創作小説【〜Scape Goat〜 前編 White Goat Version】 |
【〜Scape Goat〜 前編 White Goat Version】
〜こんな噂を聞いた事はありませんか?〜
悩み疲れて
放浪していると辿り着く
一軒の怪しい喫茶店があるそうです……
“彼女”もまた、そんな一人でした。
夕暮れ時に家を飛び出し、そのまま夜の繁華街をうろついている筈でした。
しかし、行く手に薄暗い霧が立ちこめたにも関わらず気付かずに走り続けて……
気がつくと、明らかに街の中ではない別の場所にたどり着いてしまいました。
夕暮れ時に飛び出しにも関わらず、空には夕陽も星空も無く、透き通るような青空が広がるばかり。
都心に住んでる筈なのに、今、立っているのは何も無い平原。
何も無い。そう表するに値する草原の中、唯一と言える建造物が小山の麓にある一軒の小さな家。
おとぎ話に出てきそうな可愛らしい木造の建物。
家を飛び出して来てしまった。
挙げ句、訳の分からない場所に来てしまった。
戻ろうにも、帰る術も無ければ行く宛も無い。
そうして、どうしようもなくなった“彼女”は……
そのドアノブに手をかけ、その可愛らしい家に、足を踏み入れる事になるのです……
「……あんた……何???……」
ボロアパートの一角で親父とケンカして、夕暮れ時に家を飛び出して来た……
私がやった事はそれだけだ。
それこそ日本中で、誰もが一度はやった事あるんじゃないの!?的な、極めてありふれた日常の一角を行ったまでだ。
宛なんか無かった。
友達ん家に行く気分でも無かった。
何も考えずに、とにかく家にいたくなくて…それで取り敢えず夜の繁華街に出た筈だった。
ゲーセンかカラオケか……とにかく、憂さでも晴らさなきゃやってらんねぇって思った。
ムカついてたから闇雲に走ってった。
時間が時間だから、周囲が薄暗い事には何の疑問も持たなかった。
でも、気がつくと、時間帯と言うだけじゃ説明がつかないくらいに周囲が変に薄暗くなっていた。
夜の帷なんかじゃない、モヤがかかり、変に灰色がかった空間になってた。
訳が分からなかったけれど、生まれ育った街の中だ、そんなぶっ飛んだ所には出やしないだろうと思って突っ走った。
そうしなきゃ何か、その変な暗がりに取り込まれそうな気がしたんだ。
闇雲に走ってると、逆にどんどん明るくなっていったんだ。
あ、明るく…!?もう夕方の6時を回ってた筈だぞ!?
そして……暗がりは晴れた。
有り得ないくらい、周囲は明るい雰囲気に包まれた……
その明るさは街灯とかじゃない。
…昼だ…
夕方だった筈が、いつの間にか昼間に変わっちまってて……
私の知っている街の姿は、もうそこには無かった。
一面草原が広がっていた。
真っ青な空。奥に連なる山々。
何かハイジとか言うキャラクターが、鼻歌歌いながら散歩でもしてそうな雰囲気だ(いや、物の例えであって実際には誰も歩いてなかったケド!!)
前後左右東西南北、ずっとそんな光景が続いてるんだ。
どこだよここ!?
スマホ立ち上げても電波死んでるし、当然のように位置確認も出来なかった。
電話もメールも誰にも繋がらなかった。
夢かと思って自分の頭をグーで殴ってみたんだ。でも無茶苦茶痛ぇんだよ!!
夢なんかじゃない!?
じゃあ私はどうやってここに来た!?
と言うより、どこから来たんだ!?
どこに行けば帰れるんだ!?
……いや、確かに今は家に帰りたい気分じゃない……でもなぁ、だからと言って、こんな意味不明の草原にふっ飛ばされたって困るよ!!
私は半分パニックになりながらも改めて周囲を見渡した。
すると、ほどなく獣道を見つけ……視線をたどると一軒の家を見つけたんだ。
小さな山小屋だ。
この自然の中に溶け込むような白くて可愛らしい山小屋だ。
今、宛てに出来そうなのはあそこしか無い。
私は歩いた。自然と早足で歩いた。
近くなるにつれて、ボンヤリとしか見えてなかった外見がよく見えるようになってくる。
赤い屋根に、白い壁。
窓際にも入り口にも花が咲き乱れ、よく手入れされてるみたいだから、家主はガーデニングマニアなんだろうか?
となると、少なくてもここには「誰かが住んでる」と言う事だ。
良かった。これで少なくとも野たれ死ぬ事は避けられそうだ。
とにかく中にいる人に事情を話して……まぁ私の話が信じてもらえるかは置いといて、とにかくここは素直に厄介になろう…
……話が通じないような屈強な野郎が出て来たらどうしようか……いやいや、こんなカワイイ家に住んでる人間がそんな奴な訳が無い……
そんな風に無理矢理自分を納得させ、私はその家のドアを開け………
開口一番に出て来た台詞が、あの台詞だった訳だ。
「……あんた……何???……」
“誰?”ではなく“何???”だ……
相手がどんな人間かは想像つかなかったが、まぁいるとしたら人間だろうと私は思っていた。
普通そうだろ?
やたら手入れがいい小屋の中に住んでるのは、私じゃなくたって「人間」だと思うだろ!?
だが、家の中にいたのは人間ですら無かったんだ。
私はドアを半開きにした状態で固まってしまった。
頭が暫く、目にした光景を受け付けなかったんだ。
クリーム色の壁に、いくつもの小さな絵が貼られている。
木製の小さな椅子とテーブルが数個見える…言うなれば喫茶店みたいな感じだ。
いや、部屋は極めて普通の、癒し系の落ちついた……
問題はそこじゃない。
カウンターの奥にあるキッチンで、TVを見ながら皿を拭いている「一人のヤギ」がいる。
…………いや、間違いない、私も何度も見直したよ。
何度見たって白ヤギが皿拭いてるんだからそうとしか言いようが無いじゃないか!!!
私より一回り大きい、と言うか成人男性並の大きさのヤギが二足歩行して、TV見ながら皿洗ってるんだよ!!
しかも見てるの普通に首都圏ニュースだよ!!と言うより首都圏の電波届くのかよここ!?
……待て、落ち着け私、気にする所はそこじゃない……
ヤギだよヤギ!!白ヤギだよ!?
こう言うと、着ぐるみみたいなカワイイのを連想するだろ?
そうじゃないんだよ……
普通に牧場にいそうなリアルなヤギが、二足歩行して黒いベスト着て白のエプロンして皿洗ってるんだよ!!
……あのひづめで、どうやって皿を持ってるんだ……?
……だから、気にするのはそこじゃないだろ私!!!
私が一人で勝手にテンパっている間も、そのヤギは何事も無かったのように落ち着いた表情で、取り敢えず中途半端だった皿洗いを終わらせていた。
「何???って聞かれたら、そうですね……見ての通りヤギです」
そう言いながら、かぽかぽと、ひづめ独特の足音を立てながら私の方を見やる。
ヤギと言う存在が異質すぎて、それが普通に人間の言葉を喋る事に私は違和感を持てなくなっていた。
落ち着いた男の声。
言うなれば執事系と言った所か……
……ヤギだケド……
「まぁ、そこで立ちっぱも何ですから、こちらに来て座って下さい」
皿を片付けながら、ヤギはそう勧めて来る。
普通ならここでもっと怪しむのだろうケド、私は何だか一気に疲れちゃって、もぅヤギでも何でもいいや的な気分になっていた。
その優しい声に吸い込まれるように、取り敢えず小屋に入り、入り口に一番近い椅子に座る。
それなりの年代を経過したと思える小さなテーブル。
中央にはペン立てがあり、そこには大量のペンが片付けられていた。
よく見ると、あちこちのテーブルにペンが無造作に転がっている。
「訳分からん、もう疲れた……」
私は誰に言うとなく、独り言のように呟いてテーブルに突っ伏した。
本当にもう、どうでもいいと言えば全てがどうでもいい……そんな気分だ。
考えるのが面倒くさい。この場所が何なのかも、このヤギが何者なのかも……
「ここがどこで、私が何なのかは、実は私も良く分からないのですよ」
「……?」
「いやね、ここに来る方、皆さん何故か『ここはどこなのか?』とか『おまえは誰だ?』とか聞いてくるので、最近は先手を打って私の方から言ってるんです。それとも貴女は気にされてませんでした?」
ニコニコしながら白ヤギはそう尋ねて来る。
いや、確かに私が元気ならそう聞いていただろう。
しかし、今の私にはそんな事を聞く元気も無い。
口から出るのは言葉ではなく、ため息ばかりだ。
そんな私の様子を気に留めているのかいないのか、白ヤギは私のテーブルにグリーンサラダをコトリと置く。
「……??あのさ、注文した覚え無いんだケド……?」
「ああ、これは私が食べたいので勝手に持って来たんです。何なら貴女も食べても構いませんよ?」
そう言って置いた先から菜っ葉を手(?)でつまみ、ムシャムシャと食べている。
つられるように、私もサラダボウルの中の菜っ葉を取り、無意識のうちに口に運んでいた。
私は肘をつきながら怠そうに菜っ葉を数枚ムシャムシャ食べた。
でも、いまいち食は進まなかった。
いや、このサラダは何の問題も無い、新鮮で普通に旨いサラダだよ……ただ、そう……私の方の問題だ。
もっとスッキリした気持ちでいるなら、恐らくもっと美味しく食べられただろう。
「貴女、中学生?」
「…………まーねー…………」
白ヤギは自分が食べる為に持って来た筈のサラダを何故か私の目の前に置いたまま、カウンターの奥に戻ってしまった。
私はそこに突っ込む気力も無く、白ヤギの問いに最小限の答えを返す。
大体私は、制服を着たまま家を飛び出してしまった。
白いシャツに紺のセーラーカラーとスカート、そして赤いタイ…今時珍しい、超古風なセーラー服だ。人様に言わせると「カワイイ」「萌える」らしいんだケド、私はこの古くさい制服は正直あまり好きじゃない。
これを着ている以上、白ヤギの問いに嘘をついてもバレバレだし、そもそも嘘をつく理由が無い。
一言だけ返すんじゃなくて、もう少し会話を広げるような返事をすればいいんだろうけれど……今の私にはそんな気力も残っていない。
…数十秒続く妙な沈黙…
ここで寛いでる場合か?と私が思い始めた矢先、フとサラダの方に視線をやると、その隣に沢山の便せんが置かれている事に気付いた。
さっき白ヤギが、サラダと一緒に持って来たのか?
白やらピンクやら水色やら、花やら星やら幾何学模様やら……
沢山の種類の便せん。
そして私は気がついた。あ、この部屋の壁に貼ってある小さな絵…絵じゃなくてこれ、便せんだ。
多分、絵が奇麗な便せんを厳選して壁に貼っているんだ。
私の手元にある大量の便せん、そして、テーブルの中央にある沢山の筆記具……
「ほら、悩み事とか色々あるじゃないですか。今の貴女はとても疲れてらっしゃる」
私が便せんの存在に気付いた時、白ヤギがそう話し始めた。
「言えば肩の荷が下りますよ。秘密は守られます。だってここには貴女を知る者は誰もいませんから……
と言った所で、とてもじゃないが話せない話だって沢山あるでしょう?
だったら、書いていけばいいんですよ」
そんな事を言いながら相変わらずニコニコしている白ヤギを前に、私は戸惑う。
オイオイ、メールならともかく、手紙なんざ書いた事無いよ……
「いいんですよ」
その私の心すら、白ヤギの中では想定内らしい。
「国語のテストじゃないんですから、書き方なんてありません。書きたい事を書けばいいんですよ。
実際過去には『あー』とか『うー』とかうめき声ばかり書いてた方とか、不穏な呪いの言葉を書き続けてた方とか、言葉ではなく絵を描いた方とか、実に様々なケースがありました」
「ふーん」
「あら、やる気無さげですね。まぁそうですよね、そんな簡単に楽になれるなんて思えないでしょ?でも、騙されたと思って書いてご覧なさい。あ、私が見てると書き辛いですよね」
そう言って白ヤギは椅子に座ってTVを見始めたが……黙って背中を見せるこの状況……これは親切と言うより、有無を言わせないと言う態度だなぁ…
ひょっとしたら、見た目以上に頑固な白ヤギなのかもなぁ……
私は半分呆れつつも、適当な便せんとペンを手に取り………………
手に取ったはいいが、本当に何を書けばいいんだ?
私はペンを持ったまま固まってしまった。
確かに白ヤギの言う通り、私が心に抱えている事は、誰かに気軽に話せる内容じゃなかった。
真面目に話すととにかく長い上、内容が内容だから誰にでも話せる内容じゃなかった。
……誰にでも話せる内容じゃ……
私はペンを手の中で転がしながら、本当に昔の事から思い出していた。
物事を整理する為に。
…………あの頃はまだ、一般的な、ごく普通の家庭だったんだよな…………
母さんと父さんと私、3人で楽しく暮らしてた。
母さんが驚く程に料理が下手で、夫婦ゲンカした時の母さんの決め台詞が『私の特性フルコースを食わせてやるから!!』だったもんなぁ。
だから主に私と父さんが食事を作ってた。
父さんも料理は嫌々ではなく、母さんと付き合う前から好きで作ってたらしい(だから母さんが全く作らないで、腕も上達しなかったらしいんだケド…)
そんな父さんに教えてもらった上に、両親共に仕事で遅くなる事も多々あったお陰で、私、結構料理は得意なんだ。
そりゃあ父さんに比べたら腕はアレだケド……
両親は大手製薬会社の研究員?として働いていた。
“人を幸せにする為の研究をしている”と言う事くらいは話してくれていたが、詳しい仕事の内容は守秘義務があるからと言って教えてくれた事は一度も無かった。
まぁ、私が詳細を知る事は今後も無いだろうと思うけれどもね……
そして5年前、私が小学校3年生の頃を期に生活は激変した。
研究施設が爆発事故を起こしたんだ。
母さんは、その事故が原因で亡くなった。
父さんは生きていたけれど、酷い怪我を負っていて……
右腕はもう、動かなくなっていた。
好きな料理所か、仕事も生活もままならない身体になっちまった。
事故の原因は…よく分からない。
確か粉塵爆発だと言う事で公表はされたけれど、本当に会社の言う事を鵜呑みにしていいのか、私には分からない。
あれだけ派手な事故だったのにマスコミが報道したのは最初だけだから、大半の人はもう事故の事なんか忘れているんじゃないかと思う。
父さんは何か知っているようだった。
言いたそうにしているそぶりを何度か見た。
けれど、父さんが事故について語る事は無かった。
不思議な事に、父さんは仕事を首にならなかった。
でも、閑職に回されたのか、家にいる事が増えた。
なのに給料は悪くないらしい。
訳の分からない待遇だった。
『口止め料みたいなもんだ……俺は母さんを金で売っちまったんだよ……』
酔った父さんが力なく笑いながら、そうボヤいたのを私は聞いてしまっている。
仕事は出来ず、腕は動かず、語る事は許されず、金だけはある状態……
だから他にする事が無く、必然的に酒の量だけは増えていった。
そして、家を開ける事も多くなった。
数日帰って来ない事も珍しくなくなっていた。
どこで何をしているのか私には分からなかったケド、飲み屋で知り合った女の所に行っているらしいと人伝に聞いた事がある。
そりゃあ飲み屋で羽振りが良ければ金持ってるんだろうなと、その辺目当てで来る馬鹿女も増えるだろう。
家に連れて来てないだけ、私はまだマシな立場だ。
そんな変なのが家に来たって、私の目が黒いうちは好き勝手にはさせない。
だから私は学校が終わったら極力早く家に帰って、大して上手くもない腕で晩ご飯を作った。いつ帰って来るか分からない父さんの為に。
必然的に友達との付き合いは減ったよ。でもそれは仕方がないと言うか、変な諦めがついてて寂しいとは感じなかった。
そして、今日だ。
今日の夕方、父さんが帰って来た。
何日振りだろうか……
普段から酒臭かったが、今日はまた一段と酷かった。
ただ歩く、それすらおぼつかないその姿に、昔の父さんの面影はちっとも無かった。
それでも私は必死に父さんに呼びかけた。
『おかえり父さん……ご飯、出来てるケド……』
だが、最後まで言う前に…父さんに張り倒されてしまったんだ。
『なにが飯だ!!作る事が出来なくなった俺への嫌がらせか!?』
……別に父さんが怒鳴り散らす事は、別に今日が最初じゃなかった。
私も慣れてる筈だった。
でも今日は…頭の中で、何かがブチっと切れる感覚を覚えた……
抑え、られなかった。
『最低だよクソ親父!!』
無我夢中で、テーブルに置いてあった何かのリモコンを父さんの顔面に投げつけて、そのまま家を飛び出したんだ。
分かっていた筈だった。
私がご飯作って出迎えたって、父さんが立ち直れない事くらい……
でも、本当に私には何も出来ない、何も出来てないと言う現実を見せつけられて、本当に私にはどうしようも無くて……
どうしようも無くて……
父さんと普通に食事がしたい。
ただそれだけの事が、今の私には異様に難しい事で……
そこまで思い出して、私はペンを持ったまま再び固まってしまった。
ただ、それだけの事……
ただ、それだけの事なのに……
手が動かなかった。
思考回路も回らなかった。
たった「そんな簡単な事」も出来ないくらい、私は疲れていた。
思い悩んでいた。
黙って色々してきたけれど、父さんに言いたい事は…全く何も無い訳じゃなかった。
でも、父さんには私の言葉が通じないのが分かっていたから。
聞こえもしないし、届く事もない事が分かっていたから。
言っても仕方がないし、言った所で解決しない事も分かっていたから。
だから私は黙ってた。
「…………」
私は大きく深呼吸をすると、たった一言だけ、その秘めていた一言だけを、その便せんとやらに書き留めた。
私自身の事は、とても書けそうになかったから。
だから、父さんに対する希望だけを書き記した。
その一言を書いている間ですら……
父さんと母さんと私……
どうしても、まだ平和だった頃の家庭の姿が頭を過る。
それが今は溜まらなく…辛い。
「あ、その辺に封筒ありません?」
私が手紙を書き終えて便せんを畳むと、TVに視線を向けたまま白ヤギが妙に場の空気を壊すかのように言う。
探してみると、大量の便せんの間に紛れて赤い封筒が目に入る。
これに入れろと言う事なんだろうなと私は理解し、便せんを中に入れて封をする。
封をしながら、私は軽くため息をついた。
一言だけ便せんに書いて封筒に入れる…そんな大した作業をやった訳じゃないのに酷く疲れてる。
ここに来てから起こった、たった数時間の出来事が、まるで数ヶ月も経過したかのような疲労感だ。
それにしてもこの手紙、白ヤギはどうするつもりなのだろう。
私は少し首を傾げる。
コレクションとか何とかで白ヤギの手元に残りっぱなしと言うのも何だかなぁと思うし、家に持って帰るのも…今の父さんなら開けかねないし……
かと言って破いて捨てるのも忍びないと言うか何と言うか……
「大丈夫ですよ」
そんな私の心情を読み取ったかのように、白ヤギはコニコしながらカウンターの奥から出て来て私の前に立つ。
いぶかしげな表情の私から手紙を受け取ると……
目を細めて…
美味しそうに…
封筒ごと、手紙をモシャモシャと食べ始め……
唖然としている私を尻目に、白ヤギは美味しそうに手紙を食べ終える。
美味しそうに舌なめずりをしながら。
「これで安心でしょ?私達ヤギは、手紙を貰ったら読まずに食べなければならない習わしがあるのです」
……えーっと、確かにそんな童謡がある事は私も知ってるケド……あれは別に風習を歌った訳じゃないだろ?
白ヤギがどこまで本当の事を言っているのか、私には皆目見当がつかない……
「なぁ…あんたは一体何者だ?」
私は気になって、改めてヤギに聞いてみた。
こんな場所で人にわざわざ手紙を書かせて、しかもそれをムシャムシャ食べてしまうお前は何者なんだ??
「ここはどこでもない場所で、私も普通のヤギですよ」
相変わらず白ヤギはニコニコしている。営業スマイルなんかじゃなくて、素でこんな表情なのだろう。
「どこでもない場所で誰でもない相手だからこそ、人はしがらみから解放され、自らを見つめ直す事が出来、想いのままに言葉を吐き出す事が出来るのですよ」
困惑している私を横目に、ヤギはチラリとTVを見る。
TVは地域の細かいニュースを報じてた。どこぞやで振り込め詐欺があったとか、窃盗事件があったとか……
そのニュースに白ヤギが軽くため息をついた。
初めて、ニコニコ笑顔に若干の影を感じた瞬間だった。
「私に言わせると“あちら”の人達は、寝ても覚めても満員電車に乗ってるような感じなんですよね。ぎゅうぎゅうに詰め込まれて、同じ方向に流されて行って……
途中下車したい、逆の方向の電車に乗りたい、そう思っても出来ないような世界に思えて……
だから、この“どこでもない場所”にお店を開いたんです。
“あちら”の世界の人達が満員電車に乗らなくていいような、そんな世界が作れたらいいなと思いまして……」
……満員電車、か……
私は白ヤギの言葉に想いを馳せる。
確かにあの中は沢山の人がいても、周囲は他人に過ぎず、結局は一人状態で、誰も何も喋られない状況だもんな……
私も、そうだったのかな……
人に言えるような内容の悩みでも無かったし、一人で抱え込み過ぎていたのかも知れない……
ここに来て、手紙を書く為に色々考えて……
大分頭が冷えて来たような気がする。
悩んでいるのは私だけじゃなくて……
そう、父さんも辛いのかも知れない……
……誰にも何も話せない状態……
そう思った時、頭の中に一筋の光が見えたような気がした。
別に現状を打破出来るような素晴らしいアイディアが浮かんだ訳じゃない。
でも、何とかなるんじゃないかと言う、根拠の無い希望が湧いたような気分だ。
だとしたら、私がやるべき事は、ここでウダウダしてる事じゃない。
とにかく家に帰る事だ。
「白ヤギさ…」
私がそう言うより早く、白ヤギは突如右手(?)を私の目の前に突き出す。
「では、お帰りなさい……」
そう言いながらゆっくりと、そのひづめで私の視界を遮り、一瞬周囲が見えなくなる。
「白ヤギさ……!?」
何をするんだ!?
と言うより早く、再び視野が晴れ…
気がつくと、家の近くの路地裏にいた。
時は夕暮れ時、既に周囲は暗くなり始めている。
そんな路地裏に、馬鹿みたいにポツンと立ち尽くしている私の姿があった。
「……はっ!?何だったんだ今のは…!?」
私は軽く頭を抱える。
白昼夢にしては、ヤケにハッキリしていた。
サラダを食べた事も手紙を書いた事も、絵空事とは思えないくらい、しっかりと覚えてた。
でも、私が白ヤギと接触した痕跡は何も無く、それを立証しようとする事は不可能だ。
……いや、私はそんな事で悩んでいる場合じゃなかった。
帰れる宛が出来ただけ良かったじゃないか。
そう、家に帰ろう。
帰ったら父さんと話を……いや、話になるかどうか分からないけれど……とにかく、リモコンを顔面に投げつけた事は謝ろう。
私は走った。全速力で走った。
迷っていたら機会を失いそうだったから…
「父さん!!」
私は玄関を開けると同時に父さんを呼んだ。
父さんは食卓の椅子に座り、うなだれて背を向けたまま動こうとしなかった。
よく見ると、食卓に放置していた筈の晩ご飯が無くなってた。
様子からして、父さんが全部食べたらしい。
「……すまなかった……」
そう言いだしたのは父さんの方だった。
相変わらず私に背を向けたまま、随分と小さくなった背中を丸めている。
「…父さんは…どうかしていたよ……どうしていいのか分からなかったんだ……」
小さくなった背中を震わせながら……父さんは泣いていたのかも知れない。だから私は、敢えて父さんの前に回り込まなかった。多分そう言った面は、私には見せたくないだろうから。
とにかく声をかけなければいけないとは思ったケド、正直言葉に詰まる。
それでも何とか言葉を口から絞り出す。
「どうしていいのかなんて…私にも分からない。私にも分からないよ。でも、私はまだここにいる。私がここにいる限り、父さんは一人じゃない…一人じゃないんだよ…だから……」
私がいたって何が出来るって言うんだ?
分からない。でも……
私は満員電車の赤の他人じゃない。
真っ当に話が出来る一人娘なんだよ!!
身体が震える。
吐き出す息は酷く熱い。
その私の様子に父さんは気付いてくれた…のかは、分からない。けれど……
「そうだな……俺は決めつけ過ぎていたのかも知れない…お前はもう幼い子供じゃない…気負い過ぎていたのかも知れない……俺は……今の会社を辞める、辞めてやるさ……そして、悪い縁も切る……」
「……父さん……」
「それが出来た時、俺の身の上を、本当の事を全て話せるような気がする……その時は、聞いてくれるか?」
「ああ…もちろんだよ、当たり前じゃないか!!」
そう言い終わって振り向いた父さんの顔は、嬉しそうだった。
力なく笑っていると言った感じだけれど、少なくとも、自暴自棄になった時の様子とは違っていた。
全てが上手く行くかは分からない。
けれども、辛うじて見えた一筋の光に、私は望みを託そうと思った。
「飯…旨かったよ…」
「あ、後は私がやるよ……」
ヨタヨタと立ち上がって食器を片付けようとする父さんを制して、私が台所に立つ。
私が食器を片付けている横で、私が出て行く前からかかりっぱなしだったTVからニュースが流れて来る。
男性が同棲中の女性を刺し殺した。
しかも男性の言い分と被害者の友人達の言い分が異なり、どっちが悪いのか要領を得ない話になっていた。
「ややこしい、物騒な世の中になったな…」
父さんがボソリと零していたケド、もしも、私が父さんにマジ切れした時に、手に取ってたのがリモコンの類いじゃなくて包丁だとしたら……
正直、自制出来てた自信は無い。
本当、こう言った犯罪者と私は、ある意味紙一重なのかも知れない……
そう言えば、あの白ヤギもニュースを見てたな……
このニュースも目にしているのだろうか?
そもそも、彼は今、何をしているだろうか?
再び合う事は、あるのだろうか…………?
一方その頃…
白ヤギはミルクを飲みながらTVを見ていました。
男性が同棲中の女性を刺した。
話が交錯し、どっちの言い分が正しいのか分からない。
そのニュースを見ながら、誰もいない喫茶店で一言ポツリと白ヤギさんが呟きました。
「……貴方の思想も揺るがないものですね、ブラック・ゴート……」
【〜Scape Goat〜 後編 Black Goat Version に続く】
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◆これはどこでもない場所に住む、2匹のヤギの物語、前編です。 後編はこちら→ http://www.tinami.com/view/627135 |
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