宵闇の凱旋記 2
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「それで、貴様は何と言う?」

「は?」

 楓が怒りを抑えつつ聞いてきた。一瞬答えが見つからなくて呆けてしまう。

「? 何を不思議そうにしている? 貴様の名は何と言うのかと聞いておるのだ」

「え? あ、あぁ。俺の名前ね。あーえっと……」

 こんな簡単な事なのに、どうして出てこなかったのか。違和感を覚えながら名乗った。

「ロジャーだ。ロジャー・ベルナップ」

「ロジャー殿か。良い名ですな。某の名は東大寺宝曉(ほうぎょう)と申す」

「自分は東大寺印陀羅(いんだら)と申します」

 巨漢二人が鷹揚に名乗った。ロジャーは巨漢から楓へと視線を戻す。

「それで……なんだって俺を助けたんだよ」

「何故と言われてもな……仕事なのだから仕方があるまい。あるお方から貴様を守るように言われた。私達はそれを遂行するだけだ。それ以上に聞きたい事がある」

「な、なんだよ」

 相変わらず威圧感のある少女である。今まで出会った少女達とは確実に一線を画している。

「何故貴様は狙われている。昨晩襲われた理由は判るか?」

「それは……」

 目を伏せる。襲われた理由、か。

「そんなもん、しらねーよ」

 ただ知っていることを口にした。

 

 

 

「知らない、か」

 東大寺楓は肩を落としてロジャーから目を離した。仕事の内容はただ守れとあった。

「厄介だな」

「左様で。せめて、敵の正体でも解れば良いのですが……昨晩出会った魔物は全て雷撃を操る魔物。しかも、世界各国で現れているのであまり確証は得られませんな。何者かに操られているようではありましたが」

「使役されている……ということか」

「おそらくは」

 楓はため息を吐いた。そして、何の事を話しているのか全く分かっていないであろうロジャー少年を見る。

 話についていけていないのが丸判りだ。隠す気も無いのだろうが。

「ロジャー殿と言ったな。貴様、家はどこだ?」

 楓が不意にロジャーにそんなことを聞いた。ロジャーはあっけらかんとした様子でその質問に答える。

「家? 俺にそんなものはねぇよ。路上生活ってやつだ。施設出てから仕事したけど、家借りれる程金出来なかったし」

「ストリートボーイ、と言う奴ですな」

 宝堯がおそらく何も考えずにそう言った。楓がそんな宝曉を睨みつける。

「別にいいよ。事実だし」

 気にした風も無く、ロジャーはそう言った。楓はむ、と眉根を寄せる。

「非礼は詫びるのが常識だ」

「別にいいよ、そんなの」

「いいや、それでは私の信条に反する。すまなかった」

 楓は詫びだけ入れると隣の部屋へと入っていく。それを追って、宝堯が立ち上がる。印陀羅は椅子に座ったままロジャーに話かけ始めた。

「姉上」

「あぁ、お前はどう見る? あの小僧、本当に何も知らないようだ」

「襲われる理由が全くといってありませぬ。家も無い路上生活者、そしてまともな職には就いていない。施設ということは……親も居ないということでしょう」

「そう言う事になるな……それに、何故守らねばならないのかも分からない。親戚からの依頼だというのなら頷ける……だが、」

 今回は、その程度の話では無いという事を空気で理解し、宝堯も頷いた。楓は肩を落とし、かぶりを振る。

「何故あのような高名な方があのような小僧を守らせるのか。そこが疑問だ。礼儀もわきまえていない所から見るとロクな教育を受けてないだろう。あの様子では、『王』の事も知らぬだろうし……」

「いっそのこと名を出してみましょうか?」

「やめておけ。依頼内容にもあっただろう。言わないで欲しいと。約束は守る主義だ」

 宝堯の提案に首を横に振る楓。

「………………まぁいい。今は考えても仕様が無いからな。仕事は仕事だ。こんなところでマティナルの株を下げる訳にもゆかんだろう」

 マティナル。それが、彼女達東大寺姉弟が所属する組織である。

 この世界には表の世界には知られていない様々な事柄がある。

 一つ、世界には魔物が存在している事。

 一つ、世界には能力者と呼ばれる特異な人間がいる事。

 一つ、世界には鬼人と呼ばれる魔術を操る亜人種が人間に紛れて生活している事。

 一つ、大きな昔から万物には必ず王が存在し、隣接する世界でまだこの世界の存在(民)を見守っている事。

 楓達東大寺家は異能者の部類である。

 楓は大きく肩を落とし窓の外に目を向けた。

 窓に、黄金に輝くトカゲが張り付いているのが見えた。小さいならまだ良かった。それの大きさは明らかに窓を覆い尽くす大きさなのだ。その光景が飲み込めず、楓は言葉を失っていた。そして釣られるようにして窓に目を向けた宝曉も言葉を失くす。

 黄金のトカゲがトカゲ独特の小刻みな動きで窓を這っている。楓達の部屋から印蛇羅達の部屋の窓へと移っていったようだ。

「……なんだあれは」

「あれは確か……雷属性の……!」

「っ!」

 宝曉の言葉に気が付き、楓が急いで隣の部屋へと戻った。隣の部屋ではトカゲを指さして大爆笑するロジャーと印蛇羅の姿がある。そして窓には相変わらずトカゲが張り付いているだけだ。

「あはははは!! なんだあれ! あんなでっかくて黄色いトカゲ初めて見たぜ!」

「蛍光の黄色……プッ」

 大爆笑する二人に、黄金のトカゲは気に障ったのかぎょろりと目を動かして来た。楓は窓際に近寄ると容赦なく窓ガラスを蹴りつけガラスを割ると同時にトカゲを蹴り落とす。落下していくトカゲを見守ること無く楓は興味も無さそうに窓際から離れた。

「全く。あれはお前の命を狙っているんだぞ。笑っていてどうするんだ」

「え? そうだったのか? でもよ……」

「なんだ?」

「窓ガラス割ってどうすんだよ。ここホテルなんだろ?」

 ロジャーのその発言により、楓の顔から一気に血の気が引いていった。

 後日、弟達は語る。この時の姉は今までに無い程焦りとても良い物を見たと。

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「……申し訳ない」

「申し訳ないって……あのね」

 ホテルの運営者に潔く頭を下げる楓。下げられているホテルの運営者はうーんと唸りながら割れた窓を見ているだけだ。

「で? お金無いんだっけー?」

「……は、働いて返そう」

「子供を雇う所があるかねー?」

「うぐ……」

 大人びた言動だが自分の容姿が完全に子供だということは自覚しているらしい。楓はオロオロと視線を彷徨わせている。普段の彼女を知っている者が見たら何事かと思える光景であった。

「うーんそうねー……」

 ホテルの運営者は無遠慮に楓の顎を掴んで自分と目を合わせさせる。楓は凛とした真っ直ぐな瞳でホテルの運営者を見上げているだけだ。

「ペド相手の身売りなら稼げないことも無さそうだがー」

「っ!」

 その言葉に、楓の表情が強張った。背後に控えていた宝曉と印蛇羅が呑気な笑みを消して腕組を解いた。

「後ろの保護者がNGか。じゃぁ仕方ないな」

 楓の顎から手を放し、ホテルの運営者は指を下に向けた。

「このホテルの一階がカフェになっているのは知っているでしょー? そこでしばらく働いてもらうよ。もちろん、後ろの三人も」

 その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす楓。ロジャーは文句を言っていたが、宝曉も印蛇羅も異存は無いようだ。

「はい、これお嬢ちゃん。制服ねー」

「………………」

 取り出された制服を見て、楓の表情がピキッという音を立てて硬直した。

 女性が着ると思しき給仕服、俗に言うメイド服を差し出され、楓の頬は引き攣らざるを得なかった。

 

 

 

「変じゃないか?」

 メイド服のスカート端を掴みながら眉間に皺を寄せ、楓は確認するように問いかける。

 実際12歳程度の少女がメイド服を着ているというある種の背徳感的な何かに訴えかけるかのごとく似合っている。少女として致命的に幼さ特有の可愛さを性格的に欠いているとしても、少女の顔立ちに残ったあどけない可愛さはまだ健在だ。

 そんな少女のどことなく背徳感を感じさせる楓に見とれたままのロジャーの背中を背後から宝曉が叩いた。

「女性はそのようにじろじろ見るものではありませんよ」

「!?」

 ぎくりと体を強ばらせ、ロジャーは宝曉に振り替える。いたずらっぽく笑い、宝曉は楓に向き直った。

「大丈夫ですよ姉上。ロジャー殿が見とれるほど似合っております」

「む?」

「うわあああ!!!」

 焦ったようにロジャーが叫び声を上げる。楓は驚いたようにロジャーを見た。

「なんだいきなり」

「ちが、違うんだって! ガキが着てもメイド服は様になるんだなって思っただけだバーカ!」

「?」

 必死なロジャーに首を捻らせる楓。何を焦っているのか心底わからない様子である。ロジャーは宝曉を睨むも宝曉は我関せずと言った様子でそっぽを向いてしまっている。ロジャーは咳払いを一つすると楓に向き直る。

「い、いいから仕事行くぞ! 働いて返すんだろ!?」

「あぁそうだ。そうだが……何故叫ぶ必要がある?」

「うっせぇ! ガキは黙ってろ!」

 ロジャーの物言いに大変何かを言いたげな楓だったが反論することも無く溜息を吐くだけだ。ロジャーはその反応に文句を言いかけたが口を閉ざした。鏡で変なところが無いか自分の姿を確認し、楓はさっさと歩き出す。慌てたようにロジャーもそれに着いて行った。ちなみに男性陣は簡単なエプロン姿である。ロジャーもその姿に着替えていた。宝曉と印陀羅も姉の後に続く。

「それにしても、この姿で何の仕事だ。給仕か?」

「でしょうな。カフェと言っておりましたし、姉上は食事を運ぶだけで良いのでしょう。そうだと良いのですが」

「宝曉……なんだその言い方は。まるで私が運ぶだけしか出来ないような言い方だな」

「姉上。お客様の前でその喋り方は止めましょうな」

「、!」

 既に癖になってしまったものを拭い取るのは難しい。楓は眉間に皺を寄せて腕組をした。そして、口元に拳を引き寄せ、コホンと咳払いを一つ。

「……お言葉ですがお客様、」

「姉上、ここでリハーサルしなくてもいいので早く行って下さい」

 真後ろに居たロジャーが楓の背中を押した。宝曉は楽しそうに笑っているだけだ。

「宝曉! 姉は出来るんだぞ! 本当に出来るんだぞ!」

「はいはい早く行けって」

 楓の言葉を完全に無視し、ロジャーは楓の背中を押した。楓はされるがままに従業員専用の部屋から店に出されてしまった。店の様子を見て、ロジャーの動きが止まった。その様子に、楓も改めて店に目を向ける。

 蜘蛛だった。体長二メートルはあるであろう巨大な黄色い蜘蛛が無数店の中に存在していた。店員は怯えたようにキッチンの隅で小さくなり、客など一人たりとて存在していない。蜘蛛達は全く動いていなかった為にほとんど被害は無かったようである。が、店の中に入ってきた楓達、もといロジャーに視線が集まり、蜘蛛達が動き始めた。

「、! 宝曉! 印陀羅!」

 楓の怒号と共にロジャーを押しのけ宝曉と印陀羅の巨体が襲い掛かってくる蜘蛛とロジャーの間に割り込んだ。楓はロジャーの腕を掴み、店の外へと走りだす。

「印陀羅! スタッフ達の安全確保も抜かるな!」

「御意に!」

 楓の叫びに叫び返し、印陀羅が蜘蛛を押しのける。蜘蛛達は楓とロジャーを追って店の外へと雪崩れるように飛び出していくが、店から出た所で動きを止めていた。よくよく見れば、宝曉の手から緑色に光る鎖のようなものが出ている。その鎖が蜘蛛達の動きを封じ込めていた。

「さて、一匹ずつ潰していきますか」

「それにしても兄者……これでは窓ガラス程度の賠償金では済まない気がするのですが……」

「マティナル宛に領収書を切る」

「それだと姉上が不服を申し立てそうですなぁ……」

「では東大寺に払わせよう」

「それは更に姉上から文句が来るのでは?」

「請求は某達だ。それに、言わなければ済む話だ」

「兄者は悪い方ですなぁ……」

 苦笑する弟を無視し、宝曉は黄色い巨大蜘蛛の頭を容赦なく踏み潰していた。

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 楓に手を引かれ、息も荒くなりそろそろ走れない事を訴えようという時、楓は唐突に足を止めて手を離した。楓は息も乱していないが、ロジャーは荒くなった息を吐き出す。ロジャーは息を整え楓を睨みつけた。

「ばけもんかお前は」

「貴様が未熟で鍛えていないだけの話だ」

 ロジャーの言葉にムッとしてそっぽを向く楓。ロジャーはそんな楓を半眼で睨みつけ、疲れたように側にあったベンチに腰掛けた。楓は周囲を見渡して危険が無いことを確認するとロジャーに習うようにベンチに腰掛ける。

「何なんだよ、あれ」

「知らん。お前を殺そうとしているのは確かだ」

「なんで俺が狙われてるんだ?」

「それが分かれば苦労はしないだろう」

 大きく溜息を吐くロジャー。楓はロジャーを見ること無く正面を見据えて事実を語るだけだ。

「なんで俺狙われてるんだろうなぁ……」

 誰に聞くでも無く、ロジャーは独り言のようにそう呟いていた。楓はそんなロジャーを横目で見つつ、何も言うつもりは無いのか正面に視線を戻した。

 ふと、ロジャーは周囲から視線が集中していることに気が付いた。見渡してみれば、彼らが奇異の目で見ているのは楓である。楓をちらりと見てみれば、日本人形のような少女がメイド服を着ているのだ。視線も集中するというものだった。楓はそれに気がついているのかいないのか、どっちにしろぼんやりと虚空を眺めている事に変わりが無かった。

 楓の横顔は美しかった。幼く可愛らしい少女ではあるが、無表情のまま冷たく佇んでいるその姿は愛らしいというより美しい部類であろう。

 少年にとって、少女は幻想だった。非現実的で、幻想的な存在。初めて見た時からその印象は変わらない。強くて、幻想的で、夢の様な存在。平凡的な人生も『歩めなかった』少年にとって、彼女は本当に夢の一部なのではないかと錯覚する。

「あれ……?」

 ようやく、気が付いた。いつの間にかロジャーは頭に帽子を被っていた。着替えている間に着けていただろうか。ロジャーは自分の帽子を外して手に取って見てみた。額に丸に囲まれた大きなRの文字。くたびれた野球帽。使い古されたその帽子には大変見覚えがある。

「どうした?」

「……帽子」

「ずっと身に着けていたじゃないか。それがどうした」

「……それはおかしいな」

 ロジャーは野球帽を見下ろす。確かに、この帽子はロジャーのものだ。ロジャーのものなのだが、

「……これ。友達にやったんだ」

「は?」

「元々はさ、孤児院の先輩っつーか兄貴っつーか……まぁ、そういう奴から貰ったんだけど。で、この前仲良くなった友達にやったはずなんだ」

「そんな大事な物を友達にやったのか」

「……? あぁ……そういや、なんでやったんだっけ。おかしいな。その友達の顔思い出せねぇ」

「おい、ロジャー?」

 理由が思い出せない。なぜこの帽子を譲り渡したのだっけ。この帽子は、兄貴分が孤児院から出る時に貰ったものだった。その数カ月後に兄貴分は薬に溺れて死亡したと聞かされて大事にしようと思ったのに。どうして、会って間もない友人に『譲って』しまったのだろうか。そして、何故譲ったはずの帽子が手元に戻ってきているのだろうか。

「……考えても仕方ないかな」

 何故かそう思えた。これ以上、思考してはならないと誰かに語りかけられたように。ロジャーは野球帽の鍔を掴むと楓の頭にその帽子を被せた。

「被っとけよ。目立つんだから」

「あ、あぁ……」

 言われるがままに目深に野球帽を被る楓。そんな楓を見て、ロジャーが眉間に皺を寄せた。

「? なんだ」

「お前……」

 くい、とロジャーが鍔を押し上げ帽子で隠れていた少女の顔をのぞき込んだ。

「野球帽似合わないな」

「余計なお世話だ」

 楓はイライラしたように返答していた。そんな楓に苦笑しつつ、思い出したようにポケットをまさぐる。

「?」

「でかいのが、お前は板チョコとかが好きだって言ってたから。これやるよ」

「……食えるのか?」

「失礼なやつだな!」

 反論するロジャーが取り出したのは半分ほど欠けた板チョコだった。いつ買ったのか楓には想像もつかない。しかも誰かの食べかけだ。躊躇いつつも差し出されたそれを受け取った。

「心配しなくてもチョコは日持ちするから害なんかねーだろ」

「保存している場所によると思うが……」

 ぺり、と楓は恐る恐るチョコの包装をはがした。ロジャーのスボンのポケットから出てきたようなチョコだ。食べられるかは分からないが匂いを嗅いでみても特に変な匂いがするわけでもなかった為、意を決してかぶりつく。

 チョコの濃厚な甘さが口全体に広がるのを感じる。味も風味も特に問題は無いようなので楓は構わず板チョコを食べ進めた。

 リスのように小さな口で素早く食べていく楓の姿にロジャーは和んだような表情で虚空を見上げた。

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 楓達がホテルに戻ると、蜘蛛達は一掃され店内は蜘蛛に壊された物を片付けている真っ最中だった。

 帰ってきた楓達を認めると宝曉は笑顔で出迎えた。印蛇羅は何やら後ろで従業員と話し合っているのが見える。

「漏れは無かった。よくやったな」

「いえ、お褒めに頂き光栄です。そちらに追手はありませんでしたか」

「あぁ。とはいえ、これ以上このホテルに迷惑を掛けるわけにはいかんだろう。今日明日にでも発つぞ。問題は金だが……」

「あぁ、その話は既に通してあります。明日までという条件で今日は屋根付きのベッドで眠れそうですぞ」

「……話を通してあるとはどういう意味だ?」

 金の問題は楓の中で解決していない。訝しむ楓に宝曉は朗らかに笑った。

「なに。某が心を痛めながらポケットマネーを出しただけのことです」

「……ほう。そんな金があったのか」

「姉上の失態ですので。姉上がご自分で対処なされた方がよろしいかと思いましたがやはり家族ですからな。某からの救いの手です」

「嫌味な事を」

 楓が不機嫌そうに腕組をするも宝曉は朗らかに笑ったままだ。その笑みに何か思うことがあったのか楓は腕組を解くと小さく唇を開いた。

「悪かったな」

「いえいえ。印蛇羅」

 宝曉は弟を呼ぶ。印蛇羅は従業員との話し合いを中断して兄に目を移した。

「姉上の着替えを手伝ってくる。部屋に戻るから、そちらの話は早々に終わらせろ。ロジャー殿を頼んだぞ」

「御意」

 印蛇羅は短く返答するとまた従業員に向き直って話を再開し始めた。楓は宝曉に促されるままにエレベーターへと向かう。取り残されたロジャーは面倒くさそうに店内の椅子に座っていた。

 楓は印蛇羅の隣を通り過ぎる時、何故かとても疲れたような表情をした印蛇羅と目が合った。目が合った瞬間ニコリと笑って小さく会釈をされる。違和感を感じたが楓は宝曉と共に部屋まで戻っていくのだった。

 

 

 

「宝曉。着替える前に風呂に入る。服を用意してくれ」

「御意」

 メイド服を着たまま脱衣場へと入っていく楓。そんな楓を見送り宝曉は言われた通り着替えの服と下着を用意する。風呂場の戸が開かれる音を聞き届けて自分が脱衣場へ入ろうとする所へ印蛇羅とロジャーが帰ってきた。

「あー疲れた。楓のやつ全力疾走しやがるんだぜ。全くあいつばけもんかよ」

「ははは。仮にも姉上も女性です故、そのような事本人に言ってはダメですぞ」

 印蛇羅がやんわりと忠告をするもロジャーは唇を尖らせている。そして宝曉が入ろうとしていた脱衣場のドアノブに手を掛ける。

「疲れたからシャワー浴びるわ」

 そう簡潔に言い放つと躊躇いも無く脱衣場へと入っていった。

 宝曉は何か言おうとして立ち上がっていたが何も言わずにまた腰を落とした。

「おや、兄者。どうされました?」

「いや……今姉上が風呂に入っているのだが……まぁ面白そうだから黙っておこうかと」

「それは面白いですなぁ」

 朗らかに笑う巨漢の双子。

 数分後に聞こえてきた叫び声は少年のものだった。

 

 

 

「はぁー疲れ、た……」

 風呂場の戸を開く。シャワーの軽快な音が響いていた。おかしい。まだ風呂に入っていないのでシャワーの蛇口が開いているはずがない。

 ロジャーの頭は完全に停止していた。目の前にある小柄な肢体にゴクリとツバを飲み込んだ。白磁の肌に張り付いた長い髪。シャワーを禊ぎの様に浴びていた少女は大して動じた様子もなく鋭い瞳をロジャーに向けていた。黒に最も近い深緑色の瞳が鋭くロジャーを捉えている。

「……ロジャー・ベルナップ」

 フルネームで名前を呼ばれた。ぎくりと体を震わせて頬を引き攣らせる。幽鬼のように儚げな少女の腕がシャワーの蛇口に伸びキュッと言う音と共にシャワーの放出が止まる。

 シャワーの蛇口に手を置いたまま、少女が口を開いた。水音が失くなった浴室では少女の声がよく響く。

「……失せろ」

 十分な怒りが込められた声がしっかりと、そしてはっきりと浴室に響いた。ロジャーはその怒りを全身に受け、肩を落とす。

「……はい」

 小さく返事を返して戸を閉めると脱力したようにその場に座り込んでしまった。ロジャーは深い溜息と共に立ち上がり洗面所に手を付いた。

 しっかりと脳裏に刻まれたのは少女の艶姿だった。明らかに自分より年下で、女としての魅力など皆無であろう少女だ。だが、忘れられそうにないのはやはり、

「はぁ……認めねーぞそれだけは」

 頬を朱に染めてそう断言する。何せ彼女は出会った時から頭から離れない存在なのだ。違うとは思いたい。だが、離れないのだから仕方がない。

 ふと、洗面台に備え付けてある鏡み映る自分を見た。

 

 息が、止まった。

 

 わけの分からない悲鳴を上げながら後ろへともつれるように倒れこむ。鏡に映るのは一人の少年だった。ロジャーも少年だ。そこは一緒だった。

「誰だよ……誰だよ、お前!」

 美形の類に類するであろう少年の容姿。その中でも異彩を放つ金色の瞳。よく見ればその体は明らかに「ロジャーのもの」ではなかった。

 鏡に映る美少年は、明らかに十代後半の少年だった。そもそもアジア人によく見られる黄色人種だ。

 ロジャーは白人の少年である。そして、年齢はまだ15歳。明らかに別人が鏡に映っている。震えるように自分の手を見た。鏡で見たように、そこには黄色人種特有の肌色の手だった。白人の彼の手はここまで色が濃くは無い。

「なん……なんで? え? なんで?」

 そもそも、ロジャーの瞳はこんなに金色に輝きはしない。

 ロジャーは恐る恐る自分が先ほど外したばかりの野球帽へと目を向けた。

「あぁ……あぁ、そうか……あぁ」

 分かってしまった。どうしてあの野球帽がここにあるのか。どうして自分が狙われているのか。分かってしまった。思い出してしまった。

 そして、どうしてこのようなことになったのかも、全て思い出してしまった。

「そうか……俺、あの時……」

 ロジャーは瞳から溢れる涙を止められなかった。

 

 

 

『そっか……分かったよ。ごめんな、ありがとう』

 友達のその言葉に、涙が出た。

『あぁ、俺達は友達だ。友人の言葉くらいは、聞かないとな』

 俺達は友達だ。その言葉に、救われた気がした。そうだ。自分は頼まれたのだ。命令されたんじゃない。

『すぐ戻る。だから、待っててくれ』

 コクリと頷いた。

 そうだ、友達だ。友達なんだ。命令する側でも、される側でもない。虐げる側でも虐げられる側でもない。

 友達と目を合わせた。自分を認めてくれる唯一の存在と正面から渡り合うために。

『ロジャー。男だろ? 泣くんじゃね―や』

 あぁ、元気でやれよ。

 

説明
これ(http://www.tinami.com/view/320019)の続きです。恐らく誰も覚えていない……。でも前のやつを読まないと恐らく意味不明かと。
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