艦これアニメ秘匿試作零号
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 その日、広島の呉から横須賀鎮守府に向かう輸送船『寛栄丸』に一人の青年将校が乗っていた。

 本来は鉄道を乗り継いでの予定だったが、たまたま出発日時を同じくする輸送船に余裕があったため、青年は船旅をすることになってしまった。

 術科学校を出てから二年、数々の『衝突』を繰り返しながらも、依然として海軍に籍をおくのだから青年は船が嫌いなわけではない。しかし、たまには変化の乏しい海上ではなく、山の木々や街並みを見ながらの移動をしてみたいと思うの人情というものだ。

(経理部が出し渋ったのか、上の嫌がらせか……)

 おそらくその両方だろうと思い青年は、蒼い海に向かって盛大に溜息をついた。それに答えるように波間からの飛沫が青年の頬を軽く弾いた。

 青年は夏の日差しの下、三〇分ほど前からこうして甲板に立ち、乗員の作業風景や遠くに見える陸地を漫然と眺めていた。船室で呆けているよりも良いと思ったが、徐々に風が強くなり爽快感よりも今は少し肌寒いと感じるほどだ。

(晴天なれども波高し、か……)

 カモメかアホウドリか、遠くの空を風に向かって飛んでいく鳥の姿が見えた。

(いや、そんなに幸先の良い話じゃないかもな。むしろ、こっちだな)

 青年は頭の中の本棚を探り、中等教育で使っていた一冊の古びた教科書を取り出した。パラパラと頁をめくるような気持ちで息を整えると、青年は詩を詠んだ。

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

 人には告げよ 海人の釣り舟」

 一呼吸の内に並べられた語句は、風に流され、海へと吸い込まれていった。

「詩を詠まれるのが趣味ですかな、大尉殿」

 わずかな余韻を遮るように小さな拍手が青年の耳を打った。振り返ると船内の見回りをしていたのだろう当直近衛の男が手を開いていた。

 この航海中に青年は階級を問わず、乗組員達から声をよくかけられた。客人であることも一因だが、階級相応とは言い難い年齢に物珍しさもあったのだろう。これは暇を持て余していた青年にとっては非常に有難い事だった。

「いや、たまたま覚えていただけだ」

 青年は感傷的な態度を見られたのが少し恥ずかしかった。

「しかし、釣り船とは少々酷いですな。戦闘艦船に比べれば、老朽化した元商船のこいつは見劣りするでしょうけど、自慢の我が家です」

 男は冗談めかして言った。

「ああ、整備の行き届いた悪くない船だ」

 青年は手すりを撫でた手を男に開いてみせた。錆はもちろん、塗料のカスもついてはいない。

「ハハハッ、そうですか。短い航海でしたが、この船の良さをわかって頂けましたか」

 もうこの船に乗って長いのだろう男は、まるで我が娘が褒められたかのように上機嫌に笑った。

「先ほどの詩、意味は良く分かりませんが、大尉殿と同じように随分と勇ましい感じがありました」

 余程嬉しかったのか男は随分と大仰しい様子で青年を褒めた。

「勇ましい……ね……」

 この歌の意味と背景を知っている青年は苦笑した。歌自体の響は確かに勇ましい。しかし、この詩を詠んだのは我を押し通しために島流しにされる罪人だ。

 男は不思議そうな顔をしていたが、青年は特に説明はしなかった。

「詩もいいですがあまり風にあたって風邪を引かないでくださいよ。鎮守府について直ぐに倒れたとなると、我々が変に噂されちまいます」

 当直の男としても今ここで面倒を起こされたくないのは本心だろう。それにこれから行われる甲板掃除の邪魔になるのは明らかだった。

「そうだな、そろそろ中へ――」

 言いかけた青年の耳が妙な風切り音を捉える。その瞬間、身体に叩きこまれた危機回避の反応が青年の身体を甲板へと押し付けていた。

 談笑していた男がまばたき一つ遅れてしゃがみ込もうとした直後、轟音を響かせ輸送船の右舷で水柱が上がった。

 水中を伝わった衝撃は船体を打ち、不規則な揺れとなって青年と男を襲う。

「いでえっ!」

 変なふうに体勢を崩した男がふらふらとよろけ、鉄板に頭をぶつけてしまった。

(こんな沿岸で、敵襲だと!)

 青年の考えを裏付けるかのように、船の何処から機械的に鉄を打ち鳴らす耳障りな警報音が聞こえてくる。

(警報が今になって鳴っているぐらいだから、電探で捉えていた兆候もない……まさか!?)

 身をかがめその場を離れようとしていた青年を、続けざまに飛来する至近弾が襲う。

「っつ!」

 ほんの一〇メートルも無い海面で水柱が上がり、膝下を崩すような衝撃とともに、船体に激しい水飛沫を飛ばした。

「うっ! あっ……」

 鉄板に頭をぶつけ前後不覚にでも陥っていたのか、衝撃に足元をすくわれた男が船体の手すりに向かって倒れていく。

「あっ!」

 男がぶつかった整備や荷降ろしのために設けられた鎖の仕切りが、断末魔を上げた。見えない所で劣化していたのか、留め具の部分が根本からもげてしまう。

「うわあああっ!」

 すんでのところで鎖を握る男だったが、一度崩れた体勢そのままに重心は海へと向かった。

(くそっ! 整備は見た目だけだな!)

 青年は低い体勢のまま甲板を蹴って飛びつくと、間一髪の所で男の鎖を握る手をとった。

「あ、あぁあ……た、たすけて……」

 右手だけでは足りず、さらに左手で男の腕を掴む。自分と同じぐらいの男の体重に肩が悲鳴を上げ、圧迫され船体と擦れる腕が痛んだ。

「いま、上げてやる……ぐぅぅうっ!」

 汗で滑りそうになるのを必死でこらえ、青年は膂力を限界まで使って男の身体を引き上げる。なんとか男の左の指が船体の縁にかかった。

「あと少しだっ!」

 励ますように言うと青年は、男をさらに引き上げるために膝を曲げ、少しだけ前のめりになった。

 まさにその時、至近弾とは明らかに違う大きな衝撃が船を揺らした。通常なら耐えられるそれも、今の青年にとっては致命的な加速度を生じさせてしまう。

 男を船の縁に張り付かせるのと引き換えに、青年の身体は海に向かって前のめりに倒れこんでいった。ぐるりと一回転する視界の隅で、黒煙を舞い上げる船首が見えた。その一発が自らを海へと突き落としたのだと青年は理解した。

(こんな所でっ!)

 目眩がするほどに脳の血流が加速する中、青年は自らの不遇を呪った。

 しかし、その目は諦めに濁ってはいない。落ちた次の事を考えていた。幸いなことにここは北方の氷海ではない。自分が落水したことをあの男が知っているのだから、救助を期待できる。

 近づく海面を鼻先に感じ、軍衣の金ボタンに手をかけたその時、海面を物凄い勢いで走り着水点に向かって来るものの姿を青年は捉えてしまう。

(魚雷!?)

 それはどうしようもない不運。

 水中での爆散を覚悟し、青年は歯を食いしばった

 しかし、鼓膜を千々にする爆音も身体をひしゃげる痛みもなかった。それどころか、水面に叩きつけられる痛みもない。ただ、柔らかくて小柄な何かが青年の身体を窮屈そうに抱きとめていた。

「おっも〜い〜〜!」

 不満いっぱいの愛らしい声と共に、青年は海上に浮かぶ鉄の塊に向かって投げつけられてしまう。

「お、落ちるっ!」

 青年は大太鼓ほどの大きさの鉄塊に必死になって掴まり、不恰好ながらなんとか海へ落ちずにすんだ。

「き、君は……」

 へばりついた格好から、鉄塊から伸びる二本の棒を頼りに体勢を立て直し、青年は女の子を見た。

 年の頃は女学校に通い始めたぐらいの年齢だろうか。まず目についたのは黒兎を模した髪留めだ。絹のような長髪を押さえているが果たしてそこまで長い意味があるのかは疑問だった。大胆なほど布の少ない水兵服は、酷い日焼けを青年に心配させるほどだ。

「君が噂の艦娘?」

 青年は状況も忘れて女の子に問いかけていた。

 珍奇な格好を除けばごく普通の子女だが、加えて身に着けている物が違った。右脚に連装砲を小さくしたような物を張り付かせている。青年がしがみついている鉄塊も大きさこそ違え、これと同じ形状だ。さらに背中には大仰しい機械を背負っている。ただの張りぼてとは明らかに違うそれは、タービンが回っているかのような音を轟々と立てていた。

「うんっ! 駆逐艦島風です。速きこと、島風のごとし、です!」

 少女の名乗りを待っていたかのように、新たな砲弾が届き背後に水柱を立ち上げた。

「って、呑気に話してる場合じゃないな」

 輸送船を見上げるが救助の気配はない。既に被弾している以上、落水した人間を助ける余裕はないのだろう。

「このままでは輸送艦が撃沈されるのは時間の問題だ。君、行けるか?」

 艦砲射撃が飛来する方向を見て青年は尋ねた。水平線より手前に黒い艦影が三つ、鏃のような編隊を作っているのが見える。現在の視界が身長より若干低い事を考えると、水平線まで四キロメートルほど、一番近い敵艦までは二キロほどだろう。

「もちろんだよー! 島風に行けない場所なんてないんだから!」

 自信満々に言ってのけた島風は、脚に張り付いていた小型連装砲を右腕に抱えた。

「よし、ならば敵艦を撃破するぞ」

「よーそろー! じゃあ、連装砲ちゃんにしっかり掴まっててね♪」

 島風の背面機関が唸りを上げる。青年はその凄まじい音にしがみつく四肢に力を込めた。

「いっくよーーー!」

 掛け声を置き去りにするかのような、凄まじい加速度が青年を襲った。一瞬でも気を抜けば身体は弾き飛ばされ、海面に打ちつけられる事だろう。青年が乗る『連装砲ちゃん』は斜め横について進んでいるのだが、島風が立てる飛沫が『連装砲ちゃん』から飛び出た青年の顔面を打ち呼吸を苦しめた。

 それでも必死に目を見開き、前方を注視していると敵艦の姿が分かった。

(あれが深海棲艦……)

 一見すると鯱か鯨のような黒光りする船体だ。船首に目のような灯火を光らせ、揺れる波間に歯のような白い下部が見える。背部に幾本か見える筒が艦砲だろう。

 人の手によるものか神の手によるものか、機械と生物を合わせたまさに異形の艦だった。

(前に見たのとは型が違うな)

 青年がこうして実物を見るのは二度目だった。一度目は完全なる偶発的な遭遇。遠洋を航海中の艦が沈み、救難ボートに乗っている時に遠目に見ただけだ。

 近づく島風をようやく危険と認識したのか、二隻の艦砲がこちらを向く。

「砲撃、来るぞ!」

 青年の警告にも島風は進路を変えず、一直線に敵艦へと向かう。タービン音と海面を駆ける音に砲撃音が混じる。

「へへーん、そんな遅いの私には当たらないよー!」

 飛来する砲撃に島風は全速のまま面舵を切る。急転舵に凄まじい遠心力が青年を襲った。身体が浮き海面にふっ飛ばされそうになりながらも、必死で二本の砲塔を握り続けた。後方で砲弾が水柱をあげる音が聞こえたが、青年はそれどころではなかった。

「今度はこっちからだよ!」

 敵艦の左舷に回り込んだ島風が、右腕に抱える連装砲を放つ。目に見えるほどの反作用が二連続で島風の身体を揺らし、目では捉えられない速さで砲弾が風を切り海上を飛ぶ。

 一瞬時が遅れたように感じる着弾、一発は水柱と終わったが、もう一発は偶然にも船体下部に命中。小爆発の後、さらに燃料か火薬に引火したのか大爆発を起こした。

「どんどん、いっくよーー!」

 調子を上げた島風がさらに別の艦に向けて連装砲を撃つ。耳をつんざく二連射はしかし、一発は手前に、もう一発は敵船体に達するが弾かれたように、海上へと逸らされてしまう。

「むぅー」

 黒煙が波風に流されると島風が不満そうに頬を膨らませていた。

 敵が既に回頭を終えていた事もあるが、よくよく見ると敵艦は撃沈したそれと形が違った。砲台そのものといった形状をしていて、装甲板を持っている。この装甲板に島風の砲弾は弾かれたのだ。

「火力不足だな。魚雷は?」

「重くなっちゃうから置いてきちゃった」

 島風はあっけらかんと言い放った。駆逐艦を名乗っているにもかかわらず、まさかの魚雷なしに青年は一瞬だけ頬をひくつかせた。

「なら仕方ない。接近して、一番痛い所にくれてやれ!」

「もっと近づいて良いの? あぶないよー」

 自由奔放に見える島風だったが、それなりに気遣いは出来るらしい。

「俺のことは気にするな。敵を近くで見れるなら、むしろ好都合だ。島風の如き速力なら、あの程度の攻撃は当たらないだろ?」

 青年は乱れていた襟元を正し、島風を挑発するように言った。

「もっちろんだよー! でも、そこまで言うなら、覚悟して、ねっ!」

 タービン音が一段と高くなり、島風は巡航速度から一気に最高速まで加速していく。敵から放たれた射撃が上げる飛沫が追いつかないほどの速度は、その風圧だけで青年を苦しめるのに十分だった。そんな青年の忍耐に応えるように、彼我の距離は瞬く間に縮み、その大きさがはっきりとしてくる。

 それは巨大な砲台だった。目視で確認する限りで、全高が十五から二十メートル。上部と下部側面に多数の砲塔を持ち、それを守るように側面装甲板を装備している。特徴的なのは砲塔に囲まれるようにある中心部の口だ。白い歯を持つ顎が開かれ、幽鬼のような青白い二本の腕が伸びている。潮に濡れた黒髪のようなものが海藻のようにへばりついているのが、人を思わせ不気味だった。

 青年が観察している間にも、敵機関銃が唸りをあげ射程に入った島風に鉄弾の叩きこもうとする。

「回頭、おっそーい!」

 島風は凶弾の突風をいなすように躱しながら、抱えた連装砲を敵に向ける。

「敵が砲撃する瞬間、大口開けてる所に叩きこんでやれ!」

 敵が主砲を放つ時に下部の顎が大きく開いていることに気づいた青年が叫ぶ。小さく頷いた島風の連装砲を抱える腕に力がこもる。

 効果のない機銃掃射が飽いたように止まり、砲台が身動ぎする。

「今だ!」

「えいっ!」

 青年の掛け声と同時に島風の連装砲、一呼吸遅れて敵が砲火を放つ。

「ひゃん!?」

 至近弾に海面が揺れ島風がわずかによろめいた。その影響か、青年の乗る『連装砲ちゃん』も速度を落とす。しかし、敵からの追撃はない。

 異形の砲台は二発の直撃弾を咥内に喰らい、まるで内臓を焼きつくされたかのように豪炎と黒煙を巻き上げていた。

「もひとつ!」

 さらに島風が砲弾を叩きこむと、敵艦は金属をすり合わせるような不快な音を発し次の瞬間、大爆発を起こした。

「やったー!」

「油断するな、もう一隻いるぞ」

 喜ぶ島風に青年が釘を刺す。最初に確認した艦影は三つだ。青年は会敵時の位置関係を頭の中で確認すると、東に目を向ける。すると波濤をかき分けるようにして、遠ざかっていく艦影が見えた。

「島風からは逃げられないって」

 連装砲を抱え直すと、島風は全速力で敵艦を追い始めた。

「待て、最初から一隻だけで逃げようとしているのは怪しいぞ」

「大丈夫だよー! どんな敵でも、私がやっつけちゃうんだから!」

 波濤を飛び越えるように駆け、徐々に距離を詰めていくと、水平線にごく小さな別の艦影が見え始める。

「なにか吐き出したぞ!」

 小さな艦影の上部がわずかに動くと、黒い粒のようなものが空中に吐き出された。粒は一つ一つがまるで糸に操られているかのように規則正しい編隊を作り、こちらに向かってくる。

「あ、ちょっと大変かもー」

 島風が初めて動揺を見せる間に、黒い粒は急速に近づきその姿を大きくした。

 それは黒い爪のような形状をしていた。爪といっても人間のそれではなく、肉食獣を思わせる鋭く尖った爪だ。最初に撃沈した敵艦をさらに先鋭的に、攻撃的にしたような印象だ。下部に歯のような突起物が並んでいる。機関部だろうか背中が赤々と光っている様は、夜ならば蛍に見えないことも無いかもしれない。

 爪上の飛行物体はある程度近づいた所で、水面に向かって何かを投下し、そのまま離れていく。海中に潜り込んだそれは、白い泡を吐き出し一直線に向かってくる。

「魚雷!? 艦攻か!」

 青年が艦上攻撃機に気づく前に島風は既に回避行動に移っている。大きく左に舵を切り、盛大に飛沫を巻きあげて急旋回を始めた。

「艦上機、大っ嫌ーーーーーい!」

 鋭い弧を描く遠心力に振り回され、鉄塊に内臓を押されて青年は思わずむせる。そんな痛みなど気づかない島風は、お構いなしの全速力で逃げ出した。

「ど、どこかに空母が……」

 錯乱状態もかくやという無茶苦茶な逃げ方に翻弄されながらも、青年は風圧に耐え視線を走らせた。一瞬だが視界の端に、これまでの三隻とは明らかに違う『人影』を捉えた。

(あれも艦娘? いや、似ているだけか?)

 姿形こそ不釣り合いな帽子を被る少女のそれだったが、背筋がざわつく様な禍々しさを感じた。

「もうもう! 空飛ぶなんてズルいよー!」

 誘導能力が低いのか、なんとか魚雷は振り切ったが安堵できる状況ではなかった。今度は下部に爆弾を抱えた爆撃機が迫る。

「ひゃん!?」

 流れるようにして投下された爆弾の一つが水面を跳躍し、至近弾となる。飛沫に混じりとんだ鉄片が、青年の肩を切り裂いた。

「くっ!」

 大量の海水で冷えた身体の中で、肩口だけが焼けるように熱かった。鮮血が流れ出しているが、止血している余裕はない。

「だ、大丈夫!? ねえ、私、どうすれば良い?」

 混乱しながら頼ってくる島風の声に青年は迷った。

(戻って輸送船を囮にでもするか? しかし逃げ切れる保証もない。むしろ、ここは空母に向かうべきなんじゃ……)

 そんな迷いを迷いを咎めるように、別種の航空機が砲塔を青年へ向けた。

(戦闘機もいるのか!)

 艦娘はどうかしらないが、少なくとも生身の自分が機銃の斉射に耐えられるわけがない。この手を離し一旦逃れた所で、大海原に叩きつけられた後、逃げる場所も隠れる場所も無い。

『ぃっけーーーー!』

 砲弾の雨に身を切り裂かれると覚悟したその時、敵航空機が空中で盛大な火花となり爆散した。その煙を纏い何かが高速で飛び去っていく。

『怪我してへんか?』

 無線なのか、島風の方から別の声が聞こえてきた。

「龍驤ちゃん、おっそーーい!」

 不満そうに言いながらも、島風はどこか嬉しそうだった。

『助けてやったのにその言い草? ホントありえへん。それにうちが遅いやなくて、あんたの脚が異常に速いんやっ!』

 威勢のいい声にビシっと咎められた島風だったが、なぜか嬉しそうだった。

「えへへ、やっぱり私が一番だよね!」

『褒めてへんはっ! まったく、自分調子いいなぁ……、演習の途中で海に出たのにそんな態度だと、また加賀はんにガミガミ怒られるでぇ』

「で、でもー、それでこうして救援が間に合ったんだよ!」

 こうして会話を繰り広げていながらも、島風は敵の銃撃と爆撃、艦砲射撃を巧みに避け続けていた。

『そら結果論やな』

「ぶー、これだからおばさんはー」

『なんか言うたか?』

 はっきりと聞こえていたのだろう龍驤の冷たい声に、さすがの島風もごまかすように笑った。

『マイクチェック、聞こえてる?』

 言い争いを止めるようにまた別の声が無線に割り込んできた。

「あっ、霧島もきてるんだ」

 島風が少し意外そうに言った。

『二人とも喧嘩してないで、さっさと片づけましょう。結果が伴えば加賀も怒らないわよ』

「はーい」

 そうこうしている内に、敵の航空機は味方の攻撃機に全て撃墜されていた。

『空母は任せて、島風は残っている駆逐艦を!』

「りょうかーーい!!」

 元気よく言った島風は転進、艦砲を向けると鯱型の敵に向かって突っ込んだ。すでに敵艦に航空機の援護はなく、迫り来る島風に対し掠りもしない艦砲と機銃の射撃を繰り返すだけだった。

「好き勝手に撃ってくれた、おかえしだよ!」

 島風は不必要なほど敵艦に接近し連装砲を叩きこむ。航空機に散々追い掛け回されたのが余程腹に据えかねたのか、しがみついていた連装砲も合わせて動員したものだから、青年は堪らなかった。

「うげっ! ぐぅう! げほっ、げほっ!」

 青年は発射の衝撃で胸を打ちまくり痛みと呼吸困難で噎せた。正直、切った肩口よりも痛かった。

 その甲斐もあって、敵艦は船首と甲板を無残に破壊され、ほとんど反撃すること無く沈んでいった。

『主砲、敵を追尾して……、撃て!』

 無線から霧島の声が聞こえた一呼吸後、遠方で敵影と連続して上がる水柱が重なった。遅れて聞こえてくる音には海面を打っただけ以外も含まれていた。

『命中! 敵…………、中破! 後退していくわ』

「追っかける?」

 先ほどの航空機による待ち伏せが効いたのか、島風も今度は飛び出してはいかなかった。

『深追いは厳禁よ。輸送船の救助を優先しましょう』

『そうそう、何事も優先順位が重要やでぇ』

「はーーい」

 二人の意見に大人しく従った島風は、その場で旋回し輸送船へと向かった。

 

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 輸送船『寛栄丸』は船首を無残に破壊されてしまったが、航行にも問題はなかった。幸いな事に死傷者はなく、怪我人も肩を切った青年が一番酷いぐらいだった。

 その後、青年の乗る輸送船は霧島、龍驤、島風に護衛され目的地である横須賀港に入港した。

 血も止まり大した怪我でも無いので青年は鎮守府内の海軍病院へは行かず、予定通り参謀部のある庁舎へと向かった。

 夕刻を回り西日を受ける庁舎は特徴的な姿をしていた。近代的か欧米的とでも言うのだろうか角ばった形で、青年には紫檀の箱のように見えた。三階建てで細長い単窓が規則正しく並んでいる。なんでも震災後に再建される際に耐火性や耐震性を考慮してこうなったらしい。

 入り口に立つ警備に挨拶すると、既に輸送船襲撃の件も含めて話は伝わっているようで、三階の司令長官室へ行くように言われた。

 庁舎の中の雰囲気は同じ鎮守府ということもあり、呉と変わらず落ち着いた空気が流れていた。青年は入り口から続く毛の短い絨毯の上を歩き、正面大階段を上がっていった。

 階段の手すりは顔が映りそうなほど磨かれ、塵一つ落ちていない。掃除が気になってしまうのは、海軍学校出の宿命というやつだろう。

 階段を上りきり、突き当りを右に進んでいくと長官室はすぐに分かった。

 身だしなみを整えようとしてから、肩に包帯を巻いているのを思い出し青年は苦笑した。包帯で変なふうに膨らんだ肩に比べれば、ボタンの一つや二つ飛んでいても気にかけられないだろうと思った。

 青年は笑いを引っ込めると扉をノックした。

「おう、入れ」

「失礼します」

 低い男の声に促され、青年は扉を開いた。

 部屋の中は一面に赤い絨毯が敷かれていた。右手は窓になっていて、左手には何やら資料が詰まった棚が置かれている。棚の上に歴代の司令長官だろう写真が窮屈そうに並んでいた。

 一瞬で内装を確認した青年は、視線を正面の執務机で書類に目を通している初老の男へ敬礼を向ける。

「三栖惣太郎、軍令部の命により本日、海軍艦娘部隊に着任いたしました!」

 挨拶を聞き終わると、初老の男は持っていた紙束を机に投げ出し惣太郎を見た。

「ああ、話は聞いてるぜ。まったくツイてないぜ、提督をやらせられる士官の補充を上申したら、上官に噛み付いて出世を犬に食わせた馬鹿野郎が一人、飛ばされて来たんだからな」

 あけすけなもの言いをする男の名は大井篤志、横須賀鎮守府の司令長官だ。白髪の混じった髪を整え、身に着けている軍服も洗濯したてのように綺麗にしているのだが、口調からも分かる通りの粗野さが全身から漂っている。しかし不思議と不快な感じはしない。むしろ仙人の深い知性に試されているような気さえする。

(噂通りの変人というわけか)

「ん? どうした大尉、オレの顔になんかついてるかい?」

「いえ、失礼しました」

 惣太郎は直立を崩さず答えた。正直、こういう態度を取るのは好きではないが、初対面で相手の性格が分からない以上は仕方ない。

「ふんっ」

 大井司令は惣太郎の胸の内を見透かしているかのように小さく笑った。

「話は聞いたが、うちの娘どもにくっついて、深海棲艦を落としたそうじゃねえか。って事は、なんにも知らないで呉から来たわけじゃないよな」

「……半年前、乗っていた駆逐艦が南西諸島沖で沈みました。表向きは機関部からの失火ということになっていますが、あれは間違いなく魚雷による攻撃でした」

 今更隠すことでもないと、惣太郎は全てを話すことにした。

「隣国との政治的問題ということで生き残った一〇名には箝口令が敷かれました。しかし、自分は確かに見ました、世界中のどの軍船とも違う異形の艦を」

「なるほどねえ、それで知らなくて良いことに首を突っ込んじまったわけか。馬鹿だねえ」

「知りたがりな性分なもので。軍学校時代のツテと少々の規則違反で結構な事がわかりました。世界各地で頻発する海難事故、そこに見え隠れする深海棲艦と呼ばれる謎の敵のこと、そして奴らに対抗できる艦娘の存在」

 情報の片鱗を集め、点と点をつなぎ、線を広げ面とする。そうして、惣太郎は事の大きさに気づいていった。

「なるほどな。それで英雄を気取って、艦娘の指揮に立候補したわけかい?」

 惣太郎は真摯に大井司令の目を見つめ否定する。

「違います。これほど重大な事件を、年端もいかない子女に任せるなど軍人としてあってはならないことです。海軍の正規作戦でこれに対抗すべきだと、軍令部に直接進言しました。残念ながら聞き入れてもらえませんでしたが」

「知りたがりどころか、藪をつついて蛇を出すのが趣味の変人だな。呉の連中が厄介がるのもわかる話だ」

「横須賀もですか?」

 惣太郎の分不相応な挑発的な態度も、大井は一笑に付すだけだった。

「そうだな、戦争が終わったとはいえ国際情勢は不安定だ。所属も目的も分からどころか、化物かもしれん連中が大海原で遊びまわってるなんて、話はそうそう吹聴できねえよな。経済、国際情勢全部に関わる話だ。それに貴重な人員と艦を、訳の分からんことに割きたくないってのも大きいだろうぜ」

「しかし、軍がやらねばならないことです」

「俺もそう思うぜ。ただなあ、この国の保有艦は条約で厳しい制限が付けられてるんだよ。だから、娘どもに頼らんとやってはいけん」

「それは分かっています。むしろ、国際的枠組みを作ってでも……」

 無理なのを重々承知している惣太郎の言葉尻は弱かった。

「ふむ、お前さんが割り切れんのも分かる。若い娘を戦場に駆り出すなんてのは最低の行為だ。でもな、他に手がない以上は誰かがその馬の糞をかぶるしかない。それがオレやお前さんだ。分かるな」

「……はい」

 惣太郎は静かに答えた。大井司令の言葉にはこれまでに、何度も飲み込んできのだろう理不尽が感じられた。

「戦い以外のくだらない心配からも、娘どもを守ってやるのも任務のうちだぞ」

「了解です」

「おい、随分と簡単に頷くじゃねえか。ちゃんと全部の意味わかってるのか?」

「全部とは?」

 大井司令が眉をひそめるが、惣太郎はその意味がよく分からなかった。

「良いか、オレはな、艦娘は神産巣日だと思ってる。産みが海に通じる女神だ」

「女神……ですか……」

 島風達には危ない所を助けてもらったわけだが、女神とまで言われると少し違う気がした。

「そう云うつもりで接しろって話だ。もし下衆な手出ししやがったら、爪先から刻んで海に撒いて魚の餌にしてやるからな」

 くすりとも笑わない大井司令の抑えた声に、惣太郎は背筋に寒いものを感じ身体を硬くした。

「りょ、了解です……」

「ま、大した実戦も経験してない若造じゃあ、あいつらに何かできるわけもないだろうがな」

 人を化かした狸が嘲笑いでもするように、大井司令は鼻を鳴らした。

「オレからの話は終わりだ。下に案内を呼んでやるから、とっとと官舎に行ってその潮くせえ頭をどうにかしちまいな」

「了解です。失礼しました!」

 惣太郎は敬礼すると毅然と踵を返し、長官室を後にした。

 大階段を降りた惣太郎は、人の出入りを観察しながら案内人を待った。しばらくすると、建物の右手奥から一人の女性がやってきた。

 あの島風と同じぐらい小柄だが、落ち着いた雰囲気を持っている。一本に結った艶やかな黒髪を、臙脂色の上衣から膝丈の袴へと流していて、それがたいそう似合っていた。

「三栖大尉ですね?」

 惣太郎の目の前までやってきて女性は尋ねた。

「そうだ。君が案内?」

「航空母艦、鳳翔です」

 鳳翔は僅かに目を伏せるように頷いた。

「空母を名乗るということは君も、艦娘なのか?」

 騒がしい島風達を思い出して、惣太郎は少し驚いた。身長こそ低いが、彼女たちより随分と大人に見えたからだ。

「はい、明日からの訓練の手伝いや、大尉の身の回りのお世話をするように仰せつかりました。ふつつか者ですがよろしくお願い致します」

 そう言って鳳翔は恭しく頭を下げた。

「分かった。よろしく頼む」

 鳳翔の感じの良さに惣太郎は大いに安堵した。軍学校時代のようなむさ苦しい教官にしごかれるわけでもなく、つい先日までの上官である嫌味しか言わない無能者に従うでもなく、美しい女性と仕事が出来るのだ。これで喜ばない男がいるはずがない。

「それでは、官舎の方に案内しますね」

 鳳翔の後に続き、惣太郎は庁舎を後にした。

 夜の帳が降り始めた鎮守府内を、海の方に向かって歩き出した。

「ここに兵舎と書いてあるが違うのか?」

 庁舎を出てすぐの建物に表札を見つけた惣太郎は不審に思い尋ねた。

「こちらは主に通常艦船に関わる人達の兵舎になります。三栖大尉には私たち艦娘と同じ敷地奥で生活するようにとのお達しです」

「ふむ、君たちに慣れるようにとの配慮か」

「それもあると思いますね。あ、右手に見える白い建物が軍病院になります。緊急の際は――」

 何やら他にも事情がありそうだが、鳳翔が病院の説明を始めてしまったので、惣太郎は官舎について聞きそびれてしまった。

 鳳翔の案内を聞きながら十五分ほど歩くと、大きな建物がまとまって建つ区画が見えてきた。

「あれは?」

 惣太郎は見る限り一番大きい建物を指差して聞いた。

「私達が通う学校です。一般科目から砲術、戦略論まで様々なことを学んでいます」

「君たちは学生なのか?」

 今までみた四人の艦娘は全員若いと考えていたが、まさか学生をそのまま動員しているとは思っていなかった。

「お給金をもらっていますから、ただの学生というわけではありませんね。あっ! と言っても借金でしばらてるとかそういう理由ではありませんからご安心ください」

 惣太郎の驚きをどう思ったのか、鳳翔が付け加えた。

「ここに来た理由は様々です。でも、艦船としての記憶を残している私達だからこそ、持っている力を人々を守る為に使いたいんです」

「そうか……」

 複雑な思いもあるだろう。しかし、国を、そこで暮らす人々を守りたいと願うのは惣太郎も同じだった。

「官舎はもうすぐそこです」

 向かう先には白亜の瀟洒な建築が見えた。コンクリート造だろう洋風の三階建てだ。写真でしか知らない帝国劇場だが、かの建物を小さくしたような印象を受けた。

「官舎にはもったいない建物だな」

 そう言いながらも真新しい建物に、これなら広い部屋が貰えそうだと惣太郎は内心で喜んでいた。

「あ、その……これは私たちの宿舎で……三栖大尉の官舎はこちらです……」

 言いにくそうにしながら鳳翔は宿舎の前を通り過ぎ、裏へと回った。

 薄暗い闇に隠れるような官舎が見えてきた。

「これはまたずいぶんとボロいな」

「すみません……」

 鳳翔が済まなそう下げた頭越しには、ボロい平屋が建っていた。官舎とは名ばかりで、艦娘達の宿舎の管理人小屋にしか見えない。ほとんど使われていないのか、全ての雨戸が閉めきってあった。

「謝ることはない。君の責任じゃないだろ。それに一軒家は気が楽でいい」

 あまりにも鳳翔が申し訳なさそうにしているので、惣太郎はそう言って強がった。実際は貧乏書生の下宿先のような小屋に落胆の溜息を抑えていた。

「と、とりあえず、中に入りましょう」

 小さな金具がついただけの引き戸を開けると、鳳翔に続き惣太郎は小屋の中に入った。

「けほっ、けほっ」

 玄関を上がった所で鳳翔が小さく噎せた。案の定、換気も掃除はまるでされていず、埃臭い空気が淀んでいた。

 スイッチを押すと電気だけは通っていて、吊り下げられた裸電球が赤々と狭い部屋を照らしだした。

 畳敷きの大小二部屋を襖で分けていて、それとは別に洗面台と便所が付いている。船で一緒に運んできた荷物が既に部屋の片隅に置かれていたのはありがたかった。

「ま、窓を開けますね」

 空気の悪さに耐えかねた鳳翔が雨戸に手を掛けて言った。惣太郎も頷き窓を片っ端から開けていった。

「少しはましになったな」

 埃が舞ってしまうが、海からの風が淀んだ空気を少しずつ吹流していく。

「ふー、まったく、艦娘付きの士官はこんな扱いなのか?」

「他の提督はみなさん結婚されているので、庁舎近くの官舎の方に……」

 これまた鳳翔が言いにくそうに言葉を濁した。

(なんだかんだ理由をつけてるけど、部屋に余りがないからここにぶち込まれたんじゃないのか?)

 大井司令のあの不敵な顔を思い出し、どうしても穿った見方をしてしまう惣太郎だった。

「食事は私達の宿舎の食堂で取ってください。朝七時、昼十二時、夜六時の三回ですが、給糧艦の間宮さんがいればいつでも作ってくれます」

「飯がいつでも食えるのは有難いな」

 朝食から後は何も食っていないことを思い出し、惣太郎は自分の腹を触った。

「今日もそろそろ食堂が終わる時間ですけど、私が間宮さんに言っておきますね」

「ああ、頼むよ」

 鳳翔が色々と気がつく娘で良かったと、彼女を付けてくれた事だけは大井司令に感謝した。

「案内助かった。後は自分で何とかするから、君も食事に行くと良い」

「はい」

「くれぐれも俺の兵食の確保を頼むぞ」

 惣太郎が少しばかり格式張った言い方をすると、鳳翔はくすりと笑った。

「はい、分かりました、提督」

 惣太郎は帰る鳳翔を玄関まで見送ることにした。

「あ、あの……」

 引き戸を開けた所で鳳翔は振り返った。

「まだ何かあったか?」

「その……色々と大変だと思いますが頑張ってください!」

 それだけ言うと鳳翔は一本髪を機嫌の良い馬の尻尾ように揺らし、小走りに去っていった。

「さてと……」

 引き戸を締める時に、鍵がないことに気づいた。

「どこかにに南京錠でもあるのか?」

 惣太郎は部屋に引き返し荷物と部屋の確認をしたが結局、鍵はなかった。備え付けられていたのは小さな棚と机が一つ、それに押入れで潰れていた布団だけだった。換気と確認が済んだ所で、広げた布団の誘惑が惣太郎を襲ってきた。疲れに任せて眠ってしまいたいが、それ以上に腹が減っていた。このまま横になっても、空腹で目を覚ますのは必定だ。それに鳳翔に頼んだ食事を無下にするのも気が引けた。

 飯を食いに行くかと思ったが、髪の毛や身体から漂う磯臭さが少々気になった。これから自分が指揮官として接する艦娘たちに、見苦しい第一印象を与える訳にはいかない。しかし、小屋には風呂がついていなかった。

(しまった、鳳翔に風呂の事を聞き忘れたな)

 湯船に使ってさっぱりしたい気はするが、それ以上に今は腹が減っている。浴場を探してふらつく余裕は惣太郎には無かった。

 なにかないかと、洗面台の横にある戸棚を開けると金ダライが一つ入っていた。

「はー、本当に兵学校に戻ってきたみたいだな」

 小さく溜息をつくと、惣太郎は布を用意し金ダライに水を汲み始めた。

 

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 水と石鹸で身体を清めると、心なしか疲れも軽くなったような気がした。かなり不便だったが、身体を洗ってよかったと惣太郎は思えた。

(しかし、暖かいうちは良いが冬は地獄だぞ)

 明日にでも風呂の件は鳳翔に尋ねようと、惣太郎は心に誓った。

 身支度を整えた惣太郎は空腹を抱えて、表の艦娘宿舎に向かう。宿舎の窓からは明かりが漏れていて、街灯がなくても足元までくっきりと見えていた。玄関に回ると相変わらず歩哨は立っていなかった。夜間外出も咎められないのだろうか。扉にもやはり閂などはかかっていず、押すと簡単に開いた。

 中に入ると玄関ホールは二階まで続く吹き抜けになっていた。ぴっちりと敷かれた赤い絨毯が左右と、正面階段に伸びている。自室で休んでいるのか、風呂の時間なのか人影は見えない。

 誰もいないが、そこに漂う雰囲気は惣太郎が青春時代を過ごした兵学校の寮とは明らかに違った。洋風建築の華やかさもさることながら、そこに暮らしている性別の差だろう。宿舎にはなんというか、陽の気が満ちている気がした。

(食堂はどこだ?)

 女子寮を男の自分が無闇にふらつくわけにもいかず、惣太郎は案内板を探したが見つからない。

「誰かいないか」

 声をかけるのとほぼ同時に、右手の通路から小さな人影が現れた。

「呼んだクマ?」

 眠そうに目を擦りながら現れたのは、セーラー姿の少女だった。長い茶髪は歌舞伎の獅子を思わせ、その身は小柄ながらも力強さが感じられた。

「お、おとこのひとクマ!?」

 少女は眠気が吹き飛んだように、目を見開いて驚いていた。

「自分は本日付けで艦娘部隊に着任した三栖惣太郎、階級は大尉だ」

 少女が今にも騒ぎ出しそうな様子だったので、惣太郎はそれを牽制するように言った。いくらなんでも、初日から変質者に間違われるなんて最悪だ。

「そうたろう? クマは知らないクマー。あっ、でも吹雪たちが、新しい提督が来るって話してた気がするクマ」

 どうやら新任提督の噂は知られているようで、惣太郎は少しだけ安心した。

「その新しい提督というのが俺のことだと思うぞ」

「そうかクマー、なら安心だクマ」

 あっさりと信用してしまった少女に、惣太郎は軍人として一抹の不安を感じた。とは言え、騒ぎになるよりは良いと思うことにした。

「軽巡、球磨だクマー。よろしくだクマ」

 ちょこちょこと寄ってきた球磨が手を差し出したので、惣太郎もその手を握り返した。

「こちらこそよろしく頼む。さっそくだが食堂がどこにあるのか教えてほしい」

「分かったクマ。クマが案内するからついて来るクマ!」

 頼られたのが嬉しいのか、球磨は張り切った様子で両手を振って惣太郎の前を歩きはじめた。

 食堂は一階にあるようで球磨は階段の前を左に曲がった。通路は華美な装飾は施されたりはしていないが、清潔感が感じられた。ただ、何かをぶつけたような真新しい傷が随分とあるのが気になった。

 しばらく真っ直ぐ進んだ球磨は、大きく開けられた扉の前で止まった。

「ここが食堂クマ。間宮の料理はとっても美味しいクマ」

 球磨に続いて入った食堂は、長机と椅子がズラリと並んでいた。二〇〇人から多少無理をすれば三〇〇人ぐらい収容できそうな広さだ。食事の時間が終わっているので、ところどころの席で艦娘たちがなにやら笑い合ったり、札遊びをしているぐらいでかなり閑散としていた。

 紺碧色の髪留めをつけた艦娘が勘鋭く惣太郎の姿に気づいたが、一瞥しただけで菖蒲色の髪を揺らし武器の整備に意識を戻した。

 奥の厨房の方へ行くと、長い髪の女性が大皿から零れそうなほど山盛りの辛味入汁掛飯を相手取り優雅にスプーンを動かしていた。白い上衣に朱色の袴を身に着けているが、汁が飛んだ跡は無い。

 大人びた雰囲気と、相撲取りが食うほどのご飯をパクパクと口に運ぶ様の不釣合い具合に惣太郎は思わずじっと見つめてしまった。

「あら球磨、そちらの方は?」

 視線に気づいたのか、顔を上げた女性は惣太郎を一瞥した後、球磨に尋ねた。

「はらぺこ提督を案内したクマー」

「提督? ああ、あなたが三栖大尉。霧島から話を聞いています。着任前から島風と一緒になって無茶をしたとか」

 スプーンを置いた女性は、惣太郎を見上げて咎めるように言った。

「無茶というほどのことでは」

「慢心が蛮勇を求めないことを願います」

「手厳しいな。肝に銘じるよう、君の名前を聞かせてもらえるかな」

 女性の意志の強そうな瞳に興味を持った惣太郎は名を尋ねた。

「航空母艦、赤城です。もし空母機動部隊を編成する事があれば、私にお任せ下さいませ。大尉の慢心をお諌めします」

「その時は是非頼むよ」

 惣太郎の答えに得心が行ったのか、赤城は表情を緩めるとクマの方に視線を向けた。

「そういば球磨、お風呂はもう入ったの?」

「あ、忘れてたクマ! お風呂に入らないと加賀に怒られるクマ!」

 少しバツの悪そうな顔をした球磨は、尋ねるように惣太郎を見た。本人的にはまだ案内が終わってないつもりらしい。

「案内ありがとう、球磨。飯の注文ぐらい自分でできるよ」

「また、クマー」

 球磨はくるりとその場で回ると、加賀とやらに怒られるのが余程怖いのか駆け足で食堂から出て行った。

「球磨ったら、また寮の中で走って……」

 赤城が呆れたように言って、水に手を伸ばした。

「あの……あまり、ジロジロ見ないでください」

「失礼、腹が空いてたのでつい」

 多少ごまかして惣太郎は厨房に目を向ける。

「あっ!」

 一歩を踏み出した直後、背後で赤城の声がし、何か金属が落ちる音が続いた。無視するのも大人気ないので、惣太郎は振り返る。足元にスプーンが落ちていた。

「私ってどうしてこう不器用なのかしら……」

 惣太郎を不必要に意識して手元でも狂ってしまったのだろう。

「ついでに、代わりを持ってくるから少し待っていてくれ」

 さっとスプーンを拾い上げた惣太郎は、そのまま厨房へ向かった。

「あっ……はい……」

 少し戸惑ったような赤城の声を背に、惣太郎は厨房の仕切り台に手をおいた。

「すまない、飯はまだあるか? 鳳翔が頼んでくれているはずなんだが」

 惣太郎は厨房を覗きこむと、水を張った台所の流しで洗い物をしている女性に声を掛けた。

「はーい! 聞いてます。赤城さんに全部食べられちゃわないように、ちゃーんととってありますよ」

 大きなリボンを揺らし振り返った女性が、元気よく答えた。他に人影が見えないのでこの女性が間宮なのだろう。

「辛口カレーしか残ってないのですが大丈夫ですか?」

「あっ……」

 割烹着の上からもはっきりと形が分かるほどの豊満な胸に、惣太郎は思わず視線を奪われてしまう。洗い物の水が跳ねたのか、割烹着の張り出した胸の部分が矢鱈と濡れていた。

「あの? カレーはお嫌いですか」

「ああ……いや、違う、カレーは好きだ。そ、それとスプーンを二つ頼む」

 惣太郎はやましい気持ちを取り繕うように言った。

「スプーン二つですね♪ 分かりました」

 間宮は大皿を手に早速、辛味入汁掛飯ことカレーの準備を始めた。そんな間宮の後ろ姿を見ながら、惣太郎は心を落ち着けていた。

(いかん、こんな事ではいかんぞ、俺。百人以上の艦娘の上官となるんだ。部下を変な目で見てはいかん!)

 大井司令の言葉を思い出し、惣太郎は気を引き締め直した。

「はい、大盛りカレーとスプーン二つです♪」

 盆に乗せられた大皿は見るからに美味そうだった。どんぶり一杯はあろうかという白米に、肉や煮崩れた馬鈴薯、人参がこれでもかと入ったドロリとした汁がかかっている。湯気とともに香辛料の匂いが鼻腔をくすぐり、惣太郎の口の中に涎が溢れた。

「ありがとう、美味そうだ」

 生唾を飲み込みながら惣太郎はお盆を受け取った。

「食事の時間なら、お盆とかお箸はは台に置いてあるので次からはお願いしますね」

「分かった」

「それと今日のアイスクリーム売り切れです、ごめんなさい」

 甘味があるのは、やはり女子寮らしいなと惣太郎は思った。それに長い航海から帰って久しぶりに食べる甘味の頬が落ちるような美味さもよく知っていた。

「次の機会に楽しみにしておくよ」

 言って惣太郎はコップに入った水を零さないように踵を返した。

「待たせた」

 赤城の所まで戻った惣太郎は、長机に盆を置いてスプーンを差し出した。

「ありがとうございます」

 スプーンを渡せたので、惣太郎は離れた席にでも座ろうと盆に手をかけると赤城が引き止めた。

「お気になさらず、そこに座ってください。ただし、もう食べてる所をジロジロ見ないでくださいね」

「分かった。じゃあ、失礼するよ」

 惣太郎は自意識過剰な自分に苦笑すると、赤城の斜め前の席に座った。

「いただきます」

 惣太郎は合わせた手を開きスプーンを握ると、カレーがたっぷりかかった部分を大きくひと掬いし口に運んだ。

「んっ!?」

 野菜と肉の旨味がこれでもかと滲みでた汁と炊きあがりから時間が経ちバラけた米粒が35.6cm連装砲と15.2cm単装砲の一斉射のごとく油断していた惣太郎の味覚中枢を撃ちぬいた。

「美味い!」

 突然の砲撃に無条件降伏するがごとく惣太郎は思わず感嘆の声を上げていた。しかし、敵(食欲)はジュネーヴ条約を批准していないかのごとくその攻撃の手を緩めない。

 砲撃の合間を縫って、香辛料の61cm三連装魚雷が閉じる暇なく食道をこじ開け、米が、汁が、肉が、馬鈴薯、人参、玉ねぎが、次々と胃の中へと叩きこまれていく。

「これは止まらんな」

 今まで食べた辛味入汁掛飯の中で、間違いなく一番美味かった。

「間宮のカレーは本当に美味しいですよね!」

 赤城のそう言って山盛りあったカレーの残りひと掬いを口に運んだ。

「あ、ああ、これならいくらでも食えそうだ」

 大の男を上回る食欲もさることながら、赤城のとんでもない早食いに惣太郎は驚きながら言った。

「ですよね!」

 まるでその言葉を待っていたかのように、赤城は盆を持って立ち上がり厨房に向かった。食器を返すのかと思いきや、赤城の口からはとんでもない言葉が

「おかわり、お願いしますね」

「はーい」

 惣太郎が耳を疑う一方で、間宮は別段普通に応えていた。横目でちらりと見ると、先ほどと同じぐらいの山盛り辛味入汁掛飯を大皿に乗せ赤城が戻ってくるところだった。

「出撃が無ければ、間宮のアイスクリームが食べられたんですけど、残念ですね」

(この上、アイスクリンまで!?)

「そ、そうか、残念だな」

 惣太郎は苦笑いを浮かべていたが、赤城はそれには気づかないで大皿に集中していた。そして、スプーンを持ち直すと、まるでこれが一皿目であるように、パクパクとご飯を食べ始めた。

 

 なんとか山盛りのカレーを食べきった惣太郎は、お茶を飲んでくつろぐ赤城に別れを告げ、宿舎を後にした。小屋に戻った惣太郎は深くにも食べ過ぎてパンパンに張った腹を抱え、小休止と横になった。

 一休みのはずだったのだが、満腹が疲れを思い出させ、ウトウトしているうちに寝てしまった。

 

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 翌日、起床した惣太郎が身支度を整えていると、鳳翔がやってきた。艦娘たちへ着任を正式に紹介する場を設けているというので、宿舎へ移動した。

 陽光に照らされた白亜の玄関を潜った惣太郎を迎えたのは、髪の毛を左で結った端正な顔立ちの女性だった。

「寮長の加賀です。あなたが新しい提督なの?」

 こちらの反応でも伺っているのか、わざと訝しがるような態度で加賀は言った。

「ああ、そうだ。まだ分からないことだらけで、色々と迷惑をかけると思うがよろしく頼む」

「……それなりに期待はしているわ。まずは食堂に行きましょう。今日いる娘達に紹介するわ」

 つっけんどんな態度で言うと、加賀は膝上丈の袴を揺らしさっさと歩き出した。赤城と似た格好をしている加賀だが袴だけは桔梗色で、それが彼女の雰囲気とよく合っていた。

 昨晩と同じ廊下を通り食堂に近づくと、大勢の姦しい声が聞こえてくる。断片的に聞こえてくる単語を相互すると、すでに朝食をとっているようだった。

「場を静めたら呼びますので、入ってきて下さい」

 そう言うと加賀は惣太郎と鳳翔を残し、食堂の中へ入っていった。

「静かに」

 手を打ち鳴らす乾いた音に加賀のよく通る声が続く。食堂から漏れ聞こえていたざわつきは波が引くように収まっていった。

「かねてより噂のあった新しい提督が、昨日鎮守府に着任したわ。これから紹介も兼ねて挨拶をしてもらいます。三栖提督お願いします」

 惣太郎を促す拡声器を通した加賀の声が聞こえた。

「頑張ってくださいね」

 鳳翔にそっと背中を押され、惣太郎は艦娘達が待ち構える食堂へと足を踏み入れた。

「あの人……」

「へー、思ったより若いな」

「昨日、クマが案内したクマー」

 一旦は加賀が作った静寂も、若い子女たちの好奇心を抑えておくことはできないようで、あちらこちらから小さな話し声が聞こえてくる。

(五十……いや、百人ぐらいか?)

 これだけの婦女子がずらりと並んだ光景を目にするのは惣太郎は初めてだった。しかも、歌劇の俳優でも無い男の自分が彼女たちの興味の的になっているのだ。惣太郎は大井司令と対面した時よりも緊張していた。

 どうしたものかとゆっくりと歩きながら加賀は見ると、彼女は試すような視線を返してきた。どうやら、提督らしさを見せろとの事らしい。

(この娘たちの信用を得ないと、どうしょうもないわけか。なるほど、だから大井司令があんなことを言っていたんだな)

 黒板がある壁面の中央、マイクの前に立つと惣太郎は小さく呼吸を整えながら艦娘達を見渡した。昨日、食堂で見かけた娘や球磨の姿もあった。さらに、後ろに見える厨房からは、頑張れとでも言うように間宮がお玉を振っていた。

「呉鎮守府から来た三栖惣太郎、階級は大尉だ」

 できるだけ良いように印象付けられるよう、惣太郎は声に張りを持たせて言った。信用を得るのは大事だが、それと同時に上官として、侮られてもいけない。

「諸君らの力を最大限に発揮できるよう、日々精進する所存だ。よろしく頼む」

 惣太郎の挨拶が短かったせいで艦娘達が戸惑ったのか、食堂が一瞬静まり返った。

「はいはい、提督は結婚されてるんですか? それとも恋人がいるんですか? 一言お願いします!」

 そんな沈黙を物ともせず、前方の席にいたセーラー姿の艦娘が落ち着きなく手を上げた。

「はっ? 結婚?」

「青葉、今日は紹介だけです。質問は後日にしなさい」

 予想外の質問に惣太郎が戸惑っていると、加賀がひと睨みで青葉を黙らせた。

「裏の小屋は大尉が使うことになったので、これからは外であまり騒がないように。では各員、一〇分以内に次の行動を開始しなさい」

 加賀の言葉を受けてすでに食事を終えていた艦娘達がぱらぽらと立ち上がり、そうでない者も食器の片付けや食事を急いだ。

 先ほど質問した青葉や他数名はまだ興味が尽きないようだったが、加賀が視線を遮るように移動したのでとりあえず諦めたようだった。

「この後、俺はどうすればいいんだ?」

「三栖提督には、今日これから行われる午前の演習を見学して頂きます。既に実戦をご覧になったそうですが、島風を参考にされては困ります。あのような無茶をされないように、まずは正しい認識を持つところから始めて下さい」

「……分かった。正しい知識は重要だものな」

 どうやら島風にくっついて、深海棲艦との戦いの渦中に飛び込んだのを問題視しているようだった。しかし、惣太郎としては実戦に勝る体験はないとも思っていた。

「知識を尊んでくれる方でよかったです。明日以降も座学などを、他の艦娘達と共に受けてもらう事もあります」

「座学?」

「はい、すでに教本は用意してあります。演習後に受け取って下さい」

 確かに通常の艦船や航海術、砲術についての知識は頭に叩きこんであるが、艦娘に関してはまだまだ知らないことだらけだ。実際に彼女達とともに学ぶのは悪くないことだろう。

「まるで学生に戻ったみたいだな」

「そのような気分では困ります。一部の教科は三栖提督にも、教鞭をとって頂くのですから」

「ちょ、ちょっと待て!? 俺が先生だって? そんな話は聞いてないぞ!」

 あくまで艦娘部隊の提督として着任したのだ。教師の真似事をしろだなんて、辞令にも書かれていないし、大井司令からも伝えられていなかった。

「そうですか。ですが決定事項なので従ってください」

 有無を言わさぬ加賀だが、惣太郎としても引き下がるわけにはいかない。

「人にモノを教えた経験なんて俺にはないぞ」

「提督ならきっと大丈夫です」

 答えたのはいつの間にか盆に食事を乗せてきた鳳翔だった。

「鎮守府は常に人手不足です。ご理解ください」

 すまなそうな鳳翔とは対照的に、加賀は少し面倒くさそうに言った。

「提督で、学生で、それに加えて先生か、まったくややこしい」

 溜息をつく惣太郎は鳳翔が差し出した盆を受け取り、すぐ近くの席に腰を下ろした。

「時間がありません、朝食は五分で済ませて下さい」

 箸を手に取る惣太郎を見下ろし、加賀が冷たく言った。

「食えないよりはマシだな」

 惣太郎は綺麗な黄金色に焼けた卵焼きを口の中に放り込んだ。

 

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 きっかり四分三十秒で食事を済ませた惣太郎は、早飯で微妙に重い腹のまま鳳翔に小さな湾に案内された。湾といっても田舎の漁港ほどの規模で、申し訳の程度の桟橋とそこに発動機むき出しの小型艇が一隻係留されているだけだ。遠くを見渡すと手前に小さな島が見え、海を超えた向こうには千葉の房総半島を望むことができた。

 惣太郎が到着した時には、倉庫の前には十数人の艦娘達が集まっていた。食堂で見た時とは違い、主砲を手に持ち機関部を背負うなど全員が艤装を終えていた。

「今日は三栖提督がご覧になります。だからといって浮つくことの無いよう、普段より気を引き締めて演習にあたって下さい」

「はーーい!」

 鳳翔の言葉に、前の方に並ぶかなり年若い艦娘達が手を上げて応える。年少者を引率するようで惣太郎は苦笑いを浮かべた。

「演習の前に各艦の特徴をご説明します。提督には釈迦に説法かもしれませんが宜しいですか?」

「いや、そんなことはない。変に納得しているより、君たちから説明してもらえるのは有難い」

 下らない自尊心を満たすために通常艦船の知識だけで知っているフリをするなど、愚かで非常に危険だ。

「では駆逐艦を代表して吹雪さん、お願いします」

「はい!」

 後ろの列にいたセーラー服の女の子が、垂らした横髪を揺らしながら前に出てきた。手に連装砲、脚に三連装魚雷発射管、背面に大型機関と小柄な身体に似合わない重装備だが、足取りはしっかりしたものだ。

「はじめまして吹雪です。よろしくお願い致します」

 元気よくハキハキと自己紹介する姿から、彼女の素直さが伝わってきた。

「私達、駆逐艦の主砲は12.7cm以下の小口径と砲撃戦では少し火力不足ですが、雷撃戦での魚雷には自信があります! でも、一番得意なのが夜戦です! 夜陰に乗じて、敵戦艦だって沈めて見せます! 護衛の駆逐艦なんて、もう馬鹿にはさせません!」

 吹雪の意気込みに、他の駆逐艦だろう艦娘達が喝采を送る。得意な分野に矜持があるのは、男の船乗りとなんら変わらないようだ。

「それに潜水艦との戦いでも、私たちの爆雷投下は役に立ちますよ!」

「敵に潜水艦もいるのか。それは初耳だ。期待させてもらうよ」

 惣太郎が以前調べた範囲では、潜水艦の存在は確認されていなかった。

「ちょっと待ちな、提督。夜戦と対潜能力って事ならオレ達、軽巡洋艦を忘れてもらっちゃ困るぜ」

 黒尽くめの制服を身に纏った子女が勝気に名乗りを上げた。

「君は?」

「フフフ、オレの名は天龍」

 天龍は腰に差した刀に手をかけ不敵に笑った。刀だけではなく、電探なのだろうか馬の耳の様な髪飾りに、左目の眼帯とかなり目立つ格好をしている。黒衣は闇には溶けこむだろうが、照りつける太陽の下ではただ暑そうに見えるだけだった。

「中口径の主砲から、各種副砲、魚雷、対潜爆雷、水上偵察機まで運用可能な汎用性! 世界水準軽く超えてるからな」

「二等だけど巡洋艦だものね〜」

 誇らしそうに胸を張る天龍を後ろから撃ちぬいたのは、よく似た格好の子女だ。服がより胸元を強調した意匠なのと、槍を持っているのが天龍とは大きく違った。

「おい! 同じ軽巡のくせに二等って言うな、龍田!」

 天龍が厳しく睨みつけれうが、龍田と呼ばれた子女はまるで気にしていないのか、のほほんと呑気な笑みを浮かべていた。

「はじめまして、龍田だよ〜。天龍ちゃんが偉そうでごめんねぇ〜」

 惣太郎の視線に応え、龍田が改めて名乗った。他人の調子を崩すような独特の間延びした喋り方が特徴的だ。

「でもね、提督〜、対潜能力があっても天龍ちゃんもわたしも潜水艦は苦手なの〜」

「そ、そんなことねえぇぞ! オレは魚雷なんかにビビったりしないぜ!」

 反論する天龍の威勢はいいが、どうにも強がっているようにしか見えなかった。

「苦手なことは誰にでもある。慣らしていくしかないぞ」

「っさい! と、とにかくだ。水雷戦隊の旗艦はオレ達、軽巡洋艦に任せな! 深海棲艦なんて蹴散らしてやるぜ!」

 実力の程は分からないが、負けん気が強いのは悪いことではない。天龍は意外と扱いやすそうだと惣太郎は思った。

「うふ、いま天龍ちゃんのこと、扱いやすそうって思ったでしょ〜。」

「い、いや、そんなことはないぞ」

 頭の中を読んだかのような龍田の一言に、惣太郎は内心どきりとし慌てた。

「あんまり、天龍ちゃんを無理させたらだめよ〜。前の提督みたいに〜……あっ、これは言っちゃいけなかったのよね〜」

 龍田が海の深みのような仄暗い笑みを浮かべる。冗談とも脅しとも取れるその言葉に、惣太郎は引き攣った笑みを返すことしか出来なかった。

「おう! 次はアタシの番だな!」

 天龍と龍田が戻ったばかりなのに、またも癖の強そうな子女が前に出てきた。

「正真正銘の一等巡洋艦、高雄型三番艦の摩耶さまだ! 中距離の主砲の打ち合いだって、近距離の雷撃戦だって、なんだってイケるぜ!!」

 そう言って摩耶は左腕に括りつけた連装砲を誇らしげに見せつけた。

 暑そうな格好をしていた天龍や龍田とは違い、袖なしの涼しげなセーラー服姿だ。肌の露出などには煩くない惣太郎だったが、胸元のタイが結んでないのが非常に気になった。また両腕に装備した大型の連装砲も特徴的だが、頭部の三脚檣を模したような飾りも目を引いた。

「あ、でも潜水艦はすごく苦手です」

 揃いのセーラー服を着た眼鏡の子女が付け加えた。

「んだよ、鳥海。対潜装備が無いんだからしょうがねえだろ」

 不貞腐れたように摩耶は頬を膨らませた。

「そして、攻撃機運用が専門の私達、航空母艦です」

 鳳翔の言葉に合わせて、後ろにいた細身の女性が一歩前に出る。膝まである長い黒髪を二つに結っているのが特徴的で、凛々しさと可憐さが同居する顔立ちをしていた。

「軽空母、祥鳳です。元々は潜水母艦だったので、艦載機運用能力は少し低いですが、運用によってはお役に立つはずです!」

 これまでの艦娘達とは違い、祥鳳は艦砲ではなく長弓を持っていた。

「潜水母艦?」

「はい、一番初めは高速給油艦「剣崎」として起工されたんですけど、途中で変更されて潜水母艦として竣工、その後いろいろあって航空母艦になりました」

「ずいぶんと紆余曲折があったんだな」

「私なんかまだまだです。戦艦になるはずだったのに正規空母になった人や、主砲まで載っていたのに重巡から転向した人、特に客船から空母になった人は多いです」

「ちなみに私は世界初の正規空母なんですが、扱いは軽空母です。小さくて、軽いからでしょうか。ちなみに重巡洋艦にも軽巡洋艦採用の娘がいたりと実は色々と複雑なんですよ」

「……憶えられるよう頑張るよ」

 歴史教科で大量の宿題を出された気分だった。

「装甲などは正規空母に譲りますが、軽空母は潜水艦にも攻撃できるのが特徴です。これも覚えてくださいね」

 小柄な外見に油断させられるが、鳳翔は意外と厳しいのかも知れない。

「さて駆逐艦、巡洋艦、航空母艦とくれば後は戦艦だが……」

 惣太郎が尋ねるように艦娘達を見るが、その言葉の続きは誰からも上がらなかった。

「すみません、戦艦は全て出撃しています」

「そうか、残念だな。霧島が話していた姉とやらに会ってみたかったんだが」

 呉からの輸送船で少しだけ霧島と話す機会があり、その時に姉妹艦がいることを聞いていた。

「戦艦以外にも、鎮守府にはちょっと変わった艦娘もいますから、後日改めて紹介しますね」

 惣太郎はいくつか艦種を思い浮かべたが、ここで何かを聞くよりも実際に会った時の楽しみにとって置くことにした。

「簡単にですが説明も終わったことですし、さっそく演習に入りますね」

 鳳翔の言葉に艦娘達の表情が変わる。それまでどこか浮ついていた雰囲気が一変、集中力が高まっていくのが分かった。

(なるほど、ただの娘ってわけじゃないな。大仰な装いも納得だ)

 今までどこかで艦娘達を『女の子』扱していた惣太郎だったが、少し意識を改めることにした。

「赤組の旗艦を天龍。麾下は龍田、吹雪、白雪、初雪、深雪」

 軽巡二人に続き、揃いの装備とセーラー服を着た四人が桟橋に向かう。呼ばれた順番通りなようで、それぞれの特徴が分かった。

 白雪は茶色がかった短い髪をうなじの所で二つに結っている。初雪は肩下まである長い黒髪で、前髪を眉毛の所で切りそろえている。深雪は癖っ毛なのか、寝ぐせなのか、髪の毛が少し跳ねている。

「みなさん、頑張って行きましょう」

「うん……!」

 並んで歩く白雪の声掛けに、初雪が控えめに頷いた。

「あぁ〜、ちょっとめんどくさいけど、頑張るかなっと」

 最後に深雪がぼやきながら、ストンと海上に身を躍らせた。普通の人間ならそのまま沈むところだが、艦娘達は多少波に揺れながらもしっかりと海面に立っていた。

「天龍、水雷戦隊。出撃するぜ!」

 掛け声を受けた六人は、まさに艦船が白波を越えていくが如く、海面を滑って沖へと出発した。天龍を先頭に、海上を一列になって進む様子はまさに水雷戦隊だった。

「白組、旗艦を鳳翔。麾下は摩耶、鳥海、磯波、綾波、敷波」

 残り全ての艦娘だったが、敢えて名前を呼んだのは鳳翔なりの気遣いだろう。

 磯波だけが吹雪達と同じセーラー服で、磯波と綾波はスカートや襟の色が違った。

「い、行きますっ」

 惣太郎の視線に気づいた磯波が、長いおさげを揺らして恥ずかしそうに小走りで桟橋に向かう。その後に続く綾波は随分とゆったりとした足取りだった。

「ほら綾波ー、急いで急いで」

 そんな綾波の肩に手をかけ、敷波が後ろから急かした。

「ここは南方ではないんですから〜」

「そういう問題じゃないってー」

 結局、敷波に手を引かれ綾波は強制的に進水させられた。

「艦隊、出撃しますね!」

 綾波が配置につくのを待って、祥鳳麾下の六隻が一斉に出撃した。定位置が決まっているようで、二組は湾を抜けて左右に分かれていく。

「提督、これをどうぞ」

 少し見えづらくなった所で具合よく、鳳翔が双眼鏡を渡さしだした。

「助かる」

 惣太郎は受け取った双眼鏡を覗き込み、つまみを調整し始めた。

「本来なら提督には指揮用の船舶に乗っていただくのですが、前回の演習で損傷してしまっていて、すみません」

「あそこにあるのは?」

 惣太郎は双眼鏡から顔を離し、桟橋に繋がっている小型艇を指して言った。

「さすがに普通のボートでは危険です。模擬弾とはいえ事故に繋がってしまいます」

「大丈夫だと思うが……」

 再び双眼鏡を覗き込み、二つの艦隊の様子を確認する。定位置についたようだが、作戦を話し合っているのか少し落ち着かない雰囲気があった。

「なあ、何で艦娘同士で演習なんてするんだ? 練度向上は分かるが、深海棲艦と戦うにはあまりにも様子が違うんじゃないのか?」

 昨日見た敵艦船を思い出しながら、惣太郎は気になっていたことを尋ねた。

 そもそも、深海棲艦が脅威なのは通常艦船の兵器や電探が効果的に作用しないことだ。

 海上を航行する一般的な艦船に比べれば絶対数が非常に少ないからこそ、大きな問題にはなっていない。しかし幽霊のように現れ、こちらの砲撃も魚雷も効かないのは軍人からしてみれば悪夢以外のなにものでもない。

「提督の仰りたいことは分かります。機密なので限られた人間しか知りませんが、輸送船などを襲っているのは駆逐艦や軽巡に分類される弱い深海棲艦です。真に脅威となるのはその上、重巡や戦艦、そして空母に分類される艦です。これらのほとんどは、大きさも人間とそれほど変わらないので艦娘同士の演習は意味があるんです」

(……あの時、遠目に人型を見たのは気のせいじゃなかったのか)

 島風の『連装砲ちゃん』に乗せられている時に見た、艦娘によく似た姿を思い出した。

「私も準備をするので、少しお待ちください」

 そう言って鳳翔は倉庫に入っていった。質問で準備の邪魔をしてしまったかと思っていると、意外と早く鳳翔は戻ってきた。

「お待たせしました」

 どうやら艦娘としての装備を取りに行ったようだ。身の丈を越えるほどの長弓と背負った矢筒、そして左腕に飛行甲板を模した板をつけている。

「これから参加か?」

「いえ、艤装していないと艦娘としての力が使えないので」

「普通の人と変わらないのか?」

「はい、それに海からあまり離れると、艦娘としての力も使えません」

 鳳翔の補足で惣太郎は幾つかの事に得心した。

(それで宿舎や校舎が海の近くにあるのか。まあ、陸で力を使い放題だったら、『他』が黙っちゃいないな)

 力に制限がつくのは提督となった惣太郎にとっては不便ではあるが、彼女達にとっては幸運なことかもしれない。

「無線、入れますね」

 鳳翔の方からざらつく音が一瞬した後、双方の話し合いの声が聞こえてきた。どうやら、作戦は既に決まったようで、配置を確認しあっていた。当たり前だが、この通信は対戦相手には聞こえていないのだろう。

「皆さん、準備は良いですか?」

『宜侯!』

『宜侯』

 既に戦いは始まっているかのように、旗艦同士が揃って応えた。

「では、演習を始めて下さい」

『ぃよっしゃあっ! 行くぜ!』

 鳳翔の声が終わるか終わらないかの内に、左手の赤組六隻が全速力で急発進。天竜を先頭に単従陣で突き進む。

 

進行方向→

 

 初雪 白雪 龍田 深雪 吹雪  天龍

 

『作戦通り行きます!』

 微速前進で迎え撃つ白組は祥鳳を中心に輪形陣を作る。

 

←進行方向

      摩耶

  敷波

      祥鳳  磯波

  綾波

      鳥海

 

『天龍ちゃ〜ん、早すぎよ〜。もっと下がって〜』

『へっ、これぐらいでなに言ってんだ! ビビってんじゃねぇぞ!』

 龍田の制止も聞かずに先行する天龍に、祥鳳が弓を引く。

『攻撃隊、発艦始めて下さい!』

 掛け声とともに放った矢が、空中で航空機の編隊へと姿を変えた。航空機はすぐさま急上昇。しかるべき高度をとった後に急降下、海上を駆ける天龍達へと向かう。

『食らうかよ!』

 ここで天龍は対空射撃ではなく、急激な取舵による回避行動を取った。

『ええぇっ!?』

 対空射撃に移ろうとしていた吹雪が驚きの声をあげ慌てる。これ幸いと天龍から狙いを移した、航空機が急降下爆撃を浴びせた。

『きゃぁっ! そんなぁ、ダメですぅうう!!』

『吹雪! このっ!』

 すぐ後ろの深雪が航空機に向かって射撃を行うが、既に時遅かった。爆撃を終えた航空機は身軽になった身体で、後方へと飛び去ってしまっていた。

『はぅぅ、撃沈ですぅ……』

 機関部から砲塔まで、全身を模擬弾の粘液で濡らした吹雪は手を上げて自らの撃沈を宣言した。吹雪はそのまま速度を緩め、戦列から離脱していった。

『天龍! いくらなんでも今のはひどいぞ! もっと艦隊行動をかんがえろよなぁ!』

『っるせえな、最終的に勝ちゃ良いんだよ! このまま、一気につっこんで祥鳳をヤッてやるぜ!』

 深雪の非難もまるで気にせず天龍は、飛来する白組の砲撃を交わしながら距離を詰めていく。

『そらよっ!』

 突出している天龍が射程に敵を捉え、背面機関部に直結した単装砲を放つ。

『おわぁっ! びっくりしたー』

 前面を担っていた敷波が被弾。しかし、僅かに脚に当たっただけだ。

『十分、引きつけましたね。魚雷発射してください!』

『宜侯っ!』

 祥鳳の号令に敷波を除く四隻が一斉に魚雷発射管を開いた。海中に放たれた十本余りの魚雷が、紡がれる白糸のように天龍に向かって殺到した。

『くっ!』

 無理やり進路を曲げようとするが、間に合わない。最高速度に乗っていた天龍は為す術なく魚雷の海へとつっこんでいった。

『くそがぁああああ!』

 粘液でどろどろになった天龍は、心底悔しそうに口の悪い断末魔を叫んだ。もちろん、撃沈判定だ。

『もう、これだから天龍ちゃんは〜。しょうが無いから仇取ってあげるよ〜』

 呆れた様に言う龍田だったが、その口調は決して笑っていなかった。

『全員、梯形陣へ移って〜』

『宜侯!』

 四隻は速度を調整すると、進行方向に対して斜めに並ぶ。旗艦である先頭位置には龍田がついた。

 

進行方向→

 

 初雪

   白雪

     深雪

       龍田

 

『第二陣発艦! 摩耶、鳥海、砲撃をお願いっ!』

『これ以上は近づけないぜっ!』

 祥鳳の弓から放たれた矢が、四機の艦上爆撃機に姿を変え、重巡二隻が撃つ砲弾とともに龍田達に襲いかかる。

『対空砲火しっかりね〜。このまま敵輪形陣に突入狙うわよ〜』

 天龍の指揮とは違い、統制の取れた砲火で龍田達は砲撃を交わしながら全ての航空機を撃墜する。その間も、前進を続けていた艦隊の距離は近づいていた。

『射程距離よ〜! 主砲、敵駆逐艦に向けて撃てっ〜〜!』

『ここは綾波が守ります!』

 双方合わせて駆逐艦五隻、重巡二隻による激しい砲撃戦が始まった。

『ひゃあぁ〜!』

 旗艦の祥鳳の前に陣取っていた綾波がまず被弾し、撃沈判定される。

『綾波! 敵討ちとか柄じゃないけどーっ!』

 移動してきた摩耶と鳥海に場所を譲るように、敷波が全速力で突出。がむしゃらな砲撃とともに魚雷を放つ。

『うっ! やだ……』

 偶然を伴った一発が白雪の上半身を捉えた。弾着と同時に、内部に入っている粘液が白雪の服をぬらぬらと汚した。

『皆さん、不甲斐なくてすみません』

 悔しそうに言った白雪は減速し、先制を離れていく。遂に三隻になってしまった赤組だが、龍田は止まらない。

『アハハハ、まだまだよ。魚雷発射〜!』

 十分に近づいた所で、龍田は命令を下す。三隻の三連装射管、計十八門が一斉に開き海中へと必殺の魚雷を放つ。

『これでも喰らえぇええ!』

 わずかに遅れて、摩耶、鳥海、敷波の三隻も十本の魚雷を投じる。

 暴威を削りつけるような白線が交差。偶発的に斜線がかち合った魚雷が激しい水柱を立てて爆散する。

 その爆音が直接聞こえたすぐ後に、双方の魚雷が敵を捉えた。

『ひあぁっ!』『げっ!』『きゃぁー!』『痛ったたた』

 いくつもの悲鳴が重なった。

『うぅ……やられてしまいました……』

 残念そうに言った祥鳳は、魚雷がまき散らした粘液まみれになっていた。

『天龍ちゃん、仇は取って――』

 龍田が巻き上がった海水の霧を越えようとしたその時。

『あ、当たってぇえ!』

 すでに転舵を完了していた磯波が、がら空きになっていた龍田の背後にありったけの砲弾と魚雷を放った。

『あんっ』

 砲弾の一発が命中。龍田の背後旗艦部だけでなく上半身が粘液ででろでろになってしまった。

『やだぁ、お洋服が〜』

 不満そうに言っている内にも、双方の距離は離れていった。磯波も追撃することなく射程外に移っていった。

「そこまでにして下さい」

 鳳翔が静かな声で演習を止めると、双眼鏡を外し目頭を押さえていた惣太郎を見上げた。

「それでは提督に判定を聞いてみましょうか」

 不意の話だったが惣太郎は特に驚かない。艦隊戦を見ながら自分なりに評価をつけていたからだ。

「残存艦が赤組は初雪、白組は磯波と敷波。数の上では白組優勢だが、両艦隊共に主力を失って作戦継続は困難。よって戦略上は引き分けだな」

『引き分けだったら、今の編成でもう一回やらせろ!』

 天龍の怒声が間髪をいれずに聞こえてくる。戦闘序盤で脱落したことが腹に据えかねているようだった。

「駄目だ。まずは今の反省が先だ。特に天龍、お前には言いたいことが山ほどある」

 自分が新任であることを踏まえたとしても、天龍のあの無鉄砲ぶりには一言や二言では足らない注意が必要に思えた。

「そうですね。雲行きも怪しくなってきましたし、一度海から上がってもらいましょう」

 こうして少し話している間にも、前触れ無く現れた暗雲が急速に空を侵食していた。季節の入道雲でもない黒さは、肌で感じるほどの嫌な風を吹きつけていた。

「何か変な雲ですね」

 丁度戻ってきていた吹雪が呟いた。戦線離脱が早かったので、鳳翔の号令が掛かる前に彼女は引き上げていた。

『反省の後にもう一回だからな!』

 天龍はまだ戦い足りないのか、再戦を急かすように全速力で海上を戻ってきていた。他の艦娘達は連戦にあまり乗り気でないのかゆっくりと帰ってきていた。

『……なに?』

 一番後ろを進んでいた初雪が何かに気づき、速度を緩め後ろを振り返った。

「どうした、初雪。民間船でも迷い込んできたか?」

 もしそうなら無視できないと、惣太郎は初雪に尋ねた。

『違う……、猿島の方……、なんか、黒い球みたいの浮いてる……』

 初雪の言葉通り、右手に見える島の方に双眼鏡を向けるが、目標が小さいのか見つからない。

「どの辺りか詳しく――」

 言いかけた惣太郎の双眼鏡を握る手に力がこもる。

「いや、もう分かった」

 それは海上に浮いた黒い球体だった。こうも簡単に見つかったのは、その球体が急速に大きくなっていたからだ。まるで底なし穴が周囲の空間を飲み込むような異様な光景だった。

『……どうする?』

 初雪の問いかけは調べに向かうかという意味だろう。二人以上が確認したのだから夢幻ではない。

「いや、引き上げて来い」

 惣太郎は少し考えて答えた。理性は調査を求めていたが、勘の部分が何か嫌なものを感じ引き上げを命じさせた。

『わかっ……、んっ? あれ? なんか、足元が変……』

『提督! 波がおかしいです!? 黒い玉の方に引き寄せられるみたいに!』

 近づいていた白雪が鋭く言うと、初雪の手を掴み強引に岸に向けて曳航し始めた。しかし、波が非常に荒くなり思うように進めていない。それは二人だけではなく、先行する艦娘達も突如の大波に翻弄されていた。

「分かるか、鳳翔?」

「すみません、こんな現象は見たことがありません」

 黒い玉を中心として、波紋が縮むような異常な波の動きだ。波立つ海に呼応するかのように、黒雲が空を埋め尽くしていく。こちらに向かっている艦娘達が、不安そうに足を速めていた。

「偵察機、飛ばしますね!」

「頼む」

 鳳翔は身体に似合わぬ大弓を事も無げに射る。小気味いい弓音の余韻が消える頃、矢は偵察機へと変じた。

 息を呑み見守るな中、航空機は荒れる海上を舞うように進み遂には目的地へ到達する。その頃には既に黒い玉は肉眼でもそれと分かるほど大きくなっていた。光沢も何もないそれは、海上に開いた大穴にしか見えなかった。

「どうだ、何か分かるか?」

「いえ……あっ、待って下さい。何かが出てきます! これは…………深海棲艦!?」

 惣太郎は双眼鏡を掴み直した。黒い球体の拡大が止まり、表面に突起のようなものが見えた。

「次々に出てきます! 大型二隻、人型二隻の計五隻! 駆逐艦二……重巡一、残り一隻は不明です」

 鳳翔の報告を聞きながら、惣太郎は戻ってきた艦娘達を見た。既に戻ってきているのが吹雪、天龍、綾波、摩耶で、残りは異常な荒れ方をする海に苦戦していた。

「陸に上がった者から装備換装、実弾用意しろ! それと後続のために、できるだけ外に引っ張りだしとけ!」

「宜侯!」

 既に実戦の緊張を身に纏っていた四人はすぐに、弾薬が置いてある倉庫へと駆け込んでいった。

「状況はどうだ?」

「不明艦の動きが……触手部分に何か絡んでいます……女の子です!」

 集中していた鳳翔が目を大きく開け、驚きの声を上げた。

「艦娘か?」

「わかりません、見たことない娘です。あっ、不明艦が航空機を発艦させました!」

「空母か!? 攻撃来るぞ、後退急げ! 鳳翔、援護の攻撃機を飛ばせ!」

 激しい波に邪魔され思うように速力が出せない艦娘達をめがけて敵航空機が迫る。

『ひあぁっ!』

『痛っ……』

『きゃあぁあ!』

 鳳翔の戦闘機はあと一歩の所で間に合わず、遅れていた初雪、白雪、磯波が敵の爆撃に巻き込まれてしまう。

「準備出来ました!」

「被弾した三人の救助を最優先だ」

 換装を終えた四人は桟橋に行く時間も惜しいと、直ぐ様荒れる海上へと身を投じた。実弾は自信につながり、戻ってきた時とは打って変わった勇ましさで、四人は大波に立ち向かっていく。

 それと入れ替わりに、遅れていた祥鳳達が次々と海から上がってくる。

「よしっ、揃ったな。換装しながら話を聞け」

 吹雪達が台車に乗せて運び出した実弾を指して惣太郎は言った。主砲を持つ艦娘はそれぞれの口径に合わせて砲弾を詰め、魚雷を発射管へと挿入する。軽空母の祥鳳は矢の種類を、鏃が尖ったものに変えていた。

「すべき事は救助の援護だ。祥鳳の攻撃機が先行し敵の注意を引け。鳥海、龍田、敷波は最大船速で敵艦隊と味方の間に割り込め。救助を第一優先とし、完了後は敵の掃討に移れ」

「宜侯!」

 準備を終えた四人が次々に海上へと飛び込んでいく。

「アタシは?」

「深雪は俺と共に、囚われている少女の救出に向かう。鳳翔は俺と救助隊の様子を見ながら、随時援護を出せ」

 言いながら惣太郎は既に桟橋の小型艇に向かって駆け出していた。

「提督!? 無謀です、ここは私達に任せてください!」

 慌てながら鳳翔が追いかけてくるが、陸でなら惣太郎の方が足が速い。

「第一は保有艦娘の救助が優先だ。余った俺が行けば、その分の戦力を救助に割けるだろ」

 惣太郎は係留ロープを外すと、小型艇に乗り込み暖機もなしに発動機を動かした。よく整備がされていたようで、ぐずることなく発動機が低い音を立て始める。

「まったく、しょうが無いですね。分かりました、まずは提督を援護します」

 深雪に続き鳳翔が小型艇の横に進水する。

「行くぞ! 深雪、先行してくれ」

「宜侯!」

 答えを聞く前に惣太郎は小型艇を発進させていた。桟橋を離れた所ですぐさま、レバーを限界まで倒し一気に加速する。

 荒れる波を飛び越えるようにして小型艇は進んでいく。艦娘達の最高速度には及ばないが二〇ノット以上は出ているだろう。飛沫と呼ぶにはあまりにも大きな海水の塊が惣太郎の全身を打ち続けた。

「航空機で敵不明艦の注意を引きます!」

 鳳翔が荒れる海上を物ともせずに弓を射り、戦闘機を飛ばした。敵不明艦は他の艦とは少し離れた場所にいるので、戦闘機は先行する吹雪たちから僅かに離れるように進む。

「くっ!」

 大波に惣太郎の駆る小さな船が大きく揺れる。悠長に眺めている余裕はないと操舵に集中した。

「敵攻撃機と会敵、戦闘に入りました」

『初雪を救助』

「敵機撃墜、第二陣きました」

『敵駆逐艦、撃沈』

『磯波、中破!』

 鳳翔の報告と聞こえてくる無線を頼りに、惣太郎は頭の中で状況を推移させていく。

(向こうはなんとかなりそうだな)

 波に乗り上げた船が海上を跳ねたりと何度か危ない瞬間はあったが、どうにか敵不明艦を目指できる所まで近づけた。

「見えてきたか……」

 何度か大波で危ない瞬間もあったが、惣太郎はどうにか敵不明艦が目視できる所まで近づけた。

 海に浮かぶ青白い幽鬼のような肌をしたそれは確かに人の姿をしていた。張り付いた黒い装甲がまるで下着のようにたわわな胸を隠している。しかし、人に見えるのは上半身だけで、下半身は異形そのものだ。鯨の顎のような形状をしていて、その口の中から烏賊や蛸のような触腕が伸び、小柄な人影の手足を絡めとっていた。

 こちらを完全に捉えた敵不明艦は触腕をうごめかすと、少女を盾にするように掲げた。

「空母らしく接近戦は苦手ってことだな。よし、深雪。魚雷と一緒に主砲をぶち込んでやれ」

「ええ! 提督、主砲はきついって! あの娘に当たっちゃうよ!」

「やれ、命令だ。良いか、後ろの『的』にだけ当てろ」

 深雪の返答は余裕のないものだったが、惣太郎は取り合わない。

「もう、しらないんだからねっ!」

 やけくそ気味に言うと、深雪は主砲を構え脚部の魚雷発射管を前方に向ける。

「当ったれぇええええ!!」

 連装砲が火を吹き、放たれた魚雷が敵不明艦に向かう。

「あっ!」

 弓を引いていた鳳翔が短い声を上げた。

 砲弾は間一髪の所で少女を避け、その背後の敵不明艦に命中。上半身が揺らいだ所に六門の魚雷が一斉に襲いかかる。

「クッ!」

(喋った!?)

 伝令官を通したような音だったが、惣太郎は確かに深海棲艦の声を聞いた。

(いや、考えるのは後だ。今はあの娘を助けないと)

 衝撃に体勢を崩した敵艦の触腕が緩み、少女が海上へと落下する。

「深雪と鳳翔は上半身に攻撃集中!」

 命令を飛ばしながら惣太郎は舵輪を操り、海をたゆたう少女のもとに船を寄せる。

「大丈夫か!?」

 惣太郎は声をかけながら小型艇から身を乗り出し、少女の腕を掴み引き上げた。異国人なのだろうか、透き通るように白い肌に濡れた長い金髪が張り付いていた。

「ワタサンゾ!」

 砲撃と爆撃を掻い潜り敵不明艦が、惣太郎に向かって触腕を伸ばす。

「提督!」

 鳳翔の悲鳴が聞こえた。丸太のようなそれで打ち据えられれば、ただの人間である惣太郎が耐えられるはずもない。小型艇に当たれば意識のない少女とともに海の藻屑だ。

「提督はヤラせないぜぇええ!」

 触腕が振り下ろされると思った刹那、黒い人影が高速で過ぎ去った。

 宙を舞ったのは惣太郎ではなく、青白い触腕だった。

「フフフ、こいつは飾りじゃねえんだよ!」

 刀を握った天龍が不敵に笑い、単装砲を敵不明艦に撃ち込んだ。

「イマイマシイカンムスドモメ……ココデモ!」

 憎しみに染まった赤い目で天龍を睨みつけると、敵不明艦は触手を引き戻し、海中にその身を沈めた。

「えっ、もう撃沈? うっそぉ?」

「違う、奴の目は死んでなかった! 気をつけろ!」

 深雪に警告を飛ばした直後だった。

「ぐぁあっ! くそがぁ……っ!」

 水柱と共に天龍の叫びが上がった。どこから現れたのか、爆撃が強襲されたのだ。注意深く辺りを見回すと、巻き上げられた飛沫に隠れるようにして敵不明艦が海中に潜っていく姿が見えた。

「潜水空母だと!?」

 まさかの敵の行動に惣太郎が驚きの声を上げた。

「深雪、爆雷だ!」

「ごめん! 急いでて換装してないよぉ〜!」

「仕方ない、このまま撤た――」

 退却命令を出そうとしたその時、惣太郎の乗る小型船舶が水中から激しく突き上げられた。

「くっ!」

 限界まで傾いだ船は大きく海に飲まれてしまう。惣太郎はとっさに助けた少女の手を掴み、船から飛び降りた。

 その直後、海面から姿を現した多数の青白い触腕が小型艇を真っ二つに叩き折った。

「提督!」

「来るな、鳳翔! 深雪とお前は救出部隊に合流し、対潜装備で再度攻撃をしろ!」

 見捨てろとの指示に鳳翔が迷いを見せる。その間にも、青白い触腕は惣太郎と少女を探し続けていた。

(ここまでか、いや、この少女が艦娘なら逃げるぐらいは……)

 少女は黒い箱を背負っていた。一見すると革製の背嚢に見えるが、艦娘なら機関部か武装に違いな。

「おい、目を覚ませぇええ!」

 惣太郎は少女の意識を取り戻させようと耳元で怒鳴り、頬を叩いた。

「……っ」

 願いが届いたかのように少女は目を開けた。浮力とは別の力が作用し、惣太郎と少女の身体が海面に浮き上がる。

(これで逃げられ――)

 浅はかな期待を裏切るかのように、海面を切り裂さいた触腕が二人を襲った。

「くっ!」

 惣太郎は少女を抱きしめた。そんなことをしても、盾にもならないことは分かっていたが、それでも守らなければならないと思った。

「……式……射機、発射」

 耳元で何かのつぶやきを聞いたその時、少女の背負っていた箱が開き、柄付手榴弾のようなものが大量に飛び出した。

 柄付手榴弾は触腕の根本に向かって飛来し海中へ。それを弾こうと触腕が触れた直後、大爆発を起こした。

「なっ!」

 驚く惣太郎の目の前で連鎖的に爆発が起こった。海中からは水柱が上がり、千切れた触腕が宙を舞った。まるで海のその場所だけが、突如沸騰したかのような光景だった。

 やがて爆発は収まると、両腕と下半身を失い死に体となった敵不明艦が、末期の魚のように浮かんできた。

「マサカ……コンナ……ノ果テデ……」

 後悔とも諦念ともつかない嘆きを残し、溶けるように海底へと沈んでいった。

 敵の最後を見届けた惣太郎が視線を降ろすと、力尽きた少女は再び目を閉じようとしていた。

「…………か……える……」

 掠れた声で呟き少女は完全に気を失ってしまった。

 艦娘が纏う浮力を失った惣太郎は少女を抱え、どうにか泳ぎながら鳳翔達の救助を待った。

 

-6ページ-

 敵艦隊を撃滅した摩耶達も合流し、惣太郎と少女は陸へと運ばれた。深海棲艦の襲撃は鎮守府に通達されていて、他の艦娘はもちろん大井司令まで駆けつける始末だった。

 負傷した艦娘は船渠入りを言い渡された。惣太郎も腕の傷が開いてしまったが黙っていた。しかし、鳳翔に見ぬかれ医務室に強制連行されてしまった。

 海軍病院で見てもらった所、傷が悪化していると言われた。どうやら船から落ちた時に引っ掛けるか、擦ったかしたようで、三針ほど縫うことになった。

 治療が終わった頃には正午を回っていた。心配そうな鳳翔がやってきて、大井司令が報告を待っていることを告げた。ついでに間宮が作った握り飯を持ってきてくれたのはありがたかった。空腹に昆布の握り飯を放り込んだ惣太郎は、さっそく庁舎に向かった。

 襲撃の報は全職員に通達されているようで、庁舎の中は慌ただしく人が行き交っていた。包帯を巻き上着を引っ掛けただけの惣太郎だったが、誰にも呼び止められることなく長官室へと辿りつけた。

 待ち構えていた大井司令を前に惣太郎は、演習の始まりから、救助されるまでを出来るだけ細かく説明した。大井司令は話を聞きながら、艦娘たちから取ったのだろう調書を見ていた。

 報告が終わった所で今度は大井司令から、惣太郎が救助した艦娘についての話が始まった。

「艦籍不明ですか?」

「ああ、横須賀鎮守府はもちろん、海軍にあの娘っ子の情報は何一つない」

「陸軍や外国の所属という可能性は?」

 少女の目を引く金髪や顔立ちは異国風だ。単なる思いつきだが、惣太郎は物おじせずに尋ねてみた。

「とりあえず陸軍って線はねえな。外国帰りの娘どもにも話は聞いてみたが知らねえってよ」

「背中に爆雷のようなものを身につけていましたが、そこから分からないでしょうか?」

「装備どころか機関部もよく分からねえんだとよ。明石と海軍工廠の連中も揃ってお手上げだ、なさけねえ」

 大井司令は歯がゆそうに、調書を机に投げ出した。

「それであの娘はどうするんですか?」

 正体不明となると様々な扱いが考えられる。本人にとって好ましくない事態にならないようにと思い惣太郎は敢えて尋ねた。

「ああ、そのことをお前さんに話そうと思っていた。忘れなくて重畳、重畳」

 大井司令は片方の口角を上げた。それはいたずらを思いついた悪童のような笑みで、惣太郎はどうにも嫌な予感がした。

「とりあえずお前さんに預けるから面倒みてやれ」

「待って下さい、司令!? 自分はここに着いたばかりで、まだ右も左も分からない新任ですよ!」

「構いやしねえよ。一緒に学べて丁度いいじゃねえか」

「自分のことで手一杯です!」

 学ぶこと山のようにあり、艦娘達との信頼も築かなければならない。おまけに教鞭を振るえとまで言われている。その上で子女の面倒を見るなんて、体一つでは足りない話だ。

「良いか、三栖大尉。これは命令だ。横須賀はいつだって人手不足なんだよ。そこに今回の騒動だ。守備体勢の見直しやら仕事が湧きやがった。だから、一番暇で役に立たねえ奴が子守するに決まってんだろ」

「しっ、しかし……」

「ぐだぐだ言ってんじゃねえ、馬鹿野郎。あの娘っ子はお前の命の恩人だろ? 義理は果たしな」

「……分かりました」

 痛いところを突かれて、惣太郎は不承不承ながら請け負った。

「まあ、頑張れよ。艦娘用のドッグで氷川丸が見ているから、会いに行ってやれ」

「はい……」

 惣太郎は痛む肩をがくっと下げて、長官室を後にした。

 

-7ページ-

 艦娘用の船渠は演習が行われたのとは、埠頭の反対側にあった。西側は出撃用の港や弾薬庫など各種の倉庫や施設が立ち並んでいる。案内図に従って進むと、目的の船渠は工廠の隣にあった。コンクリート造りの白い建物で、玄関を入ると待合室なのか長椅子が並んでいる。

 先ほどの戦いで傷ついた艦娘も十人近く運び込まれているから、姿が見える看護婦もかなり忙しそうにしていた。

 そんな中で一人だけ白衣の女性が、椅子に座り煙草を燻らせていた。

「君が三栖大尉か?」

 紫煙を吐き出した女性が顔もみず訪ねてきた。

「はい、救助された艦娘に会いに来ました。あなたは?」

「私は氷川丸だ。艦娘専門の、まあ、医者のような事をしている」

 灰皿で煙草をもみ消すと、氷川丸は白衣に手を突っ込み立ち上がった。

 正面から氷川丸を見て分かったことが二つあった。一つは彼女が癖っ毛の美人であること。そして、もう一つは――。

「私の顔に何かついてるかな?」

 氷川丸は冗談めかして言うと、顔を斜めに走る傷跡を指先でなぞってみせた。

「失礼」

 女性にするにはあまりにも無遠慮な振る舞いを恥じ、惣太郎は深々と頭を下げた。

「ふふ、別に気にしていないよ。昔、色々とあってな」

 見た目には惣太郎と同じぐらいの年齢だが、氷川丸の余裕は十も二十も年上に思える。顔の傷も彼女の美しさを損なうことは無く、むしろ強烈な主張となって見る者の心を掴む仕掛けの様に錯覚された。

「案内しよう、ついて来なさい」

 氷川丸は白衣のポケットに手を突っ込み、奥に向かって歩き出した。

「あの娘はどんな様子ですか?」

「特に外傷は無かったが、運び込まれた時と変わらず寝っぱなしだ」

 船渠と名前をつけられているが、通路に漂う雰囲気は先程まで惣太郎がいた病院のそれと変わらなかった。

「運び込まれた他の艦娘達は?」

「重傷者は無し。白雪と初雪が一日入渠ぐらいで、後は今日中に退院だ。艤装の方はかなりやられたみたいで、明石が文句たれてたな」

 通路を右に曲がった先、『三号船渠』と書かれた扉の前で氷川丸は足を止めた。所属不明とは言え、特に警戒されていないのか、隔離されている様子も無く見張りも立ってはいなかった。

 部屋の中に入ると、浅い浴槽のような白い桶が六個、等間隔に並んでいた。空の桶は透明な蓋がされ、大小様々な管で桶の後ろにある大仰な機械と個別に接続されている。

 六つある機械の中で動いているのは一つだけだった。氷川丸に促され中を覗きこむと、緑色の液体に満たされた浴槽の中にあの少女が横たわっていた。

 救出した時と格好が違い、薄手の白装束を着ている。あの時は気づかなかったが、思ったよりも身長がある。身長は吹雪達と同じぐらいだろうか、無意識に小柄だと思っていたのは彼女の細身のせいだ。

「じきに目を覚ますだろうが、ここで待つかね?」

「そうですね……だったら、他の娘達を先に見舞って――」

「んっ……んん……」

 言いかけた惣太郎をまるで引き止めるように、少女は目を開けくぐもった水音を上げた。

「気がついたか?」

 浴槽から上半身を起こし、夢うつつのような表情を向ける少女に惣太郎は声を掛けた。

「あなた……誰?」

 可愛らしい唇に張り付いた金糸のような髪を拭って、少女は惣太郎を見上げた。

「俺は海軍大尉、三栖惣太郎。君の……世話係の様なものだ」

「世話……係?」

 まるで単語を分解してその意味を確かめるように、少女は繰り返した。

「ああ、よろしく頼むよ。できれば君の名前を教えてくれないか?」

「わたしの名前? わたし……わたしは…………」

 言葉が力なく掻き消えると少女は俯いた。

「どうした?」

「思い……出せない……自分の名前……わからない……」

「ふむ、ちょっと見せてもらうよ」

 そう言って氷川丸は少女の頭を触ったり、髪をかき分けたりして、あれこれと調べた。

「頭に傷は無しか。外因的なものか、心因性かわからないけれど、いわゆる記憶喪失みたいね」

「本当にわからないのか?」

 惣太郎は屈みこむと、少女と目線を合わせて尋ねた。

「うん……わからない……」

 碧い瞳が真摯に惣太郎を見つめ返した。少なくとも嘘をついて、騙そうとしているようには思えなかった。

「これは困ったな……とりあえず、なんて呼べば良い?」

「好きに……呼んで良いよ」

「そう言われてもな……」

 惣太郎は困ってしまった。さすがに『君』や『少女』と呼び続けるわけにもいかない。

「ならさ、大尉が名付けてやりなよ」

「俺が? この娘の名前を? いやいや、そんなわけには……」

 見ず知らずの他人に名前をつけられるなど嫌だろうと思い、少女の方を見ると当の本人は何故か少し嬉しそうにしていた。

「あー……君はそれで良いのか?」

「うん、良いよ……あなたが助けてくれたのだけ、覚えてる……だから、あなたがくれる名前なら良いよ」

 疑うことをまるで知らないような無垢な瞳が、惣太郎には少し眩しかった。

「正確には俺が助けられたんだが……まあいいか。君の名前……名前……花子とか」

「そんな適当につけた名前はダメだな」

 至極もっともな理由で氷川丸に即座に否定されてしまう。

「もっと相手のことを考え、誠意のこもったものを考えるんだ」

「そんな事いわれても、会ったばかりだぞ……」

 助けを求めるように少女の方を見ると、くりっとした瞳で期待に満ちた視線を送ってきていた。

(何か特徴を表すような……それでいて、誠意とやらのこもった名前……)

 惣太郎の目についたのは少女の金糸のような髪の毛だった。海から船に引き上げる時も、この陽光のような髪が荒れる海での目印だった。

「旭、なんてどうだ?」

 思い浮かんだ言葉を少女に告げた。今度は氷川丸からの駄目出しもない。

「あさひ……旭……うん、良い名前……すごく……」

 少女は贈り物を受け取るように、両手を胸の前で包み込んだ。

 

説明
アニメ版「艦隊コレクション」とは皇暦2664年の10月7日から放送された全26話のアニメです。今回は極秘裏に入手したノベライズ版の、冒頭部分を掲載する。(という体です)
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