500年目の赤ずきん 終章
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終章「後日談」

 

 

 

 蹴破るように扉を開け、外の世界の明るさに触れた。こんなにも太陽は眩いのに、協会の建物内の空気は淀みきっていた。……いや、俺がその空気の淀みを作った張本人なのだが、あの場から抜け出すことが出来てやっと、生きているのだという実感が湧いてくる。

 俺は以前決めた通り、協会に対して吸血鬼を追うことの中止と、アンデッド討伐の継続の必要性を説いた。もちろんそれにはマリーも、そしてデリク――あのやたらと態度のでかい吸血鬼狩りの男も言葉を添え、そこから始まった大討論会は二時間か、それ以上に及んだのだと思う。

 その結果、俺はいよいよ吸血鬼狩りの世界から追い出され、あらゆる吸血鬼狩りの支援施設を利用することが禁じられた。理由は、失踪を戦死という形で隠蔽し、更にその片棒を同僚の吸血鬼狩り、ソールに担がせたこと。どうやら吸血鬼狩りには誠実さという“徳”が必要不可欠で、その点において俺は吸血鬼狩りに不適合らしい。

 だが、俺もマリーも命を奪われることはなく、こうしてシャバに出ることが出来た。一足先に外に出ていたマリーは、いつも通りに余裕のある微笑をたたえている。

「やっぱり、上手く行きましたね」

「……一時間半、同じ議論ばっかりループしていた時はもう駄目だと思ったけどな」

「話し合いとはそういうものですよ。違う方向に進もうとする歯車同士がかち合った時、二つはがちがちとぶつかり合って互いを傷付けるしかないんです。そこを助けてあげるのが、整備工の仕事な訳ですね」

「しかしな」

 マリーが提示した解決策は、今まで彼女と一緒に旅をして、多少は彼女のことを理解していたつもりでいた俺でも、目を見張るようなものだった。協会の連中はもっと驚いていたようだし、デリクも中々に面白い顔をしていたな。結局、彼はあのまま吸血鬼狩りで居続けることが出来るようで、巻き込んでしまった俺としては気が楽で良いのだが。

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「――わかりました」

 幾度となく双方の主張が繰り返されていた中、それまではわずかに俺の言葉に付け足しを加えるぐらいで、決して自分からは積極的に発言することのなかったマリーが口を開いた。

 彼女は決して高圧的な態度に出ることも、極端にへりくだることもなく、本当にいつもの彼女らしい佇まいで俺と、俺が対峙する「上」の連中を見つめた。

「ダイキ達とあたしは。二つのことを言っています。つまり、アンデッドの発生に吸血鬼が関与していないという、論理的に正しい事実。それから、これ以上吸血鬼が失われず、また人にも傷付いて欲しくはないという、あたしの感情に起因する希望。

 協会の皆さんもまた二つのお考えをお持ちで、一つは長く敵対関係を続けて来た吸血鬼の言い分を信じられないという、歴史的な根拠のある論理的な結論。もう一つは互いに殺し合った二種族が『はい、仲直りしましょう』と簡単には和解することは出来ない、したくはないという感情的なご意見。間違いはありませんね」

 急にこの女は何を言い出したのだ、と難しい顔をした協会の連中は黙って彼女を見返す。俺も彼女の真意を測りかね、見つめ返すしか出来なかった。

「論理的なものと、感情的なもの。同じ種類の主張が同じ数だけぶつかり合っている今、和解をするためにはどちらかが妥協しなければなりません。ですが、ここは互いに譲れない状況。……そこであたしは、双方を結ぶ新たなものを提示したいと思います」

 相変わらず口で笑顔を作り、瞳には自信の光を宿して彼女はマントをはためかせて大きく右手を突き出す。屋敷で会った時と同じ吸血鬼の女王として相応しい格好をした彼女は、俺から見たとしても高貴で邪悪で、何よりも美しかった。

 間髪入れず右手には闇そのものを具現化させたような、どこまでも黒い霧が集まり、小さなシルエットを作り出してそれを実体化させる。手のひらの大きさもないそれは、金色の酒杯のようだった。

「契約です。我々吸血鬼も、あなた方人間も、契約を交わすことによって互いを拘束します。言葉で信じ合うことが出来ないのであれば、強制力を持った契約によって縛り合いましょう。今の時代にまで伝わっているかはわかりませんが、特に吸血鬼にとっての契約は、魂に刻まれるもの。決してそれに抗うことは出来ません」

 自然と思い起こされるのは、初めてマリーと太陽の下で会った日のことだ。後から知ったことだが、あの時も俺は彼女と契約を交わしていた。あの場限りの、俺が一方的にした命令という形ではあったが、確かに彼女は俺が言った通りにあの場所で待ち続け、決して追ってくることはなかった。……今度は、より強固な契約を交わすというのか。

「何を、交わすと言うんだ」

 口を開いたのは、よりにもよってなぜかこの場にいた、俺の父親だった。俺の死亡通知が届いて数週間、やっとこのイギリスに来て色々な手続きをしていたそうだが、俺が生きて戻り、しかも吸血鬼の女王を連れて来たと聞き、全てを投げ出して来たのだった。

「全ての吸血鬼を支配し、人との争いをやめさせることを、あたしに。全ての吸血鬼狩りに連絡し、吸血鬼との争いをやめさせることを、あなた方に。そして、互いに古の遺産を回収し、最後には完全に放棄することを。この杯に口を付け、誓ってください」

「そうすれば、どうなる」

「あたしとあたしの命令を受けた吸血鬼は、何があっても人を傷付けることは出来なくなります。また、あたしは誓いを立てた人の命を握ることになります。つまり、あなた方がこの契約を違えた時、その命を奪うことが出来るようになる訳です」

 瞬間、場内が騒然とした。

 当たり前だろう。一見すれば、吸血鬼の側にばかり有利な契約だ。人の方はその命を奪われかねないのに、吸血鬼は人を襲えなくなるだけで、リスクらしいリスクは見当たらない。

 すぐにマリーに向けて非難の言葉が向けられるが、俺の父親様はこんな時でも冷静ぶってくださっている。……全く、どうしてこんな息子が生まれたんだろう。

「マリエット、と言ったか。それは本当なのか?」

「マリーで結構ですよ。信じてもらえないかもしれませんが、真実です。それに、すぐに証明は出来ますよ。手始めに、あたしとダイキで契約を交わせば良いのですから」

 唐突に俺の名が出て来て、思わずびくりとしてしまう。……くそっ、そろそろ話を振られることは予想していたはずだったのに、恥ずかしい。

「ダイキ、お願い出来ますか」

「あ、ああ。どうすれば良いのかは知らないが」

「契約は吸血鬼の血と唾液を用いて行います。……えっと、ダイキはともかく、他の皆さんにそれを飲まれるのはすーっごく嫌なのですが、とりあえずダイキとで…………」

「えっ、だ、唾液?」

 血はともかく、その、消化液の一種を、俺に飲ませる、と?

 ものすごくショッキングな言葉を聞いたような気がするが、何のためらいもなくマリーはブラウスの袖をまくり、腕の血管を爪で傷付けることにより、杯の中に鮮血を注ぐ。それから、そこに注がれた自身の舌で軽く舐め、唾液を混ざらせた。

「既に魔術はかけられています。後は、ダイキがこれを少しだけ飲んでもらえれば」

 全ての視線がマリー、そして俺に向けられる。もちろん父親のものも例外なく。

 他の誰より、父親の前でマリーの血と唾液とを飲む……しかも彼女は、俺の恋人。どれだけ高度なプレイなのだと、この場を作らせた誰かさんを問い質したいが、迷うことは出来ない、な。

「わかった」

 怪しく金色に輝く杯を受け取り、それを満たすワインのような赤い血を、ほんの少しだけ口の中へと注ぎ直した。鉄の苦味が舌の上を漂い、少しずつ俺の唾液と一体化し、味が完全に消えた頃、飲み干す。

 なぜだろうか。本当に不思議だが、この感覚はキスと同じなのだろうと、そう感じることが出来た。

「ありがとうございます。またその杯をあたしに」

「……ああ」

 ワインのようだとは思ったが、本当に酔いが回ったような気分だ。どこか体が浮いているような感覚があり、どこか気持ちいい。

 さすがにマリーは自然な動作で口を付け、右手で持っていた杯を左手に握り直す。それから、とてもではないが目で追えない速度で腕を振りかぶり、爪を俺の首筋へと叩き付けた。より正しくは、叩き付けようとした。しかし、出来なかった。

 直前でその手は止まり、決して俺の首を跳ね飛ばすようなことにはならない。あれだけの速度で振るわれた以上、吸血鬼の腕力であったとしても止められないはずなのに。

「これが、契約の効果です」

 少しの間だけ静かだった建物の中が、再び騒めく。吸血鬼が契約によって受ける制約の確かさへの驚きもあっただろうが、やはり人を殺せないというだけの条件には疑問があるのだろう。……本当に、まだ気付いていないのか?まだ三十代ほどの奴もいるのに、よほどの天然なのか。

「親父。あんたはもう、この契約の意味がわかってるんだよな」

 冊子の悪い連中をひとまずは放っておき、実に五年ぶりの親子の会話をしてみることにした。この場でまともに頭が動いている奴は、きっとこの人ぐらいだ。

「わざわざそんなことを聞くか?」

「いや、俺の方が馬鹿過ぎるのかもしれないと思ったから、念のため質問しておいただけだ。

 ……あんた等、間接的な表現だとまだ意味がわかってないみたいだからはっきりと言うが、この契約はつまり、吸血鬼全てが人間の前に膝を折るような質のものだ。吸血鬼が人を傷付けられないということは、自分の意思で吸血が出来ず、人間が自傷して血を吸血鬼に与えるしかないということだからな」

 本気の驚嘆の声が広がる。……マジか。本当に、俺が思っていた以上に、俺達を操っていた奴等ってのは。

「馬鹿ばっかりだな。ま、まあ、私はずいぶんと前から気付いていたが」

 代弁をしてくれたのは、ずっと間抜け面を晒していてくれたデリク青年か。お前、絶対に今初めて気付いただろう。

「あ、ちなみに今の契約は、あくまであたしとダイキの間だけのものであり、あたしはダイキ以外の人はまだ殺せますし、握っているのもダイキの命だけです。この契約のことを信じてくださるのであれば、新しく契約を交わし直しましょう。今度こそ、全ての人と、吸血鬼の間に交わす契約を」

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「さて、これからどこに行きましょうか」

 時間軸は再び現在に戻って。

 どこか晴れ晴れとした微笑のマリーは明るく、歌うような調子で質問かどうかわからない言葉を俺に向ける。

「もう決まってるんじゃないのか?」

「いいえ。このイギリスからならば、東へも南へも行くことが出来ます。どちら回りで行っても良いので、ダイキが行きたい国を目指しましょう」

「行きたい国、か。急にそう言われてもな……そんなの、別にどこでも――」

 俺も色々な国を飛び回ったものだが、仕事のみを優先して動いていたので特に思い出深い土地はない。かと言って、よくあるガイドブックに載っているような場所は楽しめそうにないし、そんなものを頼るつもりは初めからない。

 さて、本当にどこに行ったものか。本気で頭を捻り始めると、一つ、思い付く場所があった。

「ドイツが、良いな。あの国に行きたい」

 俺がマリーと出会った国。そして、彼女が生まれ育った国。その場所へと、今改めて行きたい。そう思った。

「つまり、東回りになりますね。……なんか、嬉しいです。あたしとあたしの伝説が生まれた国に行きたいと、ダイキが思ってくれたんですから」

「えっ……?マリー、お前ってドイツでは英雄か何かみたいな扱いなのか?」

「ええっ!?驚くのはあたしの方ですよ。かの有名なあたしの伝説を知らない訳がないでしょう。ちょっと意地が悪すぎる冗談ですよ、それっ」

 そうは言われても、まるでご存知ではない。マリーが表舞台で語られるならば、絶世の美女としてだろうか。それとも、吸血鬼の女王としての偉業が裏舞台から漏れ出て、人の間では恐れられているのだろうか。

 そもそもドイツの民話や伝説に詳しくない俺は、いくら記憶を辿っても何も思い出せない。やがてマリーは大きな溜め息をつき、諦めたように首を振った。

「昔々ある所に、赤ずきんちゃんがいました。中略、赤ずきんちゃんはおばあさんに化けた狼に食べられてしまいました。そこを通りかかった猟師が狼のお腹の中から赤ずきんちゃんとおばあさんを助け出しました。赤ずきんちゃんは反省をして良い子になりましたとさ、おしまい」

「……赤ずきんか」

「知ってるじゃないですか!……恥ずかしい話ですけどあれ、あたしをモデルにしたお話みたいなんですよ。あたし、こうして人狼になる前から赤い色のフードを被っていることが多かったですし、あたしが人狼に殺され、融合した時のエピソードそのままになっているじゃないですか。前にも名前を出したと思いますし、あたしの話を聞いて察しが付きませんでした?」

「いや、全く……」

「やっぱり、どこか抜けてますし、とにかくニブいですよね。ダイキって。……まあ、そこが可愛かったりもするのですが」

「か、可愛いか」

 一応は褒め言葉なんだろうが、成人間近な男をそう評価されても困ってしまう。そして、なぜかマリーがものすごく期待しているような目でこっちを見て来ているのだが、これはつまり、そういうことなのか?

「お、お前の方が可愛いけどな」

「でしょう!」

「いや、それって間接的に俺をくさしていることになってないか?」

「ふふふふふー」

 協会本部から出た以上、狼の耳を曝け出しながら歩く訳にはいかない。まるで俺の言葉を遮るようにフード付きのコートを羽織り、マリーは大通りへ向けて鼻歌と共に歩き出してしまった。

 世界の全てを好奇心に溢れた輝く目で見つめ、“悪い狼”に言われるがままに寄り道をしてしまうほど素直な少女、赤ずきんそのもののように。

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「なぁ、マリー」

「はい、どうしました?」

 話がつき、行き先が決まった以上、この街に長くいる必要もない。しかし、さすがに疲れたので適当な喫茶店で休むことにしたのだが、そこで一つ湧いた疑問を口にしてみた。

「もっと前から、あの手の契約を交わしていれば良かったんじゃないか?ほら、俺と一緒に旅立つことを決めた時とか」

「ふむ……つまり、あたしが人間を傷付けられないようになっていれば、カーニャがダイキに襲いかかってしまうことも防げた、ってことですね。ヴェニスの帰りに会った人狼はあたしの直接的な友人や部下ではなかったため、どうしようもなかったとは思いますが」

「ああ。お前がきちんと説明してくれれば、俺は自分で血を流して飲ませてあげられるし、特に問題はないと思ったんだが」

「……あたしは可愛いダイキが好きなので、あんまりこう言うのも嫌なのですが、それは子どもの理屈ですよ。こんな剣にも盾にもなる強いカードを早めに切ってしまうと、もしもの時に対応出来ません。ジョーカーはここぞって時に切らないと」

「そ、そうか。確かに、その通りなんだろうな」

 いつも通り微笑むマリーが妙に大人っぽく見えて、思わずどきどきしてしまった。彼女はもっと幼いはずなのに、さっきの契約の時からなんなんだ。この健康的なのに蠱惑的な色気は。

「後、それに――一度は、ダイキの首筋に牙を立ててみたかったんですよ。他の吸血鬼はどう思うのか知りませんが、少なくともあたしは、好きな人の血は自分で吸ってみたいと思います」

 さすがにその心理はよくわからないが、まあ、吸血鬼とはそういうものなのだろう。今更、その価値観の違いに突っ込みを入れようとは思わない。しかし、そうすると今の彼女は。

「じゃあ、もう俺の血は自分じゃ吸えないな。たった三回ぐらいだったと思うけど、それで良いのか?」

「はい。ダイキと一緒にいるためなのですから、それぐらい我慢出来ますよ。ですから――」

 

 マリーは嬉しそうに、満面の笑みを見せた。夜空の月より、もっと燦然と輝く太陽のように。

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「あたしを、お嫁さんにしてくれませんか」

 

 

 想像以上だった。ここでその言葉が飛び出すような心構えなんて、出来ているはずもなかった。

 だが、ここで彼女を受け入れられないならば、俺はその程度の男なのだろう。今この時だけは迷うことは許されない。返事は一つだ。

 

「もちろん。俺で良いのなら」

 

 

 

 協会を追い出された迷える子羊は、可愛くて積極的な狼に頭から食べられるしかないのだろう。

 俺には後悔なんてなかった。

 

 

 

 マリーは瞳を静かに閉じ、俺の言葉を咀嚼するようにしばらく黙っていた。それから瞳を開くと、いたずらな笑みで言う。

「ふふっ、なんて嘘ですよ。まだまだ、結婚を決めるには早過ぎますよね」

「お、おい!俺は真剣に……」

「狼少年ならぬ、狼少女。あたしの言ってることの全てが本当だと決め付けるのは、いささか単純過ぎますよー。そもそも、ここは喫茶店、愛の告白には色気が足りな過ぎる場所でしょう?」

「なっ、お前なぁ……!」

「あまり大きな声を出すと、周りのお客様に迷惑ですよー。店内では静かに注文を待ちましょう」

 これ以上怒ってみせる気も失せて、ただただ溜め息を漏らす。

 俺はこれからもこうして、単純なようで狡猾、気丈に見えて繊細な彼女に振り回されながら旅を続けるのだろう。

 少し気が重くなったが、吸血鬼狩りとしての資格を奪われてしまった以上、後戻りは出来ない。それに、さっきの言葉は勢い任せのものじゃない。

 これからも彼女の傍にいよう。そう決意した。

 

 

 

終わり

説明
これで終わりとなります!
なんだか「鴉姫」に続き、童話モチーフシリーズのような形になっていますが、元々の救われない童話、赤ずきんにその後の物語を作ってみては?というのがそもそもの発想でした
それがまさか吸血鬼話とくっ付くことになるとは、我ながら訳のわからない飛躍なのですが……
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