戦う理由、死ぬ理由
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「―――少しでいいわ。一人でアイツの足止めをして」

 

 アインツベルンを冠する幼きメイガスが従える巨兵を前にして、遠坂凛は、自らのサーヴァントに死ね、と告げた。

 その声に引かれるように、居並ぶ者の視線が凛に集中する。

 いや、もう一人の当事者であるアーチャーのみが静かに目を閉じている。

 その姿を視界の隅に捉えていたセイバーが苛立たしげに口を開いた。単独でバーサーカーを止められる訳がない、正気なのか、と。その言葉通り、アーチャーはバーサーカーを止められず、身を砕かれ塵へと還るであろう。―――しかし、

「わたしたちはその隙に逃げる。アーチャーには、わたしたちが逃げきるまでの時間を稼いでもらうわ」

 凛は冷徹に、感情を殺して、声を出した。

 セイバーは反論できない。この状況を作り出している一端を自分に見出して、人知れず臍を噛んだ。そう、そもそもこんな敵地の奥深くに潜入しなければならなくなったのも、士郎がイリヤに捕われたからであり、引いては、それを察知できなかった自分にこそ咎が認められる。だから、この窮地を脱する為に、本来は自分が戦うべきなのであろう。しかし、それには、魔力が絶対的に足りない。宝具を揮うことはおろか、バーサーカーと打ち合うことすらままならない。それと言うのも、何らかの障害によって、彼女のマスターである衛宮士郎から魔力が供給されず、行動する度に逆にソレが消費され、終にはこの現状を招いたからであるが、しかし、それは言い訳に過ぎない。そして、冷静に戦局を視るのであれば、そのような自分とアーチャー、それらのマスターが居残ろうとも、バーサーカーを退けるなど出来ないことは明白なのである。凛は誰よりも早く、そのことを認めた。だからこそ、言ったのである。自分のサーヴァントに向かって。死ね、と。

 

 

 いつのまにか、思案顔にて、バーサーカーを見据えていたアーチャーは、僅かに頷いて、

「賢明だ。凛たちが先に逃げてくれれば私も逃げられる。単独行動は弓兵の得意分野だからな」

 凛を庇うように、一歩、前に出た。

 敵との距離は十五米ほど。

 微動だにしない巨兵の上から、笑い声がクスクスと聞こえてくる。

「へえ、びっくり。そんな誰とも知らないサーヴァントでわたしのヘラクレスを止めるって言うんだ。なーんだ、あんがいかわいいトコあるのね、リン」

 それに答える声は終ぞなかった。代わりに、アーチャーがさらに前へと出る。

 相変わらずの徒手空拳。

 その後姿を眺めていた凛の顔が苦渋の色に染まる。握られた拳は白い。掛ける言葉などないのだろう。自分たちを逃がす為に盾になれとを命令したその口で、一体、何を言えばいいというのか。

 それでも、

「…………アーチャー、わたし」

 ぽつり、と告げられた言葉を、

「ところで、凛。一つ確認していいかな」

 一転して気楽な声が遮った。

「……いいわ、なに」

 アーチャーの声が場違いなほど平生通りであることに気づかないのか、凛は神妙な面持ちを続けている。

 それを打ち砕く声が、正面の敵を見据えられながら、

 

「ああ。時間を稼ぐのはいいが―――、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?」

 

 発せられた。

「アーチャー、アンタ――――――」

 凛はみるみる目を大きく開いて、余裕と強気な態度に溢れかえった、いつもの遠坂凛を取り戻していく。

 二房に纏められた髪を大きく振り乱して、腕を組む。

 そして、一言。

「――――ええ、遠慮はいらないわ。がつんと痛い目に合わせてやって、アーチャー」

「そうか。ならば、期待に応えるとしよう」

 アーチャーが前に出て、距離は十米ほどに詰まった。この程度の距離など、あの巨兵にとっては一凌ぎであろう。

「っ、バカにして……! いいわ、やりなさいバーサーカー! そんな生意気なヤツ、バラバラにして構わないんだからっ!」

 ヒステリックなイリヤの声。

 対した凛は、もう揺るがない。

「――――行くわ。外に出れば、それでわたしたちの勝ちになる」

 凛は士郎とセイバーの手を握って走り始める。

 無言でそれに付き従うセイバー。

 士郎も、背をアーチャーに任せたまま、玄関へと走り始める。

 その背中に。

「衛宮士郎」

 アーチャーの声が掛けられた。

 士郎が振り返ると、アーチャーは既に彼岸の存在で、その距離は果てしない。

 赫い背中。

 そのままの姿勢で、アーチャーは、何事かを士郎に告げる。

 バーサーカーが動き出す。

 しかし、アーチャーは無手のまま、一歩も引かず、迫り来るバーサーカーを見据え―――、

 さらに、何事かを士郎へと告げて、やっと、アーチャーは片手を挙げた。

 堅牢そうな短剣が、その手には握られている。

 赫い背中が沈む。

 バーサーカーの薙ぎ払いが、凄まじい轟音を立てて迫り来る。

 しぶとく発し続けられた告解が途絶えるのと同時に、衝突音がロビーに鳴り響いた。

 それを視界に捉えることなく。

 凛とセイバー、そして士郎は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの居城を突破し、その足下の霧深き森へと走り出した。

 

 

 見るからに無骨で重そうな斧剣を小枝か何かのように軽々と操るバーサーカー。一振りする度に剣圧で爆風が舞い上がる。

 しかも、―――圧倒的に迅い。

 その剣戟は、そして、バーサーカーの動きは、その外見から想像もできないほど、迅い。幾回りも小さいアーチャーの動きを明らかに凌駕している。何故、あれほどの巨体が、小兵を上回る速度を維持しうるのか。最早、理解の範疇を超えていると言う他ない。

 グン、と引き裂くような横薙ぎが一閃、アーチャーは双剣を重ねて、それに応じる。無言ながら顔を顰めて後退するアーチャーを、唐竹の位置から斧剣が追う。

 バーサーカーにおいて白眉なのは言うまでもなく、その腕力である。しかし、膂力をターゲットへと余すことなく打突させる瞬発力もそれに引けを取らない。他方、瞬発力をさらに先鋭とする技量こそ、バーサーカーの証である狂化の影響か、水準に留まるレベルであったけれど、膂力と瞬発力を最大限に活かすことが出来るのならば何の問題もない。

 ゆえに死角などなかった。

 桁外れの性能が高次元でバランス良く集約されているからこそ、イリヤは己がサーヴァントを最強と言うのであろう。

 竜巻じみた大円を描く斧剣。ゴウ―――と大気が鳴動し、申し分ない攻撃がアーチャーの首を刈り切らんとし、しかし、影すら残さぬアーチャーの回避行動の前に惜しくも空を切った。

 両者の距離が、また少し開く。

 バーサーカーが咆哮を上げ、その距離を詰めようと巨体を傾けた瞬間―――、

「―――アーチャー、あなたは何処の英霊なの? 死ぬ前に聞いてあげる」

 一つ上の階層から、イリヤの声が投げ下ろされた。

 心底驚いたという顔を作るアーチャー。

「自分の真名をわざわざ敵に教えるサーヴァントなどおるまい」

「っ、わたしはバーサーカーがヘラクレスであることを教えてあげたのにっ」

「そう、誰が頼んだわけでもなく、勝手に、な」

 底意地が悪そうに口を歪めるアーチャーに、

「もーおこった。泣いて床に額をこすりつけて謝ったって許さないんだから」

 真っ赤になって怒るイリヤ。

「無論、元より。こちらとてそれが変わることなどない。ゆえに、バーサーカーが打倒された後が、イリヤ、お前の終末だ」

 夫婦剣が消え失せたアーチャーの手には、過剰な装飾の一切が排された弓が握られている。

「わたしの名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。あなたがイリヤと呼ぶことなど、許さない」

 挑みかかるようなイリヤの視線。

「道理だな。失敬」

 螺旋の彫りをした剣、即ち、神の国の硬き稲妻(カラドボルグ)が、弓に番えられる。それこそがアーチャーの矢。

 バーサーカーが無言で射線上に立ちはだかる。そして、イリヤの声を待つかのように沈黙する。

 気紛れにも、アーチャーへの興味が湧いた先の自分を振り払って、バーサーカーに命令を下すイリヤ。

「殺して。バーサーカー」

 ウオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――。

 その大声に、壁に備え付けの、燭台を模した絢爛たる電燈の一つが、ぱきん、と音を立てて消滅した。

 弓がしなる。

 アーチャーは瞼を下ろし、形而下にて、ターゲットたるバーサーカーの像を結び、もう一つ、弓を引く自分の像を形作る。白い空間に巨兵と弓兵が相対している。弓兵は空間に帰し、弓と矢もそれに倣い、空間を伝わって、終には巨兵すらも取り込んでいく。そこに物理的な距離はなく、ただ、中るという因果と概念だけが残った。

 限りなく零に近い時間で八節を経て。

 弦が指に喰い込む。

 軋んだ音が耳を打つ。

 瞬間、指から弦が離れ、慣性の力で矢が押し出される。超疾の螺旋は最初から距離がなかったかのように、既にバーサーカーの直前にあり、ターゲットを射殺さんとしていた。

 それを今や遅しと待ち構えていたバーサーカーは、あらん限りの力を込めた斧剣で迎撃する。

 斧剣とカラドボルグ。二つの力が激突した瞬間、弾き落とされたカラドボルグから赤き火と青き雷と烈風が噴出し、そのまま天井を破壊する勢いで立ち昇った。

 イリヤは呆然とその光景を見守っていたが、やがて自分のところまで火と雷が届いていないことに気づくと、バーサーカーを注視した。此方まで来なかった火と雷。いつものように、バーサーカーが自分に降りかかる火の粉を消滅させたことを認識する。

 そんなイリヤを尻目に、再び大喝するバーサーカー。何事かと、イリヤが目を見開くと、アーチャーが打ち払われた筈のカラドボルグを弓に番えていた。

 第二射。

 引き離された矢は閃光のような勢いを以って、火と雷を貫き、バーサーカーに迫る。

 鉈を返すように斧剣が翻り、またもカラドボルグは獲物まで届かない。しかし、先に比べて何かが違うのか、叩かれたのは柄の上辺であり、完全に威力を殺されないままバーサーカーの足元まで辿り着いて、カラドボルグは爆砕した。

 第三射。

 イリヤがそれと気づいた時は、既に矢は放たれていた。爆炎に身を焦がしながら一直線にバーサーカーへと襲い掛かる死の螺旋。言うまでもなく、バーサーカーもそれを視認していた。しかも、二射目にて、なぜカラドボルグの腹を下ったところを叩いてしまったのか、その解答も得た。呆れるくらいに簡単なことだが、ただ、矢の速度が一射目を上回っていた、それだけのことに過ぎない。定石通りであるのならば、三射目はそれをも超えてくる。恐らく、アーチャーが有する最速を以って、放たれた一撃であろう。これさえ粉砕すれば、あの弓兵に成す術はなくなる。何故なら、彼の宝具は、世界にその全てを知られてしまうからだ。それは、アーチャーの戦術の全貌がバーサーカーに知られたことを意味する。仮令必殺の一撃であっても、その概念、即ち、原理と威力と方向性が知られてしまえば、効果は減退していく。然りとて、その一撃で相手を倒し、知っている者を消滅させればどうにかなるのかといえばそうでもなく、先に述べたように、結局は世界が知るところにある。大気が、草木が、川海が、それを伝える。やがて人の口に上り、人の手によって解明され、終には必殺の理力を失ってしまう。それゆえに、使用されたことのない、誰も知らない概念こそが必殺と言えるのだが、それでは存在する意味がない。この度し難い矛盾にこそ万物は内包されている。

 とまれ、バーサーカーは最速の三射目を撃破せんと斧剣を袈裟から振り下ろした。空気との摩擦で火が迸るほどの迅さ。

 撃墜された矢から、火と雷と烈風が吹き出す。

 アーチャー決死の三射目もバーサーカーの前に露と消え――――、

 真後ろに、

 第四射。

 驚嘆すべきはバーサーカーの反応である。三射目と四射目の接地面は零だった。要するに、最後の矢はノータイムでバーサーカーに突撃してきたわけである。それなのに、振り下ろした斧剣を肩の動きだけで返し、前のどれとも劣らぬ凄まじい迎撃を見せた。

 しかし、

「皆中」

 一拍迅く、剣風を掻い潜り、カラドボルグはバーサーカーの胸を刺し穿つ。

 波動の方向を前のみに絞って炸裂する赤き火と青き雷と烈風に心臓を喰い破られ、バーサーカーは思わず膝を折った。血が胸から噴出して辺りを濡らした。

「バーサーカー」

 イリヤの声は弱い。己の頼みとする巨兵が膝を折るところなど見たこともなければ、見ることもないと信じていた。あのセイバーすらも容易く退けた。況やアーチャーなど足元を這い蹲るだけが能だと信じて疑わなかった。なのに、目の前の現実はどうだ。最強を自負したバーサーカーは大地に跪き、アーチャーは無傷でそれを眺めている。屈辱だった。許せなかった。八つ裂きだけじゃ飽き足らない。原子にまで分解して塵に返してやる。そんな憎悪が小さい体に満ちた。

「もう一度だけ言うわ。殺して、バーサーカー」

 沈黙の巨兵にイリヤの声が注がれる。

 赫い弓兵が視線だけでそれに反応する。

 その視線の先で。

 凝固したかのように動かなかったバーサーカーが立ち上がった。左胸には大穴が開いてしまって、その奥に垣間見える心臓は回復し難いほどに破損しているが、ともかく、巨兵は立ち上がった。

 信じられないものを見た、とアーチャーの表情。それが、はた、と思い当たったと雄弁に語る。

 ヘラクレスの有する宝具が、あの無骨だけが取り得の斧剣である筈がない。しかし、それ以外に所持している様子もない。ということは――――、

「―――十二の試練(ゴッドハンド)か」

「そうよ。十二の試練―――ゴッドハンド。自身の肉体を鉄壁に変えることで、通常攻撃はもちろん、場合によっては宝具の攻撃でさえ無効化するし、さらには、自動的な蘇生、つまり、リレイズが十一回も発動するオマケ付き。今ので一回目のリレイズが発動したから、後十一回。唯一、効果が望めそうな宝具も使ってしまったようだし、自分の置かれた状況がどれだけ絶望的か、わかった? アーチャー」

 イリヤの表情は淡々としていて、誇ったり含んだりするような様子は一切ない。

 まずいな、と思った。ヘラクレスが持ちうる最強の宝具、射殺す百頭(ナインライブズ)を持ち出されるよりマシだったかもしれないが、どちらも反則的な性能を誇る概念武装である点においては変わらない。元からバーサーカーを葬れる可能性など低いものに過ぎなかったが、これでさらに低くなった。そう思考して、何故か、笑みが零れた。

 イリヤがすかさず反応する。自分が笑われたのだと勘違いして、顔を真っ赤にしている。怒って度を失ってしまわないようにしているつもりなのか、声は出さなかったが。

 

 

 アーチャーが上に立つ展開が続いていた。

 絶世の名剣(デュランダル)で首の骨を断ち切り、

 神をも潰す槌(ミョルニル)で肋骨と右肺を押し潰し、

 一刀の下に両断される時空(オートクレール)で内臓ごと腹部を切断した。

 神や英雄が所持する宝具を次々と展開され、イリヤは声をなくした。デュランダルはロランが、ミョルニルはトールが、オートクレールはオリヴィエがそれぞれ頼みとする宝具であり、それら三つを等しく扱える者など存在してはならない。異常。あの英霊は異常だった。赤い外套から立ち昇る底知れぬ気配に、イリヤは息を張った。己がサーヴァントの背中を見る。戦いの爪痕が至るところに散見できる。しかし、この状況下にあっても、イリヤの視線には全幅の信頼が込められていた。

 その視線を感じたのであろう、バーサーカーは心胆からの雄叫びを上げ、青白い槍の切っ先を下げて口から白い呼気を吐くアーチャーを睨みつけた。バーサーカーの中でカチリ、とスイッチが入った。斧剣がぼうと光り出す。目標はあの位置。それを叩き潰す武器は掌中にある。さあ、と声が聞こえる。意識が遠のく。正体をなくした自己は、何よりも眼前の敵を打倒することを優先した。

 一方のアーチャーも辛うじてバーサーカーの攻撃を躱しているものの、紙一重と言って良く、余裕など全くなかった。一撃でも喰らえば体力を根こそぎ削られるという時点で余裕などあろう筈もない。そのことを考慮外に押しやっても、戦局の天秤は序々に敵方へと傾いている。ヘラクレスなどという半神を相手にこれまで有利に戦運びをしていたのも、自分の唯一の武器である投影魔術によって、相手の知るところにない武器を投影し、揮ってきたからに他ならない。しかし、こう回数を重ねてしまえば、未知の武器を出す、そのことすらが既知のこととなり、武器そのものは意に介されなくなる。しかも、ソレを行う為の魔力もそろそろ底を尽きようとしていることで、状況はより深刻となってきた。

 擦り出した右足の下からジャリと音がした。突き破られた壁の、穿たれた床石の、叩き潰された宙吊電燈の残骸がそこかしこに転がっていた。数十分前の威容は欠片ほども見当たらず、破壊の限りを尽くされたロビーは、見るも無残な姿を晒していた。

 その上で、

 満身創痍ながら、些かも運動量の衰えない巨兵と、

 傷一つ負っていないながらも、中身の枯渇著しい弓兵が、

 一瞬、視線を交わした。

 お姫さまをマスターとしてしまった憐れなサーヴァント二人。話してみれば、ともすると馬が合ったかも知れなかった。

 益体もない。

 この場において、互いに望むことは相手の死、それのみ。

 先に動いたのは、アーチャーだった。後方へと一足、二足と跳ね退きて壁に着地すると限界まで両肢を折り曲げ、カタパルトから射出されたかのような大加速をつけて突撃した。

 勢いのまま、槍が虚空に掲げられ、投擲される。

 大神宣言(グングニル)と宣する声。

 切っ先が八叉に分かれる。

 脳天、眉間、喉笛、心臓、水月、右膝、左膝、睾丸。その八点へ。過程は書き換えられ必中の結果へと置き換わる。

 沈黙を続けるバーサーカー。

 八つの尖端が素通りするかのような容易さで各所を貫く。

 それでも微動だにしないバーサーカーの双眸は、アーチャーを捉えている。

 ―――――背筋にチリつくような怖気が走った。

 やられたと思った。半ば予期していたこととはいえ、グングニルを前にして、それをやってくるとは。いや、バーサーカーはどの神器を前にしても、同じ行動を取ったに違いない。避けたり弾いたするのではなく、待ち続けている。アーチャーが壁を蹴った加速で己が攻撃範囲に侵入することを。全ては、この一撃を放り込まんが為に。

 対したアーチャーも回避でもなく防禦でもなく攻撃を選んだ。その手には夫婦剣が握られている。

 両雄が邂逅する。

 死が顎を開く。

 永遠とも思える一瞬が過ぎて、バーサーカーは火山が爆発するように斧剣を解放し、アーチャーへと殺到させた。

 アーチャーは未だ減じない運動量を膂力に変えて、バーサーカーの斧剣を退けようとした。しかし、大地が罅割れるまで踏み込んだ一撃は、姿勢を正さずに抗える代物ではなく、夫婦剣ともどもに左鎖骨、肋骨、左腕、左肺を潰され、床石を跳ねた後に壁を突き破って、闇が支配する森へと弾き出された。

 

 

 未だに明けようとしない夜。

 夜露に濡れる草花の上で。

 血を垂れ流しながら、アーチャーは横たわっていた。

 バーサーカーを葬ること五度。その代償として死に至る傷を負った。立ち上がることもままならない。視界が霞む。咳とともに口から血が零れた。生き永らえはしたが、最早、巨兵に立ち向かうほどのものは何一つとして残っていなかった。

 死に直面するほどの決定的なことが起こったのに、何とも思わなかった。心の中は、枯れ果てたように空虚だった。

 唐突に、凛の顔が浮かんだ。

 アーチャー、と言ったきり黙りこむ。眼を伏せがちに申し訳なさそうな表情。凡そ、マスターがサーヴァントに向ける表情ではなかった。聖杯戦争とはサーヴァントが殺し合いをする為の場に過ぎない。サーヴァントは道具であり、武器だった。そして、どんな強敵であれ、いつかは戦わなければならない。早いか、遅いか。ただ、それだけのコト。それなのに、凛は申し訳なさそうな顔をした。色々と気に入らないマスターだった。―――少しでいいわ。一人でアイツの足止めをして、と言ったその瞬間も、それが最上の策であることを確信して尚、己のサーヴァントを盾にすることを嫌って、そんな自分を不甲斐なく思って、端正な顔を歪めたのだ。気に入らない。そこまでして、己が召喚したサーヴァントを見縊るのかと思った。何故、最初から――――ええ、遠慮はいらないわ。がつんと痛い目に合わせてやって、アーチャー、ぐらいのことが言えないのか。

 気に、入らない。

 しかし。

 自分が生き延びる為にサーヴァントを見捨てるくらい冷徹で、途中で思い返して戻ってきてしまいそうなくらいに熱血で、出来ることはやらない主義で、でも大抵のことをやってのけるくらいに天才で、努力の大切さを誰よりも理解して、それが報われないことも承知して、それでも報われてほしいと心底から願う。

 矛盾だらけの君。

 凛という名前がとても似合う、風のような少女のことを気に入っていた。

 凛は言った。――――ええ、遠慮はいらないわ。がつんと痛い目に合わせてやって、アーチャー、と。

 自分は答えた。――――そうか。ならば、期待に応えるとしよう、と。

 約束は、果たす為にある。

 右手を地面について起き上がる。感覚が麻痺しているのか痛みはなかった。左上半身は消滅していたが、動くことは出来る。十分だった。道を取って返し、城を目指す。木々の切れ間から空が見えた。星はない。そういう天気なのか、ここがそういう場所なのか。

 ただ、空にはぼやけた月だけがある。

 そんな朧月とともに甦る声。

 ――――いいか、お前は戦う者ではなく、生み出す者にすぎん。

 ――――余分な事など考えるな。お前に出来る事は一つだけだろう。ならば、その一つを極めてみろ。

 ――――忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。お前にとって戦う相手とは自身のイメージに他ならない。

 アーチャーはひどく穏やかな顔をして、月を眺めていた。

 そして、思った。がつんと痛い目に合わせてやれそうだ、凛。と。

 果たすべき約束。

 それだけしか残っていないというのも、また快いものである。

 

 

 アーチャーが戻っても、敵のマスター、サーヴァントともに何も言わなかった。

 壁穴から風が入り込んできて、そろそろと足下を撫でていく。

 無造作に歩み寄る。じゃりじゃりと音が鳴った。それすらも気持ち良かった。嬉しかった。楽しかった。

 バーサーカーが小さく唸る。ああ、そうか、と。彼の敵は変わらず自分なのか、と。今更のように思った。

 右手に力を込める。

 これが最後だ。

 ――――投影開始。

 

 体は剣で出来ている。

 血潮は鉄で、心は硝子。

 幾たびの戦場を越えて不敗。

 ただの一度も敗走はなく、

 ただ、一度きりの理解があった。

 彼の者は独りでなくなり、剣の丘で勝利を捧げる。

 故に、生涯に意味はあり、

 その体は、必ず剣で出来ていた。

 

 投影完了――――。

 右手に一振りの剣が握られていた。

 長いとも短いともつかない。

 玉鋼を鍛えたかのように綺麗な直刃は、ただひたすらに鋭い。

 きん―――と耳鳴りがする。

 剣を肩に引っ掛けて、

 突撃した。

 地面すれすれを這うように駆け抜ける。斧剣が雨霰と降り注ぐ。その度に体を右に左に傾け、寸でのところで躱していく。敵の懐へと飛び込んで、今度はこちらが一刀を見舞ってやるのだという思いがアーチャーを支えている。天上から落ちてくる死の瀑布。しかし、それすらも布石。上辺に注意を誘っておいて、下辺左右より差し迫る斧剣がバーサーカーの本命だった。しかし、その切っ先をせせら笑うかのように跳ね飛びて、アーチャーは敵の肩口に踊り出た。

 どちらも相手を斃すことしか考えていない。

 防禦なんて顛から頭にない。

 全ての回路は手の中の剣に込められている。

 最強を証明する為ではなく、約束を果たす為に。 

 剣を振るった。肩から股下へと突き進んだ剣がバーサーカーを真っ二つに断ち割ろうとしたその瞬間、斧剣があらぬ方向から飛んできて、アーチャーへと打ち据えられた。

 弾き飛ばされるまでもなく、アーチャーはそのまま塵となって消滅した。

 

 

 廃屋でのコトが終わり、凛は、独りで朝靄の中で佇んでいた。少しづつ明るくなってはきているけど、まだ深みがかった紺色が空を支配している。そんな空へと右手をかざす。刻まれた令呪が二つ。

 それへと視線を向ける。

「アーチャーのばか。足止めだけでいいっていったのに。見得張って倒すなんて言うから死んじゃうのよ」

 ――――悪かったな。それなりに勝つ自信はあったのだ、とでも言うだろうか。

「まったく。聖杯を手に入れられなくなっちゃったじゃないの」

 ――――元々、凛はソレを望んでおらぬだろうに。人を苛めるときだけはそんなお題目を唱えるのだな、君は、とでも言うだろうか。

「勝負事は勝ちに行くのが基本でしょ。しかも、わたしの十年はこの為にあったと言っても過言じゃないんだから、それだけでも勝たなきゃいけないの」

 ――――む。そう言われてしまうと、どうしようもないな。降参する、とでも言うだろうか。

「でも、ありがとね。アーチャーのお陰で、手を打つこともできたし、精一杯頑張ってアンタの仇を、きっと取ってあげるから」

 ――――うん。前にも言ったように、遠坂凛は最後まであっさりと自分の道を信じられる人間なのだから、思った通りに行け。それで事足りる、とでも言ってくれるだろうか。

 ぼやけてきた視界を拭って、凛は決意を新たにする。

 体を張って守っただけの価値があるとアーチャーに言わせる為にも、バーサーカーは倒してみせる。

 廃屋へと戻る凛の歩みに迷いはない。

 

 

 決戦の時は近い。 

 追い詰められた三人の反撃が始まる。立役者は既にこの時空になく、それを見守るは、昇りかけた太陽のみ。生い茂る木々の中、想いだけが白い靄にとともにある。

説明
『Fate/stay night』の二次創作。アインツベルンの城で繰り広げられるアーチャーvs.バーサーカー
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fate アーチャー バーサーカー 

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