部分にもやはり何重にもしつこいほどにフリルを垂らした派手な衣装に身を包んでいる。その豪華絢爛な見た目からわかるように、ベルトランは騎士の身でありながらも淑女を名乗っており、戦場ではダンスを踊るように正確無比な弓の射撃を見せることで知られている。

 アメジスト色の大きな瞳には己の容姿への絶対の自信と、誇り高さとが感じられ、王のように目のよく肥えた男であっても惹かれざるを得ない美貌の持ち主である。ただし、本人は今のところ結婚をするつもりはないとの話だ。

「女性の目線か……。一応、小さい頃から妹の面倒を見て来たりもしたものだが」

「姫様を相手にするのでは、また少し違いますわよ。折角、すぐ傍に可愛らしい子がいるのですから、是非ともプリシーちゃんのことを喜ばせてあげることから始めるべきですわ。なんだかんだでウブな王様には、このベルのお相手は勤めらないかと存じますし」

「そ、そうか。――あー、それで、どうしたんだ?」

 姉代わりとしてベルトランに敬意と信頼を寄せる王ではあるが、根本的には少し苦手としているのかもしれない。彼女の目が妖しげな色を帯びて来た辺りで、会話を寸断してしまう。

「そうそう。大事なお話がありますの」

「聞こう」

「見回りをして来た兵士達の報告にあったのですが、この国を狙う盗賊団が集結しつつあるのだとか。当然、王様としてはこれを無視する訳には……いきませんわよね?」

「もちろん。よく知らせてくれた。すぐにヨハンと話を付け、明日にでもぶっ潰しに行こう。無論、俺も出るぞ」

「ええ。これで王様が玉座にふんぞり返っているようであれば、このベル、王様のその優男面をグーで殴るところでしたわ」

「……どうしてこの国の女は、俺をグーで殴りたがるんだ」

 王の素朴な疑問にベルトランは微笑するばかりで、少しすると自分の仕事のために部屋を出て行ってしまった。

 女心というものをわかっていないらしい王は残され、一人答えの出ない思索をさせられるばかりである。

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「団長!明日の作戦の話ですが――」

「あああ。カミュ、君か。どうも未だに、その呼ばれ方は慣れないな。ついひと月ほど前までは、近衛隊の一員でしかなかった私が、よもや筆頭騎士とは」

 もう少し時間を下って夕方。王城と同じく将来的には増築が必要な兵舎では、筆頭騎士。つまるところの騎士団長であるヨハンの元へと、つい最近に騎士叙勲を受けた少年騎士、ナゼール・カミュが駆け寄っていた。

 普段は兜によって隠されているが、それを外したヨハンは三十二歳だというのに、実年齢よりかなり若く見える美青年だ。鳶色と表現される髪は遠目に女性と間違われるほど美しく伸ばされており、それがまた見た目の若々しさに拍車をかけている。本国でもそうであったが、この新興の王国でも年齢不詳の騎士として女性の憧れの的となっていた。

「ですが、団長は団長であるべき器でしたよ。新入りの僕にも、本国にいた頃から熱心に指導してくださいましたし」

「新人を厳しく鍛えるのは、先輩として当然のことだろう。むしろ、私には甘やかす騎士の方が信じられないな」

 スパルタじみたことをさらりと言いながら、ヨハンは兵舎の壁にかかっていた布を手に取り、剣の手入れを始める。その生真面目な性格を裏付けするように彼は生活リズムというものを厳格に決めており、剣の手入れをするのは決まって同じ時刻だ。戦いがある時でなければ、それを動かすことは決してない。

「僕もちろんそうですが、新兵達は幸福でありながらも、不運ですね。団長が指導をされたのでは、間違いなく優秀な兵士となるでしょうが、一切の甘えも休みも許されないのですから」

「それはそうだ。私が今仕えているのがこの国であるからあえて言うが、本国はいささか以上に騎士団員ですら緊張が薄れていた。君を私が拾い、安全なこの国で育てられるようになったのは僥倖だったな。磨けば光る原石なのだから、徹底的に鍛えなくては」

「お、お手柔らかにお願いします……。それで、団長。明日の作戦には、テオドール様は参加されず、城の守備に残りたい、との申し出がありました。いかがいたしましょうか?」

 あどけなさの残る少年騎士は曖昧に頷くと、事務的な報告に戻る。本国では珍しくないややくすんだ金髪頭の彼は線も細く、その見た目からはとてもではないが騎士は務まらなそうに見える。だがその才能はヨハンが一目見ただけで見抜き、他の騎士達も期待をかけるほどのものであり、体の貧弱さも鍛えることで十二分に改善されて来た。何より、この国ではベルトランという女性騎士がいるので、あまり体格については問題にならないだろう。

 ヨハンの持つ哲学になるが、騎士はその武力以上に意志の力で強さが決まる。決して折れない心の持ち主は例外なく優秀な騎士である。そして、カミュ少年もその例には決して漏れないはずだ。

「ふむ。確かに城を空ける訳にはいかないが、テオドール殿は主戦力となるお方だ。盗賊討伐の戦線に参加していただきたいところだが、ご本人が希望されるのであれば、深い理由がおありなのだろうな。それで構わないだろう」

「深い理由、ですか」

「ことによると、今姿を見せている盗賊とやらは、陽動なのかもしれないな。そして、本命の部隊は既に町に潜み、城を落とすことを狙っているということも考えられる」

「なるほど!テオドール様は、そこまで考えて……。少し意外でした」

「ほう?」

 先輩騎士に対して言うことではないかもしれないが、あえてヨハンもカミュの口の悪さを咎めることはしない。

 というのも、騎士団の最年長者にしてかつてのヨハンの上司。そして多くの騎士の兄か父のような存在であるテオドール・ハイムベルクは無精髭を生やした四十代の騎士であり、その身なりは熟練騎士と言うよりは歴戦の傭兵か、もっと有り体に言えばゴロツキのようにしか見えない。

 得物も巨大な戦斧であることが山賊臭さに拍車をかけており、その素行もだらけきった中年親父といったところで、面倒見が良いのは確かだが、それだけでは近所にいる気の良い親父さんとそうは変わらない。尊敬はされているが、いまいち敬意は表されていない、というのが実情だ。

「君はあの方の、今の姿しか知らないから仕方ないかもしれないがな。私もベルも、そして王もあの方には大いに救われているんだ。――強く、賢く、正義感に溢れた騎士の鏡だよ。今は照れ隠しのつもりなのか、滅多にかつての姿は見せてくれないがね」

「そうなのですか……。しかし、王……あ、アルフォレイオス様ではなく、その父王様のことですが。王はよくそのような方と、団長、そして国随一の弓騎士と呼ばれるベル様を手放す決断をされましたね」

「騎士としての力と、国においておく意義は別ものだからな。私も含め、国には不都合だったのだろうさ。気まぐれだが頭の良過ぎるベルしかり、すっかり奔放な騎士となってしまったテオドール様しかり」

「ヨハン様は……?」

「先ほど、不満なら漏らしたつもりだが」

 どこか憂いを帯びた瞳を手入れする剣に落としつつ、筆頭騎士は祖国を懐かしんでいるようだった。

 なんとなくそれ以上カミュ少年も会話を続ける気にはなれず、彼の傍を離れる。歴戦の勇士にはそれだけ、苦悩も多いようだった。しかし、そのことを頭では理解しつつも体で経験したことがない彼は、連絡を兼ねて今しがた話題に挙がった中年騎士の元へと向かう。

 ヨハンやベルトランが騎士の華やかな部分を象徴しているのであれば、テオドールは武骨さを象徴したような外見であり、遠目から見ても美青年達とは一線を隔する風格がある。悪く言えばむさ苦しい訳だが、志願兵達は彼のような容姿の騎士の方が接しやすいようだ。常にテオドールの周囲には一定の数の兵士が集まっている。

「テオドール様。団長はテオドール様の仰る通りで良い、と」

「おお、そうか。そいつは良かった。これで俺も楽が出来るってもんだ」

「……冗談ですよね」

「あんまり親父に無理させてくれんなよ。俺はもう、引退しててもおかしくはない年なんだ。若者に混じって斧を振るより、さっさと若い奴等の育成に専念したいんだがなぁ。中々どうして、鬼の団長様が許してくれねぇから仕方なしに騎士やってるんだ」

「そ、そうですか」

 団長の言っていたことなんて嘘だ!そう叫びたくなるほど、騎士テオドールはだらけきっている。まだ夕方だというのに、元傭兵と思われるやや人相の悪い兵と酒を酌み交わしている最中のようだ。その姿はやはり、カミュのような真面目で素直な騎士には評価に値する人物とは思えない。

「しっかし、あんた等も大変だねぇ。俺は傭兵ってのはしたことがないが、食うに困るってのは本当なんだなぁ」

「ええ、ええ。全くそうっすよ。この前なんて、折角仕事をこなしたのに、ケチな雇い主め、報酬の半分しか寄越さないんっすから。でも、俺等は雇われの身だし、信用が一番大事でしょう?強く文句も言えず、貴族にこき使われてばっかりで」

「はぁ。貴族のお偉方ってのは、どこの国もそんなもんかね」

「あー、旦那みたいな貴族がもっといてくれりゃ良いんですがね」

「騎士と貴族は別物みたいなもんさ。戦を知っているか、知らないかの違いって訳だな。一度でも戦場に出て、剣を振るったことがある奴なら、そうそう戦士を軽くは見れねぇよ。常に死ぬか生きるかの仕事をやってるんだ。何もしなくても税金が入って来る貴族なんかよりよっぽど大切な人間さ」

 まるで王政そのものを否定しているかのような物言いに、思わずカミュははらはらしてしまうが、続く言葉は王の騎士であることに相応しいものだった。

「その点、ウチの王は他とは違うぜ。あの人は、王であって騎士だからな。ちっさい頃は俺やヨハンが剣を教えて、王子時代も幾度となく戦場に出ている。あの王だけは、兵をゴミのようには扱わないさ」

「それは良かった。やっぱ、この国に来て正解でしたよ。新興の国ってだけでわくわくしてくるけど、そんな良い王様がいるならいよいよ安心だ。旦那みたいな良い親父もいてくれるし、宰相様やベル様みたいな可愛い子もいるし、言うことなしだ」

「はっは。言っとくけど、あんまり本人達の前で軽いこと言うなよ?あの娘達も、ただ可愛いだけで城にいるんじゃないからな」

「わ、わかってますよ。そもそも、俺等みたいな一兵卒とは月とすっぽんの関係。遠くから憧れるだけですって。下手に関わって、嫌われたくないですからね」

「そいつは賢明だ。宰相様はともかく、ベルほどのじゃじゃ馬もいないからな。言っとくけど、あいつの本質はとんでもなくどす黒いからな。いつもの丁寧なお嬢様言葉なんて、全部嘘っぱちだ」

「え……本当なんですか?」

 年長者達の会話にあえて入っていくことはしないで、傍で聞くことに徹しようとしていたカミュだが、聞き捨てならないことを聞いて思わず口を挟んでしまう。

「ああ。なんて言うか、相当だぜ。あの娘は。お前も年上が好きそうな顔をしているから忠告しておくけどな、あいつだけはやめといた方が良い。ひよっこが言い寄っても、手玉に取られて終わりだな、ありゃ」

「はぁ……」

「ま、宰相様みたいな純粋な子は、あれはあれで手強いんだけどな。まず好意に気付いてくれんだろうし、恋に恋している節があるから、自分の持っている夢みたいなもんを否定されたら、その瞬間に酷く怒る。いずれにせよ子どもに恋は早いってこったな。日々励んで、一刻も早く一人前になりたまえよ、少年」

 言い包められた気がしていまいち納得のいかないカミュだが、騎士として修行中の身である自分が、愛や恋を語るのが早いということも自覚はしている。食い下がることはせず、兵舎の外へと向かう。出撃前日ということで、急ごしらえの騎士団の緊張も高まっている。この空気の中で素振りをすれば、自分も猛者達の仲間入りが出来るような気がした。

 騎士の家系に生まれ、順当に学問所を出て騎士見習いになり、そのまま叙勲を受けたカミュ少年だが、実のところ実戦経験は皆無に等しい。演習には幾度となく参加したが、本気で命を取り合っていない以上、あれは実戦とはとても呼べないだろう。

 尤も、今回の盗賊討伐も同じだ。向こうは死に物狂いで来るだろうが、相手が正規の軍隊ではなく、これが戦争ではない以上は可能な限り生かして捕縛し、投獄しなければならない。

当然のことだが相手を殺してしまう戦いより、生け捕りにする戦いの方が難度は高い。降服勧告が効き目のある相手ならば良いが、無法者が騎士の言葉を聞くことはないだろう。ともなれば、致命傷にはならない程度に攻撃を加えて自由を奪うしかないことになる。

 カミュの得物は槍。しかもランスではなくジャベリンと呼ばれる、投擲や刺突のみに特化した物だ。剣などの斬り付ける武器に比べれば、突き刺す武器は手加減というものが難しい。柄の部分で殴り付けようにも、下手をすると槍の方が折れてしまうことだろう。殺さずの戦いは一見すれば不可能にも思える。

 だが、そこで諦めていては騎士失格というもの。新米とはいえ騎士の叙勲を受けた者がみっともない戦い方をしていては、志願兵達に顔向け出来ない。ヨハンにも見捨てられることだろう。

 すっかり手に、体に馴染んだ槍を振るい、精密な突きのイメージトレーニングをする。とりあえず浅く腕を突けば武器を取り落とさせることが出来るだろうか。そこからは盾で殴りかかれば……。

 徐々に西の空が真紅に燃えていく中、少年は槍を振り続けた。

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「よし、では参るか」

 言葉遣いも王相応のものにし、マントを翻しながら王は城を出立し、騎士団を先導して進む。その傍らには、なぜか宰相プリシラの姿があった。

「プリシラ。お前は留守番だろう。城と町はテオドールと一部の兵が守っていてくれるとはいえ、もう一人指揮官は必要だ。外は俺が担当するから、お前は町の方で……」

「テオドール様が、わたしに申し付けられたのです。王は無茶なことを言い出すかもしれないから、わたしがそのストッパーになるように、と。現場の指揮は、わたしなんかよりもテオドール様の方が余程優れていますから、あの方に城と町の防衛の一切をお任せすることに問題はありませんし」

「なっ、あいつ、よくもまあ俺のことを……。いや、強くは否定出来ないんだが」

「でしょう?どうか、わたしもお連れください。それに、相手が盗賊であるのならば、どんな卑劣な作戦を用意しているかもわからないのです。直接的な武力だけではなく、きっと魔術の力が必要とされることでしょう。依然としてわたしは、この国唯一の魔術兵なのですから」

 どこか悦に浸りながら、少女宰相はその胸を張ってみせる。今日は王すら服の上に鎧を着用しているが、彼女は比較的薄手のいつもの服装であり、その姿はこれから戦場に出る人間のそれには見えない。が、これにはきちんとした理由があり、魔術師にとって重い鎧兜は魔術発動を阻害する物でしかない。と言うのも、その重量とかちゃかちゃという金属音がとにかく精神集中が大事な魔術師から集中力を削いでしまうのだ。

 それに、プリシラは無防備に見えて既に服の上に不可視の鎧を着用している。触れることすら出来ず、一切の重さもない鎧だが、剣で斬り付けられでもすればその瞬間に不可視の防壁が姿を現し、術者を守るしかけだ。彼女は平然とこの魔術を行使しているが、実際は魔術を十五年は修めなければ使えない高位呪文である。

「はぁ。自分の身は自分で守れよ。後、賊とはいえ焼き殺さないようにな。あ、いや、凍死も、感電死も、圧死も、斬殺も禁止だ。闇の眷属に喰わせるとか、光で蒸発させるとかもな」

「一言殺すな、と言っていただければそれはきちんと守りますよ。ただ、王の命が危ない場合はわかりませんけど」

 普通、魔術師というものは得意とする魔術の種類が決められている。大きな括りとしては、破壊系、魔力付加系、回復系であり、破壊系を細分化するのであれば、火や氷、雷といった具合だ。

 しかし、プリシラは魔術およびその他諸分野の天才と呼ばれる通り、ありとあらゆる魔術を得意としている。破壊魔法の属性だけで六種類以上。他の魔術を含めれば合計で十種類を軽く超える種類の魔術を自在に操るのだから、いよいよその才能は尋常ならざるものであると言える。

「は、言ってくれるぜ。俺が盗賊ごときに遅れを取る愚王だと思うか?」

 戯れに、少し王はやくざな口調になってみせる。

「いいえ。このわたしがお仕えする王なのですから、わたしが本気で守られなければならないような状況になられては困ります。失望して、宰相を辞めることになりますね」

「ほーう?じゃあ、お前、今から宰相解雇な。はい、お前はもう無職だ!」

「良いですよ?ただ、そうすると誰が財務を担当し、国のあらゆるスケジュールの管理をし、美味しい料理も作るのでしょう。基本的に脳筋な騎士や兵の方々には無理ですよね。ベル様は例外ではありますが、細かい数字のやりくりや料理は苦手だと仰っていましたし。あ、ドラゴンへの供物も滞りますよね。どうします?今から本国より古代語の講師を呼び寄せますか?」

「ぐ、ぐぐぐ……」

 ほんのお遊びのつもりだったが、正しく赤子の手をひねるように言い負かされ、王は本気でふてくされたようにそっぽを向く。その視線の先にいるのは同じく騎士を率いる立場にあるヨハンだ。

「王。昨日の夜の情報なので暫定的なものでしかありませんが、賊の数は五十未満、少なくとも四十人はいるとのことです。山賊くずれの者が多いようですが、最低限以上の武力を持った傭兵上がりの数人が先導をしているそうです。彼等はどのように?」

「そうだな……。下っ端連中は、生かして捕らえよう。リーダー格は、生け捕りが無理でも仕方がない。だが、最低でも一人は生かして欲しいな。そいつと話がしたい」

「畏まりました。しかし、相手はこの国に不満がある反乱軍などではなく、ただの財産目的の一団でしょう。新興の国であれば、楽に潰せると踏んでのことであり、わざわざ王が話されるほどの者では」

「それでも、な。どうしても話ぐらい聞いておかないと、納得出来ないんだ。俺が目指すのはただこの国を治めるだけの王じゃない。それだけじゃない、優れた王だ。それが勇王であっても、賢王であっても構わないが、決して愚王であってはならない。そのために、決断を誤りたくはないんだ」

 プリシラと話していた時の柔らかな表情ではなく、筆頭騎士の前での王の顔は引き締まっている。年の離れた父王に似たものをそれに認め、ヨハンは素直に頷いた。

「失礼しました。王がそれを望まれるのでしたら、私はそれに従うのみです」

「なに、別に咎めた訳じゃない。お前が俺の身を案じてくれているということもわかっているからな」

 既に兜でその顔を隠してしまったヨハンが、どんな顔でこの若き王の言葉を聞いているのかは、王自身にはわからない。それゆえに、あるいはこれが暴君の言葉なのかもしれないと危惧していた。

 だが、臣下の顔色を伺う王もまた、彼の目指すものではない。――とある騎士道物語に出て来る王に仕える騎士の中には、王と完全に決裂した者もいた。彼の騎士達が国を去ることになることは可能であれば避けたいが、騎士とは己の信じる正義こそを最上のものとする。それと王の正義とが食い違い、関係が崩れるようなことになったとしても……それは、運命か。

 王はそんな、諦観にも似た覚悟を既に固めているつもりだった。

「うだ話は良いですが、王様。やると決めたからには、事は迅速に運びませんと。何かと早過ぎる殿方は嫌われますが、遅過ぎる方も同様ですわよ?」

「うだ話ってな……。でも、まあ、そうだな。さっさと行こう。民を安心させてやるためにも」

 軍馬を十頭ほど所持する騎士団だが、今回の出動では全て馬屋に残してある。町を守る部隊が使えるようにという配慮もあるが、騎士団の多くはまだ馬上戦の訓練を積んでおらず、下手に馬に乗せては戦力を低下させるだけだ。

 迎撃戦ではなく先制攻撃を行う電撃戦である以上、機動力は欲しいところではあるのだが、熟練騎士の力は過大評価ではなく、雑兵の一個中隊に軽く勝る。究極的にはヨハンとベルトランのみに任せても良かったところではあるものの、実戦経験の乏しいカミュ少年ともども新兵達に戦場を経験させねばならない。それに、敵の手の内が読めないのも確かだ。

「いずれにせよ、下手に待ち構えるよりは早めに潰した方が良いよな?プリシラ」

「ええ。政治的なもくろみも加えさせてもらうなら、この国の王が自ら騎士団を率いるような人物であり、盗賊は決して許さない治安の良い国であることがアピール出来るため、今回の作戦は実に有用だと考えます。……もちろん、今回限りでは困るのですが」

「俺がそんな王だと思うか?もしくは、そんな王を目指しているとでも?」

「いいえ。わたしは王のことを信頼していますよ」

 プリシラは戦いの前で緊張した面持ちを、少しだけ柔らかくして王を上目遣いで見る。その頬はほんのりとピンク色をしていて、彼女の頭を撫でてやる王の姿を見て、ヨハンが露骨に咳払いすることを禁じ得なかったほどに「それっぽい」。

 決して公言はしていないが、ここまで男女が親しくしていれば、ほとんど恋人にしているも同然だ。本人達はそのことを認めず、王に至っては自分がプリシラに対してしていることが、一般的にはどのようなことを意味するかすら理解していない節があるほどだ。

「お熱いですわねぇ……。ああいうのを見せられると、団長様も可愛らしい女の子をはべらせてみたくなりません?」

「なっ!ベ、ベル。これから戦いに赴くというのに、その緊張感のなさは団長として、注意せざるを得ないものであり……」

「良いではありませんの。よもや、未だにこのベルがどのような人間であるかを理解しておられない団長ではないないでしょう?」

「いや、だがな……。君が優秀な騎士であることは疑いようがないが、その享楽的で軽い性格は、騎士としても淑女としても、あまり似つかわしいものではないぞ?たとえが悪くなってしまって恐縮だが、まるで酒場の踊り子の女性ではないか」

「うふふ。それはつまり、このベルが魅力的な女性ということですの?」

「……もう良い。君は黙って殺してしまわない程度に矢を射ってくれていれば良い。どうせ君なら、狙いを過たないだろうが」

「ええ。殿方の胸にずどん、と」

「致命傷だぞ、それは……」

 優秀だが癖の強い。いや、強過ぎる部下――実質的な同僚に頭を抱えながら、王に続いて騎士団長も威風堂々、町の正門より出陣する。既に髪はまとめて兜の中。美形であることも隠し、完全に戦士の風貌だ。

 鉄の塊のようなその姿は敵に畏怖を。味方には畏敬と共に勇気を与える。後に伝説的騎士とさえ呼ばれる騎士の、この国における初めてにも等しい出陣の日は、春だというのに暑いほどの快晴。町の外の草原(ドラゴンによって更地にされたはずなのに、もう草は生えている。かの守護神の炎は、一切の生命を断ってしまうものではないらしい)の上を、いくつもの軍靴が猛々しく行進し、彼方に潜む一団に向けて各々の武器を構えた。

-7ページ-

「私がこの国の王だ!首謀者は私の前に出て来て欲しい。斬り捨てはしない!これ以上、互いを傷付け合うこともないだろう?」

 電撃戦は、超遠方からのベルトランの狙撃から始まった。とはいえ、誰かを狙ったのではなく、テントの一つの支柱を一本の矢でへし折り、相手に気付かせるという形だ。騎士団であるからには不意打ちを好まず、きちんと宣戦布告はする。それがたとえ先手を打つべき戦いであったとしても。

 一気に雪崩れ込んだヨハンを含む前衛部隊は、あっという間に前線を制圧。カミュも含む第二部隊が次に突撃し、一気に敵陣深くまで肉迫。弓を得物とする支援部隊は、良質の獣が多く、猟師が儲かりやすいというここの土地柄から優秀な志願兵が集まり、ほんの数十分で事実上盗賊団は崩壊した。

 残りは撤退戦を決め込む首謀者達の一団だが、それには王自らがプリシラを伴って接近した。降服勧告ではなく、会談の場を設けようと言うのだ。

「……さすがに、難しいですよね。わたしだって、自分達の仲間を殺しはしないまでも、次々と薙ぎ倒していった相手のリーダーの前に出て来れませんよ」

「いや、そうでもないらしいぞ」

 程なくして、一人の男がのそのそと王の前に出て、彼が見ている前で自分の得物である鋼の長剣を捨てた。いきなり丸腰で出て来たらどこかに武器を隠していると思われるかもしれないが、こうすれば多少は安心感が生まれる。そこを突いて不意打ち……とは賊の常套手段かもしれないが、王はこの相手には尚も抗う意思がないように感じられてた。

「俺がそうだ。……ったく、まだ準備段階だったってのに、見つけるのが早過ぎるぜ」

「私の騎士達は優秀なものでな。それに、町から少し離れているとはいえ、堂々とキャンプをするというのは良策とは思えないぞ?」

「まだ、あんたの国は町の外にまで目を向ける余裕がないだろう、って踏んでたんだ。わざと目立たせてたのは、仲間を集めるためでもある。俺達は見ての通り、まともに飯も食えてないコソ泥だからな。徒党を組んで、金や物のある所を襲うしかないんだ」

「……前王国の犠牲者、か」

 プリシラにだけ聞こえるよう、小さく呟く。以前の国は全滅したが、そのあぶれ者――裕福な王国が作った格差の下層に位置する人々は、皮肉なことに住居を構えていなかったために助かったのだ。そして、彼等は国のトップが新しくなった程度で自分の暮らしが改善されるとは思っていない。貴族や金持ちに対してのコンプレックスも少なからずあるだろう。そこで、襲撃を企てたのだろう。

 一種の革命のように、次は自分達が治める側になれれば、とも考えていたのだろうか。

「俺……私は、もう知っているかもしれないが、元からこの土地の王だったり、貴族だったりした者じゃない。以前の王国のことは噂に聞く程度しか知らないが、お前……君達を町に住まわせることをしなかったのか」

「ああ、そうさ。美しい町にスラムはいらないとか言って、ちょっとでも貧乏人が町の近くに集まろうとしたら、途端に憲兵がやって来る。国の公共事業は町民だけで手一杯なんて嘘をついて、貧民に一つも仕事も与えようとしないで、弾圧だけをするなんて、あんたもおかしいとは思わないか?」

「王としては最低の部類だな。俺なら、そのような将来的に国を潰すような政策はしない。……いや、そもそもプリシラが許しはしないな。前王国は、王にも宰相にも、大臣にも恵まれなかったのか」

 いきなり名前を出されたプリシラは少し顔を赤くするが、王の言葉には強く頷く。今も尚、王の心の中には国そのものを滅ぼしてしまったドラゴンへの疑問があったが、話を聞けば聞くほど、なるべくしてなかったことではないのか、と納得しそうになって来ている。王として人々の命を守らねばならない彼が、積極的に大量虐殺を肯定するのは、やはり問題があるのだろうが。

「名乗るのが遅れたな。俺は……いや、私は……もう、こんな風にそれっぽく振る舞うのも面倒だな。俺の名前はアルフォレイオスだ。アルと呼んでもらえれば良い。お前は?」

「……は?あ、あんた、なんで自己紹介なんかしてんだ」

「ん、もしかしてこの土地の人間には馴染みの薄い習慣なのか?少なくとも俺の国では初対面の相手には、自己紹介をして、握手するものなのだが」

「は、はー……」

 男は完全に呆気に取られ、唸るような声を何度か上げた後、笑い出した。まるで状況がわかっていない王を見て、プリシラも「本当、天然ですよね……」とささやく。

「ど、どうした」

「いやー、まさか、一国の王様がただの盗賊の首領に名乗って、握手まで求めて来るとはな。あんた、気に入ったよ。俺はローペだ。親に付けられた名前じゃないけどな」

 王と盗賊が互いの手を握り合い、そのままローペは自然な流れでプリシラの前にも手を差し出したが、彼女は長い長い躊躇の果て、結局は頭を下げてそれを断った。

「ごめんごめん、こんな可愛い子とまで握手するなんて、あんまりに図々しかったな」

「あっ……い、いえ、わたし、その……」

「こいつは宰相のプリシラだ。頭が良くてその上可愛い最高の奴なんだが、極級の人見知りでな。特に男は同じ人類とすら思っていない節があるレベルに苦手だ」

「お、王っ。それは言い過ぎですっ」

「は、ははっ。ごめんな、プリシラちゃん」

 見る見る内にプリシラの顔は赤く色付いて行き、彼女が主として得意とする炎の魔術が呼び出す火炎のようだ。そして、恥ずかしさが頂点に達したのか、少女宰相は王の後ろに隠れ、そのマントを摘んでむすっとしてしまう。

「それで、ローペ。これからのことだが、本来ならばお前達には牢まで来てもらわないとならない」

「ああ。あんたには完敗したよ。どこへなりともぶち込んでくれ」

「いや、だから本来なら、と言っているだろう?あいにくと、これだけの人数を収容出来るほどの大監獄は我が町にはないし、前王と同じように、その辺りに放置か処刑なんて論外だ。だから、取引をさせて欲しい」

「取引?盗賊の俺とか?」

 背中のプリシラを気にすることはなく、王は佇まいを正す。

「俺はまだ国を作っている最中だ。優秀な宰相と信頼出来る大臣である騎士達はいるが、裏の仕事を頼むような人材は不足していてな。そこで、お前やお前の下に集まった盗賊達の力を借りたい」

「そいつぁ……つまり」

「つまりは、密偵だな。もしくは斥候業も兼ねてもらうことになるかもしれない。あまり軍備ばかりを増強したくもないのだが、力がなくては豊かな文化を育むのも間々ならないのが事実だからな」

「おいおい、普通に責任重大な仕事じゃないか。俺みたいな奴にやらせて良いのか?」

「だから、取引と言っただろう。お前達を罪に問うこともしない代わりに、国のために働いてもらう。仕事を投げ出したらどうするかは、わかるな。

 もちろん、国に尽くす者として家や給料はきちんと用意する。まあ、その家ももしかすると、公共事業として自分達で作ってもらうことになるかもしれないんだが」

「なるほどな。そういうことなら、喜んで働かせてもらうよ。俺達も命や自由は欲しいからな。きちんと国に仕えさせてもらうさ」

「よし、改めてよろしく頼む。ローペ」

「はいよ、王様」

 「ヨハン様、きっと反対されますよ……」プリシラの小言を無視し、新たな仲間と共に王は凱旋を果たした。ぞろぞろとならず者を引き連れるその姿は、当然ながら民衆の注目の的となり、ベルトランを除く騎士達も顔をしかめたのだが。

-8ページ-

「王!」

「……ほら、来ました」

 翌日。王の間で毎日の報告をプリシラがしていると、鎧の音を響かせて二騎士が部屋に入り込んで来る。生真面目なヨハンと、彼を諌めようとするように同伴して来たベルトランだ。

「団長。こんな朝早くから大声を出して、優雅ではありませんわよ」

「いや、ベル。ならば君は公然と盗賊を雇い入れられるという現状を受け入れられるのか?」

「ええ。あのリーダーの方、中々に顔も良かったですし。このベル、ああいう殿方は大好きでしてよ」

「……もう良い。王、私がこうしてお邪魔した理由はこれでわかりましたでしょう?」

「そうだな、ヨハン。お前が苦言を呈するのもよくわかる。今この立ち上がりの時期に、素性もわからない人間を雇用することにより、良からぬ評判を持たれることを心配しているのだろう。お前が生まれや育ちで人を差別する奴じゃないのはわかっているからな」

「その通りです。確かに密偵が欠けているのもまた事実ではありますが、今すぐに他国との戦争が勃発する訳ではありません。もう少し慎重に政策は進めていただきたく……」

「だが、俺はあえてローペを雇うことにした。考えなしにしていることだと思うか?」

 王はやや選ぶって腕を組む。それからヨハンが話を聞く姿勢になったことを確認すると、言葉を続けた。

「俺はむしろ、今こそ前王がしなかったことをするべき時だと判断する。あまり詳しくは知らないが、旧体制が負の因習を今日にまで色濃く残しているのはよくわかる。事実として、ローペ達がそうだった。彼等は前王国に見捨てられた者達と聞いたからな。

 新たな国を建てるにあたって、俺はこの因習を打破する必要を感じる。でなければ、王の首がすげ変わっただけに過ぎない、と揶揄されても文句を言えない国となってしまうだろう。だから俺は、盗賊の身分であった人間でも、信頼出来ると判断すれば雇用する。そしてローペは、信頼するに値する人物のように俺の目には映った。……ヨハン、それでもお前はやはり、首を縦には振ってくれないか?」

 ひと時の沈黙。ヨハンは目を瞑って黙想し、ベルトランはそんな彼の様子を、どこか楽しんでいるように微笑をしながら見つめている。職務には忠実だが掴みどころがなく、しかも恐ろしく聡明な彼女がいつもしている表情だ。

「私は、王を支えるべき人間です。今回、談判に踏み切らせていただいたのも、王とこの国を想ったがため。王にお考えがあり、それが間違ったものではないとも判断出来た今、これ以上意見することはありません。失礼しました」

「いや、俺こそお前に今まできちんとしたフォローをしていなくて悪かった。ベルも、問題はないか?」

「あら。このベルが王様の決定に逆らうとでも?」

「お前はいつもそうだな。……けど、俺が本当の暴君になったとして、それでもお前は――」

「そうはならないでしょう。あなた様はそういう人物ですもの。それでも道を違えるようなことがあれば、そうですわね……ベルは騎士として、あなた様の元を離れ、状況次第では討つのではないかと」

「やっぱりな。けど、だからこそ安心出来る」

 最後にベルトランはウィンクを寄越し、騎士達は引き上げていった。残されたプリシラと王は、その背中を見送りながら、普段の振る舞い方こそ大きく違えど、騎士としての信念とそれを遵守する気持ちでは変わらない二人と、それと同じ考えであろう残りの二騎士。そして臣民達のことについてしばらく考えていた。

「王。わたしは、国の政を司るような大事業、きちんと成し遂げられる自信はありません」

「……ああ。俺も、ヨハン達が支えてくれるのに値する王であれるかどうか、ちょっと不安になって来てしまったな。やはり、あいつ等は真の騎士なんだ。俺が間違えない限りは殉死する覚悟でついて来てくれて、間違えた瞬間に離反する。精神的にも高潔な騎士なんだ」

「はい。ですけど、頑張ろうと思います。ありきたりな言葉で、あまりに頼りないかもしれませんが……わたしは、わたしの全力を尽くして、王の助けになれればと、そう思います」

「頼りなくなんかないぞ。俺の方から頭を下げて頼みたいぐらいだ。――プリシラ、俺は自称するのは恥ずかしいが、未熟な王だ。正直、まだ王位に就くのは早かったと思う。だから、お前の助けを借りたい。お前と力を合わせて、一人前の王になって、最高の政治で最高の国を築いてみたい」

 

 王は宰相の手を握って跪くと、騎士風にその手の甲にキスをした。

 三秒後、かつてないほどに赤面したプリシラに、恥ずかしさと怒りのままに本気で殴られ、鼻血を流すことになるのだが。

説明
前作と同じく、ファンタジー世界でかなり純粋な日常ものを書いたみたものです。前作はファンタジーと言いつつ、近世ヨーロッパを描いていたものでしたが、こちらは剣と魔法と騎士の世界となっています
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