『こんなのマックが許さない』
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 まず目に入ったのは、どこまでも続く真っ白な空間に乱雑に立ち並ぶ無数の鏡だった。鏡の林とでもいったところか。どれも扉ほどの大きさがあり、それぞれが好き勝手な方向を向いて、互いの姿を映しあっていた。

 

 他に何かないかと探してもどこが始まりでどこが終わりなのかも分からない、ただただ同じような空間が続くだけ。進む道も戻る道も分からない。一歩、足を踏み外せば、自分さえも見失いそうな不安感に、さやかは呆然と立ち尽くしていた。

 

「大丈夫かい、さやこ」

 

 いつまでも立ち尽くすさやかに、足元にいたQBが声をかけた。

 

「さやこじゃなくて、さーやーかー。体のほうは大丈夫よ、ちょっと変なところだから目がまわったのかも」

 

「ならいいんだ。ただ、しっかりと気持ちを引き締めてもらわないとね。なにしろ、ここはマミさえも戻ってこれなかった場所だ」

 

 危機感を持てと言ってる割に、QBの口調は淡々としたものだ。それはまるで他人事のようでさえあった。それに苛立ち、さやかは刺々しく「分かってるわよ」と答えた。

 

「それにしても本当に変な場所ね。魔女の結界はどこも薄暗くて奇妙な場所ばっかりだったけど、ここは今までとは違う意味で気味悪いわ」

 

 それを例えるなら、日常から半歩ずれてしまったかのような非日常感。正気を装った狂気を垣間見たような感じだった。

 

「ともかく、出口を見失わないようにして、マミさんを見つけないと」

 

「なんだあ? マミの奴がいなくなったっていうから来たのに。おまけはまだ残ってたのかよ」

 

 シャリ……と、リンゴを噛じる音と共に、さやかの数メートル後ろに強烈な気配が降り立つ。さやかの背筋をすっと冷たいものが駆ける。

 

「……あんたこそ、また来たの? 佐倉杏子……」

 

 声の主へ振り向くこともなく、さやかはひどく不機嫌な口調で言い捨てる。マントの下では既に剣を握りしめ、いつでも戦えるように気を引き締めながら。

 

「相変わらず先輩に対して口の聞き方がなってねぇな」

 

 杏子はそう言うと、また一口、リンゴを噛じる。さやかと違って、こちらはとても余裕に満ちていた。

 

「佐倉杏子、君は何しにきたんだい? ……まさか、君もマミを助けに来たのかい? そして、恩着せがましくマミの部屋に住み着いて、衣食住を確保するんだね。そういうことなら、僕も混ぜてよ!」

 

「杏子、あんたって相変わらず最低ね」

 

「いや、違うからな! マミがいなくなったから、この街をあたしの縄張りにしにきたんだけだから! 勝手な妄想で非難すんじゃねぇぞ!」

 

「どちらにしても最低じゃないか。君達はいつもそうだ。いちいち細かいことを気にしてばかりで、全くわけがわからないよ」

 

「自分も混ぜろとか言った奴にまで言われたくねぇよ!」

 

 杏子ははぁっと大きく息を吐き、芯だけになったリンゴを投げ捨てる。

 

「どっちにしろ、あたしとやるつもりなんだろ?」

 

「……あんたはマミさんを助けるつもりなんてないんでしょ? なら、決まってるじゃない」」

 

 さやかはマントを翻し、杏子と向きあう。翻したマントの下には幾つもの剣が地面に突き刺さっている。既に準備は完了していた。

 

 杏子は不敵な笑みを浮かべると、肩に掛けていた槍を両手で構える。そこに僅かな隙などなく、その槍の射程範囲は特に強烈な威圧感に満ちていた。

 

 いざ、勝負―― と、さやかが一歩、踏み込もうとしたとき――

 

「杏子、いじめちゃダメー!」

 

 杏子とさやかの間に小さな人影が割って入る。それはネコ耳をつけた小さな女の子だった。さやかに対して通せんぼのつもりか、両手を広げて頬を膨らませていた。

 

「え? こ、子供?」

 

「ゆ、ゆま?! 危ないから来るなって言っただろ!」

 

 突然の乱入者にさやかは戸惑い、杏子は驚き慌てふためく。特に杏子に至っては構えた槍を降ろして、臨戦態勢を解いてしまっている。

 

「杏子をやるなら今がチャンスだよ。あの子に気を取られている今ならさだこでも杏子の両手両足を切り刻めるはずだ。それともあの子を人質にとるのかい? 大丈夫、クロロフォルムならちゃんと用意してあるよ」

 

「さだこじゃなくて、さやか! てゆーか、さりげなく卑怯な真似させようとしないでよ! そもそもなんでクロロフォルムなんて用意してるのよ!」

 

 さやかがQBと口論をしている隙に杏子はゆまを後ろから抱きしめて捕まえる。

 

「杏子!」

 

「ったく……。なんでこんなところに来るんだよ。危ないから待ってろって言っただろ?」

 

「だって、杏子が…… 三分経っても戻ってこないんだもん……。助けにいかないと杏子いなくなっちゃうって思って……」

 

「おいおい、あたしはカップラーメンか? 流石にそこまで早く戻れないっての。なんにしてもだ、あたしがゆまを置いてこんなところでくたばるとでも思ってるのか?」

 

「うん」

 

「即答だな、おい……」

 

「だってぇ……」

 

 杏子は不安そうに俯くゆまの頭をくしゃくしゃと荒めに撫でる。

 

「わっ、ちょっ、杏子?」

 

「ちょっとは信用しろっての!」

 

 杏子は楽しげな笑みを見せて、ゆまを抱き寄せる。そこでゆまもやっと安心したのか、「うん!」と頷いて無邪気な笑顔を返すのだった。

 

「えーと…… 取り込み中、申し訳ないんだけど……」

 

 今までとあまりにも違いすぎる杏子の姿を目の当たりにして、リアクションに困ったさやかが声をかける。そこでようやく杏子は戦闘の途中だったことを思い出したようだ。ゆまを自分の後ろに下げて、さやかへ槍の先を向ける。

 

「わ、悪いな、邪魔がはいっちまって!」

 

 それとなく取り繕う杏子だが、いかんせん顔が真っ赤で、動揺でろれつも回ってない。

 

「えーと……」

 

「ぐへへっ! 今日のところは見逃してやるよ。その子を連れて、とっとと帰るんだな。とでもいいたいんだろう、さだこは。さすがにそれはいいすぎじゃないかな?」

 

「言ってないし、思ってない! あと、あたしの名前はさやかであって、さだこじゃない!」

 

 さやかの意識がQBに移った僅かの隙に、杏子はゆまを抱えたまま、一気に後ろへ跳んで距離をとる。

 

「悪いが、今日のところはここで引かせてもらう。せいぜい、魔女にやられないようにするんだな」

 

 杏子はそれだけ言い捨てるとそこらの鏡を足場にして、上空に見える結界の出口へと跳ぶ。だが――

 

「あはっはっはっはっはっはー!」

 

 不気味な笑い声と共に黄色い閃光が杏子の目の前を横切る。

 

「くっ!」

 

「きょ、杏子?!」

 

 杏子は空中で無理矢理、体を捻り、すんでのところで直撃を免れた。さすがに着地までは気が回らなかったようで、そのまま落ちる。

 

「痛っ……! 大丈夫か、ゆま」

 

「杏子は? 杏子は怪我してない?」

 

「お互い、大丈夫みたいだな。しかし……」

 

 杏子は落ちた先ですぐさま槍を構えて周囲を見渡す。右、左、前方…… 見えるのは相変わらずの鏡ばかり。

 

「杏子、あそこ!」

 

 ゆまが指さした方を見れば、そこを横切る黄色い影。姿をきちんと見たわけでもないのに、身も凍るような嘲笑を浮かべていたことだけは分かった。

 

「ふざけんじゃねぇぞ!」

 

 杏子は槍を多節にバラし、遠くに見えた黄色い影へ向けて薙ぐ。重く冷たい音を響かせながら、次々に鏡が砕け散ってゆく。

 

「あはっはっはっはっはっはー!」

 

 この場の誰でもない哄笑が響き渡る。杏子達を撃ち落としたときに聞こえた笑い声と同じだ。そして、再びの黄色い閃光。それは重い金属音を響かせて、いとも容易く杏子の槍を弾き返した。

 

「な、なんだと!」

 

 槍を弾いたあと、黄色い影はその場にマスケット銃を投げ捨て、再び鏡の林へと姿を消してしまった。

 

「あのマスケット銃は…… まさか、マミさんが?」

 

「まさか、厨二病をこじらせて…… いや、それとも孤独をこじらせて? まあ、いつか、こうなるだろうと思ってたけどね」

 

 残されたマスケット銃、黄色い影、そして姿を消したマミ。そこからさやかもQBも、これらの犯人はマミだと思い、落胆と共に得心するのであった。

 

 その一方で苛立ちを全開にした杏子は、ひたすら槍に魔力を込める。

 

「ったく、こそこそ隠れてないで……」

 

 魔力を充分に込めた槍を手におもむろに立ち上がれば、それを一気に旋回させる。

 

「出てきやがれ!」

 

 それはまさに生き物のように荒れ狂い、目に映る限りの鏡を破壊してゆく。鏡は絶えることなく砕け散る音を響かせ、たまにさやかとQBの悲鳴が入り交じるが、地を削る轟音がそれすらも飲み込んでゆく。

 

 ほんの数情秒ほどで、辺りは爆煙と砕け散った鏡が光を反射する輝きで埋め尽くされてしまった。

 

「し、死ぬかと…… 思った……」

 

「なんだろう、お腹の辺りがスースーするよ。まるで穴が空いたみたいに」

 

「って、QB、お腹に穴が…… いや、なんでもないわ。世の中には知らないほうが幸せなことだってあるんだから」

 

「何をいってがはぁっ! な、なんで吐血が……?」

 

 さやかとQBは、なんとか杏子の無差別攻撃を逃れられたようだ。もっとも、杏子はそんなことを気にするつもりもないらしく、爆煙の中に隠れる人影へ槍を向ける。

 

「これでもう隠れる場所はないだろ。出てきな!」

 

「あはっはっはっはっはー!」

 

 隠れる場所を奪われて、ついに観念したのか、それは爆煙の中からゆっくりと姿を現した。

 

 まず目に入ったのはその手に持つマスケット銃。さやか達の見慣れたものである。そして、だんだんとはっきりとしてくる黄色い服を着た人物。

 

「その銃……。まさか、本当に……」

 

「あはっはっはっはっはー!」

 

 心が壊れてしまったような哄笑をあげながら、それは爆煙の中から本当の姿を現した。白い肌、この世の全てを冒涜するかのような微笑み、そして赤いアフロ……。それは奇怪な道化師の姿をしていた。

 

「こんにちは、ドナルドです」

 

「マミさ…… って、誰?!」

 

「マミ…… しばらく見ない間にずいぶんと変わってしまったね」

 

「……あの攻撃を受けて、涼しい顔をしてるなんてな。やっぱり、マミとは殺り合いたくねぇな」

 

「杏子……。あのマミ、怖い……」

 

「って、なんで誰一人として疑問なく、マミさんだと思ってるのよ?! そもそも、あいつ、自分のことをドナルドって言ってたし!」

 

「謎の道化師を前にして、その場にいる誰もが動揺を隠せずにいた。いったい何者なのか。本当にマミなのか。なぜ、マミがここまで変わってしまったのか。そして、マミの胸がなくなってしまった理由はなんなのか。謎は深まるばかりだ」

 

「って、QB! 変なナレーションいれなくていいから! そもそも、なんであれがマミさん前提で話が進んでるのよ!」

 

「黄色いし、マミのマスケット銃まで持ってるじゃないか。確かにあのマミ胸がしぼんで判断が難しいところだったけどね。でも、君達は夏休み明けには別人になるようなことなんてよくあることじゃないか」

 

「全然、違うから! 印象変わるどころか、あれは本当の別人だから! 骨格の時点で違うでしょうが!」

 

 ドナルドを指差し、QBに別人だと力説するさやか。そんな彼女の肩を、とても哀れみのこもった表情の杏子が優しく叩いた。

 

「そっとしておいてやれよ、QB。身近な人間がまるで別人になったんだ。おいそれと現実を受け入れられるものじゃねぇだろ。なあ、さだこ」

 

「さだこじゃなくて、さやか! 名前間違えるのはともかく、なんであれとマミさんを間違えられるのよ!」

 

「あはっはっはっはっはー!」

 

「笑うな、元凶! って、口論してても仕方ないわね。マミさんを返せ!」

 

「もちろんさー!」

 

「やっぱり、そう簡単には…… って、簡単に返してくれるの?!」

 

 道化師がくるくると人差し指で円を描くと、空高くから悲鳴と共に一人の少女が落ちてくる。その姿を見間違うわけない、マミだ。

 

「きゃあぁぁぁーーー!」

 

「マミさん!」

 

 落ちてきたマミは空中で逆さまになったまま停止してしまう。マミの足を見れば、ロープで縛られていた。手については縛られていないようで、捲れそうなスカートを必死に押さえていた。

 

「馬鹿な、マミが二人だって?!」

 

「どっちだ? どっちが本物のマミなんだ?!」

 

「下が本物だよ! 前に見たとき、あんな感じだったもん!」

 

「あんたらの目は節穴以下か! どう見ても吊るされてるほうが本物でしょ!」

 

「……難しいな。とりあえず、あのスカートを押さえる手をどけてもらわないと僕には判断できないよ」

 

「あいつ、前しか押さえてないから後ろからなら丸見えじゃねぇか?」

 

「なるほど、それは興味深い。じゃあ、ちょっと後ろに……」

 

「どさくさに紛れて、何をしようとしてるのよ!」

 

 後ろへ向かおうとするQBをさやかは踏みつけて阻止するのだった。

 

「マミさん、無事ですか?!」

 

「美樹さん? た、助けに来てくれたのね? 私は今のところは無事よ……。でも、ちょっと…… 辛いかな……。逆さになってスカートを押さえ続けるのって結構、疲れるのね……」

 

「……余裕ありそうですね」

 

「あ、あと頭に血が上ってくらくらするの……。なんか、ぼーっとしてくるわ……」

 

「なんで、そっちが後回しなんですか?! そっちの方が重要じゃないんですか?! まあ、マミさんは無事みたいだからいいけど」

 

 マミの無事を確認して、さやかは道化師へと剣を構える。

 

「ともかく…… 覚悟してもらうわよ!」

 

「お前一人で敵う相手なわけねーだろ。手伝ってやるよ。マミの偽物を倒さないと出られそうにないしな」

 

 さやかの隣に杏子が並ぶ。

 

「お礼なんて言わないわよ」

 

「いるかよ、気持ち悪い。ゆまは下げってるんだぞ」

 

「杏子、気をつけてね……」

 

「安心しろっての」

 

 心配そうにみつめるゆまを後ろへ下げて、杏子は槍の切っ先を道化師へと向ける。さやかと杏子、そして道化師の間に凍りつくような緊張が満たされ……

 

「逝ってみよう!」

 

 道化師が指差すのと同時に戦いの火蓋が切って落とされる。

 

「はあぁぁぁっ!」

 

「うらあぁぁぁっ!」

 

 二人は左右から同時に斬りかかる。経験の浅いさやかに杏子が合わせる形の、即興のコンビネーションだが見事に決まったかのように思われた。しかし……

 

 パタン……と、本を閉じる音が二人の後ろから聞こえる。

 

「この本、前に呼んだなぁ……」

 

 斬りかかった場所には、既に道化師の姿はなかった。どこにいったのか? それはさやかの突きだした剣の刃に映る後ろ姿を見ればわかる。

 

 道化師は既に二人の後ろにいた。ただ数歩、歩いただけ。まさにそんな感じでそこに立っていた。

 

 力の差を見せつけられた、スピードが違い過ぎるとかそんなものではない。ただ、後ろをとられたということ、それだけで背筋が凍り、心臓が握りつぶされるような恐怖に襲われた。

 

「くそっ!」

 

 杏子は道化師が後ろにいると気づけば、すぐに体を翻す。さやかは体制を整えることもできないで、前のめりになって転ぶ。経験と実力の差がここでも明確な違いとなる。

 

 もっとも、その実力が常に最善の結果になるとは限らないものだ。

 

「ふざけてんじゃねぇぞ、こら!」

 

 まだ杏子達へと振り返っていない道化師へ向けて、杏子は次々と槍で攻め立てる。しかし、道化師は奇妙なダンスで踊って、そのことごとくを避けてしまった。

 

「あはっはっはっはっはー! ドナルドはダンスに夢中なんだ! ほら、勝手に体が動いちゃう!」

 

「んなわけあるか!」

 

「ウゥーッ! フゥーッ!」

 

 怒り狂い、更に攻撃の手を強める杏子。だが、その攻撃は後ろを向いているはずの道化師にただの一撃も当たらない。

 

「らんらんるー!」

 

「まともにやって無理なら、これでどうだ!」

 

 杏子は道化師の周囲、前後左右上下くまなく魔力の赤い点を生み出す。それがなんなのかを理解する暇すら与えることなく、点という点から槍が中心へ向けて突き出した。

 

 三百六十度を完全に塞ぎ、一切の逃げ場を封じて相手の全身を貫く槍の洗礼。それは中世の拷問具アイアン・メイデンを思わせた。

 

「あらー?!」

 

「やったの?」

 

 いくらなんでも逃げられるわけがない。逃げられなければ助かるはずもない。そんな必殺の攻撃を目の当たりにしたというのに、尋ねるさやかの声はひどく乾いたものだった。

 だが、それは杏子も同じだ。攻撃に絶対の自信はあった。それでも、勝利を確信できなかった。

 

「……ははっ!」

 

 杏子は短い笑いをこぼす。勝利を確信した……にしてはあまりに力のない笑い。

 

 次の刹那、轟音と共に道化師を貫いた槍が次々と切り裂かれ、バラバラと地面へ落ちてゆく。その奥から姿を現すのはもちろん……

 

「あはっはっはっはっはー! らんらんるごふっ!」

 

 血まみれで吐血までしている道化師だ。手にはマミのマスケット銃ではなく、チェーンソーを持っていた。

 

「チェーンソーで槍を切り落としたみたいだね。さすがに切れ味は抜群みたいだ」

 

「いやいや、チェーンソーでそんな剣みたいに切れないから!」

 

「あらー?! ……がはっ!」

 

「何で、『え? 嘘、マジで?』みたいな反応してるのよ! つーか、結構、ダメージ大きそうなんだけど!」

 

「もちろんさー!」

 

 ダメージを受けている割に、何事もなかったかのように振舞う道化師であった。本当に怪我をしてるのかすらも怪しいところである。

 

 なんにしてもあらゆる面において規格外な道化師である。魔女の結界の中にいるが、魔女でもないようだし、目的も何もわからないことだらけだ。

 

 その姿をじっと映していた赤い瞳は、静かに問いかける。

 

「……ドナルド、君はこの世界の住人じゃないね」

 

「もちろんさー!」

 

「ずいぶんとあっさり白状するのね。この世界の住人じゃないって、どういうことよ?」

 

「おそらく別の時間軸の…… 魔女に最も近いけど、全く異なる存在。まるで魔女の代わりとでもいうようなシステム……」

 

「つまり?」

 

「別の時間軸の魔女に最も近いけど、全く異なる存在だ!」

 

「それ、最初に戻っただけじゃない!」

 

「あはっはっはっはっはごふっ!」

 

「吐血するくらいなら笑うな!」

 

 その存在は全く理解不能であり、そのスペックの高さもまた理解不能な高さを誇っていた。分かることといえば、まともにやりあって勝てる相手じゃない。かと言って、逃げ切れる相手でもないといったところか。

 

 道化師は一息ついて口元の血を拭うと、ニヤリと不気味な笑みをみせる。そして、おもむろにチェーンソーを放り出し、代わりに懐から犯バーガーを取り出す。

 

「気をつけろ、何か仕掛けるつもりだ!」

 

「仕掛けるって、たかがハンバーガーで何をするって言うのよ?」

 

 道化師の一挙手一投足、全てに杏子は神経を張り巡らせ警戒する。対して、さやかはチェーンソーという武器を捨てたことに油断を見せる。杏子がいなければ、すぐにでも攻撃していたことだろう。

 

「こっちの方がいいかな?」

 

 道化師が犯バーガーを投げ捨てると空中で大爆発を起こした。直撃していたら、顔くらい平気で消し飛んだだろう。

 

「……へ?」

 

「これもいいな!」

 

 今度は魔苦フライポテトを取り出すが、誤って数本落としてしまう。落とした魔苦フライポテトは一つ残らず地面へ突き刺さった。ただ落ちただけで半分以上、突き刺さるとはかなり切れ味を追求した一品のようだ。

 

「……え? え?」

 

「これか? これか?」

 

 魔苦シェイクの中身をこぼせば、嫌な煙を出しながら地面が溶けてゆく。チキン投ゲットを放り投げれば、地面に落ちた瞬間に地面にクレーターを作った。こだわり抜いた原材料が気になる一品ばかりだ。

 

「ウゥーッ! フゥーッ!」

 

「なんか盛り上がってるところ悪いけど、ツッコミどころ多すぎでしょ!」

 

「野郎、食いもんを粗末にしやがって……。殺すぞ!」

 

「って、あんたもおかしいよ! どうみても食べ物じゃないでしょうが!」

 

 道化師に殺意を覚える杏子であったが、勝てる相手じゃないのは分かっている。今、出来る最善は逃げきること。だが、それも簡単ではない。結界の外へ逃げる前に捕まるのがオチだ。

 

 本当にもうどうにもならないのか? 嫌な想像が脳裏をよぎるさやかに杏子は苦々しい表情を見せるのだった。

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 本当にもうどうにもならないのか? 嫌な想像が脳裏をよぎるさやかに杏子は苦々しい表情を見せるのだった。

 

「……ちっ! さだこじゃなくてマミが戦えれば、逃げきるくらいはできそうなもんなのに!」

 

「さだこじゃなくて、さやか! QBが間違えてるのをそのまま受け入れないでよね。……それはそうとマミさんが戦えれば、本当になんとかなるの?」

 

「……ところで君、おいしそうだね」

 

「え? 僕を食べるのはやめてよ、勿体無いじゃないか」

 

「ちょ、ちょっと、ゆまちゃん? ダ、ダメ! ちょっ、ダメだってば!」

 

 こそこそと話し合う杏子達。そこにさりげなく割って入り、QBに対して獲物を狙う獣のような瞳で見据えるドナルド。その傍らでは存在を忘れられたマミが叫んでいた。

 

「マミの実力くらい知ってるだろ。あたしとあいつが力を合わせりゃ、逃げきる程度の時間は稼げるはずだ」

 

「じゃあ、マミさんを助けようよ!」

 

「ドナルドは男子に夢中なんだ。最近は男の娘にもハマってるよ」

 

「なら、さだこをお勧めするよ。だから、僕は食べないでもらえるかい?」

 

「きゃーっ! ダ、ダメ! そ、そんなところ登っちゃ! ダ、ダメだって、スカートを掴まないでー!」

 

「できるならやってるさ。けどな、マミを助けるのも、ここから逃げきるのも大して難易度は変わんねぇぞ? ドナルドの注意を引いて、気づかれないうちにマミを助ける。そんなことできると思うか?」

 

「無理ね……」

 

「ドナルドはお喋りが大好きなんだ。今度、一緒に掘ろうよ」

 

「僕は感情というものがないんだよ。だから、君の趣味には付き合えそうもないよ」

 

 道化師を無視して作戦を考えていたさやかであったが、空気を読まないで隣で囁いてくることに我慢できなくなったようだ。道化師へと振り向くと苛立ちのまま、一気にまくし立てる。

 

「あー、もう! さっきから鬱陶しい! しかもお喋りと掘るって繋がりなさすぎじゃない! なんでお喋りの次が土いじりに変わるのよ! 落とし穴でも作る気?!」

 

「あらー?!」

 

「なんで『何こいつ、そんなことも知らねーの?』みたいな態度とるのよ!」

 

「一言しか言ってないのによく通じるな」

 

「きゃーっ!」

 

 今度はマミの悲鳴と共にドシンッ! という音と大きな揺れが響いた。さやかの苛立ちの矛先はそのままマミへと向かう。

 

「ってゆーか、マミさんもさっきからうるさいですよ! って、あれ?」

 

 マミが吊るされていた場所に目をやると、そこにマミの姿はなかった。マミを捕えていたロープがゆらゆらと揺れているだけだ。

 

「下だ!」

 

「下?」

 

 杏子の言ったとおり、ロープの下に目をやれば、そこにはゆまに馬乗りになられているマミの姿があった。マミの下にはかろうじて魔力でバネのようにしたリボンが見受けられる。

 

「おっぱいクッション…… ふかふか〜!」

 

「ゆま、早くそこをどくんだ。僕と代わるんだ!」

 

「ちょ、ダメ! はうあっ! こ、こらぁ!」

 

 ゆまとマミの位置関係から察するに、ゆまがマミの拘束を解いたのだろう。そして、そのまま落下して今に至るということか。いつの間にかQBもマミの元にいっていたが。

 

 何はともあれ、結果的にマミが自由に戦えるようになった。これで逃げ切ることが出来るかも知れないという希望が生まれた。

 

「ったく、ゆまの奴、無茶しやがって……。怪我でもしたらどうするんだよ!」

 

「怒るのは後! マミさんが戦えるようになったんだから、ぐずぐずしてられないでしょ!」

 

 言うが早いか、さやかは道化師へ牽制のために数本の剣を投げつけると、間髪入れずマミへと走る。

 

「今のうちにいくよ、杏子!」

 

「ちっ、しゃーねぇな!」

 

「前、後ろ、前、前、前! あはっはっはっはっはー!」

 

 道化師は真っ直ぐに飛んでくる剣を前後の動きでかわす。おかげで二人はまるで距離を稼げなかった。

 

「って、なんでまっすぐ飛んでくる剣を前後の動きでかわせるのよ!」

 

「どういう原理かわからねぇが、やっちまったもんは仕方ねぇだろ!」

 

「あはっはっはっはっはっはー!」

 

 マミの元へと逃げる二人。追いかける道化師。道化師は弄んでいるのか、一定の距離を保ち続ける。そんなのが、自分の元へ駆け寄ってくるとしたら、どんな気持ちなのだろうか?

 

「いやぁーーー!」

 

 とりあえずマミには耐え切れなかったようだ。ゆまを抱きかかえて杏子達から逃げ出した。その後をQBが追いかける。

 

「って、なんで逃げるんですか、マミさん!」

 

「無理! 無理よ! あ、あんなのに追いかけられたら、みんな死ぬしかないじゃない!」

 

「あはっはっはっはっはっはー!」

 

 恐怖におののき、半泣きで走るマミ。そんな彼女の耳元で道化師の笑い声が聞こえる。

 

「ふぇ?」

 

 なんでそのとき振り向いてしまったのだろうか? 恐怖ゆえに冷静さを失ったマミにそれを悔いる余裕などあるはずもなく、ただ、それを目の当たりにする。

 

「ドナルドはスポーツにはまってるんだ!」

 

 ザーッという音をたてながら、スケボーに乗った道化師がマミの横を走っていた。

 

「いやぁーーー!」

 

「マ、マミさんに新たなトラウマが……」

 

「こ、これは夜、一人で眠れなくなるぞ……」

 

 マミは半狂乱になりつつも、マスケット銃を召喚しては撃ち、召喚しては撃ち、ドナルドを牽制する。

 

「右、左、右、左!」

 

「ドナルドの靴って何センチ?」

 

「犯バーガー四個分くらいかな? あはっはっはっはっはー!」

 

「もう、いやぁーーー!」

 

 道化師は横からの攻撃を左右に動くことで全て回避してしまう。まるでスケボーを自らの足のように自在に操っていた。

 

「だからなんで、横から攻撃されてるのを、左右の動きでかわせるのよ! なんか間違ってるでしょ!」

 

「やっちまったもんは仕方ねぇだろ! つーか、そもそもあいつに常識通じるとも思えねぇだろ!」

 

 道化師はスピードを上げ、マミを追い越す。そして、華麗なターンでマミ達の前に止まって見せた。先程の回避といい、自らスポーツにハマっているというだけあって、かなりの熟練者のようだ。

 

 マミは逃げ道を塞がれてしまい、息を切らして、その場にぺたんと座り込んでしまうのだった。そんなマミの元にさやかと杏子も追いつく。

 

「ゆま、大丈夫だったか?」

 

「杏子〜!」

 

 ショックで放心したマミの手から逃れて、ゆまは嬉しそうに杏子に抱きついた。ゆまはマミに抱きかかえられていたおかげで、道化師の姿を目の当たりにしなかったようだ。

 

「さて、マミが戻ったけれど、どうするつもりだい? 君達の力を合わせたところで逃げきるのすら怪しいと思うけど」

 

「そうでもないさ。あいつは色々とムラがあるからな」

 

「ムラはあるけど、常識がないじゃない!」

 

「もちろんさー!」

 

「威張るな! つーか、常識がなくても逃げる隙くらいあるだろ!」

 

「ここから逃げても追ってきたらどうするのよ?! 家に帰って居間を見たら、あれが普通にくつろいでたらどうするのよ!」

 

「んー、それいいね!」

 

「変な想像やめろ! あいつ、ノリノリになったじゃねぇか!」

 

「私、さっきのでもうトラウマなの。今日からもうぬいぐるみなしじゃ眠れないわ……。この年でぬいぐるみ持っておトイレとかお風呂とか行くなんてお笑いよね。でも、ぬいぐるみが可愛いんだから仕方ないじゃない! ぬいぐるみに夢中でもいいじゃない!」

 

「ドナルドは男子に夢中なんだ!」

 

「おい、途中で怖いからぬいぐるみだったのが、可愛いからぬいぐるみに変わってるぞ! あと男が男に夢中ってのもキモいからやめろ!」

 

「だってぇ……」

 

「だってぇ……」

 

 すがるような瞳で見つめてくるマミとドナルドを前にして、ついに杏子も限界に達してしまった。目を据えて、躊躇いなく二人の喉を握りしめる。

 

「いっそ、この場で楽にしてやろうか?」

 

「ちょ、ちょっと、それは…… と、いうか殺るならドナルドだけにして」

 

「あらー?!」

 

「なんか三人とも忘れてるみたいだけど、これはドナルド倒すための会議でしょ! ドナルド倒せないから作戦会議してたんでしょ!」

 

 さやかのツッコミで杏子達の動きが止まる。自分たちの目的、行動、それを思い起こしているのだろう。その間、十秒程度。

 

 自分たちの役割を思い出した三人は、距離をとって向かい合う。

 

「……おもわず手を離したけど、あのまま殺れたんじゃね? ……いや、無理か」

 

「さすがに今の精神攻撃は危なかったわ。あと少し、気を抜いていたらドナルドのペースに飲み込まれるところだったわね」

 

「ふぅ……。犯バーガー食べる?」

 

「さりげなく格好付けてるけど、誰も話が噛み合ってないから!」

 

「いけない、結界が閉じかけている!」

 

 もはやどういう方向に進むのか誰もわからなくなってきた。そんなとき、QBが今までの流れを無視してシリアスな空気を持ってくる。

 

「な、なんで、結界が閉まるんだよ……」

 

「な、なんで、QBが真面目なことを言うのよ……」

 

「マミ、君はいつもそうだね。僕が真面目なことを言うと決まって同じことをいう」

 

「そんなことはいいから、結界はどうなってるのよ!」

 

「この結界自体がこの世界のものじゃないんだ。偶然、この世界と結界の出入り口が繋がってしまったんだろうね。そして、その歪みが今、戻ろうとしているんだ」

 

「つまり、この結界から逃げ切ればドナルドは追ってこれないってこと?」

 

「僕達の世界の住人でないドナルドはこの結界から出られないからね。大体、それであってるよ」

 

「なら、話は簡単だ! いくぞ、マミ!」

 

 杏子が槍を槍を地面に突き刺す。すると道化師の周囲を含めた半径一メートル程を無数の槍が地面から突き出す。

 

「もう、どうなっても知らないからね。ティロ・フィナーレ!」

 

 続けてマミが道化師の上空に何百ものマスケット銃を召喚する。その全てが逃げ場のない道化師へ向けて一斉に発砲する。

 

 大抵の魔女なら跡形も残らず消し飛んでしまいそうな攻撃を、二人続けて撃ち出したのだ。これで無事でいられるわけがない。だが、杏子もマミもどうなったかを確認することもせず、すぐにその場から逃げ出した。

 

「何があっても振り向くな! 出口まで全力で走れ!」

 

「美樹さん、ゆまちゃん、早く!」

 

「は、はい!」

 

「うん!」

 

「もちろんさー!」

 

「あれ? 今、一人多くなかった?」

 

 杏子、マミ、さやか、ゆま、そしてQBしかいないはず。なのに今、全部で六人、喋っていた。足音もまた、一人多い。多い一人が何者なのかは見なくとも分かる。ゆえに皆、戦慄した。

 

「振り向くな! 出口まで走れ!」

 

「いやぁーーー!」

 

「来てる! もう来てる! なんか普通に追いかけてきてるよ!」

 

「きょうこー、こわいよー!」

 

「あはっはっはっはっはー!」

 

「……あ、今、僕を追い越して、さだこの後ろを走ってるよ」

 

「さだこじゃなくて、さーやーかー! つーか、嫌なこと教えないでよー!」

 

「らんらんるー!」

 

 さやかは後ろに言い知れぬ気配が迫るのを感じる。耳元では荒い息遣いさえも聞こえていた。走って息を切らしているのとは違う、もっと別の意味で荒いのだ。それでも、振り向かなかったのは杏子に言われていたからか、単に恐怖ゆえか。

 

「ちくしょう、かなり走ったはずなのに出口が近づかねぇ! これもドナルドの能力なのか?」

 

「そうだ、ここから無事出られたら、みんなでお茶会をしましょうよ。とっておきの紅茶と、美味しいって評判のケーキがあるの。楽しみにしてね。ふふふ……」

 

「マミさん、目が虚ろですよ! お願いだから正気を保って! 現実から目をそらさないで!」

 

「ゆま、いちごのケーキがいい! クリームいっぱいで甘いの!」

 

「なら、ドナルドは男子かな。ドナルドは男子に夢中なんだ! ほら、勝手に体が疼いちゃう!」

 

「どうでもいいけど、ここに男子はいないよ。一人、判断つきにくいのがいるけど、みんな魔法少女だからね」

 

「判断つきにくいって誰のことよ!」

 

「あらー?!」

 

「誰もさだこのことなんて言ってないじゃないか。僕だって、少しは気を使っているんだからね」

 

「だから、さだこじゃなくて、さやか! つーか、変な気を使うな!」

 

「おい、足音が一人足りなくなってないか?」

 

「え?」

 

 さやかとQBで揉めていて気付くのが遅れたが、杏子の言うとおり、足音が一人減っている。まさか誰か捕まったのか? と、不安をかき消すように全員で振り返れば、そこに道化師の姿がなかった。

 

「……いない? 違う、後ろで止まってる!」

 

 道化師は杏子達の後方、数メートルの場所に立ちすくんでいた。何か信じられないといった様子で、呆然としていた。

 

「まさか…… さだこが女だと知って、ショックを受けているのかい?」

 

「も、もちろん……ごふっ!」

 

「なんで吐血するほど、ダメージ受けてるのよ! そもそも、どこをどう間違えて男だと思ってたのよ! いくらなんでも失礼でしょうが!」

 

「なんだっていい、奴が呆けている今は絶好のチャンスだ! 一気に結界の出口までいくぞ!」

 

「そういうことなら任せて!」

 

 出られるという希望が見えたことで正気を取り戻したマミは、胸のリボンを解いて出口へと投げつける。リボンは魔力で変化して出口までを繋ぐ道を作った。

 

「みんな、急いで!」

 

「いくぞ、ゆま!」

 

「うん!」

 

 杏子はゆまを脇に抱えて、先頭を突き進む。そのあとをマミ、さやか、QBが追う。道化師は追いかけてこない。

 

 人が一人通れるほどに小さくなった出口をまず杏子とゆまが通り抜ける。その後にマミが突入を試みるが……

 

「あ、あれ? 胸が引っかかって…… 通れないかも……」

 

「はぁっ?! こんなときに何やってるんだよ!」

 

「ちょ、ちょっとマミさん? そういうことは、あたしを先に通してから言うものでしょ? 引っかかるのは一番最後の役目でしょ?!」

 

「さだこ、君に引っかかるような部位があるとでも? ……あ、お腹か」

 

「QB、ちょっと黙っててくれる?」

 

 マミが引っかかってはあとに残るさやかもQBも出られない。焦る心を無理矢理、抑えこんで杏子とゆまはマミを引っ張り上げる。後ろからは、さやかがマミを押し出す。

 

「美樹さん、ちょっと、そんなとこを押しちゃ、やぁっ! ダ、ダメ! お嫁にいけなくなっちゃう!」

 

「こんなときに何いってるんですか! 友達もいないのに! それにこっちは後ろから、いつドナルドが来るかわからないんですよ? 滅茶苦茶、怖いんですよ!」

 

「さやか、今はそんなこといいから、早く僕と代わるんだ!」

 

「こんなところまで嫌味な胸だな、くそっ!」

 

「杏子、なんか怖いよ?」

 

「オーエス、オーエス!」

 

 杏子、ゆま、ドナルドの三人がかりで引っ張り、後ろからはさやかが押し出す。それでやっとマミの体は外にでる。勢い良く吹き飛び、結局、顔面から着地するのだった。

 

「いたた……」

 

「よしっ! 次!」

 

「逝ってみよう!」

 

 間髪入れず、ドナルドは結界の中に残るさやかへと手を伸ばす。

 

「ありがと…… って、なんで、あんたが外にでてるのよ!」

 

「あらー?!」

 

「『あ、またやっちゃった!』みたいな顔しないでいいから!」

 

「外にでられないんじゃないのかよ?!」

 

「とにかく中に戻さないと!」

 

 杏子とゆまは頷きあうと、ドナルドを結界の入り口に押し込む。

 

「ちょ、ちょっと待って! そういうのはあたしを出してからにしてよ!」

 

「まったくわけがわからないよ!」

 

 それに抵抗して内側からはさやかとQBがドナルドを外に追い返す。

 

「戻すんじゃねぇ! こいつを結界の中に落としたら、そのあとで余裕があれば助けてやるから!」

 

「さだこのことは忘れないよ! だから、ここは諦めて!」

 

「あんたら助ける気ないでしょ! あんたらを信じて結界の中に残ったら、結局、助けてもらえなくて、結界の中で『なんであんなの信じるのよ。あたしって、ほんとバカ』とか言わせたいんでしょ!」

 

「あいかわらず全力で被害妄想になるんだね。わけがわからないよ」

 

「あはっはっはっはっはー!」

 

 杏子達からは尻を蹴られて押し込まれ、さやかには剣で押し返され、さんざんな道化師であった。もっとも本人は気にしてないらしく、笑っていた。

 

「さやこ、このままじゃ埒があかないよ。ここはドナルドを結界の奥まで落とすのを優先しよう」

 

「さやこじゃなくて、さーだーこ…… でもなくて、さーやーかー! なんであたしの名前だけ覚えられないのよ! でも、ドナルドを落とすのは賛成しとくわ。その代わり、ちゃんと助けてよね!」

 

「分かってるよ! それじゃあ、いくぞ!」

 

「いち、にー、のー、さん!」

 

 ゆまの掛け声に合わせて、さやかは押し返すのをやめる。前後の拮抗が崩れた道化師の体は思いの外、あっさりと結界の中へ落下した。

 

「あらー?!」

 

 道化師は成すすべく砕かれたガラス片へと叩きつけられた。マミのようにリボンでクッションを作ったのならともかく、直接、落ちたのだ。高さとガラス片でダメージの一つでも受けてくれれば、万々歳であるが……

 

「らんらんるー!」

 

 道化師は何事もなかったかのように立ち上がる。分かっていたが、どうにも納得行かない存在だ。そんなことはお構いなしに、道化師はさやかを目指して、物凄い勢いで這い上がってくる。

 

「は、はやく! 早く上げて!」

 

「せーの!」

 

 杏子とゆまは伸ばしたさやかの手を取り、引き上げる。

 

「マミ! いつまでものびてないでお前も手伝え!」

 

「わ、わかってるわよ!」

 

 皆から遅れて、潰れていたマミも参加してさやかを引き上げる。結界もまださやか一人くらいなら通れる隙間がある。ここさえ通れば悪夢も終わりだ。

 

 三人がかりで引き上げたおかげで、さやかはすぐに上半身まで結界の外にでる。これでもう大丈夫だと、安堵のため息がこぼれる。が、そこでさやかの体は結界の中に引きずり戻される。

 

「あはっはっはっはっはー!」

 

「うそ……!」

 

 結界の外へ出るより先に、道化師の手がさやかの右足を掴んだのだ。そのまま、逃すまいと恐ろしいほどの力で結界の中へ引き続ける。

 

「こっちへおいでよ、あ・そ・ぼ!」

 

 そこにあるのは死への恐怖などではない。痛みへの恐怖でもない。己の全ての想像を集めても到底、辿りつけない未知への恐怖だ。

 

「もっと力をこめろ! このままじゃ、みんなまとめて引きずり込まれるぞ!」

 

 杏子が声をあげて発破をかけるが、それでもさやかの体は結界から抜け出せない。どんどんと引きずり込まれ、頭までも結界の中に沈んでしまう。

 

「もう……ダメかも……」

 

「何を言ってるんだい? 君が諦めたら、君にしがみついてる僕も逃げられないってことじゃないか」

 

 相手は常識の通じない化物だ。こんなのを相手に四人のうち三人までも逃げ切れただけで奇跡的なことだ。恐怖に心を蝕まれたさやかはいつもの強気さを失い、成すすべなく諦めに満たされてゆく。

 

「ここまで来て諦めるつもりかよ!」

 

「美樹さん、もう少しだから! あと少しだけ頑張って!」

 

「ゆま、頑張るから! さやかも頑張って!」

 

「ははっ…… 最後にやっと名前呼んでくれたね。ありがと……」

 

 さやかは涙を零し、自ら手を放した。それは諦めと、仲間を巻き込まないための最後の勇気。

 

 さやかが手を放したことで繋がり弱まり、その体は一気に引きずり込まれる。その勢いに負け、ゆまとマミの手も放れる。残るは杏子が掴むだけ。だが、それも長くは続きそうにない。腕、手首、手のひら…… 掴みきれないさやかはどんどんと離れ……

 

「馬鹿野郎!」

 

「あはっはっはっはっはっはー!」

 

 最後に握った指先も放れ……

 

???『諦めないで!』

 

「……え?」

 

 誰かの声が頭に響く。同時に一筋の閃光が煌いた。

 

 こんなにも淀んだ結界の中で、歪みなく放たれた一本の矢。その一矢は道化師の心臓を深々と貫いていた。

 

「……がはぁっ!」

 

 今まで何をしても平然としていた道化師は、その一矢でぐらりと体を揺らめかす。気づけば、さやかを掴んでいた手も放していた。

 

「今だ!」

 

 道化師の手が離れたのを見るやいなや、杏子はわずかに掴んでいたさやかの指を潰れるほどに強く握り、引き上げる。手が結界から出れば、マミとゆまもさやかの手をとり、力いっぱい引き上げた。

 

 そこに道化師の邪魔はない。恐るべき敵は今、結界の底に落ちている。

 

 射ぬかれた胸を抑えながら、道化師はさやか達とは全く無関係の場所を睨みつける。そこには黒髪に赤いリボンの少女の姿であった。

 

「……ドナルドは嬉しくなるとつい殺っちゃうんだ!」

 

「そう……。けど、残念ね。それは叶わないわ」

 

 気のせいか、どこかで出会ったようなその少女は、皆の無事を確認して、うっすらと微笑んでいるようにも見えた。

 

 さやかの体が完全に出た途端に結界は完全に閉じる。その内に道化師と少女を残したまま……。

 

「ま、待って! まだ結界の中に誰かが……!」

 

「いや、あの子もまたドナルドと同じ世界の住人だろう」

 

「QB……」

 

「あの力、一人の魔法少女のものじゃなかった。理屈はわからないけど、彼女には途方もない魔力を与えている存在がいるんだ。そんな力を持つ子も、その加護を得る子も僕と契約した魔法少女にはいないよ」

 

「そう…… なんだ……」

 

 さやかは曖昧な返事だけして、消えてしまった結界の入り口をぼんやりと見つめるのだった。

 

 思い起こすのは、あのとき聞こえた声。とても良く知ったような、友達の声。そして、結界に残った黒髪の少女の姿。

 

「まさか、ね……」

 

 そんなことあるわけないと、さやかは首を振る。

 

「ったく、苦労かけやがって!」

 

 地面に大の字に寝転がりながら、杏子は言い捨てた。なんだかんだと悪態をついてる割に最後までさやかの手を握り続けたのは杏子である。もし、杏子も諦めていたら、さやかは今頃、結界の中に取り残されていたはずだ。

 

 だからだろうか、さやかはいつになく素直な気持ちを口にする。

 

「うん、ありがと。最後まで諦めないでくれて」

 

 思いのほか素直なさやかの感謝の言葉に、杏子は顔を赤らめる。そのまま、そっぽを向いてぼそっと「今回だけだからな」と呟くのだった。

 

「それじゃあ、行こっか」

 

「どこに?」

 

「マミさんが言ってたでしょう。ここから出たら、お茶会しようって。おいしいケーキと紅茶、楽しみにしてますよ」

 

「ふふっ、そうだったわね。もちろん、佐倉さんも来てくれるわよね?」

 

「行こうよ、杏子!」

 

「仕方ねぇな。食い物を粗末にするわけにはいかないからな」

 

 ゆまにせがまれてて仕方がないといった様子の杏子だが、満更でもなさそうだ。さやかとマミはお互い顔を見合わせて苦笑をする。

 

「相変わらず君達の行動理念はよくわからないよ。敵対していたと思ったら、行動を共にしたり、助けあったり。僕を一緒にお風呂に入れてくれなかったり。まったく、わけがわからないよ」

 

「まあ、そうかもね。でも、そういうもんよ」

 

 感情の分からないQBに彼女たちの行動は理解できなかったようだ。それに対して、さやかは明確な答えを返さずに、QBを肩に乗せる。

 

 一つの戦いを乗り越え、四人の魔法少女達はほんの少しお互いを分かり合えた気がしたのだった。

説明
魔法少女まどか☆マギカ 二次創作。作者HPより転載
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魔法少女まどか☆マギカ

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