世界の終わりとワンダーランド・コンビニ |
毎日の日課は、弁当を買って帰ることだ。
行きつけの職場近くの店に寄り、弁当を買って帰ることだ。
昔はよく自炊もしていたが、一人暮らしをするようになり、まったくやらなくなってしまった。一人暮らしになれば、自炊をする機会が増えるというけれど、僕の場合は全く逆だった。
彼女の名前は中崎という。
胸のところに付いた名札で知った名前で、僕は今のところ、彼女についてはそれしか知らない。
あとは通っているコンビニの店員で、ほぼ毎日働いているということしか、僕は知らない。
アルバイトなのか正社員なのかも知らず、ただ思うことは、かわいい人だなあというだけだった。
毎日毎日、僕は駅の近くのその店で弁当を買い、温めてもらい、電車に乗って家に帰る。
電車に乗る間に弁当は冷めてしまうので、温める意味なんで本当はないのだけど、僕は毎日弁当を買って温めてもらう。
「こちら温めますか?」
――と彼女が言うので、
「はい、お願いします」
――と僕は言うのだ。
そうすれば、三十秒の間だけ、僕は公然と彼女のそばにいられるのだった。
つまり僕は、彼女のことが好きなのだ。
いつだったか、偶然立ち寄った店で彼女を見て、以来、好きになってしまったのだ。
だから僕は、自炊をするのをやめ、毎日のようにコンビニに通っている。
声をかけようかなと、ずっと思っていた。
正社員ならいざ知らず、アルバイトならいつ辞めてもおかしくないので、声をかけようとはずっと思っていた。
だけど小さな勇気を持つことができず、いつも早鐘のように心臓を鳴らし、何も言わずに店を出るだけだ。
温められた弁当を袋に提げて、言えなかった後悔を抱え、電車に乗るために駅へと向かうのだ。
彼女が休みの日は、どきりとする。
もしかしてやめてしまったのではないかと、僕はどきりとする。
最後のチャンスを逃してしまったのではないかと――。
しかし翌日には彼女はきっちり勤めに出ていて、それは杞憂だったと知るのだが、彼女が休みを取るたびに僕はどきりとするのだ。
多分、あの店に通いだして、一年以上が経過していた。
つまり僕は一年もの間、伝えるに伝えられず、毎日のように動悸を激しくしては落ち着けているのだ。
小心者の自分を、恨めしく思う。少しでも図々しさがあれば、声をかけることくらい簡単なのに、それすらできない自分を恨めしく思う。
だけど好きでいることは、悪くはない気分だった。
見ているだけで、それだけでもよかった。
本当はもっと近づければと思うけれど、離れてしまうよりは、それでもいいかなと思うのだった。
彼女が辞めてしまわない限り、ほぼ毎日会うことができるので、僕はそれでもいいかなと思うのだった。
「こちら温めますか?」
「はい、お願いします」
――これだけの会話しかできないけれど、結構それだけでも、僕みたいなやつには満足できるのだった。
だけどそんな淡い色をした時間も、そんなに長くは過ごせなくなってしまった。
伝えられない思いを抱えたままの、甘酸っぱいこの喜びを、持ったままではいられなくなってしまった。
世界は滅んでしまうらしい。
よくわからないけれど、これまでにあった嘘っぱちの終末説とは違い、今度は本当に本当の滅亡が来るらしい。
どうやって滅ぶのかは知らないけれど、どうやらそれは本当のことらしい。
聞いた話では、あと一ヶ月くらいしか、時間は残されていないのだとか――。
伝えようか伝えまいかと、悩んでいる暇はもうないのだ。
早くしなければ、彼女と仲良くするチャンスは永遠になくなってしまうのだ。
言わないことなんて、もう選択肢から外すほかない。何しろ世界が滅んでしまうのだから、せめてそれまでは中崎さんと一緒にいたい。
もちろん拒絶される可能性もあるけれど、そのほうが高いけれど、そうだとしてもあと一ヶ月の命なのだ。だったら砕けてしまっても、当たってみればいいじゃないか。
いつものように、弁当を持ってレジに行く。
今日ばっかりは、はっきりと思いを伝えるつもりだった。
思いを――というよりは、それにつながる橋を架ける……というか――。
「こちら温めますか?」
会計をする中での、いつもの手続きが始まる。
そこに、僕は言葉をはさませた。
「あ、あの、こんどの休み、どこかに出かけませんか?」
「――はい?」
僕の言葉に、彼女はきょとんとした顔になる。
胸の鼓動は最高潮に達していた。
言えずにいたことを、僕はとうとう言ってしまった。
ついに僕は、言うことができた。
彼女の返事が来るまでは、わずかに数秒だったけれど、僕には一時間にも二時間にも感じられた。
心臓の音は、きっとよそに聞こえるくらいに大きくなっていただろうと思う。
「――いいですよ」
ややあって彼女が発したのはその一言だ。
瞬間、僕は天にも昇る気分になった。無機質なコンビニが、まるで咲き乱れる花畑のように感じられた。
「ほ、ほんとうですか?」
「はい、ほんとうです」
尋ねると、今度は彼女ははにかんだだように笑う。その表情は、たまらなく可愛かった。
「そうだ、そこの棚から野菜ジュースを持ってきてくれませんか?」
「えっ?どうしてですか?」
「――先に言われちゃったから、おごります。このお弁当だけじゃ、体に悪いですよ」
そしてまた、彼女は照れたように笑う。
店を出て、おごられたジュースを飲みながら僕は帰路に就いた。
本当ならすぐに駅に行き、電車に乗るのだけれど、浮ついた気持ちを少しでも落ち着かせるために、一駅分僕は歩くことにした。
まだまだ夜の風は冷たい季節だった。
だけどそれなのに、なんだか体がほてっていて、僕には暑いくらいだ。
時々吹きすぎていく冬の風が、暑くなった体をくすぐって、とても心地よい。
映画を見に行く約束を取り付けた。
流行りの超大作を冷やかそうと、二人で決めた。
彼女も僕が気になっていたのだという。
話しかけようと思っていたのだという。
ずっと思いを秘めていて、言えずにいて――。
今度こそはと、考えていたのだそうだ。
僕とぴったり同じだったのだそうだ。
そしてそのタイミングは、僕の方がほんのちょっとだけ早くて……。
果物も入った野菜ジュースは、初恋みたいな味がする。
ふわふわと浮っついて、うきうきと楽しくて――。
こんな気持ちになれるのなら、世界の滅亡だって悪くはない。
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