ずっと、二人で
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 厳しい冬が終わり、ようやく遅い春がこの北の地にも訪れた。

 冷たい雪の檻から解放されるこの季節を、どれだけ待ち望んだことか。

 道行く人が、ほんのりと温かい風を頬に受けて僅かに目元を緩ませるのを見て、此方の顔もつられて緩んでしまう。

 そんな私を見て他の誰かが顔を緩ませ、辛い冬を乗り越えた連帯感の和が広がっていく。

 

 この斗南はけして住みやすい土地ではない。それでも移住したからにはこの地で生きていかねばならない。

 覚悟を決めて移り住んだものの、予想以上の厳しさに音を上げる人も少なくなかった。

 ――戻りたくとも戻れない。

 誰しもがそれを分かっているが故に、助け合い、知恵を出し合って、何とかこの地で命を繋いでいこうと懸命にもがいた。

 隣り合う人は誰もが自分を支えてくれる人であり、支えるべき人だった。

 密度の濃い付き合いに最初は疲れを覚えたものだったけれど、慣れてしまえば程よい距離の取り方が分かってきて、それほど苦にならなくなった。

 新選組で大人数での暮らしを経験していたのが、こんな所で役に立つとは思わなかったと、過去に思いを馳せながら静かに笑った。

 

 温かい日差しを浴びながら、顔なじみの青屋の店主から夕餉の品を買っていると、先ほど一さんが目の前を通ったと教えてくれた。

「もう、お勤めが終わったのかな?珍しい…」

「向かいの饅頭屋で何か買い求めてましたよ。包みを受け取ったら、落とさないようにと大事に抱え込んでね」

「一度手に持ってたら子どもがぶつかってきて、包みを落としてしまったみたいなの。それ以来、抱え込む癖がついちゃって」

「大事なご新造様へのお土産ですからね。あの生真面目な顔で饅頭をしっかり抱え込んでるのを見ると、悪いと思いつつもつい笑っちまって…」

 悪いと言いながらも店主の口元が緩んでいるのを見て、つられて笑いがこみ上げてくる。

 私まで笑っては流石にあの人が可哀想だと、口元に力を込めてはみたものの、目尻が下がるのは止められない。

 店主も私も互いに笑いを噛み殺しながら、代金を払い、包みを受け取ると、半笑いの妙な表情のまま、挨拶を交わしてその場を早々に離れた。

 

「一度美味しいって言ったら、ずっと同じ物を買ってきてくれるのよね。本当にあの人らしい…」

 苦笑しつつも嬉しさを隠しきれず、家路をたどる足取りがやけに軽い。

「こんなに早い帰りは久しぶり。疲れてなかったら、どこかに出かけたいな。川辺を歩くのも気持ちいいだろうし…」

 弾む心のままあれこれと想像が膨らみ、浮き立つ心が足を急かして思ったより早く家に着いてしまった。

 

 中に入り、きちんと揃えられた草履を見て思わず目を細めた。

「戻りました」

 奥へと声を掛けたが、それに対する返事がなく、くびを傾げつつ小ぢんまりとした家の中に足を踏み入れ、思う人の姿を探した。

 幾つかある部屋を見て回ったが、どこにもおらず、心の中に不安がぽつりと生じて、それがどんどんと広がっていく。

「大丈夫。消える時は私の前でって言ってくれたもの。勝手にいなくなったりしないって…そう誓ってくれたもの」

 鼓動が嫌な感じに早まるのを、頭を振って否定する。

「だって…誓ったもの」

 声が震えてしまうのが情けなかった。羅刹となったあの人の寿命は常人よりもきっと短い。二人が二人でいられるまでに、あの人が随分と命を削りながら戦ったのを間近で見てきただけに、ほんの僅かでも空白があると不安が影のように忍び込んで心を苦しめた。

「…ここにきっと、いるもの」

 今いる部屋の、ぴたりと閉じられた障子の向こうには小さいながらも縁側がある。

 そっと障子に手をかけると、心臓が開くのを押し留めるかのように大きく跳ねた。

 ゆっくりと開くと、隙間から見慣れた着物の端がちらりと見えて、思わず安堵の息を漏らした。

 姿が露わになるにつれて、不安でざわめいていた心が徐々に凪いでいく。

 大きく開ききると、板敷の上で気持ちよさそうに眠る最愛の人の姿が目に入って、全身から力が抜けてしまいその場にへたりこんだ。

「良かった…」

 気持ちよさそうな寝顔へと手を伸ばし、少し冷たい頬にそっと触れた。そして抜けていた力が戻ってくるのを感じると、身を起こして相手の顔に自分の顔を近づけ、しげしげと寝顔を眺めた。

「よく眠ってる。…いつも忙しいから疲れてるよね」

 濃い藍色の髪に指を絡ませて静かに梳くと、目の前の唇が僅かに緩むのを見て、愛しさで心が震えた。

 

 この人がこんなに無防備な姿を見せるのは私だけ。

 眠っているこの人に触れられるのは、この世界で私しかいない。

 

 

(この人を好きになって、ひたすら追いかけて。この人も私を愛してくれて、こうして妻にしてくれた。妻になってからの方が、より愛が深まった気がする。私達が互いのものだと認められてから、私はようやく安心したの)

 

 何もかも失った私が手に入れた最愛の人。

 愛しい私の家族。

 いずれ別れがくると分かっていても、こうして共にいられる時が幸せで、苦しいくらいに幸せで。

(私を選んでくれて有難う)

 心の底から湧き上がってくる強い愛情が私の心を震わせてふいに泣きたくなった。

 目の奥に痛みを生じさせながら涙が表面を覆い、やがて目尻で集まって珠になると静かに頬を伝った。

 両目から流れた涙が頤でしばし留まると、力尽きたように下へと落ちて、真下にある少し日に焼けた頬で弾けて散った。

 その様を見て、慌てて頤に手を伸ばして残りの涙を拭おうとすると、横から伸びてきた大きな手に手首をやんわりと掴まれた。

 驚いて掴まれた手に目を向けてから、すぐに真下にある顔へと視線を戻すと、いつの間にか両目が開かれていて、綺麗な藍色の瞳が私の顔を探るように見つめていた。

「…何かあったのか?」

 穏やかな声で問われて、一瞬、言葉に詰まった。それから小さく頭を振りながら「何も」と言うと、相手の眉間に皺が入り、答えを待つ目でじっと見据えてくる。

「千鶴。…ちゃんと話せ」

 優しい声と、掴まれた腕から伝わってくる温もりに、甘やかされているのを感じて、思わず目を逸らしてしまった。

「千鶴?」

 相手の手に少しだけ力がこもり、「もしや…何か嫌な目に遭ったのか?」と低い声で呟くのを耳にして、その剣呑な響きに慌てて「違います!」と否定する。

「なら、何故泣く?誰がお前を泣かした?」

「――誰も。私、帰ってきてあなたの草履を見て部屋中を探したんです。でもどこにもいなくて、自分でもおかしいと思いつつも、不安で仕方ありませんでした。部屋にいないなら、縁側だって頭では分かっていても――そんな風に考えてしまうのが嫌で、怖くて。この障子を開いてあなたの姿を見て、安心して力が抜けました。本当に…馬鹿みたいですよね」

「俺は――約束したはずだ。黙っていなくなりはしないと」

「分かっています。…ごめんなさい」

「いや、俺がお前ならきっと同じように感じるだろう。…すまない」

 そう言ってもう一方の手を私の頬へと伸ばすと、頬に残る涙の痕を優しく撫でた。

 今でも欠かさない剣術の稽古と、厳しい冬を越して荒れた手が、頬に僅かな痛みを感じさせて、その痛みがこの人の存在を確かなものだと伝えてきた。

 触れてくる指先から、私への愛情が肌を通して染み込んでくる。

 愛しいと、この人がこんなにも愛しいと、心が大きく膨らんで苦しいほどだった。

「一さん、私…あなたの妻になれて幸せで泣いてしまったんです。悲しい涙じゃなくて、幸せで自然と涙が溢れて…せっかく気持ちよさそうに眠っていたのに――ごめんなさい」

 微笑みながら伝えると、相手は驚いたように目を瞠って、次いで嬉しそうに笑った。喜びの中に薄らと見える切なさに、私の中にある切なさが共鳴して再び目の奥に痛みを感じた。

「俺も…幸せだ。ここまでついて来てくれた事に感謝してもしきれない」

「私はあなたと一緒にいたかったから。あなたが居る場所が私の居場所です」

 私の言葉を聞いて、相手の目が一瞬、苦しそうに細められた。それから静かに口元に笑みを浮かべると、穏やかな声で「…そうか」と言った。

 言葉が尽きて、静かに見つめあった。互いの顔を頭に刻み込むように、時をかけて。

「千鶴」

 藍色の瞳に小さな火が灯るのを見て、全身が甘やかに粟立ち、知らず知らずのうちに、小さく唇が開いていた。

「――これから先も、互いの時が続くまで二人で」

「…はい」

 約束を交わし、微笑みを交わした。そして頬に触れていた相手の手に力が込められて、ゆっくりと引き寄せられるのに抗わず素直に身を委ねた。

 唇が触れる寸前に、小さな声で「お前だけだ」と呟く声を耳にして、我慢していた涙が堪えきれずに溢れた。

 そのまま最後の距離を自ら埋めて、そっと相手の唇に己のものを重ねた。

 

                           了

 

説明
斎×千 END後。夫婦話。
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薄桜鬼 千鶴 二次創作 SS END 夫婦 斎藤 

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