絡繰人形のインターリュード |
盗賊王・ガノンドロフは人形を飼っている。
統べる者が誰となろうと、今日も変わらず太陽は昇り、沈んだ。
月が闇空に浮く。ガノン城と名を変えたハイラル城は暗く静まりかえり、一切の人気も活気も無い。
魔王の居城である。あの華やいでいた時代が嘘のように、城内に底冷えのする魔力が渦を巻く。点々と、申し訳程度に灯ったランプが不気味さに拍車をかけていた。
足音を重く響かせ、城の主、ガノンドロフは暗い廊下を進んで行く。いくつも階段を上り、目指すのは自室だ。魔王の名を冠してはいるが、当然ながら君主としての責務は多く、また休息が不要と言う訳でもない。
城の奥まった所に位置する一部屋は、周囲に見張が置かれていなかった。不用心なのではなく、忍び込む命知らずも居なければ、魔物ですら怯えて近寄ろうとしないからだ。
その扉を開く。
月明かりが差す室内に、影があった。
床の上に座り込み、ゆっくりとこちらを向いた“ソレ”は、青年である。
妙にぴっちりとした白服は珍妙だが、引き締まった体は鍛えられていて、初めて眼にした者であれば警備員か従者と思っただろう。その表情の虚ろさにさえ気づかなければ。
無造作にガノンドロフは距離を詰める。大抵の者は即座に緊張を漲らせるであろう気配に、しかし青年は身構えるどころか動こうともしない。
片目を隠すように切りそろえられた銀髪を透かし、闇の色をした眼が部屋の主を見上げている。そこには怯えも無く、媚びも無く、意志すらも宿っていなかった。
「主が戻ったぞ。生き人形」
凶暴に笑い、顎を掴んで唇を奪う。戯れるような代物ではなく、深く、貪る。
好き勝手口内を蹂躙される青年は、ぱちりとひとつ瞬きをし、そして迎えるように舌を絡めた。されるがままだった彼の初めての能動的な動作だ。
二人きりの部屋を水音が支配し、淫靡な空気が取り囲む。
ひとしきり味わい、盗賊王は満足して身を離した。唾液が糸を残して切れる。解放された青年は、けれど先程キスに応じた熱烈さが嘘のようにまたも無言に戻ってしまった。忌避し逃げようとするでもなく、先をねだることもしない。
与えられたから応えたのだ。それだけ。
彼こそがガノンドロフが飼育する、生きた人形である。
愛玩の条件とは何だろうか。
傍に置きかわいがり、姿やしぐさ、声などを楽しむのを目的とするのが定義ならば、“ソレ”はきっと外れてしまう。正直、犬猫の方がペットとしては相応しい。
何せその“人形”は話しもせず、愛くるしい振る舞いもせず、始終ぼんやりとした視線でどこかを見ているだけなのだ。意志疎通はできない。利点とするなら唯一、ほんのささやかにではあるが、己のみに反応するらしいのが可愛い所か。
囲って何が楽しいかと問われれば、多分答えに迷う。けれど彼は確かに盗賊王に愛でられる、人の形の愛玩動物であった。
「ほう、今日はよく動くな」
重厚な衣装をくつろげながら、ガノンドロフは鷹揚に褒めた。
机に乱雑に置いた装飾品を、青年が緩慢な動作で拾い上げてはケースに一つずつ仕舞っている。別に教えた訳ではないが、これは気紛れにこうして従者の真似事らしきことをした。日によっては動かないどころか目線すら上げないこともある彼にしては、珍しい程に活発だ。
少し考え、白手袋の手に愛刀を持たせてみた。
盗賊王の振るう物だ。しっかりした造りのかなり質量のある品だが、人形は軽々と受け取ってみせた。
そして、ぺっ。とぞんざいに放った。
「相変わらずか」
絨毯に転がった武器に憐みの視線を送る。この奇妙な人形はどうしたことか、己の剣にだけは冷たいのだ。恐らく扱い方を心得た上での冷遇は、他品に丁寧なせいもあり妙に可笑しい。
本来ならば咎めるべきであろう態度だが、苦笑で留めてしまうのは何故だろう。
「剣に嫉妬でもしているようだ」
心なしか、ぼんやりと霞む表情に不機嫌が過った気がして、ガノンドロフは知らずと口角を上げた。
どうして怒ることができようか。感情らしい感情を持たず、普段ろくな反応も返さぬ生き人形が、もし妬いたとすれば可愛いものだ。
などと考え、末期だなと改めて思う。どこかで呆れる自分を感じつつ、こうして飽きずに剣を手渡してはリアクションを楽しんでいる。
だが機嫌を損ねたのか、それきり人形は動きを止めてしまった。ガノンドロフは肩を竦め、床に落とされた剣を拾った。
もう7年近く前になる。
忘れもしない、聖地へ踏み込んだ日のことだった。触れた神器は一つを残して散り散りになり、魔王となった男は怒りと失意とで気が狂わんばかりで、せめて何か手がかりはあるかと時の神殿を調べていた。その時だ。
ガノンドロフは彼を見つけた。
最初は、死体だと思った。古い樹の上に、枝に紛れるように座っていた人影は、クーデターにより絶えず響く悲鳴など届いていないかのようにじっと動かず、神殿の方を眺めるばかり。
『何者だ?』と鋭く誰何してようやく、それは緩慢にこちらを見た。
生気の無い、あまりにも暗い眼だった。その闇色とも呼べる色合いに、一瞬言葉を失ったのを覚えている。
異質だった。
纏う気配も、言いようのない虚ろさも、何もかもが。説明はしにくいのだが、明らかに彼…いや、“ソレ”は他の全てと違っていた。
ああ、人形だ―――と、漠然と思った。
「飲むか?」
一応問いかけたがやはり反応はされなかった。気にせず、そのまま手にした杯を口に運ぶ。
ソファに深々と腰かけ、ガノンドロフは改めて目の前の人形を眺めた。容姿は同性ながらに整っていて、十分に肴として適う。床に力無く座り込み、胡乱な視線で遠くを見つめていても、それでも人外に美しい。
「やはり不思議なものだ。本当に飲食を必要としないとはな」
7年前発見し連れ帰った人形は、真に人形じみていた。まず食べない。水も飲まないし、眠りもしない。無理に飲ませればこの酒も飲むだろうが、最初はとても驚いた。そういう生き物らしいのだ。
てっきり白痴か、育て親の双子が得意とする洗脳でもされた者かと思っていた。宿している魔力ゆえの推測だったが、どうやらそうでもない。
妖しい。捨てなさい。と口煩い老婆達の意見ももっともだったが、一蹴して側に置いている。
強く、彼の何かがガノンドロフを惹きつけたのだ。
何にそこまで惹かれたかは実はよく解らない。未だ掴めぬままに、以来愛玩動物の座に納まっている。
第一印象は正しい。人形。綺麗な顔をしたナニカ。名も知らない。
これはきっと抜け殻だ。
「何なのだろうなぁ、貴様」
さらさらと指の間を通る銀糸の感触を楽しみながら、盗賊王は酒杯片手に呟きを漏らした。もちろん返事など返らないが、頓着せずに独り空想を巡らせる。
ふと思い出したのは故郷にて耳にした噂だった。
ガノンドロフの出身である砂の地では時折奇妙な物が発掘される。恐ろしく古い地層から、しかし現代の技術をもってしても再現どころか使用も不可能な品々が、気まぐれに地表に顔を出すのという。
計り知れなく進歩した技術を有しながらも、滅んでしまった超古代の文明。オーパーツ。それらは今も砂漠に隠され、遥か地底に眠っている…そんなお伽噺じみた内容につい笑みがこみ上げた。
「神が作った人形…だとしたら面白いな」
長い前髪を除けてみる。
職人が手掛けた作品のごとく異常に整った外見。完璧な左右対称に、それを崩す化粧。傷ひとつ無く、老いる徴候を見せぬ身体。美しいが自然物としては確かに不自然で、いっそ作り物とした方が納得できた。
遠い昔、神々の従者として技術の粋で創造され、今は壊れてしまってここにある―――随分と夢見がちだが、存外に似つかわしい仮説だ。
「当たっているか、アンティーク?」
されるがままの人形は微動だにせず、焦点の合わぬ眼は虚空を見るばかり。つれないことだ。
低く笑って、杯を机の上に置く。
何も幼い少女のままごとのように、眺めて満足する為に側に置いている訳ではない。着せ替えて喜ぶ趣味も無い。
「遊ぼうか、お人形」
抱き寄せるため、ガノンドロフは青年の腕に手をかけた。
突然響いた音に、不覚にも心臓が大きく跳ねた。咄嗟にその動揺は隠したが、別の驚きに盗賊王は息を呑んで静止する。
歌だ。
生き人形が歌っている。
赤い舌が軽やかに旋律を囀るのを、ガノンドロフは唖然として見つめた。知らない歌だった。耳を擽る音列は独特で、歌詞も全く理解できない。強いて言えば古いハイラル語に近いようだが、“言葉”と言うよりはむしろ“音”の連なりに近い…。
無粋な分析はそこまでにした。ただ黙り、この美しい調べに聞き惚れるべきだと悟る。
歌声は途切れることなく夜の闇へと溶けていく。
よく通るテノール。静かなままの表情が淡々と音色を紡ぐ様は、ゼンマイで動くからくり仕掛けの歌い人形を彷彿とさせた。
ふつり――と、歌い始めと同様に唐突に声は止んだ。
静寂が戻る。残念に思うと同時に、ガノンドロフは苦笑を禁じ得なかった。本当にネジが切れたような終わり方。増々連想の通りではないか。
「…もう終いか?」
余韻を崩すのが惜しく、囁くように問いかける。しかしたった今音を奏でていたのが幻のように、青年は再びの沈黙に帰っていた。目も何の感情も宿さない。
「もっと聞かせろ。ハイラルの魔王がご所望だ」
冗談めかして呼びかけてみたが、芳しい反応は見られなかった。トリガーは解らずじまい。まあ期待はしていなかったから別に良い。
歌わせる方法は他にもある。
動かないのを構わず抱き寄せ、膝の上へと引き上げた。跨るようにさせ、抵抗しない体を支えてやる。僅かに目線が高くなった顔はこんな状況でも平素と変わらずで、それが妙にあどけなく見えた。
どうしようもなく征服感を煽られた。綺麗な物を暴く高揚に浮かされて、盗賊王は性急に口づける。
肌を撫で、首に、鎖骨に跡を散りばめながら思い返す。穏やかで、少し物悲しかったメロディ。あれはどういった類の歌だったのだろう。子守歌か。讃美歌か。はたまた儚い恋歌か。
「……、ぁ」
小さな呻きが耳に届いた。いつしか人形はとろりと視線を溶かして、熱と欲とを滲ませ始めている。反応に気分を良くし、ガノンドロフは仰け反った喉に歯を立てた。息を詰める音が聞こえ、同時に後頭部へと腕が回った。
弱点らしい首元を重点的に愛撫しながら、下半身に手を伸ばす。既に形を持ち始めているそこに触れると、ふるりと身を震わせ、恋人にするように青年は縋り付いてきた。与える刺激ひとつひとつに鳴き声を返し、上ずる声は段々と甘さを増していく。
彼を拾って以来何度となく繰り返してきた行為であるが、最初から感度は良かった。むしろ慣れてすらいるようで、自分に拾われる前にもそういう扱いを受けていたのかもしれない。
「それとも恋仲の者でもあったのか?」
揶揄する言葉を投げかける。
最初から“こう”であったとは思っていない。曇った目玉が理性を宿し、話し、時に歌い、笑っていた頃がきっとあるのだろう。体も鍛え抜かれた戦士の物で、さぞ洗練された戦い方をしたに違いない。
それが今や正気を失い、何も解らぬまま組み敷かれている。我に返った時、彼がよこすのは嘆きであるか、拒絶であるか、もしくは―――
「はぁっ、…アッ」
喘ぎが切羽詰まった色になった。手の中で熱は完全に形を持ち、じとりと染みを作っている。考え事をしていたせいで緩かった愛撫に、彼もとうとう焦れたようだ。素直にも続きをとねだるように、腰が揺らめいて誘う。
悩ましげな吐息。背をしならせて耐える様は酷く淫らで、思わず生唾を飲み込んだ。
ふと、見上げる視線を感じてか人形はこちらに目を向けた。浮かされ潤んだ闇色の中に、己の姿が映っている。だがその実、像はただ映り込んでいるだけで、彼には何も見えていない。
「…良くしてやるよ」
本当の意味で交わらない視線を、ほんの僅か、残念に思った。
不意に、ギラヒムは自分が見ているのが宵闇であると気が付いた。
真夜中だ。ずっと瞼は開いていたが、眼に映る像を認識できてはいなかった。月明かりが微かに差し込むどこかの部屋で、寝台に横たわっている。ここはどこだろう。
起き上がろうとして初めて、胴に絡む腕に気が付いた。隣に大柄な誰かが眠っている…人間だ。
記憶は定かではないが、この気配は馴染んでいる。どうやら自分は随分と長いこと彼の側にいるらしい。
男の眠りを妨げぬように身を起こす。妙な気だるさがあった。情交の跡が色濃い。そう言えば夢うつつの中で声を上げていたような、そうでなかったような。けれど嫌悪感は全く無く、むしろ今更どうでも良い。
変わったものだ、とギラヒムは他人事のように思った。同時に苦みを覚える。変わってしまって当然だ、あの戦いからどれだけの時間が流れたことか。
「ああ…君の目覚めが近いのか」
感じ取ったのは紛うことない、聖剣の気配。
勇者の魂に寄り添い“彼女”も今は眠っている。放棄したはずの自我が戻ったのもおそらく、その周期に引っ張られたせいだろう。
「よけいなことを」
闇に向かい吐き捨てる。どうして放っておいてくれないのか。物語から退場した身には、既に関係は何も無く、また関わる権利もありはしないのに。
ほら、苦しみが戻って来てしまう。
ああ苦しい。苦しい。悲しい、辛い、寂しい、どうして、寂しい、マスター、マスター。共に消え去るべきだったのだ。それが叶わないのなら、せめてもうこんな世界には居たくない。
息苦しさが増し、ギラヒムは胸部を抱えて縮こまった。そして改めて身体の奥に、鋭利な刃物を知覚した。
それは自分と重なり存在する。冷徹なまでに。
神器である魔剣は不滅であり、魔剣を宿した体もまた不滅であった。しかし精霊はそうではなかった。
一心同体である筈の存在だが、なんのことはない。ただ認証の途絶を感じるのみの本体と、主の喪失を嘆く心との乖離に、音を上げたのが心だったというだけの話。
うっかり夜中に目覚めた子供のように、ギラヒムはじっと目を閉じ眠りの再来を待つ。手の甲にきつく歯を立てる。そうでもしないと、今にも無様に呻いてしまいそうで。
「……?」
何かが意識を惹いた。
噛んでいた手を外す。腕だ。体に回っていたままの人間の腕が、自分を僅かに引き寄せたのだ。
起きたのかと一瞬警戒したが、吐息は規則正しく人間は未だ眠っている。魔剣たる身を抱き枕代わりとは、と思いはしたが、どうしてか振り払う気にはなれなかった。
いつのまにか息苦しさが遠のいていた。何となく気が向き、髪の一房にそろりと触れてみる。
指先に絡む赤毛。まるで炎のよう。
「違う」
違う。
似ているが違う。あの方では、ない。トライフォースの欠片の気配を感じるが、同じ存在ではありえない。
だって己は失ったのだ――永遠に。
「…どうした?」
気配を察してか、人間の眼が薄っすらと開いた。
途端、覚えてしまった感情に胸を突かれた。無関係だ放っておけと、眠る聖剣を詰ったのはついさっきのことなのに。
かつて魔王の所有物であった魔剣。似ているが、似ているだけの、違う人間。
一見交わっていそうだが、微妙に、残酷に、繋がりの糸は触れ合わない。それを知っていて尚、無意識でいてすらも、こうして離れずにいることを何と呼ぼう。
自分を映した金色を見つめ、精霊は笑みに口元を歪ませる。
ああ、これは、ただの。
妄執。
人間が何かを言いかける。それよりも早く、ギラヒムは唇を重ねて言葉を塞いだ。
口づけがゆっくりと離れても、ガノンドロフはしばらく呆気にとられていた。
目の前の人形はもう“人形”であった。もはや焦点の曖昧な視線がぼんやりと、漫然と向けられているに過ぎない。
「……」
事態を計りかね、盗賊王は押し黙る。
今、ほんの一時ではあるが、確かに彼は正気だった。初めて笑い、初めて自分からキスをした。喜ばしいことだ。しかしここに来て蟠る、この気の晴れなさは何だろう。
滑らかな頬に触れてみる。大人しく撫でられるがままの青年は、逃げ出すことをしなかった。無理矢理囲った形ではあるが、どうやらそう不本意ではないらしい。
では何故、あのような笑みを見せたのだろう。あんな、今にも崩れてしまいそうな、泣きそうな…。
溜め息を吐く。
再度引き寄せ、ガノンドロフは人形を腕の中に収め直した。いくら自問自答したとて、返る答えはありはしない。
「名を訊いてみれば良かったな」
それだけがどうにも惜しく、ぽつりと呟きに零れ出た。後悔しようにも相手はもういつもの向こう側。こうして静かに抱かれるだけ。
名前も知らない愛玩人形が、漂っているのはどんな場所か。せめて哀しみとは無縁の、幸せな所であればいい。
そこまで考え、あまりの似合わなさに失笑した。全く魔王らしからない。ガノンドロフは思考を止めて目を閉じる。
きっと全ては、中断された眠りのせいだろう。
クーデターからもうすぐ7年。まだ夜明けは遠い。
説明 | ||
魔族長が時オカ時代でガノン様に囲われるお話。まさかのガノギラです。「は!?」という方はリターン推奨。終焉の者≠ガノンドロフ設定です。やってはいませんが、いちゃいちゃしているので15を付けました。キャラ崩壊甚だしいです。そもそもこの二人を合わせた所で無理がある。ですがお楽しみいただければ幸い。 | ||
総閲覧数 | 閲覧ユーザー | 支援 |
1431 | 1430 | 0 |
タグ | ||
ゼルダの伝説 ギラヒム ガノンドロフ ガノギラ 腐向け R-15 | ||
七夜さんの作品一覧 |
MY メニュー |
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。 |
(c)2018 - tinamini.com |