とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第二章 信仰に殉ずる:一 |
「一つ山越しゃ灯りが見える。二つ山越しゃあと少しっと!」
時代がかった歌を口ずさみながら、字緒廷兼郎《あざおていけんろう》は日も昇らぬ内から山中を縦横無尽に走り回っていた。
自然の中を走破する、ファルトレック・トレーニングである。山の草や岩を分けながら走り、木を登るなどすることで、バーベルなどの用具では得られない粘りのある筋肉を造る。
この登山こそ、『対抗手段《カウンターメジャー》』計画の発案者である網丘揚蓮《あみおかようれん》に命じられた早朝トレーニングだった。
木登りをさぼったり、ショートカットをしようものなら、廷兼郎の衣服に装着してある観測機器がいち早く伝えることになっている。同時に、それはトレーニングの効果解析の役割も持っている。
総距離約十キロほどを二時間かけて走る。決して早いペースではないが、道なき道を飛び跳ね、昇り降り、転がりながらの運動量は、平坦な道を走る行為に比べて格段に密度が高い。
仕上げに山頂の大樹を登攀する。登れるだけ登ったら、早朝トレーニングは終了である。
終了するのは丁度日の出の時間に当たる。大樹から望む太陽が、遠く地平線から競り上がってくる。裾野に広がる町並みからは、そろそろ生活の気配が漂い始めている。
藍色の世界が橙色へ移り変わる様を眺めている間に、トレーニングで乱れていた息はすっかり整っていた。
「廷兼郎、そろそろ道場に向かいなさい」
「分かりました」
ヘッドセットのように耳に装着した携帯端末から連絡を受ける。これからは山を降り、道場での稽古を受ける。
廷兼郎は身を翻して木を滑り降り、道場へと急いだ。今回彼は、柔術を習いに来ていた。
柔術において最も普遍的な流派は、恐らく大東流合気柔術だろう。大東流合気柔術は、現在普及している合気道の源流に当たると言われ、会津藩の御留流《おとめりゅう》だった流派である。御留流とは諸般の理由から、その流派を藩外への流出を禁じることである。御留流だったころの大東流合気柔術については、今も研究がなされているが、詳しい実態ははっきりとしていない。
大東流合気柔術が歴史の表舞台に上がるのは、明治からのことである。それを担ったのは、『会津の小天狗』と恐れられた中興の祖、武田惣角《たけだそうかく》である。
明治から昭和にかけて活躍した武田惣角は、幼少より武術を修め、大東流合気柔術の他に小野派一刀流、宝蔵院流槍術、手裏剣や鎖鎌なども習得し、武術全般に精通していた。
武田惣角は生涯道場を持たず、請われれば全国何処へでも赴き、自身の武芸を教授していた。
廷兼郎がいる奈良県飛鳥市にも、大東流合気柔術を習得した武道家がいた。今回彼は学園都市を離れ、件の武道家の元へ一週間の出稽古に来ていた。
「遅くなりました、錬公先生! すぐ用意します!」
山の麓にある道場の戸を、勢いよく開ける。早朝トレーニングでテンションの上がった体が、早くしろと急かしてくる。
ここ数日の柔術三昧で、体のほうが柔術を求めてしまっていた。
「朝から元気なこつ。そげん急がんとよ、わしゃ逃げんて」
不思議な方言で廷兼郎を諌めた老人は、この道場の主にして大錬流合気柔術師範の錬公三國《れんこうみくに》である。今年で齢八十に届く老翁だが、その挙動に怪しいところは無く、実に矍鑠《かくしゃく》としている。
「それじゃあ、始めるべさ」
道着に着替え終わると、錬公老人は廷兼郎を伴って道場裏手の山へと向かった。
大錬流合気柔術に道場はあれど、主な習練の場は雑木林だった。道場のように平坦な場で戦うことで実戦性は養われないと豪語する錬公老人は、雑木林や岩場、草むらなどで習練することが多かった。
それは錬公自身が積んできた武者修行での経験において、整備された場所よりも、自然の中で立ち合う機会が多かったことに由来する。
互いに正面にて向かい合う態勢から、廷兼郎が僅かに踏み込み右手を下から振り上げる。無足から顎への当身、喉断ちである。
それを十字で受けられ、錬公老人が左足を振り上げる。受けた手を取り、相手の腰を蹴って引き倒す、山陰《やまかげ》という技の入りだ。
廷兼郎は右腕を曲げ、さらに踏み込む。足で蹴る間合いを殺しつつ、曲げた右腕の肘で胸板を刺す、と見せかけての左掌底掬い打ちだ。相手に右腕を取らせ、空いた肝臓を突き上げる。
振り下ろす腕刀部分が、掬い打ちを弾く。錬公老人は右の虚を読み、左の実を的確に見抜いた。
両腕を開いた状態になった廷兼郎は、さらに体を前に出して頭突きを敢行した。
錬公老人は廷兼郎の右腕を握っていた左手を引き、後ろ足を引くことで体を捌きながら廷兼郎の突進をやり過ごした。
勢い余った廷兼郎が止まる頃には、二人の位置関係が入れ替わり、間合いは先ほどの倍に離れていた。
「ほっほっほ。元気なこったべよ」
(元気なのは、全くどっちだか……)
廷兼郎は右の脇腹を押さえながら、心の中で毒づいた。右への体捌きの最中、錬公老人は左の鉄鎚と呼ばれる肉厚の部位で、廷兼郎の右脇腹を打っていた。
これまでの六日間、廷兼朗は技の読み合いにおいて錬公老人に先んじたことが無かった。武術の素人である学園都市の超能力者を相手にするとき、彼の洞察力は十分な機能を発揮していたが、武術に精通した人物に通じるだけの性能を持ち合わせていなかったようだ。
それに学園都市には、廷兼郎の師に相当する人物が存在しないため、技を掛けられることに体が対応できなくなってしまっていた。
敵意ある攻撃を受け流すには、実際に技を掛けられるのが一番である。出来れば自身よりも実力のある人物が好ましい。網丘と共に色々工夫してはいるが、技を掛けられて食らう。あるいは受け流し、外す醍醐味は、最先端科学でも容易に再現できない。
このままでは、武術に精通した超能力者が出てきたとき、廷兼郎は為す術も無く敗北することになる。さらには武術の素人ながらも、喧嘩に長けた者に遅れを取るかもしれない。
(武術を修め、超能力を操る。まだ、俺は勝てない)
そんな人間に、廷兼郎は勝てるという自信が湧かない。湧くようにならなければ、勝てるという確信を抱かせるに足りうる技術を開発しなければならないのに。
『対抗手段《カウンターメジャー》』計画の根幹である対能力者戦闘術の確立。素手にて能力者を制圧するには、まだまだ盤石とは言えない。
「そろそろ昼だの。道場に戻って飯食うべさ」
「はい!」
日の出から正午までひたすら行っていた組み手を打ち切り、食事のために二人は下山した。
帰って早速、廷兼郎は網丘らの検査を受けた。血中の乳酸値を調べたり、脳波計を持ち出したりと仰々しい有様だったが、学園都市にいるときよりも幾分簡易な検査となっていた。
『対抗手段』計画は、超能力者を制圧するのに最適な戦闘技術を研究するという目的に付随して、超能力者を制圧するのに必要な技術を身につけるための、最適な訓練方法も研究している。そのために廷兼郎が行う訓練は逐一、網丘率いる技術班が記録・解析し、廷兼郎の体を以て訓練方法の効果検証を行っている。
研究している訓練方法で得られる身体向上、被る苦痛の程度や怪我などのリスクを比較し、武術に精通しない人間でも習うことが出来るものに落とし込んでいく。
三十分ほど掛けた検査が終わり、廷兼郎はようやく食事にありつけた。勿論、食事管理も網丘が手ずからプロデュースしている。
ご飯に鶏のささみとキムチの炒め物。デザートに大豆を添え、ドリンクも豆乳である。鶏のささみは脂肪が少なく、キムチには脂肪の燃焼を促すカプサイシンが含まれている。そして大豆は良質なタンパク質を取り入れることが出来る。
廷兼朗はサプリメントやプロテインの類は摂取しない。『対抗手段』計画は無能力の一般人が主なターゲットであるため、特別な食材や薬品を使わずとも健康的に能力者と戦える体作りが出来なければならない。そのため食材は特別なものではなく、普通の経済状態の人でも再現できるものが主である。
基本的にご飯さえあれば文句のない廷兼朗は、ささみとキムチの炒め物をおかずにしてご飯をかっ込み、大豆を囓りながら豆乳で流し込んでいった。
網丘《あみおか》たちの用意した機材が自分の道場に搬入されるのを、錬公三國《れんこうみくに》は事前に快く了承していた。「わしも若い頃に、こういう扱いを受けたかったのう」と廷兼郎を羨みもしていた。
錬公は齢十四を迎えたとき、生家を飛び出し全国へ武者修行の旅に出たそうで、日本だけでなく外国まで立ち合いを行うために出掛けたという経歴を持つ。他流派との実戦を繰り返し、闇討ち紛いの仕掛けを行うこともあったらしいが、それだけに彼の持つ技術の実戦性は独特で、海外の軍隊からインストラクターとして招かれることもしばしばである。
一週間とはいえ、一学生に過ぎない廷兼郎が本来教えを請えるような身分の人物ではないが、それを実現してしまうのが学園都市の力というものだろう。
廷兼郎が食事している傍ら、錬公は日本刀の手入れをしている。柔術に留まらず、剣術や槍術、杖術や手裏剣術を修め、長らく滞在していた海外で銃器の取扱も習得している。
『対抗手段(カウンターメジャー)』計画では素手を前提にしているが、それは武器を使用しないということではない。むしろ武器に関しての習練も、廷兼郎は積極的に取り組んでいる。それは武器を用意しないが、利用はするというコンセプトだからである。
素手の状態から、あらゆる状況に合わせて武器を見つけ、持ち替え、組み換えて使用することで技術の汎用性を底上げする。
そういう意味で錬公は、廷兼郎にとって最適の師範であると言える。
「にしてもよお、その歳でこれだけの柔を身に付けおるとは。戦う相手を探すのも苦労するだろに」
茎を取り出し、目釘を整えながら、嬉しそうに錬公が話しかける。
「戦う相手は網丘さんが連れてきてくれるんで、事欠きませんよ。それに学園都市の人たちはプライドが高いからなのか、好戦的な一面がある」
「学園都市のお。火ぃ吹いたり岩投げたりしちゃる相手とバチバチやり合えるなんぞ、羨ましいこったど。わしも行きたか」
「ぜひ一度お越しください。驚きますよ」
学園都市への出入りにはパスポートが必要で、学園都市内にいる学生の肉親や関係者、あるいは搬入している業者などにしか発行されないが、網丘に頼んで出してもらおうと廷兼郎は考えていた。
会話の内容は少しばかり不穏当だが、二人の雰囲気は祖父と孫そのものといった和やかさだった。
廷兼郎の言葉にしみじみと頷き、錬公は日本刀を鞘へと納めた。
「今日で最終日じゃが、このまま内弟子になってもよかあよ」
「え!? 内弟子!?」
内弟子とは、師に付き共に生活しながら指導を受けることを許された弟子のことである。つまり、人生を掛けてその流派を学ぶことが出来ると言うことである。
大錬流合気柔術の内弟子。どれほどの人間がその立場に憧憬を抱き、目指してきたことか。廷兼朗は、身が震えるのを禁じ得なかった。
箸を置き、正座して正対し、三つ指を立てて礼を取った。
「誠に勿体無きお言葉をいただき、有難うございます。先生の教えは、私の目的である対能力者戦闘術の完成に、多大な示唆を与えてくれました。そのご恩、深くお礼申し上げます。その上、内弟子の名誉に預かれるは光栄の極みと存じます。しかしながら、学園都市に住まわれる一般人の方々が、危険な能力の使用に怯えることなく身を守る術を模索するには、やはり学園都市を拠点に活動すべきであると、私は確信しております。よって内弟子のお誘いですが、今回は謹んでお断りさせていただきたく存じ上げます」
自分ひとりの『武』を追求するためならば、大錬流合気柔術の内弟子になることは、最短の道の一つだろう。だが廷兼郎の参加している『対抗手段』計画は、能力を持たない人間が素手でも能力者を制圧できるようになること、つまり能力者から身を守る術を研究することでもある。
超能力の研究が進み、能力者の全体人口やレベルが底上げされ、中には心無い能力行使をする能力者もいる。そうした危険を回避する一つの手段として、武術が必要であると廷兼郎は確信していた。
今は一人でも多くの能力者と戦い、対能力者戦闘術の完成を目指す。そのため、出稽古で教えを請うことはあっても、特定の師に付く訳にはいかなかった。
「ほっほ。振られてしもうた。相変わらずの石部金吉だべ。そいじゃ、組み手の続きをしようかね」
「はい!」
快活に返事をし、廷兼朗は急いで食器を片付け、また裏山へと向かった。
「はあ。そんじゃ、ここらで終わろうかね」
そうして日の入りまでを組み手で過ごし、廷兼郎の出稽古は終了した。自分の中にあるあらん限りの力を振り絞り、錬公が終了を告げると同時に廷兼郎はその場で膝を突いた。
「よう耐えなすった。字緒くん」
「……ありがとうございました。錬公先生」
「最後に、見せたいものがある」
錬公は静かに言うと、ゆっくり構え直した。誘われるように、息を整えた廷兼郎も構える。
既に大錬流柔術の手解きは受けている。これ以上、何を見せてくれると言うのか。
(まさか、奥義秘伝か何かを?)
奥義や秘伝とは、その流派の技術の集大成であり、権威そのものである。それを伝授するのかと、廷兼郎は慄いた。
武術の奥義秘伝は獲得が容易でないことから、よく誤解を受ける。それは、『秘伝とは秘密兵器であり、敵にバレれば破られてしまうため隠している』というものだ。もしこれが本当なら、日本の武術は衰退の一途を辿ったことだろう。
実際のところ流派間の交流は盛んに行われ、江戸時代においては、他藩からの修行者は非常に歓迎されていた。各藩は他藩にある優れた武術を自藩士に進んで習得させるため、わざわざ派遣していたのである。その逆もまた然りだ。
確かに秘伝の方法論を丸裸にし、破ることは可能だろう。しかし、秘伝だけがその流派の攻め手ではないし、手の内が分かっていても避け得ぬ技というものは存在する。『秘伝がバレたら負ける』というのは、一面的な捉え方に過ぎない。
流派の交流が盛んだった江戸時代では、秘伝は対外的に意味を持つものではなく、むしろその流派を習得したことを証明する許可証の意味合いが強くなっていた。その許可証こそが、藩内での出世に繋がるのである。
長く苦しい修行に耐えた者が得るはずの許可証が、一般に漏れてしまえば効力を失う。秘伝を一般から隠すのは、そうした意味からである。故に秘伝を獲得したものも、妄《みだ》りに他言をしなかった。
激しく、そして濃密だったとはいえ、廷兼郎は一週間しか大錬流合気柔術を学んでいない。そんな人間に秘伝を見せていいのか。見せるべきではないが、見れるものなら見たい。
その葛藤が、慄きとなって現れた。
見せると言ったきり、錬公は動かない。どうやら見せたい技というのは、返し技の類のようだ。こちらが見に徹する必要は無い。
左の当身を繰り出す。弾かれたが、そのまま引かず袖襟を取る。いやに簡単に取れたことに、むしろ廷兼朗は動揺する。だが技を止める訳には行かない。
相手の左袖を引きながら、顔面への右肘打ち。これが当たろうと当たるまいと、既に技の仕掛けに入っている。
予想通り外れた右肘で相手の左腕を巻き込み、自分の体を浴びせるように引き倒す、外巻込である。
(掛かった!!)
ここ一週間には無かった技の掛かりである。会心の投げがついに達人を捕らえた、次の瞬間だった。
一瞬の浮遊感に襲われ、廷兼郎の内臓が競り上がる。ここ一週間、嫌と言うほど味わった感覚だ。
咄嗟に体を丸めた廷兼朗は、背中から地面へと投げ落とされていた。
「ぐはっ!」
廷兼郎は、転がりながらえずいた。組み手での疲労も相まって、このまま一晩眠ってしまいたい気分だった。だがそれは、彼の好奇心が許さなかった。
投げようとしたのに投げられる。相手の力を利用して倒す柔の思想から言えば、至極当然とも言えるが、これほどの高次元で行われるのは、廷兼郎にとって初めての経験だった。
自分の頭の中にある技術のデータベースを総覧し、巻き込んでいた左腕を中心にして、引き倒そうとする力をずらされ、投げられたような感覚をしつこく反芻する。
(強いて言えば、隅落としのようだが……)
黒白写真でしか見たことの無いような、もはや色褪せてしまった記憶を、廷兼郎は引き出した。
「まさか……、空気投!?」
廷兼郎の回答に、錬公がふわりと微笑む。
「模倣、じゃがな」
「どういうことです?」
「空気投のように見せているだけじゃき。わしのこれは本来、武器を持つ相手を想定したものでの。長物の柄を掴んで投げ、奪った武器で止めを見舞うのじゃ」
錬公の手を借りて、廷兼郎はようやく立ち上がった。
「空気投は、三船久蔵氏一代限りの名人芸よ。真似ることは出来ても、再現するというのはこれで中々……」
錬公は鼻を掻きながら、「どうじゃ、役に立ちそうかの?」と聞いてきた。
「いいものを見せていただきました。ありがとうございます」
流派の秘伝というわけではなかったが、十分これからの財産になるであろう技術を体感し、廷兼郎は感激したまま出稽古最終日を終えた。
説明 | ||
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。 総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。 男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。 科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる |
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