名家一番! 第十六席・前篇 |
立ち上る炊煙。店先から投げかけられる陽気な客引きの声。“いつも通り”の光景だ。
黄巾軍との戦いの翌日には多くの店が営業を再開しており、ここに暮らす人達の逞しさには、感心させられる。軍務も警邏に重点を置いている以外は、平時と同じ様に稼動しているそうだ。
街はすっかりの元の様相を取り戻したようにも見えたが、露店商の数とそこに群がる人の数が増えていたりと、戦の前と少し違うところもあった。
兵糧や武具など物資が大量に消費される戦は、大きな商機となる。そのため、戦の前後は他所からの商人が自然と多くなるらしいのだが、今回はそれだけが理由ではないらしい。
その理由とは、“天の御遣い”の一件であまり良い印象の無かった“噂”の利点であった。
“文醜軍、三倍の数の黄巾軍を見事打ち破る”
今回の戦での猪々子達の活躍が、多くの街で話題に上がっていると語ったのは、大陸中を渡り歩いたと豪語する商人だった。
民は庇護してもらう対価として、税を納める。決して安くはない納税の対価を提供してくれない国に人は寄り付かない。そうなれば、税収が減り国力が低下するだけでなく、賢人と呼ばれるような優秀な人材の確保も難しくなってしまう。
国力を高めるために、人を集めなければいけない。人を集めるには、多くの人に喧伝する必要がある。そこで用いられるのが“噂”というわけだ。
戦の前の綿密な準備や、相手の裏をつき、いかにして主導権を握ろうとする権謀術数よりも、分かり易く派手な勝利という結果こそが、噂となって各地に広がり人々の耳に入る。
これだけの人波を生み出した、今回の黄巾軍との攻防戦はまさに、民衆好みの“分かり易く派手な結果”だったらしい。
大通りでは旅芸人や珍しい南方の品を扱う露店などが、連日軒を連ねていたが、ある日を境にぱたりと姿を見せなくなる。
それは、猪々子達の華々しい活躍が、より大きな“風評”という名の風に吹き飛ばされてしまったからだった。
“曹操軍ニ万、黄巾党本隊二十万と首魁・張角を討ち取る”
曹操。乱世の奸雄として有名な、三国志を代表する英傑。
袁紹に文醜や顔良がいるのだから、当然この世界にもいるとは思っていたが、あまりにも鮮烈な登場に驚かされた……やはり、曹操も女の子になっているのだろうか?
黄巾の乱を終結に導いた曹操軍の噂は、瞬く間に大陸中に広がり、つい数日前まで、女達の井戸端会議の話のネタや、酒家での酔漢達の肴代わりになっていた猪々子達の英雄譚が、今では曹操軍の活躍に取って代わられ、とんと耳にしなくなった。流行の移り変わりの早さは、今も昔も変わらないらしい。
一時は時の人のような扱いだっただけに、人々の注目を曹操にかっ攫われて、猪々子が癇癪を起こすのではないかと心配したが、
「たったニ万で、二十万の大軍とぶつかるなんて、なんつー燃える展開なんだよっ! く〜っ! あたいもそんな戦やってみてぇ!」だ、そうだ。
俺の心配は杞憂に終わったが、猪々子の活躍を基にした京劇を作る企画が、お蔵入りしたことには肩を落としていたかも。
大通りのお祭り騒ぎが、すっかり落ち着いて数日が経ったある日、遠征先の袁紹から早馬が届く。乱が鎮圧された為、南皮へ帰還するので出迎えるようにとのお達しだった。
わざわざ、早馬なんて出してくるから何事かと思ったが、帰還の知らせと聞いて胸を撫で下ろす。が、予告された帰還日まであまり日がない事に気づき、家臣一同、慌てて準備にとりかかるハメになった。
○ ○ ○
「袁紹様達がお戻りになられた!」
見張り台に立っている兵士から声が上がると、群衆から歓声が湧き上がった。
家臣達は歓待の準備を期日までにどうにか整え、くたびれた様子で整列している。猪々子達が凱旋した時ほどではないが、町の住人の多くが出迎えにきてくれた。
遠征軍の姿が近づくにつれて、住民達からの歓声も徐々に大きくなってゆく。遠征兵達の目鼻がはっきと分かるくらいに近づいた時、それまで雨のように降りそそいでいた歓声が、ピタリと止んでしまう。その原因は、兵士たちの姿を見てすぐに分かった。
各地を転戦し続けた兵士達の鎧は、へこみや傷だらけで、浴びた泥や返り血は乾いて黒ずみ、鎧の光沢は失われていた。その鎧を纏う兵士達も濃い隈が浮き上がり、こけた頬からは、出立前の凛々しさを思い出すことはできない。
憔悴しきっている兵士達を前に、無邪気に歓待の声を上げていいのだろうか? という思いが、集まった観衆たちの脳裏によぎり、誰もが言葉を発する事を躊躇していた。
――そんな暗く淀んだ場の空気には全く似つかわしくない、明るく弾んだ声が唐突に上がる。
「とぅぉしぃぃぃーーー!!!」
声の主は、やはりというか何というか、袁紹軍の切り込み隊長だった。
「あ、文ちゃん、ただい――きゃあ!?」
列伍から斗詩の姿を見つけた瞬間、NFLのトッププレイヤーも裸足で逃げ出すようなタックル(本人は熱い抱擁を交わそうとしているのだろうが)で組みつくと、二人はもつれ合うように地面に倒れ込んだ。
「斗詩ぃー! 会いたかったよぉー!」
「ちょっと文ちゃん! やだ、どこ触って、んっ……」
「見送りのチュウができなかったから、出迎えは濃厚にしてみたよー」
「そんな気遣い、いらないわよー! や、そこダメ……」
健全な男子の精神衛生上、大変よろしくない攻防が始まり、周りの人間は皆、唖然としていた。
見てはいけないと思うんだが、目を逸らすことができない。だって男の子なんだもの。え? 猪々子さんそんなところに手をいれちゃうの? まくったスカートから、斗詩の白くて艷めかしいフトモモが――、
「はい、そこまで」
いいところで、袁紹が二人を引き剥がしてしまった。
「盛りのついた野良犬じゃあるまいし。そういう睦事は、もっと雰囲気を作ってからおやりなさい」
「ちぇっ! いいところだったのに……」
「ちっとも、よくないわよ、文ちゃんの馬鹿!」
顔を紅くし、乱れた服を正している斗詩の横で、渋々といった様子で猪々子が立ち上がる。
「ぷっ、く……」
堪えきれず、吹き出す声。街の雑踏では、まず耳に入ってこないような小さな声だが、静まり返ったこの場では、多くの人の耳に入ってしまっただろう。
「おい、お前。笑ったりしたら失礼だろ……」
「そう言うあんただって、ニヤケてるじゃない。っくくく――」
「ぶふっ! い、言うなっ! もう、我慢できん――」
「「――ぎゃはははっ!」」
三人のやり取りを観ていて、思わず吹き出した笑いをきっかけに、疲労困憊だった兵士、声を出すことを躊躇していた観衆にも笑顔が次々に広がっていく。
俺も一緒になって笑いながら、ようやく実感できた。
(あぁ、本当に帰ってきたんだな)
この三人が揃った時の無敵感といったらないね。
笑い過ぎか、三人のやり取りを久しぶりに拝めたことで、こみ上げるものがあったのか、それともその両方か。原因の分からない涙が目尻に浮かんだ時、形の良い眉尻をキリリと吊り上げた袁紹 と、二重の意味で疲れきった表情の斗詩がこっちに近づいてきた。
「いつまで、間抜け面で笑っていますの?
北郷さんあなた、わたくしが留守の間、読み書きの練習怠ってなかったでしょうね?」
久しぶりに顔を合わせたのに、ひどいことおっしゃる。けど、その罵りも今なら心地よく感じるよ。読み書きの練習、もちろん欠かさずにやってましたよ、先生。
ところで、他の兵士は汚れているのに、今から出立するような綺麗な姿なのは、どんなマジックを使ったんだ?
「文ちゃんがああなる前に、一刀さん止めて下さいよぉ……」
そりゃ、無理ってもんですよ。 欲望に身をゆだねきっている猪々子を俺ごときが、止めるなんて。『猪々子?斗詩 時間無制限・夜のシングルマッチ』この好カードを俺が観たかったという理由もあるけど。
「袁紹、斗詩。おかえり」
「戻りましたわ」
「一刀さん、ただいま」
袁紹は少し刺のある言葉を斗詩は満面の笑顔を、二人は見送った時と同じ様に返してくれた。
○ ○ ○
遠征軍の受け入れと損耗率の調査等に丸一日があてられ、翌日の昼過ぎから軍議が開かれた。広い城だとは思っていたが、まだこんなにもいたのかと、呆れる程の数の臣下が集まっており、あれだけ広かった本殿が、今日は狭く感じてしまう。
こういった会合で座る場所は、位の高いものが玉座の近くに座るという暗黙のルールはあったが、基本的には自由席である。だが、何か見えない壁で遮られているかのように、文官と武官が綺麗に別れて座っているのが、なんだか可笑しかった。
銅鑼が鳴り、袁紹が入殿すると皆が一斉に跪拝する。玉座に座った袁紹が軽く手を上げ臣下達が跪礼を崩して端座すると、袁紹の横に控えていた斗詩が、竹簡を読み上げ始めた。
まず、討伐に向かった遠征軍の経過について、報告が行われた。
遠征軍は南皮の城を出た後、予定通り都・洛陽に入るが、官軍の総大将である何進大将軍の傘下には入らず(袁紹の熱烈な要望で)、独自の判断で動ける許可を取り付ける。
無事、独立遊軍として認められ、各地に散っている黄巾軍の拠点を攻撃目標とし、転戦を行うこととなった。斗詩の采配もあり連戦連勝の袁紹軍だったが、首魁の張角の所在が知れず、反乱そのものを鎮めることができずにいたところに、曹操軍が黄巾党本隊と張角の討伐に成功した報が入る。
その時点で、反乱の鎮圧完了と判断し、独断で帰国する(袁紹主体の)意見が上がる。独立遊軍とはいえ、大本営になんの報告もなく無断で帰国することに対して反対する声も上がったが、補給の為の一時的な帰国という体裁をとるということで、反対派を納得させ帰国したらしい。
この無断帰国に対し、未だ洛陽からお咎めがないところを見るに、独立遊軍の特性上問題が無い判断だったと、何進大将軍を納得させることができたとも考えられるが、黄巾の乱の後始末と宮中に巣喰う宦官との政争で、それどころではないという意見が大半だった。
「――曹操軍が、本隊を討った報が入った後も引き続き、南皮及び周辺の領地での警邏を平時よりも、広範囲かつ念入りに行っていますが、捕縛者の中に黄巾党だった者が多く混じっているとのことです」
遠征軍の経過報告が終わり、現状の確認の為、斗詩が警邏を行った部隊から上がっている報告書を読み上げる。
「今後、残党による散発的な略奪行為等は起きるでしょうが、指導者の張角と本隊を失った今、黄巾党が今回のような大規模な反乱を起こすことは、まず不可能かと思われます。
――って、ちゃんと聞いてますか、麗羽さま?」
「ふわぁ……、ちゃんと聞いていますわよ。失礼ねぇ」
「あくびしながら言われても、説得力ないですよ」
読み上がる報告を聞くだけの作業に退屈し始めたところに、昼食をとった後の抗い難い睡魔が襲ってきたのか、眠そうに目をこする袁紹。
「遠征先での堅い寝台と違って、久方ぶりの柔らかな布団だと、ぐっすりと眠ることができたのが、まずかったですわね」
「え〜? 麗羽さま、遠征先の寝台でも気持よさそうに寝ていたじゃないですか」
「だまらっしゃい! 目は閉じていても心の眼は、しっかりと開いていましたわっ!」
「おもいっきりイビキかいてたけどなぁ……」
「何か、おっしゃって!?」
「いえ〜、なんでもありません」
なんで、斗詩が寝所にいる袁紹の様子を知っているのかは……触れないほうが良いんだろうな。
「たとえ大規模な反乱が再び起きたとしても、我が軍の精兵が蹴散らしてくれるんでしょう? 猪々子」
「もっちろん! 何回こようがあたい達が、地平線の彼方までぶっ飛ばしてやんよ」
「なら、この話はもういいでしょ。次いきましょ、次」
「え、でも……」
斗詩が、“今後の治安維持の具体案を……”と呟いていたが、袁紹の耳には届かなかったようだ。
軍議には似つかわしくない、ゆる〜い空気が流れ始めたのを感じ取って、議題を変えたわけではないだろうが、袁紹の強引な進行で場の空気が少し引き締まった……ような気がしないでもない。
「“ぶっ飛ばす”で思い出しましたけど」
「口汚いですよ、姫」
斗詩の言葉遣いを諌める声を無視して、袁紹は続ける。
「少ない手勢にも関わらず、見事な策で街を守ってくれた猪々子さんに、恩賞を与えないといけませんわね」
先程は快活だった猪々子の口の動きが、急に鈍くなる。
「あ〜……その事なんだけどさ、姫」
「あら? 珍しい反応ね。てっきり小躍りして喜ぶかと思ったのに」
「う〜ん、あたいがたてた手柄だったなら、小躍りでも腹踊りでも何でもやるけどね」
「は?」
猪々子のその言葉に静まり返っていた本殿が、ざわつき始める。自分が受けていた報告と、猪々子が今言ったことが噛み合っていないことに袁紹も混乱しているのか、その混乱を押さえつけるように人差し指でこめかみを揉んでいる。
「……ちょっと、待ってくださるかしら? 猪々子さんが考えた策で、街を襲った黄巾軍を撃退したと、私は報告を受けていたのですけれど、今のあなたの言い方ですと、違うように聞こえましたけど?」
「じゃあ、麗羽さまに逆に聞きますけど、あたいにそんな策を考えられると思います?」
猪々子のその問いに対して、数秒の間があり、
「……思えませんわね」
袁紹はすんなりと肯定する。他の者も同様に“確かに”と頷き合っていた。
ここで納得してもらわないと後で俺が困るのだが、こういう納得のされ方で良いのだろうかと、猪々子に憐憫の情を抱いてしまう。
「あなたが考えたのでなければ、一体誰が考えたというのよ?」
「出てきな、一刀」
“一刀”なる人物を探そうと、周囲を見まわす人間の衣擦れの音や、囁き声で本殿がにわかに騒がしくなる。列座している臣下達の間をすり抜け、玉座の前にいる猪々子の横に俺が立った時、ささやき声はどよめきに変わった。
四方八方から突き刺さってくる鋭い視線。そこから伝わってくる感情は、侮蔑や不快感といった仄暗いものばかりだったが、彼らがそういった感情を抱くのは至極まっとうだと思う。この場にいるほとんどの人間は、俺のことなど知らないだろうし、知っていたとしても小間使いが、己が仕える王の前に堂々と立つなど、長く仕えている臣下ほど我慢ならないはずだ。
だが俺は、胸を張って猪々子の横に立った。
「あ〜、猪々子さん?」
「なんスか?」
「あなたのつまらない冗談は、今まで散々聞いてきましたけど、今回のは、その中でも最低の出来ですわね」
臣下達から忍び笑いが起きる。
兵卒ですらない、ただの小間使いが軍部の頂点に立つ将軍に献策し、その策のお陰で勝利したなんて話、袁紹の言う通り出来の悪い冗談にしか聞こえないだろう。
「麗羽さまが信じられないって、気持ちなのはわかりますよ。あたいも一刀が目の前で献策し始めたときは、何か変なモンに取り憑かれたのかと思いましたし。
けど、一刀の策通りに戦っていなかったら、街を守れたかどうか、怪しかったんですから」
「では、なぜ私には“猪々子が考えた策”と伝わっているのかしら?」
「“あたいが考えた策”って言わないと、兵がついてこない可能性があったからッス。どれだけスゲェ策でも“小間使いの考えた策”って言われたら、不安になるでしょ?」
「……なるほどね。猪々子が言った通り、北郷さんが策を考えたのだとして、あなたはどうしたいの?」
「一刀が望む恩賞を与えてやってください」
本殿が大きくどよめく。
「……今度は、北郷さんにお聞きしますわ」
「はい」
「猪々子が言ったことに、間違いはないのかしら?」
「間違いはございませんが、先ほどの文将軍のお話を補足させて頂くとしたら、あくまで私は献策しただけで、その策を成功に導かれたのは、文将軍の武勇と麾下の兵士の方々の練度の高さです」
臣下達の心象をこれ以上悪くしたくないので、慣れない畏まった言葉遣いで“猪々子達のお陰”ということを強調しておく。
「ならば、あなたは何を望むの?」
待ちわびた瞬間の到来。喜びと緊張で、唾を飲んだ喉が鳴る。
「二つあるのですが、申し上げてもよろしいでしょうか?」
“なんと厚かましい”俺の厚顔さを非難する囁き声で、場がざわめく。
「良いでしょう。言ってご覧なさい」
俺の図々しい要望に対して、気を害する様子を微塵も見せることもなく、先を促してくれた袁紹に“ありがとうございます”と、礼をしてから望みを口にした。
「文将軍の元で、軍務、政務、及び付随する雑務を手伝わせて頂きたいです」
「……それは、我が軍に入隊したいと、捉えていいのかしら?」
「はい」
○ ○ ○
「んで? 一刀はどうするんだ?」
沈みかけてきた陽の光は家屋に遮られ、路地裏まで届かずにいたが、俺がどうしたいかを口にした時、すぐ隣にいる猪々子の表情を見ることはできる。
「俺は正式に袁紹軍に入って、猪々子と斗詩そして、袁紹を助けたい」
俺が何を言うのか、ある程度想像がついていたのか、猪々子に驚いた様子はほとんど見られなかった。
「……いいのか? 軍に入ったら、死体なんていくらでも見ることになるし、一刀お前自身が死体にされることだってありえる。なにより、お前に人を殺せるのか?」
地に伏した物言わぬ骸の姿。鼻の奥を痺れさす血の匂い。胃の辺りで渦巻く、どす黒く粘っこい不快感がよみがえる。
猪々子の言う通り、軍に入れば味方にしろ敵にしろ、死は必ずつきまとうだろう。
「人が死ぬのも誰かを殺すのも、覚悟ができているかは……正直に言うと、分からない」
今この場で“覚悟はできている”と言うのは簡単だが、何かそれは違う気がする。これは言葉ではなく、態度と結果で示さなければ意味が無いと思うからだ。
「けど、猪々子達が戦場で死んだ知らせを安全な場所で聞かされたら、後悔することは分かる」
大切な人が死んだことを聞かされ、泣いていた二人のあの姿が、やがて俺にも訪れると直感した瞬間、冷たく重たいものが身体に覆いかぶさったようで、震えが止まらなかった。
「猪々子達が死ぬその時、その場にいることができなかったら……そう考えると、怖くてたまらない。だから、俺も戦場に行きたいんだ」
俺の独白に対し、猪々子は深いため息を返した。
「……あのさぁ、あたい達が死ぬこと前提で話すの、やめてくんない? ツキが落ちるっての」
「あ、あぁ……すまん、そうだな」
けど、俺は知っている。三国志で袁紹・文醜・顔良がどんな最期を迎えるかを。登場人物達が女の子に変わっていたりと、俺の知っている三国志とかなり差異はあるが、同じ末路を辿る可能性は、決してゼロではないだろう。
この事を猪々子達に伝えるべきか? だが、確証があるわけでもないのに“お前は死ぬ”と宣告し、いらぬ心労を与える必要があるのだろうか。
「一刀は、待つだけは辛いって、言うけどさ」
打ち明けるべきか、俺の胸の内に閉まっておくべきか迷っている間に、猪々子が先に話し出してしまう。
「一刀のように待ってくれている人や、帰る場所があるから、あたい達は戦えるんだぜ?」
「あ……」
自分のことばかり考えていたが、戦場で命を張っている兵士達にも大切な人を守るため、生活のためなど、それぞれ戦う理由があるだろう。それを無視して、俺の動機だけを一方的に押し付けるのは、フェアじゃないよな。
「ま、戦場に出る時にでも、そういう考えもあるってのを、思い出してくれればいいさ」
「……え? じゃあ俺、袁紹軍に入ってもいいの?」
このまま反対されるかと思いきや、すんなりと出たお許しに面食らっている俺に対し “そりゃそうだろ”と、猪々子は笑う。
「あたいや他の奴が、横からあれこれ口を出しても、一刀がどうするかを決めるのは、一刀の意志だかんな。
だったらあたいは、一刀がやりたいことをできるように、できる範囲で手助けするだけだ」
猪々子、お前って……実はめちゃくちゃ良い奴だったのか! あまりの男前っぷりに、乙女のように胸をときめかせるが、
「それに、一刀があたいの下についたら、色々楽させてもらえそうだしな」
私のときめきを返してよ! と、言いたいところだけど――
「――入隊したい旨を袁紹に伝える時に、将軍の口添えがもらえるんなら、何だってやるさ」
「今の言葉、忘れんなよ」
ニヤリと、意味深な笑みを浮かべる猪々子を見て、安請け合いしたかもしれないと、ほんのちょっぴり怯みつつも、
「“男に二言はない”ってのが、世間の常識らしいぜ」
俺なりの見栄を目一杯、張ってみせる。
その答えに満足してくれたのか、立ち上がった猪々子の後に俺も続く。少しよろめきつつも自分の足で立ち上がり、服についた砂を払う。体力は依然萎えたままだが、四肢に気力が巡り始めているのを感じる。
「それじゃあ、戻りますか」
○ ○ ○
「……それは、我が軍に入隊したいと、捉えていいのかしら?」
もし、三人が三国志と同じ最期を迎えるというのならば、そんな結末変えてやる。それができるのは、結末を知っている俺だけだ。
袁紹からの問いかけに対して、あの日、路地裏で猪々子と交わした言葉を思い起こしながら答える。
「はい」
囁き声が先程より大きくなった。その声は袁紹にも聞こえているはずだが、気にも留めていないようで、猪々子の方に顔を向ける。
「北郷さんはこう言っていますけど、猪々子はどう思っているのかしら?」
「一刀が来てくれたら、楽が……じゃなくて! 色々と助かりますね。
ほら、斗詩の知力も32しかないし、あたい達を策で補佐できる奴がいれば、もっと袁紹軍は強くなると思うんで、あたいは賛成です」
「32じゃなくて、34よっ!」
能力を過小評価されたことに対し、斗詩が抗議する。というか、その能力値はどこ調べなんだ?
猪々子に噛み付く斗詩という珍しい画を尻目に、袁紹は問いかける。
「では、二つ目の望みは、一体何かしら?」
一つ目の望みを叶えるかどうかは触れず、二つ目の望みを聞いてきたが、不安は感じなかった。袁紹の瞳に映る好奇心の色を感じることができたからだ。
「一つ目の願いで“政に携わりたい”と申しましたが、私はこちらでの生活が短く、市井の人間がどのようにして日々の糧を得ているのかを知りません。
民衆がどのような事に喜び、憤りを感じ生きているのかを学ぶために、小さな家屋を頂き、彼らと同じ生活をしたいのです」
「それが、二つ目の願いだと?」
「はい」
袁紹は肘掛けに頬杖をつき、俺の望みを聞き入れるかどうかを黙考した。時折足を組み替えたり、自分の髪に触れたりはするが、一言も発しない。
どのくらい待っただろうか。袁紹の白く長い指に隠れた口元に微笑が浮かんだ……ように見えた。
「よろしい。望みの物をあたえましょう」
きた。
声が震えないよう一呼吸間を置き“ありがとうございます”そう礼を述べようとしたが、
「お待ちください、袁紹様!」
唐突に立ち上がった叫び声に、((先|せん))を取られてしまう。
「……何かしら?」
声の主は、列席している若い文官だった。
「この者に恩賞をお与えになるなどと、本気でお考えなのですか!?」
「あら、何か問題でも?」
自身の常識の範疇外からの言葉を言われ、文官はその双眸を大きく見開く。直後、怒りで肩を震わせ始めた。
「そやつは、小間使いですぞ! 聞けば、素性も知れないとの噂ではありませんか!
文将軍の言だけを鵜呑みにして、そのような輩に恩賞を与えるなど前代未聞ですっ!」
唾を飛ばしながら、まくし立てる文官の熱はヒートアップし続けているが、それ以上の怒気が俺のすぐ側から不意に立ち上り、ぎょっとする。
「あぁ? てめぇ、あたいを疑ってんのか?」
猪々子の怒気をまともに当てられた文官の怒りは瞬く間に萎れ、額から流れた冷たい汗は珠となって頬を伝う。かろうじて声を絞り出してはみるものの、顔色はみる間に悪くなっていく。
「い、いえ。そのようなつもりで申したわけでは……」
最後の方は消え入りそうで、聞き取ることができなかった。このまま猪々子に睨み続けられたら、気を失ってしまうのではと思えた時、袁紹が止めに入った。
「猪々子、そこまでにしておきなさい」
先程まで吹き上がっていた気炎が袁紹の言葉を受けて沈まると、文官はその場にへたりこんだ。
「そこの腰を抜かしている、あなた」
「は、はい!」
助け舟を出してもらったと安堵していたら、今度は王から叱責を受けるのかと、恐怖で裏返えった声で返事をする。
「この私に、出自によって与える恩賞を区別するような度量の狭い王になれ。そうおっしゃっているのかしら?」
「と、とんでもございません! 私は、決してそのようなつもりで発言したわけでは……」
青い顔で、額を床にこすりつけるように平伏するその様は、もはや気の毒に思えてくる。
「ならば、例えどのような出自の者だったとしても、功を上げたならばそれに見合った恩賞を与えるのが、王として当然でしょう?
そしてなにより、このわたくしの心は蒼天の空よりも広く、瑠璃色の大海原よりも深いのですから。おーっほっほっほ!」
「お、仰る通りでございます。流石は王の中の王であられる袁紹様。私ごときが王のご判断に口を出すような、差し出がましい真似をし、申し訳ございませんでした」
周りにいる臣下達からも拍手が起こり、自分が大いに持ち上げられていることにご満悦なのか、よりトーンが高くなった袁紹の高笑いが本殿に響く。
(器が大きいって所には同意できるんだけど、後半の自画自賛でだいぶ勿体ないことになってるよなぁ)
「話が逸れてしまったので、改めて問いますわ」
声をかけられ、慌てて返事をする。久しぶりに聞く袁紹の高笑いに、サイコジャックされていたようだ。
「北郷さん。あなたの望みを聞き入れ、土地を与え我が軍に迎えしましょう」
「ありがとうございます」
最敬礼し、礼を述べる。心臓の鼓動に合わせて、身体の芯から熱が広がっていくのを感じていた。
(ここからだ)
スタートラインに立つことができた喜びに浸っていると、玉座の近くに座っていた臣下の一人が立ち上がり、前に進み出てきた。そのゆったりとした所作から、男の余裕が見て取れる。
「さすがは、袁紹様」
知った顔だった。といっても、廊下ですれ違うときに挨拶した程度だが。一族代々、袁家に仕えてきた高官で、自身も文官の重鎮として出仕していると、侍従長から聞いたことがある。大変礼儀に厳しい人物らしく、見習い小間使いの俺は、部屋の掃除を一度も命じられることはなかったので、彼が喋っているところを見るのは、これが初めてだった。
「威風堂々たる王気に触れることができ、大変な感銘を受けました。
しかし、北郷殿を任官させる前にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
落ち着いた声の抑揚。人懐っこい笑顔をしているが、隠しきれていない眼光のするどさから、まだ何か起きることを予感せざるを得なかった。
あとがき。
「生きとったんかワレ」
そう言われても仕方がない程に前回から空いてしまいました。
ちょっと放っておいて、久しぶり書きだそうとしたら、何を書きた方んだっけ? となってしまい、また放り出してました。
そんな間にも、読者の方からコメントを頂いたことで、再びやる気を出すことができ、なんとかUPすることができました。
私が放置していた間も、『名家一番!』を読んでくれた方々、コメントをくれた方々、本当にありがとうございました!
こうやって、再開することができたのは、読者の皆様のお陰です! これからも、『名家一番!』をよろしくお願いします。
16話いかがだったでしょうか?
仕官するだけなのに時間かけすぎとも思えるんですけど、よく知らん奴が「手柄立てたんだから、雇ってよ」といきなり言っても、「何言ってんだこいつ、抉ったろか」ってなると思うんですよね。
そんなこんなで横槍入れてたら、こんなに長くなっちゃった☆
後編もよろしくお願いします。
ここまで読んで頂き、多謝^^
説明 | ||
一年ぶりに更新させていただきました。 攻め受けの表記の順番を調べている時の虚無感は異常。 |
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2298 | 1967 | 12 |
コメント | ||
>>デントウさん お待たせしました。登場人物の性格が、原作と乖離しないよう気を遣っているので、そう言ってもらえると大変嬉しいです!(濡れタオル) 更新待ってました!名家一番の麗羽様はほんと麗羽様らしくて好きです(デントウ) >>qiyukuさん 麗羽さまを久しぶりに書けて楽しかったです。更新が遅くなって申し訳ありません。これからもよろしくお願いします。(濡れタオル) 久しぶりの袁紹だー。いやーどこのサイトでも袁紹は失踪率が高いのなんの。ここも失踪かと思ってたが更新着て良かったー。これからもがんばってくださいねー(qiyuku) |
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