すみません。こいつの兄です。61
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 死ぬほど大変な事態になった。

 比喩じゃない。本当に死んだ。俺が。

 

 わぁ。

 死ぬほど大変だ。

 

 その日、俺は自転車で走っていた。橋に差し掛かるところで、歩道に半分乗り上げて駐車した乗用車の陰から、ぴかぴかのランドセルを背負った女の子が出てきた。自転車のタイヤより少し大きいくらいの背丈。反射的に身体を傾け、ブレーキを握り締めた。たぶん避けきれたと思う。でも、向かった先は少々まずかった。橋の欄干にまっすぐに突撃した。橋の欄干は、自転車より若干低かった。欄干に衝突し、前輪を軸に前転。俺の身体は、スリングショットよろしく発射された。欄干の向こう。昨夜の雨で増水した川の上空へと。

 橋は川の数メートル上に掛けられている。俺は吹っ飛ばされ、追加の一メートルを得た。

 そして、位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら落下していく。世界がゆっくりと回転し、川岸の草の一本一本までが明確に見える。無抵抗に空中を舞う。次の瞬間、頭に衝撃を受けて全身がしびれた。

 水泳の授業なんて役に立たなかった。川の流れは、上から見る以上だ。泳ぐどころか浮かび上がることすら水の流れの気まぐれに翻弄される。おまけに全身の自由が利かない。しびれたように手足が動かない。

 これは、死んだ。

 いやだ。死にたくない。

 母さん。父さん。真菜。

 死にたくない。

 真奈美さん。美沙ちゃん。橋本。上野。東雲さん。八代さん。

 死にたくない。

 にごった真っ黒の水。どっちが上なのか。もがく。もぐっているのか、浮かんでいるのか。何かが身体を縛り付ける。もがくこともできない。頭が痛い。

 三島。つばめちゃん。

 死にたくない。

 ごぼごぼと音を立てていた耳が、静かになり、ただビーっという蛍光灯音のような音だけになる。

 真菜。

 身体が振り回される感覚がなくなる。軽くなる。重力も浮力も感じない。

 

 耳鳴りもやみ、視界も闇、手足も身体もなくなったようにしびれる。

 真っ暗。

 

 次に目を覚ますと森の中にいた。

 いや。

 正確には、森の中の小屋にいた。開け放たれた窓の向こうから聞いたことのない鳥の鳴き声と、風に葉の擦れる音が聞こえる。

 そして、やさしげに覗きこむのはキラキラと輝くお日様と同じ色の髪のお姉さん。切れ長の目。高い鼻。そして、大きく尖った耳。

 エルフ?

「気がつかれました?まだ起き上がっちゃだめですよ」

エルフっぽいお姉さんは、そっと俺の胸の上に手を置いてやんわりと押しとどめながら、ゆっくりと言う。

 柔らかなベッドに横たわったまま、目だけお姉さんに向けて尋ねる。

「あの…お姉さん」

「はい。なんでしょう」

「…お姉さんの名前は、もしかしてワルキューレさん?」

「はい」

戦士の魂を死者の国に連れて行く女神さんと同じお名前だった。

 なんか、やばい感じがする。

 どうしよう。どうしよう。

 やばい感じがするのに、脂汗も冷や汗も出ない。汗をかくべき俺の肉体は、どちらにあるんだろう。これは肉体じゃないのかな。

「少しずつ、起き上がってみますか?暖かいお茶でも飲んで、落ち着いてください」

ワルキューレさんが、湯気を上げるカップを差し出してくれる。窓から入ってくる風は涼しくて、暖かいお茶をいただくのにちょうどいい気温だ。

 起き上がり、カップを手に取る。口に近づけて、ふと思い出してやめる。

「あ、やっぱりいいです」

カップを返す。

「飲み物を飲むと落ち着きますよ」

だめだ。イザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、現世に帰れなくなったのだ。死者の国の食べ物を口にしてはいけない。

「あの。お姉さん…」

「はい」

さらさらとプラチナブロンドがゆれる。薄いベールのような布を合わせた緩やかな服の襟元から、豊かな谷間もゆれる。

「妹のところに帰りたいんですが」

「そっちの道案内は…わからないわ」

眉根を寄せて、かわいらしい困った表情を作る。すごく年上のようにも、同い年のようにも見える。

 年齢がわからないのは、つばめちゃんを思い出させる。

 つばめちゃんにも会いたい。

「ですよねー」

「別のほうになら、案内できるわよ」

優しそうな微笑を浮かべる。心が落ち着く。魂が鎮まる。つまり鎮魂。やばい。絶対について行っちゃだめだ。

 どうしよう。

 なんとか生き返りたい。どうしたらいいんだろう。三万日以内に夢幻の心臓を手に入れたりすればいいのだろうか。

 そうこうしているうちに、小屋のドアがノックされた。ワルキューレさんが応対に出る。一言二言話して、またワルキューレお姉さんが戻ってくる。

「二宮直人くん。呼ばれたわ。ついてきて…」

「お姉さんについていくと、死者の国?」

「まだよ」

「死なない?」

「死ぬかも」

それは、死んでもいやだ。

 でも、ついていかないという選択肢はないみたいだ。まだ死者の国というわけでもなさそうだし、死ぬかどうかの方も『死ぬかも』という表現だ。つまり、暗に復活の可能性が残されている。

 一縷の望みだ。そこにすがりながら、立ち上がる。

 ワルキューレさんが、そっと手を握ってくれる。やわらかくて、少し冷たい手。ワルキューレお姉さんの切れ長の目と、完璧な容貌が真奈美さんを思い出させる。真奈美さんを金髪にしたら、こんな感じだろうか。おっぱいは三周りくらい大きいけど。

 ワルキューレさんに連れられて行った先は、石造りの建物だった。

「ぎゃあっ!」

悲鳴を上げてしまった。

 そりゃ、そうだ。

 部屋の右側にはミノタウルス風味の牛の頭が筋肉男のボディから生えた鬼。左側には、それの馬バージョン。

 牛頭馬頭だ。

 やばい。正面のあの扉から現れて、目の前のでかい机につく大王様が誰だかは、いろいろ語られている。そして、その人の判決で俺の連れて行かれる先は右と左の扉のどっちだろう。片方からは、時折悲鳴が聞こえてくる。あっちは、本当にいやだ。反対側もあまりうれしくないけど、あっち側よりマシだ。

 そして、そのお方が現れる。俺の現世での罪を裁きに現れる。

 閻魔大王。

 大王なのに裁判官だ。行政と司法は分離しているのが民主主義の原則だと思ったんだが。

「ここは、民主主義じゃなくて王政だからな」

「そーすね」

閻魔大王様が、俺の心を読んで教えてくれる。意外とフランクだ。

「ちなみに、弁護人とかいないからな」

「そーすか」

三島みたいな裁判だ。三島にももう会えないんだろうか。会えないとなると会いたくなる。殴られるのはごめんだけど。

 そして、罪状の朗読が始まる。閻魔裁判に罪状認否はない。すべて事実決定だからだ。

 並ぶのは忘れていた子供のころのウソ、ごまかし、妹を殴ったこと、小学生のときに女の子のスカートをめくったこと、思い出せないような罪がずらりと並んでいく。

 ああ…。俺って、悪人だなぁ。

 小学校のときに、同じクラスの女の子を泣かせたことを思い出して、そう思う。そして、それを忘れていた自分を思って、罪の意識を新たにする。

 なに地獄に落ちるんだろう。

 途中で天国行きをあきらめる。

 どうやら、罪に贖罪はないみたいだ。罪は罪。厳然として独立して、そこにあり、善行はまた別に独立してそこにある。罪を積み重ねずに生きる人間なんているんだろうか。アリさんを踏み潰したとか、蚊じゃない蚊っぽい虫をつぶしたとか、そんな罪までリストアップされていく。食べた外国産の食べ物。その原産国で、子供が飢えて死んでいる。間接的な罪のひとかけらが、俺の罪に重なる。

 人は生きている限り、罪を重ねずに存在できないんじゃないか。そんな勢いだ。

「それが、原罪よ」

耳元で、ワルキューレさんがささやく。

 ワルキューレさんを見る。瞳が鳶色だ。真奈美さんと同じ鳶色だ。

「俺は、まだまだ真奈美さんのそばにいたいよ。美沙ちゃんのそばにも。真菜のそばにも」

ワルキューレさんが微笑む。

 長い長いリストを読み上げた閻魔大王が口を開く。俺は、いくつの地獄に行くんだろう。 こわい。もらしそう。真奈美さんの気持ちがわかる。

「二宮直人…」

俺はだまって、いかめしい閻魔大王の顔を見上げる。

「生きれば、罪を重ねるのだ。一日生きれば地獄での罰も長くつらいものになるのだ」

そうだろう。さっき、読み上げられた無数の罪状を思い出して、確信する。人は罪を重ねずに生きられない。

「それでも、いとしい人たちと生きたい?」

言葉を引き継いだのは、ワルキューレさん。真奈美さんに似たワルキューレさん。鳶色の瞳は、真奈美さんのもののようにも、美沙ちゃんのもののようにも見える。

 ワルキューレさんが真っ白な肌に小さな髑髏のペンダントをしているのに気づく。

「それ。妹も持ってるな」

関係ないことを呟く。髑髏のアクセサリから目を離せない。妹の持っていたのと同じアクセサリ。妹。真菜。真菜と同じ。真菜。真菜。会いたい。牛頭。馬頭。閻魔大王。地獄への扉。天国への扉。ワルキューレ。すべてが別の世界のそこでペンダントだけが、見慣れたものだった。妹のペンダント。

 操られるように手を、ペンダントに手を伸ばす。手に取り、顔を寄せる。

 いつしか、ワルキューレさんの胸元に顔をうずめペンダントに頬ずりしていた。涙がとめどなく頬を伝う。ワルキューレさんの真っ白な肌が、至近距離で涙ににじみ、視界が真っ白に埋まる。

 真菜。

 真菜。

 真菜。

 涙が伝うたび、妹の名がリフレインする。妹のペンダント。この世界で唯一、現世で見知った懐かしいもの。これを失ったら、俺は消えてしまう。ペンダントを握り締める。

 

 真菜。 

 

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 目を開けると、機械の塊が見えた。

「ああ。気がついたね」

どうやら、救急車の中みたいだ。控えめに揺れる車内で、名前と住所を尋ねられる。そして、驚くほど短時間で病院に到着する。

 お医者さんの問診を受け、レントゲンを撮り、CTを撮り、片足で立ってみろとか、目を見せてとか、上向いて、下向いて、とかとかの検査を受けた。迎えに来た母親に連れられて帰る。

 ポケットに突っ込んでいた携帯電話は、ストラップを伸び縮みするリールに付けていたおかげで、失くしたりはしなかったが、ずぶぬれだ。

「これ、大丈夫かな?」

とりあえず、バッテリーを外してストラップを洗濯ばさみに挟んでぶら下げてみる。

 そういえば、橋本と遊びに行く途中で川にダイブしたんだった。約束の時間からは、もう何時間も経っちゃっているが、メールで詫びておこう…と思ったところで、メールアドレスの入った携帯が窓際でゆれていることに気がつく。

 だれかに聞こうにも、連絡先は全部同じ携帯電話の中だ。

 どうしようもない。携帯電話が十分に乾いてから、電源を入れてみて復活すればよし。復活しなかったら、月曜日に学校に行ってから、またみんなに連絡先を聞かなくてはいけない。意外と簡単なことで友人の連絡先を失ってしまった。簡単なことじゃないか、川にダイブして心肺停止してたんだから。

 その夜、父親が比較的早く帰ってきた。

「直人。川にダイブしたんだって?」

母から顛末を聞いた父親が聞いてくる。

「まぁ、不本意ながら」

「本意でダイブしたんじゃなくてよかった。自転車で、小学生を避けて川に飛び込んだと聞いたが…」

「まぁ、そのとおり」

「小学生を轢くより、いいかもな」

「そうかな」

「母さんを悲しませるのはいただけないから、次からは、もっとゆっくり走れ。小学生も轢くな」

「なるべくそうする」

「ん」

父親は、電子レンジで暖めた夕食を食べながら、俺にそれだけ言って話は終わりになった。もっとコテンパンにしかられそうな気もしていたから、拍子抜けだ。

 部屋で、本でも読もうと思って二階にあがる。

 部屋に入ると、俺の部屋のベッドに転がって妹がメールを打っていた。

「あ。にーくん」

妹がこちらを振り向く。どきりとする。臨死体験の世界で、握り締めたドクロのペンダントを思い出す。

「ん?どうしたっすか?にーくん」

起き上がって、ベッドの上に座る妹。

「なんでもない」

「そーすか。それより、にーくんのパソコンってスカイプ入ってるっすか?」

「入ってない」

「入れるっす」

そう言って、妹が携帯電話の受信箱を見せてくる。未読四十八件。差出人、みさっち。件名「お兄さん。帰ってる?」「お兄さん、まだ?」「お兄さん、大丈夫かな?」「真菜、お兄さんのこと隠してる?」などなど。だんだん、美沙ちゃんのSAN値が下がっている。

 窓際でゆれる携帯電話(乾燥中)に視線を向ける。

 そうだった。電話していい時間は、美沙ちゃんにメールで知らせているんだった。携帯電話があれでは連絡のしようがない。

「ちょっと待て」

パソコンを起動する。スカイプを検索して、インストールする。また、パソコンが重くなっちゃうな。

「貸してあげるっす」

妹が肩越しに、マイクを渡してくる。パソコンに差し込む。

 すぐに、見知らぬIDからコンタクトがくる。

「それ、美沙っちっす」

「ああ…えーと」

そして、すぐにコールがやってくる。ぷぉんぽぷぅぱんぷぉぉんぷぉぱん。(スカイプ呼び出し音)

「ほいほい」

『お兄さん!川に落ちたって、本当ですか?』

美沙ちゃんの少し切羽詰った声がパソコンから出る。

「うん。本当。えと、美沙ちゃんだよね」

「あ。ごめんなさい。うん。私です…あの。それで、お兄さん。大丈夫?」

「ああ。ちょっと危なかったけど、大丈夫」

本当はちょっとじゃない。天国の扉と地獄の扉を見た。

「よかった…。私、お兄さんになにかあったら死にます」

声がマジだ。

「それ、やめて」

「お兄さんの身体は、もうお兄さんの物だけじゃないんです」

「いや…あのね。美沙ちゃん。たぶん、俺の身体は俺だけのものだからね」

今日は、美沙ちゃんのご病気のお加減がよろしくないらしい。もしくは、調子がよくなっちゃっているのか…。

「お兄さん、なかなか堕ちないなぁ」

声から、なんとなく漢字を間違っている感が伝わってくる。

「落ちないし、堕ちないよ」

かなり頻繁に美沙ちゃんの可愛さに落ちそうになるけど、今のところ踏みとどまっている。ひょっとしたら美沙ちゃんの誘惑で精神を鍛錬していたから、ワルキューレお姉さんにホイホイついていかなかったのかもしれない。自分の精神力に、かすかな誇りを感じる。

「堕ちてくれたら、お兄さんの身体はお兄さんだけのものじゃなくなりますけど…」

「ん?」

なにを言い出すんだろう。

「私の身体は、お兄さんだけのものになりますよ」

ぶばぁっ。今すぐ付き合おう!

「あうとぉーっ!」

妹が背後から襲いかかってきて、マイクを奪い取る。

「美沙っち、最近クレイジー度がエクシードすぎるっす!」

お前の日本語もコラプテッドすぎるぞ。

「ちょっと、真菜。せっかくお兄さんとラブラブな話してたのに、邪魔しないで!」

「ラブラブじゃないっす。どう見てもエロエロっす」

最近、美沙ちゃんよりも妹のほうが常識人に見えてきている。なんで、美沙ちゃんあんなにヤンデレちゃったかなぁ…。美沙ちゃんに好かれるのは、ものすごくうれしいのだけど美沙ちゃんが俺なんかに拘泥しているのはもったいない。

 そんなことを考えながら、俺から奪ったマイクで美沙ちゃんと話している妹の背中をぼんやりと見る。

 というか、いつの間にやら勝手になにやらゲームを起動している。スカイプで美沙ちゃんと話しながらゲームをやっているみたいだ。つーか、俺のパソコンに勝手にインストールするとは、どこまでも傍若無人な妹だ。いまさら言うことじゃないけど。

 まぁ、いいや。今日は疲れた。ちょっと遠くまで出かけたしな。具体的にはあの世の一歩手前まで行ってきた。

 

 そうして、妹と美沙ちゃんの声を聞きながらベッドで本を開いた。

 三分で寝落ちした。

 

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 翌日、月曜日。文系進学クラスの教室で橋本に詫びを入れた。

「いや。昨日は悪かった。実は…」

もちろん臨死体験で見たワルキューレさんや閻魔大王の話はしなかったが、それ以外の部分については包み隠さず事実のみを淡々と伝えた。聞いている橋本の顔がじんわりと青ざめていった。

「…それ、お前が死んでたら、俺、すげぇ後味悪いんだけど…」

そうだよな。待ち合わせしてた友達が、その場所に向かう途中で死亡とかトラウマ級の思い出だ。

「二宮くん、気をつけないとだめだよー」

橋本の隣には、今日もFカップ東雲さん。この二人、いつもセットでいるのが普通になったな。ここまで普通になると、なんとなくこのままずっと行く気もする。こういう雰囲気は、橋本と東雲さんの人柄なんだろうな。東雲さんはおっとり巨乳だし、橋本はおおらかな性格だ。

「ということで、携帯電話が死んだかもしれない。悪いが、メールアドレスと電話番号、もう一度教えてくれないか?」

コンビニで買った文庫サイズのメモ帳とボールペンを橋本に渡す。これなら、万が一川にダイブしても、完全に読み取れなくなることはないんじゃないかと思う。橋本も東雲さんがメモ帳に電話番号とメールアドレス、それと住所も書いてくれる。

「さんきゅ」

二人に礼を言って、少し離れた三島の席に移動する。

「三島…」

「二宮。あんた、気をつけなさい」

「聞いてたか?」

「聞いてたわ。貸して」

三島が、メモ帳に視線を落として手を差し出す。渡す。

 三島は、自分の連絡先をしたためると、メモ帳の一番最後のページを一枚やぶりとる。

「二宮も書いて」

「あれ?教えていなかったっけ?」

「…私の携帯が今日の帰りに壊れないとは限らないでしょう」

「そうだな」

電話番号とメールアドレスを書く。

「家の電話の番号と住所も書いて」

言われるがままに書く。その紙をたたむと、三島は財布の中にしまいこむ。

「二宮。誕生日のメールの件…」

「ああ」

「たまには、カードを送ってくれてもいいのよ」

「まぁ、うん。そうだな」

三島のためにカードを買いに行って、切手を貼って出すのは面倒くさいと思ったけれど、まぁ、一年に一度のことだしと思ったりしながら、ぼんやりとした返事を返す。

「私も、もしかしたら送るかもしれないわ」

三島もぼんやりとしたことを返す。

 文系進学クラスの知人をぐるぐると回って、連絡先をもらいなおしたところで、チャイムが鳴る。

 

 昼休み。

 

 文系進学クラスを素通りして、その先の就職コースの教室を覗く。相原の席の後ろから、真奈美さんがカバンを抱えて無音で歩いてくる。

「…お、お弁当作ってきたよ」

「うん」

二人で連れ立って、食堂に向かう。

「お兄さん!」

美沙ちゃんが、俺のクラスのある方向から追いついてくる。二年生の教室は階下のはずだが、不思議には思わない。美沙ちゃんはある意味、平常運転だ。異常も三ヶ月続けば平常になる。

「いい天気ですし、屋上で食べましょう。真菜も先に行ってますよ」

美沙ちゃんが、制服の袖を引っ張る。屋上へ続くドアを開ける。軽くきしんで、空が開く。

 真奈美シェフのお弁当。

 今日の見た目は地味だ。ご飯にハンバーグ。煮物にフライ。別の小さなタッパーに湯通しした野菜。

「いただきます」

「にーくんと、真奈美っちと、美沙っちのお弁当だけ、真奈美っち弁当っすか?」

妹がなにやら不満げだ。お前のは、母さんが作ってくれただろ。母さんに失礼なことを言うな。しかも、そう言いながら、他人の弁当箱からハンバーグをスティールするな。その微妙なサイズは間違いなく手ごねだ。真奈美さんに手抜きなし。

 妹に取られる前に、もうひとつのハンバーグに手を伸ばす。

 安定のおいしさ。ソースまで、間違いなく手作り。この真奈美さん料理に舌が慣れると、高級レストランとかのありがたみを感じられない人間が出来上がる気がする。

「それにしても、昨日はお兄さん大変でしたね。もう大丈夫なんですか?」

お昼の話題はやっぱり昨日の川ダイブになる。芋の煮付けも箸で突き刺したりせずに、上品につまんで食べながら美沙ちゃんが尋ねる。

「うん。いろいろ検査してもらって、とくに打ち身以上のことはないみたい」

「…森に行った?」

「え?」

「え!」

真奈美さんが、唐突に驚くようなことを言う。俺は見抜かれた意外さに、妹と美沙ちゃんは脈絡のなさに驚きの声をあげる。

「う、うん…まぁ…なんでわかるの?」

「手首切ったときに私も行ったから…」

それを聞いた美沙ちゃんの箸から、煮物がポロリと弁当箱の中に転がり落ちる。妹の顔も固まってる。

「お兄さん!大丈夫じゃないじゃないですか!」

「み、美沙っち、真奈美っち、にーくん!その森ってどこっすか?」

お昼の話題が、いつのまにか『本当にあった怖い話』になっていた。

 仕方ない。白状するか。

「いや、実はな。変な夢を見てたんだ…」

話しているうちに、美沙ちゃんと妹の顔が見る見る硬直していく。あ、美沙ちゃんって表情が硬直すると真奈美さんに少し似ているんだな。やはり姉妹なんだ。そんなことに気づく。

「…閻魔様が、俺本人が忘れてたようなことまで全部覚えていたのは驚いたなぁ」

「走馬灯ってやつじゃないっすか?それ…」

妹がつぶやく。

「そうなのかな。そういえば真奈美さんも、ワルキューレお姉ちゃんに会った?」

「私のときは、ボロを着た骸骨だったよ」

「そうなんだ。それはいやだな。俺は巨乳お姉さんの方でよかったな…。優しかったしな」

「骸骨は…一言もしゃべらなかったけど、優しかったよ」

「へぇ、ずいぶん違うんだな。小屋の中で目を覚ますのとかは、一緒なのにな。あ、そういえば、小屋を出て右側に大きな木があった?」

「うん…たぶん、樫の木だよね」

「そうそう、ちょっと左に傾いでるの」

ふと気がつくと妹と美沙ちゃんが真っ青になっていた。

「あの世あるある話はやめるっす…」

 

 だめか?だめだな。

 そこで、真奈美さんと俺との間で花が咲いていた臨死体験話は、とりあえず終了した。ひとつ真奈美さんに聞きたいことがあったのだけど、結局それは聞けずじまいだった。

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 部屋に帰って、そろそろ乾いたらしき携帯電話に真新しいマイクロSDカードを差し込んでバッテリーを入れる。一度だけでも起動したら、電話帳、メール、写真の順でマイクロSDに書き出そう。生きててくれ!祈りをこめて、電源ボタンを長押しする。

 イエス!

 携帯電話は見事に起動した。やはり日本のガラケーはタフだ。SDカードにデータを書き出し、電源を落として、カードを抜き取る。次も同じ日本のガラケーにしよう。

「母さん。携帯電話、買いなおしてもいいかな…」

一階に下りて、台所にいた母親に尋ねる。あっさり許可と予算が出る。

「にーくん、私も行くっすー」

いつの間にか、俺の後ろに立っていた妹が同行を申し出る。

「なにしに行くんだ?」

「真菜も行きなさい」

川ダイブと臨死体験で、親にしかられたりすることはなかったが、どうやら信頼はずいぶん失ったみたいだった。この妹をお目付け役につけられるとか、屈辱だ。

 しかたなく、紺色のタンクトップに襟元の大きくあいたドクロプリントのTシャツを重ね着してジーンズという女子力ゼロの妹を連れて家を出る。

 駅前のドコモショップに向かう道すがら、隣を歩くちっこい妹を見下ろす。首にドクロのペンダントをぶらさげている。

 ドクロのペンダント。

 ワルキューレさんも付けていた同じペンダント。

 臨死体験は、妹と同じドクロのペンダントで終わりを迎えた。妹の貧相な胸が覗けそうな襟元で揺れるシルバーのドクロ。俺は、ワルキューレさんの巨乳の間で揺れるこのペンダントを握り締めて、妹を思った。そして、この世界に戻ってきた。

 永久帰還装置。俺とこの世をつないだ。

 妹の手が襟元を抑えた。

「にーくん。妹の胸のぞきたいっすか?ぐひひ。ちんちん勃つっすか?」

たいへんな屈辱だ。

「んなわけあるか。そのペンダントを見てたんだ」

「これっすかー」

妹の手がTシャツの襟元から離れて、ペンダントのドクロをつまむ。ふわりと襟元が開いて、白い肌が奥のほうまで見える。あれ?このくらい奥まで見えたら、下着もみえるものじゃないのか。

 つーか。不要だよな。こいつの場合。

 つーか。ノーブラか。不要にしても、ちょっと気になってしまう。

「にーくんにあげてもいいっすよー」

「ばか。やめろ!」

自分で、思わぬ音量が出たことに驚く。妹も、少しびっくりして目を見開く。いけないな。驚かせてしまった。

「俺は、似合わないよ。お前が付けてた方がいい」

「そうっすかー?ぐへへ」

妹の顔がだらしない笑みにゆがむ。この変な笑い方をする妹を可愛いという男子が多いのが相変わらず信じられない。それでも、俺の右手はオートマティックに妹の左手を握っている。妹も抵抗することなく、手を握り返してくる。

 妹の手の感触と、妹の首に下がるドクロのペンダント。ふわふわとゆれる妹の髪。

 真菜。

 あの時、あの世とこの世の狭間で、ドクロのペンダントを見つけなかったらどうなっていたのだろう。妹のペンダントがこの世とあの世をつないで、帰還する道を開いてくれた。そんな気がする。

 

 では、真奈美さんは?

 あそこから、どうやって帰ってきたのだろう。

 それを聞きたかった。

 

(つづく)

説明
妄想劇場61話目。最近、少し気を抜くと一週間経っています。日刊とかやってのに…。今回は少し浮世離れした話です。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411

メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)
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ラブコメ ヤンデレ 小説 学園モノ  臨死体験 

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