銀と青Episode07【岩戸神楽】そのE |
◆
「あの髪の色は……香織? でも、それにしては、全体的に小さいような」
全体的に、胸とか身長とか胸とかが。
「カオリンを縮めて小動物っぽくしたらあんな感じなのかな?」
と、ネオンの呟き。
シャラン、と剣鈴の音色が響いた。
巫女は音に合わせ身体を揺らし、舞をを刻む。廻れ廻れ、巡り廻れや三千大千。腕を振るい、神の贄へ、剣鈴を響かせ神楽を送る。
小鳥のさえずりのような少女の声が、舞い散る火の粉と共に夜空へ吸い込まれていく。それは、まるで世間から隔離された幻想的な光景。想像と現実が混じり合うような、そんな光景だ。
「芸術……ですね」
「うん……、凄い。アタシも旅先で色々な舞踊とかを見てきたけど、あの年頃でここまで洗練された神楽を舞える子なんて見たこと無い」
ネオンに同意するように頷く。
あの歳で、一体どれだけの練習を重ねたのだろうか。才能、と言ってしまえばそれまでなのだろう。だが、その一言で済ませるには到底足りない『地力』というものがあの少女からは感じられた。あらゆる事柄において重要な下積み、土台、と呼ばれる基礎能力。ブレない身体、動揺しない精神、次から次へと繋がれる舞の一連動作、どれも身体に染み付くまで繰り返さなければ、あれほどの舞は踊れないだろう。
だからこそ、歪だ。
「……双司さん」
「何だ?」
ネオンとは反対側、彼女に聞こえないように小声で言葉を続ける。
「前に、香織が双司さんを襲ったのは実家のいざこざが原因って言ってましたよね?」
思い出すのは既に遠い昔のことのように錯覚してしまうような秋ごろの出来事。炎の剣を振りかざし、雇い主に斬りかかる親友の姿。唇? 検閲、削除。
「そうだな。後日ゆっくりと本人に確認したが、ほぼその認識で間違いないだろう。伝承が歪められて忘れた頃にやって来るなんてことはよくある話だ」
「伝承どころか性根がネジ曲がっちゃってる双司さんのことはどうでも良いです。私が聞きたいのは――」
――香織の実家って、一体”何なの”ですか?
声が雑音に融ける。が、双司さんの耳には間違いなく私の言葉が届いただろう。彼は何を思いついたのかニヤリと笑い、
「――知りたいなら調べてみたらどうだ?」
はい? あー、そうですか。その憎ったらしい笑みは『知りたければ自分で調べてみせろ。答え合わせはしてやる』って顔ですね。一度踏んでやりましょうか。
「……わかりました。ネオン、すみませんが少しだけ外れますので、そこの幼女誘拐馬鹿雇い主の側にいて下さい。出店での食事代くらいなら奢ってくれると思いますから。と、言うわけで双司さん暫く失礼します。私の友人に変なことしたら、鼻の穴にピーナッツネジ込みますからね?」
と、後になって思うのはこの時の私は精神的にどうかしていたのだろう。
そもそも、香織の実家について調べるのは南ヶ丘に戻ってからでも良かった筈なのだ。それに、どう考えたってこのようなプライベートに踏み込みすぎる行為は自分のスタンスでは無かった。後悔後先立たずという言葉を身にしみて味わうことになるとは、この時の自分は全くもって予想できないことであった。
◆
私の夢の始まりはいつだって炎の中だ。
それは胎児の頃から変わらない。私を安らぎに誘うのは、何時だって燃え盛る炎の揺り籠。
熱くはない。むしろ、ぬるま湯に浸かっているような心地よさが身を包む。
このまま永遠に揺蕩うのも悪くはない。だが、それを許さないのが現実だろう。
釣り針に掛けられた魚のように、揺り籠から引き上げられる感覚。
ああ、つまりそろそろ起きろってことか。
ゆっくりと瞼を開いた。
木造の天井が、暗がりから無表情に私を見下げている。窓の外に浮かぶ篝火の向こう側、参道の方角から祭ばやしの音が耳に届いた。
どうやら、既に神楽は始まっているらしい。
起き抜けの気怠い身体を起こしつつ、寝間着の白装束を脱ぎ捨てる。屋敷の人間は参拝客の相手で出払っている筈なので、顔を合わせることもないだろう。そう思い、タンスに閉まってある着物ではなく部屋の隅に置いた旅行鞄から小夜ちゃんに選んでもらったワンピースを取り出した。
この和風贔屓な屋敷の人間達は、蓮華を除くと洋服というものを心底嫌っているらしい。見つかれば、正直度し難い折檻を受けるレベルで。跡取りである蓮華なら口頭でお叱りを受ける程度で済むが、私の場合はそれに拳や刃物が飛んでくるのである意味命がけだ。
実際、この屋敷を訪れる時は途中で和服に着替えるようにしているし、洋服の詰まった旅行鞄は中身を見られないように厳重に結界を絡めてある。多分、たかだか服の為にここまでするのは私くらいだろう。
ほんと、さっさと南ヶ丘に帰りたい。
「……さてと、それじゃ蓮華の晴れ姿でも見に行きますか」
可愛い妹の晴れ舞台なのだ。それを見ずに、何がお姉ちゃんか。
目立つ長髪を丸めるようにしてボーイズキャップの中に仕舞い込む。これで髪色から見つかることは無いはずだ。畳の上だということも気にせず、スニーカーを履いて窓の縁に足を掛けた。
トクン、と魔力が熱を帯びる。
感づかれないように、繊細にゆっくりと全身に蔓延る魔術方陣へ熱を送り込み下半身を強化。筋肉繊維一本一本のギアを徐々に上げていく。
「――よっ、と」
そして、跳躍。
5メートル程先にあった太めの樹の枝に乗り移り、着地した勢いをそのままにスルスルと滑るように木の幹へ。慣性を殺しつつ力のベクトルを下方向へ修正。
なるべく音を立てないように、落ち葉の上に着地した。
「ふぅ、この抜け出し方も久しぶりかな」
最低限の魔力コントロールで動かないと誰かしらに気が付かれてしまう。そのせいで、屋敷を抜け出す度に自分の技量が上がってしまったのは結果オーライなのだろうか?
念のため身代わりの式を部屋に送り、そそくさと裏の山道から参道へと迂回する。後は、何食わぬ顔で参拝客に紛れ込めば脱出成功。なんというか、実家なのにスパイミッションのようなことをしないといけない現実がちょっぴり悲しい。
スタスタと石段を登り、鳥居を潜るのは避けて境内へ踏み込む。鳥居の内側通ってヘタに抜け出しているのを感知されたら台無しだし。
「……毎年のことながら人多いわね」
今は助かるけど、と呟きながらなるべく人の影に隠れるように屋台の並ぶ境内を進む。出店を出しているのはクソ親父様連中の息の掛かった人間なので、顔を見られたら一発で終わりである。
帽子を深く被り直しつつ進むと、櫓の上で跳ねる桜色を見つけた。
うん、どうやらしっかりと頑張っているようだ。神楽用の衣装も見事に似合っている。こっそり写真を撮っておくとしよう。あー、もう! 我が妹ながら可愛いなぁ!
「――いたっ!?」
「――うわっ!?」
携帯の連射機能をフル活用して癒しコレクションを増強していると、後頭部から鈍い音と一緒に鈍痛が走った。衝撃で、携帯を持つ手がブレる。きっと、見返せば見事に景色を擦り剥いたような画像が保存されているだろう。せっかくノリにノッて来たってってのに、それを邪魔するヤツは何処の誰よ!?
怒りを抑えつつ背後を振り向くと、両手で金髪を抑えてうずくまる同い年くらいの眼鏡少女の姿。
あれ? コイツどこかで見たことあるわ。しかも南ヶ丘で。具体的には、南ヶ丘学園で。
「痛ったー、まさか神社で後頭部ヘッドバットされるとは思わなかったなー。もしかして……、カオりんそっくりのお尻を追いかけたアタシへの神罰!? で、でも魅惑的なあのお尻が――」
「……へぇ、私そっくりのお尻がどうかしたのかしら? この奇天烈金髪眼鏡さん?」
「いやぁ、あの黄金比は一度揉んでみないと分からないと言いますか……、あれ? オデコの痛みだけじゃなくて幻聴まで聞こえてきた? よし……、それならいっその事あのお尻が本物か鷲づかみして確かめるしか――痛っ!? あ、何か懐かしい感触と痛みがコメカミにっていうか眼鏡割れりゅうううううう!?」
顔を上げた瞬間、馬鹿なことを口走り始めた金髪馬鹿を眼鏡ごとアイアンクローで黙らせる。最初は抵抗していた馬鹿も、徐々に陸に打ち上げられた魚のような動きから萎びた海藻のように大人しくなる。
……何かムカツイたので一旦緩めた指にもう一度力を込めた。
「――割れ、割れちゃうから! 眼鏡だけじゃなくて頭蓋骨がミシミシとー!?」
「それだけ元気に叫べるなら、もうちょっと力を込めても大丈夫そうね。安心して、多分フレームくらいは残るから」
「それってフレーム以外残らないってことだよね!? って力が増したー!?」
再度のた打ち回る馬鹿の姿にため息が出た。
年末だっていうのに何やってるんだか。アイアンクローを解いて彼女がホッとしたタイミングで隙かさずデコピンを一発。
「……で、アンタ何で此処にいるのよネオン」
おぅうう、と声にならない唸り声を上げる金髪に、呆れ声で問いかけた私であった。
◆
「チッ! 巫女巫女カオりんを拝めると思ったらまさかの私服カオりんだじぇ……。あ、でもそのワンピ薄手で身体のラインがしっかり出るからそれはそれでアリかも。でもボーイズキャップはマイナス点かなーって。それより、寒くないの?」
アンタに出会ったせいで私の心が氷河期よ。と、口にでしてもコイツは絶対に理解しないんだろうなー。
「……ネオン、今度は優しく聞いてあげる。アンタ何で此処にいるのよ?」
「一ミリも変わってないよカオりん!? えーっと、何でというか、それをアタシも聞きたいと言いますか、道中色々あったけど最終的には拉致られたというか」
「拉致られた? 誰によ」
「誰にって、カオりんもよく知ってる人だにゃー。ちょっと暗黒面に堕ちかけてるけど」
生憎と私の知り合いにそんな物騒な人間は――、よく考えたら結構居るわ。某似非吸血鬼な神様しかり、この神社の連中然り。
「ふむ、秋山香織か。いや、この場では火野火織と呼んだほうが相応しいか?」
噂をすればなんとやら。呼んでもないのに出てきやがった。
「……何でアンタがここにいるのよ浅見屋双司。幻覚なら瞬きしてる間に消えなさい。お呼びじゃないわ」
「歓迎には程遠い台詞をありがとう。そうだな、お前の巫女装束を拝みに来たとでも言えば満足か?」
「――ハッ、旧神に拝まれるってなら私も結構捨てたものじゃないわね。なら、信仰対象として一言言わせてもらうわ。――さっさと回れ右して帰れ」
神社にそぐわない普段通りのスーツ姿の男に鬱憤をぶち撒ける。ああ、何かストレスが解消されていく。その半面、溜まっていくストレスは倍なのだが。
「今日はいつも以上に口から毒が出るな。ご機嫌斜めらしい」
「あー、カオりんの周期的にそろそろあの――」
「――ネオン、ちょっと黙ってろ」
「ハイ、ダマッテマス」
子犬のように縮こまるネオンを横目に、私は知らぬ顔でタバコに火をつけ始めた男を睨みつけた。
「で、ネオンをここに連れてきたのはアンタ? 嫌がらせにしては少し度が過ぎてると思うんだけど。そもそも、ソイツと面識ないでしょ」
「面識が無いかと問われれば答えはNOだ。残念ながら、一度だけ顔を合わせたことがあるのでね。もっとも、それは君にも当てはまることだが――」
「御託はいいわ。私はソイツを連れてきてどういうつもりか聞いているの!」
思考が高速で回転する。薄ら笑いを浮かべているコイツの表情からは何も読み取れない。そもそも、ここ最近に限らずコイツの行動は意味不明過ぎるのだ。行動原理が見えてこない。目的が見えてこない。まるで、絶対に型の合わないパズルを組み立てているようだ。小夜ちゃんや私を側に置くことでのメリットは?
――甘さ? そんな訳がない。コイツが神の一柱である限りそのようなことはありえない。神に甘さなんて人間味は不要。神格というアイデンティティを保つには、そこにあるのは純然たる契約のみ。信仰やそれに準ずる対価が無ければ、神はその身を保てない。忘れ去られた歴史が再び世に出てこないことと同じように、存在価値を失った神は消滅するだけだ。
「あまり声を荒げるなよ秋山香織。ほら、周囲が何事かと好機の視線を向けてきているぞ。状況的には……痴情のもつれに見えるのか?」
「うっ……、うるさいわね。元はと言えば、アンタが素直に質問に答えないからでしょ」
「質問ではなく恐喝と言ったほうが正しい物言いだったな。と、あまりお前をからかい過ぎるてまた騒がれてもかなわないか」
肩をすくめる仕草をしながら、仕方がないといった風に浅見屋双司は呟く。ああ、もう! 殴りたい。抉りたい。太古の果てまでぶっ飛ばしたい。あの犬っころといい、神様っていうのは人をおちょくるのが好きな連中ばかりなのだろうか。
「答えは、再びNOだよ秋山香織。この金髪眼鏡娘とは偶然会ったに過ぎん。彼女を神社に連れてきたのはお前もよく知る別の人物だ」
ひしひしと、背筋に嫌な汗が流れた。
「……それって?」
お願いだからその一言が嘘であって欲しい。あって欲しいと言ったらあって欲しいのだ。いや、いくら何でもそんな馬鹿なことがあるわけ――、
「あー、カオりん? 何をそんなに起こってるか知らないけど、アタシが一緒に来たのは小夜にゃんだよ? 鬼気迫った顔で『香織の巫女姿見たくありませんか!?』って言われて思わず……」
これまで黙っていたネオンが口走った言葉に、私気が抜けると同時に石畳の上に膝を付いた。 ……小夜ちゃん、一体なにを考えているの。一人で来るなら兎も角、よりにもよってネオンを連れてくるなんて……。
視界が真っ黒に染まる。いや、そんな余計な感情に浸っている場合じゃない。
まずは、ネオンに余計な探りや首を突っ込ませないように誘導しなければ。
「ところで、カオりんもこのお兄さんと知り合い? 小夜ちゃんも結構親しげに話してたけど、もしかしてどっちかのアレかなにゃ?」
「どれよ。まあ、万が一でもアンタが考えてるような可能性は一切微塵も存在しないわ。強いて言うなら……」
言葉に詰まり、チラリと浅見屋双司へ視線を向けた。
只の知人? いや、只のと称すには色々ありすぎた。しかし、そこはかとなく深い関係だと思われるのは生理的に無理だ。というかお断り。
「……そうね、丑三つ時に五寸釘を叩きつける仲かしら?」
「酷く暴力的な関係なんだね」
むしろ叩きつけたい。
実行すれば、間違いなく呪詛返しされるだろうけど。
「それより、小夜ちゃんと一緒に来たんなら本人は何処に行ったの?」
先程から疑問に思っていたことを問いかけた。
ネオンを連れてきた諸悪の根源……というのは可哀想か。とにかく、小夜ちゃんの姿が見えないのだ。迷子にでもなったのだろうか?
「小夜にゃんなら、さっき少し外れるって言って何処かに行ったよ? 多分しばらく戻ってこないんじゃないかなー。まぁ、原因はそこのお兄さんにあるみたいだけど――って、あれ? お兄さん、肩車してた幼女ちゃんは?」
はっ? 幼女?
「……むっ、いつの間に。俺に気が付かせないとは、千年引きこもっていても腕は衰えていないということか」
「音もなく居なくなってるねー。お兄さん探しに行かなくていいの?」
「構わないだろう。アレは誰かに縛られる質では無いからな。捕まえても直ぐに居なくなる。その内ひょっこり戻ってくるさ――多分」
どうやら、その幼女とやらは浅見屋双司関係の人物らしい。
一応、まがりにも神社の人間としては、そんな危険人物? を野放しにしたくなど無いのだが。
「――秋山香織。アレと関わろうとするのは止めた方がいい。お前とアレは相性が悪すぎる。いや、この神社の人間とと言ったほうが正しいか。何もしなければ害は無いことは保証してやるから、大人しく関わらないでおけ」
「随分と身勝手な物言いね。ここは火野の領地なんだけど?」
「だからこそ言ってやっているんだ。最悪、火具鎚(カグツチ)の加護ごと神社一帯吹き飛んでも構わないなら話は別だが」
「神社一帯吹き飛ばすって……、アンタどんな化け物連れてきたのよ」
仮にも古神である火具鎚が存在する霊地ごと吹き飛ばすなんて馬鹿げたことを出来るヤツなんて――、
「ちなみに、アレは俺の姉だ」
……正直、この場で気を失ってしまいたかった。
は? 姉? それって該当するヤツ一人――じゃなくて一柱しか居ないじゃない!
「……もうヤダ。南ヶ丘のお家に帰りたい」
力なく呟いてしまった私を責められるヤツなんて、居るわけがない。
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Episode07【岩戸神楽】そのEです。 未読の方はその@からお読み下さい。 |
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