SAO〜菖蒲の瞳〜 第四十四話 |
第四十四話 〜 事件発生 〜
【アヤメside】
シリカが気絶から目を覚ましてから十分後。もしくは、俺の眠気が完全に覚めてから五十分後。
最初は相変わらずテンパっていたシリカだが、今は多少落ち着いたようで向かい側のソファに座って紅茶を少しずつ飲んでいた。
その膝の上では、ピナが硬い殻で守られた《フータウの実》と格闘している。
「ほぅ……。すみませんでした、取り乱しちゃって」
まだ恥ずかしさが残っているのか、顔は未だに赤く、目を合わせてくれないのが悲しいが……まあ、仕方ないか。
「気にするな。落ち着いたみたいでよかった」
言いながら、テーブルに置かれたチョコクッキーの入った銀色の器をシリカに差し出し、ついでに一枚つまんで食べる。
シリカは少し迷ったあと、「ありがとうございます」と言ってチョコクッキーを一枚取ると、反対側の手でピナのフータウの実をタップして殻を砕いてやってから口に運んだ。
「キュィ!」
「分かってるよ」
それを見て襟から顔を出すキュイが催促し、俺がクッキーが入ったものとは別の鈍い銀色の器からフータウの実を取って殻を砕いて差し出すと、嬉しそうに鳴いてからカリカリとかじりだした。
「………クォン」
「クォ〜ン……」
すると、羨むような鳴き声が二つ、部屋に響いた。
発生源は、クッキーとフータウの実が入った器からだ。
「ダメだ。あと十分はそのままの姿で我慢しなさい。これはお仕置きなんだぞ」
「「クルルルル……」」
タマモとイナリが擬態している器に目を向けて少しキツめに言うと、悲しそうな声で二匹が同時に鳴いた。その声音に心が揺さぶられたが、なんとか持ちこたえる。
「あの、もう許してあげてもいいんじゃないですか? 私は気にしてませんし…………その、少し嬉しかったですし…………」
後半は口をもごもごさせてシリカが言う。
「……そういうわけにもいかないだろ」
それに、俺はすぐ頭を振った。
「もし、そこで寝ていたのが俺じゃなくてクラインだったらどうする?」
「あははは……」
シリカは苦笑いで誤魔化した。
「だから、目に余るイタズラはちゃんと叱っているんだ。……それに、イタズラのし過ぎで二人が誰かに嫌われるのはイヤだからな。考えすぎだろうけど」
そう締めくくると、二つの器が何だか嬉しそうにカタカタと動き、小さく微笑みながらカップを口に運ぶ。
「アヤメさんって、やっぱり優しいですね」
そこに、シリカの柔らかい笑みが向けられ、妙に気恥ずかしくなった俺は、誤魔化すようにしてカップの中身を一気に飲み干した。
「……ああ、そうだシリカ」
さらに誤魔化すために口を開く。
「はい?」
ピナに次のフータウの実をせがまれるシリカがこちらを見た。
「実は、この前使い魔用のメニューがあるレストランを見つけたんだ」
「え! 本当ですか!」
目を輝かせながら、ぐいっと身を乗り出すシリカの食いつきに少しだけ驚く。
「本当だ。それで、どうせなら今から一緒に行ってみないか?」
「行きます!」
即答だった。
チラリと視線を動かして時計を見る。夕飯には少し早いが、街を散策して時間をつぶせば丁度いいくらいだろう。
「了解。それじゃ……」
右手を振って麻袋を二つオブジェクト化させる。
「タマモ、イナリ。ちょっとごめん」
鈍い銀色の器を両方の手にそれぞれ持ち、麻袋の中にクッキーとフータウの実を流し込んで袋を閉める。
「もういいぞ」
「「クォン!」」
合図と共に、僅かなフラッシュが起こり、器が二匹の本来の姿であるキツネスタイルに姿を変える。
擬態が解除されると、器を片方ずつの手で持っていたため、二匹はそれぞれの手にぶら下がるような形になった。
「さてと。行こうかシリカ」
タマモとイナリを地面に下ろし、フータウの実を食べ終えたキュイを胸ポケットに移したあと、そっと立ち上がってシリカに手を差し伸べる。
「お願いします」
シリカはピナを肩に移し、俺の手を取って立ち上がった。
タマモとイナリを連れ、そのまま家の外に出て扉に最高レベルのロックを掛けてから、第二十二層の転移門広場に向かう。
「アヤメさん、そのレストランってどこにあるんですか?」
手を繋ぎ、隣を歩くシリカが尋ねる。
「第五十七層の《マーテン》」
それに、真っ直ぐ前を見ながら答えた。
この数十分後、俺たちは事件に遭遇した。
【キリトside】
「どうしたのキリト君?」
メインの魚料理を中心に、ついさっき運ばれてきた様々な料理が置かれたテーブルを挟み、向かい側に座るアスナが小さく首を傾げる。
「さっきからソワソワしてるみたいだけど……やっぱり迷惑だった?」
「迷惑なんてことは無いよ。むしろ嬉しいくらい。だけど、こうも注目されるとな…………」
それに俺は、少しそわそわしながら答えた。
俺たちが今いる場所は、第五十七層《マーテン》のとあるNPCレストラン。NPCの店にしては美味しい料理が頂けるこのレストランは、シックな内装にゆったりしたBGMと落ち着いた雰囲気の店なのだが、俺の心情はそんなものからは遥かにかけ離れている。
まあ、かの有名な血盟騎士団副団長《閃光》のアスナ様――しかも私服姿――が得体の知れない男性プレイヤーと一緒にいるんだから無理もない。誘われたときからこうなるだろうと覚悟はしていた。
でも、やっぱり慣れないものは慣れない。
「それ私も気になってたんだよね……。ねえキリト君、どこかおかしいところある?」
そういうアスナは、いつもの白地に赤ラインの騎士服ではなく、ゆるめのニットにチュールスカートという私服姿なのだが、おかしなところは一つもない。
むしろ、完璧に着こなしていると言っていい。待ち合わせ場所で初めて見たときは思わず見とれてしまったほどだ。
「いや、特に無いと思うぞ? というか、アスナが有名なんだから注目されるのも仕方ないんじゃないか?」
「そうかな……? そう言うんだったら、キリト君も結構有名だよ」
「まさか」
無い無いと、頭を横に振ってアスナの言葉を否定する。
「そんなことないんだけどな………」
すると、アスナは少し複雑そうな表情で微笑んだ。
「まあ、出来るだけ気にしないようにするしかないか。料理も届いてるし、冷めないうちに食べよう」
「それもそうだね」
諦観にも似た溜め息をつきながら呟くと、アスナも同意してくれた。
それから、俺たちは両手を合わせて「いただきます」と言ってから、それぞれの料理に手をつけた。
なんだがよく分からない色合いのソースがかかった魚の切り身を、ナイフとフォークを使って口に運ぶ。
期待以上の美味しさに思わず目を見開いた。
それはアスナも同じだったようで、感心したような表情で上品に咀嚼し、飲み込んだ。
「おお。ココのは思ってたよりイケるな」
「ホント。普通のところよりもずっと美味しい」
「高い金払った甲斐があったよ」
「もう。キリト君ったら」
そんな感じで、会話を交えながら食事を進めていく。
「というか、なんで栄養とか関係ないのに野菜とか食べてるんだろうな」
あらかた食べつくし、残ったレタス的な野菜をふんだんに使ったサラダを口に運んで咀嚼しながら呟く。
すると、そんな俺を見ていたアスナに「口にものを入れたまましゃべらないの」とお姉さんっぽく叱られた。ハイ、スミマセン……。
「食いしん坊なキリト君にしては珍しいこと言うわね。美味しいからいいじゃない」
そう言って、薄くスライスされたキュウリみたいな野菜をパクリと頬張る。
「別にまずいとは言わないけど……せめてマヨネーズがあればなあ」
「あー、それはわかるかも」
「だろ? 他にもソースとかさ」
「ケチャップとか?」
「そうそう。あとは……」
「「醤油!」」
同時に叫び、同時にぷっと吹き出す。
「やっぱり日本人としては醤油は欠かせないよな」
「だよねー。醤油があれば料理の幅も広がるし、和食も作れるんだけど、どうにかして手に入らないかな?」
「ん〜、そんな話聞いたことないし、そもそもSAOって洋食推してるから和食があるかどうか。……ああ、煮物のあの味と匂いが恋しい」
「和食かあ……。なんだか私、味噌汁飲みたくなってきた」
「同感だな」
SAOに囚われてから約一年半。この世界での《生活の楽しみ》というものを確立できてきたこの時期に、まさか食べ物でホームシックになるとは思わなかった。
「……そういえばアスナ。今アスナの《料理》スキルってどれくらい?」
「800は越えてるけど、それがどうかしたの?」
「いや、熟練度高ければかなりウマい味噌汁作れるんじゃないかなーって思って。それにしても800か……毎日食べたいくらいだな」
……ん? 俺、今かなりヤバいこと言わなかったか?
「えっと……キリト君。それって…その……」
顔を真っ赤にしてモジモジするアスナが、尻すぼみに呟きながら俯いた。
その瞬間、紛れもない恐怖の悲鳴がどこからともなく聞こえてきた。
「………きゃあああああああ!!」
「「――――ッ!?」」
弾かれたように立ち上がり、背中の剣に手を伸ばす。
向かいに座っていたアスナも同時に立ち上がり、レイピアをオブジェクト化させた。
そのときの表情は、まだ赤味が残っているものの、最前線で見せる《閃光》のアスナのものであった。
「店の外だわ!」
アスナの鋭い囁き声に頷いた俺は、アスナと揃って出口へと走っていく。
表通りに出ると、再び絹を裂くような悲鳴が耳に届いた。
場所はおそらく、建物を隔てた広場から。
自然とアスナと視線が合わさり、どちらからともなくぐっと頷くと、俺とアスナは敏捷力パラメータを全開にし掛け値無しのダッシュで南へ走り出した。
稲妻の如く疾走するアスナに必死に追随し、人集りの出来る円形広場へと飛び込む。
そしてそこで、俺とアスナは信じられないものを目にした。
広場の北側にある教会のような石造りの建物。その二階中央の飾り窓から一本のロープが垂れ下がり――男が一人吊されていた。
太めのロープはがっちりと男の首に食い込んでいるが、SAOに窒息死というものは存在しないため、これだけなら悲鳴が上がりこそすれ、すぐに質の悪い悪戯だと判断され人集りが出来ることはない。
しかし、今回はそれだけでは無い。
狩りの帰りなのだろうか、分厚いフルプレート・アーマーを着込む男の胸に、赤黒い((短槍|ショートスピア))が深々と突き刺さっていたのだ。
そして、アーマーを貫く短槍の隙間からは、ダメージエフェクトが流れ出る血液のように明滅していた。
――――有り得ない!
心の内でそう叫ぶ。
アンチクリミナルコードが働く《圏内》では、デュエルを除いてプレイヤーにダメージを与える方法は存在しない。
しかし、胸の傷口からどくどくとあふれ出る深紅色のライトエフェクトは、まさしく《貫通継続ダメージ》が発生していることを表すものであり、男のHPをじわじわと削っている証拠であった。
「早く抜け!!」
一瞬の驚愕から覚めると同時に叫ぶ。
男は一瞬だけ俺に視線を向けると、のろのろとした動きで槍を抜こうとするが、食い込んだ槍は抜ける様子がない。死への恐怖で、力が出ないのだ。
(こうなったら《((投げ杭|スローイング・ピック))》でロープを切るしかない)
俺はベルトからスローイング・ピックを引き抜こうとして、あるイメージが頭を過ぎり手を止めた。
これはあり得ない話。だけど、もし狙いが外れて男に当たり、残りHPを全て削ってしまったら――――
「キリト君は下で受け止めて!」
逡巡する俺の耳に、アスナの鋭い叫び声が届いた。
おそらく、二階に上がって男を吊すロープを斬るのだろう。
「分かった!」
半ば無意識でそう答えた俺は、男の真下に向かって駆け出す。
しかし、半分ほどを走ったところで、男の両眼が空中の一点を凝視した。
何を見ているのか、この場にいる誰もが直感した。
広場から上がる悲鳴と叫声、そしてそれに紛れるように男が何か叫んだと思った直後、ガラスが砕けるような音とともにポリゴンとなって爆散した。
呆ける俺がその様子を見つめる中、ロープがくたりと壁にぶつかり、男を貫いていた短槍が甲高い音を立てて石畳に突き刺さった。
「みんな! デュエルのウィナー表示を探してくれ!」
その音で目を覚ました俺は、広場のざわめきを圧する大声でそう叫んだ。
ここは、犯罪防止アンチクリミナルコード有効圏内。ここでHPを0にまで至らしめることができるのは、完全決着モードのデュエルで敗北することのみ。そう判断したからだ。
俺の声を聞いたプレイヤーたちは、即座にその意図を悟り、四方八方へと視線を走らせた。
俺も必死になって探すが、見つからない。そして、発見の声も無かった。
(デュエルのウィナー表示は三十秒しか表示されないんだぞ!)
思わず悪態をつく。
「アスナ! ウィナー表示はあったか!?」
建物の二階に到着しているであろうアスナに叫んだ。
「無いわ! システム窓は無いし、中には誰にもいない!!」
しかし、蒼白となったアスナの顔が素早く左右に振られる。
「なんで……」
俺が呻き声をあげた数秒、誰かが呟いた。
「ダメだ……三十秒経った……」
【あとがき】
以上、四十三話でした。皆さん、如何でしたでしょうか?
圏内事件発生です。
因みに、キリト君とアスナさんがお食事している間、アヤメ君とシリカちゃんはデート(?)していますよ(笑)。
さて、次回はアヤメ君とシリカちゃんが現場に到着して本格的な調査が始まります。
それでは皆さんまた次回!
説明 | ||
四十四話目更新です。 穏やかな日々は続かない。 日常には、必ず事件が潜んでる。 コメントお待ちしています。 |
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アヤメとシリカがデートしている一方で事件発生・・・というかキリトとアスナもデートですよね〜w(本郷 刃) | ||
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