交わらない者たちの邂逅3
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月明かりは平等に

 

 

 

 

告げられる前から理解していた。

それでも氷雨の心は暗くて冷たいものに捕まってしまったように、身動きが取れない。

「・・・そもそも体質って言うのは程度の差こそあれ、とても根深いものなんだ。色素は、中でも特に根深い。

 ましてそれが先天的であればなおのこと。無理にいじろうとすれば、君の身体の構成は崩れて、どうなるかわからない」

ごめんね、とまたライムはポツリと呟いた。

―――ライくんが謝ることなんて、何一つない。

そう思っても、氷雨は口を開けずにいた。スカートを握る指先が震えるのをじっと見つめることだけしかできない。

「それに――君は“物語”を持ってる」

物語。

場違いに思える言葉に、氷雨はのろのろと顔を上げた。

真灰の瞳が真っ直ぐに氷雨を見ている。その真摯な眼に、思わず氷雨はうろたえた。

「詳しいことは、説明してあげられないんだ。

 ただ、僕は――僕の一族は、君みたいな“物語”を持った人を、その・・・なんていうかな、見守ってる、んだ」

それは嘘だ。

見守ると言うには温かさが足りない。一族の彼らは、どこか冷え切った目をしていた。

監視よりもなお性質の悪い、観察と言う名の傍観。

それを氷雨に告げる勇気を、ライムは持ち合わせていなかった。

氷雨だけではない。ライムは、ライムにとって大事な人に、この残忍な仕事を教えたくはない。誰が言えるだろう?

『あなたが死ぬときにも、助けずにただ見ています』

そんな、残酷なこと。

「物語って・・・なん・・・・・・?」

か細い問いかけに、ライムははっとして、氷雨に目線を戻した。

真紅の瞳は揺れていた。ライムは何故かこの色の瞳に縁がある――苦いものを噛み締めて内心、毒を吐く。

苛烈ではなく、凪いでいるわけでもない正面に座す真紅は、変化を望んでいた。羽化を望む蛹だった。いずれは空に舞うことを望む、儚い蝶だった。

後に傍観者――紡ぎの一族は少女を記す名として、紅い蝶と記すこととなるが、今のライムにはそれを予期する余裕もない。

ライムは、一瞬間目を伏せた。

「――特別な人生――」

真灰の瞳が開かれたとき、そこにいたのは一族当主の顔をしたライムだった。

「非凡な人生。まるで劇場の舞台で踊らされるかのような人生。――神に描かれた、物語」

淀みなく彼は語り続けた。それこそ、舞台上の役者のように。

「人は皆、物語を持っている。不可思議や理不尽に満ちた物語を。その中でも特に異質なものを私たち一族は、記す」

「ライ、くん」

「緋龍 氷雨。あなたの持つ物語は非凡で、異質だよ」

突き放すような冷たい声なのに、氷雨には何故かそれが泣き声のように、聞こえた。

 

お茶は冷めてしまっていた。

ひんやりとした空気が少し肌寒くて、氷雨は腕をさする。

氷雨は自分が、彼らの言うところの「物語」をなぜ持っているのかが、わからない。

アルビノであることは珍しいかもしれないが、彼らが言う非凡とは、もっと違う何かを指しているように思えたからだ。

目を細めて、真っ白な髪を掬う。

もしかすると、この体質をなくそうともがいている姿が非凡なのかもしれない。

何をどう想像しても、やはりそれは想像の域を出なくて、氷雨は訊ねた。

「ライくんは知っとるの?私の物語が、どういうんか」

「・・・・・・なんとなく、わかる」

そっか、と氷雨が呟くのをライムは聞いた。

氷雨と対面したとき、彼女が物語持ちであることにすぐさま彼は気付いた。

少女を取り巻く空気にかすかに漂う異質さ。近寄って気を集中すれば、その異質さは鳥肌の立つほどに強かったのだ。

「はっきり言うよ。君と僕の物語は永遠に交わらない。そばにあっても、平行線のまま。

 だから君が僕に何かすることはできないし、僕が君に何かすることもできない。関わることができても、本質的な部分は関われない」

「ライくん・・・」

「ごめんね。その体質は君の物語そのものだ。だから僕にはどうすることもできないよ」

白髪を揺らして、氷雨は大きく首を横に振った。

「謝らないでいいよ、ライくん。ありがとう、正直に話してくれて。嬉しい」

「・・・・・・ごめん、ね。でも、でもね、話を聞くことはできるよ。平行線だけど、交われないけど、そばにはいられる。一緒にお茶を飲むことは、できる」

「わぁ、嬉しいなぁ」

そう言って、本当に嬉しそうに、氷雨は笑った。

胸に細くて白い手を当てて、歌うように少女は軽やかな声で告げた。

「手が届かんくても、傍に・・・並んで歩けたら、それだけで嬉しいよ」

 

ライムがその言葉に、泣きそうな顔で笑んだのを、目を閉じ幸せを噛み締めていた氷雨は、知らない。

 

 

「今日はお茶、ありがとうございました。すごく美味しかった・・・っ」

「どういたしまして。茶葉を送ってくれた人に、お礼を言わなくちゃね」

自分の分の感謝の言葉も伝えてもらうよう頼むと、氷雨はお土産にと持たされたジョルジの茶葉入り瓶を手に、入り口に立つ。

大きな扉をライムが片手で開けてくれたので、それにも氷雨はお礼を言った。

「正面の階段を上がって、右に曲がった突き当りの部屋に、センがいるから――見送ってあげられたらよかったんだけど」

どうやら仕事が大量にあるらしく、ライムは苦笑していた。

多忙な中氷雨との時間を作ってくれたのだから、氷雨は感謝の言葉しか口から出せなかった。

「それじゃ、またいつか会おうな、ライくん」

「うん。楽しみにしてるよ、氷雨」

ぱたん、と扉は閉められた。

扉に手と額を当てて、ライムは目を伏せる。何かを考え込んでいるようだったが、彼は不意にはっとしたように顔を上げた。

胸が何故か騒いでいる。

なぜ、と問うても答えはすぐには出てこない。

根拠のない胸騒ぎなど無視して、早くもっと深い、屋敷の地下へ潜ってしまうべきなのかもしれない。何しろ執務室には仕事がたくさん残っているのだ。

氷雨と会うために地下の一階まで移動していたから、執務室のある場所まではそれなりに移動時間がかかる。

―――地下一階?

ぐしゃ、とライムは胸元の服を強く掴んだ。

そもそも何故センリファーナと氷雨は出会った。何が原因だった?

階段から落ちたのだ。氷雨が、予期しなかった窓から射す陽光にやられて。

「・・・・・・っまず――!!」

胸騒ぎの正体を悟るのと、それが聞こえてきたのは、同時だった。

短い悲鳴と、何かが転がる音。

最後に勢いをつけて何かが叩きつけられたような、落ちたような、重い音。

何が起きたか想像に難くなく、青ざめて部屋を飛び出す。

待ち構えていたのは血、だった。流れ出した赤いそれは、彼女の白髪を染め上げていく。

ライムは息を呑んだ。そして、この場では役にも立たない後悔をした。

ここへ来るとき、彼女は目隠しをしていて、ここが地下だとか、ひとつ階段を上れば地上階だとか、知らずにいたのだ。

その上この短い時間、薄暗い空間にいた。地下一階から地上一階へ続く階段は、上れば光が差し込むように作られていた。

光は、毒だ。

普段でさえ少女にとってそれは毒だった。それが今、暗闇に慣れていたところにいきなりの光――光は少女に、牙をむいたのだ。

「・・・っシルフ!」

動揺した声は、震えていた。震えた声で、そばに漂っていた精霊に呼びかける。

精霊はその声にすぐさま応え、彼女に手を当て――困ったように首を振った。

―――それは、どういう意味?

何故首を振る。何故、何故、何故?

「ク・・・、ラーケンっ!」

―――あの王なら、平気、でしょう?

縋るような声だったかもしれない。

その精霊王を求めるとき、いつだってライムは切迫した状況にあった。自分の無力さを噛み締めているときだった。

「・・・すまないが、ライム。我々精霊にはその娘を癒せない」

なんて。

「精霊の加護を一切受け付けない呪いがかけられているようだ」

なんて根深い、執着。

彼女の物語を劇的に変えて与えた者の、なんと変質的な執着か。ライムが垣間見た、彼女の物語。

お茶の合間に彼女が話した、空間転移の術を自在に操ると言う、かなりの高位に位置する魔術師たる男。その男こそが、氷雨の物語に大きく関係する者だ。

顔も名前も知らない男が、間違いなくその呪いをかけた。

「癒すには、精霊でなく・・・術士自らの気を与えるか、この娘自身の治癒力を高めるかのどちらか・・・つまり気功法の類でなければ」

それ、は。

ライムが喉から手が出るほど求めた力。

―――僕に、できない、こと。

 

 

『―――手が届かんくても、傍に・・・並んで歩けたら、それだけで嬉しいよ』

 

 

「・・・・・・・・・っセン!センリ、センリ・・・っっ!!」

―――嬉しかったのは、僕のほうだった。

違う物語を持つ君が、同じ舞台に立てずとも、それでも並んで歩けるのなら、それだけで嬉しいといってくれたことが。

一人で歩いているのではないのだと――そう言われたような気がして。

「センリ・・・!!」

センリ。千里を連想させるからと、厭っていた名を呼ぶことを許してくれた少女はライムに言った。

その名を呼べば、どこへでも駆けつけるから、と。

だから僕は君を呼ぶ。僕は―――ひとりの女の子さえ助けることのできない、ちっぽけな人間だから。

 

 

 

――・・・センリファーナが駆けつけた時、ライムは酷く取り乱していたのだと言う。

ライムを快く思わない長老衆側ではなく、当主側で腕の立つ医術士を呼ぶと同時に、彼女はライムを一部屋に押し込めた。

一族に見せられるような、状態ではなかったのだそうだ。

その自覚は十二分にあった。あったのに、その場を離れると言う考えを、ライムは思いつけなかったのだ。

そして今、一人の部屋で、少年は自分の無力さを噛み締めている。

今も眠っている氷雨はそれでも順調に回復しているようで、夜中にセンリファーナが寮へ送り届けることになっている。

付き人の少女は幼い子を慰めるように言っていた。

『当主様は、ゆっくり休んでください。誰も、悪くなんてないんです・・・気にする必要は、ないんですよ』

それは優しい言葉だ。

甘い蜜は体中にしみこんで――逆に苦しめる。

明かりもつけず、暗い地下でライムは膝を抱え込んでいた。

彼の傍らに常にいる悪魔の声には耳を傾けずにいた。ライムにことさら甘い彼は、付き人以上に優しい言葉を囁いてくるに違いない。

「――ライム」

ぴく、と悪魔ではない声にライムは小さく身じろいだ。

清涼な水の気配が正面に立っていて、ライムを見下ろしていた。

「あの少女が、目を覚ましたぞ」

がばっ!!

音を立てて顔を上げた少年の顔を見て、精霊王は苦い笑みを浮かべた。

また泣いていたのか、と問う。

「泣いてなんか、ないっ」

「だが――・・・まあ、いい。少女からの伝言を預かっているのだ」

ぽかん、と。それ以外に表現のしようがない表情を、クラーケンは初めて目にした。

見事なまでに固まって、目を見開いて、口も半開き。愉快な顔ではあるが、泣き顔よりは何万倍もましだと精霊王は緩やかに笑む。

ライムはライムで、固まった思考の中でぐるぐると言うべき言葉を探していた。

 ――伝言!?いやその言葉の意味はわかるけれど、よりにもよって頼んだ相手がクラーケンって、それはどうなの。仮にも彼は水の精霊王なわけだよ。

 まさかわからなかったとか?ああ、確かにクラーケンって見事に人間の姿に擬態してるからしかたがないのかもしれないけど。

 だからって、気付かないか、普通?これだけ清廉な水の気配を引っさげたのが人間だったら、僕は目を疑う。眼科にも行く。

 気付いていて伝言を頼んでいたらどうしよう。精霊王ってどこまで寛大なのかな、メッセンジャー代わりに使われたこと、怒ってないかな。

 どうしよう、謝るべきなの?え、謝るべき?いやいやでも下手に謝るのも癇に障るかも?

ライムがひとしきり考え込んでいるのを眺めながら、精霊王は思いついたように笑う。

「面白い娘だった」

「・・・僕、君のそういう寛大で優しいところが大好きだ」

傍らの悪魔がじろりと精霊王を睨むのがわかった。こいつはこいつで大人気ない。狭量すぎると言うものだ。

恐る恐る、伝言を促すと、クラーケンは水球を手のひらに浮かべた。

水球が揺れるのと同時に、少女の声が聞こえてくる。

『初めて精霊王見てしもたよ、すごいねライくん!ほんとに今日はありがとう・・・っ!』

傍らの悪魔が、今度は呆れた目をするのがわかった。

クラーケンはそれを横目に水球を空中に霧散させる。

「・・・・・・・・・・・・・・・それだけ?」

「これだけだ」

面白い娘だろう?とクラーケンはライムの頭を撫でる。

―――なるほど、そういうことか。

精霊王が真灰の少年の頭を撫でるのを見ながら、ラウムは一人そう零した。道理で精霊王が嬉々としてメッセンジャーなどをするわけである。

今のライムに、これほど有効な励ましなどないだろう。

ライムがどれだけ気に病んで見せたところで、当の少女は怒るどころか精霊王を見ることができた、と感謝しているのだ。

「・・・ありがとう、クラーケン。元気でた」

「なによりだ」

ラウムとしても、ライムに笑顔が戻るのなら何よりだった。

だがしかし。

『・・・・・・いつまで触れているつもりだ、水の精霊王』

「撫で心地がよい」

『っ貴様、喧嘩を売っているのか・・・!!』

「事なかれ主義なのだが」

なぜか言い争いを始めてしまった二人をよそに、ライムは立ち上がった。空に浮かび始めただろう月を思って、顔を上げる。

月の光はこの地下には届かない。

ならば。

その分、あの紅い蝶に、光を降り注いで欲しい。

太陽の分まで、優しく、見守るように。

 

祈るように、ライムはそっと歌いだした。

 

 

 

 

 

説明
前作の続きです。
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コメント
共に歩める存在。ライムは氷雨に惹かれてるんでしょうね。氷雨が持つ物語が何なのかすっごく気になります。続編期待してもよいですか。(華詩)
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