俺妹短編集 五更家風味 |
俺妹短編集 五更家風味
姉妹の会話
「明日の先輩との初デートで着けていく下着はこちらの大人っぽい黒がいいかしら? それとも清純を象徴する白がいいかしら?」
「ルリ姉は小学生の妹相手に何を血迷ったことを聞いているの?」
ルリ姉が狂った。
現状を一言で表すとそうなる。
二言で表すといつもとは似て非なる中二病とはちょっと違った血迷いさぶりを見せてくれている。
8月の暑い盛りなので脳をやられてしまったのかも知れない。
「血迷ったとは失礼ね。貴方の将来の義兄に関することなのよ。家族の問題よ。日向は姪と甥のどちらが欲しいのかしら?」
「まだ一度もデートしたことない分際で既に結婚するのが前提とは随分と大きな口を叩くね」
実在するのか極めて疑わしいルリ姉の彼氏高坂京介くん。私はぼっちなルリ姉が生み出した幻想かエア彼氏なのではないかと疑っている。
だって、いくら外見はあたしに似て可愛いと言っても邪気眼中二病ぼっち毒舌女と付き合いたい殊勝な心がけの男の子がいるとは思えない。
「目先にことにしか関心が向かないのは愚か者の証拠よ」
「目先にさえ目が向いていなかった人に言われたくないよ」
ルリ姉は中学3年間をほぼぼっちで過ごした。折り合いを付けながら人と付き合っていくよりも、相手を攻撃し遠ざけることに力を注いできた結果だとあたしは思っている。
ルリ姉的には“ありのままの自分”とやらを受け入れようとしない周囲や社会への不満をぶつけているのだろう。
でも周囲の人から見れば、いきなり勝手に悲運ぶって悪意を容赦なくぶつけてくるアウトな人に過ぎないだろう。
そんなルリ姉が相手の反応を気にしている。質問の内容は下着の種類という小学生の妹に訊くには最悪なものだけど、確かに今までにないことだった。
これはもしかして本当に?
「で、そのエア彼氏の高坂くんだけどさあ」
「先輩は想像上の産物ではないわよっ! 実在するの! 私の彼氏なの! 貴方の近未来のお兄さんとなる火とよ!」
「はいはいっ」
目を剥いて怒るルリ姉。自分で作った中二病設定にのめり込むのが大好きな人だけど、今回はそれだけじゃないっぽい。
「その高坂くんってさ、どんな男の子なの? 女の子の趣味とかさ」
「先輩が大好きなのは私よっ! それ以外にはあり得ないわ」
「あー、はいはい。………………面倒臭ぇ」
会話の意図を把握しようとしない人とのコミュニケーションは疲れる。
「じゃあ、高坂くんは可愛い系が好きなのか大人っぽい系が好きなのかとかそういうのは?」
「先輩は私が好きなのよ」
「それはもう聞いた」
ルリ姉はコミュ障害というヤツなのじゃないだろうか?
「じゃあさ……高坂くんは」
「ゴスロリもちゃんと理解してくれるし、白猫モードも喜んでくれるわ。だって着ているのがこの私なのだから何を着ても彼は喜ぶわ」
「後半部分は無視すると中二病に耐性はあるけれど、一般人的なものが好きなわけだね」
クルクルと踊りだすルリ姉を見ていると色んなことが思い浮かぶ。まあ、問題なのはあたしに将来彼氏ができた時にあんな風になってしまうのかということだ。
「じゃあ、高坂くんっていうのが実在すると仮定して」
「仮定じゃなくて実在よ。先輩を勝手に非実在青年にしないで頂戴っ!」
ルリ姉は高坂くんのこととなるとデレ姉になり怒リ姉になる。あんまり怒らせると今後の夕食のおかずが危険で危なくなりそうだ。
「で、その高坂くんは下着よりも服装を気にするんじゃないのかな? 一般常識的に考えると」
ルリ姉は熱心に服装を選択しないとドン引きされるよと心の中で付け足す。
「フッ。所詮は小学生ね。愚問極まる質問だわ」
「へっ、へぇ〜。じゃあ明日の服装によほど自信があるんだねぇ」
頬を引き攣らせながら会話を続ける。ルリ姉に友達がほとんどいないのはこの辺に絶対原因がある。
「正解よ。英語で言うとエグザエノレよ」
「それを言うならエグザクトリーだよね」
「英語で言うとAKB47よ」
ルリ姉は目を逸らしながら薄い胸を反らした。
「…………妹相手にそんな風に見栄張って楽しい?」
「獅子はウサギを狩るのにも全力を尽くすものなのよ」
「ウサギを捕まえる前に空腹で倒れそうな燃費の悪さだよねえ」
目を逸らし続けるルリ姉に向かってため息を吐く。
「で、ルリ姉は明日どの服を着てデートに向かうつもりなの?」
まだ見ぬ高坂くんにこの人が彼女でいいのか心の中で問いながら尋ねる。
「明日は私の晴れ舞台。晴れの舞台とは神への奉納を意味する神聖な儀式。勿論私もそれに相応しい服装を準備しているわ」
「もう負け確定の口上だよね」
ルリ姉はあれなの?
負け戦大好き人間なの?
負け戦の中でいかに振舞うかで人間性が見えるとか言ってくるあのタイプなの?
「明日の私の服装のコンセプトは……そう。先輩が大好きで堪らない黒猫と白猫をも超える神々しき存在。その名も神猫よ」
「どうしてそんなに負けフラグを重ねるの?」
ルリ姉って天然のお笑いキャラだと思う。
「で、具体的にはどんな衣装なの?」
「この間から私が密かに作っているアレのことよ」
「アレのことなんだね……ルリ姉は初デートが最後のデートになるかもしれないねえ」
あのピンクと白のド派手な衣装を思い出しながら顔を引き攣らせる。
コミケ会場以外であれを着るのは犯罪に等しいとあたしは考える。
「いや、それよりもアレじゃあデートの待ち合わせ場所まで辿り着けないんじゃないのかな?」
ルリ姉を到着前に阻止できるかでこの国の警察能力及び市民意識の高さがどの程度のものか分かる。
「それが大きな問題なのよねえ」
「あっ。あの装束がおかしいっていう自覚ぐらいはあったんだ」
「羽を装着した状態だと家の玄関を出られないのよねえ。玄関を今日の内に壊して拡張しておこうかしら」
「せめて羽を捨てようよっ!」
中二病な上に色ボケと化してしまった姉は本気で手に負えない。
「確かに、羽がなくてもあの衣装を着た私の輝きは神レベルに達している。羽がなくても十分に勝負服の要件を満たしている。ううん、羽を生やした完全バージョンでは先輩に気後れさせてしまうから羽がないのが正解なのよ!」
「あ〜はいはい。とにかく羽を付けないってことで納得してくれたのは良かったよ」
あたし的には羽がなくても十分負け。だろうけど、羽があったらより負けていたことを考えると負け幅及び五更家の玄関を救えたのは大勝利。
「先輩は神猫と化した私の神々しさに感動し、聖なるものを汚したいという下卑たオスの浅ましい欲望を私にぶつけようとするのよ」
「ルリ姉に勝手に下卑たオス扱いされて高坂くんも可哀想に」
「せっ、先輩は付き合い始めた初日から、私のおっぱいを揉みたくて仕方ない欲望に駆られていることをカミングアウトした野獣なのよ」
ルリ姉は偉そうにドヤ顔を晒しながら胸を反らした。でも、だけど……。
「ルリ姉に揉めるようなおっぱいは存在しないじゃん! …………って、痛ったぁっ!?」
ルリ姉にグーで思いっきり殴られた。
「私の巨乳に京介はムラムラしているのよ。私のこの大きな胸にっ!」
「あたしと胸のサイズがほとんど変わらない分際で何をほざいているのっ!? ルリ姉は貧乳はステータスだ。希少価値だを地で行く人でしょうがっ!」
激しく睨み合うあたしとルリ姉。
ルリ姉が巨乳だなんて幻想は誰のためにもならない。そんな幻想はあたしがぶち殺さないとっ!
「高坂くんは顔が可愛ければ胸の大きさにこだわらないだけだって!」
「日向はAA捨A入という言葉を知らないようね。私は貴方とはまるで違う高みに存在しているのよ!」
「山が低すぎるよ……」
AAカップとAカップで分けるって、ルリ姉はどれだけ慎ましいのやら……。
「とにかく、先輩は私の神猫スタイルを見てムラムラしてすぐに自室かホテルに連れ込むに違いないわ」
「ルリ姉ってエロい話がダメな割りに、すっごいムッツリスケベだよね」
初デートでホテルってどんだけ思考が短絡的なのだか。そんなことを考えているよりもデートコースを綿密に練れば良いのに。
「先輩は私の了承も得ずにベッドに押し倒してくるの。それで私はなす術もなく無理やり服を脱がせられていくの」
「ルリ姉の思い描く高坂くんって鬼畜なんだね。そしてあの凝った服は男の子が無理やり脱がすには不向きなんじゃないかな?」
多くの男の子はスカートがどんな構造になっているのかも知らないという。脱がし方が分からなかったりホックを壊してしまったりという話はルリ姉秘蔵の薄い本をこっそり読んでいるとよく出る。
「脱がし方は指でちゃんと指し示すから問題ないわ」
「それもう無理やりじゃないじゃん。ただの協力プレイだよ」
ルリ姉の言ってることは無茶苦茶だ。まあ、邪気眼中二病だからいつものことだけど。
「まあ過程はともかくとして私は先輩の手により服を脱がされ下着姿を晒すことになるの」
「はいはい。これ以上のツッコミは労力とカロリーの無駄だからしないよ」
いずれツッコミダイエットというのを映像で収録して売ればお金持ちになれるんじゃ?
そんな気がする。
「オスの本能に目覚め私の純潔を無理やり奪おうとする際に先輩の瞳に映るのは下着姿となった私」
「ルリ姉が相談しているのはまだ小学5年生の真っ白な少女だってことを忘れないでね」
友達がいないからってJS妹相手にエロ相談は止めて欲しい。
「先輩が私にその浅ましくも醜い欲望の全てをぶつけるためには、神猫の下の衣装にも気を使わなくてはならないのは当然のこと。先輩のケダモノを呼び覚ますには黒と白のどちらの下着が良いかしら?」
「高坂くんもそうなるまでの過程で興奮しきっているだろうからどっちでも同じなんじゃないの?」
そっぽを向きながら適当に答える。
「何を他人事みたいに言っているのよ、貴方はっ!」
「いや、実際他人事だし……」
ルリ姉がエッチしたと知ればお父さんならひっくり返るに違いない。でも、あたしとしてはルリ姉でもお嫁にもらってくれる人がいて良いねって笑顔を向けるぐらい。深く追求しないしする気もない。
「貴方のお義兄さんとなるべき人のことでしょうが!」
「だから気が早いっての!」
「あらっ? 明日の結果次第で日向は叔母になり、姉夫婦の妹になるのよ」
「産む気なの!?」
「当然よ。先輩の首に縄を掛けるにはそれが一番だわ。うふふふふふ。うふふふふふふ」
黒い笑みを浮かべながら不気味な笑い声を発するルリ姉。
「ルリ姉がそんな魂胆なら……下着は白い方が良いと思うよ」
「その心は?」
「いやさ。ルリ姉がそんな風に荒々しい欲望まみれで下着までそうだとさ……高坂くんはルリ姉のことを遊び慣れてる女の子だって思うんじゃないかな?」
「なあっ!?」
ルリ姉は硬直した。
「きっと色んな男の子とそういう関係になってきたんだろうなあって高坂くんは思うだろうね。その方が気安く手を出してくれるかも知れないけれど」
「明日は婚姻届持参で白い下着にするわ。まったく、私がビッチのようなビッチだと誤解を受けるなどあってはならないことだわ。私の純潔の代価はちゃんと先輩の一生で支払ってもらわないと」
ルリ姉は青ざめてみたり急に怒ったりと忙しい。けれど、ようやく決着が付いたらしい。
あたしもこれでようやく寝られる。
明日も朝からラジオ体操で忙しい身としては、解放されることになって本当に良かった。
ほんと、下らない質問だったけれど。
「私が明日高坂家に嫁ぐことになれば……日向、五更家の台所を預かるのは貴方となるわ。珠希がご飯で辛い思いをしないで済むように、今夜は徹夜で特訓よっ!」
「なんか血迷ったことを言い始めたよ、この人はっ!?」
「まずは結婚式で使うホールケーキの作り方を学んでもらうわよ」
「いきなり目的が変わってるよっ!」
あたしとルリ姉の会話はこの後も延々と続いた。
初デートを前にしてテンパッているのだということは気付いたけれど、会話を止める術をあたしは持たなかった。
こうしてあたしとルリ姉の不毛な夜は過ぎていったのだった。
そして翌日の夜──
「せっ、先輩と初デートで手を繋いでしまったわ。幸せすぎて頭がおかしくなってしまいそうだわ」
「ルリ姉は小学生以下かあぁあああああああああああああぁいっ!!」
あたしのツッコミの声が千葉市の夜空に木霊したのだった。
中二病だからこそ恋がしたい
6月1×日午後4時30分。
「私の名は夜の女王クイーン・オブ・ナイトメア。千葉(せんよう)の堕天聖たるこの私がわざわざ下賎な人間でしかない貴方を今宵の闇の宴のパートナーに指名してあげたのよ。幾星霜の時を越えるまで感謝を続けても良いわ」
今日もルリ姉は鏡を相手に世迷言を口走っている。
自作の黒いゴスロリ服を着て鏡に映った自分とお喋りしている。いや、正確にはルリ姉にしか見えていない闇の宴のパートナーとやらに。
ルリ姉は今年でもう高1だというのに、まだ中二病が治っていなかった。
「あらっ、貴方……人間にしてはおかしな気配を身に纏っているわね。貴方はまさか……ルシフェルの生まれ変わり? ううん、その哀を湛えた気配は漆黒の生まれ変わりね!」
ルリ姉は鏡を見ながら大きく目を見開いて驚いて半歩下がった。
こういう芸の細かさが中二病の特徴だ。
詳しく知る気もないけれど、ルリ姉は自分用設定だけでも原稿用紙500枚以上分の濃密さで持っている。
他人に伝えるのではなく自分の中だけで消化する為だけの設定をだ。
重度の中二病患者のパネェ部分を垣間見せてくれる典型的な事例だと言える。
「そういうことなら話は別ね。貴方を私の右腕として使役してあげても良いわよ」
ルリ姉は瞳を細めて余裕たっぷりに微笑んでみせた。鏡に映るあたしには見えない誰かに向けて。
「クックックック。我が名はレイシス・ヴィ・フェリシティ・煌。偉大なる夜の血族の真祖なり」
「ルリ姉っ! それ、別のキャラだからっ! ルリ姉と声と言動がそっくりな別キャラだから!」
「はっ、しまったわ」
ルリ姉は気まずそうな表情を見せた。
中二はあくまでも演技なのでこういう所でボロが出たりする。
「爆ぜろリアルっ! 弾けろシナプスっ! ヴァニッシュメント・ディス・ワールドっ!!」
「いや、それは中二病を扱ってるだけでルリ姉とは声が似てない全然別キャラだからっ!」
ルリ姉は365日24時間割りとこんな感じだ。
でも、いつもとは少しだけ違う。
そう、登場人物がおかしいのだ。
「ルリ姉は今まで漆黒をエア友達にして会話していたことってないよね?」
「エア友達言わないで頂戴っ!」
ルリ姉の会話相手は基本的に女だったり魔物だったり。男だった場合はなかった。
これにはルリ姉がリアルで男子と全く会話していないことが大きく影響している。
中二病発症でクラスメイト達に嫌がられぼっち街道まっしぐらのルリ姉は男は勿論のこと女のクラスメイトと口をきくことも滅多にない。
そんなルリ姉には友達がおらず、エア友達との会話ばかりが上手くなってしまった。
そしてエア友達にのめり込むほどますますリアルクラスメイト達との距離が離れていく悪循環に陥っている。
そんなルリ姉が何故今日に限って男の話し相手を想像しているのか。
「もしかしてルリ姉……男の子の知り合いが出来たとか?」
思い付いた可能性を述べてみる。
「なっ、何を事実無根のわけの分からないことを述べているのかしらっ!?!?」
ルリ姉が天井にぶつかるんじゃないかと思うほど大きく飛び上がった。古き良きアクション。
でもそんなあからさまなアクションを見せられれば誰でも怪しいと思うに決まっている。
疑問が確信へと移行した。
「だけどルリ姉が今更クラスメイトと仲良くなれるわけもないから……」
あたしは今世紀最大の謎を解き明かすべく推理に入る。
「それは酷いんじゃないの?」
「でも、事実でしょ」
「クッ! ……まあ、そうなのだけど」
ルリ姉は悔しそうに小さく頷いた。
「つまり、ルリ姉はクラス以外の場所で男の知り合いを作った。となると……」
ルリ姉の学校における状況であたしが知っている情報を再整理してみる。
クラスメイトとも満足に話すコミュ力も持たないルリ姉が偶然出会った系男子とフラグを立てられる筈がない。
となると、やはり出会いは校外だ。
ルリ姉は重度のオタクであり、時々全く売れない本を作っては同人誌販売会に参加している。そこで誰かに出会ったのか?
いや、それもない筈。
ルリ姉の本は全く売れないし、作風は一応女性客ターゲットなのでそもそも男性客はやって来ない。作家も周囲は女ばっかりのはず。となると……。
「そうか! 昨日のオフ会だっ!」
手を叩きながら確信を得る。
ルリ姉は昨日『萌え豚と腐女子なオタクども集まれ』というSNSサークルのオフ会に出掛けていった。
そこで誰か知り合いを作った可能性は高い。オフ会は元々同好の士が親睦を深める為の集まりなのだし、コミュ力不足のルリ姉でもオタク同士なら或いは……。
「ルリ姉は『オタクども集まれ』のオフ会で男の子の知り合いが出来た。そうでしょう?」
ちょっと得意げになりながらルリ姉をジッと見つめる。
「う…………っ」
ルリ姉は壁際まで後退しながら壁に背中を付けると今度は開き直るように長い髪を掻き揚げた。
「さすがは眷属の覇者である夜の女王たる私の妹なだけはあるわ。いまだ覚醒を果たしていなくともその千里眼の力は私の行動を相当程度監視出来るようね」
「いや、ルリ姉はぼっちだから行動が読み易いだけだよ」
首を振ってルリ姉の言い分を拒否する。あたしまで中二病患者扱いされては堪らない。
「で、具体的にはどんな男の子と出合ったの?」
あたしも小学5年生。そろそろ恋のお話がとても楽しく聞こえてくるお年頃。
「そ、それは……」
動揺しながらも誇らしげに薄い胸を反らすルリ姉。どうやら話したくて仕方がなかったらしい。本当に面倒くさい姉だ。
「まあ、そんなに聞きたいのなら話してあげるわ」
「うっわぁ。態度でけぇ。何かムカつく」
言いたいことを半分で引っ込めてグッと我慢する。
「それでルリ姉はどんな男の子とどんな風に知り合いになったの?」
正座しながらルリ姉の話を促す。だけど自分で喋りながら変だと思った。
「あれっ? でも、昨日のオフ会ってメンバーがみんな女の子じゃなかったっけ?」
ルリ姉がネット上とはいえID付きの男とまともに交流できる筈がない。だから加わっていたSNSは女の子専用コミュニティー。一応体裁上男を排除してはいないらしいのだけど、実質的には女の子だけの集まり。そのオフ会なのだから参加者は女の子だけの筈。
「1人だけ……参加者の兄が同じ店でこっそりと見守っていたのよ」
「へぇ〜その人妹想いっていうか、相当なシスコンなんだねぇ〜」
ルリ姉は妹のたまちゃんを溺愛している。シスコンと言えなくもないが、たまちゃんはまだ6歳。
コミュの参加者がルリ姉と同年代であることを考えると……その女の子のお兄さんとやらは真正のシスコンなのかもしれない。単に心配性かもしれないけれど。
「彼はそんな矮小な存在ではないわっ!」
ルリ姉が大きな声を出しながら怒った。
「何故に突然怒るの?」
「彼の魂は……そう、転生してもなお毀損していなかったのよ」
うっとりとした表情を浮かべるルリ姉。何ていうか、こんなにも至福に浸った満面の笑みを見せられると逆に不安になる。
ルリ姉に男の知り合いが出来たと言うのは別次元の話なのではないかと。やっぱりエア男友達なんじゃないかと。
「じゃあさ、その男の子とどう出会ったのか詳しく説明してみせてよ」
「いいわ。よく聞きなさい」
ルリ姉の面倒くさい説明が始まった。
あれは昨日の昼、ノストラダムスに選ばれし乙女たちの集いに参加した時のことよ。
「ノストラダムスって一体何さっ!? いきなり違うオフ会になってるよ!」
細かいことにうるさいわね。とにかく、私は秋葉原のメイド喫茶で行われたオフ会に参加してそこで運命の彼と出会ったのよ。
オフ会に来ていたのは烏合の衆ばかりだった。私が期待していたような真なる覚醒を遂げていた者はいなかったわ。
「オタクではあるけれど、ルリ姉みたいな中二病じゃない一般人な属性も持ち合わせている人たちだったんだね。いやぁまともな人たちで良かった良かった」
だからうるさいわよ! 一々茶々を入れないで頂戴。
そんなわけで私はあの者たちを相手にはしなかったのよ。
「要するにはぶられたんだね。オタク同士の集まりにも関わらず。うっわぁ。だっさ」
だから黙りなさい!
私は1回話し掛けてもらえたのよ!
「確かオフ会って2時間の予定だったよね? 友達作りの会合の席で2時間通じて1回しか話し掛けてもらえなかったってある意味では凄いよ」
フッ。烏合の衆のことなんてどうでも良いのよ。重要なのはこれからよ。
オフ会は2時間が過ぎて滞りなく終了したわ。
でも、淀みなき澄み切った孤高を貫き通した私に対して主催者の……何と言ったかしら? ダイダラボッチ? ビッグボディー? カナディアンマン?
とにかくビッグメガネが個別に二次会に行こうと声を掛けてくれたのよ。
「悲惨な状況を見かねて誘ってくれただろうにその幹事さんの名前も覚えてないなんて……ルリ姉は最低を通り越した何か凄い存在だよね」
……幹事には後でお礼のメールを書いておいたから良いのよ。
で、二次会に行ってからが重要なの。運命の出会いだったのよ。
私とビッグメガネは近くのファーストフード店に行ったのよ。
「ああ、マッフだね。やっぱり女学生同士の会話はポテトぱくつきながらが基本だよね♪」
娯ー娯ーカレーだったわ
「カレー屋っ!? いや、確かにあそこのカレーは注文から出来上がりまで早いけどさ。でも、会話するのにこれっぽっちも向いてない店だよ!?」
秋葉に行ったらカレーが無性に食べたくなる時がたまにあるのよ。
私が強力にプッシュして決めたのよ。
「いや、ルリ姉の敗者復活戦の為の二次会でカレー屋を選ぶってコミュ力不足もそこまでいくといっそ清々しいよ!」
私はいつでも清々しい冷笑の美少女に決まっているじゃない。
「全然誉めてないから! まあ、良いや。続けてよ」
とにかく私はビッグメガネが呼んで来るという第三の戦士をカレー屋の中で待っていたわ。待っている間にカレーを3杯食べきったわ。
「もうツッコミは入れないからね」
そして4杯目に挑もうとした時……彼は私の前に降臨したのよ。
『こちらきり××氏とその兄上……』
漆黒の衣装を身に纏い、同じく漆黒のマントを翻しながら彼は私に名乗ったわ。
『京介・アルト・折木・グラハム准尉だ。お前達も俺の翼だっ!!』
そう言って漆黒京介は私に向かって手を差し伸べてきた。これを運命と言わずして何だと言うの!?
「いや、さすがにもうどこからツッコミを入れたら良いのか分からないレベルだよ! どこまで本当なのさ! ツッコミを入れないと決めたのに入れちゃったよ、畜生!」
全部真実に決まっているじゃないの。
「尚更悪いよっ! せめて、その幹事さんが連れて来た女の子の名前ぐらいは覚えようよっ! どう見ても電波入っている男のキモい自己紹介の部分だけ正確に覚えてないでさっ!」
確かにそうね。義理の妹になるかも知れない娘だもの。名前ぐらいは覚えても損はないわね。次会うことがあれば尋ねておくわ。
「昨日のオフ会は元々女の子の友達を作る為のものだったよね!? ……まあ、良いや。続けて」
とにかく、私は漆黒京介の手を取ったわ。とても温かく気高い手だったわ。
そして彼と私の高貴なる会話が始まったの。
『乙女座の私にはセンチメンタルな運命を感じずにはいられない』
『カレーお代わりして良いかしら?』
『ならば私は君を求める。果てしないほどに!』
『福神漬けの着色料で赤く染まったご飯を見ると外でカレーを食べているんだって気がするわよね』
私たちは2人で夢のようなひと時を過ごしたわ。
『やらなくて良いことはやらない。やるべきことは手短に』
『5杯目のカレーも美味しいわね。貴方食べないのならそのらっきょうを私に頂けないかしら?』
「全然会話になってないよっ! っていうか、ルリ姉がカレーばっかり食べる食いしん坊キャラになってるよ!」
そんな私と漆黒京介の関係を見てビッグメガネと義妹も感銘を受けたわね。
『いや、拙者もここまで本物の中二病患者を見たのは初めてでござる。しかも2人同時に。本気で救えない奴らでござるな。拙者はああはなるまいでござるよ』
『オタクを続けているとコイツらと同じで見られたりするってこと? ……嫌ぁああああぁっ!! あたしもうオタク止める〜〜っ!!』
「いや、それ、感銘受けてないからっ! 2人の女の人が中二病患者になるのを食い止めた功績は認めるけどさ」
ビッグメガネと義妹は私たちに気を利かせて途中で2人きりにしてくれたわ。最後は挨拶もなくこっそりと消える気の使いようだったわ。
「それ、逃げただけだからねっ!」
まあ、そんなこんなで私と漆黒京介は第三者が見れば赤面物の濃密で淫靡な一時をカレー屋で過ごしたというわけよ
「カレー屋の中で、コスプレした男女が電波じみたトークを延々と繰り広げる。お店にとってこれ以上の営業妨害はそうないだろうね。そして第三者が見れば赤面するだろうけど、それはきっと怒りで頭が熱くなってだよ」
フッ。彼氏ができた姉が羨ましいのね。小学生のお子ちゃまな日向にはまだ早いわ。
「言葉のキャッチボールって難しいよねえ」
そうね。日向は私が羨ましいともっと素直に表現するべきだわ。
「ダメだこりゃ…………」
「ルリ姉がその漆黒京介くんって男の子と仲良くなって、SNSのコミュニティーとは断絶したってことはよく分かったよ」
ルリ姉の話を聞き終えたら疲れが一気に全身から湧き出てきた。
「失敬ね。私は別に退会してもいないし、退会させられてもいないわよ」
「代わりに放置状態なんじゃないの? 何を書き込んでも反応がないっていう」
「…………さあ。どうだったかしらね?」
ルリ姉はそっぽを向いた。
「まあでも、形だけの同性の友達よりも、気が合う男の子と知り合いになれた方がルリ姉にとってはいいのかな?」
「そうよっ! 何故なら私と漆黒京介は生涯を共にすることを誓い合うことになる仲。男が出来たぐらいで容易に瓦解する女同士の薄い友情とはワケが違うのよ」
「また暴走しているよこの人は……」
大きなため息が漏れ出る。
「で、ルリ姉お気に入りの漆黒京介くんの写真ってあるわけ?」
あたしは迂闊な質問をしてしまった。
「フッ。何だかんだ文句を付けながら日向も私のハンサムで優しくてこの世界で一番素敵な彼氏の姿が見たいと言うのね」
ルリ姉はドヤ顔であたしの質問に答えてみせた。
電波彼氏に興味があるかの如き振る舞いを見せてしまったのは大きな失態だった。
「いや、別にそんなに言うんなら見せてくれなくてもいいから……」
「大切な妹の頼みですもの。2人で一緒に撮った写メを特別に見せてあげるわ」
ルリ姉はいそいそと携帯を手に持ってあたしの顔近くに液晶画面を突きつけた。
「これが漆黒京介よ。どう? ハンサムで高貴で素敵な男性でしょう」
自信満々ドヤ顔2乗のルリ姉。よほど京介くんに自信があるらしい。でも、あたしから言わせれば……。
「え〜……そんなに格好い……ううん。何でもない」
ついつい地味顔で大して格好良くないと言ってしまいそうになるのを口を両手で閉じて防ぐ。
「とっても個性的な男の子だよね」
代わりに褒めているとも貶しているとも分からない曖昧な表現でお茶を濁す。
個人的な感想で言えば、大して格好良くない。でも、ルリ姉にとって本気でハンサムに見えているのだとしたら、ルリ姉と同じ属性を有している点がプラス補正なのだろう。
「漆黒京介は私の彼氏なんだから、横恋慕しても無駄よ」
「しないってば」
どうしてルリ姉はこの勘違いコスプレイヤーみたいな男の子をそこまで持ち上げて見ることができるのだろう?
やはり、ぼっち過ぎた半生が姉の物の見方を大きく歪ませてしまったのかもしれない。
「わぁ〜♪ この男の人、とっても素敵ですぅ〜♪ 世界一格好いいですぅ〜」
そしてあたしにとってもう1つ予想外だった事態が生じた。
携帯を覗き込んだたまちゃんが、漆黒京介くんを見ながら瞳を輝かせたのだ。
それはあたしにとって悪夢としか言えない展開だった。
「あらっ♪ 珠希は京介の良さがちゃんと分かっているみたいね」
「はいですぅ〜♪ とっても姉さまにお似合いのとっても格好良い王子さまですぅ」
「後しばらくすればこの素敵な王子さまは珠希のお兄さんになってくれるわよ」
「わぁ〜いですぅ♪」
あたしはこの短いやり取りでたまちゃんの将来がとても不安になった。
わずか7歳にしてこの覚醒ぶり。ルリ姉さえも上回る超逸材になってしまわないか全身から汗が吹き出るぐらいに不安で仕方ない。
「さて、これで漆黒京介の良さを心の奥底から理解していないのは日向だけになったわね」
「理解している2人の方がおかしいんだよ」
変な感性の人間が多数派を占めてしまうとあたしのような常識人は対処に困る。
「強情で弄れた美的センスに乏しい妹ね」
「ルリ姉たちほど弄れてはいないよ」
「まあ、いいわ」
ルリ姉はニヤッと笑ってみせた。
「そんな日向にも漆黒京介がどれほど素敵な男性なのか、直接話し合って理解してもらう機会を与えてあげるわ」
「まっ、まさか……」
とても嫌な予感がした。
「何と漆黒京介は私と同じ高校に通う3年生の先輩であることが判明したの。家もごく近所だったの」
「それって……」
続きはもう聞きたくなかった。
「今日、この家に招待しているのよ」
「あたし、ちょっと友達の家にでも遊びに行って来ようかなっ!」
慌てて回れ右をする。けれど、右腕をルリ姉に掴まれてしまった。
「今が丁度その約束時間なの。まさか貴方、お客が来ているのに挨拶の一つもできない礼儀知らずな態度を取ったりしないわよね? そんなことをすれば今後の食事がどうなるのか分かっているわね……?」
「ひっ、卑怯なっ!」
「最高の褒め言葉と受け取っておけば良いかしらね」
ルリ姉は楽しそうに笑ってみせた。
そして次の瞬間だった。我が借家の玄関のベルの音が鳴り響いたのは。
「ルリ姉の与太話なんて聞いていないでさっさと遊びに出掛けていれば良かった」
「姉の彼氏を拝見できるのだから光栄に思いなさい」
小さく舌打ちしてみたけれどもう後の祭り。
あたしはルリ姉みたいな異常な感性を持つ中二病患者たちが多数を占める空間へと放り込まれることになったのだった。
そして数ヵ月後──
「第3回メルルコスプレコンテストの優勝は……エントリーナンバー15番、メルルに扮した五更日向ちゃんで〜す」
あたしは満員の観衆の歓声に包まれながらスポットライトの光を浴びていた。
重度の中二病患者の姉に付き合わされ続けたあたしの流され人生は……遂にコスプレ大会で姉を破る所にまで達してしまったのだった。
「普通の女の子に……戻りたいよう」
それが今のあたしの切実な目標だった。
了
修羅場 黒猫さんときりりんさん
「瑠璃……っ」
「京介……っ」
余韻を愉しむかのように瑠璃と長いキスをする。
それが俺と瑠璃の“いつも”だった。
俺も瑠璃もこの瞬間が大好きだった。
故にこの瞬間は最も無防備になってしまう。互いの唇の感触に全ての感覚を集中させてしまう。
故に俺の部屋にアイツが近付いているなんて全く考えもしなかった。
俺の部屋は鍵が掛からない。
それが意味する恐怖を俺は中学高校の6年を通じて十二分に熟知しているつもりだった。
でも、熟知しているつもりなだけだった。
お袋を警戒する方法にだけ特化してしまった慣れが俺に視野狭窄をもたらしたのだ。
そしてその視野狭窄は俺に悲劇をもたらした。
「ちょっとアンタたちっ! 一体何をやってんのよっ!?」
怒鳴り声が広くない室内に響き渡った時、妹は既に室内に足を踏み入れていた。
気付くのが遅かった。
今更取り繕うのは不可能。
バッチリ現場を押さえられてしまっている。しかも数秒の猶予ではこの状況はどうにも出来ない。そういう状況に俺達はいる。
「よっ、よぉ。桐乃……」
取り繕うのを諦め如何にもわざとらしく右手を挙げてフレンドリーを気取ってみる。
お袋は夜まで帰って来ない。それで俺は安心しきっていた。
妹の突撃を予想していなかった。
知らない靴が玄関に置いてあれば不審がって入ってくる可能性は十二分に考えられたのにだ。
愚かだったのだ、俺は。
「よぉじゃないでしょうがっ! 何で黒いのがアンタの部屋に、しかも2人共真っ裸でいるのよぉっ!?」
「…………っ」
桐乃が俺、そして俺の隣で黙ってベッドに横たわっている瑠璃に怒りの剣幕を向ける。名探偵並にビシッと指を突き刺しながら。
今の状況はアレだ。
親に気兼ねせずに恋人を家に招いて親密に時を過ごして疲れたので2人で仲良く寝ていたら妹に部屋に踏み込まれた。そういう状況だ。
「え〜と。その、何だ……」
必死に考える。どうすればこの場面で血を見ずに済むのか。言い直せば俺がデッドエンドにならずに済むのか。
他人がこの部屋の中にいるのは不自然。その不自然をどうすれば解消できるのか?
…………そうかっ!
「桐乃、瑠璃はお前のお義姉さんなんだっ!」
家族なら同じ部屋に一緒にいてもおかしくない。
家族なら薄着で同じ室内にいてもおかしくない。例えパンツ1枚穿いてない状態でも。
よしっ! これで理論武装は完璧な筈だっ!
「ふざけんなぁあああああああああぁっ!」
桐乃の怒りの咆哮が鳴り響く。
うん。やっぱ無理でした。
「騒々しい義妹ね」
瑠璃はベッドの上に上半身を起こしながら桐乃を半目で睨んだ。
ちなみにただ起き上がっただけで真っ裸のまま。
「あっ、そうそう、京介」
「何だ?」
「『瑠璃はお前のお義姉さんなんだっ!』って言葉は確かに聞かせてもらったわよ」
瑠璃は手にした小型のMP3プレイヤーを掲げて見せながら誇らしげに俺に笑い掛けた。
「京介からなかなか将来の約束の言質を取れなくて少し焦っていたのだけど。これで全て解決だわ」
瑠璃は手に持っていたMP3の再生スイッチを押す。
『瑠璃はお前のお義姉さんなんだっ!』
これ以上ないぐらい鮮明な俺の声で凄い内容の言葉が再生されています。
「今夜はお義父様とお義母様にちゃんと挨拶させてもらうわ。京介も週末にはうちに来て両親に挨拶して頂戴。大丈夫。すぐに気に入られるわよ」
「………………はい」
場を誤魔化す為の妹への対処からとても、とても重いものを背負うことになった。
瑠璃は今日一番の輝く笑顔を見せているけれども。
「…………京介は私と夫婦になるのがそんなに不満なの? 私じゃ……不満?」
急に拗ねた表情を見せる瑠璃。いつもは強気な癖に、こういう時にフト見せる弱気で健気な態度に俺は凄く弱い。
衝動に従って瑠璃を抱き締めながら小さな声ながらはっきりと宣言する。
「俺の嫁は……お前しかいないよ、瑠璃」
強く強く瑠璃を抱き締める。
「京介……っ。私も貴方のことが……現世も冥界も天界も含めて一番好きよ」
瑠璃も俺の腰に手を回し、その可憐な唇を俺へと押し付けた。
熱いキス。
これでふとしたことにより揺らぎ掛けた恋人同士の仲も元通り。いや、それ以上親密に……。
「アタシを無視して勝手に結ばれてんじゃないわよ。ふざけんなぁあああああああああぁっ!」
桐乃の怒りの咆哮が再び鳴り響く。
うん。やっぱ無理でした。
了
俺妹 ホワイトデー 黒猫 和やか家族会議
「さあ、京介。いい加減に観念したらどうなのかしら?」
高坂家の食卓。
オヤジ、おふくろ、桐乃が目を固く瞑って黙っているさなか、1人セーラー服姿の瑠璃先輩だけが俺を責め立てている。
いや、熱く要求を訴えていると言った方が良いか。
とにかく、俺にとっては大ピンチだった。ピンチと呼んではいけないのだろうけど。
「ホワイトデーのお返しに私が望むのは貴方の判子だけよ」
瑠璃は要求を繰り返し訴える。
「ま、まあ待て。落ち着け。話し合おう」
「民法が改正されてしまうと、もしかすると私は貴重な時間を2年失うことにもなりかねないの。待てるはずがないわ」
「いや、民法が改正されるまでにはまだ相当に時間が掛かるだろう。それに、改正された所で、アノ要件が改正されるかも分からないだろう」
俺は必死に宥めにかかる。
でも、そんな宥めが無駄なことぐらいは俺にも分かっている。
だって、事態はもう戻れない所まできてしまったのだから。
「バレンタインデーの日、京介からもらったいっぱいの愛情は私の中で確かに実を結んだのよ」
瑠璃は感動を全身で表しながら両手を胸にそっと置いた。
「…………それ、比喩になってないじゃん」
桐乃が小さな声でツッコミを入れる。
まあ、要はそういうことだった。
男、高坂京介は一世一代の決断を迫られている。
「ちなみに私は産むわよ」
そして俺には選択の余地が全くない。
要するにたった1つの道を承認するか、それからできる限り長く目を逸らすか。
結局は認めるしかないのだ。瑠璃の決意が固い以上。
だが、この絶望的な戦局も、家族の助けがあれば乗り切れるかもしれない。俺の愛する家族たちが瑠璃を翻意させてくれればっ!
「お母さんは京介と瑠璃ちゃんの結婚に賛成よ」
……早速1人裏切った。
「だって瑠璃ちゃん、この家に同居オーケーで家事もみんなしてくれるって言うし」
そして裏切った理由は相変わらずだった。
ていうか、家事をしない専業主婦って一体何をする存在なの?
「それに、京介が大学出たってどうせパッとしない企業しか入れないでしょ。自分の売り込み下手なんだし。だったら、高校出て働いたって同じじゃない」
「それ、先月末に俺の大学合格を両手を挙げて喜んだ人間の言う台詞か?」
先月末、大学に合格した俺に向かってお母上さまはおっしゃった。
『アンタみたいにパッとしない人間はせめて学歴ぐらい身に付けておかないと虫けら以下の存在になってしまうものね』
『大学に行かない俺は無機物か何かか?』
『退職後のお父さんみたいな扱いね』
『オヤジ……離婚するなら今のうちだぞ』
そんな風に語っていたおふくろがあっさりと裏切った。
「というわけで大学入学は諦めて、これからは瑠璃ちゃんとお腹の子供の為に馬車馬になって働きなさい。私は1日中ソファーでゴロゴロする生活に勤しむから」
「アンタも大した御仁だな、おいっ!」
「だって瑠璃ちゃんのご飯は美味しいのよ。京介だって毎日食べたいでしょ。ここにサインするだけでそれが可能になるのよ!」
おふくろは婚姻届の俺の欄を指でトントンと叩きながら訴えてくる。
「しかも、新郎の両親が同居を認めているのよ。家賃が掛からない。昨今の二極化社会を生き抜いていく上でこんな良い条件があると思うの?」
「自分が楽したいだけだろうが」
「そんなことはないわ。未成年の息子夫婦を気遣う最高の母親よ、私はっ!」
「なら……俺がマスオさん状態で瑠璃の実家に住むっていう手も」
「そんなこと認めるわけないでしょ。ふざけてるんじゃないわよ。バァ〜カ」
……この人は間違いなく桐乃の母親だ。それを痛烈に感じた。
おふくろに、瑠璃を翻意させる気はサラサラなさそうだ。というか、結婚するに当たっての外堀が埋められてしまった。
後は、警察官の倫理的にオヤジがまだ高校1年生の瑠璃の結婚を思い留まらせてくれれば……。
「五更さんのご実家には俺から挨拶に行ってくることにする。この鍛え上げた筋肉を土産にすれば良いだろうか?」
「そうね。本人たちが愛し合っているとはいえ、大切な娘さんを傷物にし、あまつさえ妊娠させてしまったのだもの。お父さんの土下座は必要よね。後、筋肉は要らないわ。ていうか定年後のお父さんが一番要らないわ」
オヤジよ。アンタも敵か。
「では、指立て倒立をしながら土下座して京介と瑠璃くんの結婚の許可をもらう交渉をしよう。その際に俺の鍛え上げた筋肉がポロッと飛び出してしまうかもしれないが」
「普通に土下座しなさい。筋肉は禁止」
「だが、40年以上に渡って日々鍛え熟成させてきたこの筋肉はこんな機会でもないと披露する場がないのだ」
「一生封印していなさいっ!」
……この夫婦は一体何を語っているんだ?
「今大事なのは筋肉じゃないだろうがッ!」
瑠璃との結婚がかかっているこの一大事に何が筋肉だ。
「京介がそこまで言うのなら仕方ない。俺は明日にでも五更さんの実家に行ってバカ息子との結婚の許可を許してもらうとしよう」
「あっ!」
……墓穴を掘りました。
おふくろは最初から瑠璃派。オヤジもおふくろの配下。瑠璃の説得は不可能。
だが、まだ俺には切り札がいる。瑠璃の気持ちをある意味で最もかき乱してくれるジョーカー的存在の、桐乃という名の妹がッ!
「いやアタシ、春からヨーロッパ行くから兄貴が黒いのと結婚しようが割りとどうでもいいし」
……頼みの綱はあっさりと俺を見捨ててくれた。
「アタシの友達をお義姉ちゃんって呼ぶことになるのは変な感じだけどさ。でも、去年の夏のことを思えば落ち着く所に落ち着いたのかなって感じもするし」
ウンウンと頷いてみせる桐乃。
「アタシが出てったら、あの部屋を自由に使ってくれればいいしさ。エロゲーの管理は黒いのに任せるわ」
「心遣いに感謝するわ。私は京介と同じ部屋に住むから貴方の部屋を侵食するつもりはないけれど。ていうか、私に貴方の妹エロゲーの管理を任せないで頂戴」
「ああ。アンタはエロゲーには初心で免疫ないくせに、リアルエロゲーの達人だったわね。昨日もボリューム下げないですっごい声出してさ」
「私と京介の愛の営みをリアルエロゲー言わないで頂戴ッ!」
「ここ壁薄いからみんな丸聞こえだっての。アンタ、エロゲ知識なしにらめぇ〜〜とか言ってるんだから相当の好きものよね」
「恥ずかしい台詞を口に出さないで頂戴ッ!!」
瑠璃と桐乃は実に仲が良い。まるで本物の姉妹のようだ。いや、もうすぐ本当に姉妹に……。
そして桐乃が以前より大人になっている。2度目の留学に当たって妹も大人の対応ができるようになったということか。つまり……。
「そんなわけでアタシは兄貴と黒いのの結婚に賛成することにしたから。その方がスッキリとした気分で日本を発てるし」
妹も結婚推進派というわけだ。
言い直せば俺は四面楚歌に追い込まれたということだ。
「ていうかさ。京介は黒いのと結婚するのの何が不満なわけ?」
瑠璃の旗を掲げる桐乃が俺へと斬りかかってきた。
「そりゃあ勿論…………うん?」
改めて考え直してみると、何故躊躇っているのか自分でよく分からない。
せっかく合格した大学に通えないのは勿体無い。けれど、どうしても勉強したい専攻があるわけじゃない。
偏差値と家からの距離だけで決めた適当な進学先であることも確か。その程度で決めた進学先が瑠璃より大切なんてことはあるはずがない。
じゃあ、自分の自由に使える時間がなくなるから嫌なのか?
受験が終わって俺が何をしてきたか考える。
……毎日、瑠璃を学校の正門の前まで迎えに行っていました。つまり、俺は『自由な時間=瑠璃と一緒に過ごす』を実践していたことになる。
瑠璃と毎日一緒に暮らすとなれば、自由に使える時間云々という議論は上の前提条件からすればどうでも良い話になる。
なら、あれかッ!
「働いたら負けっていう例の病気かッ!」
俺が瑠璃との結婚に乗り気になれない理由。
それはあの名言に答えがあったのだ。
なるほど。俺は高卒で働きに出なければならない自分を哀れんでいたのだ!!
……後輩の女の子を妊娠させておいて、自分は働きたくない。我ながらすげぇクズじゃねえ、俺?
「京介は……私やお腹の子の為には頑張ってくれないの?」
シュンとうな垂れてみせる瑠璃。
愛しい彼女の寂しげな姿を見た瞬間、俺の中の何かが目覚めた。
「お兄ちゃんパワーに代わり俺が新たに目覚めた力。それがお父さんパワーだぁッ!!」
かつての俺は桐乃の為ならどんな辛い仕事も汚れ仕事も進んで引き受けた。その熱い情熱を、パワーを今度は瑠璃と俺たちの子の為に使おう。そう決めた。
「じゃあ、ほらッ! 兄貴も覚悟を固めたのなら……お義姉ちゃんにちゃんと言いなさいよね。アタシが安心してヨーロッパに行けるようにさ」
妹に促されて瑠璃と向き合う。
「えっと……」
「何、かしら?」
瑠璃は顔を真っ赤にしながら白を切っている。
どうしよう。すげぇ恥ずかしい。
「「「「ジィーッ」」」」
けれど、みんなの注目を浴びてしまっている以上、そして瑠璃に期待されている以上言わないわけにはいかない。
いや、俺が言いたいんだ。瑠璃に伝えたいんだッ!
「瑠璃……俺と結婚してくれッ」
瑠璃の両手を掴みながら結婚を申し込む。こんなに熱くなったのは、緊張したのははじめてかもしれない。
「まったく。京介もようやく私の永遠の呪いが発動したというわけね。時間……掛かりすぎよ」
「じゃあ!」
「ええ。不束者ですが、末永くお願いするわね」
瑠璃は軽く頭を下げて笑ってくれた。照れた顔がとても可愛かった。俺の嫁さんは世界一可愛い。それを確信した。
「よしっ! 今日は京介と瑠璃くんの結婚を祝って徹夜で全裸ダンスフィーバーだッ! 脱衣(トランザム)ッ!!」
言うが早いかオヤジは一瞬にして全裸になった。
ムキムキの筋肉を曝しながら全身を激しく揺すってリズムを取る。
「これは……スマイルプリキュアのエンディングダンスッ!?」
「俺は今日という日の為に毎週プリキュアの視聴を欠かさなかった。その成果を今、存分に披露するッ!」
「披露すんなよッ! あのダンスは女の子が踊ってこそ映えるもんなんだ! 全裸のおっさんに踊られても嬉しくないっての!」
オヤジめ。毎週日曜日の朝、桐乃と一緒にテレビの前にいると思ったら、自分がプリキュアを見ていたのか。
ていうかスマイルプリキュアは先月でもう終わってるし。微妙にタイムリーからずれている。
「ちなみに俺は黄色が好きだ。あざとイエロー大いに結構だ」
「誰も聞いてねえよ、そんなこと!」
ちなみに俺はレイカちゃんが好きだ。雰囲気が瑠璃っぽいし。
「ジャンケンの勝率は5割4分3厘だ」
「何でそんな細かく計算してるんだよ!」
ちなみに俺は3割6分9厘。負けが込んでしまった。
「バッドエンドプリキュアの中で一番好きなのはバッドエンドビューティーだ」
「だから聞いてないっての!」
ちなみに俺はバッドエンドハッピーだ。自分さえ幸せならいい。他人の不幸が自分の幸せという性根の曲がりっぷりに昔の瑠璃を思わせるから。
「というわけで俺は一晩プリキュアダンスを踊り続けることにする」
「何がというわけなんだか意味不明だっての!」
オヤジは熱心に踊り狂っている。
これは俺の手には余る変態だ。
「おふくろっ!」
オヤジを唯一止められる最強の存在に呼びかけてみる。
「私はもう家事はしないと心に決めたのよ。生ゴミの処理もしかりよ」
おふくろはオヤジを生ゴミ扱いしながらソファーに寝転んだ。
「瑠璃ッ! 桐乃ッ! 女の子パワーであの変態全裸のおっさんをどうにかしてくれ」
おっさんの大敵、JC、JKパワーでオヤジの粉砕を願う。
しかし──
「行くわよ、桐乃ッ!」
「まっ。一生に一度のお祝い事だし……仕方ないか」
瑠璃たちはオヤジの隣に並び
「お義父さま。私たちも一緒に踊りますわ」
「お父さんとお義姉ちゃんが踊るんじゃアタシも踊らないわけにはいかないよね」
オヤジのダンスに合わせて踊りだしてしまった。
全裸中年を中心に、2人の美少女を従えて続く奇妙なダンスパーティー。
その異常極まる光景を見ながら俺は──
「ダメだこりゃぁああああああああああああああぁッ!」
今は亡き敬愛するコメディアンの名台詞を叫ぶしかなかった。
了
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