北郷一刀の奮闘記 第十五話
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問答無用である。問答無用である。

襟首を掴まれたまま連れ込まれた店内は、ゆらゆらと揺れる燭台の火が、喧騒の余波に掻き消えてしまうのではないかというほどに活気に満ちていた。

一日の職務を終えた者たちに残されたものは、心持ち良く床に着くことであり、明日への英気を養うことである。

それを満たすべく人々はこの店に集う。

咽返るような酒の匂い、香ばしくも胃がもたれる程に強烈な料理の香り。その中で、彼らは大いに飲み、大いに食べていた。

見知らぬ者同士が肩を組み、酔いに任せ歌う者がいる。互いに杯を掲げ、一気に飲み干す者がいる。

そんな彼らの注文に応えるべく、ごった返した店内をところ狭しと駆け回る給仕の姿がある。

目の回るような忙しさなどとは良く聞く言葉であるが、ここまでくると見ているこちらの目まで回りそうな有様であった。

場所を変えませんか、と稟が言う。

 

「これがいいのではないか。」

 

彼女の言葉ににやりと笑い、星は手近な卓に腰掛ける。

稟は何をか言いたげに風の顔を見るも、仕方ないだろ、との宝ャの声を聞き嘆息した。

言葉を宝ャに任せた風はというと、舐めていた飴をその置物に持たせ、何食わぬ顔で席へと着く。

もはや抗う術なしと稟は彼女に続くも、卓の前で僅かに逡巡した。四人がけの卓に星と風が向かい合うようにして座っている。

どちらの席にするかといった所なのだろう。彼女が腰を下ろしたのは風の隣であった。

 

「先ずはお互いの親睦を深めるとしよう。」

 

慌ただしそうにしている給仕を捕まえると、星は酒を四杯とつまみにメンマの盛り合わせを頼んだ。

なぜメンマなのかと、菜譜に書かれた食欲を誘うありとあらゆる油物を恨めしく眺めたが、手持ちが心許ないだけにどうすることもできない。

俺の表情察したのか稟は言う。

 

「彼女は大のメンマ好きなのですよ。」

 

「それで開口一番にですか……。」

 

「まぁ、風たちは慣れましたけどね。お代はこちらで持ちますから、お兄さんもお好きなものをどうぞ。」

 

飴ではつまみにならないでしょうと、彼女は春巻きと肉と野菜の油炒めを追加した。

 

 

程なくして酒とメンマが卓に並ぶ。

三人が杯に手を伸ばす中、星の手には箸があった。そこまで好きなのだろうか。

 

「酒がある。肴がある。なら、取るべきは一つ。乾杯だ、我らの出会いに乾杯だ。」

 

稟に窘められた星は、今度こそ杯を手に取る。そして掲げた。かちゃんと、四人は器を鳴らした。

 

 

「さてさて、名も知らぬ御仁よ。短き逢瀬だが、今日は大いに楽しんで欲しい。

 見目麗しい女人が三人も居るのだ、決して難しい話で無いだろう。

 なに、懐の心配はいらぬ。いらぬが無論、タダで、ともいくまいよ。その分お主には色々と手助けして貰うつもりだからな。

 ところで、二人は彼を知っているのか? 何分、私が合流したのは些か後だったようだ。」

 

「風たちも詳しいことは知らないですよ。服屋のお兄さんとだけ。」

 

「なら、先ずは名だな。名乗ろう。姓を趙、名を雲、字は子龍。」

 

いずれ天下に知れる名だと、彼女は笑った。

 

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慣れていたつもりであったが、事実、本当につもりでしかなかったのである。

司馬徽に始まり、諸葛亮、鳳統と三国志を知る者ならば驚くような名をたて続けに耳にしたが、まさかここで趙雲までもが出てくるとは夢にも思わなかった。

何も口にしていなくて助かった。もし、酒でも含んでいたのならば、咽せこんだ挙句に間違いなく彼女の顔へと吹き出し、見るも無残な有様になっていたであろう。

そう見つめる先の趙雲は、科を作り「そんなに見つめられると照れるではないか。」と言う。至って真面目な顔で、至って平坦な調子で言う。

 

「そういう人なのですよ。」

 

届いたばかりの春巻きの、薄皮を器用に剥がしながら風が言う。

俺には、そんな君がどんな人物なのか分からなかった。

 

 

「風は程立です。字は仲徳。この子は知ってますよね、宝ャです。」

 

「今は戯志才と。」

 

二人の名前にも聞き覚えはあった。

しかしながら、どのような人物であったかまでは思い出せないでいた。

好きだったんだけどな、三国志。

思い返せど思い返せど出てこない。それなりに有名なはずだったのだが。

いつまでも思考の迷路に嵌っている訳にもいかず、名乗りかえそうとするも困ったことが一つ。

 

元直か単福か。

 

彼女たちの目的からすれば、学園で顔を合わせる可能性は非常に高い。

かといって、服屋で会うことがないかというと、そうとも言い切れぬ。

どうかしたかと、三人の目は問う。

もはや野となれ山となれ。先のことなど、どうして自分に分かろうか。

ままよとばかりに口にする。後は何とかする他にない。

 

 

「土産にするのなら、茶葉が良いかも知れません。客人のために備蓄をしてありますから。

 肉や魚でも悪くないかも知れませんが、彼女が口にしている所を見たことはありません。酒類にしても同様です。」

 

「茶葉か、あまり得意なものではないな。二人はどうだ?」

 

既に二皿目となったメンマを一人抱えこんだ星は、問に対する答えは畑でないとばかりに、その一つをつまんだ。

 

「私もあまり。」

 

「風もですね。」

 

「なんだ、思いの外頼りにならんな。単福殿は何か、覚えはないか?」

 

「残念ですが、私もそちらに明るい訳ではありません。」

 

「そうなると店主に聞く他ないか。」

 

「とはいえ高級品なんですから、店主に食い物とされぬよう気を付けて下さいよ。」

 

「ふむ。確かに私では心許ない。そう言う稟ならば決してそうはならぬだろうな、風と二人で行ってくるといい。

 私はこの飯店で待っているさ。」

 

戯志才の言葉に、趙雲は茶化すようにして答える。彼女は、そう安々と口車に乗るようには見えず、単にサボりたいだけなのではないかと思えた。

言われた当人としても同じであるようで、返す戯志才も呆れ顔である。

 

「こちらが抑えても、そちらで浪費されては堪りませんよ。星も来るように。」

 

「やれ、蛇が出たか。明日は飲めそうにないから、今飲むしかないな。」

 

些か、太めの釘ではあったのだが、趙雲は大して気にかける様子もなく杯をあおる。

そして通りがかりの給仕を呼び止めた。

 

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三人と別れたのは、欠けた月がぽっかりと夜空に浮かび、辺りを優しく照らし出すこと暫くの後である。

戸口を出た後も、店内からの喧騒は止む気配もなく店の明かりとともに漏れ出ている。

明日、またここでと短く挨拶を交わし合い、俺は学園へと足を向けた。

色々と大変な一日ではあったが、新たな出会い、服の売れ行きなど充足したものであった。

ふわふわと頼りのない足元も、程良く回った酔いもあり今日ばかりはまさに天にも昇る心地といった所である。

 

 

「ただいま戻りました。」

 

先生の私室へと入ると、彼女の他、見知らぬ人物が対座していた。

ポニーテールの女性である。

深い藍色の髪に、翡翠に輝く瞳。その光の強さは、意志の強さを感じさせた。肌は日に焼けて赤褐色に染まっている。

上半身は大きく突き出た胸元を覆うだけの衣装に、下半身はひらひらと風通しの良さそうな薄布の履物を身に着けている。

余りに通気性が良いために、薄布からは僅かに透け形のよい太腿が垣間見えていた。

上下ともに淡い紫色である彼女の装いは、どこか踊り子の衣装を彷彿とさせた。

 

「何だ、漸く男を囲い始めたのか? 貰い手がいないんじゃいかとひやひやしていた所だよ。」

 

妙齢の女性が言う。

そのような方ではありませんよ、と先生は落ち着きを払ったままに答えた。

 

「相変わらずからかい甲斐のない奴だよ、お前は。我が君じゃなきゃ何なのさ?」

 

右手ではくいくいと雑な手招きを、もう一方の手では、ばんばんと椅子を叩いて彼女は口にする。

もしかしなくとも、隣に座れということらしかった。

 

「で、アンタは私の良い人とどんな関係?」

 

ぐいと身を乗り出し、真っ直ぐこちらに向け発した彼女からは、微かに酒の匂いがする。

どうしたものかと、視線を逸らすようにして先生へと向けた。

彼女は少しだけ、慌てるような仕草をして答える。

 

「私は飲んでいませんよ。それと、良い人でもありません。」

 

聞きたいことはそこじゃないんだよなァと、思う間もなく俺の目は再び見知らぬ女性を捉えることとなった。

両の手のひらで俺の顔を挟み、無理矢理に彼女が自分の方へと向かせたからである。

 

「人の話を聞く時はァ、しぃっかり相手の目を見ろって、教わんなかったかい?」

 

そう言った後に、何故か人の鼻をつまむとその人は愉快そうに笑った。

 

 

「彼は、私の教え子の一人ですよ。」

 

「教え子? お前の所は女だけだろ?」

 

「ええ、そうです。彼は徐庶と。」

 

「成る程ねェ。訳ありってこった。」

 

顎を撫でながら喜色満面の彼女はこちらを眺める。そして、またもや人の鼻をつまんだ。

それが彼女の癖なのか、将又からかわれているだけなのかは分かりもしないが、地味に痛いので止めて欲しい。

そんな願いも虚しく、その手は俺の鼻を離れ得ぬままに元直と口にする。彼女の視線は先生へと向けられていた。

 

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「それは、もう私の名ではないのですよ。子魚先生。」

 

彼女は、鳳徳公、字を子魚と名乗った。水鏡先生とは知己の仲であるらしい。

曰く、彼女を学問の道へと引き入れたのは子魚殿であるという。どうにも、外見からは考えつかぬことである。

彼女の所作はよく言えば豪胆で、悪く言えば大雑把である。どちらかと言うと、剣を取り回す方が似合いに思えた。

 

「それも間違いじゃないさ。剣にも多少心得はある。」

 

真水のように酒を流し込む鳳徳公は軽い調子であった。そんな彼女を見ながら、先生は嘆息する。

 

「貴女が多少ならば、上手く使う者は果たしてこの大陸にどれだけいるのでしょうか。」

 

そんなにですか、と先生を見やる。

 

「私ごときでは剣に触れることさえも敵いませんでした。」

 

「懐かしいねェ。良く音無しなどと言われたもんだよ。」

 

子魚殿は呵呵と笑う。

 

「音無しですか?」

 

その言葉に、一つ思い当たるものがあった。

俺の言葉を問いかけと受けたのか、彼女は言葉を続けた。

 

「そのままの意味さ。いくら打ち込まれようが刃と刃が当たらない。

 ただ只管に後から出て先を取る。故に音無しってね。」

 

「……え?」

 

「出鱈目な話ですけどね。これが本当なんですよ。」

 

先生は言う。にわかには信じ難かった。

まるで時代小説や漫画の世界である。いや、自身が訳の分からない場所にいる時点で充分にファンタジーではあるが。

確かに、音無しと呼ばれた剣士は日本にもいた。しかし、その逸話全てを真に受けていた訳でなく、どこか誇張があるのだろうと思っていた。

だが、目の前にそれ比肩する者がいるとなると、なんと険しき道かと思わずにはいられない。おまけに先生のお墨付きである。

 

「そんなに大層なものじゃないさ。出鼻を挫いて蹴り飛ばすだけだよ。」

 

言うは易いが、それがどれほど難しいことか分からぬ者はいなかった。

 

「一手、ご教授願えませんか?」

 

「本来ならば断ることだ。しかし、可愛い可愛い水鏡の教え子なら特別だ。

 とはいえ、私は稽古なんて上等なものは苦手でね。羽虫だろうが、一刀の元に切り捨てるだけさ。」

 

そんな所まで似なくともよいではないかと、思わずにはいられなかった。

場所を移して中庭へ。互いに礼をして構えを取る。示現流特有の蜻蛉である。対する彼女は青眼。

 

結果は言うまでもないだろう。一の太刀を疑わず、などと謳われる剛剣だろうが当たらなければ意味はないのである。

 

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「まぁ、粗方思った通りだったが、お前の剣は面白いな。」

 

 

瓶子から直接酒を流し込みながら、鳳徳公は言った。

 

「どうも。」

 

そう、右脇腹を擦りながら何とか言葉を返すが、正直一杯一杯である。

 

「寸止めをしたつもりだったけどな、少し当たったか。悪いな、どうにも苦手でね。」

 

「いえ、ご教授感謝致します。」

 

「ああ。しかし中々良いよ、お前。しっかりと師事すればものになる。励んで、もう一度やらせろ。

 対極にある剣は思ったよりも参考になりそうだ。最も、使い手がへぼじゃないことが前提だがな。」

 

「肝に命じておきます。」

 

そう返したものの、師は遥か時空の彼方である。

もう一度、剣を交える機会があるかは分からなかった。

 

「今日は、楽しかった。近い内にまた来るよ。」

 

「お待ちしております。」

 

「そうだ、忘れていたが私の可愛い姪っ子はどうしている?」

 

姪っ子?と視線を彼女に向ければ鳳士元だと答えた。

鳳徳公の問いかけに、先生は礼を取って答える。

 

「その才は底知れず。ここに留まる雛に非ず。いずれは天下に羽ばたくでしょう。」

 

――まさに、鳳雛。

 

ぼそりと呟いた言葉を、鳳子魚は聞き逃さない。

 

「鳳雛か。うん、良いね、良い響きだ。やっぱり面白いよ、お前は。それに決まりだ。

 ならば、さしずめ臥竜といった所だな、うちの仲良しは。」

 

「諸葛亮のことですか。」

 

彼女の言葉に答えるは水鏡先生である。

 

「そうだ。互いに空を知らぬ。今はな。だが、水鏡の言う通りいずれ天に昇るよ。

 願わくば、その空が彼女たちにとっての安まる場所であるように。それじゃ、元気でやれよ。後、捕まえた男は逃がさないように。」

 

そう残して鳳徳公は月夜に消えていった。

 

「嵐のような人でしたね。」

 

そうですね、と先生は答える。

 

「昔から変わらないんですよ、彼女は。周囲を巻き込むだけ巻き込んで、本人は涼しいままですから。」

 

彼女はくすりと笑った。

 

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先生の私室に戻った後、はじめに食らったのはお小言であった。

 

「北郷さんにも色々と都合があるのは分かります。しかし、遅くなるようでしたら事前に一言くらいあってもいいのではないですか?

 今日は、子魚先生が押しかけ……、いえ、いらっしゃいましたから食事は無駄になりませんでした。

 無駄にはなりませんでしたが、日々の糧を得ることは大変な労力が必要だと北郷さんもご存知のはずでしょう?」

 

「はい。」

 

「では、理由を伺っても?」

 

幾分か険の取れた彼女に、今日一日のことを話して聞かせる。

彼女たちとの出会いと、慌ただしい店内。そして大いに飲み食べた夜。そして、屋台の主人の言葉と彼女たちの目的。

 

「そうでしたか。まずは、済みませんでした。抜け出す暇など無かったようですね。

 もっと、手早く連絡を取る手段があればいいのですけど、今言っても詮なきことですか。」

 

「確かに、少し不便ではあります。」

 

「あちら、天の国では、どうされていたのですか?」

 

「以前にお話した電話という物を覚えておられますか。」

 

はい、と彼女は首肯する。

それを確認して、俺は言葉を続けた。

 

「その電話が携帯できるので、いつでも連絡を取り合うことができるのですよ。」

 

「それは何とも、途方のない話ですね。」

 

彼女は宙を仰ぐ。その彼方に天の国があるのだと、思いを馳せるようにして。

 

 

 

   北郷一刀の奮闘記 第十五話 天高く 了

 

説明
ちょっと近況報告
現在書いてるのがモバマスSSですので今更ですがこちらは少し滞ります。
モバマス完成しだい取り掛かりますので9月中には再開できると思います。


本筋に大きく絡んでこないキャラクターは若干チート気味でもいいのではないかと思います。
ちょっと前に実写化された漫画に出てくる老けない師匠みたいに。
という訳で第十五話です。
モデルは高柳又四郎でございます。
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コメント
RyoFu様 子魚先生は三十路越えくらいじゃないかなと思います。先生の先生だし……。本作品は平均年齢高めでお送りしておいます。(y-sk)
この作品はオリキャラがスゴく魅力的ですよね!子魚先生はいくつなんだろう?一刀くんでもフラグは立たなそうですけどww(くつろぎすと)
きまお様 その辺りはまだまだ内緒……というか決めあぐねている所だったりします。特に子魚先生。(y-sk)
観珪様 ありがとうございます。個人的に星の軽口は書いていて非常に楽しいです。一刀君は女性に好かれやすいから仕方ないね。(y-sk)
このまま乱世に台頭するなら、軍師が先生かな?そしていつかは師弟の対決にうつり、子魚先生は将としてはたらくのか、二人をからかいつつ・・・(え(きまお)
なんと言うか、星さんは相変わらずですなww とりま、水鏡先生も一刀くんがお相手なら満更でもない感じですか?ww(神余 雛)
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