月 |
月
縁側でだらりと横になって、雲がかかった月をぼんやりと見ていた。
「なぁ、ムラサ」
部屋の中から聞きなれた声で名を呼ばれる。彼女なら放っておいてもいいだろう。億劫なのでそのまま放っておく。すると、予想通りその声の主は傍に擦り寄ってきた。
「ムラサ」
そしてもう一度名を呼ぶ。彼女は私の顔の横に手をつき、私の顔を覗き込む。……まるで押し倒されているみたいだ、なんて私は小さく笑った。
「ムラサ」
何度も私の名前を呼ぶので「何さ。ぬえ」と返すと彼女は黙ってしまった。私は首を捻る。彼女はいつもとらえどころがない。
するとぬえは何を思ったのか、そのまま倒れこむようにして、私の肩口に頬を寄せてきた。されるがままにしていると、
「……嫌?」
とおずおずと鵺は聞いてきた。
「別に」
「そうか」
ぬえはふふ、と少し嬉しそうに笑った。人肌恋しいと何となく感じることは誰にでもあるものだろう。しかしそれから真面目な声色で言う。
「ムラサは、……いや、」
そしてしばらく思案してから、「あぁ、そうだ」と向き直り、言った。
「私は、ムラサに、恋心を抱いている」
そうか、と言いかけてやめる。……なんだって?
黙るしかない私はどうしようもなくて天井を見つめる。
「ムラサは、どう思う」
ぬえは少し声を揺らして言う。
「そんなこと、言われても、私、わからない」
急に恋だなんて言われても。ましてや。
「……やはり人間だと、男女の仲という意識なのか」
少し気を落としたようにぬえは言った。
「妖怪では違うのか」
「人間は生殖するだろう。しかし私は主に人の恐怖心から生まれた」
人間が男女の仲を恋と呼ぶのは、生殖のためだ、と。
「ではなぜ恋という概念がお前にもあるのさ」
「そんなのわからないよ。それに第一わかったとしてもそれは無粋だろう。たとえば、うら若き乙女が《この恋は生殖するためにするのだ》とでも考えていたとする。そんなの気持ちが一気に萎えてしまうさ」
ククッと喉を鳴らすようにぬえは笑った。
「それもそうだ」
私は想像してみるとなんだかおかしくてくすくすと笑った。
「それで、私はムラサに恋をしているわけだけれど」
「だとしても、私はどう答えるべきか、よくわからないんだ」
《恋》だなんて言葉久しぶりに聞いた気がする。昔私が生きている頃に、恋なんて経験したのだったか。
「……ねぇ、ムラサ。こんな話があるんだ。恋というものは元々、《請う》から派生したもので、お互いの魂を呼び合うことなんだって。だから、きっともともと男女じゃなくてよかったはずなんだ」
「それを妖怪のあなたに言われても。……私も今や妖怪だけれど」
生前の記憶はひどく曖昧だけど、人間の常識は底に残っているらしい。
「それもそうだ」
ぬえはくすくすとしのぶように笑った。
「でも私は確かにムラサの魂のそばにありたいと思うのだ」
ぬえはさらに私に体を寄せた。私はどう応えたものかと考える。答えるも何も自分の気持ちさえよくわからない。流されてよいものなのだろうか。しかし、それはおそらく彼女が望むものとは違うのだろう。
しばらく黙っていると、ぬえはすっと立ち上がり、
「……いいや。忘れてくれ。御託を並べてみっともないところを見せたな。悪い」
と言って部屋の中へと戻っていく。私はそれを畳に横たわったまま眺めていた。そして、ぬえは襖の前で立ち止まり、
「ただ、今まで通り、また遊んでくれたら嬉しい」
と子供のようなことを言って部屋から立ち去るのだった。私は引き留めることも答えることもできず、ただ急に体が重たくなったように、畳の上に転がっていた。冷たい液体が目の端からこぼれる感触がした。……そうか、これは涙か。
私は少なからず、寂しく思ったのだ。去っていくぬえの姿に。近寄り始めていた魂が急に離れて行ってしまったことに。
「眩しいなぁ」
私は滲む月をそのまま眺め続けた。
読了ありがとうございました。
注意を少し。ひとつ目の短篇について登場している、恋という言葉の語源のくだりですが、確かなものではありません。
また、設定等留意したつもりですが、勘違いしている部分もあるかと思います。(ご指摘いただけると、個人的にうれしいです)
では、いずれまた気が向いたら。
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こちらで小説を載せるのは初めてになります。よろしくおねがいします。ぼんやりと百合っぽい感じで書いていますので、苦手な方はご注意願います。 | ||
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