アラブなココマ
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砂漠の熱い空気が彼の周りにだけ滞空しているような気がした。

 

 

夕方から始まるレストランの準備のためにホールの掃除にいそしんでいた僕に訪れたあの瞬間。

外にはまだ準備中という札もしてあったはずだ。もちろん鍵も閉めてある。従業員用の出入り口は裏側にあるし、まさか表玄関から、時間外に入り込んでくる人がいるなんて、僕は思いもしなかった。

昨日の売り上げはとっくの昔に銀行に持ち込んでいるし、まだ営業前のこのレストランには釣銭くらいしか残ってはいない。店の中にあるものも、清潔だが別に貴重なものでもない大きなスーパーで大量に売っているものだ。もちろんワインだってビンテージものなんか置いていない。うまいものを安く、広く、がモットーのこの店の自慢だ。

店を閉めた後ならともかく、準備中に強盗なんか入るはずもないし、だから僕はきっと時間を勘違いした予約客が来たのだろうと営業用の顔をして、空いたドアからのぞく人影に近づいた。

「すいません。まだ、営業時間ではないんです。お店でお待ちいただいてもいいんですが、あいにくまだ準備もできかねておりますので、大変申し訳ありませんが改めて足を――」

ほの暗いホールに開いた玄関口から差し込む光がまぶしい。目を細めながら、僕はゆっくりと目の前に立つ堂々とした人物を見て、思わず息をのんだ。

(うわぁ)

まず目を引いたのは、くるぶしまでの長さのあるワンピースのような、ゆったりとした白い長衣だった。このあたりではまず見ない。

足もとからぐっと顔のあたりに視線をあげると、頭に濃い色の布をかぶっていて、それを落ちないように上の方で黒いわっかで押さえている。僕は驚きのあまり口をあんぐりあけて、馬鹿みたいにその人を見た。

布で覆われた顔はきれいな飾り彫りの彫刻みたいに見えたのだ。よく美術館なんかに置いてある、大理石の石像のようなほりの深い顔立ち。黒い髪がひと房だけ顔にかかっていて、それはその下にある恐ろしく整った顔立ちをわざと隠しているようにも見えた。

長いもみあげがもともと小さな顔をさらに一回り小さく見せるみたいに輪郭の外側を縁取っていて、その彫刻じみた顔をよりくっきりと浮かび上がらせていた。

(……僕、こんな人見たことない)

ぷん、と嗅ぎなれないにおい。甘いような苦いような、それでいてどこか心を騒がせるにおい。それがその目の前にいる人から漂ってくるのだ、と気がついた時にはもう遅かった。

箒を持ったままの腕を取られて、引き寄せられた。

「君が、小松くんだね?」

それは質問ではなくて確認だった。熱に浮かされたように僕はうなずいて、どうして名前を知っているのかとかこの人はだれなのだろうとか、そういう疑問は消えた。

「君には僕についてきてもらわなければならない義務があるんだよ」

やさしい口調の裏に、どこかひどく忌々しいことを仕方なくやるんだ、というような何かをはらむ、恐ろしい響きが僕にはっと正気を取り戻させた。

「ぎ……義務とおっしゃられましても――営業時間は決まっておりますので」

いまだに僕はその人が時間を間違えて訪れた客だと思っていたし、この状況ではやはりそうでしかないのだという常識にとらわれ過ぎていたのかもしれない。それだけが勇気の源だというふうに手の中の箒をぐっと握り締めた。

しばらくすれば他のバイトも出てくるし、今はとにかく穏便にことを済ませてしまうしかない。だって、もうすぐ店が開く時間になるし準備は一向にはかどっていない。いつも通り厨房に火が入り、スタッフたちがあわただしく動き回る夕食の時間が迫っているのだ。

「トリコに関係するものを探せ、急ぐんだ!何ひとつ、見落とすなよ」

僕がさらに口を開こうとした瞬間、その人から聞き覚えのある名前が出た。

「君はボクと一緒に来るんだ」

強くひき立てられて、僕にはそれに抵抗するすべはなかった。わけの分からないままぼうぜんと見上げると、慈悲深く見える黒い目が僕を見ていた。

(――あ)

そのまま突然の衝撃に身を守ることさえできず、僕は気を失った。

 

 

 

 

ひやりとした肌への刺激で僕は目を覚ました。

清潔なリネンのにおい。薄暗い部屋の中で、どうやらシーツに包まれたまま眠ってしまったようだ。寝返りを打とうとすると、ひどく首が痛んだ。早く起きなければ、店の開店準備が間に合わない――

「――!」

ゆるゆるとながら思考がまとまっていく。寝ている場合じゃない。夢の世界から急激に現実に引き戻されるショックで足がつった。

その痛みさえ、いまの僕にはありがたい刺激だった。ベッドの上を転がりまわって、筋肉のきしみをやり過ごすために身を縮める。深く、息を吸って、同じように深く吐く。ひきつった足を撫でさすって、僕は懸命に目を開けた。

(ここは……?)

見覚えのない内装に、見覚えのないベッド。レストランのある建物の中で僕が入り込める場所では見たことがないものだ。もしこれがオーナーの個室だというのなら、従業員を代表して文句を言ったっていい。着替えだって狭いロッカールームに身をねじ込むみたいにしてやっているのが現状だったからだ。

どこか壊れているのか、ずいぶんと空調の音が大きい。

これではよほど慣れないと眠ることはできないだろうなあ、とちょっとこの部屋の持ち主を思ってほくそ笑みながら、僕はベッドを下りた。間接照明だけの薄暗い部屋を手探りで進み、ドアを探す。

そう広い部屋でもないが、暗さに慣れてきた目でどうやら応接セットのようなものと小さなテーブルがすぐそばにあるのが分かった。窓のない部屋は無性に僕を圧迫するので、気合を入れるために大きく息をついた。

「――小僧」

その時だ。地の底から響いてくるような声が聞こえた。思わず息をのんであとじさると、カーペットの端に足が絡まった。どうしようもないまま、うしろに転がってしたたか頭を打つ。

「痛っ!」

不思議なことに打った頭より、首の方が痛んだ。起き上がろうともがいてみても、なんだかうまくいかない。

「小僧……」

ずしん、と寝転がっている背中に振動が伝わってくる。声とセットだ。こんな心霊現象聞いたことがない。

わけもなく震えていると、そばに誰かが立ったのが分かった。みしり、と床が悲鳴を上げる。

「あんまり、調子に乗るなよ」

ぐっと腕をつかまれて、引き上げられた。抵抗をすることも忘れて、僕は自分の体がゆっくりと床から離れていくのを感じていた。

そうして、目の前に大きな壁が立ちはだかっているのが見えて、再び僕は意識を手放した。

 

「だから、やりすぎるなと言っておいただろう」

「……」

「国へ帰るまでに聞いておきたいことがあったんだ――部屋も探したけれど、あまり芳しくはなかったよ」

すぐそばで誰かが激しくやり取りをする声が聞こえる。ゆっくりと目だけをあけて、僕は身動きせずにその会話に耳をすませた。

どうやら最初に寝ていたベッドにまた寝かされているようだ。先ほどと違うのは、部屋の中が明るくて、まぶしいということ。

こんな短期間の間に2回も気を失って倒れるなんてこと、いままでの人生では一回しかない。

さしものうっかり屋の僕も、用心しようという気にもなる。慌てて動かず周囲の状況を確認して、それから起き上がるようにしよう。

(――二度あることは三度あるって言うし)

小さくため息をついた。時計がないから、いまが何時なのか分からないけど、遅刻は必至だろう。信頼を裏切った気がして、胃がしくしくと痛む。

嘆いていてもはじまらないから、白い天井をぼんやりと眺めて息を整えた。

「調子に乗ってんじゃねえぞ!」

突然、ぼそぼそとしか聞こえなかった声が大きく響き渡って僕は息をのんだ。

気付かれぬように体の向きを変えて、見回すと応接セットに座っている2人の男が見えた。

「……」

「ココ、俺はお前の犬じゃねえ」

「僕だって、お前の主人になった覚えはないよ。ゼブラ」

一方が荒々しく叫べばもう一方はそれを冷静に受けている。目に見えない気迫が二人から伝わってくる気がして、僕は息をのんだ。

ゼブラと呼ばれた荒々しいほうは大男で、真っ赤な髪に浅黒い肌をしている。タンクトップにズボンという僕と変わらぬ格好だ。冷静なほうがココと言うのだろう。彼のきている服と頭にかぶった布を見て、僕は夢を見ていたのではないのだということに気がついた。

(あ、れは――)

時間を間違えて来た客ではなかったのか。

名前にも顔にも覚えはない。強いて言えば、気を失う前に聞いた名前だけが僕の知っているすべてだ。

ひゅっと息を吸い込んで胸の上でこぶしを握り締めた。心臓がばくばくする。

「トリコはいったいどこへ行ったというんだ――これだけ探しているのに、手掛かりさえつかめない。やっとつかめた手掛かりが彼一人だっていう有様だ」

彼、というのが僕自身のことを指しているというのはだれに指摘されなくてもよく分かった。

「だからって、無理やり連れてくるこたねえだろう」

「部屋にもあの店にもめぼしいものはなかったから、もう彼を国へ連れて帰るしかなかったんだ。トリコがあの店に繋がっているとしたら、騒動も知るだろうし。僕だってできることなら、こんなことをするつもりはなかった」

ココという男の言葉に僕はただ震えるしかなかった。恐怖と孤独とがないまぜになった僕の頭に鈍い痛みが走っている。

 

 

 

説明
6/11 追加 改ページのやり方が分からない… ジャンプに連載中のトリコに出ている美食四天王のココと小松のBLでハーレクイン。ねつ造設定です。まだ1Pめ。なにも始まっていません。
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