偽装天下(中)
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数日後。

魏を出た一刀は、何度も早馬を変え、ほぼ徹夜で飛ばし、今は蜀との国境際まで来ていた。

別段急ぐ旅ではなかったが、山や森での野宿を避けた結果、そのような徹夜続きの移動となった。

 

一刀「さすがに疲れた……てか、すごい混んでるな」

 

ここは魏蜀の国境の検問。行商人など多くの人々が、出入国の審査手続きでごった返している。

 

一刀「それより、この格好で大丈夫かな?」

 

少し照れたように頭を掻いて、自らの服装を検める一刀。

それは洛陽を出てから用意した服で、鮮やかな朱色の生地をベースに金色の貴金属があしらわれている。

よく呉の豪族や高官が好んでするスタイルで……そう、彼は呉の特使として検問を通過するつもりなのだ。

 

一刀「まぁ、特使札も用意したし大丈夫だよな。審査まで剣でも磨いて待っていよう」

 

腰から護身用の剣を外し、刃を鞘から抜き放つ。

真桜が鍛えた剣。細身だが、鋼材も優秀で強度も切れ味も申し分ない。

道中、野犬や猪、小柄な熊まで斬ったが、刃こぼれ一つしていなかった。

 

一刀「水気や塩分があると赤錆が出るからな〜」

 

一刀は獣の血が付着していないか、念入りに調べ手入れをしていく。

 

すると。

 

 

「大人しくしろっ!!!」

 

 

一刀「ッ!!な、なんだぁ!?」

 

突然の怒号に剣を取り落としそうになった。

一刀は剣を腰に差し直し、野次馬が集まる場所へと駆け寄った。

 

蜀兵「チッ、野蛮な魏の犬が……」

 

魏兵「なんだと貴様!」

 

蜀兵「お前らが戦で奪った物に比べたら、こんな端金安いもんだろうが!」

 

魏兵「ふざけるな!我々は勝利したにもかかわらず、貴様ら蜀に多大な援助を行っているのだぞ!」

 

蜀兵「嘘を言うな!俺らが生活できてるのは全て劉備様の施しのおかげだ!図々しい犬めっ!」

 

魏兵「貴様ぁあッ!!!」

 

怒りの限界に達した魏兵が、構えていた槍を蜀兵目掛けて振り下ろす。

 

――ガキン!!

 

魏兵の槍は、寸でのところで止められた。

 

一刀「や、槍をお引きなさいっ……!」

 

鞘を付けたままの護身用の剣。

一刀は肝を冷やしながら声を絞り出した。

 

魏兵「貴様……何者だ!」

 

わらわらと魏の兵達が集まり、完全に包囲された。

一刀は駐屯兵の迅速な反応に感心しつつも名乗りを上げた。

 

一刀「失礼した。私は呉の特使として参った者。魏で仕事を終え、今から蜀に移るところだ」

 

言いながら、特使の明かしたる札を見せ付けた。

 

魏兵「こ、これは御無礼を!」

 

兵は慌てて槍を下げ、一斉に頭を垂れた。

 

一刀「こちらこそ、割り込んで申し訳なかった。貴殿らが他国の兵を殺害したとあっては問題になると思い、つい」

 

魏兵「そ、それは……!」

 

彼らも多少負い目を感じているのか、言葉に詰まり、顔色をみるみる悪くした。

逆に蜀兵は、援軍が来たとばかりに態度が大きくなる。

 

蜀兵「助かりました、呉の特使殿!こやつら、私に盗人などという言いがかりを!」

 

魏兵「ふっ、ふざけるな!倉庫の扉には貴様の手形があり、目撃した者もいるのだぞ!」

 

蜀兵「それらは全て、お前らの姦計のよるものだ!」

 

魏兵「先程、貴様が盗んだ我らの金に対し“端金”などと悪態をついたではないかっ!」

 

蜀兵「槍で脅され言わされたまでのこと!この卑怯者共めっ!!」

 

大声で否定し、相手を罵り続ける蜀の兵。

逆に魏の兵は、蜀兵のあまりにも常識外れの主張にうろたえてしまっている。

この部分のやり取りだけを見た者は、いったいどちらが悪だと判断するだろう?

 

一刀「ここは一つ、私の顔に免じて許しては頂けないだろうか?」

 

魏兵「な、何と申されるか!? そもそもこれは魏と蜀の問題!」

 

蜀兵「蜀と呉は同盟関係!さらに、魏の一兵卒風情が呉の特使殿に異を唱えるとは何事か!!」

 

魏兵達は言葉に詰まった。

一刀は魏兵に近付き、静かに耳打ちした。

 

一刀「このままこの者を裁きに掛けたら、貴殿らも処分を受けることになるのでは?」

 

魏兵「そ、それは……しかし、それでも――!」

 

真面目な兵だった。

だが、魏の王は厳粛。特権階級が起こす失態や不祥事には特に厳しい。

この魏兵は、倉庫への侵入を許し、拘束した蜀兵に槍を向け、独断で斬首に処そうとした。

処分は免れない、そう判断した一刀は説得を試みることにしたのだ。

 

一刀「貴殿のような兵を失うことこそ魏の損失。私は友好国の特使としてそれを止めたい」

 

魏兵「と、特使殿……」

 

一刀の真剣さが伝わったらしく、その魏兵は肩の力を抜いた。

 

一刀「ありがとう。では、あの者は私が連れて行きます」

 

魏兵「はっ!……」

 

魏兵は良心を痛めているのか、暗い顔で返事をする。

一刀は兵に向き直り、兵の両肩に手を置いた。

 

一刀「貴殿は間違ってはいない。ただ、仲間や国のため、次からは冷静に対処することだ」

 

魏兵「仲間や、国のため……ですか」

 

一刀「相手に付け入る隙を与えてはならない。これからはそういう戦いになってくる」

 

兵は今一つ理解できていないようで曖昧に頷いた。

 

一刀「では、拘束したままで構わないので、蜀の兵を外に出しておいて頂けるか」

 

魏兵「はっ!」

 

今度は歯切れの良い返事が返って来た。

一刀は兵の背を見送りながら、駐屯兵向けに犯罪者取り扱いの研修でもやるべきだろうかと考え始めた。

帰ったらやることが、どんどん増えて行く。

 

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門の前には縛られたままの蜀兵が待っていた。

 

蜀兵「これは特使殿、こ度は助かりました」

 

一刀「いえいえ。しかし、単独で魏の駐屯地に侵入するとは……勇敢ですな」

 

一刀は縄を解いてやりながら蜀兵をおだててみた。

 

蜀兵「ははっ、大したことではありません。今回は不覚をとりましたが――」

 

気を良くしたのか、他国への不法侵入の実績をベラベラと語り始めた。

夜中に何名かで忍び込んだこと。蜀の行商人と協力し荷馬車に隠れ侵入したこと。

一刀は何度か聞き直したり、復唱して確認したりして、それらの手口を頭に叩き込んだ。

 

一刀「う〜む、そのような侵入方法が……」

 

蜀兵「おっと、これらは秘密にしておいて下さいよ」

 

一刀が感心したように唸ると、蜀兵は馴れ馴れし口調でそう言った。

一刀は、今度は犯行の動機を探ってみることにした。

 

一刀「ですが、蜀の兵はそれほど金銭にお困りか?」

 

蜀兵「ええ、まぁ……戦時中、魏の奴らに奪われましたからなぁ……」

 

打って変わり、憎しみに顔を歪める蜀兵。

予想外の言葉に、一刀は演技を忘れそうになった。

 

一刀「ま、待たれよ!戦時中、魏の兵が略奪を行った記録は無いはずだが!?」

 

蜀兵「我国には、その証拠がしっかりと残っているそうです」

 

おかしな話だった。魏の兵は大陸一規律に厳しい。

特に、略奪行為の禁止に関しては、戦が終わる毎に憲兵が身体検査を行うほど徹底していた。

そもそも、証拠があるならば、蜀は直ぐにでも魏に叩き付けてくる筈ではないのか。

 

一刀「貴殿も、その証拠とやらを目にしたことが?」

 

蜀兵「いいえ。戦後、魏の手により証拠を消されかけたそうで、今は成都の城に保管されています」

 

一刀「ふむ………その話、蜀では有名なのですか?」

 

蜀兵「もちろんです。兵はもちろん、農村の者も知っています」

 

興味深い話ではあるが、一刀はそれ以上の追求はやめておいた。

熱くなりすぎて、身元を疑われるようなことは避けたかったのだ。

かわりに話の切り口を変えてみる。

 

一刀「金銭に困っているとのことだったが、魏から援助がなされている筈では?」

 

魏兵も主張していたことだが、魏から蜀への援助については一刀自身も認識している。

戦後の経済対策用資金援助。対五胡防衛費援助。二つを主軸に大小様々な援助を行っている。

 

一刀(特に五胡方面の農村や駐屯兵には、そこそこの額を援助している筈だけど……)

 

蜀兵「何をおっしゃいます特使殿。我々が生活していけるのは劉備様の施しあってこそ」

 

一刀「貴殿が捕まっている折にも言っていたが、それはどういうことか?」

 

蜀兵「はい。劉備様は民の生活の足しにと、定期的に給付金を下さるのです」

 

その後は、”劉備様はお優しい。魏は狡猾で非道”の繰り返しだった。

一刀は途中で蜀兵と別れ、近くの農村を目指すことにした。

確かめなければならない――。

 

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数週間後、一刀は成都にいた。

彼は間借りした安宿で、ここ数日間で集めた情報を整理していた。

 

一刀(兵から農民まで、見事に魏の悪評が広がってた)

 

悪評の内容は、やはり戦時中の魏の兵による略奪行為の話が大半だった。

また調査中に、実際に略奪被害にあったという被害者農民の一団まで現れた。

 

一刀「う〜ん、戦争中にあの辺りを行軍したことはなかった筈だけど……」

 

時期、場所、略奪を行った魏兵の人数、悪評には幾つもの不合理な点がある。

 

一刀「盗賊が魏の兵の格好をしていて、その被害にあったとか?」

 

考えられる可能性を洗い出してみる。

ここ数日、調査をしながらずっと同じことを繰り返していた。

 

一刀「それとも……いや、まさか――」

 

そして、いつも一番考えたくない可能性で行き詰る。

 

一刀「……それも、確かめる必要があるよな」

 

自身に言い聞かせるように呟いて、一刀は何か覚悟を決めた顔付きになった。

 

 

街に出て、噂に耳を傾ける。

 

 

魏や呉出身の行商人から魏の悪評について。

 

――「興味がない」「蜀が意図的に流した噂」「魏は非道だ」

 

小吏や町民から給付金について。

 

――「給付額は約半月分の食費」「兵も民も一律の額」「大戦後に始まった制度」

 

警邏兵から治安について。

 

――「盗賊被害が減った」「窃盗などの軽犯罪が減った」「魏に対する抗議団体が増えた」

 

 

一刀「ふむ……」

 

蜀が民に出している給付金の総額は、魏が蜀に出している支援金総額の三分の二といったところだった。

給付金制度が始まった時期から考えても、蜀は明らかに魏からの援助金を流用している。

 

一刀(やっぱり、将から情報を取りたいな)

 

危険なことではあるが、一刀は蜀の武将を思い浮かべ思案した。

 

一刀(与し易いのは孟獲や袁紹あたりか……)

 

それは戦時中に魏の間諜が掴んだ情報だった。

蜀にそれほど思い入れがなく、重要な会議や交渉の場に呼ばれない武将達。

それで行くと、呂布あたりも該当するが、彼女は口を開かないだろうと一刀は判断した。

 

一刀「よし!いっちょスパイしますか!」

 

一刀は頬を叩き気合いを入れ、再び町人への聞き込みを開始した。

今度は、ターゲットに据えた武将を探すために――。

 

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夜。

一刀は成都の飲食店の中でも五本指に入る高級料亭にいた。

そして、彼の対面では――

 

孟獲「はぐはぐっ!んまいにゃあ〜♪」

 

猫耳姿の愛くるしい少女が、テーブルに並べられた数々の高級料理を頬張っていた。

 

一刀「ささ、杯が空いていますよ孟獲殿」

 

孟獲「にゃあ〜…んぐんぐ……ぷひゃぁ〜」

 

真っ赤な顔で、アルコール度数の高い酒を豪快に呷る孟獲。

 

孟獲「それで〜みぃは言ってやったにゃあ〜」

 

一刀「さすが孟獲殿ですな! ところで――」

 

一刀は酔った孟獲の武勇伝などを聞きながら、自分の欲しい情報を聞き出して行く。

 

孟獲「にゃあ、桃香や朱里が、朝の話でにゃ〜」

 

一刀「えーっと、朝議のことですかな?」

 

孟獲「そうにゃ。そこでぇ〜、なんとか〜…金、って言ってたにゃあ〜」

 

一刀「何とか金?……もしかして給付金では?」

 

孟獲「それにゃ!きゅーふ金だにゃあ!」

 

一刀「蜀は……あまりお金がないと聞きましたが、どうやって捻出しているのですか?」

 

蜀の財政を見透かした発言は、孟獲の機嫌を損ねるかと思ったが、杞憂だった。

 

孟獲「にゃ〜たしかぁ、朱里のやつがにゃにか〜……」

 

一刀「もしかして“魏”に関係のあることでは?」

 

一刀は身を乗り出した。

 

孟獲「そうだったにゃ!お金は魏の奴らが出すって言ってたにゃ!にゃははは!」

 

思い出せたのが嬉しいのか、孟獲はテーブルを叩きながら八重歯を覗かせ爆笑する。

一刀はついに核心的な情報まで辿り着き、興奮から密かに身震いした。

 

一刀「ほ、他には何か言っておられましたか?」

 

孟獲「う〜ん…………思い出せないにゃ!」

 

一刀「そこを何とか!孟獲殿!」

 

孟獲「う〜ん……無理にゃ!」

 

その後も、酒を奢り、飯を奢り、煽て持ち上げても、孟獲はそれ以上しゃべらなかった。

いや、恐らく彼女は本当にそれ以上は何も知らないのだろう。一刀もそれを確信できた。

 

一刀(情報は得られたけど、嫌な可能性は現実味を帯びてきたな……)

 

魏の悪評の源流点。

魏からの各種援助金が、蜀の手によって『給付金』と姿を変えられている現実。

 

一刀(華琳は全部知っているのか……いや、知らない筈がない)

 

ならば、どうしてこの現状を放置しているのか。

 

一刀(戦時中の軍律も、援助金の取り決めも、魏に落ち度はない筈だ)

 

戦時中、魏の兵が蜀に対して略奪行為を行ったとは思えない。

援助についても、呉王の立ち会いの下、魏王、蜀王によって正式に結ばれている。

魏が国としての弱みや付け入る隙を、蜀に握られているとも到底思えない。

だとするなら――

 

一刀(放置しているのは王の……華琳の個人的な事情なのか?)

 

不意に、赤壁の戦い以降の光景が次々に思い出され、消えていった。

 

孟獲「うぃ〜酔っぱらったにゃぁ〜」

 

一刀「………」

 

孟獲「どうひたにゃ〜?」

 

一刀「……いえ、それよりも大丈夫ですか、孟獲殿?」

 

孟獲「う〜目が回るにゃ〜」

 

目をぐるぐるさせる孟獲。やがて彼女はそのまま眠りについてしまった。

一刀はそれを確認し、店主に金を握らせ、彼女をこのまま寝かせておくように頼み、店を出た。

 

 

深夜。

さすがの成都も静まり返っており、空の星々だけが賑やかに瞬いていた。

一刀は、そんな夜空をぼんやりと仰ぎ見る。

 

一刀「色々、考えないとな……」

 

悪評のこと。給付金のこと。そして何より、華琳がなぜこの状態を許しているのか。

 

一刀「華琳……」

 

掠れた声で呟く一刀。

 

乾いた瞳と疲れた顔からは何の感情も伺えない。

 

もしかすると、彼は既に、答えを得ているのかもしれない。

 

 

 

『偽装天下(中)』〜完〜

説明
(中)は問題提起的な話のつもりです。
一刀の思考やモブ兵との会話が中心です。
また、蜀にはちょっぴり悪役をやってもらいました。
了承して頂ける方のみ、ご覧頂けると幸甚です。
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