落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 27
[全6ページ]
-1ページ-

【27】

 

     1

 

 玉座の間で虚たちを待ち構えていたのは、三人の男であった。すなわち、黒髪を一つに結った精悍な顔立ちの何進、極彩色の着物に身を包んだ禿頭の張譲、そして灰色の髪に灰色の双眸を持つ――霊帝である。彼ら以外には、貴人の身を守る衛兵の姿すら見当たらない。虚、慧、万徳の三人の力をもってすれば物騒な結末を強引に引き寄せることも出来得る状況である。

「そなたが、虚であるか」

 意外なことに、真っ先に口を開いたのは霊帝であった。上品で落ち着いた低音が玉座の間に静かに響く。

「は」

「よう参った」

「この度は陛下の健やかなるご尊顔を拝す機会を賜り、恐悦至極に存じます。我が名は虚。陛下が忠臣、曹孟徳の従僕にございます。後ろに控えますは我が臣、万巧賢、涼伯」

 虚の名乗りに、霊帝が低い声で応じた。

「虚よ」

 俄かに訪れた沈黙に雷鳴のように太い声を発したのは、張譲であった。

「御前である。そなたが臣の頭巾を取らせよ」

 張譲が見ているのは涼伯、すなわち慧の姿であった。慧は今、虚の策により頭巾でその容貌を隠している。それこそが、虚と慧の切り札に他ならなかった。

「仰せとあらば」

 虚は乱暴な動作で、ぐいと慧から頭巾をはぎ取った。露わになったのは、霊帝と同じく、灰色の髪、そして灰色の双眸。大陸で天と呼ばれた貴人は瞠目し、言葉を失っていた。それは張譲もまた同じであったが、事情を把握している何進だけは平静であった。

 虚は慧を抱きかかえるように引き寄せると、彼女の背中を霊帝にさらし、その着物を引き裂いた。

「――!」

 貴人たちが驚愕に息をのむ。

 慧の背中の白肌には、痛々しい火傷の跡があった。そしてそれは紛れもなく、帝にのみ許された紋章を象ったものであり、慧と霊帝をつなぐ『特別な縁』の証左であった。すなわちおう族の紋章が焼印によって刻みこまれているのである。

「本来であれば――」

 虚は厳格な調子で言葉を続ける。

「我が主曹孟徳と共に謁見の機会を賜る際、お披露目したく考えておりましたが、事ここに至りましては、他に致し方もなく、かような仕儀になりましたこと、まずは深くお詫び申し上げ仕ります」

 慇懃な口調も、静かに驚愕する霊帝には届いていない。虚は羽織を脱ぐと慧の体にそれをまとわせた。

「虚よ」

「――は」

「その者、涼伯と申したか」

「御意」

 霊帝は玉座のひじ掛けに体重をかけながら、品のいいため息をついた。

「涼伯とやら」

「は」

 普段は軽薄な慧も、今ばかりは慇懃に礼を取っている。

「そなたは――」

「は」

「……いや。虚の許で健やかにしておるのか」

「これ以上ないほどの寵愛をいただいております」

「――ブッ」

 思わず噴出した虚に、何進が苦い顔をする。生臭坊主にしか見えぬ張譲はにやにやと笑い、霊帝は眉間に深い皺を刻んで虚をねめつける。

「よせ涼伯。御前だぞ」

 たしなめるように睨むと、慧は悪びれもせずうすら笑いを浮かべている。

「まあ、よい。よくはないが、よい。朕が何ぞ言える筋合いにないのは分かっておる。――中々よい策を用意してきたものだな、天の御遣い」

 霊帝のその言葉に玉座の間の空気が張り詰めた。

「朕の用向きが何であるのか、聡いそなたは察しておろう。問うぞ、虚。そなた、朕を前にして未だ天を名乗るか」

「否とも言えず、肯とも言えず」

 何進と張譲が瞠目する。

「としか、答えようがありませぬ」

「それは、いかなる意味か。答えよ」

「は。この大陸から見れば、この虚が生を受けた地は確かに天と呼ぶにふさわしき位置にございます。なれども、我が生地から見れば、この大陸こそが天。この虚は天へ落ちて来たと申し上げるのが最も適当であると思量致します」

 霊帝は短く思案した後再び口を開く。

「そなたは天より飛来したと聞いておる」

「相違ございませぬ」

「だがそなたは、天へ落下したという」

「相違ございませぬ。――陛下の天と虚の天は鏡合わせであるというのが、現在のところの私見でございますれば」

「鏡……であるか」

「水面を境に覗き合っていると表したほうが、或いはより正確やもしれませんが」

「そなた。池へ落ちたと申すか」

「否。暗い水底から、日輪の膝もとへ這い上がって参りました」

 ここで日輪がいったい何を意味するのか、虚は明言しなかった。

「虚、答えよ」

 何進が口を開く。

「なに、簡単なことだ。貴様は何を思って天を名乗る」

「我は天にあらず」

「ならば、汝は何ぞや」

「ただ一人の異邦人であり、いまや曹孟徳が従僕であり走狗であります、何進大将軍閣下。この大陸の天は陛下ただおひとり。この虚めを救世主であるかのように崇めようとする者もありますが、それは私の望まぬところ。曹孟徳に頭を垂れるこの虚が、どうして帝を差し置いて天であれましょう。天の御遣いという呼称はあくまで世に流布した便宜上の渾名の類。事実、陳留で私をそのように呼ぶ者は最早おりませぬ」

「天の御遣いは天たり得ず、と申すのだな」

「語るに及ばずとも明白なこと。玉座におわす陛下とこの虚、いずれが天であるかなど、比較することすら到底許されますまい」

「――陛下」

 何進は霊帝へ言葉を向けたが、大陸の天はあまり今の言葉に興味を示していなかった。すなわち天の御遣いと呼ばれた男が、朝廷を差し置いて天を名乗る理由は何か。そもそも事実として、天と名乗っているのか否か。さらに朝廷側の意図に即した表現をすれば、虚は朝廷の権威を脅かす存在であるのか、この世から葬るべき存在であるのか、それを確認するのが今回の招聘の趣旨であるはずだ。けれども、霊帝はその趣旨にもあまり熱心でないように見えた。

「そなたは、天ではないのか」

 どこか落胆した様子で、霊帝は言う。

「朕は――いや。よい。虚よ、話を変えよう。そなた、洛陽に蔓延した流行り病を根絶したそうだな」

「否。根絶とはほど遠く。ただ、病の元凶が巣食った人間が粗方死に絶えただけにございます」

「謙遜するでない。そなたの献身振りは相国より聞いておる」

 ――董卓か。

「人死にがこれほどで留まったのは、ひとえに名医虚の献身ゆえであると」

「偶さか病への対処法を心得ておりましたに過ぎません。相国様よりいただきましたご評価も偶然の賜物という他なく、寧ろ、さかしら顔で浅学をひけらかすがごとき振る舞いに、ただただ恥じ入るばかりにございます」

「やめよ。虚。そなたの記したと聞き及ぶ医学指南書にも、朕は目を通した。見事であった。禁軍に従する医師にも急ぎ学ばせておる」

「――は」

「正直に申せ。そなた、医学を修めておるのだな」

 霊帝の問いに、虚は首を横に振った。

「専ら医学を学んでいた訳ではありませぬ。ただ我が国では、軽微な傷病に対する簡易な治療法が安価な書物として纏められており、市井の民も比較的容易に購入することが出来ます。この虚も、その恩恵に預かっておりました」

「ではそなたは、医師ではないのか」

「――は」

「病人は診れぬか」

 霊帝の深刻な語調に、虚は何か重大なものを感じ取った。

「陛下、これ以上は」

 張譲がさりげなく、霊帝を諌める。だが、大陸の頂点に座す男は、言葉を止めなかった。

「虚、汝を朕の客人として迎える」

 その言葉に、何進と張譲が目を瞠った。

「しばし、この洛陽に留まるがよい」

「――御意に」

 想定をやや外れたことの展開に、虚はすぐさま計画の図面を頭の中で引き直していた。

 

-2ページ-

 

     2

 

 中庭のあずま屋も、禁城のものともなれば壮大かつ豪奢極まりない。そこに設けられた酒席には、霊帝と虚の姿だけがあった。遠巻きに監視する気配をいくつ感じることが出来るものの、虚がその気になれば、霊帝を一瞬のうちに殺めることができる。何進曰く、霊帝のたっての望みでこの席が設けられたと聞くが、帝と一対一での対面がかなうなどとは、さすがの虚も予想していなかった。常軌を逸した展開である。

万徳は陳留へ帰らせ、慧は与えられた部屋で休ませている。万徳の報告を聞いた華琳は何と言うだろう――想像すると背筋が寒かった。

「虚よ」

 酒杯に口をつけて霊帝が言った。

「そなたとは、ふたりで話がしたかった。何進や張譲は口うるさくていかん」

「――」

 虚は言葉を探す。帝の言葉を安易に否定したくはないが、とはいえ、そうですねとも言い難い。

「まずは、礼を言わねばならん」

 霊帝の言葉に、虚は途端に畏まった。

「洛陽の民、そして我が娘、協が世話になった」

「なりませぬ、陛下。この虚、陛下の忠臣曹孟徳の従僕なれば、陛下の御為尽力するは道理であり摂理。何より私のような者にそのようなお言葉をお掛けになっては――」

 君臨者としての示しがつくまい。だが、霊帝は視線だけでやさしく虚の言葉を制した。

「娘が『ふたりも』世話になったのだ。愚かで無力な一人の父親の言葉として受けてくれ」

「……御意」

 力なく笑う霊帝から、虚は視線をそらした。

 ――この笑い方は、苦手だ。

「あの涼伯なる娘は」

 不意の言葉に、虚は視線を跳ね上げる。

「我が落とし胤――なのだな」

「背の紋章はそう易々と刻みうるものではないかと」

「昔、陳留で手をつけた娘がいた。――よく、似ていた。涼伯に」

 大陸の王者は、さみしげにそう呟いた。慧の背中に王の紋章が焼き付けられた経緯についてもおそらくは心当たりがあるのだろう。だがそれは霊帝だけの思い出で、虚は決して訊こうとは思わなかった。

「厚顔を承知で、ひとつ朕の願いを聞いてはくれぬか、虚」

「――は」

「もう一人、我には娘がいる。……診てやってほしい」

「――お悪いのですか。『劉弁様』は」

「……悪い。方々手を尽くしたが、一向に良くならん。そなたを招聘したのも、弁を診せたかったからだ。天の御遣いと呼ばれるそなたに朝廷に対する野心がないことは分かっていた。愚直に曹孟徳へ仕え、汚物にまみれて洛陽の民を救い。協を救い、相国を守った。朕に娘と面会する機会まで与えた」

 それは保険なのだが、とは勿論虚は言わなかった。静かに語る高貴な男の前で、虚は自らの冷酷さ残虐さ狡猾さを忌んでいた。

「次代の皇帝がすでに病のために死に瀕しているという事実は、朝廷の礎を揺るがす」

「は」

「という建前を軽んじるつもりはない。朕は皇帝である。民の血税で日々の糧を得ている以上、民を慈しみ、民を守ることこそが、朕の使命であり、皇族の血の宿命である。支配する者の矜持である。だが――そなたには本音を隠しとうない。本来であれば曹孟徳の許に帰らねばならぬそなたを強いてこの洛陽にとどめているのだから、最低限の礼は尽くしたい。朕は、娘の命が惜しい」

 霊帝は告白を続ける。

「健やかな皇帝の擁立を最優先するのであれば、協を次代に指名すればよいだけのこと。だがそれは、事実上、弁を放棄することになる。無用の存在として。それは、出来ぬ。――朕を愚かな王と嗤うがいい。無力な父と嘲るがよいぞ」

「なりませぬ、陛下。それ以上申されるのは」

「よい。聞け。聞いてくれ。朕は、辛いのだ。何者かに吐露せねば最早呼吸も儘ならぬ。朕は天である。で、あれども――生きているのだ」

 虚は静かに胸をなでおろした。ここで皇帝に「人間」であると宣言などされては、後々立ち回り辛いこと、この上ない。人の耳はないはずだが、万が一ということもありうる。

「弁を健やかな皇帝として擁立したい。それが朕の望みだ。虚、弁を診てくれぬか」

「仰せとあらば。しかし宜しいのですか、私のような者が、その、劉弁様の――」

「よい。それに弁もそなたに会いたがっていた」

「は――? それは」

「協より文が届いたと言っておった」

「――左様で、ございましたか」

「協は相国にはよく懐いているがな。逆にいえば、相国とその周囲以外にはあまり心を開かん。だが、初対面であるはずのそなたのことがたくさん文に書かれていたと、弁は嬉しそうだった。普段あまり会わぬとは言え、弁と協は姉妹なのだな」

 しみじみと言うと、霊帝は再び盃に口をつけた。ただ、虚は最後まで、酒には触れようとしなかった。

 

-3ページ-

 

     3

 

 翌朝早く、虚は侍女の案内で劉弁の私室へと足を向けていた。慧が今どうしているのかは分からない。虚は慧とは別室を与えられていたのである。

 ――霊帝の指示だな、絶対。

 そんな推察をしながら、侍女に従って、虚は劉弁の部屋へたどり着いた。

 寝台の上には、若い娘が一人身を起していた。娘が目配せだけで侍女を下がらせると、部屋には若い男女だけが残った。

 ――二人きりにするのか。酷い信用のされ方だな。何進が口を利いたのか、それとも俺が見縊られているのか。どちらでもいいか。

「虚、と呼べばいよいのでしょうか」

 白く美しい娘は淡く笑んでそういった。実に儚い笑みであった。羽化したての蝶のようなもろさを感じさせられる。ただ、王族としての芯が、彼女の背筋を凛と伸ばしていた。

「もとより虚(名もなき者)であれば、如何様にでもお呼びくださいませ」

 虚がそういうと、劉弁は不思議そうな顔で小首を傾げた。あどけないその表情に思わずこぼれそうになった笑みを、虚は噛み殺した。

「そなたのことは、協より聞いています。あの子が世話を掛けたようですね」

「私の膝を御座としてお取り立て下さいました」

 虚のそんな言葉に小さく笑いながら、劉弁は椅子を勧めて来た。

 診察を始めなければならない。

 だが、あくまで虚は医師ではないのだ。ゆえにまともな診察などできるはずがないし、診断を下すなど問題外だ。偶さか知識のあったコレラとは話が違う。

 そう、そのはずなのである。だが――。

 ――な、んだ。これは。

 脳味噌が冴えわたっていくこの感覚は以前にも味わったことがある。これは。

 いつ習得したのか覚えのない戦いの技をふるった時の、あの感覚である。虚――否、北郷一刀であった自分に染みついているものが無意識のうちに発揮される感覚なのである。自然な動作で虚は寝かせた劉弁の衣を肌蹴させ診察をしていく。

 ――血のめぐりが悪い。特別な疾患があるわけじゃない。虚弱体質なんだ、この娘は。とすれば。

 華陀の鍼がいいだろう。後は、陳留から持ち込んだ薬茶に少し手を加えて飲ませればいい。食事の内容も出来ることなら監督させてもらいたいところであった。

 ――これだけの施術が出来ないとは宮廷医はヤブ揃いか。

 待て。

 食事――?

 ――嫌な予感がして来たぜ。

 すっと、目を細めて虚は思考に身を沈めそうになる。

「虚、どうしたのです」

 だが劉弁のそんな言葉で虚は忘我の境から立ち戻った。

「え? ああ、これは……失礼を」

「よくありませんか、わたくしは」

「今は」

「今は?」

 なるべく頼りがいがありそうに微笑んで、虚は劉弁の服を閉じた。

「すぐに良くなります。この虚が保証いたしましょう」

 それからしばらく劉弁の世間話につきあった後、虚は劉弁の私室を辞去した。去り際の彼女のもの寂しげな表情に後ろ髪をひかれたが、虚はすぐにでも何進に問い合わせなければならないことがあったのである。ただ、敵でもない女をむげに扱えない虚は、

「またすぐに会えるのでしょう?」

 という劉弁の問いに愛想のいい返事をしてしまったのであった。

 

-4ページ-

 

      4

 

「これが劉弁様にお出しした食事の、先月の献立だ」

 人目のない禁城の一角で、虚と何進は昼食を共にしていた。

「この献立は誰が決めているんだ?」

 謀略の共犯者である虚と何進との間に遠慮の類はない。この関係性は何進が望んだものなのである。曰く、機能しない礼儀に意味はないし、好きでもない、とのことであった。

「厨師と宮廷医が相談して決めている」

 虚の問いを受けて、何進がそう答えた。

「信用できるのか、そいつらは」

「――どういう意味だ。毒見はさせているぞ」

「そうじゃない。劉弁様は虚弱体質で、繊細だ。この献立を狙わずに考えたのなら、そいつらは素晴らしい強運の持ち主だよ。宮廷医には勿体ない。博打遊びでもさせたほうがいいぜ」

「分かるように言え」

「一見まともそうなこの献立だが、栄養が偏りすぎだ。食べ合わせも悪い。今飲ませている薬の調合も教えてもらえれば、もっと面白い話が出来るかもな」

「つまり、わざと身体のためにならない物を献立に紛れさせているというのか」

「そんなもんじゃない。徐々に弱るように、献立が計算され尽くしている。俺の国でもよくある話だ。女房が憎い夫を殺すために、偏った食事ばかり食わせて徐々に弱らせていく」

「くそったれが。あやつら皆殺しにしてやる」

 何進は怨嗟の言葉を口にして、顔をゆがめた。

「まあ、待てよ。枝葉を切っても悪の枢軸が残っちゃ意味がない。結局十常侍だろ、ダニは」

「――おれは相国も信用していない」

 眉間にしわを寄せた何進に虚は質問を投げる。

「董卓はアンタが引っ張ってきたんだろう?」

「まあな。だが、あれは協様と親しい」

「劉弁様擁立派のアンタとは近頃利害が合わなくなってきたか?」

「どうだかな。まあ、相国は善良な部類だ。だが、賈?は、腹黒い」

「眼鏡の軍師か。だが、もとは一豪族に過ぎない董卓が劉弁様を押しのけて劉協様を擁立したとあっては」

「漢は終わりだよ」

 何進の言葉に、虚は顔をしかめた。

「アンタがそこまで言うとはな」

「事実だ。包んで隠しても仕方がない。十常侍と相国が食い合ってくれれば上々なんだがな」

「この間の賈?邸襲撃事件のことを言っているのか」

 虚が問うと、何進は茶を静かにすすった。

「貴様、大した活躍だったそうだな」

「偶さか渦中に居合わせただけだ」

「どうだかな。――まあ、おれとしては十常侍の前に餌を吊るしてやるためにおまえを利用するだけだ。漢は死なせん」

「いい心がけだ」

「相変わらず生意気な男だ。使えんと思った時は遠慮なく切り捨ててくれる」

「それはお互い様だよ」

「ふん」

 鼻息荒く、何進は昼飯の飲茶を頬張る。

「虚、そろそろ聞かせろ。おまえは何を狙っている」

「漢の血を絶やしたくない。そう伝言させたはずだが?」

「ぬかせ。おまえは曹孟徳の狗であって、漢の忠臣ではない。あの野心家の走狗がおれを

使って何を謀る」

「――何進。漢がこれからどうなるか、俺にも確定的なことは言えない。だがな、世は荒れてくる。波を立てるのは袁家だろう」

「――何?」

「その波がいったい何をどこまで飲み込むのか、この大陸にどんな跡を残していくのか、それは分からん。だが、予兆はある。その波間で漢の権威が完全に失われてしまってはいけないんだ。人民は確かに朝廷に落胆してもいるだろう。だがそれ以外の新参の権威が容易くとってかわることができるほど漢は矮小ではないよ。何だかんだで、人民の心は漢の軒下で雨風を凌ぎたがっている」

「袁紹はどう動く」

「俺は、袁術が臭いと睨んでいる」

「馬鹿で阿呆のあの蜂蜜狂いがか」

「俺は実際会ったことはないからよく知らんが――調べてみると、袁家の長老どもがいい具合に腐ってやがる。風向きによっては陳留まで臭うんで堪らんよ、実際。孫家の姫を人質にとっている。今の江東の虎は、鈴のついた飼い猫さ」

「おまえのところの細作はずいぶん優秀らしいな」

 皮肉げに何進が言う。

「あげないよ」

「いらんよ。身中に虫を飼う気はない」

「大将軍閣下は賢明なことだな。――で、例の件はどうなっている」

「問題はない。おまえがしくじりさえしなければな。それより袁家に動きがあるのなら、劉弁様擁立後の後ろ盾がほしい」

 何進の言い様に虚は渋い顔をする。

「何進が務めればいい」

「賈?の屋敷が襲われてひと月。おれの身に何かないとも限らん。虚、曹孟徳はどうだ」

「縁起でもないことを言うな。――だが、劉弁様の後ろ盾に曹操か。無理だろうな。陳留の国力は確かに悪くない。だが、朝廷内の地位が曹操には足りない。無理に推しても曹操の後に続く者がいないさ」

 ――今は、な。

 その部分だけは口にせず、虚は話を続ける。

「袁紹はどうだ?」

「もし虚の言うとおり袁術が何か動きを見せれば、対抗するのは相国。その時、袁紹は相国につくだろう。あれが傍観することはあり得ないし、袁術につくことも絶対ない。消去法で相国に、劉協様につく」

「董卓につくからといって劉協様につくというのは短絡的だ。仮に袁術が動き、それを相国と袁紹が協力して抑えたとして、袁紹が相国と同じく劉協様を押したのでは実権を握ることはできない。協様の心は董卓にある。――袁紹と董卓はいずれやりあうことになると俺は踏んでいる」

「何だと?」

「そうだろう。名家である袁家は、ぽっと出の董卓が、あれよあれよと相国まで上り詰めたのが気に食わんに決まっている。何進が朝廷へ呼び寄せた手前、袁紹も表立って睨み合おうとはしないが、いずれ何かにつけて難癖をつけたがるだろう。戦火を交えるまでに発展するかはともかくな。――それこそ、この朝廷から何進大将軍が退場するようなことでもあれば」

「……」

 何進は虚を真剣な目で見つめる。精悍な顔立ちが、彼の深刻な思いを表していた。

「あの姉妹にとって最も良いのは、劉弁様の即位なのだ」

 吐息交じりに何進が呟く。

「そんなの誰だって分かっているさ。たが王家の姉妹にとっての好都合が、他の物たちにとってもそうであるとは限らない。往々にして、そうではない」

「おれは嫌われているからな」

「張譲はだめなのか」

「だめだ。あれは我欲のままに生きる男よ。漢に忠誠を誓っているわけではない。あれは漢の権力(ちから)に頭を垂れているに過ぎん」

「孤独だな、何進」

「まあな」

 虚はそっと茶に口をつけた。

「曹操には一応俺の方から話をしておくが、うまくいくとは思えん。少なくともあと一歩か二歩、朝廷での基盤が足りない」

「期待はせん。おれが漢の敵を駆逐すればいいだけだ」

 虚は言い聞かせるように語る漢の大将軍の横顔を見た。虚の知る歴史では、何進は暗殺され、劉弁は董卓に排斥されて劉協が献帝となる。そしてその後に、反董卓連合が形成されるのである。

 だが今、虚がいる大陸では必ずしも歴史の流れを正確に辿っているわけではない。否、寧ろ、ほとんど違う道筋が成立し始めている。とすれば、やはりこれからも予期しない事件が起こるのだろう。起こる、だけではない。虚が起こすのだ。

 

-5ページ-

     5

 

 何進の口利きで、劉弁の夕食は虚がこしらえることになった。これで劉弁が気に入れば、以後は虚が彼女の食事を用意することになるという話に決まった。

 ――俺はいつまで滞在させられるのだろう。

 そんなこと思いながら、食事を運ぶ侍女と共に、虚は劉弁の部屋へ入った。

「早い再会になりましたね、虚」

 黒い髪を軽く結った劉弁は読んでいた書物をわきに置いて、寝台でほほ笑んだ。

「辛気臭い私の顔を日に二度も御覧に入れることになろうとは、心苦しきことこの上なく」

「よいのです。わたくしも寝台で寝てばかりで退屈な日々を送っていたところなのです。それより――そなたがこれから食事を用意してくれると聞きました」

「今日の夕食がお気に召されますようでありますれば」

 楽しみです、とやさしく笑む劉弁に一言断りを入れ、部屋付きの侍女がそそくさと食事の用意をする。

 虚がこしらえたのは薬粥、薬茶、それから簡単な香の物であったが、栄養はもちろん、味や香り、口当たりや飲み下しやすさなどにはかなり配慮した逸品ぞろいである。

 ――出来れルルを呼びたかったな。

 そんなことを考えていると、劉弁が匙を手にとって「わあ、おいしそう」とため息をついた。

 その愛らしい表情は、いかにも食い意地の張った若い娘のもので、虚は思わず噴出を堪え切れなかった。

「何か可笑しかったでしょうか、虚」

 むっとむくれて劉弁が寝台から睨みあげてくる。

「いえ。何も。ささ、劉弁様――」

 言いさしたところで、虚の表情が凍った。

「お待ちください、劉弁様」

 今にも粥を口に運ぼうとしていた劉弁の手をそっと制する。

「新しいものをすぐにご用意いたしますゆえ」

「なぜです、虚」

すっと鼻から息を吸うと、やはり匂いが少しおかしい。

「失礼をお許しください」

 一言断り、虚は粥を指ですくって小さく含んだ。

 ――毒だ。いつ仕込んだ? 毒見は問題がなかったはず。とすれば、配膳までの間か。

 虚はすっと冷徹な視線で部屋付きの侍女を睨んだ。

「――ッ!」

その刹那、部屋付きの侍女は懐から短刀を抜き、虚、否、劉弁へ襲いかかる。だが、いかに至近距離での突発的な挙動とはいえ、虚の相手ではない。虚は侍女から短刀を叩き落とすと九尾へ鉄拳を叩き込み昏倒させた。

だが、背後でがちゃりと食器の落ちる音がした。見れば劉弁が胸を押さえて苦しんでいる。

「――う、つろ」

「劉弁様!」

 刺客の侍女を放り出し、劉弁に駆け寄る。勿論、毒入りの粥を口にした形跡はない。とすれば突発的な事件に驚いて、心臓の調子が狂ったのだろう。

「どうしたッ!」

 突然、部屋に髪を結った男、何進が飛び込んでくる。

「虚、これは何事だ!」

「そこの侍女が刺客だった。配膳の瞬間に毒を盛られた。何進はなぜここに」

「おまえのこしらえた食事が果たして美味いのか、劉弁様のご感想を――」

「つまり、茶化しに来たのか。まあいい。宮廷医はだめだ。洛陽の町子庵という宿に泊まっている華佗という医者を連れてきてくれ。赤毛の暑苦しい男だ。俺の名前を出せば、光の速さで飛んでくる」

「おまえでは解毒出来んのか」

「劉弁様は毒を召し上がったわけじゃない。それは直前で阻止したさ。ただ、荒事に驚かれて胸をやられたらしい」

 と、虚はあまりに静かな劉弁に異変を感じ取った。すぐに脈をとる。

「脈がない。呼吸も止まった」

「馬鹿な――! おい、虚」

「心配するな、必ず蘇生させる。それより華佗を連れて来いッ!!」

 何進が泡を食って手配に走る。虚は劉弁を仰向けに寝かせ、蘇生を試み始めた。

「畜生――あんたにゃ死んでもらっちゃ困るのさ。頼むぜ、姫様」

 

-6ページ-

 

ありむらです

 

感染魔都編が終わり、これからは反董卓篇へと流れて行きます。

 

ごきたいあそばせ しるぶぷれ

 

ありむらでした

説明
独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
5099 4195 41
コメント
宮廷内の権力、そして政権争いはかなりドロドロとしていますね・・・まぁこの時代であれば当然の事なので凄く良く描かれていると思います! 慧の正体にも驚きましたが、劉弁がいきなりのダウンとは・・・華佗には間に合ってほしいです(本郷 刃)
更新お疲れです。脱字おば ――出来れルルを、 ――出来ればルルを。叩き落とすと(九尾)へ鉄拳を、()のところって鳩尾では?違うのかわかりませんけど。次回が気になります更新がんばってください(黄昏☆ハリマエ)
更新乙です。ぐちゃぐちゃとした政権争い、それによる他陣営の思惑。中々目が離せませんwそれにしても光の速さで、と言って通じるのでしょうかw(Alice.Magic)
更新乙です!てか薄幸の美少女登場、と思いきや即ダウン!劉弁様ぁぁ!どうなるしるぶぷれぇぇ〜。(kazo)
タグ
魏ルート 北郷一刀 真・恋姫†無双 

ありむらさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com