俺妹 海へ3
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俺妹 海へ3

 

 

 あやせの相談に乗り、麻奈実と買い物に行ったのがバレて嫉妬した瑠璃が泊まっていくことになった。

 

 

「アレっ? 瑠璃……? どこ行った?」

 朝起きて、一緒に寝ていたはずの彼女がいないという現状に肝を冷やす。

 特に俺の場合、1度は瑠璃の手を放してしまったという前科がある。だからその分、彼女が急にいなくなることに強い恐れを抱いている。

 タオルケットを蹴飛ばしながら起き上がる。慌てて周囲を確認する。

「あっ」

瑠璃の中二病趣味全開の黒いトランクがあるのを見てホッとする。

 どうやら帰ってしまったわけではないらしい。となると、どこにいるのか?

「6時半……朝食の準備中か」

 時刻から推察するに朝食の準備中に違いなかった。

 うちのお母君は家事をしない専業主婦という困ったポジションを獲得しつつある。瑠璃がこの家にいる時はまるで家事をしない。

 瑠璃の作る食事はおふくろのものより遥かに美味しくバリエーションも多い。だから、それ自体に不満はない。のだが、まだ嫁入り前の他人様の娘をこき使うのは如何なものか。

 まあ、瑠璃は高坂家の嫁として認められるのが嬉しいみたいで嬉々として働いている。なので今の所問題はないのだが。

「一方で、高坂家の実の娘は家事一般に一切向いてませんけどねえ」

 現在合宿中の妹の破滅的料理能力を思い出しながら桐乃の部屋の方角をジト目で睨む。

 勉強、陸上、容姿に極めて優れた資質を見せる桐乃。だが、その一見完璧超人さまは家事一切がまるでダメという漫画のヒロインのような特徴を有している。

 料理を作らせれば救急車が出動される事態に陥るので台所への1人での立ち入りは禁止されている始末。

 また割とガサツな性格なので洗濯をさせてもよく服をダメにしてしまう。何度言っても洗濯機の洗い方の違いを理解しない。四角い部屋を丸く掃除する技能の持ち主。

 そんな感じなのでおふくろは桐乃には家事を期待していない。で、そのこともあって瑠璃に期待を寄せているという事情に繋がる。

 

「瑠璃にばっかり働かせて俺が寝なおすってわけにもいかないよな」

 洗顔して着替え直すことにする。

 ちなみに……パジャマは着ている。

 昨夜同じベッドに入った瑠璃と色々あったことは否定しない。恋人同士なんだし。

 けれどそのまま寝てしまうということはせずちゃんとパジャマに着替えてから寝ている。

 理由は色々あるのだが、桐乃対策という面が一番大きい。

 この部屋の壁はとても薄い。ちょっとした声でも隣にすぐ聞こえてしまう。

 瑠璃がこの部屋に泊まって、俺たちが何をしているのか妹に悟られないというのは事実上不可能だったりする。

 アイツもさすがに夜中に部屋に乱入してくることはない。その程度のマナーと羞恥心はあの傍らに人無きが如しも持っている。

 だが奴は代わりに朝駆けを仕掛けてくる。

 早朝、2人で寝ていると嫌がらせのように部屋の中に入り込んでくることがある。

 で、その際に2人とも素っ裸だったりするとものすごく怒られる。正座で説教される。

 そんなこんなで俺と瑠璃は寝る時には必ずパジャマに着替え直すようにしている。

「そう言えば桐乃はいないってのに……変な習慣が身についてしまったな」

 頭を掻きながらベッドから降りる。

 視界に瑠璃のトランクが再び入る。

「今日から旅行か……楽しみだな」

 少し興奮している自分がいた。

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「それで瑠璃さんはいつうちにお嫁に来てくれるのかしら? 私は今日でもいいわよ♪」

 桐乃の代わりに瑠璃が加わった高坂家4人家族での朝食。燦然と並ぶおかずの数々を見ながらおふくろは上機嫌に瑠璃へと尋ねる。

「それは京介さん次第ですね。京介さんにプロポーズしていただかないと」

 一方で瑠璃は目を薄く瞑って味噌汁の味を確かめながら俺へと話を振り直す。

「で、京介はいつ結婚する気なの? さっさとしなさいよ」

 俺に向かってはやたら高圧的に言い放つおふくろ。この人は本当に自分の楽隠居の欲望に素直だ。

「あのなあ……俺は大学生で瑠璃は高校生なんだぞ」

 おふくろの話を一刀両断する。

「京介は19歳で瑠璃さんは17歳。十分結婚できる年齢じゃないの」

 瑠璃の作った煮物を頬張りながらおふくろが反論する。

「却下。瑠璃を高校中退にするわけにはいかないの」

「なら、瑠璃さんの高校卒業と同時に入籍がいいわね。それで決まりにしましょ」

「アンタなあ……」

 どうしてこの人はそんな楽がしたいのか。いや、人間だから楽したいのは分かるけどさ。専業主婦はアンタの唯一の職業だろうに。

「でも……入籍してなくても一緒に住むことはできるわよね?」 

 そしてこの人の楽への追求心は飽くことを知らない。他人様の女子高生の娘に同棲を持ちかけてきやがった。

「アンタそこまで瑠璃に家事を押し付けたいのか!」

 専業主婦の称号が泣くぞ。マジで。

「私も京介さんと一緒に住みたいのは山々なんですが……父が入籍しない状態での同棲は絶対に認めないと強く申しております」

 瑠璃がため息を吐きながら俺をチラッと意味あり気に見る。圧迫を覚える俺。

「なるほど。入籍さえしてしまえば良いわけね」

 おふくろが俺をチラッと意味あり気に見る。更に圧迫を覚える俺。

「瑠璃の高卒は絶対だからなっ!」

 抵抗の声を上げる。

 結婚願望の強い瑠璃と瑠璃を嫁にして家事から解放されたいおふくろのタッグは強力だ。

 だが負けるわけにはいかない。

 瑠璃を高校中退させて嫁としてもらいましたなんて事態になったら、世間様に何を言われるか分からない。

 

「それで瑠璃さん……孫はいつ抱かせてもらえるのかしら?」

 だが、この家の女連中はまだ諦めない。今度は孫で攻めてきた。だから17歳の少女への話題にしては不適切だとは思わないのか? 良識は死んだのか?

「残念ですが、今の所予定は立っていません」

 寂しそうな表情で返す瑠璃。桐乃とおふくろはあんまりタッグを組まない。あんまり反りが合わなかったりする。だが、この新生義理の母娘コンビは非常に厄介だ。

「ですが……京介さんは……その、あまり神経を使ってくれないので……いつ新しい命を授かってしまうのかは私にも分かりません」

 瑠璃がポッと頬を赤らめた。

「ぶほっ!?」

 飲んでいた味噌汁を思わず吐き出してしまった。オヤジの顔に味噌汁が掛かる。

「汚いぞ、京介」

 割と冷静な声でオヤジは俺を注意する。

「いや、だってよ……」

 何て言うべきなのか続きに困る。

 瑠璃が俺の部屋に寝泊りしている意味をオヤジたちが知らないわけはない。だが、その内実の一部を堂々と公開されると俺が恥ずかしさで死んでしまいそうだった。

 これは新手のイジメか? プレイなのか? S猫さんに進化したのですか?

 確かに昨夜俺は神経を使いませんでしたけど……。

「なるほどねぇ〜」

 おふくろが勝ち誇った顔を見せる。義理の母娘間でパスが通ってしまったらしい。

「瑠璃さんは、もしお腹に新しい生命を宿してしまった場合……学校とお腹の子とどっちが大事なのかしら?」

 おふくろがとても悪い表情を見せながら瑠璃に話を振る。

「奇跡にも等しく授かった命を見捨てるなんて、ましてや我が子を見捨てるなんて……私にはとてもできません。もちろんお腹の子を取ります」

 瑠璃も悪い表情を見せながらおふくろに答えた。2人とも黒っ!

「じゃあ。今すぐにでも赤ちゃんができちゃえば……瑠璃さんは、うちにお嫁に来てくれるのね♪」

「はい。お義母さま♪」

 女2人はとても眩しい笑顔で見詰め合っている。

 

「なあ、オヤジっ! 18歳未満の少女をターゲットにした良からぬ計画が進展しているぞっ! 警察官として、父親として黙っていていいのか!? あの自称専業主婦をどうにかしてくれっ!」

「諦めろ、京介。お前はこの家で19年も暮らしてきて、未だに高坂家の男は無力だと悟れんのか?」

 オヤジは新聞を広げながら俺の話を遮断する。

「それに、ソレはお前が注意すれば防げる話だろうが」

「まあ……そうなんだけどよ……」

 言葉に詰まる。オヤジの言う通りだった。というか、その辺の責任は全て俺にある。瑠璃を責めることなんてできない。

「京介。就職する時は多少お給料安くてもいいから、この家から通えて転勤のない会社にして頂戴よね」

 一方でおふくろの攻勢はまだ続く。

「何故に俺の就職先まで決め付けるんだ?」

「何を言っているのかしら? アンタが長男だから、わざわざこの家での同居を認めてあげるって言うのよ。家賃が丸々浮くのだから感謝なさい」

 おふくろはふんぞり返った。

「もし東京にアパートを借りて私たち夫婦で住もうものなら……家賃と光熱費だけで最低10万は飛ぶわね」

 瑠璃が援護射撃を放つ。

「年間で120万、か……」

具体的な金額が付けられると弱い。

 俺の能力と性格上、ガッポガッポ稼げそうな会社には入れそうにない。入れてもそういう所では長続きしないだろう。

 となると、多少給料は下がっても実家オプションは魅力的だ。特に……大学を卒業する前に嫁さんと一緒に住むことが約束されてしまっている俺には。でも、でもだ……。

「でも、瑠璃はそれでいいのか? 毎日毎日おふくろにこき使われることになるぞ」

 世の女性たちが夫の親との同居を拒む一番の理由は、結局面倒臭いから。瑠璃だって同居は面倒なんじゃないのか?

「私は現在進行形で毎日五更の実家の家事を取り仕切っているのよ。対象が高坂家に変わるだけじゃないの」

 平然と言い切った。

「そうだった。瑠璃は今時珍しい、幼い頃から全部自分で家事をこなしてしまう女の子だった……」

 幼い頃から家事を取り仕切っていた経験からくる強み。

「さあ、いい加減に観念なさい、京介。もう堀は埋まっているのよ」

 おふくろは更に態度がでかくなっている。

「堀が埋まってようが、今すぐ結婚はなしだ。瑠璃へのポロポーズ・タイミングは俺が決めるっ!」

 堂々と言い放つ。

「なら、その時を楽しみに待っているわ。できるだけ早い方が嬉しいのだけど」

 瑠璃はちょっとだけ嬉しそうに朝食を再開した。

 

 結局は俺次第。

 瑠璃の最初の返答にして、とても分かり易い所に話は落ち着いたのだった。

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「こうしてみると、学生は夏休みでも社会人には関係ないんだなあってしみじみ思う」

 午前8時。千葉から東京へと向かう電車(総武本線快速)の中がギッシリと人で埋まっているのを見て、学生という存在が如何に恵まれているのかを認識し直す。

 千葉から乗ってきたので2人で座ることができた。けれど、この車両には現在立っている社会人たちで溢れている。

「そうね。主婦にも夏休みは関係ないのだけど」

 瑠璃はスマホでメールや知り合いのブログをチェックしながら答える。

 高坂家では朝早く食事の支度をして片づけが終わると早々に家を出たのでチェックしている暇がなかったらしい。

「何か瑠璃に言われると耳が痛い」

「妹が幼いから日曜だろうが長期休暇だろうがお正月だろうが毎日3食決まった時間に食事を準備するのが鉄則だもの。家事には休みって概念が存在しないのよ」

「夏休みを満喫しててすんませんでしたぁ」

 瑠璃に頭を下げる。2歳年下の少女は俺よりも遥かにドライな空間に生きている。それはこういう日常に関するやり取りでこそ見える。

 重度な中二病のせいで隠されているが、瑠璃は誰よりも人間臭さに溢れた子だ。

 もしかすると瑠璃が中二病にこだわっている理由は、同世代の誰よりも人間の生活をよく理解している裏返しなのかも知れない。

「そういやさ」

「何?」

 スマホをチェックし終えた瑠璃が顔を上げる。

「瑠璃のおじさんが経営している静岡の海辺の民宿って……具体的にはどこのことなんだ?」

 今回、宿泊の手配は瑠璃に任せたので具体的なことを何も知らなかったりする。

「言ってなかったかしら? 伊東よ」

「おおっ。温泉地として有名な伊東かぁ」

 伊東へ行くなら……あのCMが思い浮かぶ。

 瑠璃と一緒に温泉入浴タイム。そんな欲望がフツフツと膨れ上がってくる。

「オスの欲望丸出しの顔になっている所を申し訳ないのだけど。おじさんの民宿は温泉からも駅からもちょっと距離があるわよ」

 瑠璃が軽蔑の視線を送ってくる。

「いやいやいや、一見さんでも入れる温泉に入ればいいだろ」

「そういう場所で混浴はないわよ」

「ならば瑠璃の水着姿を堪能するまで。そして男女別々でもいいから温泉に入っている瑠璃を妄想したい」

「……昨夜あんなに私の肌を凝視したのに……まだ満足できないの?」

 瑠璃が顔を真っ赤にした。

「俺の瑠璃への欲望に限りなんてないさっ」

 白い歯を光らせながら爽やかに決めてみせる。

「……ここは満員電車の中なのよ……馬鹿」

 恥ずかしがる瑠璃が可愛かった。

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 東京の地理に詳しくない人に一応説明しておく。

 東京の交通の大動脈となっている東京駅と秋葉原駅は近い。距離にして約2km。山手線なら2駅、京浜東北線なら1駅。

 故にオタ属性を持つ者にとっては、東京駅に着くとは秋葉原に到着することとほぼ同義語となる。

 ましてや瑠璃ほどのつわものとなると……終点である東京駅まで乗らず、途中の錦糸町で降りてJR総武線(各駅停車)に乗り換えて全く時間をロスすることなく秋葉原に到着してしまう。

「って、何でナチュラルに秋葉原に寄ってんだよ!? 俺たちこれから旅行に行くんだろうがっ!」

 改札を出て電気街口に辿り着いた所でツッコミの声を上げる。

「あらっ? せっかく東京まで来たのだもの。秋葉原に寄るのは当然のことでしょ」

 瑠璃はごく平然としている。こういう迷いのなさこそが、彼女が如何にこの街に魂を引かれてしまった者であるのか物語っている。

「けどなあ。まだ8時20分だぞ。店なんかほとんど開いてないだろうが」

 一部のレストランや24時間営業店を除いてほとんどの店がいまだシャッターを閉めている。見学できるような場所もほとんどない。

「別に何か買いに来たわけではないのだもの。店が開いてるかどうかなんて関係ないわ」

 瑠璃はまたごく自然に言い切った。

「じゃあ、何で?」

「私はこの街にくるとそれだけで安心するのよ。だから用はなくてもくるのよ」

 柔和な笑みを見せる瑠璃。

「ここはそんなアットホームな空間かねえ?」

 電気街口の外を見れば、視界のそこかしこに萌えキャラが溢れている。ここがホームタウンって人間としてどうだろうか?

「貴方だって本当は分かっているんじゃないの? ここがホームタウンだって」

「そうか? そこまで俺はオタクに染まってないと思うんだが……」

 俺はアニメもエロゲーも好きだ。でも、瑠璃のように重度の中二病に掛かったり、桐乃のように重課金廃人に陥るまで入れ込むということはない。

 その辺のバランスのおかげで大学にも入れたし、瑠璃という彼女も得ることができたと思っている。要するにライトオタクってやつだ。

「それじゃあ秋葉原と渋谷や原宿や新宿や池袋や赤坂などの街を比べて、どこにいると一番落ち着くの?」

「そうだな……」

 考えてみる。

 街というのはそれぞれ性格が出る。秋葉原がオタク街で電気街と思われているように。

 俺だって、桐乃の人生相談に乗る前は、秋葉原は避ける対象として見ていた。代わりにお洒落な若者の街として認識されている渋谷や原宿を好んでいた。でも今は……

「瑠璃の言う通りだ。今はこの街にいるのが一番楽だ。確かに楽だな」

 言われてみると納得の結果。俺のオタ要素もあるものの、何よりここは……。

「瑠璃と初めて出会えた場所だもんな。俺がここを嫌いになるはずがない」

 そう。ここに俺にとって最もかけがえのない人に出会えた場所。

 この街がなければ俺は……ずっとくすぶった生活を続けていたのかもしれない。

「そうね。この街は私に運命を与えてくれた場所だもの。とても大切な街よ」

 照れた瑠璃が抱きついて左腕を組んできた。

「その……嬉しいんだが……両手が荷物で埋まっている現状だと動きづらいんだが?」

 今の俺は2人分の荷物を持って移動中。体重を掛けられるとちょっとバランスが悪い。

「気分がいいんだから……こうさせなさい」

 瑠璃の笑顔が眩しくて。

「そうだな」

 俺は不自由な姿勢でいることを受け入れた。

 

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 瑠璃の秋葉原が俺たちのホームタウンという考えには共感する。

 だが、だからといってそれは、夏休み中とはいえ平日の店も開いてない朝早くからこの街をうろつく人間の怪しさを軽減してくれはしない。

「あっ! 五更さんと高坂先輩じゃないですかぁ〜♪ お〜い」

 中央通りを瑠璃と2人で歩いていると、片側3車線の比較的大きな道路の向かい側からメガネ少女とその彼氏とおぼしき小柄な男が手を振っているのが見えた。

「赤城瀬菜と真壁先輩ね」

 瑠璃は俺よりも早く手を振っている2人が何者なのか見て取った。

「まあ、この街で声を掛けてくるんだからオタクの血族に決まってるよな」

 基本、この街にいる一般人は自分をアピールすることをしない。オタクと思われたくないから。

 けれど、オタクとして思われたくないばかりに、やたらと自分が一般人であることを主張し、オタを見下す言動を取る困った奴もいる。

 そういう輩は、特に何も言わないオタクたちが、内面でどれだけ冷淡にその者を見ているのか知った方がいい。馬鹿にしているつもりが馬鹿にされる対象にしかなっていない。

 オタクに対して特に何も知らない奴が馬鹿にするとはそういうことなのだ。

 

 信号を渡って瀬菜たちと合流する。

「おはようございます」

 ゲーム研究会の後輩だった瀬菜は俺たちを見ながら満面の笑みを浮かべた。秋葉原を朝からうろつく剛の者同士、通じるものは確かにある。残念同士とも言う。

 彼女は俺が大量の荷物を持っていることに気付いた。

「ご夫婦で旅行ですか?」

 瑠璃の中二病デコが施されたトランクを見ながら瀬菜が質問してきた。

「ああ。今日から瑠璃のおじさんが伊東でやってる民宿に行ってくる」

 夫婦という単語にはもう一々反応しない。高校時代の知り合いにはもうそういうものとして認識されているから。

 瑠璃も否定しないので『高坂夫婦』として通っている。ちょっと誇らしかったりもする。

「伊東ってことは温泉で五更さんとハレンチなことをするつもりなんですね。エロ同人みたいに♪ エロ同人みたいに♪ 大事なことなので2回言いました」

 瀬菜のすごい所は普段は常識人ぶっているくせに、遠慮が要らない相手だと認識すると女子高生とは思えないセクハラを連発する点だ。まあ、深夜アニメによくいそうなキャラクターと言えなくもないが。

「俺もそれを考えたのだが……温泉でハレンチはダメっぽい」

 そしてそんな瀬菜の潔い態度に答えて、俺も爽やかに返答する。

「貴方たち……公衆の往来で何を馬鹿な話をしているわけ?」

 瑠璃が白い目で俺たちを睨む。

「やっぱり五更さんのおっぱいが小さいから一緒に温泉に入ってくれないんですね。高坂夫先輩可哀想に……」

 瀬菜は小さくため息を吐く。

「いやいやいや。おっぱいは大きさだけではないんだぞ。昨晩の瑠璃はそれはもう可愛らしい反応を見せてくれたもんだ」

「えっ? 昨日五更さんがお泊りしているんなら、別に改めて旅行に行かなくてもいいんじゃ?」

「分かってないな、瀬菜くんよ。円満夫婦であっても特別な刺激、特別な記念は常に欲しいものなのだよ」

「じゃあ、エッチ目的の旅行ではないと?」

「それはそれ。これはこれだ」

「いい加減にしなさい、2人ともっ!」

 瑠璃の鉄拳制裁が俺と瀬菜を襲った。

 

「いいですね、高坂先輩は。五更さんと仲睦まじいようで……」

 後頭部を痛打されて頭を押さえていると哀愁に満ちた真壁くんと目が合った。

「真壁くんは……瀬菜と上手くいってないのか?」

 真壁くんと瀬菜は半年ほど前から付き合っている。

 倦怠期でも迎えているのだろうか?

「上手くいってないって言うか……付き合って半年になるのに、付き合う前と何も変わらない関係っていうか……」

 真壁くんが死んだ魚の目で黄昏ている。

「まだ、エッチしてないの?」

 瀬菜を見る。瑠璃にはどう間違っても存在しない、F……いや、Gカップクラスのお胸さまが存在する。

 そんな女の子としての魅力に溢れた彼女に手を出さないなんてあり得るのだろうか?

「エッチどころかキスも……」

 真壁くんは今にも世界に溶けてしまいそうなか細い存在感でボソッと答えた。

「貴方はさっきから何を聞いているのよ……この変態」

 瑠璃のパンチが脇腹に決まる。かなり痛い。うちの嫁は妹に感化されて割りと暴力的だ。

「あ〜何か勘違いされても困るんで先に言っておきますよ」

 瀬菜が話に加わってきた。

「私は真壁先輩と良好なお付き合いを続けてますよ。先輩のことが好きですし」

「じゃあもっとスキンシップしてやったらどうだ? せめてキスぐらい」

 真壁くんの背中が煤けている。

「分かってないですねぇ。高坂夫先輩は」

 瀬菜はチッチッチと指を横に振ってみせた。

「その呼び名、微妙に嫌なんだが」

 瀬菜は俺の抗議を軽く無視する。

「真壁先輩はですね……童貞非処女だからこそ輝くんですよ。それを捨てるなんてもったいないですよっ!」

 超腐ってる腐女子はその本領を発揮してくれた。

「私という彼女がいるのにも関わらず、複数の男たちから毎日肉便器扱いをされ続ける真壁先輩。彼女には触れることも叶わずに男たちの慰み物として白濁と絶望の中へと堕ちていく。これって最高に萌えますよねっ!」

「萌えねえよっ!」

 超腐った女に一般常識を求めるだけ無駄なのかもしれない。

「私の脳内では高坂夫さんは今月だけで真壁先輩を3回呼び出して路地裏レイプしています。全く容赦がありません」

「気持ち悪いことを言うなっ!」

「お兄ちゃんも、私を盗られた腹いせに真壁先輩を週に3日は呼び出しては輪姦レイプを実施しています。サッカー部の部室はもう大変なことになっているんですよ!」

「お前もう……喋るな」

 真壁くんの絶望の一端が垣間見れた気がした。

「瀬菜ちゃんのお兄さんには……殺すって何度もリアルに脅されてます……」

 真壁くんは思った以上に難儀の道を歩いているようだった。

「そうか……大変なんだな」

「…………はい」

 真壁くんの背中が煤けて見えた。

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「で、何で真壁くんたちはこんな朝早くからアキバにいるんだ?」

 昼間以外の時間を秋葉原で過ごす時に重要なこと。それは24時間、またはそれに近い長時間営業を行っているファミレスの位置をよく把握しておくことだ。特に夜中、変な場所でたむろしていると親切な警察官とフレンドリーになる機会を得てしまう。

 ちなみに秋葉原を警備する親切な警察官は服装を基準にフレンドリーに話しかけてくる傾向がある。従って秋葉原をうろつく時は文字通り紳士淑女な服装をしているのが無難だ。

 さて、話を戻すと秋葉原にも長時間営業のレストランは幾つか存在する。例えばデミーズでありCOCQ’Sでありシャイゼリアでありジョニャサンなどがそれに該当する。

 路上で馬鹿トークを続けたことを瑠璃に怒られたこともあって、俺たち4人は末広町駅付近のジョニャサンへと移動していた。

 で、真壁くんたちが用もないのに秋葉原に朝からやってきる瑠璃クラスの戦闘力の持ち主なのか確認中。

「秋葉原の空気を定期的に補充しないと肺が焼けてしまうからよね。分かるわ」

 瑠璃の説明がさっきより悪化した。ここは腐海か。いや、瀬菜的に間違っていないだ。

「そんな理由で秋葉原に来るのは中二病の五更さんぐらいですって。あっはっはっは」

 そしてそんな病んだ説明を簡単に笑い飛ばす瀬菜。

「実は昨夜部長に急な呼び出しを掛けられまして。で、朝からこの街までやってきたわけなんですよ」

 真壁くんは苦笑いを浮かべる。

「部長ってゲーム研究会の三浦部長のことか?」

「ええ。そうです」

「夏コミの時は、瑠璃のサークルと参加日時が違ってて会えなかったからなあ。懐かしい」

 今年の夏コミはそれぞれの忙しく3日間の中で俺と瑠璃が参加したのはサークル参加の1日だけだった。そのせいでオタ仲間同士の久しぶりの再会ができなかった。

「で、部長は元気にしてるのか?」

 正確には三浦部長はもう卒業したのでゲーム研究会の部長ではない。今の部長は真壁くんだ。でも、あのメガネオタクのキャラが濃すぎて俺たちは今でも三浦部長を部長と呼んでいる。

「元気って言いますか……」

「あの人の場合、元気すぎるのが問題なんですよ」

 真壁くんと瀬菜は揃ってため息を吐いた。はて、このため息はどういうことだろう?

 

「おうっ、兄弟。五更。お前たちも来てくれたのかっ!」

 真壁くんたちと話しているとタイミングを図ったように部長が現れた。しかもラメ入りの光り輝く紫スーツ姿で。

「何すか、その格好は? ホストクラブでバイト始めたんですか?」

 冗談なのか本気なのか分からない服装。とにかく悪趣味だ。

「……醜悪だわ」

 瑠璃が目をしかめながら顔を背けた。

「いやいやいや。幾ら俺が知性溢れるメガネイケメンだからといっても、ホストクラブで三次元のババアどもの機嫌を取るような真似はせんさ。かっかっか」

 豪快に笑う部長。嫌味とは思わないらしい。

「俺が毎日スーツ姿で過ごしているのはな……大学生でいる内に起業しようと思ってるからだ」

「起業?」

 すごい言葉が飛び出てきた。

「ああ。ゲーム会社を本格的に立ち上げようと思ってな。100万本売れるシューティングゲームを作ってやる。まあ、そのための身なりを整えているってことだな」

 意気込む部長。俺と瑠璃は真壁くんと瀬菜の顔をジッと見る。2人は同時に首を横に振った。

「僕たちは必死になって部長が起業するのを止めてるんですよ」

「まず売れる同人ゲームサークルになってから会社形態にしてくださいって」

「ああ。分かるよ」

「当然の判断ね」

 俺と瑠璃は揃って頷いた。

 

 三浦部長のプログラミングセンスは決して悪くない。独学とはいえ、高校を何度も留年しながら磨き上げたスキルは瑠璃も瀬菜も一目を置いている。おそらくはプロでも通用するスキルの持ち主だ。

 だが、部長には致命的な欠点が存在する。それは好んでクソゲーを作りたがる点。言い換えればプレイヤーの神経を逆撫でるばかりでニーズを汲み取ろうと全くしないこと。

 そんな部長が現状で会社を立ち上げれば……。

「部長の作るゲームがどんなものか知らない銀行が下手に融資なんかしちゃったら……その後の取立てが恐ろしいです」

 真壁くんが頭を抱えた。

「その想像は間違っていないさ」

 自ら好んで売れないゲームを作る会社に出資していると気付いてしまったら……関係者一同にとって恐ろしい事態になるだろう。

「だからあたしたちは言ってるんですよ。とりゃのあなの同人ソフトランキングでベスト5に入るソフトを作ってからでも遅くないって」

「その通りだな」

 ランキングインするということはニーズを掴んでいることに他ならない。

 つまり2人は部長にクソゲー作りを止めろと訴えているわけだ。

「この間の夏コミの新作シューティングゲームだって全然売れなかったじゃないですか。Easy modeなのに弾幕で画面が埋まるっておかしいですよ」

 嘆く真壁くん。部長はまだそんなゲームを作っているのか。

「何を言っている? Easy modeは100時間ぐらいやり込めばクリアできるようになっている。要は根性の問題だ」

「クソゲーだって散々テストプレイの段階で非難されたのに100時間もプレイする人がどこにいるんですか? しかもそれだとNormal mode以降はどうなるんですか?」

 真壁くんは情けなくて泣きそうな表情になっている。夏コミで辛い思いをしたのかもしれない。

「Normal modeはチートして処理速度を10分の1以下に落とせば数百時間でクリアできるかもしれない。Hard modeは……まあ、なんだ。独自にパッチでも当てればクリアできるかも知れねえなあ」

「クリアできないのかよっ! 完璧にクソゲーじゃねえかっ!」

 思わずツッコミを入れてしまった。部長の作るゲームは予想以上に酷いらしい。

「クリア率0%ってのを売りにしてみたくてなぁ」

「クリアが難しいのとクリアできない仕様じゃ全然意味が違うっての!」

「無様ね」

 俺のツッコミに続いて瑠璃が大きく息を吐き出した。

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「だが、五更よ。お前さんなら分かるんじゃないのか?」

 形勢不利とみた部長は瑠璃にターゲットを絞って救援を求めてきた。

「徹頭徹尾自己満足のゲームを作りたいという想いがよぉ」

 部長はニヤっと悪い笑みを浮かべた。

 俺たちの脳裏に去年のプレゼンの風景が蘇る。

 

『超すごいオナニーを見せつけてやるだけよ』

 

 瑠璃の一世一代の名演説だった。

「ちょっと、そこのオス。何を思い出しているのよ! 不快だからその妄想を今すぐ打ち消して頂戴」

 瑠璃が真っ赤になって怒る。

「いやぁ〜あの当時はエッチな単語1つ述べるのに全身全霊の勇気を振り絞っていた瑠璃ちゃんが今では立派な大人の女になったなぁなんて……」

 昨夜のことを思い出しながら悦に浸る。

「なぁあああああああああああああああぁっ!?」

 真っ赤になって硬直する瑠璃。

 あっ。ヤバい。

 瑠璃を本気で怒らせてしまったかもしれない。

 俺たちの仲のことを家族に冷やかされるのには多少慣れてきても、友達の前でからかわれるのはまだダメだった。

「あの……瑠璃さん?」

「…………っ」

 無言のまま顔を背ける俺の彼女。旅行中にこんなご機嫌斜めでいられたのでは困る。

 何とかして機嫌を直さねば。

「ちょっと、高坂夫先輩さん。五更さん、からかい過ぎて拗ねちゃってますよ」

「分かってる。機嫌を取らなきゃいけない」

「なあ、五更を仲間に引き入れようとアクションを起こした俺は無視なのか? 俺はスルーされるのか?」

 考える。どうすれば瑠璃の機嫌を直せるか?

 

「部長が取るに足らない人間としてスルーされるのは今日に始まったことじゃないじゃないですか。いい加減に自分のキャラを理解しましょうよ」

「言ってくれるな。真壁よ……」

 

 瑠璃に中途半端な言い訳は通じない。あの毒舌に俺は対抗できないのだから。なら……。

「ごめんなさいっ!」

 テーブルに額を寄せながら謝る。これしかなかった。気難しい彼女を宥める方法は。

「…………私は友人たちの前で大変な辱しめを受けたわ。この苦しみ、ちょっとのことでは癒されないわ」

 土下座したことで口を開く程度までは許してくれた。なら、後は……。

 

「俺が調子に乗りすぎていたよ、瑠璃」

 @正面に回って瑠璃の両肩を抱く。

「本当に反省しているのかしら? 貴方はゲーム研究会の面々に私が貴方の所有物であるかの如き幻想を抱かせたかったのではなくて?

 A瑠璃は顔を俺から反らす。

「確かに俺たちの仲の良さをアピールしたかったのは事実だよ。だって、ゲーム研究会は俺たちが付き合うことになった大切な場じゃないか。俺たちの仲の良さを知ってもらいたいんだよ」

 B瑠璃の顎に手を添えて正面を向かせる。

「私を辱めた分際でよく言うわね」

 Cツンを続ける瑠璃。

「俺は瑠璃を独占し続けたい。一生手放さない。愛しているから」

 D拗ねる瑠璃の唇をちょっと強引に奪う。

「…………今回だけは特別に許してあげるわ。けど、私の友達に恥ずかしいことを吹き込むのは止めて頂戴」

 E瑠璃からお許しが出る。

「というわけで、これが俺と瑠璃の仲直りのプロセスなのでしたマル」

「だから図に乗るんじゃないわよ」

 F瑠璃からチョップが入る。

 

「五更さん……うちの学校にいた時はどうしようもない中二病患者だったのに……今じゃあすっかりバカップルなんですね」

「僕も瀬菜ちゃんとあんな風に……」

 俺たちの仲直りを見て瀬菜は口をポカンと開けて呆然とし、真壁くんは真っ白になって背中が煤けていた。

 まだ倦怠期に入るほど親しく付き合っていないカップルには刺激が強すぎたのかも知れない。

 

「って、俺を無視すんなぁああああああぁっ!」

 存在を完璧に忘れ去っていた部長が吠えた。

「話を戻すぞ。五更なら、自己満足のゲームを貫くという俺の姿勢を支持してくれるよな?」

 部長の言葉を聞いて瑠璃の瞳が細まる。これは……邪気眼モード!?

 相手を容赦なく口撃する時に用いる瞳だっ!

「そうね。貴方が趣味の次元でゲームを作成している限りその意見には全く同意するわ。貴方の私財でどんなクソゲーを作ろうと貴方の自由。でもね……」

 瑠璃は部長に人差し指を差した。

「会社を起こし、会社を維持発展させていくためのゲーム作りとなれば話は別よ」

 瑠璃の瞳に鋭さが増す。

「会社となれば社員にお給料を払わなければならない。出資者に返済していかなくてはならない。会社経営とは常にお金を必要とするものなのよ」

「そ、それはそうなんだが……」

 部長が瑠璃の勢いに押されている。

「貴方に分かるかしら? 大したプランもないくせに口ばっかりの社長の下に就職して、ろくに給料も払えてもらえない社員の気持ちが? 貧しさに耐えなければならない社員の家族の気持ちが?」

 瑠璃の言葉には実感、というか怨嗟が篭っている。

 おそらく、五更家自体が歩んだ道の話なのだろう。

「大したプランも勝算もないくせに、プライドだけは大きな馬鹿社長の下で働き続け、やがて給料未払で放り出される社員の気持ちが貴方には分かるのかしら?」

 瑠璃が妖怪呪い猫とでも名づけた方が良さそうな怒りの表情で部長を睨んだ。

「…………す、すんませんでしたぁっ! 今後は起業を睨んでニーズを取り入れます」

 部長は折れた。自分の信念を曲げた。

 いや、誰が聞いても今の瑠璃の言葉に従わないわけにはいかない。

 それぐらい瑠璃の言葉には鬼気迫るものがあった。生活で苦労してきた者の真の言葉だった。

 

-8ページ-

 

「五更のお説教も食らったことだし、少しは売れるゲームというものを考えてみるか」

 部長は大きくため息を吐きながらテーブルを叩いた。

「少しじゃなくて目一杯考えてください」

 相変わらず真壁くんの部長へのツッコミは厳しい。

「じゃあ、どうすれば売れるゲームが作れると思うか?」

 みんなで顔を見回す。

「とりあえずゲームの難易度調整は必須かと」

 真壁くんが手を挙げる。

「けど、難しいゲームの方が燃えるだろ? 当方みたいによぉ」

 部長の持論。

「プレイヤーに不快感を起こさせる醜悪な難易度は止めなさい」

「そうですねぇ。プログラムを感じ取れるあたしから見ても、部長の敵出現パターンは嫌がらせを目的にしていると思います。コントローラーを投げ付けたくなるんですよ」

 ヘビーゲーマー女子2人には通らない。

「ゲームの難易度に関しては瑠璃や瀬菜に聞きながら調整した方がいいと思いますよ。この2人が駄目と言っている限り、全国のゲーマーも納得しないと思うっすよ」

 ゲームに関して厳しくて真剣な女の子が2人いる。この環境を利用しない手はない。

「…………ハァ。ゲーム制作はチームワーク。自分で言った言葉を忘れてたよ」

 部長が瑠璃と瀬菜を見る。

「2人には次に作るシューティングゲームのテストプレイヤーを頼みたい。いいか?」

 瑠璃と瀬菜が顔を合わせる。

「あたしのバランス調整能力の本領を見せてあげますよ」

「つまらないものを作って私の手を煩わせたら……呪うわよ」

 2人は快く了承してみせた。片一方は翻訳機がないと呪詛を吐いているように聞こえるが快諾だった。

 

「で、他にはどうしたら良いと思うか?」

「はいは〜い」

 瀬菜が手を挙げた。

「前のプレゼンの時も言いましたけど、キャッチーな絵とストーリーがあるとプレイヤーが作品に惹かれ易いと思うんですよ。ただ襲いかかる敵を弾撃ってなぎ払うんじゃなくて」

 瀬菜の提案はストーリー化とビジュアライズ化だった。

「けど、俺は文も絵も書けないぞ」

 部長が渋い顔を見せる。

「絵は五更さんが、ストーリーは真壁先輩が書けば良いと思います」

 瀬菜は真壁くんを見た。

「えっ? 僕?」

 突然話を振られた真壁くんは驚いている。

「真壁先輩、密かに投稿サイトに自作小説アップしているじゃないですか。何の取り柄もない主人公が女の子たちにモテモテのハーレム物を」

「何故それを?」

「そりゃあ彼氏の行動ぐらいチェックしているのは当然のことですよ」

 瀬菜のメガネが光った。

「「うっ!」」

 瞬間的な恐ろしさを感じた俺は瑠璃を見る。

「まあ、当然のことよね」

 瑠璃は黒い顔をして瀬菜に同意してみせた。瑠璃は一体俺の何を掴んでいる!?

「オスを発情させる下劣極まりない書籍の在り処なら全て把握しているわ」

「グハッ!」

 よりによって一番厄介なモノを抑えられていた。

「どうして貴方のコレクションにいまだメガネ巨乳モノが多いのか。その理由は後でじっくり聞かせてもらうわね」

「ゲホッ!?」

 俺の彼女はこういうことに容赦がないっす。

 

「高坂夫先輩が程よくライフ0になった所で話を戻しますと」

「ライフ0になる前に助けてくれよ……」

 ああ。世の中は無情だ。

「五更さんが書くとやたら暗くて形而上学的な話になりますし、あたしが書くとホモ物語になります。今回の新作の趣旨から考えると適しません。なので真壁先輩が書くべきです」

 瀬菜の奴はどんな物語もホモ臭く変えられてしまう能力の持ち主だからな。納得だ。

「それに、部長の支離滅裂な思考回路を一番理解できているのは真壁先輩です。あんなクソゲーにシナリオを付けられるとしたら、この世界で先輩ぐらいのもんです」

「随分な言われようだな、おいっ!」

「瀬菜ちゃんがそこまで言ってくれるのなら……やってみるよ」

 真壁くんは部長のツッコミを無視してストーリー執筆を引き受けた。真壁くんの所も順調に嫁に手懐けられているらしい。

 

「じゃあ、五更へのCGイラスト制作の依頼だが……」

「正式な仕事、ということなら引き受けるわ」

 瑠璃は瞳を細めて部長を見た。

「「えっ? 正式な仕事?」」

 瀬菜と真壁くんは驚いている。瑠璃がボランティアで引き受けると思っていたのだろう。実際、俺もこのお人好しはタダでやるものだと思っていた。

「いや、発注という形で正式な仕事を依頼する形式の方がいい」

 瑠璃の意見に賛同したのは意外にも部長だった。

「今後起業という事態になれば、外注での依頼はどうしても必要となる。言い換えれば、ゲーム制作には金が掛かるということを俺も今から真剣に考慮しないといけない」

 部長は先ほどの瑠璃の演説で色々と目が覚めたようだった。

「じゃあ、仕事を依頼するという仮定で聞くぞ」

「ええ」

 瑠璃は静かに頷く。

「ゲーム内で使うカラーイラスト1枚当たりの納期と費用はどれぐらいだ? 具体的に教えてくれ」

「そうね……」

 瑠璃は短く目を瞑って考えた後に返答してみせた。

「依頼を受けて大まかな要望をもらったら、1〜2日中にラフ画を3枚メールで送るわ。それで気に入ったのがあれば本格的な作業に入り、ないなら送ったラフ画を見ながら要望をより具体的にしてもらってこちらがまた対応して送る。絵を描く作業は学期中か長期休み中かで仕上がりまでの日数が大きく変わってしまうけれど……ラフ画に対してオーケーが出た翌週の月曜納入が基本だわね。週末作業になるだろうから。彩色などに問題がある場合は、納入後も対応するわ」

 瑠璃からスラスラと言葉が出てくる。さすがは長年同人描きをやって美麗なイラストを描くだけのことはある。売れない展開の漫画しか書けないの玉に瑕だけど。

「で、単価は?」

「…………絵の大きさ、背景の細かさにもよるけれど、カラーイラスト1枚……8、000円って所かしら?」

 瑠璃は指を折りながら金額を口にした。

「そこそこの値段するんだな」

 素直に感想を口にしてみる。考えてみると、俺はイラストの相場ってものを全く知らなかったりする。

「私の1枚当たり制作に掛かる作業時間、ラフ画の作成から雇い主とのやり取り、納入後の修正作業も考えたら……日本の最低労働賃金を余裕で割るわよ」

「そんなもんなんだ」

 瑠璃の話を聞くと改めて俺は創作について何も知らないことに気付く。瑠璃が1枚のイラストを仕上げるのにどれだけの時間を掛けているのか全然知らなかった。

「高いと思うのなら他の人に発注すれば良いわ。私は私ができる条件を明示するだけよ。引き受ける以上、クオリティーは絶対に落としたくないし」

「なるほど」

 瑠璃には完成度に対する人一倍強いこだわりがある。絵を描く際も一切妥協はしない。

「京介みたいにこの業界に対してど素人が依頼してくる場合もあるわ。そういう中には、注文翌日の納期でカラーを複数枚要求したり、カラーイラスト1枚1、000円ぐらいとか作業工程や人件費をまるで理解していない無茶苦茶な輩もいる。そういう輩とトラブルが生じないためには条件を先に明示しておくに限るわ」

「確かにお仕事募集中ってだけ書かれてても、俺みたいな素人が依頼しようと思っても具体的にどんだけの金と時間が必要なのかよく分からないな」

 イラスト投稿サイトでよく見る文字を思い出す。

「そのよく分からなさは、仕事の依頼を回避させたり、変な依頼人を引き寄せてしまったりする原因になるのよ。まったく、あの偉そうな会社員はプレゼンで使いたいから明日朝までにカラーイラスト5枚、しかも各1000円だなんて……ふざけるのもいい加減にしなさいってのよ」

 瑠璃は荒れている。どうやら実体験に基づく話だったらしい。

 第三者的に聞くと瑠璃にその依頼をした奴はよほどの馬鹿だろう。

でも、俺は俺で瑠璃がスラスラと苦もなく絵を描いているイメージを抱いている。だから、そういう漠然としたイメージを元に失礼な依頼をしてしまうかもしれない。

「それで部長は私にイラストを依頼するつもりなのかしら?」

瑠璃の顔が部長を向く。

「もちろんだ」

部長は躊躇なく頷いた。

「五更への謝礼はゲームの開発費として組み込んでおく。具体的な費用と時間が見えてきて助かったぞ」

 部長は小さく笑った。

 

-9ページ-

 

「他には何かないか?」

 部長が再び全体を見回す。俺も何か意見を述べたくなった。というか、俺だけ何の役にも立ってないのが寂しい。

「じゃあ、俺から」

「おうよ、兄弟」

 俺が桐乃から借りた数々のエロゲーを思い出す。あれらのゲームにあって、部長のゲームに足りないもの。それは……。

「やっぱりゲームにも声が付いていた方がグっと来るんじゃないですか?」

 エロゲーと言えばボイス。美少女キャラのエッチな喘ぎ声っ!

「今貴方からとても不穏なものを感じたのだけど?」

「俺は何もやましいことなんて考えてないぜ」

 首を横に振る。

「中村悠一みたいなイケメンボイスが収録されていれば売り上げは伸びると思うんだ」

 喋りながら自分の考えに自信を深めていく。俺、マジで天才じゃねえ?

「確かに有名声優の声を入れれば売り上げは伸びるだろうなあ」

「だろうだろう」

 自分の案に自信が更に付く。でも、俺の天下は長く続かなかった。

 

「だけど、プロのボイス入りにすれば、売上の伸びよりも赤字の幅の方が膨れる結果になると思うわ」

「えっ?」

 瑠璃の口から出たのは予想してなかった言葉だった。瀬菜も真壁くんも難しい顔をしている。

「でも、有名声優でも1回の収録の手取りは多くないってネットで前に見たぞ」

 焦りながら以前見たネット記事を思い出す。

「声優個人に行くお金は多くなくても、収録全体に掛かる費用は高いのよ」

 瑠璃が息を吐き出した。

「まず録音スタジオを借りなくちゃならないでしょ。ちょっとした収録でも結局丸1日掛かることも多い。それだけで7、8万は掛かるわ」

「そっか。スタジオの使用料か……」

 単純なことさえも頭から抜け落ちていることに気付く。この辺のファミレスでスマートフォンで録音ってわけにはいかないのだ。

「同人ゲームの収録は、毎週放送されるアニメ収録とは異なるの。ワード数換算の場合もあるけれど、基本出演料に加えて1時間毎の拘束代が追加料金として発生する。声優を複数雇って収録すれば、有名人を起用しなくても総額20万、30万と1日で飛んでいくわ」

「瑠璃の絵が1枚8、000円、真壁くんのシナリオが0円なのに比べると割高だなあ」

 同じ20万使うなら瑠璃の美麗イラストが沢山ある方がプレイヤーも喜ぶだろう。

「ええっ? 僕、タダ働き決定なんですか?」

 ショックを受けている真壁くんはこの際放っておく。

「まあ、そういうことだ兄弟。俺らのような弱小サークルが声を付けようとすると開発費のバランスが歪になり過ぎて、結果として作品の価格がおかしくなりかねん」

「開発費が潤沢でないと駄目か」

「もしくはエロに特化した作品だな」

 いいアイディアだと思ったが、ダメらしい。

 考えてみれば、本当に安く声を入れられるのなら世の中の同人ソフトはもっと声入りになっていてもおかしくはない。そうならないのにはやはり見えづらいお金の計算が絡んでいるのだろう。

 

 

「色々アイディアを出してもらったが、改めて思ったのは、ゲーム制作はやはりチームプレイだと言うこと。1人ではいいものを作れないということだ」

 意見が出揃った後、部長は本日の結論を出した。

「というわけで、今後はより一層お前たちの協力と支援を仰ぎながらゲームを作っていきたいと思う。いいか?」

 俺たちは一斉に頷いた。

 何だかんだ言いながら俺たちは部長の人柄に惚れてゲーム研究会に入った。その部長が本気でゲームを作ると言っているのだ。手伝わないわけがない。

「おおっ、そうかそうかぁっ! よしっ。今日は俺の奢りだ。じゃんじゃん飲めっ!」

 嬉しそうな表情を見せる部長。

「おごりって言われても、みんなドリンクバーしか注文してないですけどね」

「気前良さそうに見せて周到に計算されたむしろケチね」

「追加でじゃんじゃん頼んじゃいましょうか?」

 みんな口々に愚痴りながらも楽しそう。

 こんな連中がゲーム研究会の面々なのだ。

 そして俺もその一員…………アレっ?

「そう言えば俺だけ何の役目もないような?」

 部長はプログラミング、瀬菜は難易度調整、瑠璃はCGイラスト、真壁くんはシナリオ。それぞれ役割分担があるのに俺だけ何も任されていない。

「京介が何の役にも立たないことはよく知っているから私の肩でも揉んでいればいいわ」

「何か任せるとセクハラ先輩とまた呼ばないといけない事態になりそうですし」

 女子の意見は辛辣だった。

「畜生っ! コーヒーと炭酸を混ぜ合わせてがぶ飲みしてやるっ!」

 俺にできるのは……大学生にもなって周囲が引くようなミックス飲み物を作って小さな仕返しをすることぐらいだった。

 小せえなあ……俺。

 

 

 つづく

 

 

 

説明
京介さんと黒猫さんの旅行記?の第3話
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タグ
高坂京介 黒猫 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 

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