〜〜黒の御遣い〜〜 其ノ四 「新、甘寧と相対す」
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其の四 〜〜新、甘寧と相対す〜〜

 

<視点・・・・新>

 

 孫呉の城の前が、にぎわっていた。

 城門のまえに人々が群れをなし、さながら波のようだ。

 街に住んでいる全員が、ここにいるんじゃないかとさえ思えた。

 実際、それはあながち間違ってもいないだろう。

 

 集まった人々の全員が、上を見上げていた。

 城門の上。 そこに立つ人物を見ているのだ。

 

 両脇に数人の将軍が控え、その中央に四人が立っていた。

 雪蓮と、妹の孫権。 都督である冥琳。 そしてあと一人は、俺である。

 

 城門の上から見下ろす。 群衆たちの興奮は、収まりはしなかった。

 これから始まる、“黒の御遣い”の言葉を、今や遅しと待っているのだ。

 

「ほら、新。 ビシっと決めてよ」

 

 俺の背中をたたいて、雪蓮が笑った。

 

「わかってるよ。 ったく・・・・」

 

 並んでいた雪蓮たちより、少し前に出る。

 下を見ると、何万という人が全員こちらを向いていた。

 

 正直に言って、かなりのプレッシャーだった。

 俺は、こんなに大勢の人の前に立ったことなんかない。

 

 けど、やると決まったもんはしょうがない。

 俺は一度息を軽く吐いてから、大きく吸い込んだ。

 

「孫呉の民よ! 俺が、黒き天の御遣い、関新だ! この乱世に、孫呉に勝利ををもたらす為、天よりこの地にやってきた! 今、大陸には群雄が割拠している。 曹操がいる。 袁紹がいる。 袁術がいる。 董卓がいる。 そして、劉備と共にもう一人の天の御遣いがいる。 だが、この国が諸国に劣ることなどない! 俺を信じろ! 天を信じろ! この国を信じろ! そして己を信じ、ともに戦おう!」

 

 自分でも恥ずかしくなるセリフを言い終え、右手を高く掲げた。

 

 瞬間、地鳴りが起こったのではないかと思ったほどだ。

 下から、豪雨のような歓声が、俺の体にたたきつけられた。

 ビリビリと、体が震えた。 数万人の声の嵐が、国全体を揺らしているようだった。

 

 この国の大きさを、改めて知った様な気がした。

 そしてその巨大な国に今、黒の御遣いの名が、知れ渡ったのだ。

 

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――◆――

 

「ふぃ〜、疲れた・・・・」

 

お披露目も終わり、部屋に戻って椅子に座り込んだ。

明命の入れてくれたお茶を、一口すする。

俺のいた時代に比べればここには何もないが、お茶は美味しい。

 

「お疲れ様、新。 なかなかカッコよかったわよ」

 

「そりゃどーも」

 

 雪蓮が、ニコニコと笑っていた。

 こっちは今までで最大の緊張のせいで、のどがカラカラだってのに、いい気なもんだよ。

 

「うむ。 民への挨拶としては上出来じゃろう!」

 

 “バンバン!”

「ゲフッ! ちょ、痛てーよ、祭!」

 背中を強くたたかれて、危うく口に含んだお茶を吐くところだった。

 たたいた本人は、そんな俺などお構いなしに笑っている。

 

 この人は、黄蓋。 真名は祭という。

 呉の将軍の中でも古株で、雪蓮の母の代から仕えているらしい。

 いままで遠征で城を離れていたのだが、今日の朝戻ってきた。

 

 もちろん俺は初対面だったが、どうもこの人に気に入られたらしく、真名まで預けてもらった。

 どうやら、この人もどこか雪連と似た、おおざっぱなところがあるように思う。

 

「さて、民への公表も済んだことだ。 そろそろ、この城での新の扱いを正式に決めなけらばならんな」

 

 言ったのは、冥琳だった。

 

 さっき、俺が国民の前で言った言葉は、実は冥琳が考えてくれたものだ。

 俺が未来から来たということは、国民には伏せておこうというのも冥琳の案だった。

 未来がわかるとなれば、国民たちは俺に先の事を聞こうと頼るかもしれない。 

 そうなれば、今を懸命に生きようとはしなくなる。 それは、あってはならないことだ。

 俺はあくまで天の御遣いとして、国民の心の支えであればいいのだ。

 

 ・・・・ということらしい。

 

「あら、そんなのきめる必要ないじゃない。 新は天の御遣いなんだもの。 お客様として堂々としていればいいわ」

 

 雪蓮だ。

 ま、こいつならこういうだろうとは思ってたけど、当然冥琳が許すはずもない。

 

「そういうわけにもいかんだろう。 この城で暮らす以上、何か役に立ってもらわねば、兵士たちに示しがつかん」

 

「俺も冥琳の意見に賛成。 正直、仕事もしないで世話になってるだけじゃ腐っちまうよ」

 

「あら、新は真面目ねー」

 

「だれかさんと違ってな」

 

「ブー。 どういう意味よー」

 

 冥琳の皮肉に、雪蓮が頬をふくらまして反論した。

 ついこの前、仕事をさぼって酒を飲んでたのはどこの誰だよ。

 

「策どの、その辺にしておかれよ。 して、新よ。 おぬし、なにかできる仕事に心あたりはあるのか?」

 

 祭が、聞いてきた。

 

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「仕事ねー。 正直、何か書いたりとか、書類の整理とかは苦手だな。 そうだ。 兵士の訓練とかなら、できると思うぜ?」

 

「ふん、笑わせるな」

 

 俺の提案を一笑したのは、甘寧だった。

 壁にもたれたまま腕を組んで、横目に俺を睨んでいる。

 こいつ、今までひとこともしゃべらなかったくせに、第一声がこれかよ。

 

「戦場にでたこともない貴様が、どうやって兵士を訓練するというのだ?」

 

「戦場は知らないが、戦い方ならある程度知ってるぞ」

 

「ほぅ。 それは実戦で役に立つのか?」

 

 甘寧は、表情を変えることなく俺をにらんでいた。

 

 俺と甘寧とのやり取りを見ていても、みんな何も言わない。

 この場は、俺がどうにかしなきゃいけないってことなんだろう。

 

「少なくとも、俺はそこらの雑兵よりは腕が立つつもりだけどな」

 

「・・・・おもしろい。 ならば、その自慢の力を見せてもらおうではないか」

 

「なに?」

 

「私と立ち合え、関新!」

 

 甘寧は強い口調で、一歩前へ出た。

 

「ま、待て思春。 本気で言っているのか?」

 

 隣にいた孫権が、初めて口を開いた。

 

 俺の扱いについてはとやかく言う気はなかったんだろうが、さすがに甘寧の提案には驚いたようだ。

 

「新がどれだけのものか知らないが、お前と戦って勝てるわけがないだろう」

 

「止めないでください蓮華様。 こやつが我ら将軍の領分に踏み込む以上、その実力を確かめる必要があります」

 

「しかし・・・・」

 

「心配すんなって孫権。 ただの試合だ。 そう大事にはなりゃしない」

 

「べ、別にお前の心配などしていない!」

 

「あ、そう」

 

 孫権は眉を吊り上げたが、少し顔を赤くした。

 

 うーん・・・・ツンデレか。

 なんかこういうところも、幼馴染の杏にそっくりだ。

 

「で。 甘寧はそういうつもりらしいが、雪連?」

 

 俺は許可を求めるつもりで、雪連の方を見た。

 

「いいんじゃない。 やってみれば」

 

「姉さまっ! よろしいのですか?」

 

「いいじゃない。 そうしなきゃ思春が納得しないって言ってるんだもの。 それに、私も新がどれくらい強いのか興味あるわ」

 

「うむ。 わしもこやつの腕前を見てみたいのう」

 

「祭まで・・・・・。 もう、好きにしてください」

 

「だ、そうだ甘寧。 主の許可も出たことだし、今やるのか?」

 

「いや、万全の貴様でなければ意味がない。 明日の正午、中庭でやろう」

 

「そりゃ、ありがたいね。 んじゃ、お言葉に甘えて今日は休ませてもらうとするか。 いいか、雪連?」

 

「ええ、今日はご苦労様。 ゆっくり休みなさい」

 

「へいへい。 んじゃーな」

 

 背を向けながら手を振って、俺は部屋を出た。

 

 さて、明るいうちにたっぷり寝るとするか。

 ・・・・・今夜は、ちょっと遅くなりそうだしな。

 

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――◆――

<視点・・・語り>

 

翌日。

 

あっという間に、約束の時間になった。

 

中庭には、向かい合う新と甘寧。

そしてその戦いを見物しようと、雪連をはじめ、将軍や文官たちが勢ぞろいしていた。

皆、仕事はいいのだろうか? という思いが新にはないでもなかったが、この一戦を見てもらうことには、大切な意味があるとも思っていた。

 

「いよいよはじまるわねー」

 

 向かい合う二人を見ながら、雪連が言った。

 隣には、冥琳も腕を組んで立っている。

 

「本当に良かったのか、雪連? あの二人を戦わせて」

 

「大丈夫よ。 これから仲間としてやっていく以上、お互いの実力を知っておくのは大切でしょ?」

 

「ふむ。 私は武官ではないからよくわからんが、お前は新がどの程度の実力か、おおよそわかっているのだろう?」

 

「まーね。 さて、どれだけ頑張れるかしらねー」

 

「それは新がか? それとも、思春か?」

 

「さぁ? 見てればわかるわよ♪」

 

「ふむ。 それもそうか」

 

 お互い少し笑って、新と甘寧の方に向き直った。

 

「新さまーっ、思春どのーっ! 頑張ってください!」

 

「お二人とも、お怪我はなさいませんようにっ!」

 

「新―っ! どうせなら勝っちゃってよねー」

 

 雪蓮と冥琳の脇で、他の武将たちも思い思いに歓声を上げていた。

 

 その声を聴きながら、新と向い合う甘寧の表情は硬い。

 対照的に、新の顔には薄くだが笑みが浮かんでいた。

 

「さてと。 観客も温まってきてるし、ぼちぼち始めるか、甘寧」

 

「私はいつでも構わん。 準備ができたら、さっさと掛ってこい」

 

「へいへい。 そんじゃ、やるか」

 

 後ろ頭をかいて、新が言う。

 それを見ながら、やはり甘寧の表情は動かない。

 

 少し強く、風が吹いた。

 それを合図とばかりに、向かい合う二人が姿勢を正す。

 

 先に剣を抜いたのは、甘寧だった。

 剣の柄についた鈴が、リンと小さく鳴った。

 それを胸の高さに構え、目の前の新をまっすぐに見つめる。

 しかし、それを見ても新は動こうとはしなかった。

 

「どうした? 貴様も剣を抜け」

 

「いや、俺はこのままでいい」

 

「何・・・・?」

 

 甘寧の眉毛が、ピクリと動いた。 

 新は、鞘に納まったままの剣を抜こうとはしない。

 

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「貴様・・・・剣を抜かずに私に勝てると思っているのか?」

 

「さぁね。 やってみりゃわかるさ」

 

 甘寧の肩が、怒りで小さく震えるのが見えた。

 

「あ、新様・・・・・」

 

「あいつ、何を考えているんだ? わざわざ思春を怒らせて、どうなっても知らんぞ」

 

 見ていた誰もが、今にも甘寧の怒りが爆発するだろうと思っていた。

しかし甘寧はこらえるようにして、すこしずつ肩の震えを沈めた。

それでも、新を睨むその切れ目の鋭さは、明らかにさっきより鋭くなっていた。

 

「・・・・いいだろう。 ただし、死んでも後悔するなよ」

 

「おいおい、死ぬのは簡便だな」

 

 再び、風が吹いた。

 

 それと同時に、甘寧の小柄な体がその場から消えた。

 新との距離は、およそ10メートル。

 甘寧が間合いを詰めるのに、1秒とかからなかった。

 

「おっと、早いな」

 

 新の視界には、剣を振りかぶる甘寧の姿が映っていた。

 その一撃を防ごうと、新は鞘に収まったままの剣を前に構えた。

 しかしそこで、再び甘寧の姿が視界から消えた。

 

“ガギッ!!”

 

 その直後、後ろからの一撃。

 背後に回っていた甘寧のそれを、新は後ろを向かぬまま受け止めた。

 

「あっぶね〜」

 

「ほう、よく止めたな」

 

 言い終わると同時に、甘寧の蹴りが頭を狙った。

 それも、新はしゃがんでかわす。

 続けざまに、頭上から剣が振り下ろされた。

 これは、再び鞘でいなした。

 

「ちっ!」

 

 三連続の攻撃をすべて防がれ、甘寧の表情に初めて少しの苛立ちが見えた。

 

 一度後ろへ飛び、新と距離を取る。

 新は、それを追うことはしなかった。

 

「ふ〜。 さすがは甘寧将軍、鋭い攻撃だ」

 

「貴様こそ、さすがに自分で腕が立つというだけのことはあるらしい。 だが、受けているだけでは勝てんぞ」

 

「ま、そう慌てんなって。 こいつの出番は、もうちょい後さ」

 

 刀で肩を軽くたたきながら、新が言った。

 

「そうか。 ならば、嫌でもそれを抜かせてやろう」

 

 リンと、再び鈴が鳴った。

 音が聞こえたころには、すでに甘寧の姿はそこにはない。

 

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「ふぅ・・・・また後か」

 

「何っ!?」

 

 先ほどのように、新の背後を取った甘寧。

 しかし新は、その姿をしっかりととらえていた。

 

“ギイィン!”

 

 背後から来るはずだった甘寧の一撃。

 今度は、それを正面で受け止めた。

 

「芸がないな、甘寧」

 

「くっ・・・、まだまだ!」

 

 二度、三度と、甘寧が刀を振った。

 新は、それをかわし、いなす。

 

 空を切りながらも、甘寧の攻撃はやまなかった。

 おそらく、並の兵士では甘寧の手にあるはずの剣を見ることもできないだろう。

 それほど、素早い連撃だ。

 

「ちっ、ちょこまかと・・・・!」

 

「おっと、今のは危なかったな」

 

 会話を交わしている間も、甘寧は絶えず剣を振り、新はそれをかわす。

 かわしきれないと思った攻撃は、鞘で受け止める。

 時折、新の顔すれすれを剣が通ると、新の青い髪がはらりと落ちた。

 

「あ、新様・・・・」

 

「ちょっと新! 危ないよー!!」

 

 二人の攻防を見ていた面々が、騒ぎ始めていた。

 それも、無理はない。 

 見ている限りでは、いつ甘寧の剣が新をとらえてもおかしくはないのだ。

 

「姉さまっ、もうやめさせてください! このままでは本当にあの男が死んでしまいます!」

 

 しびれをきらした孫権が、雪蓮のもとへ駆け寄った。

 

「大丈夫よ。 その必要はないわ」

 

 雪連は、少し笑みを浮かべてそう言った。

 自分とは正反対の姉の態度に、孫権の声は一層荒げたものに変わる。

 

「何を言っているんです! せっかくの黒の御遣いが死んでしまってもいいんですか!?

 あのままでは、いつ思春の攻撃があたっても・・・・」

 

「さすがに思春だって、本当に当たりそうになったら剣を止めるでしょう。 それぐらい、あの子ならできるはずだわ」

 

「ですが・・・・・」

 

 孫権は、日ごろから甘寧に剣の稽古をつけてもらうことが多かった。

 だから、彼女の実力はよく知っている。

 

 確かに、当たる寸前で剣を止めることくらい甘寧ならわけないだろう。

しかし、今の彼女は新のペースに乗せられて少なからず苛立っている。

そんな状態では、もしものことが起こらないとも限らない。

そう、孫権には思えた。

 

もしそうなったとき、いくら相手が新であろうと甘寧は自分を責めるだろう。

自分は今、そんな甘寧の事を心配しているのか。

それとも、今にも彼女に切られそうな新の身を心配しているのか。

孫権は、自分でもよく分からなかった。

 

ただ、これ以上姉に試合の中止を申し立てたところで無駄だろう。

そう思って、おとなしくこの戦いを見守ることにした。

 

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「しかし雪蓮。 なぜ、新は剣を抜かんのだ? 思春の言う通り、このままよけているだけでは勝てんぞ」

 

「そこまでは知らないわ。 けど、何か考えがあるんでしょ」

 

 そう言って、雪蓮は戦っている二人の方に視線を戻した。

 冥琳も、それ以上は聞かなかった。

 

 雪蓮たちが話している間も、新と甘寧の攻防は続いていた。

 甘寧の攻撃をよけながら、新は少しずつ下がっている。

 気がつけば、すでに随分と中庭の端の方まで来ていた。

 

「おっと・・・・随分と追いつめられてるな。 おい甘寧、攻撃しっぱなしで疲れないのか?」

 

「黙れ! 貴様をしとめるまで、この手は休めん!」

 

 甘寧の剣が、新の目の前をかすめた。

 何度目になるか、新の前髪がハラリと舞った。

 

 落ちていく自分の髪を見ながら、新は小さく息をついた。

 

「仕方ない。 そろそろ攻撃に移るとするか」

 

「ほぅ。 この状況から、どうやって反撃するつもりだ?」

 

「こうやって・・・・だよ!」

 

 甘寧の剣をかわした瞬間、新は素早く甘寧の左に回った。

 

「バカめっ! その程度の速さで逃げられるものか!」

 

 すぐさま反応し、甘寧が動いた。

 左に回ろうとした新の行く手に、先回りしようとしたのだ。

 

 だが・・・・・

 

“ズルッ!!”

 

「っ!!?」

 

 甘寧の視界から、新の姿が消えた。

 というより、甘寧の視線が急激に下がったのだ。

 

 一瞬の間の後、甘寧は自分がしりもちをついていることに気付いた。

  

 落とし穴だ。 

足をとられ、腰から下が地中に落ちていた。

 

「なんだこれは!?」

 

“・・・・チャキ”

 

「っ・・・・!?」

 

 顔を上げた甘寧の前で、何かが光った。

 この戦いの中で初めて見る、新の剣の切っ先だった。

 

「勝負あり、だな」

 

「なん、だと・・・・・?」

 

 切っ先の向こう側で、新が笑みを浮かべていた。

 甘寧は、自分の状況が呑み込めないという様子で目を丸くしていたが、すぐに怒りに満ちたまなざしを新に向けた。

 

「ふ・・・・ふざけるなっ!! なんだこの穴は!?」

 

「もちろん、俺が掘ったのさ」

 

「なにっ!?」

 

「昨日の夜、部屋を抜け出してこっそりとな。 ひとりで掘るの結構大変だったんだぜ?

 ま、うまくはまってくれたんで、その甲斐はあったけどな」

 

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 まるで、いたずらが成功した子供のように、新は笑っている。

 それが、さらに甘寧の怒りをかきたてた。

 

「貴様・・・・卑怯だぞ!!」

 

「卑怯? 意味が分からねぇな」

 

「なんだと?」

 

「仮にここが戦場だとして、お前は今敵の策にまんまとはまって死んでるとこだ。

その敵に、お前は卑怯だって言うのか?」

 

「そんな理屈が・・・・・」

 

「お前が言ったんだろう? 俺の腕が本当に戦場で役に立つのか見せろって。 だったら、戦場と同じ条件でやるのが筋ってもんだ」

 

「く・・・・・っ!!」

 

 いまだに落とし穴から立ち上がろうともしないまま、甘寧は新をにらみつけていた。

 それを見ながら、新は突きつけていた剣を静かに鞘に納めた。

 

「認めんぞ! 私は負けてなど・・・・」

 

「そこまでよ、思春!」

 

「っ! 雪蓮さま・・・・・」

 

 二人の間に割って、雪蓮がやってきた。

 雪蓮は、落とし穴の中の甘寧と、新を交互に見た。

 そして甘寧の方で視線を止めると、やれやれという感じで首を振った。

 

「思春、残念だけど、今回はあなたの負けよ」

 

「そんな! 雪蓮さまは、こいつの下法を認めるとおっしゃるのですか!?」

 

「下法って、酷い言われようだな」

 

「認めるも認めないも、もとからこれは新の実戦の力をみるための試合だったはずよ。

なら、さっき言った新の理屈が正しいと私は思うわ」

 

「くぅ・・・・・・」

 

 甘寧の表情は、微塵も納得などしていない。

 しかし主にそう言われては、これ以上の言葉は呑み込むしかなかった。

 

 甘寧はうつむき、思いっきり地面を殴った。

 地につきたてられた拳が、小刻みに震えている。

 それが収まると、甘寧は顔を上げないまま立ち上がった。

 

「・・・・・失礼します」

 

 絞り出すようにそれだけ言うと、甘寧は足早に城の中へと走って行った。

 

「あ! 待て、思春!」

 

「よしなさい、蓮華」

 

「ねぇさま・・・・・」

 

 甘寧を追っていこうとした孫権を、雪蓮が止めた。

 

「今はそっとしておいてあげなさい。 あの子なりに、思うところもあるでしょう」

 

「・・・・・はい」

 

 少し考えた様子だったが、孫権はおとなしくうなずいた。

 すると今度はその目つきを鋭くして、雪連の隣に立つ新をにらみつけた。

 

「おいおい、そんな怖い顔するなよ」

 

「黙れ! 姉さまはああ言ったが、私もこの結果を認めてはいない。 もし正々堂々とやっていれば、あのままお前は負けていたはずだ!」

 

「じゃあ、俺にとっちゃ正々堂々やる意味はない」

 

「貴様・・・・仮にも剣を持つものとして、武人の誇りすらないのか!」

 

「誇りが何の足しになる? 死んじまったらそれまでだ」

 

「く・・・・っ!!」

 

“パンッ!!”

 

 中庭に、乾いた音が響いた。

孫権の張り手が、新の左ほおを打った。

 

「・・・・・痛いな」

 

「やはり、お前は天の御遣いなどではない! 私は、お前を絶対に認めないぞ!!」

 

 吐き捨てて、孫権は走り去った。

 その場にいた誰もが、少しの間言葉を失っていた。

 

「あらあら、派手にやられたわね」

 

 そんな沈黙の中で雪蓮だけは笑って、そう言った。

 

「うるせーよ。 ま、仕方ねーか」

 

 言いながら、新は孫権が去って行った方向を見た。

 

「純粋だねぇ・・・・・」

 

 張られた左頬に、手を当てる。

 まだ、ヒリヒリと痛みが残っていた。

 

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――◆――

 

<視点・・・・新>

 

――――日が、沈もうとしていた。

街の外の、そのまた果ての地平線に、赤い夕陽がゆっくりと呑み込まれていく。

 その様子を、俺は城壁の上から眺めていた。

 

 別に、何を考えているわけでもない。

 ただ城壁のふちにもたれかかって、その景色を眺めている。

 

 いや、訂正しよう。

 何も考えてないわけじゃない。

 

 けど、何を考えているのか、自分でもよくわからなかった。

 

「新、ここにいたのね」

 

「雪蓮・・・・」

 

 後ろから現れたのは、雪蓮だった。

 俺の顔を見るなりにっこりと笑って俺の隣に立つと、俺がしていたように夕陽を見つめた。

 褐色の肌が夕陽に赤く照らされるのが、とてもきれいだと思った。

 

「何してたの、こんなとこで?」

 

「別に。 ただ、夕陽がきれいだなーと思ってさ」

 

 心にも思っていない・・・・とは言わないが、ほとんど口から出まかせだった。

 それが分かったらしく、雪蓮も小さく笑っていた。

 

「何それ? 新らしくなーい」

 

「余計なお世話だ」

 

「ホントは、今日の試合のこと考えてたんでしょ?」

 

「・・・・・さぁな」

 

 雪蓮に聞かれて、そうなのか?と自分でも思った。

言われてみれば、そうかもしれない。

 なんとなくだが、頭の奥がモヤモヤする。

 

「頬、痛む?」

 

「いや、なんてことないさ」

 

 少しニヤニヤしながら、雪蓮が顔を除きこんできた。

 孫権に張られた左頬に、手をやる。

 もう痛みはなかったが、どうやらまだ赤くなっているらしかった。

 

「何でよけなかったの? 思春の攻撃をあれだけかわしておいて、張り手の一つもよけれなかったなんて、言わないわよね」

 

「別に。 あそこは素直にやられといた方が楽だと思っただけだ」

 

「そう。 蓮華が、ごめんなさいね」

 

「気にすんなよ。 孫権は、甘寧の事を思ってやったんだ。 立派なことだと思うぜ?」

 

「立派、ね・・・・・。 あの子は、まだ子供なのよ。 自分の感情でしか、物事を判断できないの」

 

「それだけ、心が純粋なんだろ?」

 

「・・・・・フフ♪」

 

「あ? 何笑ってんだよ?」

 

「新って、やっぱり優しいわね」

 

「はぁ? 今日甘寧を落とし穴にはめた男の、どこが優しいんだよ」

 

「だからよ。 あの落とし穴だって、思春の為にやったんでしょ?」

 

「・・・・意味わかんねー」

 

「気位の高いあの子のことだもの。 もし正々堂々とやって負けたら、あなたの事を嫌でも認めようとするでしょう。 心の中であなたを嫌っていても、実力があるんだから仕方ない・・・ってね。 それをさせないために、あなたはあんな方法で試合をうやむやなまま終わらせたんじゃない? 思春が自分を憎むことで、あの子が自分を押し殺さずに済むように」

 

「考えすぎだよ。 俺は、ただ楽に勝ちたかっただけだ」

 

「あらそう。 本当に楽に勝ちたいだけなら、剣を抜いてちゃんと戦った方が早かったと思うけど?」

 

「・・・・・・・」

 

 目を細めて、雪蓮は怪しむように俺を見てきた。

 まったく・・・この王様にはかなわないよ。

 

「たとえお前の言う通りだったとしても、それは別に甘寧のためじゃないよ。 力づくで信頼を勝ち取ろうなんて、思ってないだけさ。 甘寧や孫権から信頼されるのは、あいつらが自分の意思で、俺を認めてくれた時でいいんだ」

 

「そう。 大丈夫よ。 新が今の気持ちのままいてくれれば、いつか二人とも素直に認めてくれるはずだわ。 あなたには、それだけの力があるもの」

 

 今度は俺の手を取って、にっこりと笑った。

 夕陽に照らされたその笑顔があまりにきれいだったので、俺は思わず顔をそらした。

 

「お前のその自身は、どこから来るんだ?」

 

「ん? オトメのカン、かしらね♪」

 

「あ、そう・・・・」

 

 雪蓮にドキリとしたことを悟られないように、顔は伏せたままつぶやいた。

 

 悪くない、と思える時間だった。

 もうしばらくは、こうして雪蓮と二人で話すのもいいだろう。

 

 そう考えながら見た夕陽は、もう地平線の向こうへと消えようとしていた。

 

説明
四話目でございます。

あ〜、そろそろ「受け継ぐものたち」も更新しないと 汗
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