あの日言えなかった言葉を… (7)代償 |
平次は、目の前の床に横たわる人物を見つめいていた。顔は翳り見えなかったが、その周囲には静かな怒りが発散されているのが感じられた。仁王立ちになる平次と、狼狽し混乱する哀の間に、悲鳴を聞きつけた蘭が割り入ってきた。
「何何!?何があったの…………!?」
蘭は、目の前の人物を見て驚愕した。
「あ、あなたまさか……湯沢勉さん!?」
「毛利先生、毛利先生!!起きてください!!」
「……ん〜……ん?なんらぁ?あむろぉ……」
小五郎は、待合室の椅子の上でいつの間にか眠り込んでしまったらしい。寝ぼけ声で返事をすると、目の前には、嬉しそうな顔の安室がいた。
「ん……どうした?安室」
「いい知らせです!小梅さんが目を覚ましたそうですよ!!」
「な、何っ!?本当か!?」
「はい!!」
小五郎はガバっとベンチから立ち上がった。こうなったらうかうか寝てはいられない。小五郎は急いで小梅の病室に走った。
「小梅さん!」
小五郎が叫んで中に入ると、医師と看護師数人が慌ただしく動き回っていた。小五郎の声を聞いて、小梅が目をこちらに向けた。
「小梅さん!私の事、分かりますか?」
「も、毛利さん……」
「よかった……無事だったんですね!」
嬉しげな小五郎・安室とは裏腹に、小梅の目は虚ろで、何かを捜すように動かしていた。
「あ、あの人……あの人はどこ?」
「?あの人とは?」
突然、小梅がバッと起き上り、小五郎の胸ぐらをつかんだ。医師らの制止を振り切り、小梅は小五郎のシャツを放さずまくし立てた。
「勉さん!!勉さん!私……私、勉さんに謝らなければならないの……私のせいで勉さんは罪を犯したの!!勉さんを助けて!!勉さんには生きていてもらわないと困るの!!私、まだ、勉さんに言えてない事が沢山あるの!!お願い!!勉さんを助けて、ここに連れてきて!!」
「こ、こ、小梅さん!!落ち着いてください!!」
「お願い!!勉さんを助けて!!私のせいなの!!これ以上彼に罪を犯させないで!!」
「小梅さん!!落ち着くんだッ!!!!」
小五郎が小梅の手を強引に掴んで一喝した。小梅はハッとして手を放し、ベッドに倒れ込んだ。
「ご、ご、ごめんなさい……私は……」
小梅は手で顔を覆い、頭を横に振る。小五郎はそっとその手を取ると、ゆっくり膝の上に下ろさせた。
「落ち着いて。焦らず、話を聞かせてください。勉さんを助けるとは、どういう事ですか?」
「コナン君を誘拐したのは、きっと、勉さんです」
一瞬の沈黙が流れた。
「何だって……?コナンを誘拐したのは、あなたが捜していた、恋人さん……?」
「恐らくそうです」
「どうしてそう言えるんです?」
安室が言った。少々食って掛かるような口調だった。
「自分の恋人が犯罪者だ、なんて……あなた、自分の大切な人を悪者呼ばわりするなんて、本当にその人の事大切に……」
「安室!!」
小五郎がキッと安室を睨んだ。安室はまだ何か言いたそうに口を動かしたが、腕を背中の後ろに組んで黙った。
「小梅さん、あなたさっき言ってましたね……『これ以上彼に罪を犯させないで』って……あなたは、彼を愛するが故に、それを止めたい。そうですね?」
「は、はい……」
「しかし、どうして彼がコナンを誘拐したと?」
「最初に毛利さんにお話ししましたよね?以前、事件の時に工藤新一さんにお世話になったって……」
「ああ……確か、事件自体は通り魔事件だったと……」
「ええ……その時、実は私、容疑者の一人だったんです」
「ええっ!?」
驚く小五郎と安室に、小梅は一度頷いて、話を続けた。
「その時はまだ、こんな、車いすでなければ出歩けないような容体ではなかったんですが……犯行の特徴が、メディアで一度でも露出があった美人な女性をターゲットにしている、という事で、その時担当した刑事さんが、容疑者の中で唯一の女性である私の嫉妬からくる犯行だと決めつけたんです。でも、新一さんは、私の容疑を晴らそうと尽力くださった……」
「ゆ、湯沢さん、どうしてこんな所に……?」
平次は、男の傍に膝をついた。
「見て分からへんのか!?コイツがここにおる理由は一個だけ、コイツがくど……コナン君攫てあないな目に遭わせた犯人やからや!!」
「そんな……小梅ハンの恋人ハンやろ?なんで!?」
後から駆けつけた和葉も驚きを隠せない。
「理由なんてどうでもええ……ボウズをあないな目ェに合わせといて……」
「ちょっと!!」
突然、哀が鋭い声を上げた。
「何や?」
「そこで赤いランプが点滅してるの……爆弾じゃない!?」
平次はバッと振り向いた。湯沢の足元、狭いテーブルの下に、静かに紅い光を放つ黒い箱があった。
「の、残り20秒や……」
「タイムリミットは12時て……そういう事やったん!?」
「クソッ!!」
平次は、爆弾への通り道を塞いでいる湯沢の体を避けようとした。
「おい、兄ちゃん、どけや!!」
「うっ……」
平次が強引に湯沢の体を押すと、湯沢が微かに呻き声を上げた。平次は机の下の爆弾を力いっぱい引き寄せた。
「な、何やコレ!?」
平次が声を上げると、哀がその隣に滑り込んで湯沢を見た。湯沢の足には手錠のような枷が掛かっていて、枷のもう一方は爆弾に固定してあった。
「コ、コイツ、爆弾と自分つなげて……」
哀は、そこで何かに気付いたような表情を見せた。
「早く、彼と爆弾を切り離して!!あと、江戸川君を安全なところへ避難させて!!早く!!!!」
その声に蘭と和葉は急いでさっきの部屋へ走って行った。
「何や姉ちゃん、この工藤殺そうとした奴助ける気ィか!?」
「そんなの関係ないわ!!早くしなさい!!」
「そんな事言うたかて……オレに手錠外せる思うんか!?」
「オレがやります!」
強引に割り込んできたのは快斗だった。
10…
「お、お前……」
「ここは僕に任せて逃げて!!」
9…
「コナン君、コナン君!!」
「そっちしっかり持って!!」
8…
「平次何してんの!?早く!!」
7…
「お前早よォ逃げ!!」
「ダメだ!!この人も助けなきゃ!!」
6…
「言い訳は後でたっぷり聞くわ!!今は早く!!」
5…
「平次、ガイト君、何してんの!?」
4…
「ちくしょおぉぉぉ!!」
3…
「ヤバッ……!!」
2…
「開いた!!」
1…
「行……」
0…
ドォォォォォォン……
大地を揺るがさんばかりの爆音が響いた。つい今しがたまでいた山小屋からは火の玉が挙がり、見る影もなく飛散した。目が眩むほどの紅い光が、焦がさんばかりの熱気と共に蘭たちを照らした。
「平次ィィィィィ!!」
「哀ちゃん!!」
「ガイト君ってのはどうした!?」
3人は、燃え盛る炎に向かって叫んだ。コナンを避難させてからも心臓マッサージを続けていた真純でさえ、目の前の光景に茫然と手を止めた。
「ダメよ!!何があってもマッサージの手は緩めないで!!」
そう言って炎の中から走り出てきたのは、哀だった。
「哀ちゃん!!」
「へ、平次は!?ガイト君とあの人は!?」
「そ、そこ……」
哀は煤だらけの手で指さした。平次と快斗は、湯沢を真ん中に、燃え盛る小屋の傍に無様に転がっていた。
「……ンだよテメェ、最初はこの人助けないつもり〜みたいな顔してた癖に、最後の最後には割り込んで抱えていきやがって!美味しいとこだけ取んじゃねえよ!!」
「アン?新参者の探偵に言われとうないわ!!」
「それよりもっとこの小屋から離れねえと……そのうち崩れてくるぞ!」
「分かっとるわ!!」
平次と快斗はいっせーのーでと湯沢を両脇から担ぎ上げ、蘭たちの傍まで運んできた。
「コイツ許せへんのは変わりあらへんけどな、今の今まで息しとる奴はどうしても見捨てられへんかった」
「バカ……」
「何がバカなんや!?」
平次はキッと哀を睨んだ。
「ちょ、服部君……」
「アンタ、起きてんねやろ?何であないな真似したんや?答え!!」
平次は湯沢の隣に仁王立ちになった。湯沢は、仰向けに横たわったままうっすらと目を開け、口を開いた。その声は弱々しかった。
「……小梅が、通り魔の容疑を掛けられたあの日……僕は、どうしても抜けられないオペがあって、それを終えてから急いで小梅のもとに駆けつけようとした。でも、僕が出てきた手術室に入れ替わりに入って行ったのが、小梅だった……」
湯沢は目を閉じた。
「後で聞いた……小梅は、容疑を掛けられ長い時間取り調べられている内に容体が悪化し、救急車で運ばれた。それ以来、小梅は車いすで生活しなければならなくなった。その時、小梅を取り調べていたのが、工藤新一だったと……」
「それで、復讐しようとしたのか?恋人の幸せな生活を奪った、工藤新一に」
快斗が訊いた。
「ほんで、同じ苦しみを工藤に味わわせたるって言うたんやな?」
「同じ苦しみ?勉さんと?」
蘭は怪訝そうに聞いた。
「ボウズに溶血とかいう症状起こさせて、こないなるまで痛めつけた理由……それは、小梅さんも同じ病気にかかっとったからや。『再生不良性貧血』ゆう病気にな」
「さいせいふりょうせい……?」
「再生不良性貧血。これは、赤血球、白血球、血小板など、全ての血球の源となる造血管細胞に異常をきたすことによって起こる難病よ。これにかかると、全ての血球が減少し、貧血症状のほか、白血球の減少による細菌に対する抵抗力の低下、そして感染症にかかりやすくなる。さらに血小板の減少によって出血しやすくなる……これが再生不良性貧血の症状よ。一度罹ると、欠乏している鉄分やビタミンB12を補うだけでは治らない。これが、この病気が難病に指定されている理由よ」
哀が説明した。
「コナン君が受けた仕打ちと同じや……」
和葉が呟いた。快斗も小さく頷く。
「それで、工藤新一を、自分と同じ境遇……つまり、難病にかかった小梅さんをただ見ているしかない、何もできない情けない自分と……同じ立ち位置に追い込もうとしたって事か……」
「それで、満足したんか?」
平次の口調は威圧的だった。
「へ、平次……」
「このボウズさんざん苦しめて、工藤追い込んで……それでアンタの気ィは晴れたんか?」
微かに湯沢は目を動かした。
「晴れたんか!?」
平次は急に湯沢の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「晴れたわけないやろ!!アンタ……アンタ、自分が何したんか分かってんのか!?アンタがしようとしてたんは、人殺しや!!アンタ、タイムリミットは12時やて……さっきの爆弾、工藤おびき寄せて、ボウズもろとも殺す気やったんやろ!?ボウズの手ェ怪我さして血ィ抜いても飽きたりひんかったんやろ!?爆弾への道塞いどったんも、誰かに解体させんようにするためやろ!?目暮警部刺さしたんも、工藤とつながりのあるモンらやらせて、自分の大事な人が酷い目に遭うたら、どんな気ィになるか思い知らせとぉてやったんやろ!?」
平次の気迫の凄まじさはこの世の者とは思えなかった。放っておいたらこのまま湯沢を殺ってしまいそうだ。
「や、やめて平次!!」
和葉が必死に止めるも、平次は聞く耳を持たない。
「……見当違いもええトコや!!こんな事して、小梅ハンがどう思うか考えたことあるんか!?アンタの復讐は、何に対する復讐なんや!?小梅ハンはまだ死んでへんのやぞ!!なのに何で、ボウズが、死ななあかんねん!?答え!!」
「ち、違うんだ、私は……殺そうとは……」
「嘘つけ!!」
「もうやめて平次ッ!!」
和葉が一瞬の隙を突いて、平次を合気道技で地面にねじ伏せた。平次はその手から逃れようと激しくもがいた。
「何すんねん!!離せ、和葉!!」
「離さへん!!」
和葉は目に涙をいっぱい溜めていた。
「平次こそ、勉さんがどんな気持ちでいるか分かってんのん!?」
「何!?」
なおも振りほどこうとする平次の手を、蘭も押さえた。
「確かに、この人がしたことは許されることではないわ……でもこの人は、本当に小梅さんの事が好きで、大切に想っているから、やってしまったんだと思う」
「はぁ!?」
平次は、もがく手を緩めた。
「さっき、哀ちゃんが、『何かを引きずったような跡を見つけて辿ったら勉さんがいた』って言ってたでしょ?」
「ああ……」
「あれ……最初は、爆弾はコナン君の傍に置いてあったんじゃないかって思ったの」
「ウチもや!この人多分……こないなったコナン君見てるうちに、だんだんコナン君が小梅ハンに見えてきてしもて……もう起動させてもうた爆弾の巻き添えをコナン君が食らわんように、遠ざけようとしたからやないかって……」
平次の表情が、一瞬硬直した。和葉が、その手を改めて握る。
「今の平次と勉ハン、おんなじに見えるわ」
「……おんなじ、やと?」
平次は、訳が分からないという顔で首を振った。
「どっちも、大切な人が傷ついてて、でも何もしてあげられんで、悔しゅうて、悲しゅうて……それで、その気持ちどないしたらええんか分からんでいるんや、2人とも……」
「それで、服部君は、探偵だから、『犯人を懲らしめる』ことでその気持ちにケリをつけられる。でも、この人は、怒りをどこに持ってったらいいか分からなくて……工藤君に怒りの矛先を向けることでしか、ケリをつけられなかったんじゃないかって……」
「でも、勉ハンは非情には成り切れんかった……さっきの薬莢、あれは勉ハンが自分で自分撃ったんや。どうなっても自分が爆弾の傍から離れられへんように……」
平次はまた怪訝な顔に戻った。
「何なんや?みんなして、ボウズこないにした奴の肩持つんか?ボウズの方が、わざわざ自滅するような真似したっちゅうんか!?」
「違うわ」
哀が言った。
「彼は、自分の恋人の幸せを奪った工藤君が憎かった。でも、それを呪うしかない自分も憎かったのよ。貴方が今、江戸川君の代わりになれない自分を呪っているように」
平次はハッとした。
「だから彼は良心の呵責に耐えきれず、自分の足を拳銃で打ち抜き、爆弾を江戸川君から遠ざけ、自分が死のうとした。そしてあなたは、江戸川君を失うことに耐え切れず、怒りに任せて壊れてしまおうとしている。でも、誰も、そんなことは望んでいないわ」
平次の体の力が、フッと抜けた。
「望んで、ない……?」
「そうよ。そんなことされたら、自分たちのせいでそんな事をされてしまったって思うだけだし、迷惑なのよ」
哀は冷たげに言い切った。
「そ、そないなコト……」
「……バーロ、言い過ぎだ、灰原……」
誰もが、か細くも、間違いようのないその声に驚き、振り向いた。心臓マッサージを続けていた真純も、ハッと手を止めた。
「へいじ、兄ちゃん……」
コナンは、蒼白な顔で、目は閉じたままだったが、右手だけが、何かを捜すように空中を彷徨っている。
「新一兄ちゃん、言ってたよ……小梅さんが歩けなくなった時、勉さん、誰もいない所で泣いてたって……そんなに、小梅さんの事想ってる勉さんを、罪を犯したまま、死なせちゃダメだって、思ったんだ……だから……ごめんね……へい、じ、にいちゃ……」
小さな手は、力なく枯れた草原の上に落ち込んだ。平次は、ふらふらと隣に座り、コナンの手を握った。
「お、お前、それで……」
平次はようやく悟った。コナンは、自殺を決意して自らを撃ち動けなくなった勉を助けるために、縄をほどこうとしていたのだ。
「アホ……」
再び気を失ったコナンの手を、平次は握りしめた。手首に巻かれた包帯からは、まだ血が滲み出ている。
上空から鈍いプロペラ音が聞こえてきた。ドクターヘリが到着したのだ。手を振って合図する和葉、マッサージを交代した蘭、急いで電話を掛ける哀、救急隊員を誘導する快斗。その傍で、平次は茫然と、コナンの手を握っていた。
あの後、小梅は再び意識を失った。集中治療室の、無数の機器やチューブに囲まれた中で、小梅の呼吸はもはや酸素吸入器頼りだった。小五郎と安室は、白い上着とマスク、キャップを着て、小梅に付き添っていた。
「そ、それは本当か!?」
慌てた顔でやってきた看護師に耳打ちされ、小五郎の顔が明るくなった。
「どうしたんです?毛利先生」
「コナンが見つかったそうだ!犯人も……危険な状態にあったから、一緒に助け出されたらしい」
「……あ、小梅さん!」
医師が慌てて小梅に近づいた。若干だが脈拍数が戻り、小梅が目を開けたのだ。
「毛利さん……」
消え入りそうな声で小梅が言う。小五郎は急いで傍に行った。
「何です?小梅さん……」
小梅は笑っていた。その碧の目は光を湛えている。
「明日は、怪盗キッドが宝石を盗むと予告しているそうですね」
「……は?」
場違いな言葉に小五郎は戸惑った。
「……これも、神のお導きかしら……」
小梅の目は、明らかに焦点が合わなくなってきている。意識の混濁が始まっていると医師は判断したらしい。急に動きが慌ただしくなった。
「あの人も無事なのね……」
小梅の呼吸が荒くなる。心配して近づいた小五郎に、小梅の手が触れた。もう掴む力もないらしく、力なく小五郎の手の上に落ちる。
「あの人に……この言葉を伝えてください……今まで言えなかった、この……」
小五郎が沈黙した。小梅の目から一筋の涙が流れた。無機質な電子音が鳴り響く。後ろにいた安室には、最期、小梅が何を言ったのか聞き取ることはできなかった。
<続く>
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コナンを誘拐した犯人に対し怒りを顕わにする平次。しかし、そこには悲しい動機が隠されていたのだ。そして、依頼人であり、犯人の恋人でもある小梅が、ついに――― | ||
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