俺妹 海へ2
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俺妹 海へ2

 

 瑠璃と旅行に行くことになり水着を買いに行くことにした俺は公園であやせと偶然出会う。

 そして俺はあやせの人生相談を受けることになった。

 

 

「お兄さんとこうしてお話しするのも久しぶりですね」

 あやせの隣のブランコに腰掛けながら彼女と目線を合わせる。久しぶりに見る彼女はまた一段と綺麗になっている。大人の色気っていうか、やっぱり中学生の時とは違う。

 そう。中学生の時とは……。

「そう言えばそうだな」

 ちょっと気まずくなりながら答える。

 一人暮らししていた時はあやせの世話に毎日なっていたものだったが……彼女に告白されて振ってしまってからはあんまり話したことがない。

 あやせが俺と接しなくなったこともあるが、俺の方も彼女と会うのが辛かった。どう接して良いのか分からない。そんな状態が本当は今でも続いている。

「昔はたとえ会っていなくても、いつでも呼び出せる自信があったんですけどね」

 あやせは苦笑してみせた。

「まあ、実際会いに行ってたしな。しかも速攻で」

 黒猫との初デートの前でさえ俺はあやせの呼び出しに即座に応じていた。我ながら不誠実な男だった。

「だから告白したらオーケーしてもらう自信があったのに……あっさり振られちゃいました。完膚無きまでにあっさり」

「うっ」

 あやせの言葉は俺の胸に大ダメージを与えた。

「お兄さんに振られたことで自信を失ったわたしは人生という道を見失って放浪の真っ最中。とてもとても困っています。これが人生相談の中身の要約でしょうか?」

「ごめんなさいっ」

 あやせに向かって勢い良く頭を下げる。

 貴方に振られたせいで人生狂いました的なことを言われたらこうするしかない。

 だって以前の俺はあやせに甘えまくっていたから。そして勘違いさせるような行動を繰り返してきたのだから。一途で純情で思い込みの強いこの少女に対して。

 俺の罪を十分に自覚せざるを得ない。

「う〜ん。そうですねえ」

 あやせは唇に指を当てながら空を見上げる。

「奥さんや正式な彼女にとは言いません。愛人にしてくださればわたしのモヤモヤはだいぶ晴れると思うんですが」

「それもごめんなさいっ」

 もう1度頭を下げる。あやせに愛人とか言われると怖すぎる。俺がその気になってしまいそうだから。瑠璃との幸せな家庭が壊れてしまいかねない。

「わたし、10年後までお兄さんのことが一途に好きな自信があります。今、改めてそれを確認しました。だってこんなに心が踊るんですから♪」

 あやせはまだ暑い8月の空を見上げ続けている。少しだけ楽しそうな瞳で。

「お兄さんと黒猫さんの関係に少しでも亀裂が見えるようなら……お兄さんのことを盗っちゃいますから覚悟してくださいね」

「瑠璃とはもう家族ぐるみの付き合いなんです。そういうのは俺がみんなに合わせる顔がなくなるので勘弁してください」

 斬新な脅し方法に謝るしかない。

「なら、わたしがお兄さんそっくりの顔をした赤ちゃんを黒猫さんにニコニコしながら見せ付けるような展開になるような隙を見せないでくださいね」

「お前……そんなことを考えていたのか。……はい、瑠璃とは一生懸命幸せを掴んで離さないようにします」

 あやせと気まずくなってから半年以上。あんまりこの子は変わっていない気もする。俺のためにそうしてくれているのかもしれないが。

「お兄さんを無理やり拉致して拘束監禁して薬漬けにしてわたしだけのものにしようと考えなくなった分、わたしも大人になりましたよね」

「同意していいのか分からないよ。ていうか怖いよ……」

 ヤンデレって一過性のはしかみたいなものなのか?

 しかもあやせの奴、そんな恐ろしいことを考えていたのか?

 マジ怖ぇ。

「人生相談の前座はここまでです」

「今までは前座だったのかよ!」

「はい」

 あやせは素直に頷いてみせた。いい笑顔過ぎて何か文句が言いづらい。

「お兄さんに振られてしまったせいで自分に自信が持てなくなり、アイデンティティがガタガタになっていることの確認です」

「うっ」

 ザクッとくる一言。しかも笑顔で発せられるからダメージは2倍。

「そしてわたしの根本的打開策はお兄さんの愛人にしていただくことだったのですが、それがすぐには叶いそうもないことを確認しました」

「うぐっ」

 ザクッとくる一言が続く。

「えっと……ジュース飲むか? 自販機で買ってくるから」

「ありがとうございます♪」

 精神的大ダメージを受けた俺は一旦場を仕切りなおすことにした。

 

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「差し迫った問題はないのですが緩やかに行き詰っている。それがわたしの今抱えている問題でしょうかね」

 あやせは俺が渡したスポーツドリンクを一口飲んで話を切り出した。

「学業もモデル業も問題なくこなしてはいると自負していると思います。でも、その先が見えないというか、見えなくなってしまったというか……何のために頑張っているのか分からなくなってきています」

 あやせの視線が土の地面へと向けられる。

「去年の夏のわたしだったら、特に根拠はなくても万能感みたいなものが溢れていました。だから行き詰まりの壁なんて結局最後は突破できるって思えたんです」

 あやせの目線が今度は俺へと向けられる。

「でも、お兄さんに振られたことでそういう根拠のない自信が消し飛んだというか。お姉さんの言う、力強いわたしはいなくなりました。完璧に自信喪失です」

 彼女の乗っているブランコが小さく前後に揺れた。

「調子に乗っていた自分がいなくなったら、目の前の壁が急に堅固になったというか。先が全然見えなくなりました。わたし、何がしたいんだろうって本当に分からなくなって」

 可憐な唇からため息が漏れ出た。

「去年お兄さんのお世話をしていた時は、この人のお嫁さんになるのがわたしの人生の目標、目的なんだって本気で考えていました。お兄さんが望んでくれるのなら仕事や学校や家を放り出してでもお嫁に行こうって。その目標、あっさり崩れちゃいましたけどね」

 弱々しい笑み。俺の胸はさっきからズキズキ痛みっ放しだ。

「それで崩れた際に気付いちゃったんです。わたしにとって学校やモデルって何なんだろうって。そんなに重要なものでもないのかもしれないって。何しろ捨てる気でしたから」

 あやせは大きくブランコを漕いでみせた。キィキィと鉄の鎖が軋む音が鳴る。

「でも、矛盾なんですけど去年夏ごろの学校選択の際には真剣に考えたんですよ。学業とモデル業を両立できる高校を選ばないといけないと思って沢山の学校の情報を集めました」

「あやせは真面目だからな。相当頑張ったのは目に浮かぶよ」

「はい。相当頑張って悔いのない選択をしたはずなんですが……不思議なことに入学してまだ半年も経たないのに……あまり学校も楽しくありませんし、行き詰まりを覚えてなりません。本当、駄目ですよね」

 あやせは軽くため息を吐いた。

 

「話は大体分かったよ」

 あやせを見ながら軽く頷いてみせる。

「あやせは真面目すぎる。それが閉塞感の原因だろうな。桐乃の場合と似てるよ」

 我が家の妹がアメリカに行った時のことを思い出しながら答える。

「手抜きができないハイスペックな人間ってのは、とかく一般人には縁のない所で悩みを抱えたがるもんだ」

 桐乃が何故アメリカ留学に際してあそこまで思い詰めなければならなかったのか。

 俺だったらああはならない。というか、できない。あんな悲壮な覚悟を持って生きられない。そこら辺が俺とあやせや桐乃との差だろう。

「あやせは自分を厳しく律しながら高い目標に向かって進んでいける。それができる数少ない人間なんだ」

 向上心と実行力、そして覚悟と根性を兼ね備えた人間というのは驚くほど少ない。

 文系大学生になって規制と規則の緩い空間に入るとそれがよく分かる。自分の内なる推進力だけで前に動き続けられる人間なんて本当にごく一握りしかいない。

「けど、今はその高い目標自体が見えなくなってしまっている。幾ら自分を戒めてもゴールが見えないんじゃ混乱するのは当然だよな」

 桐乃の場合は自分の設定したゴールが高すぎて辿り着けなくて自分を追い込んだ。あやせの場合、ゴールそのものがなくなってしまっている。

「桐乃のアメリカ留学の1件から導き出せる解決法は2つ」

 あやせに2本指を立ててみせる。あやせは俺の話を黙って聞いている。とても真剣な表情。

「目標の再設定と、息抜きを覚えることだな」

 あやせの眉がピクっと動いた。瞳の真剣度が増したのが見て取れる。

「立派な志を持つのは大事なことだ。けど、目標が高すぎるとアップアップになって息が詰まる。だから目標を立てる時に手頃なハードルを想定して、ゴールを低くするように心がけるのがあやせみたいな真面目な子には必要だと思うんだ」

 気楽に。桐乃の件は俺たち家族にそれを痛感させた。

目標がクリアできたらまたちょっとだけ高い目標を立てればいい。そうでないと壊れてしまう奴もいる。

「それはつまりわたしがお兄さんの正妻ではなく、都合のいい女になれればいいと目標を下方修正することでしょうか?」

「……俺との関係を目標から外していただけるのが、多分一番重要だと思います」

 やっぱりこの子、本質的には何も変わってない気がする。

「そしてもう1つ大事なのが息抜きだ」

 話を無理やり戻す。

「アメリカに留学している最中、俺が迎えに行くまで桐乃は全く妹ゲーをやらなかった。それがアイツの精神を抜き差しならない状態まで追い込んだのは間違いない」

 アイツは真面目すぎるから趣味の世界まで絶ってしまっていた。それは陸上への集中力を高めるためだったが、結果的に妹の首を絞める行為となった。

「うちのオヤジも仕事一筋人間だから仕事がないとやることがなくて廃人も同然だ」

「へぇ。お義父さまが」

 あやせの言葉に何か不穏なものを感じたが聞き流す。

「だからあやせ。お前も趣味を持て。自分を追い込んだり、将来廃人にならないためにも。趣味ってのは生きるために絶対に必要なんだ」

 良いこと言った。自分ではそう思う。オヤジにも引退するまでに熱中できる趣味を持つように強く言っておこう。

「つまり、お兄さんをストーキングすることを趣味にすればわたしの人生は豊かになる。そういうことですね」

「犯罪を趣味にするのはやめてください」

「じゃあ、お兄さんの出したゴミを収集するとか?」

「俺関連を趣味にするのはやめてください」

 やっぱりこの子は俺が知っているあやせそのものだ。変わってなんかない。単に自分を見失ってるだけだ。

 

「でも……お兄さん関連じゃないと、どう目標を立てたり趣味を作ればいいのかよく分かりません」

 あやせは首を力なく横に振った。

「学校の友達に聞いてみるのが一番じゃないか? 一番身近にいる人たちが何を考えて暮らしているのか知れば良い参考になると思うぞ」

「わたし……親しい友人は少ないんです。お昼を一緒に食べたり、たまに雑談をしたりする友達はいますけど」

 あやせは少し寂しそうに答えた。

「あやせは美人だし、真面目だし、ハイスペックなのになあ……いや、だからか」

 男からは大人気の属性。多分、そういう所が女の子と壁を作る一因になっているのだとは思う。ラノベで人気のヒロインは同性から人気がない場合が多いし。

「なら、部活に入ってみるのはどうだ? 同じ所属になることから発生する友達関係もある。部活自体が目標の設定にも繋がる」

 瑠璃と瀬菜の場合がそれに当てはまる。最初2人の仲はお世辞にも良くなかったが、一緒に部活に励む内に友達になっていった。そしてゲームコンテストは2人にとって共通の目標になっていった。そういう友達と目標との出会いがあやせにもあれば現状が変わるんじゃないだろうか。

「モデル業が不規則で忙しいので……部活は中学のころから入ったことがありませんね」

 あやせはまた寂しそうに首を横に振った。

「そういや桐乃はどうやってモデルと陸上を両立させているのか謎過ぎるな」

 エロゲーやモバゲーのやりこみ具合からしてもアイツだけ1日が48時間あるんじゃないかって気がする。

「桐乃の場合は陸上の才能が広く認められていたから。そして本人に強い意志があったから。だから、事務所側も桐乃が陸上を優先するのを認めていたのだと思います。でも、わたしの場合は……」

「軽い気持ちじゃ事務所が認めてくれないってことか」

「はい」

 あやせは小さく頷いた。

「確かに俺が事務所側の人間でも、あやせみたいな一流モデルにはたくさん仕事して欲しいって思うわな」

 だからこそ、半端な気持ちで始めるものが仕事の妨げになることを認めない。プロとしては当然の判断だろう。けれど、その当然の判断はあやせを緩やかに、けれど確実に締め上げている。

「加奈子はどうなんだ? 学校は違うけどアイツ、同じ事務所だろ? 何かアドバイスはないのか?」

 あやせ、桐乃、加奈子の3人のモデルは中学卒業後別々の高校に進んだ。そんな関係もあって自然と俺は加奈子とも疎遠になっている。あの男前は今頃何をしているだろうか?

「加奈子は料理に目覚めたとかで……メルル関連やその他のイベント以外はほとんど仕事をしていない状況です」

「へぇ。加奈子が料理にねえ」

 すごく意外だ。加奈子は家庭的なことと正反対にいそうな雰囲気、っていうか実際以前はそうだったのに。

「お姉さんの所で料理を習っていたらこれが自分の生きる道だとか悟ったとか何とかで。今は料理部に入って全国高校生料理コンクールで大賞を取るんだって息巻いてます」

「そっか。何かそういう生き方は加奈子らしくてすごいな」

 あやせに説明されると確かに加奈子らしい決断だと思う。思い切りの良さと打ち込み具合は間違いなく加奈子だ。

「はい。加奈子に遠く置いて行かれちゃった気分です。ちょっと寂しいですね」

 あやせは顔を増えた。誰に聞いたって、いい学校でいい成績取ってモデルの仕事に引っ張りダコなあやせの人生の方が羨ましがられるだろうに。このお嬢さまは本当に不器用で……だから手助けしてあげたくなる。

「じゃあ、俺からあやせに目標を課す」

「えっ?」

 キョトンと驚きながら顔を上げるあやせに告げる。

「あやせは今年中に部活に入って気軽に話せる友達を作れ。それが俺の課す目標だ」

 お節介だとは思ったがあやせの人生が良い方向に迎えるように手掛かりを提示する。

「何部、とかないんですか?」

 あやせはちょっと戸惑っている。

「どこに入るかは自由。気に入った部活がなければ自分で作ればいい。そこら辺も踏まえてあやせが自分で決めればいい」

「黒猫さんに比べて条件が随分厳しい気がしますけど。確か黒猫さんの部活選びではお兄さんが一緒に付いて行って、一緒に入部したとか」

 あやせはちょっと不満顔。

「そりゃあアイツはわざわざ俺と同じ高校を選んでくれた大切な後輩だからな。彼女だし」

「わたしの年齢がもう1歳上だったら……わたしだってお兄さんの後輩になってたのにぃ」

 力なくうな垂れるあやせ。

「まあそういうわけで前提条件が違う以上、俺の手伝いはより間接的なものになるのは仕方ない。受け入れてくれ」

「お兄さんはわたしのことを今でもエンジェルとか呼んだくせに、いつも肝心な所では厳しく突き放しますよね。差別を感じます」

 あやせは唇を尖らせた。

「でもまあいいです。せっかくお兄さんが設定してくださった目標。後生大事に抱えて達成したいと思います」

 あやせは小さく笑みを浮かべながら立ち上がった。

「わたしは後10年はお兄さんのことが一途に好きで居続ける確信も持てましたし。今日はこれで失礼します」

 あやせは丁寧に頭を下げた。

「あ、ああ……」

 何かとんでもない爆弾を設置してしまったんじゃ。そんな悪寒が晴れない。

「わたしと不倫したくなったらいつでも呼んでくださいね。番号替わってませんから♪」

 ニッコリと微笑むあやせ。

「その件はその、間に合っておりますので」

「それではお兄さん。また今度お会いしましょう」

 あやせは出会った時よりスッキリした表情で俺の元を去っていった。

 

 あやせがいなくなって3分ほど経って、ブランコに座ったままだった俺は携帯を取り出した。そして迷わずに登録番号を押す。

『今、バイト中なのよ。どうしたの?』

 古本屋でアルバイトの最中の瑠璃が出た。

「いや。ちょっと声が聞きたくなったんだ」

 無性に瑠璃と話したかった。

『…………浮気でもしたのかしら? だとしたら、すごく怒るわよ。わんわん泣くわよ』

 女の勘は鋭い。

「浮気なんてしてないよ。だから、その……瑠璃の声が聞きたかったんだよ」

『バイト中だと言うのに……困ったオスね。今はお客さんもいないから、少しぐらいなら話し相手になってあげてもいいわよ』

『じゃあさ……その、最近面白かったアニメの話でもしようぜ』

 それから俺は30分ほど瑠璃と電話で取り留めのない会話をした。

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「きょうちゃ〜ん。久しぶり〜」

 あやせと別れた後に駅前に辿り着くと、駅から歩いてくる麻奈実に偶然出会った。

「よおっ、久しぶりだな」

 右手を挙げて挨拶する。

 同じ大学に通っているとはいえ、学部が違うので麻奈実と会うことは滅多にない。夏休みに入って麻奈実は実家の手伝い。俺はバイトと忙しく過ごす場所が異なったので尚更会う機会は減っていた。

 とはいえ、会う機会が減ったからと言っても俺たちの関係が簡単に変わるわけじゃない。

 そんなヤワな関係じゃ、俺たちの15年以上の付き合いは語れない。

「うん。今日はねぇ〜お得意さんのお菓子を届けに東京まで行ってたんだよぉ」

 大学生になって伸ばし始めた髪を翻しながら麻奈実は笑った。

 麻奈実は大学生になって田村屋和菓子店の経営にも本格的に参与するようになった。麻奈実の介入後に店は宣伝に力を入れてご近所以外の顧客を伸ばしている。

「きょうちゃんは駅に来たってことはこれからお仕事?」

「うんにゃ。これから駅前のどっかの店で水着を買おうと思ってな」

「水着?」

 麻奈実は首を傾げた。

「ああ。明日…………瑠璃と海に行こうと思ってな」

 ちょっと戸惑ったけど麻奈実には本当のことを話しておこうと思った。それが幼馴染への義務かなと瞬間的に考えが湧き出たから。

「もしかして…お泊りで?」

「…………ああ」

 答えるのが何かむず痒い。

「きょうちゃんと黒猫さんはちゃんと仲良くやってるんだねぇ。えへへへ」

 俺の顔を見ながら麻奈実がなんかニヤついている。

「何でそんなニヤついてるんだよ?」

「若いっていいなぁ〜って思って。うふふふ」

 サザエさんみたいな笑いまで発する始末。

「麻奈実は俺と黒猫が付き合い始めても変わらないよな」

 俺が以前のように麻奈実と接することができるのは、コイツが以前と同じように接してくれる所が大きい。それにはすごく感謝している。

「そんなことないよぉ」

 麻奈実は首を横に振った。

「きょうちゃんが黒猫さんともう1度付き合い始めた時にはわたしにも結構な葛藤があったんだよぉ」

「そうなのか? 全然そんな風に見えなかったが」

 俺の記憶に残っている麻奈実は黒猫との再度の交際を告げた時

『おめでとう……きょうちゃん』

 俺を優しく祝って微笑んでくれた。あの笑顔は今も俺の胸に焼きついている。

「だってわたしきょうちゃんのこと大好きだから。これできょうちゃんのお嫁さんになれなくなっちゃって何日も泣き明かしたんだよぉ」

「そ、そうだったのか……」

 麻奈実が俺のことを好きなのは知っている。ただどういう意味での好きなのか深く考えたことがなかった。

「あっ、きょうちゃん。わたしがきょうちゃんとの結婚を考えるぐらいに好きだとは知らなかったって顔をしてるよぉ」

 麻奈実がまたニヤニヤしながら俺を見ている。

「へいへい。どうせ俺は女心に鈍感ですよ」

「まったくその通りだよねえ。きょうちゃんが鈍感すぎるから何人の女の子が影で泣いたのかなぁ?」

「…………そんなにモテる男ではないと思います。はい」

 先ほどまで会っていたあやせの顔が脳裏を過ぎった。

「少なくともわたしやあやせちゃんは泣いたよ。後……ちゃんもね」

 麻奈実の言葉はちょっとキツかった。

「でもちゃんときょうちゃんは自分で答えを出したもんね。えらいえらい」

 麻奈実は俺の頭を背伸びしながら撫でた。

「怒られてるのか褒められているのかよく分からんな」

「わたしはきょうちゃんを怒っているし褒めてるんだよぉ」

「ああ。さいですか」

 こういうやり取りをできることが俺と麻奈実の関係の強みなのかもしれない。積み重ねてきた歴史が可能にするやり取りなのだ。

「……でも、きょうちゃんが選んだのが黒猫さんじゃなかったら……わたしはこんな風にきょうちゃんと気軽に話すことはできなくなってたと思うよ」

 麻奈実は小声で何かを呟いた。

「さっ、行こう。きょうちゃん♪」

 麻奈実は俺の腕を掴んできた。

「ど、どこにだよ?」

 麻奈実と腕を組む体勢になってちょっとドキドキする。麻奈実は大学生になって確実に色気が増していた。服のセンスは変わらないおばあちゃん臭いものだけど。

「そんなの一緒に水着を買いに行くに決まってるよぉ」

 麻奈実はニコニコしながら答えた。

「一緒に行くのかよ?」

「うん」

 躊躇なく頷く麻奈実。

「だってきょうちゃんのせんすに任せたら明日黒猫さんに恥を掻かせるの決定だもん」

「決定なのかよ?」

「うん」

 また麻奈実の返事には躊躇がなかった。

「わたしがきょうちゃんをはいからさんでなうなやんぐにばか受けな男の子にこーでぃねーとしてあげるから安心してね」

「その言い方はわざとなのかよっ!?」

 麻奈実の時はバブル以降動いていないのか?

「それと……彼女のいるわたくしとしては、こうして女性と腕を組んでいるというのは非常によろしくないのですが……」

 瑠璃にバレたらどうなることか。考えるだけでも怖い。

「いいのいいの♪ 黒猫さんだってわたしが相手ならきっと許してくれるよぉ」

「そんなもんか?」

「きっと2、3発引っ叩かれるぐらいで許してもらえるよぉ♪」

 麻奈実は笑顔全開。

「やっぱり引っ叩かれるんだ、俺っ」

「だってこれは明白な浮気だもん。それは仕方ないんだよぉ」

「浮気って……」

「これはきょうちゃんに振られちゃった八つ当たりも兼ねてるんだから、逃げちゃ駄目だからねぇ♪」

「ウグッ」

 麻奈実にまた痛い所を突かれた。

「分かったよ。今回は瑠璃にお仕置きされることにするさ」

 うな垂れながら頷く。

 俺が麻奈実にした仕打ちに比べれば軽いものだろう。多分。

「それじゃあ浮気お買い物つあ〜に出発♪」

「オーっ」

 麻奈実と今後も良好な関係を築くために……俺は瑠璃に怒られることにした。

 本気の浮気じゃないから……その、ビンタの威力は下げて欲しいなあ。

『不許可』

 瑠璃の心の声が聞こえた気がした。

 

 

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「きょうちゃ〜ん。まったねぇ〜♪」

 田村屋の前まで麻奈実を送って帰途に着く。

「水着や日焼け止め、サングラスなんかは無事に買えたけど……」

 俺の心はいまいち晴れない。

 理由は買い物の最中ずっと俺と麻奈実が恋人同士に勘違いされ続けたこと。

 彼女がいない状態なら嬉しいミステイクなのだろうけど。

「瑠璃に知られたらと思うと……気が重いよなあ」

 嫉妬深い彼女に先ほどの出来事が知られたら、マジ洒落になりません。

「あら? 私に何を知られたら気が重いのかしら?」

「えっ?」

 家が目前に迫ったこの状況で、聞こえちゃいけない声が聞こえた気がした。

 でも、その声を間違えるなんて俺にはあり得るはずがなくて……。

「よっ、よお。瑠璃。さっきぶりだな」

 顔を上げると俺の恋人が真正面に立っていた。バラの花があしらわれ中二病趣味にコーディングされた大きな黒いトランクを引いていつものゴスロリ装束で。

「そうね」

 瑠璃の瞳が細まる。

 …………怒ってます。確実に。

「出会って早々だが交渉といきたい」

「地獄への片道切符ならタダでプレゼントしてあげるわよ」

 麻奈実さん。話が違いますよ。

 無茶苦茶怒ってますよ、彼女。

「無駄な会話は省きたいと思う。え〜と。瑠璃さんはどこまでご存知なのでしょうか?」

 刑罰については瑠璃の情報把握具合に従って取引したいと思う。

「田村先輩から何度も写メが送られてきたわ。それにはきょうちゃんをどう料理しても私の自由だって書いてあったわ」

「麻奈実さ〜ん。俺の聞いてた話と違うっすよ、それはぁ〜〜っ!」

 麻奈実が率先して俺を売ってどうする?

「後、スイーツ2号の新垣あやせさんからもメールが来たわ。後10年は京介のことを好きでいられる自信が持てたってハートマーク付きでね。何があったのかしらね?」

 瑠璃の背中に真っ赤な炎が吹き荒れる。

「こっちだったか。怒りの本命はぁ……っ」

 瑠璃とあやせの相性を考えるとこっちの方が怒りの根源になるのは道理だった。

「マジで浮気とかそんなん全然ありませんから」

「聞く耳を持たないわね」

 瑠璃が両手を固く握り締めた。

 叩かれることはこの際諦める。後は情状酌量を請うのみ。

 

「その、右頬でご勘弁願えるでしょうか?」

 これ以上怒りが蓄積されない内に刑の執行を望む。

「いいえ」

 瑠璃は首を横に振った。

「では、左頬では?」

 瑠璃は再び首を振った。

「この流れはもしかして…………オラオラでしょうか? 再起不能のTo Be Continuedになるのでしょうか?」

 ガタガタと震えながら尋ねる。

「京介が望むのなら地獄への片道切符をタダであげると言ったはずよね?」

 瑠璃の鋭い眼光が俺を捉えて離さない。

「わぁ〜っ! ごめんなさいごめんなさいっ! あやせとは相談に乗っていただけなんですっ! 麻奈実とは昔馴染みで一緒に買い物しただけなんですっ! 信じてくださ〜い!」

 顔を両手でガードしながら必死に謝る。

「その怖がられ方は私がDVドキュン女みたいに認識されているみたいで不快だわ」

 瑠璃は頬をプクッと膨らませた。

「そして今日の貴方は日向も含めて私ではない他の女とばっかりたくさんお話して不愉快だわ」

 瑠璃は腕を組んで顔を俺から逸らしながら怒ってますというポーズを採った。

「私はとっても拗ねているわ」

「えっと……」

 この空気の流れはもしかして……。

「今回特別に私の怒りを解いて欲しければ、それなりのお願いの仕方ってものがあるんじゃないの?」

 挑発的な視線を送ってくる瑠璃。

 間違いない。

 これは、アレを要求されている。

 

「悪かったよ、瑠璃」

 @正面に回って瑠璃の両肩を抱く。

「本当に悪かったと思っているのかしら? 田村先輩や新垣さんに今でも好意を抱かれていて内心では小躍りしているのではないの?」

 A瑠璃は顔を俺から反らす。

「確かに麻奈実たちに良く思ってもらってて嬉しく思っているのは事実だよ。でもな、俺が愛している女は瑠璃だけだ」

 B瑠璃の顎に手を添えて正面を向かせる。

「浮気者がよく言うわね」

 Cツンを続ける瑠璃。

「2人と話していてよく分かったんだ。俺にとって特別な子は瑠璃だけだって」

 D拗ねる瑠璃の唇をちょっと強引に奪う。

「…………今回だけは特別に許してあげるわ。私もあの2人にはちょっと…申し訳ないことをしたと思ってるし」

 E瑠璃からお許しが出る

「今回もまとめてワンセットが通じて助かったぁ。お約束、備えあれば憂いなしってな」

「図に乗るんじゃないわよ」

 F瑠璃からチョップが入る。

 

「あ〜京介、瑠璃くん。愛を確かめ合うのはせめて家の中に入ってからにしてくれないか? なかなかどうしてご近所というものは侮れないからな」

 半分開かれた玄関から首だけ出しているオヤジと目が合う。

「って、オヤジっ!? 覗いてたのかよっ!?」

「なぁっ!?」

 真っ赤になって硬直する瑠璃。

 本当に昨夜と同じ展開だった。

「玄関前でやり取りする声が聞こえたからな。万が一の事件に備えて情報収集を図るのは警察官として当然のことだろう」

 オヤジはごく済ました顔でそう言い切る。職業柄当然のことだと。

 けど、それは覗かれる俺らにしてみれば溜まったものではなかった。

 昨日日向ちゃんに覗かれていたのより数倍恥ずかしい。

「あ、ああ、あのっ。お義父さま」

 ギクシャクした動作で瑠璃が1歩前に出る。コイツは俺や桐乃には中二病全開で尊大な態度を取るくせにオヤジやおふくろにはやたら従順で弱いのだ。

「瑠璃くん……」

「はっ、はいっ」

 直立不動でオヤジの言葉を待つ瑠璃。

「出来の悪い息子で済まないが……京介をよろしく頼む」

 オヤジは瑠璃に向かって頭を下げた。

「はっ、はいっ!!」

 答える瑠璃はとても興奮した声を出していた。そしてその顔は俺でも滅多に見たことがないぐらいに上機嫌だった。

 瑠璃が“家族”という枠組みをとても大事にしていることが見える一コマ。

「わ、私、今晩は夕食を準備するために参上いたしました」

 興奮冷めやらぬまま瑠璃はオヤジに訴える。

「夕食? おふくろは?」

「お義母さまからメールを頂いたのよ。私に今日の高坂家の夕飯をお願いしたいって」

「またか……あの家事を放棄した専業主婦め」

「主婦友達と一緒にディナーまで食べてくるそうだ」

 瑠璃がこの家にやって来る時は結構な割合でおふくろからの呼び出しだったりする。

 瑠璃は俺からの呼び出しは忙しいと無視するものの、おふくろからの呼び出しには100%応える。瑠璃がそんな風に従順なものだから、おふくろは図に乗って今みたいにより一層家事を放棄するようになる。

 家事をしない専業主婦はニートとは違うし、新しい造語が必要なんじゃないだろうか。

「じゃあ、そのでかい荷物は?」

 夕飯を作るのにこんな大きなトランクは必要ない。

「今夜は京介の所に泊まるわ。それで明日は一緒に旅行に出れば待ち合わせとかの手間は省けるでしょ」

 瑠璃の答えは簡潔だった。

「…………オヤジの前で随分大胆だな」

 俺は瑠璃の返答にちょっとドキドキしている。

「私の宿泊を勧めてくれたのはお義母さまよ。京介の部屋で泊まるついでに明日の朝食の準備もお願いしたいって」

「あの人の頭には楽することしかないのか!?」

 如何にもおふくろ的な思考だった。

「まっ、母さんが認めているのだし、構わないだろう」

 オヤジは以外にも瑠璃の外泊宣言を認めてくれた。

 まあ、瑠璃はもう何度も高坂家で夜を明かした前例があるから今更禁止するのも変な話ではあるのだけど。

「瑠璃くんもご家族にちゃんと許可は取っているのだろう?」

「はい」

 瑠璃は頷いてみせた。

「京介さんが私の父と旅行が終わったら1対1で飲み合いながら旅行の報告を行うことを条件に快諾してくれましたわ」

 俺の彼女は小さく笑った。とても可愛らしい微笑み。でも……。

「って、俺はまたお義父さんと飲まなくちゃいけないのかよっ!?」

 何故俺に関する重大な要件が俺の知らない所で次々と決まっていくんだ!?

 あまりにも悲劇的な展開だった。また胃が痛くなる……。

「頑張ってね」

 可愛くウインクしてみせる瑠璃。

「粗相のないようにしろよ」

 お義父さんとの飲み会をあっさり認めちゃってるオヤジ。アンタの息子はまだ19歳。未成年ですよぉ。

「そういうわけで、今夜の夕食は私が準備させていただきます」

「本当にいつも済まないな、瑠璃くん」

「俺は旅行前に何だか気が重くなったよ」

 瑠璃のトランクを俺が代わりに引きながら家の中へと入る。

「京介はトランクを私たちの部屋に置いてきて頂戴。その間に私はご飯を炊く準備をするわ」

「へいへい」

 “俺”の部屋ではなく“私たち”の部屋と言っている部分にはいちいちツッコミを入れない。瑠璃が泊まりに来る時はいつもそんな感じだし。実際に俺のタンスの引き出しの1段分は瑠璃の衣服が入っている。

「それから荷物を置いたらすぐに下に降りてきて頂戴。夕飯の買い物にすぐ出かけるわよ」

「えっ? もう準備しているんじゃないのか?」

 瑠璃はうちで夕飯を作る時に材料を持参して現れるのが普通。買い物にまだ行っていないのは珍しいことだった。

「京介は今日……田村先輩と買い物に行ったのでしょ? 私は今日まだ一緒に買い物してないわ」

 瑠璃が拗ねた声を出した。

「分かったよ。俺も瑠璃をスーパーまでエスコートしたいと思ってた所なんだ」

 妬いている瑠璃のご機嫌を取ること。それは俺にとって一番必要なことに違いなかった。

「お義父さま。そういうわけで夕飯が少し遅れてしまいます。申し訳ありません」

 瑠璃はオヤジに向かって丁寧に頭を下げる。

「家内安全が一番だからな。問題はない」

 自分で一切飯の支度ができないオヤジは仰々しく頷いた。

「それじゃあ京介。すぐに荷物を置いてきて頂戴」

「分かったよ」

 トランクを持ち上げて階段を上る。トランクってのは平地の移動には便利だが、持ち上げて運ぶのは何とも面倒だ。

「買い物に行く時は腕を組んで歩くのを忘れないで頂戴。今から言っておくわよ」

「へいへい」

 瑠璃は麻奈実への対抗心でいっぱいのようだった。

 俺は、俺だけのお姫さまの機嫌をどうやって取るか考えながら階段を登っていくのだった。

 

 

 つづく

 

 

 

 

 

説明
京介さんと瑠璃さんが旅行に向かう過程を描くノープロット物語の第2話
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黒猫 高坂京介 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 

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