鳴家の住む家
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次の日、目を覚ますと妻がもうキッチンに立っていた。

鞄とジャケットを持って中に入るとびくり、とその体が動く。

 

「・・・あ、おはようございます」

「・・ああ。」

「よく眠れました?」

「まぁ・・・うん」

 

正直言ってあまりよく眠れなかった。昨晩の事が頭について

まだキッチンには、真っ暗な部屋の中に、黒い長い髪の白いワンピースの女性が立っているんじゃないか、なんて想像がなかなか消えなくて、ぼんやりしたまま朝を迎えてしまった。

妻もそれは同じだったようで曖昧に笑って朝食の支度に戻った。

朝になれば何ともない。明るければ、特に何も思わない。

やっぱり、昨日の出来事は、なんというか。物音に神経質になり過ぎていたのと、パソコンの不具合が重なった、というところだろうか

 

「今日は、何時頃にお帰りになります?」

 

朝食は目立った会話もなく終わった。お互いに、なんとなく疲れているからだろう。

玄関でジャケットに腕を通して、鞄を受け取る。

 

「さぁ・・・7時くらいじゃないかな」

「分かりました、行ってらっしゃい」

「ああ。」

 

どこの会社でも一緒だろうが、終業してから社内に社員が残って、残業するなんて

それとなく禁止されている。残業手当は勿論、出せないしケチなことを言えば電気代だってタダじゃない。

そんなことを考えながら電車に乗り込む。

周りにはOL、サラリーマン、大学生らしき集団、高校生、小学生。

ありとあらゆる年代の人が立っている。

スマートフォンをいじるのが大半。それ以外は本や新聞紙を読んでいる。

友達と喋っているのは少数。人間は、結局自分のテリトリーを離れると現実逃避しかしないのがよくわかる。

これだけ大勢の人が乗っているのに、全員、小さな世界で回っている。

ふと気付くと両隣に立っている人がちらちらとこちらを見てくる。

なんだろうか、私は少し不機嫌になりながら丁度、駅に着いたので電車を降りた。

 

 

会社についてタイムカードを登録する。

何人かにおはよう、と声をかけて自分のデスクへ。

パソコンを起動させようとして一瞬、昨日の出来事がよぎったが、

これは会社のパソコンだし、とスイッチを押す。

USBを取り出してつなぐと昨日、作りかけた表が出てきた。

続きを、とファイルを開く。

 

「―――さん、亡くなられたんだって。部長、こないだ休んでたじゃない?あれやっぱりお葬式だったんだって」

 

デスクの向こうで若い茶髪の女性がひそひそと声を落として喋っているのが聞こえた。

思わず、キーボードを叩いていた手が止まる。

 

「えー・・・なんか疲れてたっぽいもんねー・・・」

「あんまり喋ったことないけどね」

「そうだねー・・・奥さんは?」

「ほら、奥さんは4年前に病気で亡くなって、一人身だったんだよ。知らなかった?」

「知らなかった。ってかホントにあんま、付き合いないし」

「いや、私もそんなに付き合いないけどさ。嫌味とか言うわけじゃないし、だからと言って仕事しないわけじゃないし。いい人っちゃーいい人?だったくない?」

「あ、まぁ確かにね。」

 

崩れた口調で次々と飛び出るのは勝手な言い分だった。彼女たちにとって『怒鳴らない』『小言を言わない』『空気みたいな人』は『いい人』らしい。名前の部分は聞こえなかったが、少しその亡くなった男性を気の毒に思う。しかし、この部署で亡くなった人なんかいただろうか。最近は、人の死がなんとなく身近になってきて怖い。子供のころは理解しても認識できなかった『死』という概念が、段々に近づいてきているように思うとぞっとする。

しかし、やはり、はっきりと分かっているか、と問われれば分からないのだが。そのうち、同年代の友人の葬式に参列しなくちゃならなくなるだろう、そうなれば少しは分かるだろうか。

 

「でもさー、その人、自宅で倒れてるとこ発見されたんだって。ベッドでさ、冷たくなってたって」

「えー・・・怖。やだやだ。」

「でも、考え方によるけど、自殺とかで血まみれ―とか首つりとか、そんなんじゃなくてよかったよね」

「え?自殺だったの?」

「あれ。言ってなかったっけ。睡眠薬を大量に飲んで、そのまま、って感じ。」

「うわー・・・なんで自殺なんかしちゃったんだろねー」

「なんでかなー疲れちゃったのかな」

「自殺だったから、はっきり発表されないのかな」

「さぁ・・そのうち黙祷とかするんじゃない?」

「かなー」

 

自殺、か。これまで一度も考えたことがないと言えば嘘になるが。妻にも先立たれて、仕事に追われる毎日。そりゃ、人生諦めたくもなるだろうな・・・・なんとなく予想はつく。辛かったわけじゃなく、悲しかったわけじゃなく。ただ、ただ疲れたんだろう。なんとなく、分かる。ふと、気が付くと話していた彼女たちがちら、と私の方を見ているのに気付いた。何だろうか、今朝から人によくちらちら見られる。

 

「あー・・・皆ちょっと聞いてくれ」

 

部長が、立ちあがって大きな声を出した。ざわざわとしていた部屋は、一気に静かになる。

 

「皆も、気になっているだろうが、―――さんが亡くなられた。彼は優秀で、優しい人だった。冥福を祈って、少し黙祷したいと思う」

 

ガタガタと立ち上がる社員立ち。あるものはだるそうに、あるものは涙を浮かべて。私も立ちあがった。黙祷。と声が上がりシン、となったオフィスの中で私はつらつらと彼の事を思う。ただただ、やるせない気持ちにさせられた。この数十人の中で、どれだけの人が彼を思って黙祷しているんだろうか。人の気持ちは、分からない。どれだけの人が、彼の顔を覚えているだろうか。私でさえ、誰だかはっきりしない。そうか、人が死んで、悲しく思うのは、ごく少数の関係者だけか。それがその人の人生で、それがその人が残したものか。ああ。そうか・・・・少しだけ、その彼と話してみたかった、と後悔した。

 

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