それはひとつの── |
私が綴った文字を、彼女は流暢に読み上げていく。
普段からしてもらっていることだけれど、たまにずっと聞いていたくなる事がある。
「けほっ、けほっ……」
不意に混ざった咳に、私のぼんやりとした思考は遮られる。
若干、声がかれていたのにやはり無理をさせてしまったのだろう。
「マキ、大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫。続き読むね」
「んー……いや、今日はもう終わりにしましょう。仕事が詰まっているからと無理させすぎたわ。しばらく休みなさい」
「う、でも……」
目の前の金髪の少女は、緑がかった海色の瞳を曇らせる。
自分の所為だと思い込んでいるのかもしれない。
そんな彼女の頭をそっと撫でながら、私は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「もともとこの仕事は予定外なんだから、多少の締め切りの融通は聞いてもらうわ。喉に悪いから、治るまでゆっくり休みなさい」
「……はい」
「紅茶でも入れるわ、以前関わった農家の人からもらったはちみつとレモンもあるから、はちみつレモンティーにでもしましょうか」
曇った瞳はすぐに輝きを取り戻して、彼女──弦巻マキは嬉々としてお茶菓子の準備を始めるのだった。
私の悩みをよそに──。
* * *
私はフリーの字書きをやっている。
フリーライターとか言えば聞こえはいいが、実際そこまで大したものではないと思っている。
基本的には電子版で出版している小説の売上が中心で、それに加えて依頼があれば記事を書く。
幸いなことに、食べていくにとどまらず、趣味その他にある程度散財出来る程度の収入は維持出来ていた。
始まりは先月中頃、ある出版社からの依頼だった。
月刊誌への連載の誘いを、私はステップアップのいい機会だと引き受けた。
契約は一年。
この月刊誌での連載が思ったより仕事量として大きなものとなった。
そこに月末、急に3つの会社からコラム記事の依頼が入った。
それまで定期的に仕事をもらっていた恩義もあるため、無碍に断ることも出来ず、結果として月末から翌月中頃にかけて、仕事が集中した。
マキには、私が執筆した原稿の読み上げをしてもらうという仕事を任せている。
自分で書いた原稿だと、意外と誤字脱字に気づかない。
文章として流れが悪いことも書き下ろした段階ではよくある話で、それ気づくには読み上げるのが一番だけれど、自分で読み上げると多少の違和感は通りすぎてしまう事がある。
だから、原稿を書いていない者が読み上げるのが良いと、私は思っている。
そんな訳で先月中頃から増加した執筆量と、それを推敲するためにマキに読みあげてもらう量は比例して増大し、結果としてマキが喉を痛めるという事態に至った。
今後もこういうことが増えることを考えると、マキ一人では荷が重い仕事量になりつつあるかも知れない。
「マスター?」
紅茶を片手に考え事をしていたら、マキが心配そうに声をかけてきた。
そうして考え事が表情に出ていたことに気付いて、慌てて取り繕う。
マキが我が家にやってきた頃ならばそれで誤魔化せたであろうけれど、今のマキはすでにそれがどういう意味を持つのか理解している。
そっと頭を撫でてやるけれど、マキも表情を曇らせたままだった。
そっと頭を撫でて上げると無言で抱きついてきた。
心配しなくていいと伝えるように、そっと抱きしめてあげた。
翌朝になり、事態は更に悪化した。
といっても、マキの喉の状態が悪化したというわけではない。
二度の電話の後、私は深くため息をついた。
本来ならば喜ばしく、私のようなフリーの字書きにとってはありがたい新しい依頼。
けれど──。
「キャパシティーオーバー、か……」
仕事量から鑑みて、これ以上引き受けてマキ一人に無理をさせるのはそれこそ彼女を使い潰すことになってしまう。
生活を共にするバイオロイドである彼女たちは、人間と同じように生活する。
無理をさせて大丈夫なわけはないのだ。
どうすればいいか……。
「ただいまー!」
悪い思考の連鎖に陥りかけていた私の意識を根こそぎ持っていく明るい声。
出かけていたマキが帰ってきたらしい。
「おかえり」
「マスター、はい。郵便ー」
「ああ、ありがとう……ん?」
目についたのはひとつのダイレクトメールで、今時こういう郵便形式とは珍しいと思いつつ差出人を確認すると、AHSというロゴが印刷されていた。
「へぇ、珍しいわね」
ペーパーナイフで封を切る。
中には日頃のご愛好のお礼と、特典割引券などが入っていたけれど、その中の一つに私の目は釘付けになった。
それは、新しいVOICEROIDの発表だった。
「……そうか」
目の前で私の様子を伺っていたマキに、私は問いかけてみた。
「ねえ、マキ。家族が増えたら、うれしい?」
彼女がなぜか顔を真赤にしたのは、どういうことだったのだろうか?
* * *
私が目覚めたのは小さな、白い壁で囲まれた部屋だった。
体に付けられたいくつかの電極を覚えている手順で外し、用意されていた服を着て部屋の外へと足を踏み出す。
そこに待っていたのは白衣をきた男性で、私がちゃんと部屋から出てきたことを見てか、笑顔を浮かべました。
「ふむ、無事に終わったようだね。体の具合はどうかな? 違和感を感じる場所はあるかね?」
「いえ、どこにも異常は見当たらりません。システム正常に稼働中」
「ふむ……ではついてきなさい。キミの主人になる人に引き渡す前に、準備を終えてしまわねければな」
「はい」
生産プラントから産み落とされた私たちは、それぞれ必要なプログラムのインストールを行われてから、主人となる人に引き渡される。
それが当たり前のことだから、それについて思うことなど無い。
「いい主人に巡り合えることを祈っておるよ」
「ありがとうございます」
それも、プログラムに従っただけの、ただの受け答えだった。
此処で待つように、と言われて椅子に腰を下ろして待つ。
ベッドが一つに、簡素な椅子と机が添えつけられただけの六畳ほどの部屋には、他の装飾品は特に何もなかった。
ただの待合室なのだから、それも当然かと思いぼんやりと窓の外を見つめる。
他に見るものも無かったからだけれど、どうやら天気は良いようだった。
少しだけ、背後にあるドアが気になる。
次に入ってくるのは、一体どんな人なのだろう?
男性だろうか?
女性だろうか?
背は高いのだろうか?
歌は好きなのだろうか?
それともおしゃべり好きなのだろうか?
私は、どんな求められ方をするのだろうか?
きぃ、と蝶番の軋む音がして振り向くと、開いたドアの先に立っていたのは綺麗な水色の髪の女性だった。
光の反射でエメラルドグリーンにも似た色合いの髪を翻し、そして私が座っていることに気づき視線を落とす。
互いの視線が絡みあい、数秒。
彼女は、とても嬉しそうに笑った……のだとおもう。
* * *
朝方に仕事の区切りをつけ、一眠りしようとしたつもりでいたが、今日が大切な日であることを思い出して私は寝床に潜ることを諦めた。
今寝たら、予定時間に起きれる自信がない。
すっかり冷めたコーヒーをすすりつつ、大きく深呼吸をひとつ。
仕事が詰まっていてとはいえ、この大事な日に徹夜でとはひどい話だ。
そうして、八時を過ぎて起きだしたマキに見送られて家を後にする。
目指すのはAHS本社だ。
本社のエントランスに足を踏み入れるのは二度目だった。
一度目はマキの引渡しの時。
今日もここで、新しい家族が増えるのだ。
以前ほどの緊張はない。
逆に、以前よりも胸が高鳴っている気はする。
マキは結構早くに馴染んでくれたけれど、彼女はどうだろうか?
「や、どうも。お待たせしました」
担当の営業の人がやってきて、軽い挨拶とお礼を言われる。
こちらも同じように挨拶をし、契約書の手続きを済ませる。
こういう契約によって引き渡されることを、彼女たちはどう思っているのだろうか?
人間が決めたそういうシステムを、VOICEROIDである彼女たちはどう受け止めているのか……。
……いけないいけない、考えるのは大事なことだけれど、今そんなことを考え始めたらそれこそ初対面の彼女の前で仏頂面を晒すことになってしまう。
しかし、マキを迎えるときはそんなこと考えもしなかったのだから、私も大分変わったということなのだろう。
契約書の最後に署名捺印を済ませ、必要な金額の小切手を認めて契約を完了する。
一応言っておくと彼女たちVOICEROID──分類上は生体バイオロイドというが──はそれなりに値の張る存在である。
もっとも、それが想像されていた時代に比べればはるかに安価ではあるのだが。
閑話休題。
「それでは、案内しますのでこちらへ」
* * *
待合室のドアの前まで案内されて、彼はそこで私に前を譲った。
このドアの向こうに、彼女が居る。
私は軽く呼吸を整えてから、そっとドアを開けた。
ドアの音に振り向いた彼女と自然と目が合う。
銀色がかった藤色の髪と瞳。
整った顔立ち。
少し戸惑いがちな視線を向ける彼女を見て、私は自然と笑みがこぼれた。
「はじめまして」
「……はじめまして、貴女が、私の所有者になる方ですか?」
その表現に、私は眉をしかめざるをえなかった。
確かに、法的にはそういうことになるけれど、心象として歓迎できるものではない。
「その表現は好きじゃないわね。保護者であることは間違いないけど」
「……申し訳ありません」
怒らせたと判断したのか謝罪する彼女を前に、二年前、マキを迎えた時のことを思い出していた。
「ああ、いいのよ。間違っては居ないのだから。ま、ゆっくり馴染んでくれればいいわ」
そう言って手を出す私に、ゆかりはその意味を少し考えてから、そっと手をとった。
「よろしくね、ゆかり」
「よろしくおねがいします……あの」
「うん、なに?」
ゆかりは少しだけ言葉をためらってから、けれどその落ち着いた口調ではっきりと言ってのけた。
「名前、教えてください」
「あっ」
どうやら私も相当舞い上がっていたらしい。
* * *
電車を使っての帰路で、ゆかりはあれこれと興味を示していたようだが、それを直接口にすることはしなかった。
やや控えめ気味の性格かも知れないと思いつつ、その様子から読み取って寄り道をしながら帰ることにしていたら、思わぬほど時間がかかり、すっかり夕暮れ時となってしまった。
さすがにこれ以上遅くなるのはまずいなと思っていると、携帯電話に着信が入る。
誰かと思い画面を確認すれば、案の定マキからの着信だった。
「マキ、どうしたの?」
『あ、マスター? どうしたのじゃないよ。帰りが遅いから心配してたのに!』
「ああ、そろそろ来るかとは思っていたわ。マキのときもそうだったけど、寄り道がちょっと長引いてね。もう家のそばまで来てるから、そうかからないで帰るわ」
『うん、わかった。ご飯用意してまってるから、気をつけてね?』
「はいはい」
電話を切ると、ゆかりが私へと視線を送っているのに気付いて軽く首を傾げる。
「……誰と話してたんですか?」
「ああ、マキよ。ゆかりの先輩になるのかしらね」
「マキ……VOICEROID弦巻マキですか。確かに私のせんこ……先輩……にあたります」
いま先行機って言いかけたな?
「ま、そういうわけだから、今日のところは寄り道はこのへんにして、そろそろ帰りましょうか」
「はい」
寄り道を切り上げて帰路につけば、家まで十五分程度のものだった。
「ただいまー」
「……失礼します」
背後からの声に思わず体から力が抜けかけた。
初日なのだから仕方ないか。
居間のテーブルにはところ狭しと料理が並び、歓迎会の様相を呈していた。
マキも相当張り切っているのだろう。
普段ではまず作らないような料理まで並んでいた。
「あ、マスターおかえりなさい。わぁ、ゆかりちゃんだー♪」
私への挨拶もそこそこにマキはエプロン姿のままゆかりへと歩み寄り、そのまま抱きついた。
突然の事に硬直するゆかりをよそに、マキはたっぷり三十秒ほど抱きついたあとやっと離れ、飛び切りの笑顔で笑いかけた。
「ようこそゆかりちゃん。これからよろしくね!」
「は、はい……」
思えばマキもこの家に来た頃は、今のゆかりのような感じだった。
おどおどしている、というよりは、どこか感情というものが希薄。
おそらく、生まれたての彼女たちはそういったものをまだ知らないからなのだろう。
これから彼女がどんな表情をみせてくれるのか、それが私には楽しみだった。
* * *
「……すぴー」
「あの、えっと……マスター?」
「ああ、寝ちゃったみたいだね。無理もないか、今日寝てないみたいだし」
ソファで寝てしまったマスターを心配そうに見ているゆかりちゃんに、向こうに毛布があるからとってきて、と伝えると彼女は言葉に従って奥の部屋からたたまれた毛布を持ってきた。
そのまま任せればいいだろうと洗い物を続け、終わった私が振り返った時に見た光景──それは。
「ゆかりちゃん、毛布は広げてからかけてあげて」
たたんだままの毛布を乗せられたマスターの姿だった。
これはこれですごく面白い光景ではあるんだけど……。
ゆかりちゃんは無表情のまま毛布を広げ、頭まで綺麗に隠れるように毛布をかけなおした。
その光景に笑いを堪えるのに必死になる。
「あの、何か間違ったでしょうか?」
「頭はだしてあげてね」
笑いをこらえながら、一つ一つ教えてあげる。
最初の頃は、私も同じようなことをしたなあと思い出す。
あの時は結局翌朝マスターが風邪を引いてしまったのだったっけ。
うん、これからまたしばらく、賑やかになるのだろう。
「ぅ……ん……マキ……ゆかり……」
マスターは一体どんな夢を見ているのだろうか。
そしてこれから、私たちはどんな未来を見るのだろうか?
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この小説はヤマもオチもありません。ただのぼんやりとした日常風景、字書きのマスターに引き取られた弦巻マキと結月ゆかりが日々を過ごすだけのお話です。■ VOICEROID+結月ゆかり&VOICEROID+弦巻マキ、Vocaloid V3結月ゆかり、を含む二次創作作品です。■ 独自世界観となっていますのでご了承ください。■ それでも良いという方はどうぞ。 | ||
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