お伽話の果て |
1
ある時、リヴァイはハンジと他愛もない会話をした。
「エレンとエルヴィンは似ているよ」
「……どこがだ」
思考、体格、すべてにおいて似ていない。エレンが人間として心身ともに成長中で、将来背が大きくなる可能性があっても、巨人化できる点において特殊だとしても、似ていない。
リヴァイはそう思っていた。
「綱渡りのところが」
「似てねえだろ」
「そう? ひょいっと向こう側に行きそうじゃない」
「向こう側ってなんだ」
ハンジは「んー……」と少し考えてから、両手の人差し指を左側に向ける。
「本能のままに行動するってことかな。普通じゃないあちら側が、向こう側」
そう言って、左側に向けていた指先を逆方向の右側に向ける。
「巨人化した時のエレンはその可能性が捨てきれんが……」
「まだ子供だからね。向こう側に行きそうになるとがむしゃらに暴れるから、すごく分かりやすい。だから周囲が気づいて、すぐに引き戻せる」
「じゃあ、エルヴィンはどうなんだ」
「大人は分かりにくいね!」
アハハハとハンジは口を開けて楽しそうに笑う。
「多分、この瞬間だ! って判断したら、体一つで向こう側に行く。あとは、周囲に気づかれないように、身の回りの整理を終えているだろうね。彼、賢いし」
「奴は行かねえよ」
「うん。まだ理性の手綱を自分で引いてるから、向こう側には行かないだろうね」
「なんで行く前提で話をしてるんだ」
「そういう可能性もあるってこと。彼は捨てると決めたら、全部捨てて行けると思うよ?」
結局、リヴァイにはハンジが言わんとすることが分からなかった。
2
ある時、リヴァイはなんの流れか、ナイルと世間話をした。
「俺はエルヴィンのほうが苦手なんだ。あれはなにを考えているか分からん」
「……ほう?」
「あれがどこかおかしいのは、お前も勘づいているんだろう?」
リヴァイは無言で返事をする。ナイルはそれを((是|ぜ))と取った。
「じゃあ一つ、あれの頭のネジが外れてる小話でも教えてやろう。あいつは、人間は死ねば遺体は腐るし、臭くなる。だから好きだって言ったことがある」
「…………」
「そうにらむな。本人がそう言ったんだ。巨人は倒せば消えていなくなる。幻のような存在なのに、確かに私たちはあの不可解な存在に殺され、食われる。まるで、お伽話の中の怪物が現実に現れたかのようだ。だが人間は、死んでも残る。消えないから現実だ、とかなんとか」
「よく覚えてるじゃねえか」
「パーティの席で吐きたくなるようなことを言われてみろ。忘れられるわけがない」
「だからって、なんでそんな話を俺にする」
「さっき、貴族のお坊ちゃま相手にカードで勝って、いい酒を飲んで気分がいいから、善意の忠告だ。いいか。もしあれが変な方向に行きそうな時は、思いっきり手綱を引けよ」
「あれ?」
「エルヴィンだ。あんなのが向こう側に行かれたらたまらん。あれの代わりもいない。うまい具合に世界があいつを見逃して、ピクシス司令くらいに年を食ってくれりゃいいんだがな」
「奇妙な話をする。エルヴィンがなにかに化けるとでも思っているのか」
「普通の兵士じゃ、自分が所属する組織のトップに苦言を呈するのは難しい。だが調査兵団の中で、あれに平然と喧嘩を売る度胸がある人間は限られてるだろ?」
「貴様はどうだ。苦言を呈してくれる部下が、憲兵団の中にはいないのか」
「ほんと皮肉はうまいな」
ナイルは鼻で笑う。
「俺はあれに巻き込まれたくないんだ。だから、そっちでしっかりやってくれよ?」
この時も結局、ナイルが言わんとすることがリヴァイには分からなかった。
3
目の前にあるアニの結晶体は、くるみの形に似ているとリヴァイは思った。割れば中身が出てくるが、このくるみは透明で硬い。
大事な木の実は調査兵団によって地下に運ばれ、人間社会から、世界から隔離された。
ストヘス区での女型捕獲作戦での街の被害は甚大だったが、その対価として、内部に巨人側のスパイがいること、それに対抗しうる力が人類側にもいることを示し、対岸の火事だった内地の人間に危機感を持たせた。
これは、エルヴィンのえがいた策通りに事が運んだのか。
無駄死には嫌いだろうという、命令の形をしていない命令。本当に女型捕獲のための作戦だったのかという疑惑。
誰にでも分かる建前としての目的と、真の目的。巨大樹の森での捕獲作戦ではリヴァイにも事前に明かされたが、ストへス区での作戦では、果たして。
リヴァイは疑問をいだいたが、今のところ、調査兵団は最悪な未来を回避できていた。
女型に融合されそうになったエレンをリヴァイは救い出した。調査兵団は初めて敵側の人間、アニ・レオンハートを手に入れ、調査兵団の管轄下に置けた。エレンは手元に残り、エレンを有する調査兵団は存在意義を示すことができた。
多大な犠牲を払ったが、今回もエルヴィンは正しかった。おそらく、正しい方向へ進んでいる。
リヴァイは結晶体にそっと手を触れて、離す。
多くの仲間を殺した敵。なんの理由があり、目的があったのか。彼女だけが見えるもの、知っているものを胸に、孤独を選んだ金髪碧眼の小柄な少女。
憎しみという感情を思い出させてくれたことに関して、リヴァイはアニに感謝していた。
その憎悪を持ってしがみつけ。刻みつけて忘れるな。仲間の命を奪うきっかけになったエルヴィン・スミスを殺すことを至上の目的とせよ。
そう、過去の自分が叫んでいる。
「いつか殺す」
口に出して言うが、覇気はない。
舌先三寸で言いくるめられたのか、ほだされたのか。エルヴィン自身を知ることでリヴァイは納得し、憎しみを制御して、過去のものとして在るべき場所に納めることができた。
いまだに過去の取引は生きている。心が折れるか目的を達成したら、リヴァイが命を奪うという取引をした時から、エルヴィンの命は期限付きのものになった。
明確に限りある人生となり、脱落することを許されないエルヴィンは、ただひたすら前に向かって走り続けている。
が、ストヘス区の作戦では、自ら命を手放そうとした。
独断専行により街を破壊させるに到り、ナイルに処刑すると言われた時、脅し文句だったとしても、エルヴィンは己の命を放棄することに同意した。指揮権をナイルに委ねようとした。
ハンジの指摘は正しかったのだと、リヴァイは痛切に感じる。兵団の部下や一般市民だけでなく、その時が来たのなら、己の命すら駒として扱って捨てる。向こう側へ行く。
彼の代わりは誰もいないという認識が、おそろしいほど欠落しているがゆえに。
「それまで死ぬな。殺されるな」
アニに向かって言っているのか、そうでないのか、あるいは両方なのか。リヴァイ自身にも分かりかねる感情の揺れ。
なにかを察する人々は、リヴァイに遠回しに託す。エルヴィンを向こう側に行かせるなと。道なかばで己の命を放棄させないよう、不利な状況に追い込まれないよう、見えざる手綱を渡す。
リヴァイが分かるのは、エルヴィンを殺す権利を彼自身から与えられたということ。
だが今は、その権利を行使する時ではない。まだもっと先。
だからこそ、もしかしたら過去に抱いた憎しみが、いざその時が来たら役立つのかもしれないのだと悟る。
??英雄というのは、人類にとって善きことをするからそう言われる。いい言葉だ。
人々に英雄と言われることは誇れと、リヴァイはエルヴィンに言われたことがあった。
なにかを察する人々は遠回しに言う。エルヴィンは怪物になりうる要素があると。
巨人と同じような怪物になった時は、迷わず殺せ。それは人類のために善きこと。
ナイルの指摘は正しいのだろうとリヴァイは判断する。組織のトップとして、ナイルは団長としてのエルヴィンを理解している部分があった。
エルヴィンが自分を地下街から見逃さなかったように、もし世界そのものに意思があるなら、世界は彼を見逃さなかった。
「いいか、俺が必ずお前を殺す。だから最後まで見届けるぞ。分かったか、クソが」
まだ人間のエルヴィンの青い眼には、彼にしか見えないなにかが見えている。人を食う巨人が登場する悪夢のお伽話の果てにあるものを、彼だけが知っている。
見てみたい。
彼を殺す前に、殺す瞬間に、リヴァイはその光景を見てみたいという欲求に駆られる。
たとえほんの一瞬でも彼の言葉に熱を浮かされ、心を捕らわれた者なら、夢見るもの。
強固な意志で、なにを犠牲にするかを認識しながら、覚悟を持ってただひたすら前に進み続けるその果て。彼自身が削ぎ落したものを確かめながら、彼が目指すなにかの果てを、この眼で。
「それが俺の権利ってもんだろ」
リヴァイは拳を結晶体に押しつける。この硬さと距離感は、エルヴィンと彼以外の人間の間にある絶対的な溝そのもの。
その溝をリヴァイは理解し、それでもここにいる。
「俺が殺すまで、そのままでいろよ。壁の向こうに行くなんざ、許さねえからな」
今度は結晶体を拳で強く叩く。当然、傷一つつかない。拳は相手に届かない。
だが、結晶体の中の少女の表情は、ほんの少し柔らかくなった気がした。それはリヴァイの思い込みなのか、結晶体の屈折かなにかなのか。
リヴァイは軽く息を吐くと、その場を後にした。歩く途中で握っていた手を開き、甲をさする。
いつかこの手は殺されることを望む者の心臓をつかむ。いつかこの眼は覚悟の果てを見る。
エルヴィン・スミスの赤い心臓と青い眼と共に。
お伽話の果ての、その先を。
いつか。
END
説明 | ||
アニメ最終回を見た勢いで書いたリヴァイの話。エルヴィン本人は出ません。公式でリヴァイの過去話が本格的に出る前に滑り込み。内容はアニメ寄りで捏造有。時期はアニメ最終回の直後あたり。 | ||
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