寂滅為楽(上) 10 |
十.
思うに、人生における幸福と不幸は上手い具合に吊り合っているものなのだろう。
遅咲きの桜の花弁も散り、学園に入学してもうしばらく経った暮夜。
最近お気に入りの柑橘系飲料水を手に、更識簪は訓練施設付近の中庭に備えつけられたベンチで月球を見上げていた。
淡く冷たいその輝きは万物を照らすにはあまりに弱く、しかし魔的なほどに美しい。
意図せず呆と息は零れた。雅趣に富む事など、堅苦しい実家でさえ近頃は覚えがなく、こうして他に目的もなしに月見をするのは、考えてみれば幾年以来だろうか。
人生最大級の悪意に遭遇してから早五日、打鉄弐式は本日その機甲と武装が完成した。
自分が担当するMRSも近日の内に試験運用、搭載まで既に目途が立っている。
つまり、今週のクラス対抗戦を前に条件は総じて満たされたということだ。
外殻を担当してくれた二年の黛薫子先輩などはもう大丈夫だと言って、カメラを片手にどこかへ出かけてしまった。友人の篠ノ之箒によれば独占取材を条件に織斑一夏の専用機「白式」の装甲の修復を今度は受け持ったらしい。
新聞部のエースはやはり行動力が違う。
そんな微妙に勘違いした評価を下しながらも、簪は手伝ってくれる皆に感謝していた。
自分を棄てたのが人ならば拾ってくれたのもまた人だった。
一人では無理だと嘆いていた自分に、あの赤々とした友人は手を差し伸べてくれたのだ。
ヒーローに為れ。お前はいつまで悲劇のヒロインなどに甘んじているのだ、と。
仲間。これまでは自分の好きなアニメーションの中にしかなかった言葉。同郷の好だと姉の友人さえも姉に内緒で集まってしまうほどの奇跡
それは海よりも深く空よりも広い、大人達の醜く浅はかな思考さえ討ち破った結束の力。
まったく誰も彼も善人過ぎて感謝してもしきれない。自分がお礼を、と言っても肯いてさえくれないのだ。そんな手間を掛けるくらいならアリーナに練習にでも行ってこい。
私達が完成させた機体で当日は勝ってくれよ。
そう笑って送り出されては、もう今日は整備室に戻れそうになかった。
だから閉館時間まで精一杯、簪は訓練に集中した。途中で一夏がアリーナに来たときも、呆れるより先に納得できた。
誰かの期待に応えようと努力するから、こんなにも頼もしい気持ちになれるのだ。
一夏と自分の違いはここに在った。
ヒーローとは信じてくれる他者がいるからこそヒーロー足り得るのだ。そうやって心持ちを切り替えれば、これまで疎ましいとしか感じなかった疲労も今は心地よい。
喉を嚥下していく甘酸っぱい刺激。
「ねえ、総合事務受付ってどこか知らない?」
再び呆と息を零す自分に声を掛ける者がいた。心持ちに余裕があるためか、慌てることもなく、簪は確認の視線を相手へと向けることができた。
四月半ばの夜風になびく黒髪は、双方高い位置で結ばれたツインテール。身長は自分と同じか、少し低いくらい。勝気な瞳をした少女が立っていた。
「……どうして貴女がここに」
「ん、なに? あたしのこと知ってるの」
質問を聞き返すより先に思わず言葉が漏れた。それは例えるのなら、田舎町で有名人に遭遇したような気分だった。隣国だけに当然、簪は眼前の少女の存在を知っていた。
少女の名前は鳳鈴音。中国の代表候補生だ。
ISが世に広まってから共産主義国家にて始まった女性徴兵制度で入隊し、それからわずか一年ほどで専用機を付与されるに至った実力者。
近年、体制が様変わりした中国出身の「紅」をまとわないエリート。
姉の楯無と同じく力だけを求められたIS操縦者であり、一夏の存在が世間で騒がれるようになる以前に、関係者の間で話題となった中国の次期代表操縦者候補。
そんな人物が何故ここにいるのか。
簪の記憶が確かなら、今年の新入生の名簿に彼女の名前は載っていなかった。
格好は普通の洋服に持ち物はボストンバックが一つ。まるで旅行にでも行くような軽装だった。転校生というにはあまりに少なすぎる荷物に、簪はどう反応すれば良いかわからず戸惑う。それになにより、知ってるの、とはどういうことだろうか。
「……私のこと、知らないの?」
「え――――もしかして、代表候補生だったりする?」
「うん。日本代表候補生、更識簪。……本当に知らない?」
「……えっと、ごめん。あたし他の国とかあんまり興味ないんだ」
常にない積極性で自ら会話を切りだした簪だったが、頬を掻きながら申し訳なさそうに呟かれた鈴音の言葉に、早々挫けそうになった。
この業界は実力主義だ。
更識と言えば日本代表候補生の簪ではなく、ロシア代表操縦者の楯無ということくらい経験的に理解はしている。けれど、この状況はあんまりだ。
IS操縦者とは芸能人ではない。建前上は国家所属のアスリートという身分を頂戴しているが、実状は予備役に近い。自分達は抑止力なのだ。
どうして国連が、態々「IS学園」などという一見して非効率な運営団体を設立したか、考えたことがある者は意外と少ないのではないだろうか。
入学するためには出身国の区別なく、高い適性率と相当の心身の能力を求められる世界でたった一つの専門機関。
入学後は基礎教育こそ国別で行われるものの、それ以外では人種に関係なく統一された言語態で多様な出自の生徒達がクラス、学生寮、部活動での日々を過ごすことになる。
このプロセスが案外上手くできているのだ。競争を勝ち抜いたという自負心や優越感は無意識の連帯を誘発する。
そうして三年という期間を過ごす内に、少なからず友情なども育まれるだろう。
以上の前提を以て問いたい。
例えば戦争が始まったとして、かつての先輩、同級生、後輩を躊躇なく殺せる人間が、いったいこの世に何人いるだろうか。
おそらくはいまい。そんな人間はそもそも学園には入学できないからだ。
簪にしてもヒーローを目指しているのは建前上のアスリートとしてであって、まかり間違っても軍人として他国人だからと楯無に銃を向けるなんて真似はできない。
学園にはそういう事態を未然に防ぐための抑止的システムの一面が確かに在る。
故に、相互理解が重要となるのだが、平和に呆けた祖国はアメリカに任されたこの大役を今一つ理解しきれていないところがあるらしい。
使い捨ての人材に慣れきったメディアを政府が上手く誘導できないから、こうして隣国の鈴音が簪を「認知できていない」などという不具合が起こるのだ。
やはり最初期にスポーツとして勝ち過ぎたのが良くなかったのだろう。
ブリュンヒルデの名は、織斑千冬は日本では有名人としか広まっていない。
「あのさ。ともかく聞きたいんだけど、総合事務受付ってどこにあるの」
「……転校生?」
「ええ、事情はまあ言わなくてもわかるでしょ」
「……何組に転入するの」
その余波をいちいち受ける簪としては迷惑この上ない話だった。
同時に、鈴音に不本意ながらも謝罪させてしまったことを申し訳なく思ってしまう。
それ故にせめて鈴音の疑問を解決する程度には役に立ちたいのだが、生憎、簪は口下手だった。
「えっと、二組だけど」
「そう。……なら、貴女がクラス代表ね」
八クラスある一学年の内で代表候補生が在籍しているのは、簪の三組と一夏の一組だけだった。クラス代表とは学園の性質上、そのクラスにおけるトップが通常選出されるため鈴音が転入すればまず間違いなく、代表は入れ替わるだろう。
同じクラスなら厄介だと、若干の警戒も含めての確認だったが、どうやら簪の地位は安泰のようだった。ここまで来て為り変わられては堪らない。
バランスが考えられた配属に安堵しながらも、また一人、強敵の登場に簪の心は震えた。
けれど、それは単なる不安とはまた違う。
歓喜だ。日頃簪を苛む負の感情を押しのけるように、今回は戦意が奥底から湧き上がってくる。
ついに迎える簪のヒーローとしての活躍の機会、それに相応しい鈴音という強者の来襲。
合わせて初披露される専用機「打鉄弐式」
まるでアニメーションのような、それも簪が相当に好きな類の物語に似た展開に意図せずとも、彼女の戦意は増していた。
「いや、あたし別にそんなつもりないんだけど」
「どうして?」
だからこそ鈴音の言葉に簪は即座に反応した。その思考が読めずに胡乱な眼差しで代表候補生の少女を見やった。
簪は知らない。
鈴音にとってISは目的のための手段であって、目的そのものではないということを。
勿論、人の身で他者の心中など理解できる道理もなく、簪は一般的な思考に則って疑問を呈し、鈴音もまた、それを違いないと受け取った。
鈴音の思惑は万人には理解されない考えだ。それを自覚しているからこそ、これまで表に晒したことはない。つまり簪が訝しむのも自分が口篭もるのも当然で、さてどうやって誤魔化そうかと、思考を巡らせた。
「どうしてって――」
「……織斑一夏も出るかもしれないのに」
故にそれはまったくの偶然だったと言って良い。
簪は身近にいた有名所を話の引き合いに出しただけで、別に嘘を吐いた訳ではない。
代表候補生という肩書きに自分が乗り越えるべき存在を見出したからこそ、おかしなことを言いだした鈴音の気を引こうとしただけだ。
鈴音の場合は単純で、簪が偶々口にした一夏こそがまさしく目的そのものであっただけだった。しかし、互いに思わぬところで意見が合致した。
「へえ、織斑一夏って何組なの?」
「……ん、一組だけど」
「その話、もうちょっと詳しく教えてよ」
出会ってまだ数分の簪には、鈴音の一夏にたいする反応が特別な感情に裏打ちされたものだとは知る由もない。聞かれて不都合なこともなく、結果として簪が把握する限りのクラス代表決定戦の情報は鈴音の耳にするところとなった。
「……つまり、あの馬鹿は相変わらずって訳ね。
決めた。更識さん、あたしやっぱりお願いすることにしたわ」
代表を譲ってくれと。
そう頼むことを決めた鈴音の機嫌がどうして変わったかは、簪には詳しくはわからなかったが、自らの思惑通りの事態にとりあえずは納得する。
「……そう」
「それで、総合事務受付ってどこにあるか教えてくれる?」
総合事務受付は、ここからアリーナの後方にある本校舎へと向かえばすぐに見つかるだろう。
ありがとう、と礼を言って歩いていく鈴音を簪は見送った。
そういえば今になって「更識さん」と名前で呼ばれていることに気がついて、少しだけ気恥ずかしい思いになったが、次に会ったら自分も「鳳さん」と呼んでみようと、密かに簪は決意した。
ちなみにその後。
幼馴染みの布仏本音と遅めの夕食を共にしていて、その話題を口にした折に。
「でもさ、かんちゃん。事務の人ってよっぽどの理由がないと定時で上がっちゃうんじゃないの」
と間延びした声で言われて簪が狼狽したのは、また別の話。
書類が受理されて正式に学園の生徒になった鈴音に、簪が弄られるのは二日後のこと。
言った本人が信じていなかった一夏のクラス代表就任に驚いた木曜日の朝だった。
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ISで篠ノ之箒メインの話をやってみたいなと思い立って書いた次第です。 ちなみにpixivとハーメルンでも同名作品を投稿しています。 |
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