俺妹 アイドルになったらどうしても言ってみたい一言 |
俺妹 アイドルになったらどうしても言ってみたい一言
「京介っ、次の仕事はどこだ?」
「歌舞伎町の男だらけのダンシング・オールナイト祭りの会場で空気も読めずにメルルショーへの出演だ」
「おうよっ!」
元気良く返事をしながら事務所の車の助手席に乗り込む。10月に入り段々と秋めいてきて、ビルの地下駐車場の中に立っているのもきつくなっていた。
「メルル1人のトークショーになるみたいだからそのままの格好で会場入りしてもらうぞ」
京介が運転席に座りながら次の仕事の指示をくれる。
「いちいち着替えるのも面倒だからな。このままの方が楽でいいさ」
あたしが白とピンクの原色派手派手の衣装のままシートベルトを締めるのを確認すると京介は車を動かし始めた。
「最近1か月以上全くオフがなくて悪いな」
秋葉原から新宿へと車を動かしながら京介があたしに謝る。
「別に構わねえって。あたしみたいな期間限定アイドルは必要とされている間が華さ」
あたしの仕事が忙しくなったのにはわけがある。
あたしの可愛さが世間に認められるようになったという点はもちろんある。
桐乃やあやせには遠く及ばないものの、最近はファッション関係の仕事もぼちぼちもらえるようになった。
でも、あたしが引っ張りだこになったのにはもっと別の理由があった。
それはメルルがやたらメジャー作品と化したことだった。
メルルが実写ドラマ化された。何を血迷っているのかと思うかもしれないが事実だった。しかも月9で。
エイプリルフールの冗談にしても笑えないような内容だが事実だ。
ドラマにおいてメルルは10歳のツインテール幼女から17歳の黒髪ストレートなJKに変更された。
内容はメルルとやはりJKなアル、そしてオリキャラの少年の三角関係を描く恋愛モノ。
一応変身はするものの、コスプレで少年の気を惹く程度の要素で敵と戦ったりしない。
どこに原作の要素が残っているんだと問いたくなるような改変ストーリー。だが、とにかく実写化した。
ドラマ放送は主演の人気アイドルグループの女が予想以上の熱演を披露してくれたこともあって好評を博した。
で、全国的に沸き起こったメルルブームに乗じて毎日のようにアニメイベントも開催されている。あたしもそのブームによって生じた仕事の恩恵をこうむっているわけだ。
「けどさ、仕事のせいで最近全然学校通えてないだろ」
「確かにここ1か月、学校に行った記憶はねえなあ」
とある底辺の高校に奇跡的に引っ掛かり入学して半年。1学期の間は仕事が週末に集中していたので割りかしちゃんと通えていた。
けれど、2学期に入ってから学校に行った記憶は1回か2回。
「……大丈夫なのか? 成績とか出席日数とか?」
「まっ。普通なら留年。悪けりゃ退学だろうなあ」
あっさりと答えて返す。
底辺とはいえ高校は高校。あたしの頭の出来だと、毎日フルに通ってようやく進級できるぐらいの授業の難しさを誇っている。
1か月に1日しか通った記憶がないような今の状態だと進級は絶望的だろう。教員室で頭を下げて回れば2年生ぐらいには上げてくれるかもしれねえが……卒業までは無理だ。
「京介はさ……あたしが高校中退じゃ嫌か?」
「嫌って言うかさ……あんなに苦労してやっと入学した高校なのに、そんなにすぐ辞める話を持ち出されるののは納得できねえんだ」
「…………京介がそう言うんなら進級できるように頑張るよ」
睡眠時間を削って勉強に充てようと心に誓う。あたしにとって京介の言葉の影響力は何より大きい。
「そういう京介こそちゃんと大学通えてんのか? あたしのマネージャー仕事で学校通う暇がないのは同じだろ」
京介が大学に通って何をしたという話を最近聞いたことがない。
「俺の場合は出席甘くてレポートさえ出せば何とかなるような講義ばっかり事前にサーチして選んだからな。まあ何とかなる」
京介はハンドルを握りながらちょっと自慢げに答えた。
「何かそれ汚ねえなあ」
「緩めの文科系大学生の特権と呼んでくれたまえ」
「あたしもそんな特権欲しいっての」
唇を尖らせて抗議する。
「俺の話は置いておいても、学校にも通えず休みもない日程組んじまって悪いな……」
京介が済まなそうな声を挙げる。
「確かに休みはねえさ。でもよ……」
車が赤信号で停止したタイミングを狙って京介の膝に右手をそっと乗せる。
「愛する京介とこうやって毎日一緒の時を過ごせるんだから……悪い生活じゃねえさ」
京介の顔に向けてあたしの顔を近づけていく。
「か、加奈子……っ」
京介も顔を真っ赤にしてあたしのキスを待っている。
「あたしたちは恋人同士なんだから、こうして毎日一緒にいられるのは幸せなんだよ」
京介の顔が近づいてくる。
後5cm、4cm、3cm。
1cmまで近づいた所で信号が変わって車が動き出してしまった。
運転の邪魔をするわけにはいかないので姿勢を元に戻す。ちょっと残念。
「ドライブは毎日できるけど、なかなかラブラブな雰囲気になれないのが残念だな」
「移動時間含めてギリギリのスケジュールで動いているからな。途中で寄り道ってわけにもいかないさ」
京介は右折しながら小さく息を吐き出した。
「あたしと京介はせっかく事務所公認のカップルだってのに、デートする時間も満足にねえからなあ」
「公認とは言っても、ファンが俺たちの関係を嗅ぎ付けて問題が発生したら事務所は俺らを庇う気はないぞ」
「京介との交際を認めたのはあたしにはっぱ掛けて働かせるためだからな。仕方ねえさ」
あたしと京介は相思相愛のカップルってやつで、事務所も一応は認めてくれている。
時系列を追ってその辺をちょっと説明すると、あたしは中学校の卒業式の日に京介に告白されて付き合うことになった。
『加奈子……俺はお前が好きだ。付き合って欲しい』
『はっ、はい』
スッゲェ嬉しかった。何せあたしから告白しようと思っていた所に京介からしてくれたのだから。
「加奈子がアイドルを辞めなかったおかげで輝いているお前の姿が間近で見られるしな」
「別にあたしはアイドルだろうがJKだろうがお嫁さんだろうが24時間輝いてるっての」
「まっ、そうだな。何たって俺の加奈子だもんな」
「……ファンがどうとかよく言うくせに、あたしへの独占欲丸出しじゃねえか」
「そりゃあ、俺だけの加奈子だから当然だ」
京介と付き合うことになってあたしは事務所を辞めようかとも思った。当時のあたしは仕事もパッとしなかった。そんな相談を当時のマネージャーにしたこともある。
でも、事務所側の見方は違っていた。メルルの実写ドラマ放送を目前に控えてあたしの仕事が急増することを見込んでいた。あたしにもう一山咲かせるつもりだったのだ。
そこで事務所は京介を引き込んであたしを引き止めに掛かった。大学生となりバイトを探していた京介と事務所の思惑は一致した。
交際を認めて京介を専属マネージャーにしてくれることであたしとの思惑も一致した。
そんなこんなで事務所公認(その事実は一般には非公開)であたしたちはカップルをしている。あたしに需要が、言い換えればメルル人気がある短い間だけの話だろうが。
「加奈子はさ。いつまで芸能活動続けるつもりなんだ? 本格的に女優になってオスカーでも狙うのか?」
京介はなかなかに面倒くさい質問をしてくれた。
「それを聞いてどうする?」
「お前が芸能界にずっといるつもりならさ……俺もこの業界で一生食っていけるように努力を重ねないといけないなって思ってさ」
京介はまっすぐ前を向いて運転しながら答えた。
「京介は普通にサラリーマンを目指してくれ」
「えっ?」
ハンドル操作を誤ったのか車が少し蛇行した。
「あたしの将来の野望は専業主婦だ。ぜってぇに成し遂げてみせっからな。覚悟しとけよ」
「そうなのか?」
「あたしの野望の実現は京介の稼ぎに掛かってる。堅実な道を歩んでくれればいいさ」
京介はバックミラー越しにあたしの表情をこっそり窺っている。
「もちろん期間限定色物アイドルとはいえ、あたしだってタダで消えるつもりはねえさ」
バックミラーを意識しながらVサインをしてみせる。
「アイドルになったらどうしても言ってみたい一言があっからな。その言葉をステージ上で言わない限り消えるつもりはねえよ」
「どうしても言ってみたい一言?」
京介が首を傾げながら減速する。どうやら目的地に到着したらしい。
「秘密だ」
偉そうにふんぞり返ってみせる。
「京介にだって言えねえ一言だな」
「教えてくれたっていいのになあ」
「まっ、後のお楽しみってやつだよ」
助手席から降りると肩を回して気合を入れる。
「今は来栖加奈子さまのステージに観客と一緒に酔いしれな」
あたしは京介にニヤッと不敵な笑みを見せたのだった。
「俺の彼女は男らしくてスゲェ子だなあ」
そう言いながら京介はあたしにそっとキスしてくれた。
今回のステージも頑張れそうだった。
「流行り廃りってヤツをひしひしと感じて仕方ねえな」
大きなため息が漏れ出る。
「今時代はマスケラだからなあ。まさかマスケラが実写映画化して大ヒットするとは思わなかったもんなあ」
「瑠璃はキャストに不満が随分あるみたいだけどな」
漆黒のイメージが違うとポスターを見ながら地団駄踏んでいた瑠璃を思い出して笑う。
「まあアイツにとってはアイドルにクイーン・オブ・ナイトメアを演じられるのも辛いの一言だろうよ」
「アイツのことだから心のどっかで自分に出演依頼が来ると思ってたんじゃねえのか?」
12月中旬。久しぶりのメルルショーを無事に終えたあたしは楽屋で京介と話し込んでいる。
「で、次のスケジュールは?」
「クリスマス・イヴのメルル感謝祭まで真っ白けだ」
「メルル以外は?」
京介はほとんどスケジュールが書き込まれていないスケジュール手帳をあたしに見せた。
「今メルルっぽい子っていうのはそれだけで時代遅れを意味するとか何とかほざいてたな」
「おいおい。モデルとしてもコツコツ実績上げてきたつもりだったんだけどなあ」
嘆きながら天井を見上げる。清々しいまでに干されてしまっている現状。2ヶ月前がもう嘘のようだった。
「メルルショーだって2か月前までは毎日複数の公演をこなしてきたってのに。今じゃあ寂しいもんだぜ」
あたしの口からため息が漏れ出る。至極簡単に言えばメルルブームは完璧に過ぎ去った。
メルルイベントを行い過ぎた反動で最近はオタ向けのイベントもほとんどない。今日のイベントは約2週間ぶりの仕事だった。
「暇になりまくったおかげで先月から毎日学校に通えるようになったし、非番の日には京介とデートもできるけどな」
そこで口を噤む。確かに京介のオフの日にデートできるようにはなった。けれど代わりにあたしに仕事がないために京介と毎日会うこともできなくなっていた。
「で、進級できそうなのか?」
「いきなり痛てぇ所を突くな、京介は。恋人に対する愛が足りねえぞ」
「マネージャーは保護者も兼ねてんだよ。で、どうなんだ?」
「…………ビミョー」
京介から大きなため息が漏れ出た。
ガッカリさせているのは確かだけど、微妙と言えたこと自体が大戦果だった。家では自分で言うのも何だが結構勉強しているおかげで留年確定の文字から逃れていられる。
「そういう京介こそどうなんだよ? あたしの仕事がない日は違うヤツを担当して忙しいんだろ? 成績ヤバいんじゃねえのか?」
「前期の単位は何とか全部ギリセーフだった。後期も何とかなるんじゃねえか? なんたって俺の下準備は万全だからな。備えあれば患いなしだ」
「授業を受けなくて済むための準備を整えるってなんかおかしいだろ。授業料の無駄じゃねえか」
京介の大きな態度が何か腹が立つ。
「それで京介は学校行かずにマネージャー業に励んであやせを見ながらデレデレしているってわけだな」
腹立たしさが収まらなくて憎まれ口を叩く。
「デレデレなんかしてねえっての」
「どうだか?」
京介から顔を逸らす。京介はあたしに仕事がない場合、他のモデルのマネージャーとして働いている。
そして他のモデルとは新垣あやせのことだった。あやせは自分から挙手して京介をマネージャーとしたらしい。
「……あやせのヤツ……まだ京介のことを諦めてねえよな。絶対に」
あやせは以前京介に完膚なきまでに振られた。今はあたしと京介が付き合っていることも知っている。にも関わらず、アイツはまだ京介を諦めていない。女の勘は間違いねえ。
いや、それどころかしばらく前に雑誌のインタビューで片想い中の男性がいると堂々と答えやがった。年が3つ上で友人のお兄さんってどう考えても京介のことじゃねえか。
「……これだから真性のヤンデレは始末に負えねえ」
京介に聞こえないように小さく舌打ちした。
「京介はあやせのマネージャーしている時、アイツとどんな話をしてるんだよ?」
敵情を探ってみることにする。
「何だ、急に? 嫉妬か?」
「そうだよ。彼女が彼氏の浮気の心配しちゃいけねえってのかよ?」
問題の危険性をまるで理解していない京介に対して怒鳴り返す。
「別に色っぽい話なんかしたことねえよ。事務的な話ばっかりだよ。俺には加奈子っていう恋人がいるんだし」
「世界一好みの顔をしている女を前にして本当に平常心を保ってられてんのかねえ?」
疑いの眼差しを京介に向ける。
高校が別々になってからあやせとはほとんど会っていない。仕事が重なることはほとんどないし、あたしもアイツも事務所のソファーに座って待機なんてしない。おまけに……。
「おいおい。そこまで疑うんなら、加奈子が電話でも何なりして直接確かめてくれ」
「電話で尻尾を出すようなぬるい女かよ、アイツが」
京介はあやせの恐ろしさをいまいち分かっていない。まあ、あんな美人に好意をもたれて悪い気がする男なんかいねえだろうが。
でも、女同士だから分かる。アイツは本当に危険な爆弾を抱えている。
「じゃあ、どうすれば信じてくれるんだ?」
「今度のクリスマス・イヴのメルルイベントが終わったら……京介の部屋に泊めてくれ。そうしたら、京介の言うことをみんな信じるから」
「えっ?」
京介が顔を赤くしながら固まった。
「あたしは全部京介のもんで、京介はあたしんだ。それを……証明したいんだ」
「加奈子……」
2人の間に沈黙が降り立つ。
あたしと京介はまだ男と女の関係にはなっていない。
別にあたしがヲタアイドルとして処女性を売りにしているとかそういうことじゃない。
でも多分、あたしは心のどこかで恐れている。1度京介と重ねたらあたしはきっと京介に溺れてしまう。そうなったら仕事も学校も手に付かなくなってしまうのだと。
そんなあたしの心を知っているのか、芸能人のイメージを重視したのか京介もあたしの身体を求めてはこなかった。
そんなこんなでキスまでの関係がもう9か月になろうとしていた。
「最近は見ての通り、芸能活動は干されて学校の方はぼちぼちやってる。生活スタイルは安定してきたからさ……その、ちょっと考え方が変わってきたんだ」
京介の顔を見上げる。
「それにさ、加奈子も恋する女の子じゃん。京介が大好きって気持ちは……あたしの全部で伝えたいじゃん」
我ながらスゲェ恥ずかしい言葉を発している。でも、撤回する気は全くなかった。
「分かった。お前がそれを望んでくれるなら、クリスマスの夜は俺と過ごしてくれ」
あたしの頬が熱を帯びていく。
「あたしは京介の彼女だぞ。彼女になった瞬間から覚悟なんて完了済みだっての。ただ、のめり込み過ぎないか怖かっただけで」
京介と目が合う。
「加奈子……」
京介があたしの名前を呼びながら肩を掴んだ。
「約束……忘れんなよ」
目を閉じて京介を受け入れる姿勢を整える。
目を閉じた中でも息遣いから京介の顔が近づいてくるのが分かって──
「今日はメルル役の来栖加奈子ちゃんの楽屋にファンのみなさんをこの新垣あやせがアポなしでご招待しちゃいたいと思います」
「「「おおおおぉっ!!」」」
あたしと京介の唇が重なるのとあやせがファンを楽屋に誘導してくるのは同時だった。
「あぁああああああぁっ!? 加奈子ちゃんとマネージャーさんがキスしてるぅううううぅっ!!」
「「「ぶひ〜〜〜〜んっ!?!?」」
あたしは完璧に油断していた。
考えてみれば、クリスマス前の最後の仕事となる今日、あやせが何も仕掛けてこないと思うこと自体がぬる過ぎた。
あやせだって京介とクリスマスを一緒に過ごしたいはず。となれば、あたしを追い落としにくるに決まっている。何故その可能性を失念していた……。
「お兄さん、加奈子っ! これはどういうことなのか説明していただけますか?」
あやせは目で怒りながら口元で笑っていた。この女、盗聴器かなんか仕掛けてタイミングを測って踏み込んできやがったな。
「メルルはビッチだったんだぁっ!」
「俺たち、純朴なファンを騙していたんだぁっ!」
ギャーギャー騒ぎ始めるファン、というか萌え豚どもマジウゼェ。
京介もどう対応して良いのか分からず、ただただ顔を引き攣らせている。
こうして落ち目系色物アイドルへと転落中だったあたしは、再び時の人となってしまうことになった。もちろん、とても悪い意味で。
「かなかなちゃん。大丈夫?」
「何を心配することがあるってんだ。満員の観客、大いに結構じゃねえか」
ステージの袖から見える会場は人で埋まり尽くしている。
2週間前のイベントでは人がまばらだったのと比べると大盛況だ。
「でもきっと、ここにいる半分以上の人はかなかなちゃんを冷やかし交じりに見に来た人たちなんだよ」
「そういう連中を魅了できてこそプロってもんだろうが」
不安で青ざめているブリジットにはっぱを掛ける。
「大丈夫。あたしたちはプロだ。全力全開でやればアイツらの心を振るわせられるさ」
「そ、そうだよね」
「アッタリめぇだ。何たってあたしは来栖加奈子さまで、オメェはその一番弟子のブリジット・エヴァンスなんだからな」
「うんっ!」
ブリジットは力強く頷いてみせた。
「……これからこういうイベント舞台は任せたからな」
「えっ? 今何て言ったの?」
「気合入れて行くぞって言ったんだよ」
「もちろんだよっ!」
右手を振り上げて気合を示すブリジット。
「じゃあ、出るぞ」
「はいっ!」
あたしとブリジットは満員の観客の前へと出ていく。
12月24日午後3時。来栖加奈子のアイドルとしてのラストステージの始まりだった。
あやせの行動が事務所とグルだったことはすぐに気付いた。
『嵌めたな、こんにゃろーっ!!』
京介からあたしを引き離したいあやせの思惑。それとあたしで最後の一稼ぎしたい事務所の思惑が一致したのだ。
2人の仲の発覚以来、京介はすぐに内勤を命じられてあたしから引き離された。
そしてあたしは謹慎を……命じられなかった。それどころかその翌日から事務所所属の他のモデルとの共同の仕事がやたら入った。
それが事務所があやせの行為に一枚噛んでいる決定的な証拠だった。事務所は悪いとはいえあたしが注目を集めていることを利用して同席している他のモデルの売り込みに走ったのだ。
もちろん、そんな使われ方で納得できるわけがない。でも、すぐに辞めるというわけにもいかなかった。
『今、加奈子が辞めちゃったらお兄さんは一体どうなるのかしらねえ? ただでさえ針のむしろにいるみたいな状況なのに』
『あやせが騒動の主犯のくせによく言いやがる』
『あら、わたしだって反省はしていますよ。しばらく仕事は自粛して内勤にしてもらってお茶汲みやお掃除をしてるもの』
『どこまで腹黒ければ気が済むんだよ、オメェはよ』
『お兄さんはわたしがフォローするから加奈子は自分の仕事に励んでいればいいのよ』
『畜生っ!』
京介の現状がよく分からない。あたしと京介は共に携帯を取り上げられてしまっている。即時的な連絡手段がなくなってしまった。
間接的な情報は桐乃やブリジット、師匠を通じて入ってくる。けれど、直接会うこともできなければ声を聴くこともできないのは辛い。
ただ、京介がまだ仕事を辞めていないのは確かだったのであたしだけ辞めるわけにはいかなかった。
そんな悶々とした日々を過ごしている3日前のことだった。
アマチュアカメラマン撮影会という名のオタどもの袋叩きを受けた後、高坂桐乃があたしの元へとやってきた。
『よっ。今を時めく超話題のスターさん。こんちゃ』
『嫌味か!』
『嫌味じゃなくてブラック・ジョークよ』
『ほとんど変わらねえぞ、それ』
桐乃は帽子を深くかぶり、中性的なズボンとコートルックだった。正体を隠している。最もヲタアイドルとは一線を画す桐乃が正体を隠す必要があるのかは謎だが。
『で、わざわざ仕事先までくるなんて、どんな了見だ?』
『まったく、馬鹿兄貴ったら人使いが荒いのよねえ。こっちは試験休みをエロゲー三昧で謳歌していたってのに』
桐乃は帽子を取ってあたしの顔を見つめ込んだ。
『兄貴から伝言。24日の夜は紹介したい人がいるからアタシに家にいろってさ。まったく、イヴの夜は黒いのや沙織と夜通しで秋葉イベント廻ろうって計画してたのにさ』
桐乃があたしに顔を近づける。
『という内容を加奈子に伝えろって言うのよ。ほんと、妹を何だと思ってるんだか』
桐乃は大きく息を吐き出した。
『そっか……京介はちゃんと、覚えててくれてるんだ』
桐乃の話を聞いてあたしの胸は温かさでいっぱいになった。
『で、加奈子から兄貴に何か言うことはないの?』
桐乃が面倒くさそうな表情を向ける。
『せっかく、片道1時間以上掛けてここまできてやったんだし、伝言ぐらい聞いてやってもいいんだけど』
面倒くさそうな表情を向けてはいるものの桐乃はあたしに気を使ってくれている。それがすごくよく分かった。
『じゃあ、一言だけ頼む』
『うん』
『妹に死ぬほど怒られる覚悟だけはしておけって』
桐乃は唇の端の形をわずかに曲げて笑ってみせた。
『分かった。ぶん殴るおまけをサービスでつけて伝えておくわよ』
『ああ、そうしてくれ』
2人で顔を見合わせて笑う。
『まったく、アタシも見に行くんだからクリスマス・イヴのステージは最高に盛り上げてよね。雑音なんかに負けんじゃないわよ』
『義姉の雄姿をその眼に焼き付けておけ』
桐乃はあたしに背を向けて歩き始めた。
『あ〜あ。アンタのメルルもこれで見納めかあ。アタシ、加奈子のメルルって大好きだったのになあ』
桐乃の口からため息が漏れ出た。
『悪いな……大事なもんだから。何を置いても譲渡できねえんだよ』
『それぐらい根性据えてもらわないとアタシとしても納得できないからいいんだけどね』
桐乃は人ごみの中へと紛れて消えた。
あたしがクリスマス・イヴのメルルイベントを最後にアイドルを引退する決意を固めた瞬間だった。
「闇の炎に抱かれて死になさい。メテオ・インパクトォオオオオオオォッ!」
あたしが杖を振り下ろすと同時に演出が光と音でサポートしてくれる。
ドーンという大きな音と共に会場内の照明が点滅する。
「うわぁああああぁ。やられたんだよぉおおおおおぉっ」
ブリジットが胸を押さえながら大げさに倒れる。この際、観客たちにパンツがギリギリ見えないように指導した甲斐のある見事な倒れ方だった。
「おお〜っとぉっ! メルルが悪に魂を売り飛ばしたと勝手に決めつけてアルちゃんを倒してしまったぞぉ〜〜っ! 正義の魔法少女にあるまじき外道ぶりぃ〜〜っ!」
会場内から大きな笑い声が巻き起こる。
イベント開始から約1時間が経過。最初はあたしを冷やかしに見に来た多くの観客たちも段々と大きな声援を送るようになっている。
それでも以前のイベントと比べるとどこか張り詰めた空気のようなものを感じる。あたしのスキャンダルのせいで心からは楽しめていないのが残念ながら見えてしまう。
イベントは残り30分。さて、どうしたものか?
「アルちゃんは倒されてしまい、メルルは一人になってしまったぁ〜っ! もうこれ以上寸劇を続けるのは無理なのかぁ?」
司会を務めるくららのメタ発言に会場から笑いが巻き起こる。
台本ではこの後1人になったあたしの歌謡コンサートが始まることになっている。まずあたしがソロで1曲。次に復活したブリジット(アル)とのデュエットが1曲。最後にくららや観客たちも一緒に歌う合唱(メルル主題歌)が1曲。
後はくららによるメルル新作に関する発表とあたしたちの挨拶で締めという段取りだ。
歌に備えて喉の状態をひそかに整えているその時だった。
「ちょっと待ったぁっ! メルルにこの地球は渡しませんよ!」
よく知った少女の声が響き渡った。
「お〜と、これは懐かしいちょっと待ったコールだぁ〜〜っ! 女児向けアニメなのに、80年代の流行が聞こえてきたぞぉ」
80年代を経験したことがありそうな大きなお友達から大きな笑い声が巻き起こる。
でも、あたしは笑っているなんて場合じゃなかった。
「かなかなちゃん。あんな台詞、台本にあったっけ?」
「ねえよ。あの声……そうか、アイツの仕業か」
黒幕は誰だかすぐに分かった。黒幕自ら乗り込んできたのだ。
「おお〜っとぉっ! ここで、まさかまさかのスーパーゲスト。タナトス・エロス・EXモードの参戦だぁ〜〜っ!」
漆黒の翼を生やした際どい衣装の新垣あやせがあたしたちの前へと姿を現した。
「あなたの野望もこれまでよ、メルル」
突然ステージ上に姿を現したあやせに会場のあちこちから感嘆の声が漏れ出る。そりゃあそうだろう。なんせスゲェ美人が背中丸出しの露出過多の際どい衣装で現れたのだから。
ティーンズ用ファッション雑誌なんか読まない奴が大半だからあやせのことはほとんど知らないだろう。
でも、そんな知名度の有無に関係なくあやせは場の空気を一瞬にして掌握しやがった。これが本物のファッションモデルの持つ輝きってやつかよ、チッ!
「タナトスさんは何故ここにいらっしゃったのですか?」
くららは全く動揺することなく会話を進めている。元からアドリブに強い彼女ではあるがこれは違う。シナリオ通りに進ませている際の喋り方だ。
どうやら脚本は2つ存在しているらしい。あたしやブリジットが持っているバージョンとくららやあやせが持っているのとで。
「はいっ。来栖加奈子、ではなくメルルに引導を渡すために東京の事務所、ではなく宇宙の何とか星雲からやってきました」
「肝心な部分が曖昧だぁ〜〜っ! タナトスさん、脚本はもっと注意深く読んできてくださいねぇ〜」
会場から大爆笑が巻き起こる。あやせを天然キャラとでも思っているのだろう。
けど、あのあやせに限って台本を読み間違うなんてあり得ない。たとえ慣れないバラエティー舞台で緊張しているにしてもだ。
あやせの台詞は台本そのものだ。そしてそれは同時に、事務所があたしの最後の舞台であやせを売り込むことを了承したことも示している。事務所は今日を最後にあたしが辞める気であることを勘づいていたわけだ。
「タナトスさんはメルルについてどう思いますか?」
「メルルって小さい女の子向けアニメですよね? なのにどうしてこの会場にはわたしより年上のお兄さんばっかり集まっているのでしょうか?」
「タナトスさん、それは言っちゃいけないお約束だぞぉ〜」
会場からまた大爆笑が巻き起こる。
「えっと、それじゃあタナトスさんはメルルを見たことはあるのかなあ?」
「ありますよ」
「どのくらい?」
「わたしの友達の女の子がメルルの大ファンでフィギュア、でしたっけ? お人形なら何十体もその子の部屋で見たことありますよ。どうして同じお人形を集めるのでしょうね?」
「タナトスさんのお友達の女の子熱烈応援ありがとう。そして彼女自身はアニメを見ていないことが遠まわしに告白されたぞぉ〜っ!」
会場からまた笑い。先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように軽くなっている。
「あっ、でも、ドラマの方は見てました。魔法少女とか謎の敵とか残虐シーンとかよく分からない設定がほとんどなくてとっても面白かったです」
「アニメ版全否定だぁ〜〜っ!! これが一般人の感性だぁ〜〜っ!!」
オタクたちは渋い顔しながら笑っている。
「それじゃあ、タナトスさんはタナトス・エロス・EXモードというキャラクターについては知っていますか?」
「知り合いのお兄さんがタナトスのコスプレをしてメルルのコスプレ大会に出たらと勧めてきたことがあったので多少は知ってます。その人の目がいやらしかったのはよく覚えてます」
「お知り合いの人、グッジョブぅ〜〜〜〜っ!」
こんな内輪ネタが披露されるなんて……台本にはあやせ自身が絡んでやがるな。
「それで、コスプレ大会には出場なされたんですか?」
「見せてもらったイラストの衣装がエッチ過ぎたので死ねっと言って鉄拳制裁をプレゼントしました♪」
「意外と武闘派だぁ〜〜っ!!」
会場からの大爆笑をあたしは素直に受け取れない。何よりあやせの鉄拳制裁を何度も何度も受けてきたこの身だから。
「それで、タナトスさんは今日、そのエッチ過ぎる衣装で登場となったわけですが」
「衣装に関しては事務所と2週間以上揉めました。最初提示された案では、すっごいハイレグ仕様になっていて、お腹も丸見えになっていて胸も飾り程度にしか布がなくて」
「私はそっちの衣装が見てみたかったぁ〜〜〜〜っ!」
キモオタたちが大興奮してヒートアップする。
「その大胆な衣装をメルルに着せようという話もあったのですが、胸に引っ掛かる部分がないからズレ落ちちゃうだろうって却下になりました」
「胸囲の格差社会発言だぁ〜〜っ!」
どっと笑いが巻き起こる。
……なるほど。あやせは天然系毒女キャラにしていればバラエティー系の舞台でも十分にいけるわけか。
ブリジットの顔を横目に見る。
「かなかなちゃん?」
「……真面目同士でいいコンビになるかもな」
「へっ?」
目線をくららへと向け直す。さて、話の振り方から次は……。
「さあ、タナトスにペッタンコと断言されてしまったメルル。一体どう答えるか〜!?」
ほらっ。振ってきた。
さあ、あたしの本当のラストステージの始まりだ。
「メルルってばぁペッタンコだから需要あるんだしぃ〜出るとこ出てないあたしの方がみんないいんじゃないのぉ?」
あやせの方を向きながら唇に人差し指を付けながら可愛く答えてみせる。
「メルルは大きなお友達の味方だぁ〜〜っ!!」
会場から大きな声が沸き起こった。
あたしのセリフに対する今日一番の反応。
ヨッシャ。調子出てきたじゃねぇか。
「メルルはペッタンコであることを誇っていますが、それについてタナトスさんはどうお考えですか?」
「えっ? えっ? ええっ?」
あやせは動揺してまともに返答することができない。多分あたしがムキになって否定するシナリオになっていたのだろう。
アドリブに対応できないとはやはりまだ足りない。けど……。
「まあ、あたしってばぁ超可愛くて超ロリ体型だからぁ。タナトスみたいに露出に頼らないといけない年増とは違うしぃ〜♪」
「タナトスを年増扱いしたぁ〜〜っ!!」
ワァーっという大歓声が上がる。そうだよ。この歓声だよ。
あたしが求めていたのはこの歓声だ。
「タナトスさん。メルルに年増扱いされてしまいましたがどうですか?」
くららが話をあやせに振り直す。
「わっ、わたしが年増なんてことは絶対にありませんっ! だって、加奈子の方が誕生日前なんですからBBAなのは加奈子の方なんですっ!」
あやせはとても必死になりながら言葉を吐き出した。
「メタでBBA発言いただきましたぁ〜っ!!」
大爆笑の渦に包まれる会場。観客たちもあやせの発言がアドリブの素によるものだとは気付かないだろう。
これで確信した。あやせは台本を周到に準備した上で司会者がくららのようなプロならメルル舞台を十分に盛り上げられる。
「かなかなちゃん。何だか楽しそう」
ブリジットが不思議そうな表情であたしを見ている。
「そりゃあ楽しいから楽しそうな表情を浮かべてんだよ」
今後の筋道は立った。それならいい。そういうことだ。
「BBA疑惑を掛けられてしまったメルル。さあ一体どう答えるかぁ!?」
大きく息を吸い込む。BBA疑惑か。なるほど。
アレを進めるためには丁度いい。利用させてもらうぜ、あやせ。
「クスッ。若さだけが取り柄の小娘が生意気言ってるんじゃねえぞ。ってか♪」
「BBAを否定せずに切り替えしたぁ〜〜っ!! イッツ、熟女のヨユウ〜っ!」
大きな笑いが沸き起こる。
このタイミングを逃さずに一気に畳み掛ける。
「それじゃあ、生意気だけは一人前の小娘の実力拝見といきますか」
あやせに向かってニヤッと悪趣味に笑いかける。体がビクッと震えていた。予想外の方向に話が進んでしまっていて当惑している。
収録じゃねえんだから臨機応変が重要だってのに。まっ、その辺の重要さはBBAさまが手本を見せてやるさ。
「BBAメルルさん。勝負とは一体どうするんですか?」
「モ・チ・ロ・ン」
ステッキをあやせに向かって突きつける。
「魔法少女らしく歌で勝負だぁ」
大声で宣言する。ラストの花道を飾るべく。
「魔法少女全然関係ないぞぉ〜〜っ!!」
くららが笑いをとってくれている間にスタッフに目配せする。スタッフの1人が頷くと他のスタッフに指示を出し始めた。
「ええぇっ!? わたし、歌なんて……ドラマ版メルルの主題歌ぐらいしか……」
くららと目配せする。くららは即座にあたしの意図を理解して頷いた。続けてスタッフを横目に見る。曲目に対する確認を指で示してきた。あたしは小さく頷いた。
「じゃあ、先攻はあたしから行くぞ。『変態王子と笑わない猫。』のオープニングテーマ 田村ゆかりさんの『Fantastic future』で」
「他の番組の歌はまずいぃいいいいいいいいいぃっ! メルルなら声そっくりで上手そうだけどぉっ!!」
「じゃあ、テレビアニメ版のメルル主題歌……行っくよぉ〜〜♪」
白色照明が一斉に落ちて代わりに三色のライトが光を回転させながらあたしを照らす。
「星くずういっちメルル…はっじまるよぉ〜」
掛け声と共にステッキを振り下ろす。
「メ〜ルメルメルメルメルメルメ」
歌の始まりと共に体が自然と動き出す。
当たり前だ。この曲はあたしがヲタアイドルの道を歩み始めた始まりの曲。あたしが16年の人生で最も多く歌って踊ってきた曲なのだから。
「宇宙に煌く〜流れ星ぃ マジカルジェットで〜敵を撃つ」
あたしの始まりの曲。
あたしの芸能活動と共にずっとあり続けた歌。
最後の最後の舞台でこれを歌えることは本当に幸せなことなんだと思う。
「あなたの胸に〜飛び込んで行くの〜」
事務所に所属してからこの2年間の出来事がスゲェ胸の中で込み上げてくる。胸と喉が熱くなってくる。
あたしは自分が思っているよりもセンチメンタリストだったらしい。
「隕石よりも〜キラ☆☆」
最初はキモオタ相手のビジネスとしか思わなかったポーズも今はスッゲェ懐かしい。そして楽しい。
「巨大なパワーでぇ〜」
視界の片隅に左手の中指と薬指を折りながらポーズを取っている桐乃が見えた。
そういや、コイツがメルルの大ファンだったから、京介はメルルに免疫があってあたしの臨時マネージャーを引き受けてくれたらしい。
つまりなんだ。メルルはあたしと京介の縁結びのキューピットでもあったわけだ。
ああ、そっか。あたしが全力全開で打ち込んできたことは……ちゃんと身を結んでいたってことだ。そっか。そっかそっか。
******
「みんなぁ〜ありがとうっ!!」
歌が終わって観客たちに向かって手を振る。
ウワァ〜っていう地響きのような大歓声が巻き起こった。その声を聞きながらあたしは自分の仕事をやり遂げたことを実感した。
なら後は、エピローグだけだ。
「さて、ここでみんなに聞いて欲しいことがあります」
観客の歓声が止んだのを待って話しかける。
「あたしは長い間みんなにいっぱいいっぱい応援してもらいました」
観客たちの顔を見回しながら喋る。何度も何十度もメルルの公演をやっていると、客の顔ぶれにも見覚えのあるのがたくさんいる。
「あたしの芸能活動はメルルと共にありました」
桐乃の顔を見る。あたしは桐乃を喜ばせるために嵌められてメルルになった。それが、あたしのアイドルの原点。あたしは最初からファンに立たせてもらっていた。
「今ではメルルにとっても頼もしい後輩もできました。アルちゃんもタナトスちゃんはとってもいい子です。今後ともみなさんの応援をよろしくお願いしますね♪」
ブリジットとあやせを見る。
2人とも真面目すぎて応用力にちょっと欠ける。が、司会やスタッフの協力があれば今以上に良いメルルステージを作れるに違いない。みんなで舞台を作っていけばいい。
「それであたしは、アイドルになったらどうしても言ってみたい一言を今ここでみなさんに告げたいと思います」
ステージ脇の袖の中にいる京介へと目線を向ける。京介は真剣な表情であたしを見つめている。
あたしの芸能活動を最も献身的に支えてくれた京介と新たな1歩を踏み出すために今、この言葉を告げる。
「あたし、メルルこと来栖加奈子は今日をもちまして……普通の女の子に戻ります」
会場内から息を呑む音が一斉に聞こえた。
誰もが何か喋らないといけないと思っているのに声が出ない。そんな雰囲気が会場内に漂っている。あたしは構わず最後の挨拶を続ける。
「今までたくさんのご声援ありがとうございました。来栖加奈子は本日芸能活動を引退します」
沈黙の空間に綻びが入る。辞めないでという声があちこちから漏れ始める。黙って聞いていることに耐えられなくなったのだろう。
完全に干されていたと思っていたあたしだけど、愛情を深く注いでくれていたファンは結構いるらしい。
それが分かっただけでも本当に良かった。
「あたしは引退しますけど、メルルはまだまだこれから発展していきます。そして、これからのメルルイベントを引っ張っていってくれるのは…アルちゃんとタナトスちゃんです」
スポットライトがブリジットとあやせに当たる。2人とも顔に動揺が出ている。でも、ここは乗り越えてもらわないと。なんせこのメルルさまの後釜なのだから。
「あたしに代わってメルルを引っ張っていってくれる頼もしい2人にこれからデュエットで歌ってもらいます。曲は実写版メルル主題歌。BBAに負けないようにしっかりやれよ、小娘どもぉ〜〜っ!!」
わたしがステッキをブンっと振るのと同時に音楽が流れ出す。
ドラマ版メルルの主題曲。
「ブリジット……こういう舞台ではお前の方が先輩なんだから、あやせをちゃんと導いてやれよ」
「かなかなちゃん……」
あたしはブリジットの背中をポンっと軽く叩くとゆっくりと歩きながら舞台袖へと消えていった。
「加奈子……お疲れさま」
ブリジットとあやせの歌を耳に入れながら舞台を降りると京介がタオルを持って出迎えてくれた。
「京介こそ、今まで本当にありがとうな。京介のおかげでやってこられた」
京介の手に触れながらタオルを受け取る。
「別に俺は何もしちゃいないよ。加奈子の輝きを横から見てただけさ」
「京介の愛があったからこそ……あたしは輝けたんだよ」
この仕事をもっと以前に辞めたいと思ったことは何度もある。でも、今日まで続けられたのは京介がいてくれたからに他ならない。
言い換えれば愛の力があたしを支えてくれていた。
「それにしても、加奈子がアイドルになったらどうしても言ってみたい一言って……あれだったんだな」
京介がわずかに苦笑してみせる。
「ファンのみんなに惜しまれながら涙ながらに引退するお約束の一言だよ」
言いたかったのはファンへのけじめ。
でも、そのけじめの本当の意味は……。
「これからは京介だけの加奈子だかんな」
ニコッと笑って背伸びしながら京介にキスをする。
「どこまでもお約束な奴だな……」
「お約束は嫌か?」
「うんにゃ。全然」
今度は京介からあたしにキスをしてくれた。
12月24日、あたしと京介は事務所に辞めることを告げた。
「何でオメェらみんなここにいんだよ?」
仕事が終わって高坂家に移動。
京介の家族に改めて恋人としてご挨拶に伺ったわけなんだが……。
「何でって馬鹿兄貴がアタシに家に戻るように命令したからわざわざいるんでしょうが」
ムッとした表情の桐乃。
「いや、お前はいい。問題は他の奴らだっ!」
リビングのテーブルの周りを囲んでいる他の連中を睨みつける。
「何でオメェらがここにいるんだよ!」
瑠璃を睨み付けながら文句を述べる。
「何でって、私は桐乃と一緒に行動していたのだからここに寄っただけよ」
「拙者も同じでござる」
瑠璃に続いて沙織が同意する。
「まあ、沙織たちとクリスマスを一緒に過ごすってのは、随分前から決めてたことだし。加奈子がどうこう言える余地はないわね」
桐乃はキッパリとあたしを切って捨てた。
「じゃあ、瑠璃と沙織はいい。もっと大きな問題は、何故あやせとブリジットまでここにいるんだよぉっ!」
桐乃の隣には澄まし顔のあやせがいた。更にその隣ではお菓子を口にくわえて幸せそうな表情を浮かべているブリジットも。
「お兄さんと一緒にクリスマスを過ごしたいと思ったから来ちゃった♪」
あやせはぶりっ子して笑いやがった。
「京介はあたしの彼氏だっての!」
「別にわたしは気にしないよ。どうせその内にわたしが京介さんのお嫁さんになるんだし」
「彼女の目の前で浮気宣言してるんじゃねえっ!」
あやせの奴、ステージ途中であたしが降りたことを恨みにでも持ってるのか?
それとも単なるヤンデレか?
どちらにしてもコイツがあたしの話を聞くとは思えない。視線をもう1人のお子ちゃまへと向ける。
「で、ブリ公。オメェは何故ここにいる?」
「かなかなちゃんが事務所を辞めちゃったから……お別れ会に……」
幸せそうにしていたブリジットの顔が急に曇った。
「だって、事務所辞めたら……かなかなちゃんともう会えなくなっちゃうから」
ブリジットはもう泣きそうな表情になっている。
「別にあたしが事務所を辞めようと、ブリジットはあたしの一番弟子だ。会いたくなったらいつでも会いに来い」
「ほんとっ? いいのっ?」
洋ロリの表情が今度はパッと花開いた。
「当ったりめぇだっての。オメェはあたしが手塩に掛けて育てた大事な妹分だからな」
「逆ナンの仕方とか変なことばっかり教えていたけどな」
「京介は黙っててくれっ」
せっかくの感動をぶち壊す彼氏を睨みつける。
「それじゃあわたしもお兄さんに変態色に染められた一番弟子ってことで、ベッドに自由に潜り込んでいいですよね?」
「あやせは一生黙ってろ」
大きく舌打ちしてあやせを牽制する。
「とにかく、あたしとブリジットの絆は事務所を辞めたぐらいじゃ終わらない。心配スンナ」
「うんっ」
元気一杯のブリジットの表情を見て、あたしのこの2年間は間違いじゃなかったと思えた。
「で、余計なのが随分ゾロゾロいるのはもう諦めるとして……京介の両親はどうしたんだ?」
リビングには今日一番会わないといけないあVIP2人がいない。
「お父さんとお母さんなら、若い娘のパーティー会場を邪魔しちゃ悪いってさっき2人で旅行に出かけたわよ。帰ってくるのは明後日だって」
「何ですとぉ〜〜っ!!」
両親にご挨拶という今日一番の目標が果たせなくなってしまった。
ガックリと落ち込むあたし。そんなあたしを桐乃がニヤニヤと見ている。
さては……ご両親に旅行を勧めたのは桐乃の奴だな。ブラコンにまた火が点いたか?
「けど、まあいいさ。あたしは今日京介の家に泊まるんだ。あたしと京介の新しい関係は今夜始まるんだ!」
桐乃の妨害なんかに負けはしねえ。今日からあたしは高坂加奈子の第一歩を踏み出すんだ。
「貴方が何を吼えているのかよく分からないけれど、私も高坂家に泊まるわよ」
「拙者もでござる」
「えっ?」
瑠璃と沙織の意見表明に半分石化してしまう。
「元々今日は沙織たちとオールナイトで遊ぶつもりだったし。その会場がこの家になったってだけよ」
桐乃は不敵に微笑んだ。こんにゃろ。土壇場になってあたしと京介の関係を認めないってか。このブラコンめぇっ!
「じゃあ、わたしもお兄さんの家に泊まるね。お兄さん、責任とってくれるのなら夜這いは歓迎しますね♪」
「あやせは黙ってろってさっき言ったよな?」
あやせはこうなると追い返す手段がもうなさそうだった。
「みんなが泊まるならわたしも泊まろうかなあ?」
「…………分かったよ。仲間外れはダメだもんな」
大きなため息を吐きながらブリジットの宿泊も認めることになった。
あたしの周りではワイワイガヤガヤが続いている。
楽しくないわけじゃねえが……今日の目的から考えるとちょっと違う。
「何だか……想像していたのと違うクリスマスになったな」
桐乃たちに捕まっていた京介があたしの隣にやってきた。
「今日はせっかく京介のために勝負下着に穿き替えてきたってのに……とても出番はなさそうだな」
既にリビングには大量の布団が敷かれている。あたしと京介の分も。ここでみんなと一緒に寝ろという暗黙の意思表示に違いなかった。
「まっ、こんな感じの方が俺たちらしいのかも知れないがな」
京介があたしの頭に手を置いて少し乱暴に撫ぜた。
「それにさ、加奈子は言ってくれただろ」
「何をだ?」
「これからは俺だけの加奈子になってくれるんだろ?」
京介はイタズラっぽく笑ってみせた。
「あたしに二言はねえ」
自信たっぷりに返す。
「なら……後70年は俺たちの時間が残ってる。焦ることはないさ」
そう言いながら……京介はあたしのおでこに優しくキスをしてくれた。
「そうだな。京介だけのアイドルでいられる時間はまだ70年ぐらいあるんだもんな。今はこれぐらいで……」
お返しに京介の頬にキスしようとしたのと桐乃たちから一斉に枕が飛んでくるのはほぼ同時だった。
アイドルを辞めても当分平穏な日々は訪れそうにない。
了
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