神々や
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 轟音とともに天井を突き破ったものが、そのままアパートの二階の床をぶち抜き、一階に突き立った。

 飛び起きたコウイチの、大の字に広げていた足の間を、F?15イーグルの主翼が切り裂いていた。

 少々型は古いが、米軍の戦闘機の中では人気が高い機種だ。

 コウイチは、心の底から、行儀良くまっすぐに寝ていなくて良かったと、ぞっとした。

 

 空き部屋になっている階下をのぞくと、イーグルのコクピットはめちゃめちゃになり、パイロットらしき人間が目をまわしていた。

 コウイチは、事態を飲み込むと、さっさと着替えて表へ出た。

 パイロットの安否は気にしない。コウイチの住む安アパートに突っ込んで、機体が爆発もせず、建物が崩壊もしない。つまり、これは事故ではなく「神様」のいたずらなのだ。

 

 空はカラリと晴れて、わずかに薄い筋雲がゆっくりと流れ、そのあいだを色々なものが入り乱れて飛んでいる。

 コウイチは、両手を大きく空に突きだして伸びをすると、この半年あまり口癖になっているせりふをつぶやいた。

 

「今日も元気いっぱいに狂ってんなあ」

「お、元気? いいぞ、元気!」

「るせえ」

 

 コウイチは、ジャンパーの裾から覗いた神様をつまみ上げ、足下へトスすると、思い切り蹴り上げた。神様は、どこまでも高い冬空の彼方へ、綺麗な放物線を描いて消えた。

 コウイチにそんなキック力はない。蹴られたのに合わせて、神様が勝手に飛んでいったのだ。ようするに、遊んでいるということだ。

 

「ま、俺に憑いてるのはあいつだけだから、まだましか」

 

 つぶやいたコウイチの目の前を、ふたり連れの女子高校生がべちゃくちゃと笑い合いながら通り過ぎる。

 ふたりとも、体のあちこちに、レゲエ風とか、渋谷にいる女子高生みたいなのとか、馬鹿殿とか、いろんな格好をさせた神様を、じゃらじゃらとたくさんぶら下げている。

 ひとりの尻の辺りに、流行りのアイドル風に仕立てられた神様が、にやつきながらしがみついていた。彼女たちにとっては神様も、ケータイのストラップと大差ない。

 

 気がつくとコウイチの目の前に隣のおっさんが立っていた。おっさんだが、格好は王様だ。裸の王様が服を着たような様子の王様である。

 王様だが家来はいない。結局のところ、単なる隣のおっさんである。

 会釈して通り過ぎる。おっさんは、尊大に頷いた。

 

「ただのコスプレと、どこが違うんだろうな」

 

 気の毒にとは、気の毒でとても言えない。

 コウイチは、脇目もふらず、バイトへ急いだ。目に映るものに馴れてしまえば、これまでのところ、実害はほとんどなかった。

 

 誰に、どのように運行されているのか皆目分からない電車で二駅先。駅前から連なる、小さな商店街の中にあるコンビニエンスストアへと向かった。山手線から私鉄で数駅の商店街には、商売をしている店はほとんどない。経済活動など無意味なのだ。欲しいものがあれば、神様に願えばいい。あるいは仏に。または悪魔に。宗旨問わず、たいがい叶う。

 だが、願うもの、その願いとは逆のことを思うもの、祟る神、それに対抗する神と入り乱れ、結局は拮抗して、世界が狂っただけとなっていた。

 

 半年前のある日、全世界の神や、仏や、悪魔や物の怪までもが、

「いい加減に、気配だけとか、そういうのは飽きたな」

 と、意見が一致し、人間たちの前に現れた。

 以来世界では、自然科学者の自殺が相次いでいた。

 

「いーっす」

 いい加減な声をかけて、店に入る。

 

 バイトを始めたのは、神様が憑いたあとからだった。入学したばかりの大学は、機能不全に陥ったので行っていない。ウェブ辞典の書き換え合戦のように、あらゆる定説や学説、そして事実までが秒単位でめまぐるしく改変されてしまう世界で、学ぶことの意味を見いだすのは難しい。

 そんな世界で、コウイチは、ただ生活のサイクルというものを感じたくて、ままごとのようなバイト生活を続けていたのだった。

 

 電車と同じく、いったい誰によって運営されているのか怪しい電話で、少し前に確かめたところ、北海道に住む家族は、どうやら無事らしい。しかし、いかに自分に憑いている神様がいても、人口を遙かに上回るほかの神や仏や、まして悪魔や妖怪の中をくぐり向けて帰省するのは難しく、彼は東京に留まっていた。

 コウイチのバイト先は、先代が乾物屋からコンビニに転換したのは早かったらしいが、時を経て、もとの乾物屋の、埃と湿気の混じり合った気配が、そこはかとなく漂う店だった。

 

 店長は棚のチェック中だった。一心に陳列された商品を確認している??振りをしていた。

 薄い肩胛骨の浮いた店長の肩の上で、小鬼が二匹、ダンスをしているが、店長は、いないものとして押し通すことにしたらしい。

 

「ャぁ、オハよウ」

 

 店長は、小さな声で、なんだかカタカナ混じりみたいな喋り方をする。まだ四十そこそこのはずだが、覇気がないこと甚だしい。

 コウイチはレジカウンターを覗きながら、店長に尋ねる。

 

「コトちゃんは?」

「おク」

「? ああ、奥ですね」

 

 ビールの棚の裏側に気配がある。がらがらとビールの缶がレールの上を押し出され、整列していく。

 コウイチはそれを見て、レジへ入った。

 バイト仲間のコトちゃんがビールの補充を終えて顔を出す。化粧気のない顔に、脱色してパサパサの髪がふりかかっている。その下に、小さく眠たそうな一重まぶたが納まっていた。

 

「……あ……コウさんおはようござい」

 

 そこまで言っておいて、なぜ「ます」を省くのかわからないが、いつものコトちゃんではあった。コウイチより一年ほど早く、高校を中退してバイトを始めていた。

 

「おはよ。無事?」

「あたしは。店長はわからな」

「んー、今のところ大丈夫そう」

 

 まで言ったところで、バリバリともの凄い音がした。ふたりで音のした天井を見上げると、巨大な怪獣かなにかの尻尾らしきものが、店の上半分をなぎ払って、ぶるんと揺れながら、すぐに消えた。なくなった天井から、青空がのぞいた。それでも店の中には、瓦礫はおろか、塵ひとつ落ちてこない。

 

「……じゃなくなったな。おい、直せよ」

 コウイチは、いつの間にか店の制服の胸ポケットに戻っていた神様に命令した。

「あんなことしておいてよく言うのお」

 コウイチは胸ポケットから神様をつまみ出す。

「ぶっ殺されてーか?」

 コウイチにつままれたまま、顔の五分の四が白髭の神がにかっと笑った。

「神を殺せるわけなかろ」

「試すか? ん?」

 コウイチは、両手で神を握りつぶしにかかった。

 

 店長は、頭を抱えて床に伏せたまま、店が元通りになってから起き上がるつもりのようだった。

 コトちゃんはいつもと同じく、コウイチの隣で、だるそうにレジの番をしている。

 

「そこにいるわけです?」

 

 語尾に「か」が抜けている。ぼんやりと前を見たまま、コトちゃんが尋ねた。

 

「ここだけじゃなく、そこらじゅうにいるんだけどね」

 

 コトちゃんは、百万人にひとりと言われる『見えないひと』で、店長に羨ましがられていた。

 コウイチは握る拳に力を込めた。

 

「待て待て待て、分かった分かった分かったから。おー痛。この罰当たり……、いえ嘘です。何も言ってません」

「直せ」

「はいはいはい。よっと、ほら直った」

 コウイチに握られたまま、神様が左手を払うと、店の天井は、映像を逆まわしにしたように元通りになった。

 

「やっぱりいるんですね。直りましたも」

 

 また語尾の「ん」を抜いて、コトちゃんが感心したようにつぶやいた。店長がむっくり体を起こす。

 その時、自動ドアがいつものようにごつごつと何回か引っかかってから、ようやく開いた。??そういうとこもついでに直せよ、役立たず。コウイチは、頭の中で悪態をついて笑顔を浮かべる。

 

「いらっ……しゃらなくて結構です」

 どう見ても死神。西洋タイプ。髑髏顔が黒いケープをかぶって、お決まりの柄の長い鎌をお持ちである。

「どちらかというとお帰り願えます?」

 

 死神は不気味な笑顔を浮かべてしずしずと入ってきた。店長が泡を吹いて現実逃避に走ったのは見なくてもわかった。

 『見えないひと』のコトちゃんは、レジの前で腕組みをして、むすりとドアを睨んでいた。

 

「トイレを貸せ」

「は?」

「トイレ貸せ。取り殺されたいか」

 死神ともあろうものが、サラリーマンか何かのように普通に喋りかけてきたので、コウイチは拍子抜けした。

「そ、そちらの奥ですが」

 職業的反射が勝ち、手で指し示した。

 

「近頃はなあ、こういう人間ぽいことするのが流行りなのよ」

 コウイチは、どうしてですか、とは聞かなかった。流行と言う割にファッションセンスが古いですね、トイレは男女兼用ですから、あんたがどっちでも大丈夫、とも言わなかった。

 

「鎌は置いていった方がいいと思いますよ。その方が人間ぽく見えます。それに第一、つっかえます」

「しょぼい神を飼ってやがるな」

 死神はコウイチへは答えず、コトちゃんの肩で遊んでいたコウイチの神を一瞥した。

 

 それから、素直に鎌をカウンターへ立てかけ、ケープの裾を引きずりながら、ゆるゆるとトイレへ入っていった。

 

「何で言い返さないんだ?」

 コウイチが自分の憑き神へ尋ねる。

「わしはあんな小物は相手にせんのだ」

 逆だな、とコウイチは思ったが、それ以上は興味がなかった。

 

「そこに」

「え?」

 コトちゃんがコウイチを見ていた。なぜだか目が据わっている。

「そこに、死神の鎌があるんですか?」

 言いながら、レジの反対側を指さした。

「うん。オレなんか見えるから、刃先が刺さりそうでおっかないよ。刃は向こうへむけて置けよな、まったく」

 死神にそんなことを言っても始まらないのだが。

 

「このへん?」

 コトちゃんが探るように手を伸ばした。

「危ない!」

 コウイチには、コトちゃんの指先が刃に触れたように見えた。

 

「あった」

 コトちゃんは、手を刃の側面から滑らせるように柄の方へ移動させ、掴み、引き寄せた。

 

「見えるの?」

「はい。これ触ったら」

 

 コトちゃんは、男でも手に余る大きな鎌を、両手で抱え込んでいた。

 そのまま、コウイチの後ろをすり抜けると、レジを出てトイレの入り口の脇に陣取った。

 

 水音がしてトイレのドアが開いた。

 次の瞬間、死神は死んでいた。

 死神に対して、死んだという表現が適切かどうか、コウイチにはわからない。

 しかし、横で神様が、「あ、死んだ」と言うし、額の真ん中に鎌が突き立っているので、そうかなと納得した。

 

 死神を殺したコトちゃんは、無表情に、崩れ落ちた死神の体に足をかけ、鎌を引き抜いた。

 血や、得体の知れない液などは出ず、軽く、乾いたセミの抜け殻を踏んだような音がした。

 そんなコトちゃんをコウイチは、この間読んだ、戦国時代を描いたマンガに出てくる荒武者みたいだなあとあきれた。

 

 死んだ、らしい死神を振り返りもせず、鎌を抱えたコトちゃんは、コウイチの目の前を通り過ぎながら、

「早退、いえ、今日で辞めます」

 と言って出て行った。

 

 表へ出た途端コトちゃんは、いままでコウイチが見たこともない身のこなしで、商店街の中へ猛然と走り去ってしまった。

 

「何なんだろう。せめて片付けろよな、死体。店長も、いいかげん起きてください」

 

 世界中の人間がそうなのだが、コウイチもやはり、世界がこんなになってから、死に対しての意識が軽くなっていた。必ずではないが、何かあっても、生き返ることは多い。

 

「それは生き返らんぞ」

 神様が横から口を挟む。

「そうなのか? 死神とはいえ気の毒だな」

「あのコトちゃんとかいう娘も危ないぞ。死神系を狩るつもりだろうがの、あんな鎌じゃいくらも倒さんうちに返り討ちじゃ。もちろん、やられちまったら生き返ったりしないぞ」

 

「おい」

 

 コウイチはふたたび神様を握りつぶしにかかった。

「もしかしておまえ、何か知ってるのか? 知ってるな? 吐け!」

 コウイチは神様を両手で激しく揺さぶった。

 

「あノさ、親御さんのことヵな?」

 店長は、崩れて薄い灰のようになった死神を、箒で掃き集めていた。

「コトちゃんの親がどうしたんです、店長」

 

 店長は、ちり取りに集めた死神の灰をゴミ袋に放り込み、丁寧に口を縛った。

「死神ニ殺されたんダよ」

 

「そうなんじゃよ」

「知ってたのかよ! このクソ神」

「わしは神じゃぞ。握るな握るな、痛い痛い」

「何でさっさと言わないんだ」

 店長が死神の灰を捨てに、裏口へ向かった。

 

 神様は、不満そうにコウイチを見た。

「聞かなかったではないか」

 コウイチの手の中で、ぐしゃっという感触があった。が、すぐに全部の指の隙間から、ぬるぬると粘着質のものが這い出して、合体した。

 

「わしは神じゃぞ。たいていのことは知っとるんじゃ。聞かないお前さんが悪い」

 コウイチはカウンターを拳で叩きつけた。

 

「それじゃ聞くけどな、どうやったら助けられる?」

「なんじゃ、惚れとるのか?」

「あのな、少しまともに会話しろ。別にそんなんじゃねーよ。返り討ちとかなったら可哀想じゃないか。こりゃ仇討ちなんだろ」

「古くさいのう」

「おまえがそう言ったんだろう!」

 

 コウイチは神様を引っ?んで外へ出た。クビになっても、どうということもない。たぶん、ならないだろうが。意味がない。

 人気のない商店街は、死神の惨殺死体、というのだろうか、コトちゃんに倒されたらしい残骸が散乱してる。

 

「強ええな、コトちゃん」

 率直な感想だった。

 

「最初に殺した死神の鎌が、あの娘の性質にあったんじゃな。力が増幅されておる。なに、やられているのは小物ばかりじゃ。いずれ大けがするぞ」

「さっき店に入ってきた奴に、文句のひとつも言えなかった奴が、偉そうに」

 餓鬼が二、三匹寄ってきたが、追い払うとあっさり引き下がった。

 

「まったく、神に対する敬意がないのう」

「今日は静かだな。こんなの久しぶりだ。うろちょろしてるのはいるけど」

「神の言うこと聞いとらんし」

「で、コトちゃんはどこだ。おまえ、敬ってほしいんなら、見つけて止めて呼び戻せよ」

 神様は、コウイチの肩の辺りに浮かんでいる。

「神はの、自分のテリトリーやカテゴリーの中では全能なんじゃ」

「それ、全能って言わねえぞ」

「お」

 神様が声を上げた。

 

 目の前に、地響きをたてて、ふたりの巨大な神が降り立った。

 通りに建つ、どの建物よりも巨大な二神だった。ふたりとも人間タイプの神である。

 ひとりは身の丈を超える大刀を振り回し、もうひとりは、たぶん二十本くらいは生えている手に、それぞれ槍や刀を持っている。

 

「逃げろ、とばっちりを喰うぞ」

 

 コウイチの神様が言い終わらないうちにバトルが始まり、商店街が震えた。

 もと来た道を逃げ戻りながら、コウイチが聞く。

 

「あのふたりはどこの神だ? 何でやりあってんの?」

「知らんわい」

「お前、知らんことや、できないことだらけだな。役立たずめ」

 手が二本の神が、大刀を空振りし、大地に突き立てた。地割れが走る。

 コウイチは飛び退いて落ちるのを免れた。地割れは、そのまま日本列島を東西に切り裂き、たちまち海の水がなだれ込んできた。

 遠くから、地鳴りが響いてくる。

 

「とりあえず、コトちゃんは後回しだ。逃げるぞ。少しは助けろよ」

「あいつらは、神のくせに我を失っとるな。日本は今ので真っ二つじゃ。これは海の水が流れ込んでくる音じゃ」

「オレのことも、飛ぶとか浮くとかできないのか」

「走れ」

 コウイチは、すでに幅が百メートルを超えた地割れから離れるように、全速力で走りながら神様に尋ねた。

 

「でも結局バトルが終われば、いつもとおなじく、元通りになるんじゃねえの?」

「あいつら、ステータスの高い連中じゃからなあ、どうだろうの」

「困るじゃん、それ」

 

 コウイチは、毎日これだけ走ったら、体力つくなあとのんきに逃げながら、商店街のメインストリートを脇へ一本はいった。

 そこではコトちゃんが、十メートル以上ある大きな死神と睨み合っていた。

 

「ラスボスかよ!」

「ゲームと一緒にするな。そこまでじゃないな。でも、まあ大物じゃな」

 

 死神がコトちゃんの体より大きな鎌を横殴りにした。

 バイト中の緩慢さからは想像もつかない素早い身のこなしでコトちゃんが飛び退く。

 死神が鎌を振り上げ直す間隙を縫い、コトちゃんは自分の鎌をかつぐようにして死神の足下に飛び込んだ。ひるがえった死神のケープからのぞく足首に、鎌を振り下ろす。

 

 右足首の下を失った死神がもんどり打った。すぐ片足で起き上がる。同時に右足が生えた。

 死神が起き上がるときに杖代わりについた鎌の柄を伝い、コトちゃんは既に、死神の胸元あたりにいた。

 掴んだ相手の柄を蹴って、もうひと伸び飛び、顔面に鎌を突き通した。死神がぐらつく。

 コウイチと再会してから数秒のことである。

 

「超人だな、コトちゃん」

 コウイチはただ口を開けて見上げるばかりだった。神様がコウイチの耳を引っ張った。

「おい、水じゃ」

 コウイチの後ろで雪崩のような音が響いて、地割れからあふれた海水が押し寄せてきた。

 

 振り返ったコウイチの顔面を茶色く濁った海水がはたく。体ごとのけぞって水に?まれた。

 コウイチも神様も一緒くたである。

 コウイチはもはやコトちゃんどころではない。ただ本能で言葉にならない叫びをあげて、もみくちゃにされていた。

 コンビニエンスストアの店長や、商店街中の人間が、みな同じように助けを求めた。日本中の地割れ近くにいた人間がすべて叫んだ。ひとりを除いて。

 

 一応、神様たちは、頼まれごとはなるべく聞いてやろうとした。それぞれのキャパシティに応じて。

 上空の二神は、戦いを中断する気はなく、神頼みは無視した。

泥水が肺に流れ込み、死んだとコウイチが思ったとき、唐突に体が中空へ投げ出された。あまり柔らかいとはいえない地面に投げ出されて、コウイチは呻いた。

 

 まわりには、ほかにも人間が降ってきて、打ち上げられた魚みたいにのたうちながら、呻いたりむせたりしていた。少し離れたところには、店長が降ってきた。どこかの骨でも折れたのか、顔を歪めて苦しげに震えていた。

 

「わしら、とりあえず願いは聞くんでなあ。出来る範囲で」

 吐くだけ吐いたコウイチが振り返ると、さっきまでコウイチがいた脇道では、激流の中に腰まで浸かった死神が、鎌とコトちゃんをぶら下げたまま屹立していた。

 

 やがて、死神がゆっくりと仰向けに倒れた。

 コトちゃんは、鎌の柄を掴んだまま、水の中に落ちた。

「おい、助けるんだ!」

 コウイチが叫んだが、神様の姿がない。

 神も仏も悪魔も死神も、鬼も、なにもかもがいなくなっていた。

 足下近くまで押し寄せる海水は、未だ凶暴で、生身の人間が飛び込めるような状態ではなかった。

 

「あの役立たず! 水くらい引かせて行けよ」

 コウイチは吐き捨て、膝をついた。これでは、いかにコトちゃんが超人的な力を得ていたとしても、助かるかどうかわからない。

 

 そのとき、おそらく有史以来はじめて、世界中の人間が思いを同じくした。

「もうたくさんだ!」

 と。地割れは地球を一周し、さらに枝分かれして、地球の姿をメロンの網の目のように変えていた。

 コトちゃんは、満足したので、そう思わなかったのだろうかと、コウイチは考えたが、確かめようはなかった。

 

 コウイチには、連中が、人間の願いでいなくなったとも思えなかったが、それも最早わからない。

死者や行方不明者がどれほど出たのか見当もつかないが、神も仏もない世では、生き返ることは叶わなかった。

 やがて水は引き、地割れはゆっくりと閉じていった。

 

 それ以来、コウイチは神様のことも、コトちゃんの姿も見ていない。

説明
神も悪魔も、かそけき存在であることに飽きた!
わらわらと人間の前に現れ、好き勝手に人間の願いを叶えまくったあげくに。
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