船上にて。
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 夏の、馬鹿馬鹿しい程晴れた、幼稚園児がクレヨンで描くそれのような晴天。暑い日差しを反射して、水面はきらめく。聞こえるのは、船が海を切り裂き突き進む音と、遙か遠くのカモメの鳴く声。

 少女は、そんなどこまでも遠くまで続く水面を、ぼう、と眺めていた。

 

 この船は、観光と島への定期便を兼ねた船だ。見た目こそ大きいものの、収容可能な人数は30人ほどと少なめ。決められたコースを、ゆっくりと流す。一部は、それこそ風光明媚な島々があるとして知られているが、そこから少し外れると、あっという間に何も無い、だだっ広い海になる。

 それ故、出発して30分ほどは、その景色を眺めたり、あるいは写真に撮ったりする面々は多いが、それを過ぎると、皆船内の自分の席に戻り、思い思いの事をし始める。

 故に、甲板上は全くの――前述した音以外は、全く静かな環境であった。

 

 柄の悪い男が四人ほど、甲板へと出てきた。馬鹿みたいな――実際、そうなのだろうが――笑い声が、静寂を破壊する。

 やがて男の一人が、ぼう、と水面を眺める少女を見つけたらしい。仲間達に言う。下品な笑いが、少し潜められる。その顔は、醜く歪んでいた。

 四人は、少女へと近づく。逃げ道が無いよう、少女を囲むようにする。少女は水面をぼう、と見ているからか、気付くそぶりもない。

「よう、お嬢ちゃん」

 男の、リーダー格と思われる男が、そう声をかけながら、少女の肩に手を置いた。

「こんな詰まらねえとこでぼけーっとしてないで、俺たちと良い事しようぜ」

 ぐへへ、と下品に笑う。

「やめて」

 と、見て分かるほどの怒りを顔と声に出して、少女は肩に乗せられた手を振り払った。

「んだよこのアマ。人がせっかく優しくしてやろうと思ったのに」

 少女の胸ぐらを掴む。自分の顔を、少女の顔に近づける。少女は苦い顔をして、ぺっ、と男の顔に唾を吐きかけた。

 それがスイッチだったらしい。男は少女を突き飛ばした。突き飛ばされた少女は、手すりにぶつかる。痛みに、顔が歪む。

 それを合図に、周りの男達が少女に群がる。少女の服が、はぎ取られようとしていた。

 

「そこまでじゃ、お若いの」

 低い、しかしとても良く通る声が聞こえた。顔にぴしゃり、と水をかけられたように、男達の動きが止まる。

 いつの間にか、一人の年寄りが立っていた。良く焼けた黒い肌。黄色がかった白髪と白髭。しゃきっとはしているが、少女を取り囲む男達と比べれば、圧倒的に体格は細い。ガリガリ、とまではいかないが、その色と相まって、流木のような体つきだった。

「んだよ、ジジイ。怪我したくねえならとっとと帰れよ」

 一人が、いかにも自分の体格を誇示しながら、老人の方へと近寄っていく。

「ほう、血気盛んなことじゃの」

 老人は、朗らかに笑う。そして、次の瞬間。

「じゃが、逆に言ってやろう。五体満足で居りたいならば、今すぐにわしの目の前から消えることじゃな」

 老人の全身に、殺意が張り詰めた。

 しかし、そんなものを気にするはずもない。そんな事を気にするほど、冷静なわけがない。

 元々興奮しており、そんな老人の些細な挑発で、頭に血の上った男は、意味不明な叫びを上げながら、老人の胸ぐらを掴んだ。

 

 次の瞬間、不思議な事が起こった。老人がその胸ぐらを掴んだ手を持つと、男は宙に浮いた。そして、思い切り甲板にたたきつけられた。うげっ、とも、ぐふっ、ともつかない声を上げる。

「だから言ったろうに。これで分かったならば、すぐさまわしの目の前から消えるんじゃな」

 老人は、声を投げかける。そして、その男の横を通り過ぎて、まだ少女を取り囲む残り三人の男達の元へと歩き出す。

 後ろに倒れた男は、しかしたたきつけられただけだった。飛び起き、意味不明な叫び声を上げながら、老人へと突進する。

 そして男の繰り出した拳が、老人の後頭部を打ち抜く、まさにその刹那。老人はしゃがみこんだ。男はしゃがみ込んだ老人に蹴躓き、そして勢いだけは無駄にあった為に、まるでゴム人形のように手すりにぶつかり、そのまま海へと転落していった。

 その様子をみていた男達は、しかし落ちた男を助けようとはしなかった。当然だろう。意味不明に、自分たちの仲間の一人が、老人に返り討ちにあったのだから。見かけは、自分たちと比べれば圧倒的によぼよぼの爺に。そして次に、彼らはこう考えたのだろう。

「武器さえ取れば、こんなジジイは怖くない」

 残りの男の一人が、メリケンサックを指にはめる。二人は、懐に忍ばせていたのであろう、特殊警棒を抜く。

 そして、メリケンをはめた男と、警棒を抜いた男の一人が、老人に突進した。これに対して、老人の反応は素早かった。

 まず、数瞬早く突撃してきた警棒の男の手首を取り、ごきり、と、本来鳴ってはいけない音を響かせた。男は悲鳴を上げ、手に持っていた警棒を落とす。そしてそのまま、その男の身体を、メリケンサックを持っていた男の方へと向けた。

 トゲ付きのメリケンのトゲが、男の腹部に刺さる。悲鳴が、聞こえる。メリケンの男は、顔が真っ青になる。動きが、止まる。

 老人は、そのまま男二人を突き飛ばした。抵抗する事も出来ず、また立ち止まる事もできずに、二人とも海に投げ出されて行った。

 老人は、くるり、と男の方に顔を向けた。

「後はお前さんだけじゃな。良い事を教えてやろう。この海はな、サメがよく泳いでる事で有名でな。仮に命が助かったとしても、手足があるかどうかはわからんぞ?」

 どこか楽しそうに、そんな事を言う。笑っている。顔を真っ青にした男は、しかしこのまま引き下がる訳にはいかないのだろう。少しだけ服の破れた少女の首に手を回し、盾にする。

「こ、こっちに来るんじゃねえ! 来たらコイツの目玉を潰すぞ!」

 男は、逆手に特殊警棒を構え、少女の目に突きつけていた。

「ほう。お前さんの仲間は正々堂々とわしに挑んできたのに、お前さんはそういう卑怯な手を使うか。なるほどなるほど」

 ほっほ、と笑いながら、老人はその様子を楽しげに見ている。

「と、とっとと消え失せやがれ! 早くしろ!」

 もはや恥も何もない。ただ、恐怖に駆られた行動をしていた。

 

 そのときだった。少女が、顔をそらしながら、男の足を思いっきり踏んだ。思わず、男は痛みに顔をゆがめる。少女の頬を、特殊警棒の先端がかすめた。その隙を、老人は見逃さなかった。

 目にもとまらぬ早さで踏み込み、少女を拘束する手を掴み、引きはがす。そして、顎へ、平手で押し込む一撃を加えた。男は軽く脳震盪を起こしたのだろう。手すりにぶつかり、そのまま海へと転げ落ちていった。

 老人は、しばらくして浮き輪を二つ、海へと放り投げた。その後、一旦船室に降り、大きめのタオルを一枚取ってきて、甲板で座りこんでしまった少女に近づく。

「すまんの。大丈夫か?」

 少女にタオルを差し出しながら、そう聞く。

「あ、あの、ありがとうございました。たぶん、大丈夫です」

 タオルで、自分の破れてしまった服を隠しながら、そう言う。

「ふむ、それはよかった」

 そう老人はにこり、としかけて、顔を曇らせた。

「いや、いかんの。お若いお嬢さんの顔に傷をつけてしもうた。折角の美人だというのに、すまないのう」

 と、申し訳なさそうに――実際そうなのだろうが――老人は頭を掻きながら、微妙に頭を下げる真似事をしている。

「えっと、その、名前は」

 恐らくは、お礼をしたいのだろう。少女はそう聞く。

「なあに、わしゃこの船の船長でな。名乗る程の者でもない。それより、まずはその顔の傷の手当てじゃな。それから、そのお洋服の弁償もしなければならん」

 と、老人。少女は、しかし、と言って、老人はそれを、手で制した。

「なあに、間抜けの尻から財布を取ってある。どうせ天国までは金はもってけんからの」

 それじゃあ、と少女は少し顔を青くして言う。

「あの人達は、私の為に、あの人達を」

 ニカッ、と船長は笑って、首を振った。

「目撃したのはお前さんとわしだけじゃ。黙っておれば、何にもわからん」

 しかし、とはいっても、とまだ不安に曇る少女の顔を見て、老人はあからさまに、耳の横で手を動かし、少し大きな声で、ゆっくりと言う。

「それに、わしは最近耳が遠くてのう。彼奴らが勝手に馬鹿騒ぎして、まとめて落ちた。それに気付く事は不可能だった。違うかの?」

 こくり、と少女は頷いた。

「それでいいんじゃ。さて、医務室に案内してやろう。自慢じゃが、うちの医務室のナースはピッチピチのギャルでな」

 そう呟く老人の顔は、大の男四人を海に突き落とした修羅のそれではなく、ただのスケベジジイの顔だった。

 老人は、少女の手を取り、立ち上がらせる。そして、しっかりとした足取りで、少女を連れ、医務室へと歩いて行った。

説明
夢の中で見た風景を膨らませて、さくっと書いてみた作品です。ちなみに投稿する前まで考えてたタイトル案は二つ。「痛快!じじい伝」と「じじい無双」でした。が、どっちも合わないので何とも無難なタイトルに。
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