ジェラード 「異界からの復讐者」後編
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           ザク ザク ザク……

 

  ボクらは崩れやすい足もとに気をつけながら、頂上を目指して登っていた。

  日は傾き、街に山々の影を落とし始めている。昼間の大爆発のせいでまだ

 空気が煙っているようだ。町はぼんやりとかすんでいる。

 

  クリーチャーの青年達はコントロールの主を失い、廃人のようになってしまった。

 エドガーじいさん、いや、マゼラン博士には彼らを元に戻すことは可能だという。

 少しばかりボクの気持ちは晴れた。

 

  しかし、その前にかたをつけておかねばならない。

  この町に住むエリザやカヴァーデール、カニンガム兄弟、鉱山の人達のために。

 そして、あの可哀想なルシータのために。

 

  髪の毛がパリパリ音を立てているのが分かる。ものすごいプレッシャー。

 山の頂上にいるヤツのエネルギーが山全体にあふれているのだ。

 とんでもない大きさの力。

  ボクとヤルタ、そしてマゼラン博士は、そいつと最後の決着を付けるため、

 この山を登っている。

 

 

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         ジェラード

 「異界からの復讐者」後編

 

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 「博士、大丈夫ですか?」

 

  プレッシャーに耐えかねたのか、長い沈黙をヤルタが破った。

 一番後ろを歩く、大きな装置を背負ったマゼラン博士に声をかける。

 博士はうなづいた。

 

 「しかし、ヤルタ王子…」

 

  博士は年には似合わないしっかりした足どりで進みながら、重々しく言った。

 

 「このプレッシャー、分かりますじゃろ。以前わしとウィルバー殿でヤツと

 戦った時とはケタ外れですじゃ」

 

 「”ウィルバー”って?」

 ボクが尋ねる。

 

 「オレの先生だったジェラードだよ。前に言わなかったっけ」

 「ああ、でも名前までは」

 「先生はすごい賢者だったけど、トマスと戦った時の怪我が先生の

 寿命を縮めたんだ」

 

 師の面影を見るような目で、彼はブレスレットのクリスタルを確かめる。

 

  ボクの行方不明の父はカーチス、兄はハウザーという。どうやらヤルタの国へ

 流れ着いたジェラードは二人のどちらでもなかったようだ。

  ヤルタのブレスレットのクリスタルの大きさとその力をみれば、ウィルバーは

 かなりの力を持っていたことは分かる。体は滅びてしまったが、クリスタルはまた

 再び宿敵とまみえるのだ。しかし、その彼でさえ深手を負ったとなると…

 

 「そろそろヤツが見えるころじゃ。覚悟してかからねばなりませんぞ」

 

  そうだ。命がけの戦いになる。しかし、ヤツを倒さなければこの国、いや世界が

 どうなるか分からない。

 

  頂上が近くなる。ボクらの歩みのスピードが落ちる。体が重い。前へ進まない。

 まるで水の中を歩いているようだ。

  足下の石が小刻みに振動している。小さな石がバッタのように飛び跳ね、空中で

 はじけて粉々になる。

  ヴンと軽い振動音を発し博士の装置が起動した。

 

 「いた!」

 

 ヤルタが見つけた。

 

 すさまじい力が狭い空間に高い密度で存在するため、空気の組成さえも不安定に

なっているらしい。その男の周りには細かい稲妻が走り、オゾンのにおいが漂う。

 

 [[待っていましたよ]]

 

 穏やかな声が響く。いや、声ではない。ボクらの”感覚”に直接意志を

 送り込んでいるのだ。

 

 [[こちらに来て最初に会うのがあなただとは奇遇ですね。マゼラン博士]]

 

 「定めかもしれんぞ、トマス・デッガー。わしにはお前の師としてお前を止める

 責任があるからの」

 

 博士の目が険しい。

 

  岩場に腰を下ろした男の銀色の腰まである長い髪が、この異常な空気の中で

 そよ風にもてあそばれるように穏やかになびいている。

  若い。年齢はボクとそう変わらないように見える。女性のような顔は白く、

 赤紫の唇は死化粧のようだ。白いマントに身を包んだその男は瞳を閉じたまま

 意志を送り続ける。

 

 [[今度は3人ですか。一人はヤルタ王子ですね。立派になられましたね。

  もう一人のジェラードは初めてですね。装置を破壊したのはあなたでしょう?

 すばらしい力です。おかげでわたしの覇軍と城は、ここへたどり着くことが

 できませんでした。ところで、ウィルバーはどうしましたか?力だけは

 感じられるのですが]]

 

 「先生ならここにいる」

 ヤルタはブレスレットをスライドさせ、タッチパネルをすばやく操作して装置を

 起動した。クリスタルが輝く。

 

 [[そうですか。彼は亡くなったのですね。残念です。]]

 冷たい微笑みを浮かべるトマス。

 

 [[わたしも死ぬ思いをしましたよ。本当に…]]

 

 「どうやってこちらへ干渉できたのだ?お前は空間の狭間に封じ込めたはずだが」

 

 [[それは、最初にぜひともお話ししたいと思っていました。博士には]]

 

 立ち上がるトマス。マントがなびく。

 

 「「「!」」」

 

 ボクはマントの下に光るメタルの体を見た。彼の体の半分以上は機械だ。

 そしてなにがしかの装置が、このエネルギーを発している。

 トマスは目を開いた。金色の目が光る。

 

 とっさにボクらはそれぞれ”場”を形成し、身を覆う。

 

 ゴッ!と音をたて、ボクらのまわりの岩が瞬時にして赤熱し溶解する。

 次の瞬間、急速に冷やされた岩石はボクらの周りに巨大な結晶の森を形成した。

 万華鏡のようにボクらの姿とトマスの像、そして、夕暮れの空の赤紫が交錯する。

 トマスの声が響く。

 

 [[見て下さい。もう空には星がでています。この空には無数の星が存在し、

 わたしたちはその星の一つに引っかかっている小さな生き物です。]]

 

 ボクはいつかそんな思いで空を見たことを思い出した。

 

 [[わたしは長い間空間の狭間を漂流しました。どれぐらいの時間が過ぎたか

 わかりません。いつしかわたしは小さな星の一つにたどり着いていました。

 おそらく星の爆発か何かのショックで空間が歪み、その隙間にわたしは巻き

 込まれたのかもしれません。

  その星には実に下等な生物しか存在していませんでした。そこでわたしは

 その星の生物に知恵や技術を与え、高等な生物と成長させたのです。]]

 

 ボクは何に形容して良いか分からない不可思議な生物のイメージが浮かんできた。

 トマスの声が響く。

 

 [[わたし自身の生命維持装置にも改良を加え、その星で命を長らえることが

 できるようになりました。星の原住生物はわたしの良い助手となりました。

 そして、何とかして博士やウィルバーに会いたいと、帰り道を探したのです。

 ここを見つけるのには長い時間がかかりました。しかし見つけても、遠く離れており

 還る手段がありません。

  ある時、わたしは“意志”を感じました。実に悲しい“意志”でした。それは

 この星から届いてくる物だったのです。幸いわたしはその意志と共振することが

 できました。]]

 

 ルシータだ。ボクは彼女のイメージを見ていた。能力者である事を知られて

 いたため、人から疎外され、孤独な思いをしていた幼い少女の寂しい思いが

 ボクの心を突き抜ける

 

 [[わたしは彼女に力を貸して友人を作る方法と、物体転送装置を組み立てる知識を

 与えました…]]

 

 友人のいないルシータが、どこからかやってくる優しい言葉に心を動かし、

 すがるような思いでコンタクトを取るのをボクは感じていた。

 その時。

 

 視界が暗くなり、ボクは激しい疲労感に襲われた。

 

 「何だろう…この感じ…」

 

 と、突然ヴン!というあの博士の装置の波動がしたかと思うと、バリバリと

 頭の中が引き裂かれる様な激しいショックでボクは我に返った。

 悪い夢から覚めた時のように激しく肩で息をする。

 ぎらぎら光る岩石の結晶。

 

 「ラサム殿!気をつけなされ!!」

 

 博士の声が届く。

 そうか!あいつはこうやってルシータを催眠状態に落として、ヒュプノで自分の

 奴隷としていったのだ!

 熱い血が体をめぐる。ボクの内側に激しい怒りが充満する。

 

 [[では、まず、こちらで仕事を始める前に、皆さんと少し遊びましょう]]

 

 「!」

 「くっ!」

 「はぅっ!」

 

 ものすごい力がボクらのまわりを駆けめぐる。

 結晶の森は粉砕し、轟音を立てて舞い上がる。

 ボクらは全力で”場”を維持しながら、空へ逃げる。

 

 「うわっ!」

 ヤルタが”場”を維持できなかった。

 「ヤルタ!」

 ボクは彼のそばへ瞬時に移動し、ボクの場に取り込む。

 「さ、さんきゅ。ラサム」

 ここで”場”を失えば、瞬時に挽き肉になってしまう。

 ヤルタはこんな相手と戦うにはまだ経験がなさすぎる。しかし、そんな彼の

 力さえ必要だ。いや、それでも足りないかもしれない。

 

 「王子!」

 

 博士が傍らに来る。背の装置が展開し、博士のまわりに各種のパネルが

 そのインジケータを明滅させている。

 「王子、無理なさらんでくだされ。王子のフォローはわしがしましょう、ラサム殿」

 「分かりました。この子、まだ実戦経験がそんなにありません。御願いします」

 ヤルタの目は不服そうだが文句は言わない。

 彼も、トマスのただならぬ力に脅威を感じているのだ。

 

 巨大な結晶群が破砕し、ゆらりとトマスの姿が見えた。

 

 戦闘開始だ。

 

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                    *

 

  ふっと空気の流れが止まり、ざぁっという結晶の破片の散る音が、あたりに

 こだまする。

 博士がこのあたりの空間を閉じたのだ。戦いの影響が街の方に及ばないように

 するために。

 

 [[この程度ではあまり効果があるとは思えませんが、博士]]

 トマスが冷たい声で微笑む。

 

 [[では、最初にこちらから]]

 

 金色の目が輝く。

 結晶の破片が再度赤熱し、グレーに光る無数の矢を形成すると、

 螺旋を描いてボクらに突進する。

 

 と、ヤルタがクリスタルを起動した。

 光のつぶてが放たれ、矢の全てを粉砕する。

 

 [[ほう]]

 

 しかし、これくらいの攻撃はお遊びであることは分かっている。

 ヤツにとっては溜息程度の物なのだ。

 

 

 ヤルタが動く。

 トマスの傍らに瞬間移動し、至近距離から攻撃を仕掛けた。

 いや、仕掛けようとしたのだ。

 その瞬間、白いマントがなびき、ヤルタの体は粉みじんにされる。

 

 「!」

 

 しかし、それはヤルタ自身が作った彼のコピーで、本体はトマスの後ろに存在し、

 背後から猛烈な連続拳を繰り出していた。

 

 [[ぐふっ!]]

 

 緑色の光がトマスの体を貫き、ぐらりとよろけると、トマスは落下してゆく。

 

 「?」

 きょとんとして、落ちてゆく銀色の髪を見ていたヤルタの後ろで猛烈な

 爆発が起こった。

 

 凶悪なエネルギーの炸裂に飲み込まれる前に、ボクは無鉄砲な少年の体を

 連れ戻す。

 

 「ヤルタ!むちゃするな!」

 「んなこと言ったって、ずっとにらみ合ってるわけにはいかないだろ!」

 

 青年の笑い声がする。

 

 [[さすが王子。勇気がおありだ。しかし、コピーを作れるのは

 自分だけだと思わないことです。今時では、虫でもやりますよ。]]

 

 トマスの本体が爆発が起こったあたりからゆらりと現れた。

 

 「くっ!」

 ヤルタは歯がみする。

 

 [[さて、では若いジェラードに今度はお相手してもらいましょうか]]

 

 ボクは身構える。

 ヤツは音の速さでボクに接近すると、“力”が青い炎の剣となってボクに

 切りかかる。

 

 ボクは退いた。冷や汗が流れる。

 あの“力”の大きさでは、たとえ空間をゆがめたとしても、

 それさえ貫いてくるだろう。小手技では戦えない。

 

 ボクはクリスタルをかざした。

 光があふれ出し、渦を巻く。

 緑色に輝く甲冑がボクの身を覆う。

 “力の鎧”をまとえるのはジェラードの中でもほんのわずかだ。

 もともとジェラードは戦うことがその役目ではないのだから。

 

 ボクの構えた光の剣が”ヴン”と唸りを上げる。

 

 [[そうそう!そうでなくてはいけない!]]

 

 滑るように突進してくるトマス。二つの刃が交わる。

 

 「くっ!」

 

 バリバリと鎧がきしむ。大きな力の衝突で、閉じた空間にものすごい

 振動が起こっている。

 ボクは全力でヤツの刃をかわし、切りつける。しかし、マントさえも傷つける

 ことはできない。

 

 [[そら、どうしました?遊びにならないじゃありませんか]]

 

 じりじりと後退させられる。力が違いすぎる。

 ヤツのふるう一太刀ごとにボクの力が失われてゆくのが分かる。

 息が上がってくる。視界がにじんでくる。

 

 [[ダメですね。これでは]]

 

 すうっと後退したトマスは悲しそうに笑うと、目を開いた。

 金色の瞳が輝く。

 

 「うぁっ!」

 

 ヤツの猛烈なエネルギーの放出でボクの鎧は吹き飛んだ。

 突風にもてあそばれる木の葉のように、ボクの体はきりきりと宙を舞う。

 意識を失いかけたとき、ボクは博士の傍らに転送されていた。

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 「大丈夫かの?!ラサム殿!」

 「は、はい。なんとか…」

 めまいを押さえながら、ボクは息を整える。

 

 「やはりヤツは前とは比べものにならないほどの力を身につけたようじゃ」

 「何か策はないのですか?」

 「ヤツの体の構造が基本的に以前と同じなら、ヤツの体の一部に大きな”力”を

  制御する装置があるはずじゃ。以前はそれを破壊することができたのじゃが…」

 「それを攻撃されても良いように何かを」

 「おそらくそうじゃろう…ちぃっ!」

 

  バチバチと博士の装置に火花が走る。あわててパネルを操作する博士。

 「ほとんどこの装置もオーバーロードじゃ。ヤツが本気を出したら、

 ひとたまりもないじゃろう」

 「…」

 

 悔しい。何とかして止める方法はないのだろうか。

 

 ヤツは今、ヤルタと対峙している。

 「ヤルタ!やめろっ!とてもかなう相手じゃない!」

 

 しかし、ヤルタは退こうとしない。

 「ヤルタ!」

 返事がない。

 クリスタルを構えたままだ。

 彼のブレスレットから光があふれ出す。

 

 「!」

 [[ほう]]

 

 

 まぶしい光が王子を包む。それは背の高い男の姿となった。

 

 「あれは…」

 

 「あれはウィルバー殿…」

 

 男の緑の影は次第にはっきりとした形をとる。

 長い髪。マントの刺しゅう。間違いなくジェラードだ。

 

 「王子のクリスタルに眠っていたマトリクス(記憶)が王子の力を媒体に

 実体化しておる!」

 

 ジェラードは死んだ時、そのクリスタルを残す。クリスタルにはジェラード

 の“意志”が残ると言うことは、おじいちゃんに聞いたことがあるけれど、

 まさかこんなに強力だったなんて。

 

 「じゃあ、ヤルタは今−」

 「おそらく、無意識じゃろう」

 

 ヤルタのクリスタルが輝きを増す。

 

 [[なるほど。消滅しきれずに残った彼の名残か。それも良し]]

 

 トマスはうっすらと笑うと、金色の瞳を輝かせた。

 

 ボクの時と同じ、すさまじい力の奔流が王子とウィルバーの影を襲う。

 

 バシバシッ!

 タッチパネルが火を噴く。

 「博士!」

 「ちぃっ!空間が維持できん!」

 

 「ヤルタ!」

 

 しかし、ヤルタは微動にしない。

 奇妙なことにトマスの力の流れが王子の周りでやわらぎ、消滅してゆく。

 

 [[ほう。これは驚いた。ではこれはどうかな?]]

 

 青年はゆっくりと右の手のひらをヤルタに向ける。

 

 彼の前に無数の小さな光球が現れたかと思うと、空気を引き裂く音と共に、

 少年に突進する。

 

 クリスタルが輝く。

 

 光球は空間に解け入るように消滅した。

 

 トマスは冷たい笑みをもらす。

 

 [[すばらしい。さすがはウィルバー。しかし、攻撃を受けているばかりでは

 つまらないではないか]]

 

 その時ヤルタのクリスタルが一瞬、鋭い光を放ち、青年の周りの空間が揺らいだ。

 

 [[?!]]

 

 突然、先ほど王子の周りで消滅したあの破壊的な力がトマスに炸裂した。

 

 [[ぐっ!]]

 

 マントで身を覆うトマス。しかし、金属的な音と共にマントはちぎれ、力一杯

 輝くときの太陽の光で輝き散る。

 まぶしさの中に青年の姿が見えなくなる。

 

 [[うおっ!]]

 

 再び空間が揺らぎ、光球が白熱したトマスに集中する。

 稲妻が走る。

 

 「空間をねじ曲げて攻撃をそらせ、それを今度はヤツの周りの空間に

 放ったのじゃ」

 「すごい!」

 

 ボクにはあのジェラードが空間を操作したのが分からなかった。

 おそらくトマスもだろう。

 あれだけの攻撃をそらせることなど、ボクにはとうていマネできない。

 ウィルバーは凄腕の賢者だったのだ。

 

 トマスは赤い球体と化した。

 

 「やったのか?」

 

 その時、猛烈な勢いで赤い球体から力が放出された。

 

 たまらず、ボクと博士は地面に叩きふせられる。

 

 「痛!」

 「だ、大丈夫か!?」

 「は、はい、何とか…」

 

 ヤルタはまだ宙にいる。

 球体はゆっくりともとの人の姿をとりはじめた。

 

 「なんてヤツじゃ。あれほどの直撃を受けておきながら…」

 

 マントがなびく。銀色の髪が真珠色に輝く。

 顔を上げ、金色の目が嬉しそうに微笑む。

 

 [[ふう。さすがに驚いたよ。ウィルバー。しかし、キミの弱点は

 王子の力を媒体にしていることだ。これはどうかね]]

 

 「ぐわぁぁっ!!」

 

 突然ヤルタが叫ぶ。

 何の前触れもなく彼の体が火に包まれる。

 ウィルバーの影が消えた。

 激しい苦痛でヤルタの意識が戻ってしまったのだ。

 

 「ヤルタ!」

 ボクは彼の周りの熱を散らすためにクリスタルを構えた。

 しかし、突然ボクの右手がクリスタルもろとも吹き飛んでしまった。

 

 「うわぁっ!」

 激痛が走る。右肩を押さえる。しかし、吹き出す血は止まらない。

 

 墜落してゆくヤルタ。

 ふっと姿が消え、ボクらの前に現れる。博士が転送したのだ。

 皮膚が焦げ、苦痛に身もだえする少年。

 

 「うう…」

 ボクもあまりの痛みに気が遠くなる。

 ふと目を右肩にやると、傷口を押さえている左手が腐れ始めていた。

 

 「!」

 目の前で自分の左手が解け落ちてゆく。

 

 「うわぁぁぁぁぁ!」

 

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 ボクは完全にパニックに陥った。

 ひじの関節から腕が落ち、その「ぼとり」という感触が

 足に伝わったとき、ボクはまさに狂気の縁にいた。

 

 

 その時、頭の中で博士の声が響いた。

 

 (「ラサム殿!気を確かに!」)

 

 突然、周りの空気が凍り付いたように静かになり、そして、鋭い音と共にボクに

まといついていた感覚が引きはがされる。

 

 頬を伝う涙が熱い。心臓が口から飛び出しそうだ。

 汗がしたたる。

 真夏の暑い日の犬のように、はあはあと四つん這いで息をする。

 そう、四つん這いで。

 ボクの両手はボクの上半身を支えている。

 

 [弱いですね…]

 

 金色の目がボク達のすぐ前にいて、哀れむとも、いたわるともつかない優しげな

 声をかける。

 

 日がその最期の光を山裾に沈めようとしている。

 

 博士がかけより、ボクの肩を支えた。

 ヤルタも突っ伏したまま激しい息をし、せき込んでいる。

 

 「ラサム殿!しっかり」

 「は、博士…」

 「幻覚じゃ。今のは!」

 「幻覚?で、でも…」

 

 銀の髪がなびく。

 [そう。実際に痛みを感じたでしょう。わたしが、あなた達の感覚に直接力を

 送ったのです」

 

 ボクは改めて右肩に手をやる。まだ、あの激しい苦痛の余韻がある。

 

 [弱すぎるのです。人間は。ただの苦痛だけで、戦意を喪失してしまう。

 もっと強くならなければいけないのですよ]

 

 そう。ボクにはすでに戦う力がすっかりなくなっていた。ただ、涙をこぼしながら

 トマスの顔を見ているしかない。

 

 ヤツの顔は悲しげで、金の瞳はボクらの心の中を見通しているようだった。

 

 [人間はその精神が弱すぎるのです。それが合理的な事の実行の妨げになる。

 わたしの姉も…]

 

 「あれは、お前のせいじゃろう!そもそも、お前の繰り返していた実験が…」

 博士が叫んだと同時にヤツの目が光った。

 

 博士の背の装置がいきなり爆裂する。

 ボクはとっさにクリスタルを起動し、博士とヤルタを連れてヤツとの距離を置いた。

 ここら一体の空間を閉じていた力が失せる。

 

 [姉は弱すぎたのですよ。わたしがしていたことはみな、姉を救うためだった。

  姉の命を長らえさせるために、確かに多くの命を実験に用いてきた。しかし、

  彼らは人の迷惑にしかならない何の役にも立たない連中だったではありませんか。

  せめて、彼らが一生の間で一度、役に立つことをする機会を与えてあげたのです。]

 「博士。どういう事です?」

 ヤルタが尋ねる。少し落ちついてきたようだが、まだ先のショックで体が

 うずいているようだ。顔に苦痛の色が見える。

 

 「ヤツは、浮浪者やとらえられた犯罪人を実験台に、姉の病気の治療法を見つけ

 だそうとしていたのじゃ。それを知った、彼女は…」

 

 [そう、自ら命を絶ったのです]

 

 トマスの声が冷たく響く。

 

 [姉は弱かった。何が合理的かを理解できなかった。姉はこれからの世に必要な

  天才だった。しかし、彼女の感情が自らの命を長らえることを拒否したのだ。

  だからわたしは、人間全てを強くする。]

 

 ボクの頭にルシータの事が浮かんだ。彼女は自分の父親や青年の命を、目的の

 実現のためにいとわなかった。

 ボクは顔を覆った。

 違う!

 

 [では、みなさん。少し休んでいてください。まあ、これは予定通りですが。

 わたしは次の計画を実行してまいります。すぐ後でまた遊ぶことになるでしょう]

 

 「何をする気じゃ!」

 

 [博士、お分かりでしょう。“恐怖”ですよ。まず人を従わせるには“恐怖”が

 必要です。街の半分が失われれば、あの人々は恐怖するでしょう。その次は

 助手ですね。わたしはルシータを失ってしまいましたから。]

 

 「お、お前はまた…」

 

 博士は歯ぎしりする。

 トマスは少し目をつむり、遠くの香りを嗅ぐようなしぐさをしてから、こちらに

 視線を落とした。

 

 [街には彼女のような能力者がまだ数人いますね。次はあの娘に助手をして

 もらいましょうか]

 

 「エリザを?!やめろ!」

 

 ボクの声は届かず、ヤツの姿はかき消えた。

 ボクは勢い立ち上がる。

 

 心臓が力の限り鼓動する。血が体中を音を立ててめぐる。

 熱い。体が熱い。

 涙がとめどなくあふれる。

 もう、ボク自身でボクを制御できない。

 世界が緑色に見える。

 

 クリスタルを輝かせる。

 どこだ!

 

 「ラサム殿!ダムじゃ!ヤツはダムを破壊して町の半分を流し去る気じゃ!」

 

 「させないっ!」

 

 ボクは飛んだ。

 

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 トマスはダムの見える丘にいた。

 ヤツが右手を構えると白色の光体が数個、前に並ぶ。

 手を振り上げると同時にそれは上空に昇り、激しい閃光を放つと、

 轟音をともなってダムへ落下してゆく。

 

 ボクはクリスタルを力一杯輝かせ”力の鎧”をまとうと、落下して行く光球に

 続けざまに切りつけた。

 

 ものすごい振動が起き、ダムの湖水が桶の水のように波立つ。

 

 ヤツの放った力が砂のように散り、輝きを失いながら湖へ沈んで行く。

 空には一番星がまたたきはじめた。

 

 [わたしは予定を狂わされるのが一番嫌いだ]

 

 トマスが言っているのがわかる。

 

 ボクは湖の対岸に立ち、ヤツに意志を飛ばした。

 

 「ボクはお前を止める!」

 

 

 

 次の瞬間、ボクとトマスは湖上で激突していた。

 激しい衝撃波が湖面に突き刺さり、ボクらを中心にして幾重にも瀑布が巻き起こる。

 

 刃を重ねたまま音速で上昇する。

 ビリビリと鎧がきしむ。

 ボクは歯を食いしばった。

 眼下の湖は銀色にボクらの力を反射している。

 涙で視界が潤む。

 熱い。

 

 ヤツの目とボクのクリスタルが同時に輝く。

 世界が一瞬ひしゃげた感覚の後、幾重にも虹が輝き、その閃光で夜が一瞬後退

 したかに思えた。

 

 過大な”力”の衝突によって組成が不安定になった大気の陽炎の中、金色の目は

 呟いた。

 

 

 [ちがうな。どうしたのだ、その力は−]

 

 ボクはヤツに語る言葉など持っていなかった。ただ高鳴る心臓の鼓動と、目から流れ

でる熱い感情(−ヤツをここから消さなければ−)、それのみに導かれて剣を握り

しめていた。

 

 ボクは、エリザが”好き”。

 あの足に冷たく固まっていた寂しい気持ちは、父さんや兄さんと離れてしまった

ボクの気持ち。

 そして、その気持ちはあの悲しいルシータと同じ色をしている。

 ボクはルシータも”好き”。

 (「御願い…見ないで…」)

 もうあんな悲しいことはイヤ!

 

 哀しみと怒りがボクの中で加速度をつけて回転し続ける。

 ボクの涙は止まらない。

 

 だから!

 

 

 再び緑と青の剣が交わる。

 ゴォという音と共に双方の”力”が渦を巻き、閃光を発する。

 ボクの鎧が鋭い音を立てる。

 

 ヤツの銀の髪が後方へ激しくなびく。

 ボクもヤツも剣へ込める力を緩めない。

 

 ボクの唇が切れ、血があごへ流れる。

 

 突然、ヤツの剣を握る手が緑色に輝きはじめた。

 

 [ちぃっ]

 

 剣をはじいてヤツが退く。

 ボクは空間もろともヤツの残像を切り裂いた。

 

 距離を置いたヤツの腕が解け落ちる。

 

 [まるでケモノじゃあないか。理性のかけらもない]

 

 ボクは気合いと共に満身の力で剣をふるった。

 緑色の光の帯が唸りと共に延び、幾重にも刻んだ空間の裂け目の幾つかが

 ヤツの銀の髪をとらえる。

 

 残像を引きながらすべるように後退するヤツは腕を再生させると、

 続けざまに白熱する無数の火球を放った。

 ボクは全てを切り散らし、なおもトマスとの距離を詰める。

 

 突然、ボクの右肩が吹き飛んだ。続けざまに両足が解け落ちる。

 しかし、幻覚による激痛もボクの問題ではなかった。

 ボクは失ったはずの右腕の剣で、ヤツのマントを引き裂く。

 切り放されたマントのエネルギーが制御を失ない、激しい爆裂を引き起こした

 

 

 金の目が輝き、猛烈な”力”の奔流がボクを襲う。

 

 「はぁぁぁぁぁああっ!」

 

 ボクはその全部を剣で受けとめ、それを緑の刃にまとわせた。

 

 [お前はっ!]

 

 構える。

 

 ヤツも胸の前で手を組み、力を集中している。

 金色の瞳が燃える。

 再び、振動が空間を満たした。

 鼓膜が破れそうな振動。

 

 クリスタルが力いっぱい輝く。

 

 ラストだ。

 

  デリート

 [消去 !]

 

 「いなくなれっ!!!!!」

 

 二つのエネルギーが激突した。

 

 

 青と緑の閃光が宇宙に突き刺さった。

-6ページ-

                   *

 

 「はぁ、はぁ…うっ…はぁ、はぁ…」

 

 ボクは自分の命を確認していた。

 体中が痛い。

 湖の波が頬を洗う。

 目を開ける。

 

 ヤツはいた。

 右手と両足を失ない、岩の上に金属の体を横たえていた。

 暗闇の中、ホタルのように脈動する光を身にまとわせている。

 その金の目から生気は消えていない。

 

 [お前は、普通のジェラードではないな。なぜだ]

 

 ボクはよろよろ立ち上がった。

 湖の波の音。

 クリスタルを起動し、鎧を再びまとう。

 剣を構える。

 

 トマスは金の目で冷たく笑っている。

 ヤツはまだ動けるほど回復していない。

 ボクは剣を振りかざした。

 

 がくん

 

 剣と鎧が消え、ボクはくずおれた。

 寒い。

 体が動かない。

 

 [最初から、力が違い過ぎることは分かっていたはずではないか。

  山を一つ蒸発させた時点で、お前はその力の半分近くを失っていたはずなのだ。

  今、命があるのさえ奇跡的なのだよ]

 

 ヤツは手足を再生させはじめた。

 

 悔しい!

 あと一太刀!

 あの体に突き立てることさえできたら、終わりだったのに!

 

 でももう、ボクは呼吸することだけで精一杯の状態だった。

 

 [では、計画を進めさせていただくよ。お前を消去するのは街を水没させてからの

 予定だったが、多少の前後はお前の熱意に免じることにしよう]

 

 オゾンの香りをさせながら、ヤツは岩の上に立ち上がった。

 

 [では退場願おうかな]

 

 グン

 

 ヤツは周囲の闇より暗い、手鞠ほどの空間を作りだした。

 

 [これが何だか分かるね]

 

 そう。それは、あのメタルの部屋でボクの力を吸い取った闇だ。

 

 [お前にはこの中に消えてもらう。わたしも一度通ったことのあるホールだ。

  きっと楽しい経験ができると思うよ]

 

 トマスは指先で、すうっとボクの方へそれを投げてよこした。

 ゆっくりとボクに向かってすべってくる暗黒の球体。

 ボクの周りの小石がザァッと音を立てながらそれに吸い込まれはじめる。

 ボクは歯がみした。

 

 もう、だめ。

 

 その時、緑色の閃光が走り、球体とボクとの間に影が割って入った。

 赤い髪の少年の背。

 

 「ヤルタ!」

 

 

 巨大な大理石が擦れ合うような音がうねりを伴ってこだまし、

 ヤルタが張った力の壁を暗黒の球体が削り取ってゆく。

 

 「はやくっ!はやく退くんだ、ラサム!」

 

 ヤルタは歯を食いしばりながら叫んだ。

 緑の閃光がきらめく中で、トマスは悲しそうに笑っている。

 

 [むだだよ。そのジェラードはもう立ち上がることもできない。そのまま

 放っておけば、すぐ命つきるだろう。その前にスリリングな経験をしてもらおうと

 思ったのだよ]

 

 「くっ!」

 

 ヤルタの壁が確実に削られてゆく。必死に抵抗する少年。

 

 [あわれだな。弱すぎるということは。わたしに従ってさえいれば良かったものを]

 

 (ヤルタ!逃げて!)

 ボクは声にならない叫びで叫んだ。

 

 しかし、ヤルタはボクにあのグリーンの瞳で優しい視線をちらりと投げて

 よこすと、壁を支えていた両手を構え直し、クリスタルを輝かせた。

 

 突然、ボクのクリスタルが淡い光を放ちはじめる。

 

 

 体が暖かくなってくる。頭のなかの冷たいしびれが消えてゆく。

 

 (ヤルタ!だめ!)

 

 ヤルタは彼とボクのクリスタルを共振させることで、力をこちらへ送っているのだ。

 そんなことをしたら!

 

 たくさんのガラスが一度に砕け散るような音がして、壁が壊れた。ヤルタの像が歪む。

 「ヤルタ!」

 

 ヤルタの思惟が流れ込んできた。

 

 (王族はね、臣民のためにいつでも命を捨てることができるように心を決めている

 ものなんだ。父も祖父もそうだった。ボクも王子のはしくれだからね。

 ラサム、色々ありがとう。オレ、生意気ばっかり言ってごめん。後をたのんだよ・・・)

 

 「ヤルタっ!」

 

 ギシュン!

 

 ホールが閉じた。

 

 「あ、あ…イヤ…イヤだぁっっっっ!」

 

 ボクは両手で顔を覆い、嗚咽した。

-7ページ-

 ヴン、と音がして、ヤツが身に力をまとう。

 

 [さて、どうするかな。王子が力を残していってくれても、せいぜい体力を

 回復させる程度のものでしかないが]

 

 ふっと彼の力が消え、鈍い唸りと共に再びホールが現れた。

 ボクは剣を抜いた。“力”の剣ではあの暗黒の球体に吸い込まれてしまうだけだ。

 涙は後から後からあふれて、ボクの頬を走る。

 

 ヤツは左手にホールを構えたまま、ボクと対峙した。

 (どうする。どうしたらヤツと戦える?…)

 ボクの頭の中で同じ問いがぐるぐる回り続ける。

 

 [さようなら。若くて美しいジェラード]

 

 ヤツは球体をボクに向けて発射した…ハズだった。

 

 突然信じられないことが起こった。

 

 「グワオッ!」

 [ちぃっ!]

 

 突然、ホールが膨張したかと思うと、その暗黒の中から巨大な白い生物が身を

 踊らせ、ヤツの左腕に食らいついたのだ。

 

 白いトラ。

 そう、湖でボクを巨大な腔腸動物から救ったあの一角の白虎。

 真っ白で強靭なその翼が、トマスの頭を痛打する。

 金属の左腕はその牙にひしゃげた。

 

 ボクは構えた。

 

 「いなくなれっ!」

 

 剣と共にヤツの懐へ飛び込む。刃は果実に吸い込まれるナイフのように、

 すんなりと貫通した。

 と同時に、ボクは剣を握ったまま吹き飛ばされる。

 

 [お、おのれっ!]

 

 トマスの体から力が奔流のように吹きだし、猛烈な渦を巻いてホールに

 吸い込まれてゆく。

 

 分かった。

 ホールを発生させているとき、奴は自身の力がそれに飲み込まれることがないように

 力を外に出していなかった。だから、あんなに簡単に剣が通ったのだ。

 

 グワォウッ!

 

 力だけでなく、白虎にその鈍く輝く肉体もホールへ引きずり込まれる銀の髪の青年。

 

 [ジェラード。また会うぞ、必ずっ!]

 

 ギシュン!

 

 ホールが、

 閉じた。

-8ページ-

                    *

 

 どれくらいの時間がたったのだろう。

 ボクは体に暖かい物を感じて、目が覚めた。

 

 ボクのまわりには幾つかのパネルが並んでいて、明滅している。

 「ほうっ」と息をし、体を起こしかけるとマゼラン博士の声がした。

 

 「気がつかれましたか、ラサム殿」

 

 ボクは湖畔の岩場に寝かされていた。

 あたりは幾台かの小さな機械が放つ光でぼんやりと照らされ、湖の波がゆるやかに

 その明かりをよせ返している。

 少し離れたところで、カニンガムがパネルをあわただしく操作しているのが

 見える。

 

 空を仰ぐと、何事もなかったかのようにまたたく星々。

 ボクは少しの間、自分のゆっくりとした呼吸音を聞いていた。

 

 ボクの頭の中、夢のように浮かんでくるヴィジョン。

 それが現実のことだったのだという認識が、胸の中にじわじわとしみこんできて、

 否定したくてもそれができない圧力になったとき。

 

 ボクは博士の胸にすがった。

 

 「博士、ヤ、ヤルタが…!」

 

 「エリザが何が起こったか、わしらに伝えてくれましての。いま、カニンガムが

ホールの跡をサーチしておりますところじゃ」

 

 博士はボクの背を赤子をなだめるように優しく叩きながら言った。

 

 「よくやりましたの、ラサム殿。今は休みなされ。まだ十分回復はして

 おりませんから」

 

 ボクの体の治療が終わった後、博士はカニンガム共に空間のサーチを続けていた。

 

 様々な色にまたたくパネルのインジケータ。

 そして冷たく輝く星々。

 それらを映す湖面。

 

 交錯する細かな光の粒の中でボクは岩に腰掛け、唇を噛んでいた。

 湖を渡る風がボクの長い巻き毛を揺らす。

 

 ボクは今まで何度も虫を空間の狭間へ放り込んできた。

 「そこは全ての物がその形をとどめ置くことができない場所」と、おじいちゃんから

 教わった。

 そこへ投げ込まれた物は次第にその形を失い、他の空間の一部に吸収されたり、

 あるいは空間の構成要素に置き換えられてしまうという。

 永遠の破滅の場所。

 だから、もちろん人をそこへ投げ込む事なんて考えたことはない。

 しかし、そこへ送られた者がこの空の星の一つに通じ、再びこの星に戻って

 くることができたのだ。

 

 ボクらがまだ知らない事がたくさん、この星々、そして空間の中に存在する。

 それによって、人が不幸になり、苦しむことがあるのだ。

 

 ボクは今まで本当に苦しんだことがあったろうか。

 ボクがどんなに重い病気になっても、ケガをしても、父や兄やおじいちゃんが

 クリスタルの”力”でなおしてくれた。

 ガレーネーのアリアナさんの時のように、ボクも”力”でなんとかすることが

 できると思ってた。

 

 でも、今度の場合は、違う。

 

 ボクはルシータを救えなかった

 彼女の悲しい心に巣くったトマスの呪縛を取り去ることができなかった。

 死の間際に彼女に正気を取り戻させたのは、

 彼女のカヴァーデールへの思いだったのだろうか。

 

 ボクはヤルタを助けることもできなかった。生意気で可愛くて小憎らしい

 赤毛の少年を…

 

 (あの子の赤い髪、果物みたいな香りがしたよな…)

 

 そんなこと思い出したら、また自分の無力さに胸が痛む。

 アッシュドで出会ったときからの、王子とのこれまでのことがぼんやりと

 思い出されて、チカチカと光るあたりの風景がにじんでくる。

 

 (お供のボクの方が彼にずいぶんかばわれてきたような気がするなぁ…)

 

 ガレーネーで倒れたとき。

 鉱山のメタルの部屋で脳改造されかかったとき。

 トマスを前にどうすることもできなくなっていたとき。

 

 (ボク、あの子になんにもしてあげてなかった…)

 

 呼吸に”しゃっくり”が混じり始める。

 止めようと思うんだけど、だめ。

 

 (これまで、あの子の背中借りて、ボク何度泣いたっけ…)

 

 でも、今。

 子馬のように骨ばったあの背中はもうない。

 思わずボク、顔を伏せる。

 

 そんなボクの様子を、博士が優しくいたわるような目でずっと見ていたことに、

 ボクは気付いていなかった。

-9ページ-

 

 機械が音を立てた。

 ボクは顔を上げる。

 

 幾つかのパネルが反応を知らせ、カニンガムと博士がのぞき込む。

 ボクは立ち上がった。

 

 「ヤルタは、大丈夫でしょうか・・・?」

 

 しかし、二人の表情にボクは答えを察した。

 博士が重苦しく口を開いた。

 

 「およその”存在”は確認できるのじゃが、すでに時間が経過しておるのでな」

 「なんとか、ヤルタさんを捉えられれば、この機械でもこちらへ引き戻す事は

 可能です。しかし、確実に彼を捉えることができなければ…」

 カニンガムが言葉をにごした。

 

 そう。彼の肉体の一部しかこちらへは連れ戻せない。

 それは考えただけでも恐ろしいことだった。

 でも、このままではいずれ彼はその形をとどめておくことができなくなる。

 あのブレスレットのクリスタルの力を借りていたとしても。

 

 東の空が明るくなりはじめた。

 ボクはパネルを見つめた。

 このどこかにヤルタはいる。

 

 ボクは祈るような気持ちで、心の中で叫んだ。

 (ヤルタ!どこにいるんだよ!頼むから、答えて!)

 

 「ラサムさん!」

 カニンガムが最初に気がついた。

 

 「これは?」

 ボクの右手のクリスタルが淡く緑色に輝いている。

 

 「そうだ!もしかすると博士!」

 「うむ!王子はブレスレットとラサム殿のクリスタルを共振させたまま、

 ホールへ飲み込まれたのでしたなのでしたな!うまくすれば!」

 

 

 準備は数分で整った。

 

 鈍い音を立てて、機械が作動した。

 

 「ラサム殿。くれぐれも“力”を働かせるのではありませんぞ」

 「ええ。やってみます」

 

 ボクはクリスタルを構えた。

 

 「いきます、ラサムさん!」

 「はい!」

 

 空気がはじけるような音がして、握り拳ほどの空間の裂け目が現れた。

 ボクは目を閉じ、思いの中で少年の姿を念じた。

 しばらくして、朝焼けの草原のような、淡くて暖かい光が浮かんできた。

 その光の中にたゆたう少年の姿をハッキリとボクは捉えた。

 しかし、肉体はすでにモザイク状に離散しかかっている。

 (ヤルタ!ヤルタ!)

 ボクは身を切られるような思いで、少年を呼んだ。

 

 「来ました!」

 「うむ!」

 博士がパネルを操作する気配と同時に、鋭いショックが走る。

 ボクはクリスタルから光が稲妻のように伸び、幾つかの金色に輝く光体を空間の

 裂け目から引き出すのを見た。

 緑の稲妻は踊るようにあたりを駆けめぐり、ボクらから少し離れた岩場に

 光体を一つにまとめてゆく。そのまわりをきらめく光の粒が霧のように覆った。

 その輝きのなかにボクらはほっそりとした少年の姿を見た。

 

 「成功じゃ!」

 

 空間の裂け目が閉じられる。

 

 ゆうらりと岩の上におりた少年の裸体に向かってボクは一目散に駆けた。

 

 「ヤルタ!しっかりして!ヤルタ!」

 

 抱き抱えられた少年はゆるやかに呼吸を始め、目をうっすらと開ける。

 

 「分かる?ボクだよ!ヤルタ!」

 

 そのグリーンの目がボクを認めると、少年は冷たい表情であの恐ろしい

 微笑みをし、言った。

 

 「また会ったな、ジェラード」

 

 「!」

 

 ボクは凍り付いた。

 心臓が止まったと思った。

 

 

 

 次の瞬間、少年は懐かしいあの小生意気な笑いをした。

 「助けられたときは、これやろうと思ってたんだ。おどろいたろー」

 

 「こんのおおバカやろぉぉぉおおおおおお!」

 

 ボクは少年が白目をむくほど力いっぱい抱きしめて、キスをした。

 

-10ページ-

                 *

 

 

 製錬所の煙が静かに立ちのぼっている。

 ボクは丘の上から朝靄にけむる街を丘の上から見おろしていた。

 

 あの事件から4日たち、工場はやっと動き始めた。

 ボクとトマスの戦いでダムの変電設備が一部損傷していたが、それもすぐに

 復旧したようだ。

 新しい社長が任命され、会社の機能も正常に戻りつつあるという。

 

 丘を下る。

 向こうにルシータの家が見える。もう誰も住むことのない家。

 風が吹き抜け、道ばたの草の葉がきらめく朝露をぽろぽろとこぼす。

 涙のように。

 

 街へ入ると、工場へ向かう労働者達とすれちがう。

 ボクは一人、皆と反対の方向へ歩く。

 木戸を開ける。朝食を準備する音が聞こえる。

 お手伝いに来ている近所のマリアおばさんと車椅子の少女がかまどの前にいた。

 

 「おはようございます」

 「あ、おはようございます」

 「お兄さん達は?」

 「もう出かけたの。おじいさんとお話があるって」

 

 階段を上り、部屋の扉を開ける。

 カーテンから朝の光が漏れている。

 少年はもう目がさめていて、ベッドから窓の外を見上げていた。

 

 「どう?気分は」

 「ん。もう大丈夫だと思う」

 

 ボクはベッドに腰をかけ、少年の手を取った。

 

 「熱はだいぶんひいたね」

 

 遠くでプレス機の音が響いている。

 

 小鳥達がさえずりながら窓を横切り、淡い青の空へ向かっていった。

 

 

 「ラサムはどうなんだ?」

 「ん。ボクは平気…」

 「…まだアイツのこと考えてるのか?」

 「うん…ボク、思ったんだけど」

 「?」

 「トマスって可哀想な人だったなって」

 「なんで?」

 

 ボクはベッドから立ち上がると窓辺へ行き、カーテンをいっぱいに開いた。

 風が通る。庭の木々のにおいがする。

 

 「あれだけの力がありながら、お姉さんの病気を治せなかったんだろ?」

 「うん」

 「あの人はきっと、お姉さんの”心”に病気の原因があったことが分かって

 いたと思うんだ。そして、その”心”が痛んで、お姉さんは自殺しちゃって…

 だからトマスは人から”心”を取り除いてしまおうとしてたんだ」

 「…」

 「それさえなくなってしまえば、人は強くなれるって」

 

 [人間は精神が弱すぎる。それが合理的な事の実行の妨げになる。

 わたしの姉も…]

 

 ボクはトマスの言葉を思い出していた。

 

 「それってさ、すごく可哀想だよね?そう思わない?」

 

 ヤルタはしばらく黙ったあと、唐突に口を開いた。

 

 「ラサム、らしくねーぞ。まるで女みたいじゃねーか…って 

 いてェーっ!!病人は優しく扱えっ!」

 

 憎まれ口をきくようになったところを見ると、ヤルタはもう大丈夫だ。

 

 ぷりぷりして部屋を出ると、ちょうど階段を上ってきたマゼラン博士と

 はちあわせた。

 

 「おはようございます、博士」

 「おはよう、ラサム殿。王子は?」

 「ええ、もう十分元気でしょう」

 「そうか、それは良かった」

 「博士…やはり…」

 「ああ、わしらはこの町を出るよ。あの兄妹達とな。脳改造を受けておった者達の

 手当もうまくいったしの」

 「…」

 「街の人達も今度のことで、“能力”を持つ者に対してますます不安を抱いて

 おりますから」

 

 そう。もう一つ心に引っかかっているのはそれ。

 そもそもルシータを傷つけたのは、能力を持つ者に対する差別だったのだ。

 平穏を取り戻したあと、その目がこの兄妹達に向けられる恐れがあるのだ。

 

 「博士…」

 「?」

 「ボクたちのような能力者は、みんなと一緒にいられないのでしょうか。

 ボクが生まれた村では、能力者は皆に尊ばれ、また能力者もそれに値する人間として

 自らを高めるよう励むのが当たり前だったのです。でも、この町では…」

 

 博士は微笑んだ。

 「悩む事はない。場所によってはそういうものだと覚えておくことじゃよ。

 ラサム殿は最初、自分が何者かを隠しておいでじゃった。あれは何故かの?」

 「あのときは、何となく…この町の問題にジェラードが関わるのは出すぎたことかと

 思ったので…」

 「それぐらいの心構えで事に臨んだほうが良いこともあるという事じゃよ。

 これからラサム殿は多くの場所に旅をなさることじゃろう。もちろんこの国の中では

 ジェラードの存在は知られておる。尊ばれもしよう。しかし、そうとばかりは限ら

 ないこともあるのじゃ」

 

 ボクはさらに尋ねた。

 「…でも、皆と別視されるのは仕方ないとしても、何故ボクやあの兄妹のように

 生まれながら能力を持った者がいるのでしょう」

 

 「おそらく…」

 博士はしばらく間をおいた。

 

 「おそらく、時代に必要とされているんじゃろうな。わしにもよくわからんが。

 『“有”すべて有るものはその意味を持ち、“意志”により存在を許される。』

 というのは、ジェラードの訓語ではなかったかの?」

 

 確かにそう。でもボクはまだ、その“意志”が何かを理解していない。

 これから、その”意志”が何なのかを探し続けてゆかなければならないのだろう。

 ジェラードとしての旅はまだ始まったばかり。そう簡単にその”意志”を悟る事

 なんてできるはずはない。そう。そうだよね。

 

 「ありがとう、博士」

 

 博士はうなづいて、ヤルタの休んでいる部屋へ入っていった。

 ボクは少し軽い足どりで階段を下りた。

 

-11ページ-

                  *

 

 「ヤルタ王子。お加減はいかがですかな?」

 「はい。もう熱も引いたみたいですし。あと一日二日で動けると思います」

 「そうですか。それは良かった。ラサム殿の介護が良かったのじゃろう」

 「頭を締め上げるのが介護とは思わないけどな」

 「ホッホッホッ。しかし、良い娘さんじゃな。あの方は」

 「は、博士…どうして!」

 「わしも伊達に年は食っておらんよ。さすがに女のジェラードは初めてじゃがな。

 それと、な、王子」

 「は、はい」

 「ウィルバー殿のことじゃが」

 「先生?もしかして…」

 「そうじゃ。ほぼ間違いなくラサム殿の父君、カーチス殿と同一人物じゃろう。

 ラサム殿の窮地の時にマトリクスが発現したり、王子が次元の狭間に

 おられたときでもクリスタルが共振できたのは、そうとでしか説明が

 つきませんのじゃ」

 「じゃあ、ラサムの父親が死んでいることを…」

 「知っているのは我々だけという事じゃ」

 「…黙っていたほうが…」

 「そうじゃの」

 「…」

 「王子、あの娘さんを守ってやってくだされよ。その形見のクリスタルにかけて」

 「…はい」

 「それから、王子。ラサム殿は2度も一角の白虎を見ていると申しておられるの

 じゃが、王子は“発動”させた憶えは本当にありませんのか?」

 「ええ。ぜんぜん」

 「やはり、そのウィルバー殿のクリスタルと関係があるのかもしれんの」

-12ページ-

 

 ボクが庭でヤルタの部屋の窓辺に飾る花を選んでいるとき、突然懐かしい意志が

 ボクの頭に飛び込んできた。

 

 「おじいちゃん!」

 

 ボクはあわてて立ち上がると、心を開いた。

 

 [ラサム。わしは無事にサトナへついた。思ったより状況は深刻じゃ。やはり原因は

  “理(ことわり)”の平衡が崩れてきているためらしい。しかし、何故それが

 生じているかがわからぬ。対策は立てておるが、回復には時間がかかるじゃろう。

 マトゥリア王に至急、事を伝えてくれ。

 国民の病は治療することができそうじゃ。しかし、残念なことじゃが国王は…]

 

 「えっ!そ、そんな事って…」

 

 ボクは、しばらく呆然として立ち尽くした。

 

 「言えないよ…ヤルタには…」

 

 ボクは両手で顔を覆った。

 

                       *

 

 ボクは花を持って階段を上がった。

 扉の前で、顔をもう一回拭って確かめた後、ドアを開けた。

 ヤルタはベッドの上に身を起こしていた。

 ん?何となく様子が違う。

 

 「あれ、博士は?」

 「あ、ああ。もう出かけた」

 「…花、換えるよ」

 「ん」

 「あのさ、さっきごめん。ちょっと頭に血が上っちゃってさ。あは」

 「あ、ああ」

 

 やぱ、態度がちょっと変。悟られたかな。

 

 「オレもさ、お前、まじめに考えてるのにおちょくったりして、ごめん」

 「な、なんだよぉ。急に。変なヤツ」

 あわてておどける、ボク。

 

 「な、何が変なヤツだよ。気ぃ使ってんのに。ちぇ」

 毛布にもぐり込む王子。

 

 ボクは、自分の父親が亡くなったことを知らずにふて寝しているこの少年が、

 とても可哀想でしかたがなかった。抱きしめたいのをぐっとこらえていた。

 

 階下からカニンガムの朝食の準備ができたことを知らせる声が聞こえる。

 

 「いま、食事持ってくる」

 

 毛布をかぶったままの王子の背にそう言うと、ボクは部屋を出た。

 彼がどんな気持ちでボクを案じていたのか、その時のボクは知る由もなかった。

-13ページ-

                   *

 

 それから2日後。

 ボクらは旅路にいた。

 回復したヤルタ、そしてマゼラン博士とカヴァーデール、カニンガムそして馬車に

 乗せられたエリザが一緒。

 

 王宮へ向かう街道へさしかかった。

 「さて、ここでお別れですな。王子、ヤルタ殿」

 

 「博士達はこれからどちらへ?」

 「そうですな。まずは西のほうへ行こうと考えております。以前、ワシが住んでいた

 家がありますのでな。エリザの足が良くなるまで、そこにしばらくいることになるで

 しょうな」

 

 

 「お元気で」

 「皆さんも」

 

 カヴァーデール、カニンガムと挨拶を交わした後、ボク達は馬車にまわる。

 

 「エリザ、元気でね」

 「うん。これ、あげる」

 

 彼女が差し出したのは望遠鏡だった。

 

 「これは…」

 「いいの。もう星を見なくてもいいんだもん」

 ヤルタはそれを受け取ると微笑んだ。

 

 「さよなら」

 「さよなら」

 「ありがとう」

 

 

 馬車の後ろを見送りながら、ヤルタは言った。

 

 「ラサム、どうしてあの子の足をなおしてあげなかったんだ?」

 「うん。あれはね」

 

 木々の向こうに馬車が消える。

 

 「あれは、トマスのお姉さんと同じなんだ。“力”では治せないんだよ」

 「治せないって…」

 「ん。でも大丈夫。お兄さん達、これからいつもあの子のそばにいられるように

 なるから、きっとすぐに良くなると思う。あの子の悲しい思いが、あの足から

 抜けたら歩けるようになるよ」

 「悲しい、気持ち?」

 「さ、行こう」

 

 ボクらは歩き始めた。

 王宮はもうすぐ。王子との旅もあと3日ほどで終わる。短かったハズなのに、

 ずいぶん長かったような感じ。

 『知恵は知識をもって実践することにより得られる比類無き宝』っていうのが、

 少しわかったような気がする

 

 「マトゥリア王との会見が終わったら、ヤルタはどうするんだ?」

 「うん…まだ、考えていない。国へ戻ろうって思ってたんだけど…」

 「だけど?」

 「会見してから考える。ラサムは?」

 「ボクはたぶん、王の命を受けたらまた旅に出ることになるんじゃないのかな。

 国の必要なあちこちへ出かけるのがジェラードの仕事だから。まあ、昔みたいに

 戦争へ行くことはないと思うけど」

 「そうか…」

 「どしたの?」

 「ん。何でもない」

 

 何だか、このあいだからこの子、変だ。

 

 「ま、とりあえずさ。」

 ボクは明るい声で言った。

 「王宮についてからだね。」

 「うん。」

 道のりはまだ3日ほど残っている。

 

 ボクとヤルタは歩みを始めた。

 

                  「異界からの復讐者」 終わり

説明
相手は予想以上の強敵だった。絶対的な力の差を見せつられ、心の隙を突かれ、次元の狭間へ飛ばされそうなボクを救ったのは。ジェラード第3弾最終編
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