すみません。こいつの兄です。67 |
いつまで競わないといけないんだろうか。
一学期が終わりに近づくころ、じわじわと進学クラス全体の空気が緊迫感を帯びてくる。受験というのは、椅子取り競争だ。あいつに勝とうと頑張る。あいつはもっと頑張る。頑張ったあいつに勝とうと、頑張る。あいつより自分がちょっと上に行きたくて頑張る。みんながそれをする。そして、もうこれ以上頑張れないところまで行った者から脱落していく。
知ってる。
ここでやめたら、全体としては日本全体が今度は国際競争とやらで競争力を失うとかニュースで言ってる。知ってる。たぶん日本は勝ってきて、アフリカとかは負けてきたんだろう。
いつまで競わないといけないんだろうか。
「なぁ、文系クラスも空気悪くなった?」
「どういうこと?」
昼休み、食堂で集まって弁当を食べながら橋本と東雲さんに聞いてみる。ハッピー橋本は『空気が悪くなった』という意味がつかみきれていない様子だ。
「つまりさ、なんか、休み時間も勉強してたり、教科書じゃない参考書を持って先生のところに質問に行ってたり…それだけじゃなくて…その、なんか緊張感みたいな嫌な空気さ」
「ああ…まぁ、それなりにな」
「んー。受験だもんねー」
質問の意味を明らかにすると、橋本がぼんやりとしたイエスを返す。隣の東雲さんもほんわりと肯定する。そうか。文系クラスもそうなのか。
「運動部やってた連中が試合とかの話じゃなくて、受験の話とかをしてるのがな…」
なるほど。斜め向かい側に座る上野の分析は正しい気がする。去年まで大会の話ばかりしていた部活の連中が受験の話をしているのが、具体的に一番大きな違いなのだろう。彼らは競争慣れしている。目標を定めて、練習して、相手を効率的に倒して、県大会ベスト十六とかを目指す。先輩の理不尽とプレッシャーを受け流す。受験が近づいているこの時期は、彼らが過ごしてきた競争と理不尽とプレッシャーがいっぱいの環境に近い。
そして、のほほんと文化部の幽霊部員を掛け持ちしながら、ぼんやりしてきた俺はそれに慣れてない。吸い慣れない空気に息苦しさを感じる。
「なんか、嫌だよなぁ。こういうの。たまんねーわ」
実は、俺としては『なんか嫌』よりも、もう少し胃が痛くなるような状態なのだけど、この食事の席の空気を悪くしないために努めて軽い調子で話題を閉じる。
「たまんねーわ」
「たまんねーわー」
「いやよねー」
橋本、上野、東雲さんが軽い調子で同調してくれる。臆病で小心者の俺の気持ちも軽くなる。こういうときに仲間はありがたい。飯をまずくしちゃってすまんな、と心の中で謝る。
午後の授業が終わり、教室を出る。
文系クラスはまだホームルーム中だった。素通りして、就職クラスに行く。後ろの入り口から教室の中をうかがう。入り口付近にいた、丸いポニーテールの女子生徒が俺の顔を見ると「市瀬さーん。彼氏迎えに来たよー」と叫ぶ。
「彼氏じゃねーよ」
「またまた、照れちゃって。毎日一緒に登下校してんじゃん。このこのっ」
ポニーテールが、ぷよった腕で俺のわき腹をつついてくる。明るいデブだ。デブって言うほどじゃないけど、俺の周りは痩せてる女子ばかりだから、久しぶりにプニった腕を見て気がする。
前の方から、壁沿いに背中を丸めて真奈美さんが歩いてくる。間違っても、クラスメイトやクラスメイトの持ち物に触れてしまわないように、慎重に慎重に歩いてくる。
「彼氏じゃないけど。市瀬さんをよろしくな」
真奈美さんを待っている間に、ぷにポニーテールによろしくお願いする。真奈美さんがクラスの女子に名前を覚えてもらって、声をかけてもらえるなんて、すごい進歩だ。ぷにポニテにはわからないだろうが…。
「うわぁ…いいなぁ、彼氏もち」
ぷにポニテが、いいもの見ちゃったって顔で俺を見上げる。こいつの誤解を解きたいが、無駄な気がする。彼氏ってことでいいかな。
「お兄さん、いつのまにお姉ちゃんと付き合い始めたんですか?」
よくなかった。
「そ、それは、こいつの誤解だから!」
言い訳と同時に振り返る。美沙ちゃんが垂れ気味の眉を必死に吊り上げて俺をにらんでいる。右手を確認する。刃物なし。左手を確認する。カバンだけ、刃物なし。よし。指差し確認完了。
安全確認の基本だ。忘れちゃいけない。
美沙ちゃんに嫉妬してもらうとか、この学校の男子の基準からしたら福音レベルのラッキーなのだが、現実は一歩間違うと本当に神の福音が必要になってしまうので、ゴッド・ブレス・ユーだ。
「えぇっ?二股?」
うおっ!?殺すぞ!ぷにポニテ!
目から殺人波動を発射して、ぷにポニテを睨む。
「あにしてるっすかー。行くっすよー」
ぷにポニテに殺人波動を放射真っ最中の俺。その右腕に妹がしがみついてくる。
「さ…三股!」
くそポニテ!声がでけぇよ!
「違うよ!こいつは俺の妹だ!」
「妹に手を出してんの!?」
「二宮…妹に手を出してるの?死にたいの?」
三島まで来ちゃった。
「なんだあいつ?」
「二宮だろ」
「修羅場?」
「修羅場だな。俺のゆかりんを…」
周りの男子たちが俺に殺意の波動を送ってくる。ゆかりんって誰だ?三島由香里のことか?だとしたら命知らずすぎる。
「くそぉ、美沙ちゃんを…」
あ、その気持ちは分かる。美沙ちゃんとか、マジ世界一の美少女で天使。天使長レベル。闇に堕ちると堕天使ルシファーだけど。
「…ま、真菜ちゃんの縦笛ほしい…」
ちょっと待て。今のどこのロリコン野郎だ。三年生になると野球部がクラスにいなくなるから、教室に金属バットが置いていないことを残念に思う。
「にーくんは、私の縦笛欲しいっすか?」
こっちにも金属バットだ。
「いらねーよ」
「ギターと交換でいいっすよ」
「お前、それ一見まじめそうなサラリーマンに言うんじゃないぞ。縦笛と交換にストラトキャスター買ってくれちゃう変態がいるぞ。たぶん」
真奈美さんが合流する。三島の後ろから、橋本と東雲さんがニヤニヤとこっちを観察している。俺の窮地がそんなに楽しいか。
あと、真菜。お前、腕放せ。わざとやっただろう?あとで踏み潰すことを心に誓う。
最近にしては珍しく、つるんでいるメンバーで駅に向かう。俺、橋本、東雲さん、上野、八代さん、妹、美沙ちゃん、それに真奈美さんの八人だ。
「どうする?まっすぐ帰る?」
誰からともなく、そんなことを言い出す。受験生だし、再来週には期末試験なのだ。まっすぐ帰って勉強するべきだろう。それでもなんとなく、最近は、帰るときに誰かが欠けていた。上野と橋本が、東雲さんと八代さんと二人っきりでイチャイチャ下校デートをエンジョイしていたりするのも理由だ。別にセンチメンタルな理由じゃない。恋は、ときに友情とトレードされる。
だからだれもが、ちょっとこの珍しくなった光景を続けたいと思っていた。
勉強と友情の折衷案は、ファミリーレストランでのお勉強会。フランチャイズのファミリーで、勉強する。
みんなでファミレスに入る。美沙ちゃんは相変わらず、期末テストの結果によっては、夏休みに補習の危機である。勉強が必要なのは、受験生だけではないのだ。
「お兄さん。いろいろ教えてくださいね!」
ぱぁっと、花のかんばせを咲かせて美沙ちゃんが俺の隣で古文の教科書とノートを出す。かわいすぎ。制服の襟元と、夏服になった胸の部分が気になる。今日もピンク色のDカップブラなのだろうか。先日の濡れブラウス透けブラ映像が脳内HDDから再生される。ひゅいいん。俺の脳は今日もいい調子だ。
「二宮は古文とかバカだぞ」
橋本が不要なことを言う。事実だから始末に負えない。不都合な真実だ。
「古文、私、教えてあげるよー。得意だからー」
東雲さんが美沙ちゃんの向かい側から、おっとりと言う。俺たちは、それなりに得意と不得意が分かれた組み合わせだ。自然と、東雲さんが美沙ちゃんに古文を教えて、上野が八代さんに数学を教えて、橋本が上野に英語を教えるという組み合わせになる。
俺は、独力で数学を頑張る。とにかく数学と英語が俺はマズいのだ。古文は捨てた。理系の受験にないからいいや。
「真奈美さんは、なにやるの?」
「…保健体育」
「ん?」
つい聞き返す。周囲にさっと気を配ると、橋本も上野も東雲さんも八代さんも妹も美沙ちゃんも、なにごと?って気配を出している。
「…佐々木先生が…きょ、去年、ちゃんと出来なかったから、いつか教えて…くれるって言ってて…よ、予習…な、なおとくん、お、教えてくれる?」
自分に注目が集まったのを感じ取った真奈美さんが、つっかえながら言う。そうだった。真奈美さんは、中学生のころから保健室登校で、そういう話をする友達も周囲にいなかったから、とある保健体育について佐々木先生が心配するのも分かる。
「そ、それは、佐々木先生が教えてくれるのを待ったほうがいいと思うよ」
うんうんうんうん。周囲の六人が、無言のまま一斉に首を縦に振る。
「…なおとくんも…一緒に教えてもらう?」
ぶんぶんぶんぶん。周囲の六人が、無言のまま一斉に首を横に振る。
「いや。それはちょっと…」
佐々木つばめちゃんから保健体育を教わるのは、勉強ではなくて、プレイの範疇に入る可能性がある。ふと、つばめちゃんがコミケ三日目に出していた本を思い出す。たぶん、図を使って説明するときは、ものすごく上手な図を描いてくれると思う。断面図とかすごいぞ。
「じゃあ…わ、私も、す、数学する…」
それがいい。
ようやく、落ち着く。テーブルがしばし静かになり、まじめに勉強がはかどる。ほかの客の話し声。店内のBGM。厨房の音。いろいろな雑音があるのに、部屋で一人で勉強するよりもはかどる。なぜだろう。
「お兄さん。飲み物もって来ましょうか?」
美沙ちゃんが斜め下から、覗き込むように尋ねてくる。
「ん。俺も行く、みんなのとってくるよ。何にする?」
注文を聞いて、ドリンクバーに美沙ちゃんと一緒に飲み物を取りに行く。美沙ちゃんがかわいくて愛おしい。こうやって、美沙ちゃんの隣にいられる俺は幸せ者だと再認識する。男子に妬まれるのも当然だ。
「ふふ…いつもこれなら、勉強も楽しいかも…」
美沙ちゃんが、コーヒーを注ぎながら言う。
「お兄さんが、当たり前みたいにして隣にいるのって、うれしいです」
「あ…うん…」
頬に血が上る。美沙ちゃんの隣にいられるのがうれしいと思っていたときに、美沙ちゃんも同じことを言うなんて反則だ。一瞬だけ、目を細めて微笑む美沙ちゃんと視線を交わして、すぐにそらす。逸らした視線の先に、前髪越しの真奈美さんの瞳が見える。
二股…。
ぷにポニテの言っていた、なにげない誤解の言葉が真実だったのではないかと、俺の心に影を落とす。
俺は、真奈美さんのことは女の子に思えていない。でも今、誰よりも見守っていたい。恐ろしい世間という荒波に、勇気だけを頼りに踏み出している真奈美さんを見守っていたい。真奈美さんは、異性じゃない。彼女にはなりえない。真奈美さんは真奈美さん。俺にとっては、真奈美さんの分類には意味がない。女子。女子高校生。そんなものに意味はなくて、真奈美さんは真奈美さん。
一方で、美沙ちゃんは天使だ。女の子の可愛さ百パーセントで、仕草の一つ一つ。ゆれる髪の先端まで、すべて恋と砂糖菓子の甘さで出来ている。男子高校生の望む幸せのカタマリ。理想以上の、夢に見るほどの可愛らしい女子高校生。彼女にしたい女の子選手権でぶっちぎりの優勝。女子力五十三万。そして、なにより美沙ちゃんだ。
二股なんて、かけてないはずだ。
俺は、美沙ちゃんに付き合えないよって言ったんだから。
実際、付き合えない。
なぜなら、真奈美さんを美沙ちゃんよりも見守っていたいと思うからだ。美沙ちゃんが、俺の中でナンバーワンじゃないところがひとつでもあるんだから。
俺は、美沙ちゃんとは付き合えない。
たとえ、隣にいるのが至上の喜びで、美沙ちゃんも隣にいることを同じときに喜んでいるとしても。
視線をテーブルに投げると、橋本と東雲さんがベタベタ甘々にじゃれていた。上野が両手を広げて、十本の指を立てている。
了解。把握。
橋本のコーラに十個のガムシロップを投入する。
ベタベタに甘いやつには、ベタベタに甘いコーラをくれてやろう。
(つづく)
説明 | ||
妄想劇場67話目。妄想垂れ流しで、ペース戻ったかな? 最初から読まれる場合は、こちらから↓ (第一話) http://www.tinami.com/view/402411 メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ) |
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コメント | ||
まっくすさん、優しい言葉ありがとうございます。むしろ、書かない方が辛いので、ばんばん汚染妄想垂れ流していきますね!(変な勢いついた)(びりおんみくろん (ALU)) 投稿ペース早くて嬉しいわぁ 無理だけはしないでね?(まっくす) |
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