新聞部の空 UFOの夏 |
おかしな話だと思う。
いや、初めから、全部がおかしな話だったはずだ。
それに気付かなかった自分が悪い。そんなことだから、こんな所にいるのだ。
夏。裏山。UFO。そんなことだから。
浅羽直之十四歳園原中学二年生の貴重な夏休みは、園原基地の裏山に食われていた。いや、現在その速度は地球の自転速度と同じ速さで、この先三十七日と十一時間二十八分、3232712秒を喰われることになっていて、既に四日と十一時間三十二分、387820秒がむしゃむしゃと咀嚼されてごくりと喉を通って胃に落ちて、ph1の強酸に溶かされて、いったい何の栄養になるのか分からないが十二指腸小腸大腸直
「──応答せよ! 浅羽特派員、応答せよ!」
気付けば浅羽の目の前に水前寺がいた。水前寺は自称園原中学新聞部部長で、浅羽はその数少ない部員である。なぜ自称なのかは、本編を参照のこと。
当たり前のことだが、今ここにいるのは浅羽と水前寺の二人だけだ。誰も好きこのんで裏山にキャンプは張らない。
「部長、なにやってるんですか?」
我に返った浅羽が尋ねる。
「見れば分かるだろう。それより、これだ」
水前寺は片手に黒マジックででかでかと『陸上部』と書かれたやかんを握っていて、小型のガスコンロの上にそれを載せていた。そして空いた手でメモのようなものを浅羽に突きだしてきた。
「今日、一度家に帰るのだろう。ついでにこれを頼む」
水前寺のメモを受け取った浅羽は、ため息をついた。
「はあ、分かりましたけど」
水前寺はカップ麺の蓋を開け、かやくと粉末スープを取り出し、かやくを揚げ麺の上にぶちまけた。
水前寺のメモには、鳥の手羽先、鉄製の檻、たこ糸と書いてあった。
「これどうするんですか?」
「昨日の夜にタヌキらしき影を見たんだが、ここは一つ捕獲してタヌキ鍋とでもしゃれ込もうかと思ってだな。檻とたこ糸は部室に置いてあるはずだから、それを持ってきてくれたまえ」
──誰が捌くんですか?
一瞬、頭に浮かんだその疑問を浅羽が聞くことはなかった。そんな疑問は愚かにもほどがある。相手は他ならぬ水前寺なのだ。園原中学に、水前寺邦博が園原電波新聞部の部長で変人であることを知らない人間はいない。その気になれば、タヌキや赤犬なんか軽く鍋にでも網焼きにでもしてしまうだろう。
誰がなんと言おうと、水前寺邦博はハイスペックなのだ。裏山といって、園原中学のそれでなく園原基地の裏山を思い浮かべ、夏休みの間中そこに張り込むほどの。
やかんが断末魔の叫びをあげた。
じぅと蝉が逃げた声がした。
夏休みの四日目。午前十一時三十九分二十二秒。浅羽直之は一回目の単独下山行動を開始した。
◎
こんなに暑いのに、陽炎は休まずにゆらゆらと浅羽の視界を歪める。
自転車を園原基地の裏山から学校へ向けて走らせる。なんかの記念でできたらしいスポーツ公園を抜けると、両脇には畑と田んぼと林と山が広がる。坂の頂上を望めば、空と地面がきれいに切り取れる。そこを突っ切るように延びるアスファルトを、逃げ水がその名の通りに浅羽から逃げ続けている。昔のナスカじゃ、逃げ水を貯めるのに地上絵を一筆書きで書いたらしいが、浅羽にしてみれば、逃げ水なんて物はいつまでも届かないゴールの様で腹立たしいことこの上ない。
かれこれ二十分以上漕ぎ続けた成果は、頭のてっぺんから足の先までを汗でずぶ濡れにしたことと、視界に園原中学が引っかかったことと、逃げ水には追いつけないことが分かったことくらいだ。
最後の下り坂を滑り降りてさらに漕ぎ進め、四日前にさよならを告げたはずの校門をくぐる。目の前には陽炎と戯れる運動部の影と、日差しと戦う木造校舎があった。
いつもの駐輪場に自転車を止め、ご丁寧にチェーンロックをかける。駐輪場には、浅羽の他に何台かの自転車があった。今は夏休み中だから、こんな時間でもちゃんと屋根のある所に止められる。おかげで、太陽に焦がされて、サドルが鉄板になっていたりしなくてすむ。日陰を通るそよ風が、微妙に生温くて気持ち悪いが。
中身の詰まったダッフルバックを肩に掛け、浅羽はフェンス沿いにグラウンドを回る。ベルリンの壁を擁したプールの脇をすり抜け、コンクリートの平屋建て、部室長屋に辿り着く。
思い出した。
ここに来るだけなら、北側の通用門を使えば良かったのだ。
しかし暑さのせいかそれをすっかり忘れて、いつものように正門を通ってしまった。まあ急ぐ旅ではないのだからそんなことはどうでも良いのだ。
部室のドアに鍵を差し込み回す。金属音が開錠を告げる。鍵を抜く。ノブを回せば、外気よりも熱を湛えた分厚い空気がはみ出してくる。浅羽はそれに一瞬怯み、しかしそれをかき分けて進軍する。目指すは檻とたこ糸。浅羽二等兵は突き進む。
「なにやってるの?」
段ボール箱を漁っていた浅羽は、声のした部室入り口を見ずに答える。
「檻とたこ糸探してる」
また馬鹿なこと考えてと呟き、もう一人の新聞部員、須藤晶穂は、浅羽と反対側にある棚からたこ糸を取り出した。
「はいこれ。檻はその隣の段ボール」
晶穂の言うとおり、浅羽の探していた隣の段ボールに、メッキされた檻があった。
「まったく、そんな物持ち出して何するの?」
「部長がタヌキを捕まえるんだってさ」
檻に積もった埃を払いながら答える。
「タヌキ!? UFOはどうしたのよ?」
そう、浅羽と水前寺はUFOを見張る為に極秘取材を行っているのだ。間違えてもタヌキを捕まえて『失われた都会のオアシス』とか『美味! 大自然からの贈り物』なんてことをするわけではない。晶穂の疑問も当然といえる。第一、そう言うのは水前寺よりも晶穂が書くような記事だ。
「だいたいあんたがそんなだから部長がつけ上がるのよ! そんなことだからタヌキを捕まえる檻なんかを取りに山を下ろされるのよ!」
一拍置いて浅羽が答える。なにせ、晶穂は怒り心頭。今の晶穂には、水前寺でもなければ太刀打ちできるわけもない。浅羽には晶穂が一息ついたその間隙を縫うように、
「──ついでだよ」
それが限界だ。
「ついで?」
「いや、今日はいったん家に帰るつもりだったからさ」
とうの晶穂は、拍子抜けしたように、
「──え? 帰るの?」
「うん。たまには風呂にも入りたいし。部長はずっと張り込んでるつもりみたいだけど」
「ま、まあそうよね。浅羽は部長と違ってそんな人生サバイバルなわけじゃないもんね」
晶穂は、大見得を切った手前、明らかに動揺している。いつもなら浅羽か水前寺に矛先を変えて何とかするのだが、あいにくここには浅羽と晶穂しかいない。いくら晶穂と言えども、ここで逆切れできるほど馬鹿ではない。
おかげで気味の悪いほどの静寂に支配された。外には、野球部のかけ声と怒声、凶暴なセミの咆吼が満ちているのに。コンクリートとガラスとステンレスと鉄とペンキで遮られた箱の中は、埃が光を象っているだけだった。
バッタービビってる、ヘイヘイヘイ!
おらお前こっちまわせー!
──セミ。
レフト下がれ下がれ! サード! サード中継!!
今のどこがアウトなんだよ!
──セミ。
──腹の虫。
浅羽には、それが世界の終わりだと感じられた。
晶穂には、それがなんなのか考える余裕もなかった。
時間は十二時半を少し回ったところだ。無理もない。
「お昼、まだでしょ?」
──当分帰れそうもない。
浅羽の風呂は蜃気楼のように遠くへ消えた。
◎
定食屋『しみず』は新聞部の生命線の一つだ。
一般人の物差しでは測れない水前寺と晶穂の胃袋を支えるのは、こういう良心的なお店なのだ。
浅羽はいつも通りの定食を頼み、晶穂はいつも通りの定食をいつも通り大盛りで頼んだ。
いただきますと声を合わせて、胃に流し込む。量は違えど、食べ終わるのは晶穂の方が断然早い。
「おかわり」
晶穂は通常三回ほどのおかわりを経て、食後のお茶へと手が伸びる。今日は四回目に行くか行かないかで僅かに迷って、結局やめた。もちろん夏バテではなく、浅羽が目の前にいるからでもなく、財布の紐がいつもよりきついわけでもない。ただ思い出しただけだ。図書室に鞄と弁当を忘れてきたことを。
「浅羽はこれからどうするの?」
サービスで出るお茶を飲みながら、晶穂が尋ねた。
「家に帰って風呂入って、」
「違くて、山ごもりのこと」
「山ごもり?」
「そ、これからどんなことするの?」
「多分、ずっとこんな感じだと思うよ。基地を見張って、時々家に帰って、また基地を見張って」
「あきれた。裏山に住み込み? 宿題とかどうすんのよ」
浅羽は沈黙した。晶穂は続ける。
「それに、どうやって生活してるの? 山の中で」
「あ、周りを迷彩ネットで覆って、その中にテント張ってさ、寝るのは寝袋で。飯はコンビニとかで買ってきたやつで済ませてるけど」
そう言って、少しにやけた。合宿初日、目的の場所に着いたときのことを思い出した。
そこは園原基地の第四エプロンが見渡せる場所で、山の中腹辺りだった。木と木の間に緑色の、作り物の葉っぱがたくさんついた網を張り巡らせた。その後買い出しに行った帰り、そのおかげで見事に道に迷いかけた。部長がいなければ、実際に迷子になっていたことだろう。それがなぜだか、すごく嬉しかった。
その中にテントを張った。ちゃんとテントの周りに溝を作って、雨天対策もした。テントも緑色の網を被せて迷彩処理をした。望遠レンズのついたカメラと、ビデオカメラを三脚で固定して基地に向けた。通信機用の小さなテントを作って、その中でトラックの無線を聞いたりした。まるで映画に出てくるスパイみたいだと思った。
夜は虫と一緒に空を眺めた。星だらけの空を見ていたら、本当にUFOがいるんじゃないかと感じた。初めて流れ星を見て、願い事が三回言えるやつはいないと思った。
晶穂に言ったら馬鹿にされるだろうが、純粋に楽しかった。
「ふーんなんかたのしそうね」
晶穂は浅羽のにやけ顔をみて、全然楽しくなさそうに言う。
「でも、そんなものばっかり食べてたら、生活習慣病で死しんじゃうわよ。──だから、」
言いかけて、
「やっぱなんでもない」
──だから、何?
浅羽は、すごいイヤな予感がした。が、
「そろそろ戻ろ。私は宿題の続きをやらなきゃいけないし、記事も書かなくちゃいけないから。誰かさんと違って」
言葉もなかった。
◎
浅羽のイヤな予感は、より上回る形で実現した。
浅羽が晶穂と学校で会って、一週間後の昼。
「──うわ、ホントに山ごもりしてんのね」
晶穂が来た。浅羽はおろか、水前寺も驚いていた。
「くくく、須藤特派員はなかなか優秀じゃないか! なあ、浅羽特派員?」
訂正。水前寺は喜んでいた。
「晶穂、どうやって?」
驚きのあまり、言葉がうまく出ない。聞きたいことは、貴方はどうやってここまで来たのですか。
「殿山の中腹って言ってたじゃない。あとは女のカンよ」
「それより須藤特派員。わざわざこんな所に来るとは、一体なにがあったのかね?」
「──差し入れ」
それだけ言って、持ってきた鞄の中から、鞄と同じ大きさの物体を取り出した。その弁当は普通の三人前ではなく、新聞部の三人前の量だ。
すこし恥ずかしいのだろう、うっすらと赤くなって、言い訳がましく、
「たまにはちゃんとした物食べないと山ごもりどころじゃ無くなるでしょ!」
「さすが須藤特派員!! よかったシールをあげよう!」
水前寺はどこからか、部室にあったホワイトボードをとりだして「よかった探し表」の「須藤」の欄に赤いシールを貼る。
晶穂はそれに構わず、目で浅羽を威嚇する。
蛇に睨まれたカエル。しかし、浅羽にも晶穂の言わんとしていることは分かった。
「あ、ありがと、晶穂」
「──いいからさっさと食べなさい」
夏の裏山に似つかわしくない笑顔。
しかしその直後に、水前寺と晶穂の食料争奪戦がぼっ発した。そこから一歩引いたところで、浅羽は唐揚げを一つ食べた。それはコンビニ弁当と比べものにならないくらいうまかった。
「あ、浅羽特派員! それはおれが目を付けていた唐揚げだぞ!」
「──ああもう! 唐揚げなら山ほど用意してきました! で、どう? おいしい?」
「あ、うん、うま、」
「応答せよ須藤特派員!! 君は全ての唐揚げが寸分違わず同じ形で同じ味で同じ揚げ加減だと言うのかね!?」
「そんな文句つけるなら、口の中の唐揚げを吐き出してから言ってください!」
「ひゃら」
──ああ。そんなことだから裏山に夏休みを喰われるのだ。
夏休みはあと一ヶ月と少し。太陽はいやらしいほどに照りつけるし、セミはまだ嫁が見つからないのだろう、慌ただしく手当たり次第にナンパしている。
タヌキは捕まえられなかった。その代わり、餌付けに成功してしまった。
UFOはまだ見つからない。
[新聞部の空 UFOの夏・おわり]
説明 | ||
奥付によると2002/1/27に出した同人誌の原稿です。 今日が全世界的にUFOの日だということでデータを引っ張り出してきました。 ほぼそのまま載せます。 誤字があれば直すかもしれません。 すげえ恥ずかしいですねこれ。 |
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